【銀糸の歌姫】過去を覗く瞳と愛の障害と

■シリーズシナリオ


担当:天音

対応レベル:8〜14lv

難易度:やや難

成功報酬:5 G 47 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:06月16日〜06月22日

リプレイ公開日:2008年06月21日

●オープニング

●止まぬ雨
 その日のリンデンは、雨足が一層強かった。
 まるで誰かの悲しみを表しているかのように――。


●許されぬ想い
 ‥‥‥‥どうして――?
 私はあの人を愛しただけなのに。
 あの人も私を愛しただけなのに。
 私達が愛し合うのはそんなにもいけないことなの?

 私はあの人が惨殺されるのを、泣き叫んで見ているしか出来なくて。
 村の外に放置されたあの人の遺体を、泣きじゃくりながら森の中に引きずっていく事しか出来なくて。
 持ち込んだスコップで、雨で柔らかくなった土を掘り、掘り、掘り続けて、あの人を埋めてあげるしか出来なくて。
 毎日のように、あの人のお墓に花を供えてあげるしか出来なくて。
 墓標代わりに立てた木の板に寄り添い、あの人の側に少しでも長くいてあげることしか出来なくて。
 そうしたら、あの男が来たの。
 あの男は何故か私が体験したあのおぞましい事件を知っていたの。
 そして言ったの。

「愛する者を手にかけた者達を、お前達の愛を許さなかった者達を全て殺してしまえばいい」


●見え隠れする魔物の影
「ふむ‥‥またしてもカオスの魔物、か」
 リンデン侯爵邸。リンデン侯爵ラグリア・リンデンは唸るように零す。
「しかも『過去を覗く者』という名は、義母上を扇動していたカオスの魔物も口にしていた名前です」
 侯爵家長男、セーファス・リンデンも真剣な顔で父親を見つめる。
 リンデン侯爵家内に『心惑わすもの』が侵入し、侯爵夫人ティアレアの過去の悲しみを利用して、彼女をたきつけていたのはまだ記憶に新しい事件だ。
「報告書をまとめてくれた冒険者達には感謝しなくてはな。おかげで被災地への迅速な対応が出来る」
 提出されたスクロールを眺め、侯爵は満足気に頷いた。
「あの‥‥今回私をお呼びになったのは‥‥」
 ソファに座らされ、身の置き所が無いように二人の話を聞いていた歌姫、エリヴィラが劣る劣る口を開いた。侯爵は彼女にゆっくりと視線を移す。
「つい数日前、とある村の村人ほぼ全員が一晩で惨殺されるという事件が起こった。唯一の生き残りである少年の証言によると、その犯人は十代後半――そうだな、歌姫と変わらぬ年頃の少女らしい」
「――‥‥‥」
 侯爵の言葉に、エリヴィラは思わず視線を落とす。侯爵達はまだ彼女の事を人間の少女だと思っているが、実際彼女が重ねてきた年月は外見のそれよりも長い。彼女がハーフエルフであるがゆえに。
「だが、普通の少女が一晩で村人の大人を含めた全てを惨殺するなど、にわかには信じがたい。裏で糸引く者がいると思われる」
「私は、その犯人の調査に向かえば‥‥良いのでしょうか」
「そういうことになるな」
 そう言うと侯爵は人を呼び、一人の少年を連れて来させた。粗末な服を着た垢抜けぬその少年は場の空気に怯えたようにして縮こまるも、セーファスに優しく勧められてソファに腰を下ろした。
「その村唯一の生き残りだ。実際少女は彼の家族も殺害している。だが何故彼だけが生き残ったのか、わからん」
「ディアーナお姉ちゃんは、ディアーナお姉ちゃんは、悲しかったんだよ‥‥」
 ぽつり、少年が呟きを零した。それを拾うべく、侯爵もセーファスもエリヴィラも黙る。
「毎日、クルト兄ちゃんのお墓の前で泣いていたんだもん‥‥ボク、行っちゃダメって大人の人に言われてたけど、でもディアーナお姉ちゃんもクルトお兄ちゃんも大好きだから、お花を持ってクルトお兄ちゃんのお墓に行ったんだ‥‥」
「ゆっくりで良いよ。順を追って話してくれるかな?」
 少年も突然の事で混乱しているのだろう。その言葉はそのままでは事情が通じない。セーファスは優しく少年に話しかけ、落ち着かせようとした。

 少年によれば、ディアーナというのは村長の娘であり、親孝行なとてもよい娘で誰からも好かれていたのだという。だがある日、怪我をしたクルトという旅人が村に立ち寄った事で歯車は狂ってしまった。生来の人の良さから怪我人を滞在させた村長夫婦だったが、まさか娘と旅人が愛し合うなど思ってもいなくて。そう、二人は愛し合ってしまったのだ――。
 事態を深刻なものとして捉えた村長夫妻は、村人たちを集めて会議をした。そして決めたのだ、娘を護るために旅人を殺害する事を――。

「ちょっと待って。何故旅人と愛し合っただけでそこまで‥‥」
 あまりの事実に顔面を蒼白にしながら、セーファスは少年に問う。
 ディアーナには婚約者でもいたのだろうか? いや、でもだからといって殺すのはやりすぎではないか?

「クルト兄ちゃんは、エルフだったんだ」
「「「!!」」」

 異種族婚。
 アトランティスでは正当な子孫を残せないという理由から、良い顔をされない。
 ハーフエルフへの迫害があるように、地方の村であればあるほどその嫌悪感は強いだろう。
 ましてや自分の娘が他者から祝福されない恋愛をすることを、祝福できる親がいようか。
「人間と、エルフ‥‥」
 ぽつり、エリヴィラが呟いた。
 彼女の祖国ロシアはハーフエルフ至上主義ということもあり、エルフと人間、ハーフエルフの婚姻は認められている。だが、ここアトランティスではそもそも異種族婚が禁忌であり――。
「‥‥でもボクは、兄ちゃんと姉ちゃんが仲良く笑っているのを見ているのが好きだったんだ」
 拳をぎゅっと握り締め、泣くのを堪えているような少年。その頭をセーファスは優しく撫でた。
「その憎しみと悲しみが彼女に力を与えたのだとしても、普通の少女が村人全てを惨殺するというのは不自然さが残る。やはり裏で手を引く者の存在を疑う」
「‥‥では、今回の私の任務は‥‥」
「その村へ行き、犯人と目される少女の確保と、裏で手を引いている者の調査だな」
 侯爵の言葉にエリヴィラは、ぎゅ、と円盤の入った包みを抱きしめる。
「ですが、復讐を遂げた少女が未だ村にいるとは‥‥」
「お墓!」
 彼女の言葉を遮り、少年が声を上げた。
「村の側の森にある、クルト兄ちゃんのお墓にならディアーナ姉ちゃんはいると思う! だって毎日毎日姉ちゃんはお参りを欠かさなかったもん。ボクが花を持っていくと、いつも嬉しそうに微笑んで――‥‥っ」
 そこで少年の声は嗚咽に変わった。家族や村人を殺されたショックだけではなく、その犯人が懇意にしていた少女であるということ、それはとても辛い事に違いない。それでも語ってくれた少年を、セーファスが弟にするように優しく抱きしめる。
「辛い調査になるだろうが‥‥円盤とそなたの仲間が、そなたを支えてくれることを祈っている」
 侯爵の言葉にエリヴィラは頷く。
 水鏡の円盤のもつという効果は未だ謎であったが、心強い仲間がいる事にはかわりはなかったから。

「許されない愛――」
 ぽつり、呟く。
「(私は、誰からも愛されなくても大丈夫‥‥頑張れる)」
 心の中で強がり、思い、ふと気がつく。
 いくら自分にそう言い聞かせても、何故だか涙が流れ出ている事に。

●今回の参加者

 ea1842 アマツ・オオトリ(31歳・♀・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 ea3475 キース・レッド(37歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 eb0754 フォーリィ・クライト(21歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb3446 久遠院 透夜(35歳・♀・鎧騎士・人間・ジャパン)
 ec0844 雀尾 煉淡(39歳・♂・僧侶・人間・ジャパン)
 ec4205 アルトリア・ペンドラゴン(23歳・♀・天界人・人間・天界(地球))

●リプレイ本文

●涙雨
 雨は酷く降り続いていた。馬車の車輪は泥を跳ね上げながらぬかるんだ道を行き、その後に残った轍は雨で流れる泥にかき消される。
「別の依頼で少し落ち込んでたけど、エリヴィラの歌を聴いて元気が出た」
 雀尾煉淡(ec0844)の詩に久遠院透夜(eb3446)が旋律をつけ、エリヴィラが歌う――もう当たり前のようになったその光景が、今回も馬車の奥で行われていた。練習に、とエリヴィラが紡いだ旋律を聴いてぽろりと零した透夜の表情は、酷く辛そうで。
「何か――」
 何かあったのか、それを聞いてもよいものかと逡巡したエリヴィラは、そっと己の手を彼女の頬に当てて。
「透夜さんも煉淡さんも何か‥‥悲しそう、です」
 二人とも、この前に同じ依頼を受けている。そこで受けた悲しみがまだ尾を引いていて――。
「‥‥エリヴィラがいてくれて、よかった」
 透夜は頬に添えられたエリヴィラの手を包み込むようにし、少し微笑んだ。心配そうに視線を向けた彼女に、煉淡もまた頷いて見せるのだった。


 キース・レッド(ea3475)は馬車の入り口付近に座り込み、落ちる雨粒を見つめるとも無く見つめていた。
「(‥‥そうだ、これが現実だ。異種族間の愛は、不幸しか招かない)」
 それでも、それでも彼が愛するのは――
「英国紳士よ」
 す、と向かい側に人が座る気配を感じ、キースは視線を場車内へ戻した。向かい側に座ったのはアマツ・オオトリ(ea1842)だ。
「早まった事をするでないぞ」
 今回の事件で一番堪えているのは彼だろう――己の思いの果てが、悲劇しか生まぬのだと改めて思い知らされて。
「‥‥クルト‥‥彼は、僕の末路かもしれないな」
「何を‥‥。弱気になるなどらしくないではないか」
 雨は、降り続けている。これは誰の涙雨か?


「(今回は複雑な気分)」
 自分の馬に馬車を引かせ、ぬかるみにはまらぬように注意しながら御者を務めるフォーリィ・クライト(eb0754)は、ハーフエルフゆえに今回の事件について複雑な思いを抱いていた。自分は捨てられた口だが異種族カップルに反対するつもりは無い。誰も彼も応援するわけではないが、それを否定するという事は自分が生まれて来た事を否定するという事だから。
 フォーリィは事前に生き残りの少年に尋ねたことを思い出す。殺さずとももっと穏便に済ませることは出来なかったのか、そう尋ねたが子供である彼には詳しいことは何も知らされていなかった。
 そしてディアーナの攻撃方法、こちらも彼が眠っている間に彼女が殺戮に至ったため、詳しいことは判らないようだったが、何か刃物を持っていたとも、吹雪の様なものを見たとも言っていた。だがその吹雪をディアーナが起こしていたという確証はない。だが夏のメイディアでの吹雪とは明らかに異常だ。
「(吹雪で弱らせた所をディアーナがとどめを‥‥? 協力者がいると見た方がいいかも)」
 ただの村娘が村人全員を惨殺するなど、普通の方法では出来やしないはずなのだ。


●想いとは
 目的の村には、遠目からわかるほど沢山の墓標が立てられていた。量が量だけに石版ではなく木の棒が代わりに使われていたが、これは村人達がきちんと精霊界へ昇れるようにされた処置である。領地で起こったこのような村一つ滅びる大量死亡事件の場合、その遺体をきちんと埋葬するかどうかは領主の裁量による。リンデン侯爵はきちんと埋葬に人と労力を割いたのだろう。
 クルトの墓があるという森の入り口に馬車を止め、キースとフォーリィ、アルトリア・ペンドラゴン(ec4205)が先頭集団として森へと入っていく。その少し後ろをエリヴィラを護るように煉淡と透夜、アマツがついて行った。
「ねぇ、エリヴィラ」
 先頭集団と少しばかり距離が開いたことを確認し、透夜が突然口を開いた。降りしきる雨は少しばかり強めであったが、普通の声で話をするのに支障はない。
「『愛されなくても大丈夫』なんて思ってはダメ。花に水が必要な様に、人は愛し愛されなければ心が枯れてしまう‥‥枯れた心では、幸せにはなれないから」
「透夜、さん‥‥?」
 いきなり何事だろうという思いと自身の強がっている心を見透かされた事で、エリヴィラは戸惑いつつも彼女を見つめる。
「種族とか世間とか、それらを覚悟してなお好きな人がエリヴィラに出来たら、私は協力するから。ただ――同情や感謝で好きになるのはダメ」
 異種族婚が他国でどう認識されているか、それをエリヴィラは祖国にいた時に教えられている。だがそれが現実として目の前に展開されると、又違うもので。
「エリヴィラの事だから『半妖精の私なんかを好きと言ってくれたのに‥‥』なんて考えそうだから。それは本当の愛では無いと思う」
 その揺らいでいる部分を的確に突かれて、彼女は泣きそうに顔をゆがめた後、こくりと頷くしか出来なかった。
「心に留めておいてくれればそれでいい。さあ、行こうか」
 見れば先頭集団の三人が何があったのかとこちらを振り返っている。今の会話を聞いていた煉淡とアマツも恐らく気づいているから何も言わなかったのだろう――誰が彼女に思いを寄せているかに。


●弔意と、悪意と
 それは墓と呼ぶにはあまりにも簡素なもので。
 けれども花だけは、雨雫にしとどに濡れながらも幾輪も飾られていて。
 アマツが持ち寄った花をその花々の間に捧げる。透夜が竪琴を爪弾く。エリヴィラが大きく息を吸い込む。
 鎮魂歌が、始まる。

『尊き魂よ安らかに

 この世の苦しみの全て
 解き放たれた歓び
 永久の安寧に揺漂う貴方がたは
 何よりも尊く何よりも愛おしい』

 キースにフォーリィが墓の側で黙祷を捧げ、残りのメンバーは花を置いてきたアマツと共に墓から少し離れた場所でエリヴィラを囲んで護るように立つ。
 煉淡がホーリーフィールドを発動させた。だが、何かおかしい。
「(‥‥?)」
「雨が‥‥遮られています」
 アルトリアが驚いたようぽつりと零した。
 そうだ、降り注いでいる雨雫が、ホーリーフィールドに遮られているのだ。キースとフォーリィ以外を包んだ結界は、雨を遮っている。雨足がそれなりに強い事から、普段は見えないはずの結界の形がまあるく見えるようだった。
「おかしいです。ホーリーフィールドは敵対する者を遮る魔法で、自然現象を遮る事は出来ないはず‥‥」
 口にした煉淡も、それを聞いていた皆もそこで気がついた。ということは、この雨は自然現象ではないということ。

『讃えよ
 形ある歓びから形なき至福へと
 今憂いなき園へと集い
 今その身を委ね
 希の途へと集う姿を

 尊き魂よ安らかに』

「クルトのお墓に何をするの!」
 と、最後の歌詞を遮るようにして少女の声が上がった。一同はその声がした方に身構える。
 墓の後ろの木々の間から、一人の少女が憎しみに満ちた形相で一同を睨み据えていた。
「あなたがディアーナね? 事件のきっかけはあの少年から聞いているわ。殺されちゃった村人達はあたしから見れば自業自得だし。だからあなたを咎めるつもりじゃなくて、純粋にクルトに弔意を示しているだけ」
 フォーリィの言葉をいぶかしむような目で見た後、少女――ディアーナはキースへと視線を移す。
「僕には‥‥君の無念が哀しみが、この世への憎悪が全て理解できる。君の思いの丈は、全て受け止める」
「わかったようなことを言わないで! 私の哀しみなんて誰にも‥‥」
「わかるさ!」
 後方で透夜が竪琴を奏で、エリヴィラがディアーナを落ち着かせるためのメロディーの魔法を発動させる。雨音に混じってその旋律は彼女へと届く。
 怒鳴るようにディアーナの言葉を遮ったキースは、そのまま自らの激情に任せて言葉を紡ぐ。
「許されぬ愛に身を焦がすのは、君だけじゃない‥‥!!」
「ちょっ‥‥」
「英国紳士よ、そなたが落ち着けい!」
 勢いづいたキースにフォーリィが驚き、アマツが後方から声を投げかける。だが彼の言葉は止まらなかった。
「僕が‥‥僕が!! 人間の僕が愛する女性は、ハーフエルフの歌姫エリヴィラ‥‥エリィ、君なんだ!」

 歌が、止まった。

 透夜が、煉淡が、アルトリアが見たエリヴィラの表情は、驚愕で固まっていた。アマツは額に手をあて、溜息をつく。
「キースさん‥‥」
「許されぬ恋、に‥‥」
 エリヴィラとディアーナが呟いたのは同時だった。驚きを隠せない様子のディアーナに出来た隙。手に握られたナイフをものともせず、フォーリィはその隙を突いて彼女に近づき、後ろ手に締め上げる。キースは一度もエリヴィラを振り向かぬまま、ホイップでディアーナを捕縛した。

「面白い」

 その声が誰のものかはわからなかった。その場にいる誰のものでもないはずだ。

 パンッ

 実際はそんな音はしないはずなのに、それまで雨を遮っていた結界がはじけ、消えた時、そんな音が一番相応しい気がした。結界が消えたと同時に煉淡の頬に赤い筋が出来る。それが結界が受け止め切れなかった攻撃だ、と気がつくのはもう一瞬後の事。
 接近を許してしまったのは、皆が別の事に気を取られていたゆえだろうか。
 謎の男の声に声の主を探したアマツが、殺気を感知してその方向を見たが、そこに見えたのはただの黒い馬。次の瞬間、馬は何もしていないというのにアマツは逆袈裟懸けに切り裂かれる。続いてアルトリアが、透夜が、同じ様に血飛沫を上げて膝をついた。その傷は全て爪の様なものでつけられており、流れ出た血が次々と水溜りに流れ込んでいく。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 エリヴィラが、叫んだ。その声を聞いたフォーリィとキースが振り返るが、敵の姿を見つけることは出来ない。煉淡は高速詠唱で再びホーリーフィールドを展開しようとするが、結界は完成しない。範囲内には馬がいる。そして姿は見えないが、同時に敵がいるということか。
「く‥‥何処にいる」
 日本刀を抜いたアマツは目を凝らすようにして敵を探す。だがどうしても黒い馬しか見つけることは出来ない。何もしていないように見えたこの馬が敵か? 皆が一瞬判断に迷う。
 アルトリアは急ぎリカバーポーションで己の傷を癒すが、透夜とアマツには傷を癒す手段が無かった。
 エリヴィラの抱えていた円盤を包んでいた布が、水気を含んでずるりと落ちる。
「(お願い‥‥円盤に不思議な力があるのなら、皆を護るために力を貸して!)」
 円盤を抱きしめ、彼女は祈った。すると、不思議な変化が起こった。エリヴィラの足元に、澄んだ静かな水面が出現したのだ。そこに、黒い馬にまたがり片手にクサリヘビを持った男性の姿が映りこんでいる。
「アマツさん、馬に敵が騎乗しています!」
 彼女は咄嗟に叫んだ。アマツと透夜が己の傷を省みずにエリヴィラの指示した場所を斬りつける。手ごたえは、あった。
「エリヴィラ、馬の上を攻撃すればいいんだな!?」
「‥‥はい! あ、移動したみたいで水鏡に映らなく――」
 指示を仰ごうとする透夜の言葉で再び水面を覗き込んだエリヴィラだったが、敵は移動したのか男の姿は見えなくなっていた。だが馬が移動している姿は誰にでも見える。足元の水鏡に注視していた彼女は気がつかなかったが。

「人間に酷い目に合わされたというのに、人間とつるんで人間の為に働き、そして人間に愛されようとしているのか」

 その声があまりにも近くから聞こえて、エリヴィラは怯えるようにして円盤を取り落とした。アルトリアが素早く反応し、円盤を確保する。彼女の足元の水鏡には、彼女の耳元でささやくように、憤怒の表情の男が映りこんでいる。だがその映像を見ることが出来るのは、円盤に祈った彼女だけだ。

「祖国では貴族の娘としてもてはやされていたというのに、それが人間に厭われ、殴られ、蹴られ、敬遠され、暴言を浴びせられ、言葉にするのも憚られるような酷い目に合ったというのにそれを忘れたのか?」

「いや‥‥言わないで。大丈夫‥‥私はもう、大丈夫だからっ!」
 エリヴィラは目を見開き、耳を塞ぐようにして激しく頭を振る。

「まさか人間になったつもりか? 人間に対する憎しみを忘れたつもりか?」

「やめてえぇぇぇっ!」
「エリヴィラ、落ち着いて! じゃないと狂化が!」
 フォーリィが叫び、ディアーナをキースに任せてエリヴィラ向かって走り出す。そう、ハーフエルフは特定の狂化条件の他に、感情の激しい昂ぶりでも狂化する。
「やはりエリヴィラさんの後ろです! あの黒い馬を!」
 バイブレーションセンサーのスクロールで姿を消している敵の位置を把握した煉淡が、指示を飛ばす。透夜とアマツは指示が出る前に馬を警戒し、流れる血にも構わずにその空間へと斬りつける。

「人間が憎くなったら、いつでも契約をしてやろう。そこの女のようにな」

 びくり、とディアーナが震えた。
 恐慌に陥りかけているエリヴィラの腹部に、フォーリィが拳を叩き込む。
 後を引くように響いていた叫び声が消え、歌姫はぐったりとフォーリィの腕に身体を預けた。
「馬が、飛んで――。どうやら、逃げられたようです」
 宙に浮かび、遠ざかっていく黒い馬を見て、煉淡が冷静に告げる。逃げられたというよりは、撤退してもらえて安堵したというべきか。味方に負傷者が出、その上微妙に姿の見えない敵と戦うのは分が悪い。円盤とディアーナは確保しているので目的は果たしたといえるが――
「あれが、『過去を覗く者』なのか‥‥?」
 キースが、呟く。
 その名の通り、他人の過去を覗いてその心を揺さぶる者。
 水面に映ったその本当の姿を見たのは円盤に祈りを捧げたエリヴィラのみであったが、仲間に手傷を負わせたことを考えると、一筋縄ではいかない相手なのは確かだ。何よりも姿を消すその能力が厭わしい。黒い馬だけが見えるのが、せめてもの救いか。

 ホーリーフィールドで防がれる雨に円盤の能力、そして『過去を覗く者』――。
 情報を多数得る事はできたが、それと同時に難題が山積みになるのを冒険者達は感じていた。