【銀糸の歌姫】零れ落ちる悪意

■シリーズシナリオ


担当:天音

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:5 G 47 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:07月02日〜07月08日

リプレイ公開日:2008年07月09日

●オープニング

●止まらない憎しみ
 街外れに作られた牢屋に吹雪が舞い、水の塊が見張りの兵士を直撃する。地に伏した兵士達の横で、黒い馬に跨った男が姿を現す。
「助けて欲しいか? お前の大切な者を殺したのは『人間』だ。人間がまだ憎いか」
「‥‥憎いわ。私をクルトのお墓から引き離した人間達も‥‥」
 少女はきつい瞳で男を見つめる。すると男は憤怒の表情のまま頷いた。
「では再び契約をしよう。魂を差し出す代わりに力を貸し与える。そして殺戮を、堕落を」
 牢屋の鍵を開けられ、放たれた少女は倒れている兵士の剣を奪い取り、躊躇うことなくその首筋に刺した。何度も、何度も――。


●憂い
「歌姫はどうしている?」
「楽団宿舎の自室にて、休んでいるようです。どうやら少し熱があるとか」
「雨の中の強行軍となれば、体調を崩すのも仕方あるまいな」
 リンデン侯爵邸。交わされる会話はリンデン侯爵ラグリアと長子セーファスのもの。
「ところで父上、捕えたあの少女の処遇はどうなさるおつもりですか?」
「それがな、困ったものだ」
 冒険者達の報告により、村一つを壊滅に追いやった少女ディアーナは「過去を覗く者」と思われるカオスの魔物と「契約」を結んでいるという。だがその「契約」の内容がわからない。契約により彼女自身に何か力が与えられているのか、それが判らないため、侯爵家でも彼女をもてあましていた。侯爵やセーファスが直に尋問するといえば危険だからと反対の声が上がる。だからと言って代わりに彼女に事情を問おうとする者もおらず、彼女がカオスの魔物と契約しているという事は伏せて、街外れの牢屋に見張りをつけて監禁しているのが現状だ。
 少女の社会復帰は犯した罪の大きさからほぼ無理だと見て間違いないが、その後ろにカオスの魔物がついているとなれば下手に手を出せないと感じるのは無理ないだろう。
「冒険者に一任しますか?」
「‥‥‥‥‥」
 息子の問いに、侯爵は渋い顔のまま考え込んでいる。冒険者に頼むのがいい意味でも悪い意味でも一番「丁度良い」気もしたが、一応侯爵家としての面子もある。
「とりあえず話を変えましょうか」
 これでは話が進まないと判断したセーファスに「うむ」と頷き返し、侯爵はティーカップを傾ける。
「円盤の効力が判明したようですね。歌姫は『確実ではないかもしれない』と付け加えていましたが」
「うむ。円盤に祈りを捧げると足元に水鏡が出来上がり、そこに映りこんだ者は姿を隠していても真の姿が見えるということらしいな」
「試したのは一度だけらしいですから、次も上手く行くとは限らないと思いますが、とりあえず一つ目の能力はそのような感じでしょう」
 息子の物言いに、侯爵は不思議そうな瞳を向ける。
「言い伝えでは『水を操り、真実の姿を映す』エレメンタラーオーヴだという事ですから。それが本当でしたら後一つ以上は能力があると推測されます」
「なるほどな」
 カップをソーサーに置き、侯爵は腕組みをして再び考え込む様子を見せた。
「それにしてもこの雨が魔法で遮る事の出来る雨だとはな。ただの雨ではないとは思っていたが‥‥これもカオスの魔物の仕業なのだろうか」
 息子に問うても確実な答えなど返ってくるはずがないとわかっていたが、それでも口に出してしまうのは領地をカオスの魔物から護らねばならぬという使命故か。
「カオスの魔物が近づいてきていても、それを判別する手段がないと後手に回らざるを得ないですからね‥‥」
 セーファスも領地の未来を憂えて一つ、溜息をつく。

 コンコンッ コンコンッ

 その時あわただしく扉がノックされた。何事かと二人は顔を見合わせた後、侯爵が入室を促す。すると扉を開いた執事が折り目正しく礼をして、だがどこか焦った様子で後ろからついて来ていた人物を室内へと通す。
「失礼します、火急の用件で参りました!」
 通されたのは兵士と思わしき壮年の男性と、冒険者と思しき帯剣した青年だ。その兵士の姿を見て、侯爵は何が起こったか大体の予想がついたのだろう、問う。
「少女に何かあったのか?」
「は、はいっ。少女はどうやったのか牢から脱出し、見張りの兵士の剣を奪って殺害後、街を逃げ出したようです! この冒険者が少女が逃げ去るのを見ていたとか」
 兵士の言葉で一同の視線が冒険者だという青年に移る。茶色い髪に茶色い瞳の20代前半くらいの青年。顔つきは平凡であり、特に特徴といえるものは無い。帯剣していなければ街人に紛れて見失ってしまいそうだ。
「少女が血のついた剣を持って雨の中走っていくから何だろうと思ったら、人が倒れていてね。まだ息があるのかと思って人の方に駆け寄ったから、少女の行方はわからないんです。すいません、まさか少女の方が優先しなくちゃならない人物だったなんて思いもしなかったもんで」
 男は頭をぽりぽりと掻きながら恐縮したように軽く頭を下げる。
「いや、普通は倒れている人の方を優先するだろう。君のしたことに間違いはない」
 侯爵はふう、と溜息をついて視線を移す。その処分を考えあぐねていた所に殺人と逃亡となれば、次に捕まえた時は――選択肢は限られる。
「あの、俺も冒険者ですし、一応逃がしちまった責任も感じてるんで、あの少女を探す必要があれば働かせてもらいますぜ?」
 ニッと笑んで見せた青年は、バスティアンと名乗った。


●愛を考える
「(‥‥人間が憎くなったら)」
 エリヴィラは自室のベッドで横になり、天井を眺めながら心の中で呟く。それは先日過去を覗く者に言われた言葉。
 確かにこの世界に来たばかりの頃、酷い目にあわされたせいで自分は笑顔を失ってしまった。人間を憎んだ事も多々あった。だがそのうちこの世界で生きていくには人間のふりをするのが一番良いのだということに気がついて。
「(私を好きだと言ってくれる人達‥‥)」
 仲間の顔を、一人一人思い浮かべる。誰もが親身になってくれている。それはハーフエルフだからでも、辛い過去を背負っているからでも、円盤を任されている身だからでもなく、彼女だから。それはわかっているつもりだ。

 人間にでもなったつもりか!

 だが、その言葉が痛いくらいに突き刺さり、離れない。
 そんなつもりはない。だが祖国にいた時のように人間よりもハーフエルフの方が偉い、と思うことも無い。
 自分に親身になってくれる大切な友、姉の様な存在、大切な仲間、そして――

 とくん‥‥

 何故か「彼」の顔を思い浮かべた時、胸の鼓動が高鳴った気がした。
 それは、自分に向けられる事はないであろうと思われていた言葉を貰ったから。
 あの時は返事をすることは出来なかったけれども、彼の気持ちを再確認する事も出来なかったけども――

「(本当に、今でも私を愛してくださいますか?)」

 同情や感謝で好きになるのはダメだと教わった。自分が彼に持っている感情が、同情や感謝に起因するものなのかどうか、それはまだわからない。だってこの世界へ来てから誰かを恋愛対象としてみたことなど一度もなかったのだから。
 一度は人間を憎んだ。それなのに今は人間の仲間を、友を大切だと思う。
 けれども、過去を覗く者の言葉に揺らいでしまったのも事実。
「(強がって見せているけれど‥‥私は、弱い)」
 涙が目尻を伝い、すぅっとシーツに吸い込まれる。その時扉をノックする音が聞こえた。

 程なく彼女は侯爵の前に呼び出され、新たな任務を与えられる事になる。

●今回の参加者

 ea1842 アマツ・オオトリ(31歳・♀・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 ea3475 キース・レッド(37歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 eb0754 フォーリィ・クライト(21歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb3446 久遠院 透夜(35歳・♀・鎧騎士・人間・ジャパン)
 eb3771 孫 美星(24歳・♀・僧侶・シフール・華仙教大国)
 ec0844 雀尾 煉淡(39歳・♂・僧侶・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

●思いを言葉に
 出立の準備は急ぎ、整えられていた。ディアーナの向かった先はクルトの墓であると殆どの者が思っていた――否、そうであると信じたいのだ。人間への憎しみに染まってしまった彼女を唯一正気たらしめているとしたら、他には考えられないのだから。
「エリヴィラ、ちょっといい?」
 円盤の入った包みを抱えてぼんやりと廊下を歩いていた歌姫を呼び止めたのはフォーリィ・クライト(eb0754)だ。彼女は周りに人がいないことを確かめ、口を開く。
「あたしから二つだけ助言」
 目と目を合わせるようにして告げるフォーリィに、エリヴィラは軽く首を傾げて続きを待った。
「一つは、自分に疚しい事がないなら堂々としていなさい。あたし達がハーフである事は自分が悪いわけじゃないんだから、世間とかが何を言おうが気にしなきゃいいの。弱い所を見せるとそういう連中はそこにつけこんでくるんだから」
「フォーリィさん‥‥」
 それは確かに同じハーフエルフである彼女ならではのアドバイスというか、彼女が口にするとひどく納得できる言葉だ。エリヴィラはその言葉をかみ締め、頷く。弱い所に付け込まれる――つい最近も過去を覗く者につけこまれたばかりだった。
「もう一つはキースの事」
 なんだか言い難そうに少し視線を彷徨わせるフォーリィ。
「泣かされでもしたら遠慮なく言って、ぶっとばすから」
「ぶっとば‥‥」
 びっくりして口元に手を当てるエリヴィラに、フォーリィは困ったような表情を向ける。
「いやね、ちょっと手放しでは応援できないのよね。この先何もなければ応援するけど」
「いえ、なんと言ったらいいのか‥‥その、有難うございます」
 こういう時に微笑めれば良いのにと思うが、表情は上手く動いてくれず。エリヴィラはゆっくりとフォーリィに抱きついて感謝の意を示した。
 ――しかしこの後キースに呼ばれている、と彼女に言ったら、一体何を言われただろうか。


「エリィ‥‥っ!」
 呼び出された場所に行くと、突然、だが優しく抱きしめられた。キース・レッド(ea3475)は少し抱擁を緩め、彼女の唇に自らのそれを近づけようとするが、咄嗟に俯いてしまったエリヴィラを見て、軽く苦笑して自身の唇を彼女のおでこに軽く当てるに留めた。
「エリィ‥‥これが、僕の答えだ。種族も禁忌も関係ない。僕の魂は、君という存在に惹かれたんだ。エリヴィラ、君を愛している」
「キースさん‥‥あの‥‥」
「だから何があっても心を強く持つんだ。誰もが弱者だ。最初から強い訳じゃない。互いに支えあい、信じあう。愛するからこそ、僕らは強くなれる。忘れないでくれ。仲間達が、僕が、君を愛している事をね」
「あのっ‥‥!」
 口を挟もうとしたものの、流れるように飛び出してくるキースの言葉に口を挟めずにいたエリヴィラが、語気強めに話を切り出す。すると彼は続けて何か言おうとしていた言葉を飲み込み、彼女を見つめてその口が開くのを待った。エリヴィラは両手で彼の胸板を軽く押すようにしてその抱擁から逃れ、揺らぐ瞳で彼を見つめる。
「‥‥あの、私は‥‥この世界に来てから、誰かを恋愛対象としてみたことなど有りませんでした‥‥。私のことを本当に知って、それでも‥‥優しくして、愛してくれる人たちに、出会ったことがなかったから‥‥」
 ぎゅう、と円盤の入った包みを握る手に力を入れて、エリヴィラは精一杯言葉を紡ぐ。キースは我慢強く、彼女の言葉が終るのを待つ。
「だから‥‥貴方に抱いているこの感情が、何処から来るものなのかがまだわかりません‥‥。同情や感謝や、それに類するものからくるのか――それとも恋愛感情なのか」
 エリヴィラの表情は哀しみなのか苦しみなのか、歪んでいる。
「だから、時間を下さい‥‥。私が笑顔を取り戻せた時――その時にもしまだ貴方が同じ思いでいてくださるのなら、私もきちんとお返事を致します‥‥」
「つまり、笑顔が戻れば自分の心もはっきりすると思っているんだね?」
「‥‥はい。欠けている物を取り戻せれば――」
 エリヴィラの脳裏からは、友の浮かべた素敵な笑顔が離れないでいた。あんなふうに笑顔を浮かべてみたい、そう思った。こんな時笑顔を浮かべられれば――そんなもどかしさをこの数ヶ月のうちに何度も感じた。それまでは、笑えないことに不便を感じた事など殆どなかったのに。笑えないなら笑えないで、生きるのに支障はなかったのに。
「分かった。君を困らせるのは本意ではないしね。じゃあ、これだけでも受け取ってくれるかい? 癒しの香りの香水だ」
「香水‥‥」
「気休めかもしれないが、君の心が少しでも休まるように、ね」
 そう言ってキースは、優しい笑みを浮かべた。


●詮議
「出発前に、確かめておきたい儀がある」
 アマツ・オオトリ(ea1842)は目の前に立つバスティアンと名乗る冒険者に鋭い視線を送った。街外れの牢屋に都合よく居合わせたところから、なんだか全てが怪しく思える――それは皆の総意である。
「気を悪くしないで欲しい。少しでも疑念を晴らしてディアーナ捕縛に集中したいんだ」
「別に構わないぜ?」
 誠意を持って説明するキースに、バスティアンは軒先から肩口に落ちた雨雫を払いのけ、軽く言う。
「エリヴィラさん、円盤を」
 空は黒い雨雲に覆われている。光の射さない暗闇で狂化してしまうエリヴィラの為にランタンを持った雀尾煉淡(ec0844)が彼女を促すと、エリヴィラは静かに円盤を取り出し、そして祈りを捧げた。
 するとエリヴィラの足元に、彼女にしか見えない水鏡が出現する。そしてそれに映ったバスティアンは――バスティアンの姿のままだった。
「‥‥‥バスティアンさんの姿が、そのまま映っています‥‥」
 静かに告げるエリヴィラ。だがそれで彼が闇の者ではないと決まったわけではない。
「でも――」
 絶対に真実の姿を暴けるわけではないかもしれないから――円盤の能力はまだ謎の部分がある――そう口にしようとしたエリヴィラを、煉淡の手が制した。わかっています、と。
「へぇ、面白いもんもってんだなぁ。俺にも触らしてくれないか?」
 自分が疑われているというのに微塵も気にした様子を見せないバスティアン。エリヴィラに近寄り、徐に円盤へと手を伸ばしたが――

 パシンッ!

 その手は音を立てて叩かれて。叩いたアマツは悪びれた様子を見せず、きつい口調で彼を諌める。
「悪いがまだ貴殿の疑いが晴れたわけではない。しばしおとなしくしておられよ」
「疑いが晴れてないどころじゃないアルよ。これはどういうことアル〜?」
 不思議そうに、だがしっかりと距離を取ってバスティアンを見つめるのは孫美星(eb3771)。彼女が使った魔法はディテクトアンデッド。
「バスティアンさん、ディテクトアンデッドに引っかかっているアルよ?」
「!?」
 その言葉にさっと展開する冒険者達。久遠院透夜(eb3446)は黙ってエリヴィラの前へと躍り出た。
「憑依されているのか、あるいはそなた自身が彼の闇の者なのか‥‥」
 アマツの言葉に、バスティアンの何処にでもいそうな男の顔がいやらしい笑みを浮かべる。
「過日の状況からして、もっとたやすく騙せると思っていたが」
 口調だけでなく、その姿も変化していく。憤怒の表情を浮かべた、黒い馬に乗った2.5m程の男に。
 キースがホイップを振るう。フォーリィが剣を繰り出す。だがそれよりも早く、過去を覗く者の身体は物理攻撃の届かない上空へと浮かび上がっていた。
「そうか、誤算はそこのシフールだな。やっかいなのはその円盤のみだと思っていたぞ。此度は上手い事円盤の力に抗えたというのに」
 過去を覗く者は美星と円盤を交互に指差す。
「降りて来い!」
「そう急がずとも、あの少女を追えばすぐに会える。ここは一端引くが、すぐに又会おう」
 届かないとは分かっていつつも空中に鞭を振るうキースに、過去を覗く者は次の逢瀬を確実に約束して去っていく。できることならば会いたくはないが、だからといって会わないままで終らせる事の出来る相手ではない。
「あいつの狙いはやはり円盤だったようだ。エリヴィラ、それは私が預かっておく」
「あ、はい‥‥」
 透夜に言われ、円盤を差し出したエリヴィラだったが、彼女の様子がふと気に掛かる。なんだかいつもと違うような――?
「ディアーナのところに行けば、必然的にあいつとも会うことになるでしょ。注意していきましょう」
 素早く御者台に乗り込んだフォーリィに促され、一行は急いで馬車に乗車した。そうだ、今回の第一目的はディアーナだ。彼女が予想通りの場所にいてくれることを祈って。


●車内にて
 つい先日も通った道。つい先日と同じ雨。道の状況は良いとはいえなかったが、御者を務めるフォーリィはそれでも轍が溝にはまらないように、馬車があまり揺れぬようにと気を使って馬を進めていた。
「‥‥律儀者め」
「何か言ったかい?」
「斯様な断りなど入れずとも、もとより我らは歌姫の為に動こうぞ」
 馬車の入り口近く、向かい合って互いに幌に寄りかかるようにしたアマツとキースが低く会話を交わしている。それは雨音に紛れて、馬車の奥まで届く事はない。
「大体だ、貴様が血気に逸って歌姫の純潔を汚さぬか心配なだけだ。その‥‥好きあうのも良いが‥‥淫らな行為はいかんぞ」
「淫ら?」
 それ以前に告白の返答自体保留にされてしまったというのに、とキースは苦笑を浮かべる。
「具体的にはその‥‥ええい! 何を笑っておる!! むむ、さては妙な想像をしたな! ばっ、馬鹿者!」
「妙な想像、ね」
 しないわけではないが。むしろその、一番最初の段階に挑もうとしたのだが。いや、なんだろう、具体的にこれ以上は検閲削除。
 顔を赤くして大声を上げてしまったアマツだったが、対照的に馬車の奥は重苦しい雰囲気に満ちていた。いつもの如く煉淡の詩に透夜が曲をつけ、エリヴィラが歌う――その作業が行われていたのだが――ふと、音が途切れる。
「‥‥エリヴィラ、私の言ったこと、本当に覚えている?」
「え?」
 怒りにも似た真剣な瞳で突然透夜に問われ、エリヴィラは戸惑いの声を上げる。彼女からは色々な事を教えてもらった。色々な温かい言葉、厳しい言葉を貰った。それは全て覚えているはずだ。
 わからない――そんな表情のエリヴィラを、透夜はいらつく思いで見つめる。
「‥‥いくら『遠慮しなくても良い』と言っても、『嫌いになったりしない』と告げても、エリヴィラが心を開いて受け入れなければ、言葉は何の意味も成さない」
 吐き捨てるように告げ、エリヴィラから視線を外す透夜。どうしたらいいのだろう、戸惑うエリヴィラの前に小さなカップと赤紫色の拳大の石が差し出される。
「しふしふ〜♪ 仲間に遠慮は無用アルよ♪ これを飲んで体調を整えるアル♪」
 カップを差し出したのは美星。シフール用の小さなカップだが、その中には栄養のありそうな薬草をスープにしたものが淹れられている。
「この石を懐に入れて、現地につくまで眠ってください。体調を整える手助けになるでしょう」
 石を差し出したのは煉淡。それは赤き愛の石と呼ばれる石であり、病気の治療に役立つようだ。
「なんで‥‥」
 隠そうと思っていたのに、エリヴィラの表情はそう語っている。
「体調の事一つ打ち明けられないほど信用されていないのが‥‥悲しい」
 ぽつり、零された透夜の本音。エリヴィラははっと息を呑み、そして理解する。
「迷惑を、かけたくなかったんです‥‥」
 この前、過去を覗く者の言葉に心揺らいだ事が、皆に対する裏切りのように感じて、とエリヴィラはぽつりぽつりと語り始める。
「これ以上迷惑をかけたら、皆さんが離れて行ってしまうかもしれないと‥‥。不安で、怖くて。また、一人になるのが‥‥怖くて」
「だったら最初からそう言ってくれればいい。そうしたら、そんなことはないと何百回でも言ってあげる。エリヴィラの不安が解消されるまで、側についていてあげるから」
 だから、もっと心を開いて欲しい――透夜はエリヴィラの目尻に溜まった涙を掬い取り、告げる。煉淡は彼女の肩に手を置き、一つだけ、と前置きして口を開いた。
「嘆くのもいい。誰かに縋る事も甘える事も構いません。八つ当たりも許容します。けれど、諦めだけは駄目です。だからエリヴィラ。貴方は、諦めず戦ってください」
 それは過去を覗く者との戦い――自分の心との戦いを意味しているのか。
 頷くエリヴィラの頭を、美星は小さな手で優しく撫でた。


●堕ちた少女
 度重なる雨で土は溶け出し、こんもりと盛られていたはずの墓の土は流れ出して平面に近くなっていた。辛うじて墓標代わりに立てた木の板は立っていて。少女はいつもそうしていたようにその木切れに寄り添い、そして誰にともなく語りかける。
「‥‥クルト、私ね、貴方を殺した『人間』に復讐するのよ。そのために力を貰ったの。あの男、凄いのよ。私、魔法が使えるようになっちゃった」
 彼女の傍らには一振りの剣。牢から逃げ出す時に見張りの兵士から奪い、兵士をめった刺しにしたものだ。こびりついていた血は、ここに辿り着くまでに雨で綺麗に流されている。
 ぬかるんだ地面に座った彼女。服が汚れるのも身体に泥がつくのももうどうでも良くなっていた。足はいつの間にか靴が脱げ、足の裏は傷だらけになっていたが、もうどうでもいい。胸に抱いている「あの男」への崇拝と「人間」への憎しみ以外は、どれも瑣末なものにすぎない。再び魂を差し出したことで身体は多少だるく、顔色は良いとはいえないが、気にならない。
「ディアーナ!」
 誰かが彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。けれどもそれは愛しい恋人の声でもなく、崇拝しているあの男の声でもない。
 とたん、気配が増えた。ディアーナと呼ばれた彼女は気だるげに顔を上げ、その一団を見つめる。目に映ったのはまばゆいほどの赤い髪を持つ少女。次いで帽子を被った金髪の青年。黒髪の女性騎士。あとその後ろに何人か。この間は見なかった、明るい色の羽根を持ったシフールもいる。けれども、増えようが減ろうが彼女には関係なかった。彼らは彼女を愛しい人の墓から離した憎い人達‥‥!
 彼らはなぜだか彼女と距離を保ったままでいるが、それならば丁度いい。こちらも離れたところから攻撃するまでだ。
「私は‥‥この前とは違うのだから‥‥」
 ぽそり、雨音にかき消されるように呟かれたディアーナの声。
 何事かを呟きながらゆっくり近づく彼女の足が前衛から3メートルほどの所で止まったかと思うと、ディアーナの身体を黒い霞の様なものが包んだ。
「う、ぐ‥‥」
 と、呻き声を漏らしたのはキースだ。何事かと周りが焦ってみれば、ディアーナの手には10cm程の白い玉が握られている。
「デスハートンです! あの玉を取り返さなくては」
 後方でエリヴィラを護っている煉淡が叫ぶ。デスハートンで負ったダメージを治療するには、取られた魂を再び身体に取り入れるしかない。
「ディアーナ! あたしは好き放題やって罪の意識なく裁かれないのは納得いかない。村人達は自業自得だと思うけど、牢の番人達は違う。勝手な感情で関係ない人を殺したんじゃ、憎んでた村の人達と一緒」
 フォーリィの言葉、「村の人達と一緒」という部分でディアーナはびくりと肩を震わせた。
「英国紳士、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。動ける」
 アマツの問いに多少悪くなった顔色を見せながらキースは頷き、ホイップを握りなおす。ディアーナを討たず、無力化して捕える――それが冒険者たちの総意。ここで倒れるわけにはいかない。
「へぇ‥‥これが人の魂なの。面白いわね。こんな面白い方法があるならば、もっと人間を苦しめられたのに」
 ディアーナはフォーリィの言葉が痛いからこそ、耳を塞ぐように声を大きくして言葉を紡ぐ。手にしたキースの魂を両手で撫で回しながら――

 パンッ!

「いつまで被害者気分でいるつもりだ」
 気がついたらディアーナは頬を叩かれていた。後方でエリヴィラを護るようにしていた透夜が、円盤を片手に持ったまま走り出たのだ。そして無防備なディアーナに強く平手打ちを仕掛けた。その衝撃で彼女の手からぽろりと落ちかけた玉を、素早くアマツが拾い、キースへと手渡す。
「全ての人間が憎いなら、生き残った少年まで憎むつもりか」
 透夜は硬い声色で、彼女を睨みながら続ける。
「家族を殺され、同じ様に復讐を願ってもおかしくないのに、あの子は『お姉ちゃんが好きだった』と言った。そんな子さえ憎むのなら、お前は殺した村人以下だ」
「あの子が‥‥」
 思い出したのかもしれない、小さな少年の祝福を。それが彼女の乾いた心に、どれだけ深く染み込んだかを。
「近づいてくるアル!」
 その時、ディテクトアンデッドで探査を続けていた美星が声を上げた。全員がはっとしたように警戒態勢を取る。煉淡は再びホーリーフィールドを張り直した。やはりこの雨は不思議とホーリーフィールドで遮断する事が出来ていた。
 近づいてくる、それは過去を覗く者のこと。その姿さえ知らなかった前回。カオスの魔物に対する探査方法のなかった前回とは違い、今回はその姿も分かっていれば探査方法もある。本体が姿を消していても、あの黒い馬が見えれば今回は遅れを取らない。
「ディアーナにクルト‥‥君たちは、僕とエリィの合わせ鏡の様な存在だ。救う、などとは言わない。だがこれ以上、闇の者の意のままにはさせない!」
 白い玉を体内に吸収させたキースが、ディアーナを捕縛すべく近づく。
「村人を殺した事は責めない。でも牢の番人を殺したのは悪い。だから大人しく投降して」
 過去を覗く者がこの場に現れる前に何とかディアーナを捕縛しようと、フォーリィも投降を呼びかける。
「精霊界に行って、そんな憎しみで歪んだ顔のままクルトに会うのか? 胸を張って会える時まで、生きて罪を償え」
 透夜が諭すように説得を続ける。ディアーナは葛藤しているのか、髪を掻き毟るようにしながら声にならない叫びを上げている。
「もうすぐここまでくるアル!」
 探査を続けていた美星はまずエリヴィラにレジストデビルをかける。そしてアマツのところまで飛び、彼女にも同じ様に。
「前回は手ごたえがあった。斬れぬ道理はない」
 アマツは自身の武器にオーラを宿しながら、辺りの警戒を怠らない。
「大人しく捕えられてくれ」
 髪を掻き毟るディアーナの両腕を掴み、キースがその身をホイップで拘束する――
「上アル!」
「役に立たなくなった人形は不要だ」
 美星の声と、男の声が重なって聞こえた。皆が一様に上空を見やる。するとそこには過去を覗く者が黒い馬に乗った姿で浮かんでいた――同時にその身体が黒い霞に包まれて見える。
「う‥‥ぐ‥‥」
 呻いたのはディアーナ。彼女の身体から黒い霞の様なものが噴き出し、宙にいる過去を覗く者の手にある白い玉へと収束していく。何度も、何度も――その度にディアーナはぐったりとして弱っていき‥‥
「くっ、届かぬ!」
 アマツが剣を振るうが、過去を覗く者が高度を保っているため、その刃は届かない。が、何も冒険者たちが用意している攻撃手段は剣だけではない。
「それ以上させません!」
「いくアル!」
 煉淡が高速詠唱でブラックホーリーを、美星がホーリーを放つ。
「エリィ!」
 ぐったりとしたディアーナをホイップで捕縛したまま抱くようにしたキースの叫びで、エリヴィラも高速詠唱を利用してムーンアローを唱える。対象、「過去を覗く者」。
「く‥‥小ざかしい」
 過去を覗く者が魔法攻撃を受けてふらついた。その視線は後方、エリヴィラに移る。
「お前は人間が憎いのだろう? どうだ、私と手を組む気はないか?」
 びくり、エリヴィラが身体を震わせる。煉淡のホーリーフィールドで護られてはいるものの、その攻撃は身体にではなく心に――
「エリヴィラ、逃げても事実は変わらない。なのに目を背けるから、ちょっとしたことで心が揺れる‥‥」
 彼女の揺らぎを見て取った透夜の声。それで彼女は思い出す。
 アマツから貰った言葉。
 フォーリィから貰った言葉。
 キースから貰った言葉。
 美星から貰った言葉。
 煉淡から貰った言葉。
 そして、透夜から貰った言葉。
 今まで仲間達から貰った、温かい言葉。
「半妖精である事実に胸を張って。そうだったからこそ、私達は出会えた。悪い事ばかりではなかったはず」
 自信を持ってエリヴィラは頷く。
「私はもう、貴方の言葉で心揺らぐ事は有りません!」
 力の限り、叫んだ。
「何‥‥?」
 他人の過去を覗き見、そしてそれをネタに人の心を揺さぶって手駒にしてきたこの魔物にはそれは衝撃的だったのかもしれない。続けられるホーリーとブラックホーリーのダメージによって高度が下がっているのに気がつかないくらいには。
「我が斬奸刀に、断てぬもの無し!!」
「あんたの思い通りにはさせないわよ!」
 レミエラの光を胸に宿したアマツとフォーリィが、その隙を見逃さず過去を覗く者を背中から斬りつける。
「ぐあぁ‥‥」
 不覚を取った過去を覗く者は再び高度を上げ、ふらつきながらも一同を見下ろす。
「まだまだ敗れるわけにはいかぬ‥‥。雨を降らし続け、水害を起こし、人々を絶望の淵に落としいれ‥‥そして堕落させるのだ‥‥。そのために邪魔なものは‥‥」
 過去を覗く者はちらっと透夜の抱える円盤に目をやったが、形勢不利と察したのだろう、そのまま遠く――魔法の射程外へと飛び去っていった。
「ディアーナさんは大丈夫アル?」
「一応生きてはいるが‥‥かなり憔悴しているよ」
 ディテクトアンデッドで反応がなくなったことを確かめてから美星が近づく。キースは彼女を抱きとめたまま答えた。効果がない、そうわかっていても気休めになればと美星はリカバーをかける。だがやはり、大量に魂を吸い取られたディアーナが目を開けることはない。吸い取られた魂を取り戻すには、やはりその魂の玉を取り返すしかないのだ。
「とにかく、彼女を連れて帰りましょ。この状態なら、人に危害を加えたりは出来ないでしょ」
 フォーリィが溜息をつく。図らずもディアーナを殺さずに無力化して捕える事ができた。だが‥‥
「命さえ無事ならば、白い玉を取り戻せば元に戻ります。希望がなくなったわけではありません」
 煉淡が希望を紡ぐ。そうだ、過去を覗く者から白い玉さえ取り戻せば、ディアーナは目覚めるだろう。津波に遭った町の村人たちの体調も元に戻るだろう。そう、それには賢しく逃げ回り、他人を駒として使う過去を覗く者と何とか直接対峙して倒さねばならない。
 とりあえず今は侯爵家に戻り、報告と共に体勢を立て直そう――このままこの場にいても過去を覗く者は今日はもう現れまい。
 雨に濡れて重くなった衣服を引きずるようにしながら、一行は馬車へと戻るのだった。

●これから
『私は謳う
 世界を想い
 人々を想い
 かけがえのない世界
 尊き命達
 慈しみの光溢れる日を願う』


「歌姫は?」
「地下の、ディアーナの牢屋の前で歌っている。少しでも彼女の心を安らがせられればと」
 アマツの問いに濡れた髪を拭きながら透夜が答える。
 リンデン侯爵家の一室に彼らは集まっていた。
 アイリスへ戻った冒険者たちは濡れた服を脱ぎ、湯を使わせてもらって冷えた身体を温めた。ディアーナは衰弱し、眠った状態のまま侯爵家の地下牢のベッドへと横たえられたのである。すでに彼女が他人に危害を加えられる状態ではないこと、そして目の届かない所へ置く不安があり、警備の厳重な侯爵家地下への幽閉となったのである。
「ところでこれからの事だけど」
 濡れた髪を下ろしたフォーリィが、ソファに腰掛けて皆を見渡す。
「どうやってあいつをやっつけるかが問題だと思う。姿は消すし、宙を飛ぶし、厄介だけど」


『例え幾多の刃にうたれる時も
 恐怖に慄く時も
 苦難に喘ぐ時も
 禍に追われる時も
 嘆きが絶望に歪む時も』


「過去を覗く者はこの円盤を相当厄介なものだと思っているだろう。円盤を狙って仕掛けてくると思う」
 透夜はテーブルに置かれた水鏡の円盤を指した。その中心に嵌められている青色の拳大の宝玉の中には、エレメンタラーフェアリーの姿が見て取れる。故にこの宝はエレメンタラーオーヴという別名を持つのか。
「でも、今回のように直接変身して近づいてくるとは限らないアル」
「今回は孫殿の存在が大きな誤算だったようだしな」
 ソファの背凭れの上に腰を掛けた美星が、アマツの言葉ににこりと笑う。メイには観光で来たのだが、正義の魂から依頼を受けてよかったと思う。
「配下のカオスの魔物か、人を使ってくる可能性が高いでしょうね」
 考えるように顎に手を当てて呟いた煉淡の言葉に反応したのはキースだ。
「だが闇の者にとって使いやすいと思われるエリィは、誘いを拒絶した」


『決して途絶えぬ歌を
 貴方に捧げよう

 今が贖罪の刻
 憎悪の連鎖
 嘆きの時を
 今断たん』


「使いやすいのはエリヴィラだけとは限りません。過去を覗く者を上司としていた心惑わすものは、様々な人間を駒として使っていました」
 以前、リンデン侯爵家内部を荒らした心惑わすものとの戦い。そちらにも関わっていた煉淡は、心惑わすもののやり方をその目で見てきた。
「過去を見て、その相手の心を揺さぶる過去を覗く者、か‥‥。次に狙われるのは我々の見知った者か、それとも――」
 アマツが呟いたが、その言葉の続きが出てこない。
 こればかりは予測がつかない。だが、このまま相手が姿を見せないとは限らないだろう。
「雨を降らせているのも、水害を起こしているのもあいつ自身のような口ぶりだった」
 透夜の声。そう、だとすれば、この長雨と水害を追っていれば必ず過去を覗く者とまみえる時が来るというもの。


『願わくば私の歌が貴方の耳に
 貴方の心に届きますよう
 貴方を縛める憎しみを解き放ち
 貴方の心にも安らぎを』


 トントン
 扉を叩く音が聞こえた。一番扉近くにいたキースがその戸を開けると、立っていたのは侯爵子息セーファスだった。彼は自らワゴンを押してここまでやってきたらしい。
「何か用アル?」
 美星の声に彼は柔らかい笑みを浮かべると、ワゴンを押して入室する。そのワゴンに載せられていたものは――
「皆さんご苦労様です。こちらの品は父が、これから必要になるかもしれないので冒険者たちに渡すようにと用意させた品です。どうぞお受け取りください」
 携帯型風信器が二つ、レインコートという地球の雨具が二着、そしてスクロールに合成用のレミエラ。これらを用意するのはそう簡単ではないだろう。侯爵がそれだけこの事件の重大さを憂えている事が感じられる。
「ありがたく戴くとするわ」
 ソファから立ち上がったフォーリィをきっかけとして、一同はそれぞれ一つずつ品物を受け取る。
「そういえばセーファスさん、夫人は今どうしていらっしゃいますか?」
 スクロールを手にした煉淡の問いに、セーファスは微妙な笑みを浮かべた。
「体調こそ回復していますが、精神的なダメージは回復しきれていないのでしょう。自室にこもってばかりです。以前の晴れ乞いの儀式、あれに出席しなかったのもそのためです」
「そうですか‥‥」
「歌も止んだようですから、じきに歌姫も戻ってくるでしょう。どうぞ今は、ゆっくりと疲れを癒してください」
 自分が長居しては冒険者達に気を使わせると分かっているのだろう。セーファスは空になったワゴンを押してすぐに退室していく。
「雨も、止んでくれるといいんだが‥‥」
 窓を開けたキースの呟きは、領民皆の願いを代弁していた。