【銀糸の歌姫】疑心暗鬼と次なる水と

■シリーズシナリオ


担当:天音

対応レベル:8〜14lv

難易度:やや難

成功報酬:5 G 47 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:07月23日〜07月29日

リプレイ公開日:2008年07月31日

●オープニング

●壁
 前回、「過去を覗く者」は自らが冒険者に化けて歌姫達一行の仲間に入るという大胆な手段を取ってきた。それは幸いにも未然に防がれたのだが、彼が何故冒険者に近づいたのか、それは――
「やはり、水鏡の円盤の力をやっかいだと感じたからでしょう」
 一人の冒険者が言う。
 過去を覗く者は去り際に円盤への未練を見せた。だが引き際を心得ている所が低級のカオスの魔物との違い。冒険者たちによって大怪我をおわされた過去を覗く者は、形勢不利と見てその場で円盤を手に入れることは諦めたのだ。
「やはり次は人を使ってくるだろうか‥‥」
 過去を覗く者が使っていたディアーナという少女は、使い物にならなくなったと判断されたのだろう、魂を吸い取られるだけ吸い取られて捨てられた。彼女は今も目覚めてはいない。
「さすがに前回あれだけ痛めつけたのだから、自ら出ては来ぬだろう」
 別の冒険者が腕組みをしながら静かに言う。だがすると問題が出てくる。
「すると、どうやって闇の者を誘き出すか、それが問題だ」
 そう、目の前に出てきてもらわないことには倒す事すら出来ない。
「過去を覗く者の最終目的は雨を降らせ続け、水害を頻発させ、人々を絶望と堕落に陥れること‥‥確かそう言ってましたよね」
「円盤への興味は、その障害となると感じたからに過ぎないだろうな。奴としては、円盤の力を些細なものと思えば我々の前に姿を見せる必要はないわけだ。そのまま我々の手の届かない所で侯爵領を混乱に陥れていけばよいのだから」
「エリヴィラはもう奴に揺さぶられはしないしな」
 冒険者達は顔を見合わせる。
 過去を覗く者はこちらの都合よく姿を現してくれるとは思い難い。
 円盤を囮にするか、それとも――?


●請われて
「貴女が歌姫エリヴィラね?」
 侯爵に呼ばれてエリヴィラが侯爵家に足を踏み入れると、不意に横から声をかけられた。若干驚きつつも彼女が声のした方を振り向くと、そこに立っていたのは30前後の女性。少しやつれてはいるが、気品を感じさせる女性だ。
「‥‥‥はい、そうですが」
 少々警戒しつつもエリヴィラが答えると、その女性はゆっくりと彼女に近づき、頭の先から足の先まで品定めをするように眺めた。
「うちの家宝の水鏡の円盤を与えられたと聞いているわ。私はこの間の儀式に体調が悪くて出られなかったから、残念ながら見ていないのよ。だから、是非見たいの。少しだけ私に貸してくれない?」
「‥‥‥‥」
 『うちの』『この間の儀式』という単語から、この女性がリンデン侯爵家に関わる者である事は分かった。だが‥‥?
「あの、失礼ですが‥‥」
「あらごめんなさい。私はティアレア・リンデン。侯爵夫人よ」
 その女性は妖しくも妖艶な微笑を浮かべて、小首を傾げた。


●事件
 ――円盤を持っているのは仲間ですので‥‥後でお部屋にお持ちします。

 とりあえずそう告げてその場を辞したエリヴィラは、侯爵に呼ばれた部屋へ来ていた。侯爵夫人に告げたことは嘘ではない。円盤は現在仲間が所持している。ただその場で即答しなかったのは、何となく嫌な予感がしたからで。
「ステライド領とこのリンデン侯爵領を隔てる川がある。名をギルデン川と言うのだが‥‥その中流から下流にかけてがステライド領とうちの領地の境となっている。その川が、氾濫を起こしている。幸いと言っていいものか‥‥氾濫は全てうちの領内側だけという不思議な水害だ」
「それはもしかして‥‥」
「報告のあった、カオスの魔物の仕業かもしれませんね」
 呟くエリヴィラの心中を肯定するようにセーファスが告げる。
「現在土嚢を積み上げるなどの氾濫対策に人手を割いてはいるが‥‥これがカオスの魔物の仕業だとすると、それも無駄な努力かもしれないな」
「(――いけない‥‥侯爵様までも弱気になり始めている‥‥)」
 さすがに人の上に立つ者だ。民の前で弱気な姿を見せたりはしないだろうが、さすがにこれだけの規模で長期に渡って水害を起こされていれば、自らの無力さに気落ちするなという方が無理な話だ。
「‥‥気を落とさないで下さい。きっと‥‥私達が、何とかしてみせますから‥‥」
 具体的な方法が浮かんでいるわけではない。だが、例え自分が囮にならざるを得ないとしても、怯えることはしない、そう決めたエリヴィラだった。
 頼りになる仲間たちと一緒だったら、きっと妙案が浮かぶだろうと思ったから。
 とりあえずまずは、侯爵夫人に円盤の献上を望まれたことを皆に話そう。これはひとりで決めていい問題ではない。

●今回の参加者

 ea1842 アマツ・オオトリ(31歳・♀・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 ea3475 キース・レッド(37歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 eb0754 フォーリィ・クライト(21歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb3446 久遠院 透夜(35歳・♀・鎧騎士・人間・ジャパン)
 eb3771 孫 美星(24歳・♀・僧侶・シフール・華仙教大国)
 ec0844 雀尾 煉淡(39歳・♂・僧侶・人間・ジャパン)

●リプレイ本文


 リンデン侯爵の私室。そこを訪れた雀尾煉淡(ec0844)とアマツ・オオトリ(ea1842)は真剣な顔で侯爵に事情を説明していた。
「侯爵閣下におかれましては不本意かと存じますが、本物の円盤はまだ調べる事が多々あり、もう暫くは我々にお貸しいただきたくお願いいたします。それ以上に侯爵夫人への疑いを完全に晴らすために何卒ご協力をお願い申し上げます」
「‥‥」
 前に起こったリンデン侯爵家内での騒動の折、その騒動解決に奔走した煉淡の言葉は侯爵の元へまっすぐに届く。
「加えて彼の魔物を誘い出すため、再び晴れ乞いの儀式を執り行いたく。その為に再びあの洞窟をお借りしたい」
 アマツが礼儀正しく、そしてゆっくりと自分達の作戦を告げる。侯爵は黙って腕組みしたままそれに耳を傾けていた。
 まずは侯爵夫人への疑い。以前心惑わすものに操られ、憑依されたこともある夫人を頭から信じることはできない――耳触りのよい言葉を並べてはいるが、つまるところそういう事である。その疑いがあるから、請われても本物の円盤を見せることはできず、偽物を見せて様子を伺いたい、彼らはそう言ったのだ。侯爵としては妻が疑われている事に腹を立ててもおかしくない。だが――
「わかった。君達の指示に従おう」
 侯爵はあっさりと冒険者達の提案を呑んだのだ。辛抱強く侯爵の説得を続けるつもりだった煉淡とアマツは、なんだか肩透かしを食らった気分だ。すると侯爵がいたずらっぽい笑みを見せる。
「煉淡よ、忘れたか? 私は自分の目が届かなくなれば妻がセーファスに対してそのわだかまりをぶつけると読み、自ら周りを欺いて眠りについた男だぞ? まぁ、あの時はまさかカオスの魔物が絡んでいるとはおもわなんだが」
 そうだった。この侯爵は長男と妻との確執を取り除くために、妻が行動を起こすように誘導したのだ。その行動を起こした所で現行犯として注意を加えるつもりだったらしい。一度爆発させなくては、いくら上から押さえ込んでも収まらないところまで来ているのを察していたが故に。
「そういえばそうでございました」
 それを思い出した煉淡は、苦笑をもらしつつ頭を下げる。
 さすがに以前は妻がカオスの魔物にいいように操られているなどと思ってはいなかったようだが、今は――
「またもや妻が操られているとは思いたくはないがな、しかし話を聞いたところによると今度の魔物は過去を覗いて揺さぶりをかけると聞く。だとすれば妻が一番操りやすいだろう事は想像に難くない」
「侯爵夫人は以前も過去の出来事を刺激されて、心惑わすものに唆されていたようですが」
 肝の据わった侯爵の言葉に煉淡はふと、前の事件を思い出す。前の事件の黒幕、心惑わすものは女性の嫉妬心や復讐心の様な、暗い感情につけ込んで悪行を行わせるという。だが夫人はその過去をも引っ張り出された上で、付け込まれていたようだった。
「それは恐らく、上にいた過去を覗く者の仕業なのだろう。真の黒幕は奴に違いあるまい」
 アマツの言葉に煉淡も侯爵も納得だった。カオスの魔物の社会がどうなっているのかわからないが心惑わすものが過去を覗く者に従っていたのは事実。だとすれば過去を覗く者が力を貸していたとしても何の不思議もない。
「妻が、馬鹿な事をしていないとよいのだが」
 あれから少しはましになったのだ、と侯爵は苦笑を漏らした。


「この絵は?」
 久遠院透夜(eb3446)は円盤の安置されていたという宝物庫へ向かう途中、一枚の大きな絵に目を留めた。それは侯爵家の玄関扉を開けるとすぐに目に付くように、正面の階段の手摺から飾られていた。
「これは晴れ乞いの絵です。メイディアの宮廷絵師に頼んで描いていただいたのですよ。本当ならば外に飾り、民に見せたいところなのですが、雨で画材が流れてしまうといけないので」
 こちらです、とセーファスに促され、透夜は地下への階段に差し掛かる。今一度その絵を振り返り、円盤の入った包みをぎゅっと抱き直して祈る。一刻も早く雨を晴らさなくてはと。
 まず老齢の使用人に聞き込みをした彼女は、一つの重要な情報を得ていた。先代侯爵の頃から仕えているというその老人は耳が遠くて、なかなか質問をするに難儀したが苦労をしただけのことはあった。
 その情報は、透夜の予想した通り円盤に関する口伝は当主に伝わるものと夫人に伝えられるものの二つ存在するということだった。ただし、夫人に伝えられるものの方は失伝しているという。現侯爵の前妻が早くに死亡したが故に。
「だが、大切な口伝を失われるままにしていたとは思いがたい。何らかの情報が残っていると思いたい」
 透夜はセーファスに連れられ、宝物庫の更に奥に隠されるようにあった小部屋へと足を踏み入れる。
「暗いので気をつけてください。これが水鏡の円盤が安置されていた宝箱です」
 セーファスの持ったランタンに照らされるのは木製と思われるの宝箱。木箱に布が貼り付けられており、それなりの体裁は保っているが盗難防止のためか、見るからに豪華な装飾は施されていない。宝箱の内側も蓋の裏に至るまで布張りされており、円盤が包まれていたと思しき絹の布が中でくたっと横たわっている。
「‥‥ここの縫い目が新しい。セーファス、この布を破いても?」
「あ、はい」
 透夜は蓋に張り込まれた布に比較的新しい縫い目を発見した。セーファスに許可を求め、継ぎ目からべりっと剥がす。
 そこには小さく折り畳まれた、古びた羊皮紙が挟み込まれていた。


 円盤の偽物になりそうな品物を探しに町へ出ていたキース・レッド(ea3475)とエリヴィラは、仲間達からの援助も受けてそれなりの金額を用意していた。降り続ける雨故に市は立っていなかったが、雨を避けるようにしながら骨董品を扱っている店舗を探す。
「水鏡の円盤といいますけど‥‥鏡ではなく、銀の円盤の真ん中にエレメンタラーオーヴがはめ込まれたもの‥‥になります」
 一番円盤をよく見る機会のあったエリヴィラが、隣を歩くキースに説明をする。名前から間違えがちだが、物は鏡ではない。
「エリィ、ひとつだけいいかい?」
「‥‥はい?」
 歩みを止めたキースを不思議そうに見上げ、エリヴィラは言葉の続きを待つ。
「今は急いで答えを求める気はないよ。僕は、君を守りたい。それだけで救われる。僕という闇が見出せた光だから‥‥ね」
 二人を打っていた細かい雨水が止まったような気がした。だがそれは数瞬のことで、雨雲からは再び雨粒が。キースはそれに構わずに言葉を紡ぐ。
「全てが終わった時、青空の下で心から歌って欲しい」
「‥‥わかり、ました」
 エリヴィラはゆっくりと頷いて見せた。笑顔を作ることができないのをもどかしく思いながら、彼の大きな手を両手で挟み込むようにして包むのを、笑顔の代わりとして。



 キース達が街で見つけてきた銀の円盤にありあわせの装飾をつけ、夫人の部屋の前に来たところで孫美星(eb3771)がディテクトアンデッドを使用した。
「念のためにディテクトアンデッドを使用したアルが、今の所反応はないアル」
「じゃ、行きましょ。疑いたくはないんだけど」
 フォーリィ・クライト(eb0754)の溜息の混じった言葉を受け、エリヴィラが控えめにその扉を叩く。
「お入りになって」
 一行に緊張が走る。心配は杞憂であればよいのだが。


「あら、ずいぶんと大所帯ね。あなたまで‥‥」
 室内でゆったりとソファに腰をかけていた夫人は、団体での訪問を受けて驚いたようにしつつもソファを薦める。到底全員が腰をかけられるだけの数はなかったので、侯爵とエリヴィラ、そして透夜が腰をかける。他の者はいつ何があっても動けるように立ったままで、美星はこっそり彼らの後ろでリヴィールエネミーのスクロールを広げていた。
「‥‥こちらがその、水鏡の円盤です」
 エリヴィラが夫人の前のテーブルに、布をかけた円盤を置く。彼女が円盤にその布を取るのに合わせて煉淡がファンタズムのスクロールを使い、円盤の肝であるエレメンタラーフェアリーが浮かぶ宝玉を真ん中につける。夫人は「まあ、素敵」とにこり微笑みながらその円盤を手に取った。そこで冒険者達は一つ、失念していたことに気がつく。ファンタズムの魔法は移動ができないので持ち運びもできない。この場合、円盤は夫人の手に移ったが、中心の幻影だけがテーブルに残る形となり――
「あら?」
「「!!」」
 これは明らかに不自然な状態だ。中心の宝玉が――
「何かしら、これは」
 夫人の、笑みを貼り付けたままの顔が冒険者達を順に見て行く。
「ディアスの話だと、この真ん中には宝玉がはまっていたというのだけれど」
 偽物の円盤を見せて夫人が偽物であることを看破したら、なぜ知っているのかという話になる。だがこの流れでは、円盤が偽物であると夫人が知るのは当然の流れだ。彼女がカオスの魔物に操られているとも、いないともいう証拠にはならない。夫人は笑みを貼り付けたまま、「どういうことかしら?」と冒険者達の釈明を待つ。
「騙してごめんなさいアル。夫人が何らかのカオスの毒牙にかけられておられないか心配になったのアル」
 すっと前に出た美星に、夫人はにこり、と作り笑いにも似た笑顔を浮かべて見せた。
「あら、私の心配をしてくれたのね‥‥ありがとう。私は大丈夫よ。それより、本物の円盤を見せてくれるかしら?」
「申し訳なかった」
 その言葉に透夜が布で包まれた円盤をテーブルに置く。夫人は改めてそれを手に取ると「素敵ね」と呟いた。
 一見、偽鏡作戦は失敗したように見えるが、完全に失敗したわけではない。これだけの人数の前では夫人が鏡をどうこうしようものならばすぐに阻止できるし、もし夫人がカオスの魔物と繋がっていたとしてもそれくらい容易に判断できるだろう。そして――
「部屋に飾っておきたいくらい素敵だわ。少しの間貸してもらえなくて?」
「ごめんなさい、雨を止める方法が見つかったから、以前儀式を行った洞窟でまた儀式を執り行うの。そこでその円盤を使用するから、貸すことはできないわ」
 もちろん、夫人は貸してもらえるなど思ってはいなかっただろう。この発言はいわばポーズ。エリヴィラが一人だけで円盤を持ってきたら、言いくるめて借り受けてしまうつもりはあったかもしれないが。そして答えたフォーリィの言葉。万が一夫人がカオスの魔物と繋がっているのだとしたら、ここでその情報を流しておけばカオスの魔物の耳に届く確率は高い。
「そう、残念。じゃあ儀式が無事に終わったらということで。リンデン家の宝物だもの、私が数日部屋に飾っておくくらい問題ないわよね?」
 案の定、夫人はあっさりと諦め、視線を侯爵へと移す。侯爵としては夫人が無理を言うならば止めに入るつもりだったが、彼女の言い分も間違っておらず、曖昧に頷くことしかできない。
 こうして夫人とカオスの魔物との繋がりははっきりしないまま、一同は夫人の部屋を辞したのだった。



 氾濫した川の周りを二手に分かれて一同は見回る。アマツとフォーリィと組んだ美星は作業員や近くの村の人々の体調を見て回ったり、炊き出しを行ったり、アイスコフィンのスクロールを使用して水のせき止めを手伝った。
「もう一度儀式が行われる。安心するがよい。すぐに青空に出会えるだろう」
 アマツは再び氾濫が起こった際に危なそうな地域の人々を避難誘導しながら鼓舞する。人々にとって、青空はもう遠い遠い所にあるもの。どのくらい青空を仰いでいないだろうか。
「そう、雨を止める方法が見つかったの。え? 儀式の内容? それは儀式を安全に執り行うため教えられない。だけど‥‥きっと雨は止まる、みんなもそう信じて」
 またあの歌姫が歌うのか、今度失敗したらどうするのかなど、不安に溺れている村人達からは次々と質問が飛んでくる。だがフォーリィはそれを軽くあしらう。
「(今度失敗したら、またエリヴィラに八つ当たりする奴がでてくるかも)」
 以前の事を思い出して軽く溜息をついたフォーリィを、遠くから呼ぶ美星の声がした。どうやらカオスの魔物の小さな反応があったようで。すでに離れたところでアマツが子供ほどの大きさのカオスの魔物と戦っているという。
「また出たわね!」
 それは以前津波にあった町付近で出たカオスの魔物と同じようだった。フォーリィは両刃の直刀を抜いて走った。


『周囲の言動に惑わされず、自分の決めた道を、自分で選べ』
『人から言われたから、ではない。自分が望む事をしなさい』
『愛されるからではなく、その人を愛したいと思えるようになったら告白しなさい』
 二手に分かれる前にアマツから告げられた言葉。エリヴィラは馬車の中でそれらを反芻していた。と、隣に座った透夜がぽつり、と。
「‥‥エリヴィラ、ロシアに帰りたい?」
「‥‥?」
 その唐突な質問に、彼女は首を傾げて透夜を見やる。透夜は優しい瞳で彼女を見つめながら、続けた。
「謎の壁が壊れたことでジ・アースとの道が繋がるかもしれない。カオスの魔物の誘惑を撥ね退けるくらい強くなったエリヴィラだから、帰りたいと願っても私は逃げだとは思わない。‥‥帰ることで幸せに笑えるなら、それが一番だから」
 御者を務めているキースにも、ニュートラルマジックで雨を解除できないか試している煉淡にもその声は聞こえているはずだ。だが彼らは何も言わない。
「私は‥‥」
 エリヴィラは俯き、搾り出すようにして声を紡ぐ。
「自らの意思でアトランティスへと来たわけではないのです‥‥。私を疎ましく思う叔母に‥‥騙されて。だから、帰りたいと思ったことは、何度もあります‥‥」
 俯いた彼女の表情はその長い髪が隠してしまい、エリヴィラの表情は伺えない。
「‥‥でも、帰っても再び叔母に疎まれる、でしょう‥‥それを抜きにしても」
 エリヴィラは思い切って顔を上げた。その顔は涙と何がしかの痛みで、歪んでいる。切実な思いが、籠められている。
「私は‥‥『ここ』で笑いたいです‥‥。私が笑える時、透夜さんや大切な仲間が側にいないと‥‥いや、です‥‥」
 そこまで言った所でエリヴィラの両の瞳から涙があふれ、彼女は声を抑えて泣きはじめた。透夜はその震える肩をゆっくりと抱きしめ、それからあやすようにその背を撫でた。



 透夜が宝箱から発見した羊皮紙には、「肖像画の中に」と書かれていた。セーファスによればその筆跡は亡き前侯爵夫人のものだという。
 儀式を再び行うという、過去を覗く者をおびき出すための触れ込みから戻った冒険者達の前に差し出されたのは、前侯爵夫人の肖像画の中から見つかったという別の羊皮紙である。
 そしてその羊皮紙に書かれているのは――暗号だった。
 これが夫人にのみ伝えられる口伝の一部なのだろうか。
 この暗号を解くことで、水鏡の円盤のもう一つの力の真相に近づけるかもしれない。