【伊賀<赤目四十八瀧>】 蛇女郎始末

■シリーズシナリオ


担当:紺一詠

対応レベル:7〜13lv

難易度:やや難

成功報酬:4 G 18 C

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:03月12日〜03月18日

リプレイ公開日:2006年03月20日

●オープニング

●千賀地保長
 千賀地保長は伊賀上野藩藩主・仁木義美を「敵」だと断じた。
 在京の身とはいえ、千賀地――自らの治むる土地の名――を姓の代理に冠する彼が、彼の生国の藩主に対し、それらしい配慮をなにひとつみせようとはしなかった。のみならず「仁木」と声にするとき、さげすみやあなどりといった低いものへの愛情を、しかしどこかに腹立ちを秘めたものが沼の霧のように底からのぼる。
「敵といっても、怨仇のこもった関係ではございません。商売敵といったところでしょうか?」
 功利を重んずる千賀地らしい筆法で、
「伊賀の忍びは主をいだかず、信ずるは光陰に研かれし己の職能のみ‥‥ですからね。『藩主』といったものを認めることができなかったんです」
 忍びではないものに忠誠を誓うことを、誇り高き伊賀忍はいさぎよしとはしなかった。
 だから当時、千賀地もまだこの世に生を受けてはいないぐらいに昔日、伊賀忍は結託して一揆をはかり――そしてそれは成功した。「藩主」という見掛けの地位は他国との体面や軋轢を考慮し残したものの、彼のもつほとんどの権威は当時、上忍と呼ばれる三人の伊賀忍に分散され――それは当節に至るまで連綿と引き継がれている。
「ところが、現在の藩主・仁木義美はみずからの境遇に満足しておらず、しかもそれを公言してはばからないのです」
 仁木義美は二十歳にもとどかぬ年回りだという。打ったばかりの鉄より血も熱くたぎる時分だ、武士と生まれて城とは名ばかりの粗籠に不満をいだくのも、無理はない。
「‥‥じつに困ったことに、少々分別の足らぬところはありますが、仁木はけっして無能ではありません。野心も実力も兼ね備えた飾り物など、うっとうしくてしかたがない」
 かといって、生まれながらの伝統と血筋はそうたやすく他のものではおぎないきれぬので、上忍たちは仁木への監視をつよめるにとどめた。歯牙に掛くるに足らず、と、けっきょくは彼を格下にみたのも大きな理由だけども。
「彼の思い上がりをとどめるためにも、私たち上忍は互いにいがみあっているひまなどないのです。――‥‥そうそう。ちょっと気になることがありますから、失礼しますね」
 客の目前で、千賀地は書の支度をはじめる。忍びいろはなる仮名だろうか。へんとつくりの掛け合せの独得な文字をいくつか、大雑把かつ迅速に一枚の半紙にまとめあげ、坪庭につないでいた隼の片足に結わえ付ける。
 と、それを、幽天に放り上げる。無造作な弧は、しかし頂点でくびるような緊張をはらみ、はるかな飛翔へなだらかに姿を変えた。
「東湯舟まで」
 隼は鎖のような一円をひろげながら、次第に西方へ位相を遷す。
「藤林正豊様に、よろしくおつたえください」

●つなでとたき
「‥‥私が赤目の瀧のヌシと呼ばれるようになり、何年たちますかねぇ」
 密猟者たちが立ち去ったあとで、山風ががたぴしうならせる荒ら屋の一室、といっても他に部屋などのぞむべくもない建物のことで、要するにそこが家屋の全体。ようやっと密猟者たちをたらせたあとで、たきは冒険者らに
「ですが、私ももうずいぶんと馬齢を重ねました。いつお迎えが来てもおかしくない、そろそろ跡継ぎが欲しくなりました。ですがねぇ、私の他に変化の術をおさめた大山椒魚はおらぬのです。ですから、この地へ迷い込んだ蛇女郎の落とし子を育てることにしました」
「はいはーい。つなで、山椒魚好きだよ。だから、ヌシになるんだよ」
 ――‥‥云いようのない不安がその場をひたしたが、具体例としては「きっとムリ」とか、それはさておき、
「私のお役目ですか? むろん百地様も知るところです。ですから、瀧に猟の狩猟の手がはいるときはいつでも、事前に連絡を入れてくださいました。ところが、今度のことに関してはまったくなんのおしらせもない」
「だから、がんばったんだよ」
「納得のいかぬことには、すなおにしたがう理屈もありませんからねぇ。もっとも私はたいして動けませぬ」
「代わりに、つなでが、ばーんってしたんだよ。つなではちょっと強いんだよ。でも、その刀はダメなんだよ」
 蛇女郎にはなまじっかな武器ではかすり傷すらあたえられぬ、だがつなでがギルドへもちこんだのは、仰々しくいってみれば霊刀・魔剣のたぐいだ。これで斬りあげられれば、蛇女郎の鱗もまっぷたつに割れ、吸血のさがのある妖魔からすら血がしたたる。
 道理で「嫌い」と明言するわけだ。
「そのような剣を持ち出したことからも分かるように、あちらもどうやら本気のようです。滝口の領主へおねがいにまいろうかと思いましたが、なぜかちっとも交信がつかぬのです。ですから仕方なし、つなでをギルドへやることに決めました。赤目四十八瀧のヌシの後継者ならば、それぐらいできるようになってもらわないと」
「つなでが、ヌシー」
 つなでとたき、彼女らが証言できる事実はおおよそこれくらいのものだ。
 他に補足できることがあるとするなら、冒険者らが実際に見、聞いた、数点の現実。
『ふむ、人手を雇ったか。それもしかたがあるまいな』
 正豊、と呼ばれた人物はようやく口をきいたと思ったら、上段にかまえるのが板についたそぶりで語る。山城のような頑丈な体躯の男だが、声音までも黒光りしそうに野太い。
 つなでの変身にはこれっぽっちも関心をはらわない。まるではじめから、なにもかも承知であったように。
『客人をたて、今日はいったん、これで引こう。しかし、俺たちにものこりの時間はすくない』
 手首の血玉をなめとったあと、正豊はある日付を告げる。
『これで五分五分だな。おたがい心おきなく、実力を出し合おう』
 男たちは引き潮のように引いてゆく。飴をくだくみたいに、あっけない、宵。
 しかし、類型の日にちはふたたび来たる。すぐそこの水際まで、ひたひたと、足を濡らして冷たく。

●??
 風のような影が、影のような風が、太刀筋めいた軌跡をうしろへ吹き流しながら、駆けのめる。
『名張をしらべてくれ』
 と告げて、仁木義美が。
『名張がさわがしい‥‥それは確認するまでもないな。だって俺に教えてくれたのはおまえなのだから』
 だから、行く。
『なにがあるか見てきてくれ。見てくるだけでいい。何もするな、とも云わないがな』
 山河を抜ける。繁野を過ぎる。道のないことは、たいして苦にならぬ。
 これから向かう先こそ、地獄より引き抜きし、血の沼であれば、
『なにが俺の利得になるか。おまえなら分かるだろう?』
 我の強そうな濃い彩の瞳をしているくせに、片頬笑みはひどくあどけない少年のおもざしをかかえて南にひたはしる、それは一介の――孤独。

−−−−−−−−−−−−−−

▽つなで
正体は、蛇女郎でした。ただし、まだまだ未熟者、人間を獲物にしようとする知恵もついてないくらい。
おばあさんは「たき」といいます(ご推察通り、化け山椒魚です)。

▽藤林正豊
伊賀国東湯船郷(伊賀国北東部、わりと甲賀にちかい地域です)領主。ジャイアント。
伊賀三上忍のひとりだが武断派で、自ら配下を率い任務にあたることもしばしば。

▽千賀地保長
予野郷(伊賀国中部、上野郡)領主、伊賀三上忍のひとり。
といっても、ほとんど在京暮らし。

▽百地玄西
滝口郷(伊賀国北部、名張郡)領主、伊賀三上忍のひとり。
かなりの高齢で、最近ではほとんど人前に姿をあらわしていない。

▽仁木義美
伊賀上野藩藩主。上野城にいます。

▽??
??

●今回の参加者

 ea2562 クロウ・ブラックフェザー(28歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea3853 ドナトゥース・フォーリア(35歳・♂・ファイター・人間・エジプト)
 ea5796 キサラ・ブレンファード(32歳・♀・ナイト・人間・エジプト)
 ea7197 緋芽 佐祐李(33歳・♀・忍者・ジャイアント・ジャパン)
 eb1516 片桐 弥助(38歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb1865 伊能 惣右衛門(67歳・♂・僧侶・人間・ジャパン)
 eb2099 ステラ・デュナミス(29歳・♀・志士・エルフ・イギリス王国)
 eb2704 乃木坂 雷電(24歳・♂・神聖騎士・人間・ジャパン)

●サポート参加者

狩野 柘榴(ea9460)/ 鷹神 紫由莉(eb0524)/ 神哭月 凛(eb1987

●リプレイ本文


 赤目四十八瀧、竜の背骨のごとし重複する段段へ、あふれんばかりの銀の清水、絵に描くとも筆にも止まらず。草の枢、枕をとおして山渓のかすむ静居へ彼らは分け入り、キサラ・ブレンファード(ea5796)、さっそく、蛇女郎・つなでをさしまねく。
 今日はアクマの説明をしにきたぞ。キサラがほこらしく口元を反らすと、つなでも好奇がそそられたのか、わくわくの気概をあらわにする。
「悪魔は私の大切な人をイジメようとする悪い奴のことだ」
「じゃ、つなでだったら、半裂を獲ってこうとする人たちだよ?」
「似たようなもんだな」
 正豊の来襲の日取りまで、あと一日。
 短くするも長くするも、星座の運行ではなく、それを見いだし、使役するがわの思い切り。
「罠でもしかけてくっかぁ」
 屈託なくキサラが口上をうち、てつだうんだよ、と追いかけるつなでへ、乃木坂雷電(eb2704)、志士の気品のおもざしを、おっとり横に振る。
「あんたはそこで待ってろ」
 蛇女郎であろうと、実戦経験のない若輩を戦線に出したくない。雷電の本音は、喉からしぼられると、いささか異なるかたちになる。
「ガキはおとなしくしてろ」
 そして、掘っ立て小屋にはクロウ・ブラックフェザー(ea2562)、ドナトゥース・フォーリア(ea3853)、緋芽佐祐李(ea7197)、伊能惣右衛門(eb1865)の三人がこぼれる。じゃあお兄ちゃんとあそぼうなぁ、と、ドナトゥースがつなでをあちらへやると、
「失礼を承知でお尋ねいたします」
 折った足を藁坐にそろえて、佐祐李はたきに向き合う。クロウ、いっぺんならず正座にいどんではみたが、ものの寸秒も耐えられなかった。が、佐祐李は山渓の黒百合がしなやかにたたずむよう、諸膝をついにくずすことはない。
「もし、つなでさんが将来蛇女郎の本来の性質に目覚め人の血を求めた場合、人と折り合う方法はどうお考えでしょう?」
「そんときゃ俺が、ギルドから血の気の多いヤツみつくろってきてやるよ。って、ばあさんに云ってもしかたがねぇか」
 クロウ、ちょっと、おとがいをこつこつと掻き、
「俺さ、あの正豊――藤林ってヤツ、はなっから、つなでとたきばあさん狙ってる感じもするんだよな」
「私は、藤林様の『時間がない』との仰せが気になります。‥‥ですから、藤林様への説得材料になるのではないかと」
「私はまったく考えてませんでしたよ。そのときとはきっと、つなでがここを去るときでしょう。それは本人の自由ですからね、止めやしません」
 変容の呪法をおさめたとしても、野生の性質まではたやすく屈折するものではないらしく、さっぱりした返答。
「では、別の質問を。なかんずく高齢者の方に効験のある半裂というものはございましょうか?」
「さぁ‥‥? あるのかもしれませんし、ないのかもしれませんし」
 ほんとうに思い当たる節がないようで、黒目ぎみの両棲類の眼窩をぱちくりさせる。
 鷹神紫由莉に同種の疑問を、こちらは京の薬舗をまわって尋ねてもらったが、かんばしい返答はえられなかった。神哭月凛にも寺田屋で伊賀に関して風評をあつめてもらうよう託けたが――忍者というのは「忍」の一文字をいだくとおり、そうたやすく虎の子はわたせないとの物腰で、得られたのはギルド職員の聞きかじりと五十歩百歩。
「わたくしのほうも、よろしいですかな?」
 佐祐李の問いが尽きたと見、惣右衛門が膝をすすめる。惣右衛門もむろんあのジャパンの風習色濃い着座で、これまで置物みたいにじっとしていたのに、そのときがくると、さぁっと身軽にいざる。
「もしも、事前に断りあらば猟には問題はないでしょうか?」
「『百地様』御自身の了承があれば、ですね」
 眷属を売りわたすような真似だ、必ずしも聞き入れねばならぬ動機はない。恩義のある百地の家系にかぎり、というのはヌシと呼ばれるもの・たきの堅牢たる矜持である。
「百地様のたしかな御印があり、はじめて思料するにあたいするということでございますか?」
 惣右衛門が念を突くと、よく云ってくれた、とばかり、たきは大きくうべなう。では、と、惣右衛門は話の手綱を別な方向にかたむける。
「百地様にご後継はおられるか、刀自はごぞんじでしょうか?」
「いたんですけどねぇ‥‥」
 たきは、こぼれる愁いを塞き止めるよう、うつむいた。
「立派な総領息子がおられましたよ。でも、半年ほど前に、みまかられたそうです。内緒みたいですが、まぁよいでしょう」
 まずしい伊賀の顕要ひとつ――が、鯛の尾より鰯の頭、その領袖におさまるよい潮合いなのだ、水面下での駆け引きも熾烈になる。「百地玄西の生存中は、めったなことはできぬ」の号令のもと、現在のところ、なんとか抑えられているようだけれど。
「‥‥うーん、」
 いたって深刻な、唸り声。その正体はクロウが低音の笛のように喉をふるわしたのだ。クロウは体中にはりついた倦怠をぱりぱりとふりほどく。
「俺、立ちっぱなしで疲れちまった。つなで、外、案内してくれねぇか?」
「いいんだよー」
 てってって、と、出てゆく。あきれのあまり唖然と見送るだけだった佐祐李だが、彼等がすっかり日の光へまろびるころ、いってらっしゃい、とささやかに言い添える。


 滝口郷はあいかわらずだ。人々の声は目と同義らしく、ほんとうの音声はひそやかすぎて耳をしめらさない。なれっこよ、なれっこ。ステラ・デュナミス(eb2099)、空元気にうそぶいてはみたが、上っ面のなぐさめで置いてけぼりのつらさがまぎれるものでもない。
「どうやって、しらべようかしら」
「つなでに来てもらったほうがよかったかねぇ‥‥」
 今日のおともは、片桐弥助(eb1516)、花咲く年頃の男女がふたりづれだからといって、あだめく情調もなく、もっと味気なく、彼らは滝口郷を歩くともなし走るともなし、そぞろ、道なりに進む。
 つなではテレパシーが使えるようだから、彼女をあいだにすれば、滝口郷から離れたところからでも会話はのぞめた。まぁ、いろいろと課題もあったのだけれど。
 ひら、と、弥助は半紙――千賀地からの紹介状――を平氏の旗印のように空へかざす。
「さしあたり、俺は百地さんち行ってくるわ」
「じゃあ、私は‥‥」
 外堀を埋めようかしら。
 こうなったら強硬手段よ、と、ステラは物陰に、意地を尽くして駆け寄った。逃げられるなら、捕まえるまで。
「ね。仁木義美って人、ご存じかしら?」
「藩主でしょう?」
 そりゃ藩主だから、名前ぐらいは知ってたって、不思議じゃない。が、ステラの通じたいのはそのいやさき、さて――‥‥。ステラは、そうっと声を潜める。
「もしも‥‥もしも私が藩主様に、藩主様の求める情報を渡してあげて、この地の主導者を変えてしまうっていったら、どうする?」
 が、ステラにとって慮外であることには、相手は冷えきったまなざしを彼女にむけて、
「あなたの味方は幾人ですか?」
 意味を問い返すまでもない。彼女へあてられる視線の概数が、鼠算式に倍加した――気がする、姿ならぬもの、それは錯覚ですませてもいいはずなのだが、額を、背を、粟立つ腕をじわっといざなうねばっこさの深度が、見えぬものたちの真剣をあらわしていた。
 ‥‥ここは滝口郷なのだ。ステラはたしかに腕利きの魔法遣いではあった、凡骨の夫ならば、数人まとめて薙ぎ倒すぐらいに。が、それを越えても、と思わせるところへ、彼女は触れてしまったのである。
「あ、あはは。冗談です!」
 きっと藤林におなじことを云っても、おっつかっつの反応であろう。遁走するように背を向けると、煮え切らぬ旅役者のように、どこかへ聴かせるための台詞を「大声で」「つぶやく」という矛盾にうってでる。
「平和が、一番よねぇ」
 みえぬ視線は鉄釘にも似て、いまにも彼女へくさびを打ち込もうとする。

「ぜーったい逢わせてくれるまで、俺は帰らねぇからな!」
 一方で、百地家をおとずれた弥助、こちらも想像どおりであったというべきだろうか。彼の来訪は、百地の家にいつく百地以外の姓をもつものたちによって、かたくなにこばまれた。黒造りの門前にどがりと居坐る弥助へ、恨めしい、疎ましい、無言の拒絶が幾筋も注がれる。
「云ったろ、俺は帰らねぇってよ!」
 こりゃ、徹夜になるかもしんねぇな。
 夜風はいまだ錐の日々。どうすっかなー、と、愉しげに夜っぴきの目論見をねりはじめると、門をわずかにひらき、芯の細そうな女性が手招きで、彼を引こうとする。
「おいでください。玄西が逢いたいと申しております‥‥ですが、大袈裟に騒ぎ立てたくはないということで、隠しからこっそりおねがいできますか?」
 正直、弥助は迷った。どうして密談でなければならぬのか、わけがらをまったく思い付かなかったので。
 だが、けっきょく彼はしたがう。逢って訊けばいいや、と気楽に心したのもあったし、弥助へそっと打ち明けた女性が――どうも気になるのだ。色艶とは、なにか、ちがう。――彼女から目を離してはいけない、という、虫の知らせめいた義務感が、むくむくとわきがってくる、すどおりできぬくらいの鬱屈の叢雲をひき。
 さすがは、上忍の邸宅。弥助ですら思いもつかぬみちすじを二、三本過ぎ、彼は畳のある寝所へ抜けた。その中央に、うずたかい、布団の虫ひとつ。
「ちは――‥‥」
 沈黙。高齢というはなしだから、耳が遠いのかもしれぬ。そう思った弥助は、声を荒げる。
「半裂の件でおうかがいにあがったんで」
 またも、沈黙。弥助は、子どもっぽく、むっときた。わざわざ抜け道をつかってまできた客人を、このようにあつかっていいよしはない。彼の流儀で言いつのろうとしたとき、
 くす、くす、くす。
 ――‥‥木目込みの歯をすりあわせるような、部品をうしなった笑みが、弥助の言をさえぎる。
「なにが、おかしい」
「その人はもう、未来永劫、あなたとおはなしすることはできませんよ」
「な」
 弥助は知った、望まれぬ花が結実したことを。
 礼儀もなにもなく、弥助は百地の掛け布団をひったくる。百地は眠っていた――眠るように、果てていた。
 左の胸を、小柄が、墓標めき、深々と突く。弥助のうしろから百地に添った女は小柄をひきぬき、ふところへおさめる。食器をかたづけるように、いっさいのムダをはぶいた、故にぬくもりすらもない、一連の仕草。
 が、ほんとうに弥助の胸をつぶれさせたのは、次いで彼女がとった行動こそだ。
「たいへんです、奸賊が。玄西様を!」
 可憐な悲鳴をきどる。屋敷はあわただしく熱をともしはじめ、彼女はにっこりと、無邪気な微笑みを弥助へくれた。
「あなたが下手人だとおもわれるのは、まずまちがいありませんね。どうしましょう?」


 正豊――藤林の襲撃日。
 冒険者らは、未定の懸念をかかえることとなる。
 ステラと弥助が帰ってこないのだ。弥助が狩野柘榴からあずかった花がしょんぼらと、露の涙でうなだれているというのに。
「以前のときも、そんなことはありませんでしたな」
「どなたか様子をみにいきます?」
 しかし、次のものまでおなじようなことになったらば、もうあとがない。冒険者らは身を削ぐように心を痛ませたが、けっきょく「襲撃」を躱してからということになった。
 あぁ、はたして「正豊」は来た。以前とおなじように彼の手飼いを連れ立って。
「よくおいでなすったな。歓迎会の準備は、万端だ」
 雷電は、に、とあわく唇をゆがめると、凶のような紅、あるいは紅のような凶がるぅとさしこむ。
「さぁてと、始めようぜ!」
「慌てるな。それは、こちらの台詞。これ以上の手間はとれぬ」
 正豊が剣、散華するようにそよがせると、彼の腹心らは、一糸乱れぬ、ひとつひとつを縫い合わせたようなそろいの動きを展開する。天が配剤したがごとき、彼個人の力量より、それが正豊の最大にして最高の戦術と戦略である。
「待ってくたびれたさねー」
 が、それはこちらも、ゆずらない。
 ドナトゥースの右の農具を空の麦を刈り取るようにすべらせる――というのは、化けの皮、彼の意中は左の、刀をつつむ手の、またそのなかにある。かねて握り込んだ砂を、とうとう、ぱっとふりまいた‥‥が、ドナトゥースの体躯がジャイアント並みといえ、目くらましには嵩が少しばかりとどかなかったようだ。
「いいさね、こっちが本命だから!」
 たたらを踏む他人の脚、透き間でもそれだけあれば、ドナトゥースは体を折り曲げるようにして、鋤と刀の双方それぞれしだれて落とす。重量は白い軌跡をあとにのこし、腹の焦点に打ち込まれる。致命傷ではなかったものの、よろめく男が、さらに摩擦も音高くすべったのは、そこが水の打つ場だったからというだけでなく、間髪入れずに皮膚へ刃を差し込むものがいたから。
「妙なとこからの挨拶で、悪ィ」
 キサラ。
 短い期間に、彼女はよく滝の地勢を、こなした。水際からいきおいづけてどうと跳ねると、ドナトゥースの吹き飛ばした男へ霞の三連戟をくわえる。一は足へ、二も足へ、三は彼が重心をくるわせるから腕になる‥‥。
「あんたじゃ役不足だね、『正豊』んとこ行ってくるから、そこで待ってな」
 クロウは、少々ぼうっと、それを戦陣の外界から張っている。
「妙だよなー‥‥」
 堂々と鬨を知らしむ忍びなんて、聴いたことがない。おかげでいつ侵入されてもよいように、と、彼がわざわざあつらえたブレスセンサーの経巻が無用の長物になってしまったではないか。
 が、考えてもしかたがない。クロウは夜に染む外套から、羽毛を切り裂くように、飛び違う刃を放った。佐祐李は防備をおもんじた満身を盾にして、むろんそんな用はたたないのだけど、弓を引き絞るようにねつこく藤林へ語りかける。
「おねがいします、交渉の場を整えるためにも、ここはいったん引いてくださいませんか?」
「云ったろう、時間がないのだ!」
 正豊の剣は鋭いというよりは重く、硬いというよりはただむやみに強かった。つなでとたきを守るために立つ惣右衛門が手負いを癒そうとはしてくれるのだが、あいだがひらきすぎ、なかなか思うように受けられぬ。病苦のふらつきにもよく似たしびれは、彼女の骨をよじれて、ぶれさせる。
 ――‥‥煉獄の業火の責め苦にも似た、それを堪えて、ついには堪えるということすら堪えて、永遠のような、それがふっとかききえる。届いたのか、と、思った。彼女の訴えが。
 が、違う。正豊の目は佐祐李をとうに越し、はるかな裾野、滝口郷の方角へむけられている。
「まにあわなかった!」
 赤ん坊がひたすら欠落をもとめるような呱々を、おとながあげるというのを、佐祐李は初めて聞いた。それが理性の磁針をくるわせ、彼女も正豊とおなじ方角へ顔を捩じ向ける。
 天空を罅入らせ、ゆらりと立ち上る一筋の白煙、狼煙。佐祐李は知る、あれが伊賀の、
「弔いの煙‥‥?」
 ――であることを。