山城国の溢れ者 【二】

■シリーズシナリオ


担当:紺一詠

対応レベル:8〜14lv

難易度:やや難

成功報酬:4 G 56 C

参加人数:8人

サポート参加人数:1人

冒険期間:04月17日〜04月23日

リプレイ公開日:2006年04月25日

●オープニング

●愛宕山太郎坊、羽黒坊烏慧(路上)
「羽黒坊殿もおひさしぶりでございますなぁ」
 伊能惣右衛門がかたわらにひかえる若者に目をうつせば、清潔を巻き付ける訥弁の青年――正体は烏天狗――は、拍子木のようなぎこちない目礼、惣右衛門に会釈する。惣右衛門も同様の流儀、だが羽黒坊が一環石のごときかたきおももちであるのに、惣右衛門はうすく、しかし見ようによっては濃く、老人特有の少しばかりいたずらな瞳をやさしくさせている。
「あぁ、あんたがそうか」
 太郎坊、どうやら羽黒坊からなんやかんや、聞き及んでいたらしい。
「お初やな、いろいろ迷惑かけたみたいで」
「わたくしのほうも、まさかお迎えが来る前に、かの愛宕山太郎坊殿とおはなしできる日が来ようとは思いもしませんでした。長生きはするものですのぅ」
 南無阿弥陀仏、と、惣右衛門は深く首をたれる。
 向きからいえば太郎坊にささげられてはいるようだが、信仰の恩沢はあまねく衆生にささげられてしかるべきだから、きっとそれは四方空に近いところに、ある。
「さて、念のためにたしかめさせていただきたのですが‥‥。ご自身を探させるべくぎるどに持ち込まれましたのでしょうか。都に参られたのは、わたくしどもに御用あってのことでは?」
「英敏やなぁ。そんとおりや。こん『依頼』は、わいが、わいの弟子をこっそり潜り込ませて出させたもんや」
 気に入ったわ。太郎坊はここで、ニタリ、と険呑な方向に唇をねじける。
 一連の依頼は、その発端である騒動もあわせて、冒険者への腕試しのような意味合いもあったのだろう。だが、そのまえに――どうも、太郎坊の個人的な楽しみもあったのでは? そう思わせる、あまり質のよくない笑みである。が、惣右衛門、べつに、けしからんだの失礼だのいわず、ただ、笑い皺を深めにうねらせただけである。
「これ。前んときのも合わせて、礼や。とっとき」
 太郎坊は片袖にひっかけていた法衣を、惣右衛門に放る。天狗のお下がりの法衣――ありがたいのか、ありがたくないのか。が、惣右衛門はごく自然に腰を折った。
「さぁ、終わったし、一杯ひっかけに行くか」
「‥‥あのぅ」
 いや、終わってない。それですまされてなるものか。紫由莉は、彼女にしてはいくらかわざとがましく太郎坊を呼びつける。
「金房殿はいったいどうされましたか?」
「あぁ忘れるところやった」
 紫由莉が、ふぅ、とくたびれた吐息をつくのも気にしないで、太郎坊はようよう話を継ぐ。
「あいかわらずや。こんなん、あいかわらず、なんていいかげんすませたくもないがな。‥‥ほな、話はまた後日。今度はこっちからギルドっちゅうの行くさかい」
 なぜなら、
「立ち話もなんやし、さわがしゅうなってきたやろ?」
 ‥‥ちょっと騒ぎすぎたようで、そろそろ官憲もつどってくる気配。冒険者らも、

●愛宕山太郎坊、羽黒坊烏慧(ギルド)
「行ってきて欲しいんはなぁ。金房んとこやのうて、是海坊んとこやねん」
「是海坊?」
「うちんとこの、白狼天狗」
 滋味。太郎坊は、ずずっと茶をすする。べつに酒でなくとも、よいらしい。
 以前、冒険者らが金房をたすけに行ったときは、金房自身に救出をことわられた。黄泉人にとらえられた同士――天狗(太郎坊ではなく)があるから彼はうごけない、と。だから、その、同士のほうを冒険者らにどうにかしてほしいようだ。
「羽黒坊を連絡役につれてってくれや。そっちの乗り込みが終わったら、そんでわいらが動く。安心し、黄泉人よりは羽黒坊の羽のんがずぅっと速い」
 無口な烏天狗に聴衆の視線が引き寄せられれば、彼はそれから逃れるように、かんばせを下向ける。諾、の意をしめしてもいる。
「しかし、今日までにずいぶんお時間がかかりましたなぁ」
「‥‥ほんまはなぁ、もっとはよ動きたかったんやけど」
 けど、
「けど、愛宕山のわいが大和でがしがし動いたりしたら、あっちの天狗さんにも失礼にあたるやろ? だから、様子みとったんやけど」
 とうに、冬も、超えた。
 じっとしているのも限界だ、というわけ。
 仰いでいっぺんに茶をしまった太郎坊は、寝ても覚めてもそれであろう崩れっぱなしの法衣のふところに手をつっこむと、しわくちゃの仙花紙を、卓におしつけるようにひらく。
「是海坊がおるんは、ここ。ちょっとした山んなかのぼろっちい小屋や、昔は狩りんときの仮宿につかっとったみたいやけど、黄泉人騒動んときのごちゃごちゃで打ち棄てられたみたいやな。草木んなかにうまく隠されとるし、だいたいの地図は描けるけど、たどりつくんはちょっと苦労するんかもしれん。っつうのも、こっちからは見えにくいけど、むこうは意外と見晴らしいいみたいでな。‥‥まぁ、狩猟小屋やしな。わざと、そういうふうに作ったるんやろ。そこへさえ行ってまえば、べつに複雑な砦やないし、落とすんはなんとかなるやろ。そりゃ黄泉人とか、死人憑きとかと、どんちゃんするのは覚悟せなあかんけど。‥‥けど」
「けど?」
「なんか、おかしいねん。こっち、そういうとこ詳しいやつおらんし、金房やのぅて是海坊のほう頼むんも、それ」
 なにがおかしいのか、と、累ねて問うても、太郎坊は蚊の飛び回るような声で、うんうん、うなってばかり。あかるくない、というのは太郎坊についてもおなじようだ。やがて彼は――首をかしげかしげ、強いていうなら、のことわりつきで、
「男女の機微、ゆうの?」

●是海坊、火鬼?
 白狼天狗ははさしのぞく。山の番小屋から、天空を、春の衣に着られる天象はあわあわと。青というよりは水、白というよりは綿。石の蓋をかぶせたような重く、鬱いだ、冬ざれはすっかり上塗りされた。
 白狼天狗は――是海坊は――空を。
 真っ黒な目に、空だけを。
 液状をためる眼窩が、やわやわと、表面をぶれさせる。そこに、小さい空が閉じられている。鳥もはばたかぬ、煙もたなびかぬ、小さい、哀しい空だ。
 白狼天狗は――是海坊は――が、ふと、瞳はただの瞳に戻る。空をなくしたそれに映り込むのは、十七、八ごろ、花のさかりの娘子だ、むろん人の――人型の。山地には不似合いの、梅を散らした模様の、かわいらしい小袖を身につけている。鏡のようなつやつやの髪を、飴色の絹で飾りつけている。
「どうされました?」
「いや」
「‥‥空が恋しゅうございますか?」
 是海坊は、
「‥‥」
 なにか云ったようだが、それは音にもならず、むろん重みや形をとるわけでもなく、なにかはなにかになるまえにぐずりと溶けゆく。生まれた意味を知らぬ子どものように。
 娘子は是海坊の胴に、そっと腕を回す。
「行ってはイヤです。ずぅっと、あたくしのそばにいてください」
 是海坊は沈黙と、それから手に手をかさねることで、答えにする。娘子の傷を知らぬてのひらと、是海坊の剣でかためられたてのひらは、どこをとっても似つきもしない。だが、双方ともそんなことはちっとも気にとめてやしないようだ。
「火鬼」
 火鬼と呼ばれた娘子は、あどけなく笑み、しなをつくって――しかし、それさえもどこかあどけなく――是海坊の背に寄りかかる。縛鎖のような一連の仕草はどれをとっても、御伽から借りてきたように、あどけない。

●今回の参加者

 ea0858 滋藤 柾鷹(39歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea2562 クロウ・ブラックフェザー(28歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea3900 リラ・サファト(27歳・♀・ジプシー・人間・ビザンチン帝国)
 ea4136 シャルロッテ・フォン・クルス(22歳・♀・神聖騎士・エルフ・ノルマン王国)
 ea5796 キサラ・ブレンファード(32歳・♀・ナイト・人間・エジプト)
 eb0524 鷹神 紫由莉(38歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb1865 伊能 惣右衛門(67歳・♂・僧侶・人間・ジャパン)
 eb3225 ジークリンデ・ケリン(23歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・フランク王国)

●サポート参加者

シターレ・オレアリス(eb3933

●リプレイ本文


「そのままでは、めだちますでしょう。こちらなどいかがですか?」
「あら、ありがとうございます」
 伊能惣右衛門(eb1865)がさしだす上っ張りは土気色、遠目からだけでも里人のごとく見せかけたほうがよい、とあつらえてきた。鷹神紫由莉(eb0524)さっそくひっかけてみるけれど――‥‥、
「‥‥似合わないですわね」
 蛾眉を寄せ、くすり、とこぼす――たしかに。泥くささをわざとらしくきわめた意匠と色調は、紫由莉の、地祇がことさら贔屓した麦穂の出で立ちとは、ぜんぜんちぐはぐで。シャルロッテ・フォン・クルス(ea4136)にいたっては、そこまでいけば忌避よりただ物珍しさが先に立ち、不思議そうに聖骸布との違和をたしかめていた。
 キサラ・ブレンファード(ea5796)、猟師として鳴らす彼女はさすがに堂に入った風情で、
「こんなもん慣れだ」
「うーん‥‥。どうかなぁ」
 しかし、クロウ・ブラックフェザー(ea2562)はもぞもぞとおちつかぬ。彼とてキサラと似たような、狩人なのだから、もっとぴったりそぐってもよさそうなはずなのだが、子どもが大人をまねるよう、なにかしっくり来ない。キサラ、訳知り顔でうなずいた。
「クロウがまだまだ未熟だってことだろう」
「なんだとぅ」
「‥‥むつまじいところ邪魔をして申し訳ないのですけれども」
 どこが。
 リラ・サファト(ea3900)がせいいっぱい斟酌しながら引いたのはキサラだが、むしろクロウのほうがきつい目をリラに向け、するとリラ、いよいよびくりと身をちぢこませる。やっぱり邪魔をしてしまったのだ、と、これっぽっちも突きあたらぬ推量を信じ込む。
「お天気をなおそうと思うのですが‥‥」
 その日はいまにも落ちてきそうな、ずしんと低い空――晴雨は、リラの、お好みのまま。
 いったん仰いだあとキサラはめずらしく口を濁らせてから、どちらともいえぬ、と、重そうにくだす。
 この場にいる面々の力量からいって、山登りのとき晴天のほうが都合のいいのはあまりに自明。しかし、これから向かうは黄泉人たちの敷く浮かれた斎場。昼も夜もない不死者とて、雨気にはいくらかたじろぐのではなかろうか?
「どっちがいいってなると、微妙だな」
 ウェザーコントロールは一度発動させてしまうと、時間内は他からの調律がどうしてもとどかぬ特質がある。あとで悔やむくらいなら、なにもしないほうがいい。キサラはそう判じた。
「では‥‥ゆきましょうか」
 ジークリンデ・ケリン(eb3225)が森林を割る斜光がごとく、そう、しめやかに切り出すと。
 鴉のようにか黒くなった――黒革の外套をかむって――滋藤柾鷹(ea0858)が鴉のように、あぁ、と首を俯ける。


「悪いんやけどなぁ、俺もそう人手をさけるわけやないねん」
 弟子は多いんやけどなぁ、と、栄術太郎はうそぶきながら――それって人望ないっていわないか?
 たいていの人はそう思っても、沈黙は金なので、語らずすませるところを、キサラ、雄弁は銀だからきっぱりと宣する。もしものために、海坊といっしょにいる娘とやらもどこかの人質などだったとき、それ以上の人手がいるかもしれぬから、との太郎坊への訴えはそういうふうにしりぞけられる。
「‥‥信用がないな。弟子入りは考え直したほうがいいだろうか」
「放っとけ。弟子なぁ、これ終わったらいくらでも考えたる」
「では、是海坊さまはどのようなお弟子様だったのでしょう?」
 紫由莉が尋ねると、太郎坊はしげしげとキサラと紫由莉とを見比べて、烏と鷺とどちらをついばむか迷う、そんなかんじだ。
「せやな、弟子より嫁んなる?」
「質問にはきちんと返答でおこたえねがいたいのですけれども」
「おぉ、ほいほい。是海坊はわしと違ってまじめなやつや、なんでもかんでもすぐに思い詰めるくらい。そこの羽黒坊もまじめやけど」
 よくよく分かった、反面教師のたぐいだ。
 そして、不死者たちもまた泣けるほどにひたむきで愚直なのである――。生者とみるや、糖蜜にむらがる蟻のように、ひっきりなしじゅくじゅくと這い出てくる。それほど生は甘いのか。――穴ぼこでしかない眼窩から涙の代わりに灰汁をしたたらせて、飢えと渇きで歯列をかたかた鳴らし、
「来た、来た☆」
 キサラ、朱唇をねじあげる。霊気のもつれる霞の真剣、桜色は地下の死者をくるむ色。
 さて、手伝おうかとした他の冒険者、たとえば柾鷹は実にキサラへオーラまでほどこしてやったわけだが、キサラ、やんわりとそこで柾鷹の両刀を制して、
「いい。こんくらい楽勝。やらせろ」
 やらせろ、と、
 云うよりはやく、やっている。鉋を材木にすべらせるように水際だった手並み、ざんぶざんぶと死を洗う。
 キサラほどの才幹あふるるものに委せておけば、十人並みの死人憑きが二十体来ようと安泰だろう。のんびり力をたくわえさせていただきましょう、と、紫由莉、それに金房宅で聞かされた気に懸かることがまだあるから――‥‥。
「京の帳はあげきっておらぬのでしょうか‥‥」
 死人憑きの指数――ひとつの小さな村程度は、ある。おとなもあれば、まるで話にならぬ子どものような影も。
 死人憑きの規範――学者がただした書物がごとく、きちんきちんと揃っている。死人憑きの本能は、半ばかり折られているようだ。が、黄泉人の姿は突き止められぬ、今はまだ。――と、異国の香気の青い瞳をめぐらしているところへ。
「‥‥南無阿弥陀仏」
 願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国
 ――ふと顧みれば、あぁ唱名というのだ、雨滴のしぶくを聞くごとくやすらいで。死者の夢寐を祈るだけでなく、残されたものの果報をいのる偈佗。惣右衛門だ。ようやく安穏なる死骸へかえった彼らへ、花びら浴びせるように、はらはらと真言。
「責務を負いますが故に、埋めてやることすらあいにく叶いませぬからなぁ。‥‥ならば、せめて」
 廻向を――供養を。
 ひとつの弔いをかたづけると、次はキサラに功徳をほどこし、休めるまにもけっきょく休めぬ惣右衛門。――二度めに果てた彼らへデッドコマンドをしかけても、まったく利かぬか、恨みつらみがたぎるだけであろう。シャルロッテは、彼女の国のやりかたで、目深に頭を下げる。
 ――ところで、ま、くりかえすけれど、キサラはだいじょうぶなのである、キサラは。
 リラは――そろそろ。慣れぬ寸鉄、ならぬ、銀の小刀しっかとにぎりしめてたのが、逆に眼下をおろそかにしてしまったようである。存外山慣れしているのはほんとうのクロウが、おっかなびっくりリラをみちみち介添えしてやってたのだが、ついさっきのことがある(誤解)。リラ、クロウに厄介はかけらぬと気兼ねするから、なかなか努力は実らずにいた。
 たまりかねて、柾鷹が呼ばう。
「キサラ殿、いちいち相手していてはもたないであろう。リラ殿もお疲れのようでござるし、切り上げたほうがよいではないか?」
「わ、私‥‥ごめんなさい」
「あーそう? 分かった。じゃ、みんなでだーっと走ったら、切り抜けられるんじゃないか?」
「いえ、それよりは‥‥」
 と、ごうっと、やにわに鼓膜をつんざく、境域を焼き焦がす。噴きみだれる、紅蓮、ひらいて。
 一瀉千里。ざくざくと隆起する火球の諸手が、みるみるうちに死人をとらえてはなさない。
「こちらのほうがずっと手軽かと思ったのですけれど‥‥。でしゃばったことをいたしまして、申し訳ございません」
 ファイアーボム――ジークリンデの、楚々な、いかにも貴人たる身ごしらえとは正比例する乱暴狼藉の炎が、舌なめずりしながら地獄の抱擁をつづける。――なぜか柾鷹、しっかりした武人らしいおもつきにほんの少し、透き通る痛手、心傷がはしっているような。が、キサラは大いに絶笑した。
「いいんじゃないか?」
「‥‥とにかく、急いでくだされ。しんがりは拙者がつとめよう」
 漸うの、柾鷹、長刀と長刀とをぬく。本来のあるべきところに回帰した闘志が、狂おしく彩度をあげる。草葉のほんのかたわらをよぎるそれ、輝線は、二条。付いてはなれぬ二天一流。


 やはり黄泉人の姿はなく――もっとも彼ら特有の悪辣さにさえ気をつければ、黄泉人とてすでに難敵ではない。だから、沈黙がなおおそろしかった。見える敵より聞こえぬ讒言のほうが、よっぽど倦怠をうがつ。
「ひとつしか聞こえねぇぜ。息遣い」
 そして、とうの狩猟小屋に着して。
 いろいろ手段は用意してあったけれど――ジークリンデのインフラビジョンやリラのエックスレイビジョン――が、中にいるのがなにか、ということを判じるとき、クロウのたずさえた巻物、ブレスセンサーがものをいったようだ。
「ふたり見えるんだろ?」
「ええ。でも、白狼とともにおられる女性の方は、黒なんです」
 リラは困惑したように、雪色の頬が疲れで茹だってほんのり桃色にかぶれるのを抑えながら、うっすらと首を縦に振る。リラはリヴィールマジックもためしていたのである。
 純黒は、黒の神聖魔法使いの証。
 破壊神の擁護をあたえらえたものの、しるし。
 ――リラの報告は安堵どころか、忘れられた湖沼へ投じる小石がごとく、其の場をいっそう掻き乱す。黄泉人が風の魔法をつかうことは知る人ぞ知る事柄だが、黒の神聖魔法についての確報はない。が、あれから半年近くも経ち、黄泉人になんらかの躍進があっても不思議はない。柾鷹は己のたくわえる教養を即座に糺した。
「悪く云いたくはないが、黒の信仰を進められる方はゆきすぎるあまり、破滅にかたむかれる方も多いと聞くからな‥‥」
 羽黒坊がオーラセンサーをためし、小屋の方角にあるのが同朋であることを請け合うのだから、ためらう理由はない。シャルロッテ、少々いたずらめいて、というのは彼女の常日頃の先々までとぎすまされた礼貌とくらべて、というだけ。他のものにはどことなく、彼女の赤い瞳が夕暮れを吸い取ったようにだけ思われる。
「行く手にタロン神がかまえるのなら、こちらはセーラ神の御心にすがりましょうか」
 シャルロッテが女神との約束を口ずさむまえに、紫由莉も稲妻を着付ける。紫光はぴり、ぴり、と千鳥や朝顔よりあざやかに彼女を染め抜き、あの土色の上っ張りはそこでようやく彼女のものになる。
 戸を開ける。
 ――というよりは、総出でぶちあたった。あっけなく、下方の曲線にくずれる枝折戸。
 同時に、シャルロッテは数珠十字を吊り上げて、誓願を吟ずる。累卵の天秤をくゆらす聖光は――、しかし、
「あら、乱暴なご挨拶ですわね」
 彼女をじかにはのめさない。
 薄皮の結界が、枯れ葉くずすようにはがれてゆく。シャルロッテは高速詠唱でホーリーを放ったのだが‥‥やけに澄ました白い貌と、おなじく高速詠唱のホーリーフィールド。気づいていたのか。
 少女は道具のように力なく白狼天狗――是海坊だろう――にもたれていた。ジークリンデは、
「私もうるさいのは苦手なのですけど」
 苦笑して――片方の目を虚におちいらせることなく棘にして、
「ジャパンの家屋はドアベルがついてませんから、どうやって御挨拶をすべきなのか、いまいち分かりづらくって」
「ごめんください、と云えばよろしいですのよ」
「では、『ごめんください』。是海坊様の時をすくいにまいりました」
 このときの「すくい」は「救い」ではない。
 時は欠漏する滴により計られるという――五指をひらくことなく流砂をとどめようとむなしくあがく、彼の粒子を「掬い」に。
 すぅっ、と、ためすように、柾鷹は一歩を先んじる。
 是海坊の帯縛りに、太刀をみとめる。――すると頑是無く焦がれるような、渇仰がわいた。あぁ、あの太刀とまじえたい、と。釈尊の装飾にみせかけて気丈をも忍ばせる、あれ、と戦うことは柾鷹を高みへいざなうだろう。
 が、それはずっと奥に包むのだ。恋心のように。淡々と説得をつむぐ。
「思い合う二人を裂く真似はせぬよ。共に在るを望むなら、ここである必要はなかろう? それとも何か不都合がお有りか?」
 うん、うん、と、クロウは是海坊にむかって、
「あんたが留まれば、あんたの山の天狗達全てが、人と黄泉人との戦いに巻き込まれる事になる。それでもいいのかよ? せめてさ、山城に戻って太郎坊にそう告げるべきだ」
 リラは、はらはらと、成り行きをみまもる。
 ――男の人たちの言葉を、男は、女はどう受け止めるのだろう? 助けを求めるように惣右衛門へ視線をねじけると、惣右衛門、はゆっくり首を振る。いちど見守りましょう、と。
 少女は色のない貌で話を否みもしなかったけれど、やがてすぅっと指を立てて割り、
「あなたにしましょう」
 クロウを、指す。
 クロウは、あとじさった――なにやら悪い夢が生まれてきそうで、あぁそれはまやかしで、彼女の指は白いままで。
 だけど、遅い。
 彼女の指をきれいだ、と、思うのだ。それだけで――もう、なにも、望まない。
「なぁ、いいんじゃねぇか?」
「どうしました、クロウ殿」
「いっしょに行かせてやれよ。‥‥俺も行くから」
 クロウが夢見にしずむ人のように踏み出し――皆がはっとする。
 ‥‥クロウ自身がもっとも愁えたなりゆき、それを糅てて加えて抜ける、悪性。
 月魔法のチャーム、にあらず。それによく似た、もっとねばりけをもってからみつく――‥‥
「いいだろ?」
「あなたのように凛々しい殿方をこばむなどしません。‥‥そして、是海坊さまも離しません」
 ――‥‥魅了。
「クロウ殿、しっかりしなされ!」
 惣右衛門は鎮静の呪をクロウに手向けたが、メンタルリカバーぐらいでは焼けぼっくいの火は冷めいらぬ。
 彼女は――‥‥、
「‥‥私は、愛(は)し姫」
 英才を、幽明の彼方へ引き込むことを、宿命とした。彼女は積み木をいつくしむように、クロウの輪郭を撫で回しす。
「ほんとうに、かわいい」
「帰ってこい、クロウ!」
 是海坊が仕向けてくることまでは組み込んでいたけれど、それ以上はまるで頭になかった。キサラが抑え紫由莉が止めるも、普段以上の力であばれるクロウは、どんな異様ととっくむよりも難しい。
 そのとき、ばさり、と、翼うつ音。
 冒険者らがクロウをおちつけようとするまに、是海坊が少女をかかえて、空へのがれようとしている。
「その子も道連れにしたいのだけど、あいにく是海坊さまの手にはあまるようです」
 やれやれ、と、首をまわす少女、
「私は千方将軍が四鬼のひとり、愛し姫の火鬼と申します。また逢いましょう、愛しい方」
 飛行する白狼天狗。
 待て――そう言いかけた柾鷹、すでにまにあわぬ空へ剣をかたちだけなびかせながら、しかし空知らぬ雨をみたように思う。
 ――是海坊の目は、クロウの色と、ちがっていた。


「是海坊様、どちらへおいでになりますの? 千方様の城はこちらではありません」
「行かねばならぬところが、できた」
 ――‥‥愛宕山へ。