【孤児院のアリア】第二話

■シリーズシナリオ


担当:勝元

対応レベル:5〜9lv

難易度:難しい

成功報酬:5

参加人数:8人

サポート参加人数:1人

冒険期間:09月13日〜09月20日

リプレイ公開日:2005年09月28日

●オープニング

「――ふう」
 中庭の片隅。その少女は軽く額を拭うと汗で張り付いた赤い髪をかき上げ、小さく吐息を漏らした。
 夏が終わろうとしている。ミッデルビュルフを照らす太陽も、だいぶ自己主張を減らしてきた。この分では、いずれは我の強い北風に取って代わられる事だろう。尤も、まだそれは暫く先の話‥‥その頃には軌道に乗っていればいいのだが。少女は先の見えない不安感に一瞬、心が沈んだ。
 管理者が去り、住民からも忘れ去られようとしていたこの教会に住んで少し経った。集まってくれた八名の冒険者達の助力もあって、教会は少女一人がなんとか生活するには充分な環境を取り戻している。
 とは言え、綺麗になったのは礼拝堂、住居棟とそれに付随する厨房や井戸くらいなもので、その他の施設は中庭を一人で片付けた以外まるっきりの手付かず同様だ。綺麗な場所を維持するだけで精一杯、探せば他に色々出てきそうな気もするが、新たな区画に手を付ける余裕は全く無かったのである。
「‥‥やっていけるのかな、こんな調子で‥‥」
 心の奥底にわだかまる不安が徐々にせり上がり、我知らず口から漏れ出る。
 潤沢とはいえない資金は備品などの購入で5Gほど減らしており、増えるあてもまだ無い。なにより、食材の買出しですら神経を使う日々だ。今はまだ露骨に嫌な顔をされる程度で済んではいるが、この先エスカレートしていったら‥‥過去の体験が一瞬脳裏を過ぎり、少女は己の肩を抱いて、小さく震えた。
 不安という奴は寂しがりやなのか、一度形を取ってしまうと次々に仲間を呼ぼうとするらしい。ともすれば押し潰されそうになる孤独の中で、少女は自分を奮い立たせるように無理矢理、笑った。
「‥‥もうすぐ、子供たちも来るから‥‥頑張らなきゃ」
 それに程なくして、もう一度冒険者達も来てくれる筈だ。そう‥‥私はまだ一人じゃない。
 そうして少女は聖印を切り、三人の父――今の義父と、もういない父と、大いなる父だ――に明るい未来があるように祈ると、明日に備えるべく住居棟へ向け歩みを進めるのだった。

●今回の参加者

 ea4090 レミナ・エスマール(25歳・♀・クレリック・人間・ノルマン王国)
 ea6284 カノン・レイウイング(33歳・♀・バード・人間・イギリス王国)
 ea6832 ルナ・ローレライ(27歳・♀・バード・エルフ・ビザンチン帝国)
 ea7976 ピリル・メリクール(27歳・♀・バード・人間・フランク王国)
 ea8167 多嘉村 華宵(29歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea9150 神木 秋緒(28歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb1729 ブラン・アルドリアミ(25歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・フランク王国)
 eb2419 カールス・フィッシャー(33歳・♂・ファイター・人間・ノルマン王国)

●サポート参加者

シアン・ブランシュ(ea8388

●リプレイ本文

●交渉
 戸口に現れ、右手の羊皮紙をひらひらと。
「『今日は帰れ』と仰ったので改めて証明付で伺いました♪」
「証明、か‥‥」
 己の元を訪ねた青年――多嘉村華宵(ea8167)を見て、草壁豹馬は溜息を一つ。証明とは右手の羊皮紙の事だろう。読み書きが不慣れな自分にも、文末の署名は理解できた。確かに差出人の名前は、かつて世話になった冒険者だった。
「今日はファウさんはいらっしゃいますか? お二人揃って聞いて頂きたくて」
 微笑を一つ、華宵はずかずかと上がりこんだ。この辺り、全くもって遠慮がない。
「むう‥‥」
 半ば押し切られるような形で、男は青年を屋敷の奥、間借りしている自室へと案内した。

「――ウン。あの時あった事、ほとんど書いてある」
 部屋の片隅で何やら宴会の支度をしていた少女は、手渡された羊皮紙をじっと読んで、その内容に間違いは無いと頷いた。関係者以外知りえない細かい内容について触れ、その上で華宵は信用できる男だと記されているようだ。
「ふむう」
 考え込むように男は呻いた。確かにもっともらしいが、その程度の事なら如何にでも調べられるだろう。例えば、関係者を拉致して締め上げるか、それとも‥‥。
「あと、モンクが書いてあるよ。もっと探しやすい場所にいなさいって」
「そうか」
 苦笑を一つ、豹馬は差出人が本人に違いない事を確信した。証明の手紙に苦情を書いてくるとは、如何にもシアンらしい。そもそも、今更用心深くなった所で遅きに失している。居所を掴まれたのに動かず、あまつさえ二度目の訪問を許しているのだから‥‥。
 黒衣の男は眼前、微笑を浮かべて正座している青年を値踏みするように眺め、用件を話すよう促した。
「以前話した通り、この街に新しく出来る孤児院の運営にご助力願えれば、と思いまして‥‥」
 軽い咳払いを一つ、華宵が再度事情を説明する。
「この御時世、何かと物騒ですし。時々様子を見たり、相談相手になったりしていただければ、と」
 出来れば住み込みが最上ですが、と告げる青年に、男は腕組みをして内容を吟味した。
「‥‥ふむ」
「尤も、何かと苦しい台所事情ですから報酬もお約束できませんし、関わる事で何かと不利益を被る可能性も大ですけど」
「えらく正直だな」
「ま、隠しても仕方ありませんしね」
 淡々と言って、小さく肩を竦める華宵だ。都合の良い事だけ語った所で、すぐに馬脚を露わすのは自明の理。ならば、包み隠さず話すのが得策だと判断したのだろう。
「俺も余所者だし、大した事が出来るとは思えんが‥‥」
 そう前置きした上で、男は華宵の要請を受け入れた。住み込みに関しては色々と勘違いされたくないという理由で断られてしまったが、日に数回、様子を伺いに豹馬かファウが訪れるという事で落ち着いたようだ。無報酬を考えれば、是非もない結果だろう。

「ああ。16日の夕方には子供達も到着しますし17日には簡単な歓迎会も行います。宜しければ一度皆に会ってやって下さい」
 辞す間際、華宵はこう告げると、男の耳元へそっと囁いた。
「お茶会から逃げる好機ですよ」
「‥‥善処しよう」
 真顔で答える男に、華宵は満足げに頷いてその場を辞した。どうやら高速馬車の料金を払って一日早く来た甲斐はあったようだ。
 外に出ると、もう日が暮れかけていた。今日は休んで、明日からの作業に備えなければならないだろう。

●馬小屋(だった)
 少し時間は遡る。
 愛馬を駆り、先行組として早めに到着していたブラン・アルドリアミ(eb1729)は、教会の裏手に佇んでいた。
 眼前にはレンガ造りの建物。恐らくは馬の厩舎として使っていたに違いない。六頭ほどは世話できるであろうそこは、住人を失って不気味なまでに静まり返っていた。
「状態は悪くないですけど‥‥」
 よくある話だが、本来なら常に誰かいる筈の場所に誰もいないと薄気味悪く感じるのだから不思議なものだ。少女は呟き、厩舎の中をちらと覗き見た。
「‥‥!」
 口に手の甲を当てると上体をのけぞらせ、そのまま回れ右。声にならない悲鳴を上げ、少女は足早にその場を後にした。
「‥‥ブラン、どうしたの?」
「あ、え、ええ。俺は何も見ませんでしたよ。はは、はははは」
 庭掃除(習慣らしい)をしていたアリアがブランの姿を見咎めるも、冷や汗を浮かべて曖昧に笑うばかりである。
「‥‥俺は何も見なかった、俺は何も見なかった‥‥」
 呪文のように繰り返しながら、荒れ放題の応接室を一心不乱に掃除している所を見るに、よほど嫌な物を見たのだろう。
 荒れ放題の内部。巨大な蜘蛛の巣。糞と練り合わされ腐敗の末に変質しきった寝藁に得体の知れない害虫が湧き、その屍骸に別の虫が湧き‥‥と凄惨な生存競争を長年繰り返した結果、魔境のような様相を呈していた事を皆が知るのは、もう少し後の話である。
 因みに、現実逃避絶好調のブランによって応接室はかなりのペースで片付き、その日の内に使える状態になったそうな。

●挨拶状
「これで、よし‥‥っと」
 三通の羊皮紙をくるくると巻いて蜜蝋で厳重に封をすると、ピリル・メリクール(ea7976)は小さな吐息を一つ。
「‥‥あとは出すだけ、ね‥‥」
 赤毛の少女の言葉に、笑みを浮かべた。
 用意した三通の手紙は孤児院開設の挨拶状だ。ドレスタットにある黒の教会へ一通、この街の領主館に一通、そしてこの街の教会に一通。前者は単なる報告にすぎないが、残りの二通は少々趣が異なる。遠回しに資金援助や後ろ盾の存在を示唆した内容が含まれているのだ。
 手紙はアリアの意見を主軸に、神木秋緒(ea9150)のアドバイスを受けながらピリルが記したものだ。とはいえ、アリアは丁寧な挨拶さえすれば充分だと思っているようで、付随する部分はピリルたち冒険者の意思が反映されたものとなっている。教会宛の手紙だけは持参し、後はシフール便で郵送する手筈になっていた。
「準備ができたら、行きましょうか?」
 目元を指で軽くほぐし、小さく溜息を一つ。羊皮紙に書き出した予算の内訳と睨めっこしていたレミナ・エスマール(ea4090)は、勝負を一時中断して顔を上げた。予算管理について誰も考えが及ばなかったのは、正直いって痛手だった。節約しようにも、経費がうろ覚えでは手の施しようがない。なにせ、アリアは経営に関して素人もいいところなのだ。何らかの手段を講じる必要があるだろう。
「菜園用の買出しもしなければなりませんね」
 とカノン・レイウイング(ea6284)。彼女は教会の元畑であった場所を整備して、新たに菜園を作るつもりだった。その為にも野菜の種などを入手する必要がある。市場に行ってみなければ判らないが、幸いにして今は秋だ。季節柄その手の物の入手は容易いだろう。特別な条件さえなければ、だが。
 ともあれ、冒険者たちとアリアの四人は街に向かうべく教会を後にした。まずは白の教会、しかるのちに市場で買出しである。

●森にて
 教会を出て、街とは反対方向へ小一時間ほど。
 子供の足でも楽に到達できる距離に、その森はあった。そもそも教会の立地が人通りの稀な街外れだから、更に人気の減る方角へ向かう事になるわけだ。カールス・フィッシャー(eb2419)とルナ・ローレライ(ea6832)の二人は、晩夏の木漏れ日が射しこむ森の中を、ゆっくりと散策していた。
「ほぅ‥‥」
 通りすがりのそよ風に誘われてふと見上げれば、生命力あふれる深緑が一面に広がる。辺りに満ちる森の香りは清々しく、身も心も洗われるようだった。青年が思わず感嘆の吐息をついたのも無理はない。
「恵まれていますね‥‥この土地は」
 ローブの裾をつまみながら、周囲を観察していたルナも感心したように呟く。見渡す限りの木々は雑木が主であり、そこかしこに秋の収穫が見込めるであろう、栗や胡桃の木などが散見できた。視線を落とせば、倒木に生える茸が見て取れる。その殆どは食用になるものだ。
「折角です。森の恵みを少々、受け取っていきましょうか」
 カールスは繁みから顔を出した鹿に目をつけると、矢筒から矢を引き抜いた。素早く引き絞った弓から放たれた矢は、鋭い軌跡を描き‥‥標的を外れ、木の幹に突き刺さった。
「‥‥もう少し、弓の腕を磨いておけば良かったですね」
 驚いて逃げ出した鹿を残念そうに眺め、青年は苦笑を一つ、木に歩み寄って突き刺さった矢を引き抜いた。障害物の多い森の中では、狩は意外と難しいものだ。
「でもほら。ハーブは逃げ出したりしませんから」
 しゃがみ込んだルナが、自生していたハーブを摘み取ってみせた。カールスではなんとなくしか判らないハーブの種類も、彼女にかかればかなりの部類で判別がつく。食用の木の実も豊富なようだし、こちらはいい収穫が見込めそうだった。保存食にするのも手だろう。売り出せば相応の収入になるし、今回のルナのように忘れて秋緒から譲って貰うという事態も減らせるのだから‥‥。
 と。
 ――ガサッ。ガサガサッ。
 近くの繁みから、何かがもがくような音。小首を傾げる女に、カールスはニヤリと笑って音の正体を見せた。
「野ウサギです。この分なら落ちた木の実を拾いに来る動物がいるだろうと思って、簡単な罠をかけておいたんですよ」
 捕らえた獲物を手早く絞め、腰に吊るす。腰を据えて狩をすれば、食料には困らなさそうだった。
「しかし‥‥」
 ふと疑問を感じて、カールスは腕組みした。危険な獣がいる気配は今の所ない。平和そのものの森なのに、人の手もあまり入っていないようだ。たまたま目にしていないだけかもしれないが‥‥。
 木の実がなれば、それを食料にする動物が集まるものだ。それは自然と、そういった動物を糧とする獣がいる事を意味する。その連鎖で世界は成り立っているのだ。そうでなければ、森の恵みも維持される事なく荒れ果ててしまうだろう。必ずどこかでバランスが取られるものなのだと、カールスは知っていた。
「‥‥ひょっとしたら、森の奥に何かあるのかもしれません。結構な広さがあるようですし」
 青年の疑問に、ルナはそう答えた。もとより、森の隅々までたった二人で調べ切れよう筈もない。奥まで踏み込むには少々時間も足りなかったし、藪を突付いて蛇が出るの例えもある。無理をする気にもなれない二人だった。
「小川も見に行かなければなりませんし‥‥今度、付近の猟師にでも聞いてみましょう」
 カールスの提案に否やはなかった。

●街にて
「‥‥どうでした?」
 街の中心部に居を構える、白の教会から出てきたレミナとピリルへ、カノンが気遣わしげに尋ねた。
「会うには会えましたけど‥‥」
 芳しくない反応だったのだろうか、答えるレミナの顔色は今ひとつ冴えない。
「‥‥やっぱりダメ、だった‥‥?」
「ううん、逆に肩透かしっ」
 半ば諦めていたような表情で尋ねるアリアに、拍子抜けといった顔でピリルが答える。
「挨拶状を渡したらにこっと笑って、『そうですか、ご苦労様です』だって‥‥」
「とりあえずは、悪い人にも見えませんでしたよ」
 件の司祭がどんな人物か見極めようと思っていたレミナだったが、受けた印象は人品卑しからぬ、いかにも典型的な聖職者といった雰囲気しか感じ取れなかった。もっとも、司祭との面会時間が極端に短かった所為で、どこまで見抜けたか自信がないのだが‥‥。
「気にしても仕方ありません。ひとまず用件は済んだわけですし、買出しに行きましょうか」
 気分を切り替えるように言ったカノンの言葉にそれぞれ頷くと、一同は市場へ向けて歩みを進めるのだった。

 応接室。
「‥‥孤児院、ですか」
 男は羊皮紙を眺めると、面白くもなさそうに呟いた。
 内容は挨拶状だった。一見丁寧に記されたそれは孤児院解説の挨拶にはじまり、謎の後ろ盾の存在を示唆して終わっている。書名はアリア・バルナーブ。この街では聞かない名前だ。男は記憶のページを数枚めくり、該当するであろう人物の記述を発見した。確か、街外れにの元教会に居座るハーフエルフがいると言う話があったか‥‥。
 差出人の正体に気分を害した男は、いつも通り無視する事を決め込んだ。そもそも内容が気に喰わない。挨拶状かと思ったら領主側近某L氏云々ときた。はっきり名前も出せない(つまり、本当にいるかどうかも判らない)後ろ盾を示唆して有利に事が運べるとでも思っているのだろうか? これだから、生まれながらの罪子は度し難いのだ。人間扱いしようとする者達の気が知れない‥‥。
「あの、司祭様‥‥?」
 かけられた声にふと我に返ると、シスターが一人、不安げな瞳で男を見つめていた。常ならぬ不機嫌そうな表情に怯えたらしい。
「あぁ、すみません。読みたくもない怪文書を読まされていたもので」
 羊皮紙を丸めて屑篭に放り込み、男がいつも通りの柔和な笑みを浮かべると、シスターは安心したように用件を告げた。

「これから子供たちが増えて賑やかになるのですが、お金が‥‥」
 市場の片隅、レミナは値引き交渉を図っていた。
「それにこんなに沢山買うのはとっても悩んで決めたのですよ、なので何とかなりませんか」
 彼女らが必要とする物資は多い。保存が利きそうな食料があるに越した事はなかったし、子供たちに必要な日用品‥‥例えば、足りない食器や毛布。菜園用に種芋や野菜の種も欲しい。買い込む物は枚挙に暇がないのだ。
「そう言われてもねぇ‥‥」
 店主は難色を示している。こちらだって商売なのだから、そうそう値引きしてもいられないのだ。それに売る相手を考えれば、あまりサービスしたいと言う気分にもなれないのが正直な所だった。
「‥‥売ってもらえるだけでも感謝してほしいくらいだけどね、ウチとしては」
 小声で店主が告げる。
 販売そのものに僅かな難色を示したのは、何回かピリルがハーフエルフの話をしていたからだ。彼女は方々でアリアの顔を覚えてもらおうと奮闘していたのだが、その気持ちに反比例するように周囲の反応は冷ややかだった。アリア本人が目立ちたくないと言ったのもあって、その試みは中途で終わっていたが‥‥。
(「‥‥不本意なレッテルを貼られなければいいのですが」)
 レミナは危惧を抱いた。これが無責任な噂を呼べば、あずかり知らぬ所で悪意をもった風評に変質する可能性すらありえるだろう。小さな街の風当たりは、予想以上に厳しい。
「この曲がったお野菜とか沢山売れ残っちゃうんじゃないですか?」
「見た目と味は無関係だよ。傷んで食べられないものならともかく」
 売れ残りを引き取ろうと目論んだピリルだったが、やはり店主は取り合わない。それどころか、アンタどこのお嬢様だい? と揶揄される有様だ。形が悪いと言う理由で売れ残る野菜など無いのである。
 と。
「そうですね‥‥では、こういうのはいかがでしょうか?」
 よく響く玲瓏な声が響く。カノンだ。店主に背を向け、胸の前で手を組み、往来に向けて歌ってみせる。
「よぅ、姉ちゃん上手いねえ!」
「なんだオヤジ、新手の客引きかい?」
 歌声にひきつけられ、徐々に人が集まりだした。即興のア・カペラは、客寄せの為に歌われたのだ。歌詞まできっちり作ってきたら、更に効果的だったかもしれない。
「値段を安くしていただけたら、もう一曲歌っても構いませんよ?」
 カノンが片目を瞑ると、店主は負けたといった風に苦笑いを一つ、気持ち程度ではあったが、値引きに応じたのだった。

 教会に戻ると、もう日も暮れかけていた。教会内は秋緒や華宵、ブランが清掃に専念しており、前回滞在した時よりは快適に休むことが出来たようである。
「小川の水は澄んでいて綺麗でしたね。森の奥の方から流れてきていたので、どこかに泉があるのかもしれません」
「形は小さいですが、食べられそうな川魚もいましよ、ほら」
 森の散策から帰った二人の収穫は、夕食の一部になって一同の腹を満たすこととなった。
「‥‥俺は何も見ていません‥‥」
 約一名の様子がほんの少し妙だったが、疲れていたのもあって誰も気にしなかったようだ。

●害虫駆除大作戦
 翌日は、朝から住居棟の害虫駆除に勤しむ事となった。
 最初にカールスが中心になり、家具類を残らず外に運び出した。前回の作業の際、傷んで使い物にならないものは処分していたお陰で多少作業量は減っていたが、それでも一苦労には違いない。
「さすがに大変ね‥‥」
「せっかく綺麗にした家具が煙臭くなっても困りますしね」
 額の汗を拭いながら秋緒が漏らした言葉に、カールスは一息ついて答えた。これも、子供たちに快適な環境を用意する為だ。至れり尽くせりと言うわけにもいかないが、それでもやれるだけの事はやっておかねばならない。
「駆除が終わったら戻さなければいけませんし。先は長いですよ」
「そうね‥‥もうひと頑張りしましょうか」
 伸びを一つ。吐息と共に疲れを吐き出すと、二人は作業を再開した。
「さて、準備はいいです?」
 薬草を燻す準備の傍ら、華宵は最終確認をして回っていた。これから住居棟を締め切り、煙を充満させて害虫を駆除する予定なのだ。隅々まで煙が行き渡らなくては効果が見込めないし、火を使う関係で火事が起きないように気を配る必要もある。子供達が来る前に肝心の住居が燃えてしまいました、では笑い話にもならないだろう。
「こっちは大丈夫です」
 廊下に連なる扉のひとつからレミナが顔を出した。
「火も点けたし、後は出るだけですね」
「俺の方も大丈夫です」
 更に奥、厨房から現れたのはブランだ。
「それじゃ、慌てず騒がず外に出ましょうか♪」
 華宵は顔の下半分を覆う布越しに届いた煙に鼻の奥を刺激され、やや眉根を顰めた。いま燻している薬草は、近くの森から防虫効果を持つものをルナが見繕ってきたものだ。人でも嫌なのだ。さぞかし虫には効果があるに違いない。この調子で煙を充満させれば、昼過ぎには室内の掃除に入れる筈だ。

「ハーブ類は手入れが簡単だそうなんです」
 教会の裏手、カノンは群れなす雑草を数本ずつ掴み、引き抜いた。
「大地の精霊の力が弱まっていても収穫できるそうですし、たくさん採れれば売り物にもなりますから重要ですね」
 緑の刃が意趣返しとばかりに指を浅く切りつける。痛みに一瞬眉根を寄せ、女は何事もなかったかのように作業を続けた。
「うまくいけば、だいぶ財政が楽になりますねっ」
 同じように草むしりをしていたピリルが同意する。そのためには畑の整備は必須で、まず菜園予定地に我が物顔でのさばる雑草を追い出すところから始めなければならなかった。この分だと、日中は畑作業で潰れてしまいそうな気配だ。
「そうですね‥‥うまく育ってくれればいいのですけど」
 作業の手は止めずに、女はやや不安げな笑みを浮かべた。正直言って、農作業の知識も経験も不足気味だ。作物が育つには時間が必要だし、付きっ切りで面倒が見れるわけでもない。それでも、多少なりともその手の知識のあるカノンがいたのは僥倖だっただろう。全くの素人が手を出して上手くいくほど、大地の恵みは大らかではないのだから。
「私たちも一緒に育たないといけませんねっ」
 少女の答えは飽くまでも前向きだった。誰も彼も発展途上だからこそ、皆で作り上げる喜びが生まれるというものだ。
「ええ」
 降り注ぐ陽光を受け金色に輝く少女の髪に碧眼を細め、女は穏やかに、笑った。

「‥‥よくもまぁ、有象無象といたものですね」
 頃合を見計らって住居棟の扉を開けたレミナが、床のそこここでひっくり返る虫を目にして呆れたように呟いた。
「効果覿面を喜ぶべきか、それとも‥‥」
「‥‥昨日の晩まで寝床を共にしていた事を嘆くべきか、ですね」
 秋緒の言葉に華宵は冗談めかして合わせたが、あまり上手くいかなかった。
「俺、帰っていいですか」
 ブランにいたっては顔色が土気色になっている。到着して以来、殆ど外に出なかったのが災いしたようだ。
「冗談はともあれ、さっさと綺麗にしてしまいましょうか」
「子供たちを迎えに行くまでに終わらせなければいけませんからね」
 箒を片手、カールスの言葉にルナが頷くと、一同はめいめいに作業を再開した。まず空気を入れ替え、しかる後に屍骸の除去。家具類の搬入を終えたら、丁度いい時間になっているだろう。

●孤児たち
 夕日が水平線と口づけをする、わずか手前。
「‥‥この船のはずだけど‥‥」
 ミッデルビュルフ港に停泊した一隻の船を眺め、アリアが小首を傾げた。到着した時、既に船は停泊済みだった。だが一行に船から子供たちが出てくる気配がなく‥‥結果、待ちぼうけを食わされる形になった一同である。
「行き違いになったのでしょうか‥‥」
 ブランが不安げに答える。考えていたよりも害虫駆除が大掛かりだったせいで、予定よりも到着が遅れていたのだ。
 と。
 ――待て!
 鋭い制止の声が遠くから聞こえ、振り向いたルナの腰に小柄な影がぶつかった。一方は不意をうたれ、もう一方はぶつかった衝撃で、倒れこむ。
「いってててて‥‥ボケっとしてんなよな!」
「あら‥‥ごめんなさい」
 転んだ少年が痛みに顔を顰めながら毒づくと、相手の勢いに面食らって女は素直に謝った。
「ったくアリエネー‥‥って、やばっ」
「やっと捕まえたぞ、悪ガキがっ」
 息を切らして駆け寄った一人の騎士が、少年のぼさぼさ頭を鷲掴みにして声を荒げた。
「あの、一体何が‥‥?」
 男の剣幕に、ルナが驚き半分で尋ねる。
「いや‥‥船が到着するなり、私の財布を引ったくって逃げ出してな」
 男は鷹のように鋭い目を捕まえた少年に向け、ふっと苦笑を浮かべた。
「‥‥まぁ財布はどうでもいいが、四人送り届ける筈の孤児が三人になっていたら大問題になるところだった。礼を言う」
「では、この子は孤児院に‥‥?」
 男の言葉にカノンが目を丸くする。どうりで姿が見えないと思っていたら、逃げ出した一人を追いかけていたわけだ。
「私たちはその孤児院の者です。よかった、無事会えて」
 レミナの言葉に男は集まった一同を眺め、見覚えのある赤毛の少女を見つけると、ほっとしたかのように唇の端を歪めた。
「そうか、それは助かる。どうにも子供の相手は苦手でな‥‥」
「ご苦労様です」
 ルナは男に小さく笑むと、視線をめぐらせ、強い視線で少年を見据えた。
「悪いことをしたら謝らなければなりません、この人にごめんなさいは?」
「うっせえな。えらそうにデカイ顔すんじゃねーよ、くそババア」
 少年はふてくされ、そっぽを向いた。
「せっかくジユウのミになれるトコだったのによぉ、いーメイワクだぜっ」
 ‥‥どうやら、のっけからかなりの問題児登場のようだ。一同は心の中で、前途の多難さを思い浮かべた。

「ごめんなさい、ロイが迷惑かけて」
 男につれられ、船から降りてきた三人の子供のうち、一番年上の少年が金色の頭を下げた。
「いい子ぶるんじゃねえよ、レオ!」
「これから、とうぶんの間お世話になるんだ。勝手な事はやめてくれよ」
 不機嫌そうに当り散らす少年の剣幕に、レオは済ました顔で、少しだけ見下すように相手を見つめた。この二人、どうにも折り合いが悪そうである。
「あ? やんのかコラ」
「‥‥ひっ」
 金髪の少年の裾を掴み、怯えるようにその影に隠れ、幼い少女が身をかたくした。兄弟なのだろう、その髪はお揃いの金色。青い瞳が、怯えに揺れている。
「大丈夫だよ、エリー」
 少女に視線を巡らせ、安心させるように少年は笑ってみせる。
「お兄ちゃんがついてるからな」
「は、シスコンヤローが」
「‥‥なんだとっ!」
 思わず激昂し、胸倉を掴むレオ。
「ロイちゃんもレオちゃんもぉ、ケンカはやめよ? ね?」
 と、二人の間に銀髪の少女が暢気な声で割って入った。性格だろう、興奮した二人の剣幕にも全く物怖じしていない。
「ヴィー、バカは痛い目みないとわからないんだよっ」
「るせー、上等じゃねーか!」
「‥‥はい、そこまで」
 華宵がぱん、と手を叩いた。
「ここでそれ以上続きをするなら、お仕置きしちゃいますよ♪」
 青年の微笑に、少年たちは冷や汗を一つ、掴みあった手を離して大人しくなった。

 教会に一同が到着した頃には、すっかり日も落ちて夜になっていた。
 幼い心身に環境の変化と旅疲れが堪えたのだろう。子供たちは食事を終えるとすぐに眠くなったらしく、あてがわれた部屋に入ると間もなく静かになったようだった。

●歓迎会とその準備
 厨房から景気のいい音が聞こえてくる。
 ――ストトトト! ダンダンダンダン!!
 厨房の壁を突き抜け、廊下にまで響く景気のいい打撃音って打撃音?
「やぁ♪ とぉ♪」
 先生、厨房にブランさん発見です。包丁持たずに日本刀で野菜をバッタバッタと斬り刻んでいるのは何かの悪い夢でしょうか。
「‥‥何をしているのか恐くて覗く気がおきないんですけど‥‥」
 子供たちの歓迎会に向け、仕込みをしようと厨房を訪れたレミナだったが、音から察する惨状に二の足踏みまくりである。
 と。
「――いや、案外面白いぞ?」
 厨房から顔を出した男が、少女に声をかけた。
「あ‥‥草壁さん、でしたっけ」
 レミナは記憶の隅を探り、男の名前を探し当てた。
「面白いって‥‥彼女、何をしているんですか?」
「曰く、『茹で野菜はイギリス酒場にもある、きちんとした料理です』だそうだ」
「‥‥茹でる前に、厨房が崩壊しそうな気がするんですけど」
「俺もそう思ってな。新品の盾をまな板代わりに提供しておいた」
 どんな大道芸だ、一体。
「‥‥いっその事、街中でやってもらったら大儲けできるかもしれませんよ」
 いつの間にか現れた華宵が、本気だか冗談だか良くわからない事を言った。
 気付けば、子供たちを含めて殆どの人間が厨房周辺に大集合してたりする。皆一様におっかなびっくりで覗いているが、それは料理じゃないよ、違うんだよとブランに教えてあげる勇者がだーれもいなかった事は言うまでもない。

 歓迎会は、オーソドックスに自己紹介から始まった。
「レオ・アークティカ、12歳です。妹のエリーは7歳。アリアさん、これからよろしくお願いしますね‥‥ほらエリー、挨拶して」
「おねがいします」
 妹込みでそつのないレオの挨拶に、カノンは感心した。しっかりした子供がいたものだ。もっとも、妹と二人、頼るものもないともなればこの程度出来なくては厳しいかもしれないが。
「ヴィー・フリメールだよぉ。アリアちゃん、またよろしくねぇ」
 のんびりとした口調で銀髪の少女がひらひらと手を振った。どうやら、アリアとは面識があるらしい。
「‥‥ロイ・ラトグリフ。‥‥ちっ、いーだろこれで」
 最後、黒髪の少年は苛立ったように投げやりな挨拶をした。挨拶をしただけましとみるべきか、そうでないかの判断は難しいところだ。
 一通り挨拶が終わった所で、祈りを捧げて食事となった。
 ‥‥普通の料理と豪快な料理があるが、やっぱり誰も以下略であったそうな。

「さて、それでは一曲歌ってさしあげますよ。どんな歌がいいですか?」
 竪琴を片手、カノンが軽く爪弾くと、エリーが目を輝かせて喜んだ。
「‥‥なんでもうたってくれますか?」
「ええ。お望みの歌はなんでも」
 少女の問いに、女は微笑で答えた。明るく楽しい歌、英雄譚、喜劇何でもこいである。カノンの生業は吟遊詩人であり、鍛え上げた演奏の腕もよく通る透き通った声も、全てはその為に。そう、音楽と歌は人の心を幸せにする素敵な魔法なのだ。
「拙くはありますが‥‥お手伝いします」
「それでは、私も」
 リュート片手にカールスが、ルナはオカリナを携えて、それぞれ席を立った。即席ではあるが、三人のセッションは子供たちのリクエストに十二分に答えられる筈だ。
「えと‥‥お母さんが歌ってくれた歌‥‥聞きたいです」
 流石にこのリクエストはなかなか手がかりがつかめず、少々困ったようだったが。

 音楽は変わらず流れている。
「アリアちゃん‥‥これからはアリアママ、だね」
 エリーのリクエストを次々と受け、メドレー状態でセッションが続く中、ピリルがかけた言葉に少女は曖昧な微笑を浮かべ、考え込んだ。
「‥‥ん? アリアお母さん、の方がいいかな?」
「どっちも柄じゃない、かな‥‥」
 やや考えた末、少女は淡く笑む。
「ただ、自然に、家族になれる日がくればそれで」
 それにアリアママもアリアお母さんもちょっと語呂悪いし、と照れたように言い訳してみる少女に、ピリルはくすりと微笑んだ。
「ここではアリアちゃんが頼りなんだからしっかりね♪」
「‥‥精一杯頑張る。だから‥‥これからも、よろしくね」
 少女の言葉に、ピリルの答えが一つしかなかった事は言うまでもないだろう。

●船出
 こうして、誰からも忘れされられていた場所で、小さな孤児院はその幕を開けた。
 期待と不安の入り混じる船出は、誰が見ても不安の占める割合が多いだろう。前途多難な先行きではあるが、それでも新たな一歩を踏み出した事が喜ばしい事は疑いない。
「新生活の始まり、応援していますよ」
 別れ際、華宵が告げた激励も、偽らざる彼の思いだったろう。前へ進まなければ、新しい生活は始まらないのだ。
「‥‥また」
 ブランは手を振り、短く再会の約束をしてミッデルビュルフを離れた。
 そう、また訪れる事になる筈だ。目先の事から遠い未来の事まで問題は山積みであり、乗り越える為には冒険者達の力がどうしても必要なのだから。
 それは決して、遠い日ではなさそうだった。