【孤児院のアリア】閑話休題

■シリーズシナリオ


担当:勝元

対応レベル:5〜9lv

難易度:難しい

成功報酬:5

参加人数:8人

サポート参加人数:4人

冒険期間:10月26日〜10月31日

リプレイ公開日:2005年11月03日

●オープニング

 教会の裏手は水を打ったように静まり返っている。
「こんな所があったのか‥‥」
 感心したように呟いた黒衣の青年――草壁豹馬は見回りがてら、教会の周囲を散策していた。
 顔を動かさずに視線だけを左右に配る。誰もいない教会裏にはレンガ造りの建物が一軒あり、静かなたたずまいの中に打ち捨てられた建造物独特の雰囲気を発散していた。
 丈夫な建材だったせいだろう、建物そのものの程度は悪くなく見える。苔むし、蔦が絡んではいるが、手入れをすればなんら問題なく使えそうだった。
「‥‥恐らくは馬小屋か」
 小屋の周囲を一周した男は、その隻眼を奇妙だとしばたかせた。この建物の事は聞いていない。この孤児院の話を受けた時、ある程度施設についての話も聞いていたはずなのだが――
 パタパタ‥‥。
 小さな羽ばたきの音で、男は思考を中断した。見れば、窓枠に小鳥が一羽舞い降りて翼を休めている。
 その姿に男は疑念を解き、踵を返そうとした。考えすぎだろう。特に問題は無いからこそ話されなかったのだろうし、伝え忘れという事もある。大方は掃除待ちの施設に違いない‥‥。
 と。
 ――ョン‥ョン‥
 不意に聞こえた奇妙な鳴き声に、男は足を止めた。
「‥‥?」
 振り向く。建物の様子はなんら変わりなく、静かなたたずまいを見せている。
 気のせいかと男が再び踵を返しかけたその時。先程の小鳥がほんの僅かな悲鳴と共に、内部へ引きずりこまれるのが視界の端にちらと映った。
「!」
 男は足音一つ立てず、小鳥のいた窓枠へと慎重に近寄った。内部を覗き見るも、薄暗く、限定された視界からは何も掴む事は出来ない。
「‥‥是非も無い、な」
 仕方なしに男は正面へ回り、がたついた戸口から内部へ侵入する事を選択した。万が一にも迷い込んだ子供が怪我をしたりしては立つ瀬がない。冒険者達の留守を預かるのが、男に課せられた役割の一つなのだから。

 建物の内部は薄暗く、戸口と壊れた窓枠から射し込む明かりだけが頼みの綱だった。明かりを用意してくればよかったが、様子見だけと決めて男は強行偵察を選択した。何、この程度なら目が慣れれば何とかなるだろう‥‥。
「しかし、酷いな」
 目が慣れるにつれ、内部の様相が掴めてきた。惨々たる有様だ。そこここに虫や小動物の死骸が散乱し、腐りきって変質した寝藁がすえた臭いを放っている。馬房の隅にわだかまる塊は、カビの類だろうか?
 男は眉をひそめると、慎重に足取りを進めた。恐らく六頭ほどの馬が世話できたであろうそこは、かつての面影を何処にも留めていない。
 ――チョンチョン‥‥チョンチョン。
 と、突然耳に響く、奇妙な鳴き声。それは先刻聞こえたものに相違ない。
 見れば、天井に張り付く、顔、顔、顔。極彩色の羽が頭飾りのように見えないこともない。その数、ざっと見ただけで軽く二桁。
「‥‥人面蝶」
 声を殺し、男は呻いた。結構な数だ。まぁ、この程度なら一人でもなんとかなるが‥‥。
 ――ザクッ!
 突然、出直そうとゆっくり後退しかけた男の足に、鋭い痛みが走った。視線を落とせば、黒光りする巨大な昆虫が薄闇にまぎれ、鋭い顎を食い込ませている。
「大蟻か!」
 油断した。上に気をとられ、足元がお留守になったのだ。慌てて蹴飛ばすと、バックステップ、間合いを開ける。確か、大蟻は一つの目標に対して集団で‥‥。
 ――ドンッ!
 柱に背を打ちつけ、男の息が一瞬詰まる。不慣れな薄暗い場所で跳び退れば、こうなっても当然だ。俺としたことが、と苦笑しかけるが、うまくいかなかった。
 ――バッ!
 ぶつかった衝撃で、周囲の壁から一斉に何かが飛び立った。それは宙をひらひらと舞い飛びながら、薄明かりにきらきらと輝く粉を撒き散らしていく。
「ぐっ!」
 咄嗟に口元を押さえると、男は脇目も振らずに駆け出した。もうどうしようもない。個人で解決できる範囲を逸脱してしまっている‥‥。
 がたついた戸口から転がるように飛び出すと、男は新鮮な空気を求めて深く深呼吸し、咳き込んだ。胸が焼けるように熱い。撒き散らされた燐粉を、気付かぬ内にうっかり吸い込んでしまったようだ。
 戸口に目をやる。地面から飛び出した何かが、舞い飛ぶ蝶の一匹に食いつくのが見えた。黄色と黒の毒々しいフォルムは、もはや驚くまでもなかった。
「‥‥土蜘蛛、か」
 呆れたような溜息を一つ、男は足を引きずりつつその場を後にした。
 まずはアリアと子供達にこの近辺への立ち入り禁止を伝え、然る後に冒険者を呼ばねばならないだろう。

●今回の参加者

 ea4090 レミナ・エスマール(25歳・♀・クレリック・人間・ノルマン王国)
 ea6284 カノン・レイウイング(33歳・♀・バード・人間・イギリス王国)
 ea6832 ルナ・ローレライ(27歳・♀・バード・エルフ・ビザンチン帝国)
 ea7976 ピリル・メリクール(27歳・♀・バード・人間・フランク王国)
 ea8167 多嘉村 華宵(29歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea9150 神木 秋緒(28歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb1729 ブラン・アルドリアミ(25歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・フランク王国)
 eb2419 カールス・フィッシャー(33歳・♂・ファイター・人間・ノルマン王国)

●サポート参加者

リュリス・アルフェイン(ea5640)/ クレー・ブラト(ea6282)/ 紫藤 要(eb1040)/ カラット・カーバンクル(eb2390

●リプレイ本文

●準備
「お怪我の具合は如何で?」
 ミッデルビュルフに到着した多嘉村華宵(ea8167)が、最初に向かったのは草壁豹馬の元だった。
「生憎と説明が不十分――というか私も不承知で、とにかくお詫びします」
「いや、気にするな。大した事は無い」
 居候している屋敷の裏口で青年を出迎えた豹馬は頭を振った。
「それよりも、向こうは大丈夫なのか? お前一人が受けたという訳でもなかろうが‥‥」
「その辺はご心配なく。これも仕事の一環ですから♪」
 問われた華宵は涼しげに微笑を一つ、黒衣の青年に虫退治中の護衛を持ちかけた。
「受けたいのは山々だが‥‥お前たちを信頼して、この期間は別の予定を入れてしまってな」
 少しだけ気まずそうに軽く頭を掻き、豹馬が答える。
「‥‥すまん」
「いえ、気にしないで下さい。タダ働きなのに無理も言えませんしね」
 気にする素振も見せず、華宵はお決まりの微笑を浮かべてみせた。

「そうそう。左側に入ったお金、右側に使ったお金ですよ」
 応接室では経営学入門の臨時講義が開かれている。講師はレミナ・エスマール(ea4090)だ。
 うーんうーんと唸りながら、赤毛の少女――アリア・バルナーブが広げた羊皮紙に数字を書き足していく。こうして収入と支出を帳簿で分類し、差額を割り出すのだ。
「‥‥これで、いい?」
 数字を書き終わったアリアが一息つき、羊皮紙をレミナに差し出す。受け取った少女は数字の羅列にぱっと目を走らせ、
「うん、まあ合格でしょう」
 と満足げに答えた。
「よかった‥‥後で台帳とか買わなきゃ、ね」
 その言葉にアリアは、ほっと胸を撫で下ろした。正直言って計算などは苦手な部類なのだが、これが出来ない事には孤児院運営などとても覚束ないだろう。今までだって散々無駄遣いをしていたに違いないのだから。
「アリアちゃん、休憩?」
 一息ついた赤毛の少女の横、ピリル・メリクール(ea7976)が薄汚れたソファに腰を下ろした。
「なら、気分転換に怒り方の練習、してみようっ」
「怒り方?」
 金髪の少女が発した奇妙な提案に、赤毛の少女は小首を傾げる。
「そ。怒る時にちゃんと怒れるお母さんになって貰わなくちゃ子供達を守れないもん。それに言うこと聞かない子供は悪魔と一緒。下手に出てたら付け上がるんだからっ」
「‥‥それはそうかも」
 妙に納得するアリア。早くも身に覚えがあるようだ。
「いい? ‥‥こらああぁぁぁっっっ!」
 深く息を吸うと、ピリルが渾身の怒声を一発。
「はい、やってみて♪」
「こ、こらぁ‥‥」
 満面の笑みで模範演技を見せるも、肝心の生徒は蚊の鳴くような声。此方は要練習のようだ。

「人の手の入ってない建物って、本当、何が有るか分からないわね‥‥」
 馬小屋の前、井戸から汲み出した水を手に持った神木秋緒(ea9150)は小さく溜息を一つ、呟いた。
「同感です。俺も何も見なかったくらいですから」
 それにブラン・アルドリアミ(eb1729)が意味不明気味な台詞で答える。雑木から切り出した木材を片手、害虫の巣窟と化した馬小屋を前にして、心なしか遠い目なのは察してあげよう。普通の人だったら当たり前の反応なのだ。たぶん。
「‥‥何か、手伝う事は‥‥」
 おずおずとアリアが顔を出す。応接室という名の宿題地獄から逃亡してきたのは内緒だ。
「こうした仕事は冒険者の領分よ。特に私なんかは日常的な事は苦手で、こんな事でしか役に立てないし‥‥」
 額を軽く拭い、秋緒は笑みを浮かべた。笑顔が遠慮がちなのは家事などが苦手な事を引け目に感じているのかもしれない。だがそれだけに、些細な事でも役に立てるのが嬉しくて堪らない‥‥それは、そんな笑顔だった。
「これでよし、と」
 切り出した木材や布の袋などで馬小屋の窓を封印し、ブランが一息ついた。
「あ、また不用品が出たから住居棟に置いておきました。使ってくださいね」
「ありがとう、ブラン」
「半分は友人からですよ」
「そうなんだ‥‥」
 少女は記憶を探り、斜に構えた顔立ちを思い浮かべた。不器用そうな人だった。しばらく会っていないが、元気そうで何よりだ。
「あ、こんな所に」
「‥‥」
 不意に背後からかけられた声に、ぎく、とアリアが動きを止めた。
「えっと、その‥‥」
「大丈夫、努力は必ず報われますよ。さ、行きましょう」
「‥‥はい、レミナ先生」
 鬼講師に否応なく連行されるアリアである。
 消えゆく後ろ姿からミスは絶対許しませんとか出来るようになるまで頑張れとか聞こえてきたが、ブランも秋緒も聞こえない振りをしたとかしなかったとか。

「だいぶ採れましたね」
 森からの帰り道、カールス・フィッシャー(eb2419)は収穫を満足そうに見つめた。今回の作業に必要とされるハーブや生木、ついでとばかりに余勢を駆って夕食の食材やハーブの苗まで入手できたのだから、顔の一つや二つ綻ぼうというものだ。
「ええ。森が眠りにつく前で良かった」
 ルナ・ローレライ(ea6832)が頷く。秋とはいえ、近付く冬の足音はもうすぐ傍まで聞こえてきている。もう少ししたら、木々の恵みは見込めなくなるだろう。
「遅くなる前に、畑を何とかしたいものですね‥‥」
 採集してきたローズマリーを大事に抱え、カノン・レイウイング(ea6284)は呟いた。折角、ルナやカールスに手伝ってもらって集めたのだ。このまま挿し木して増やし、孤児院の収入源にしなければならない。
「‥‥重い‥‥」
「‥‥んでオレがこんなことさせられてんだよぉ」
 荷物持ちに同行させられた二人の少年は疲れたのだろう、程度の差こそあれ口々に不平を漏らしている。
「この子は、貴方たちの為に力を貸してくれるのです。我侭言ってはいけませんよ」
 抱えたハーブをそっと撫で、ルナは少年二人を嗜めた。
「‥‥そうですよね、ごめんなさい」
「ちぇっ。オレはんなことたのんでねえよ‥‥」
 女の言葉に金髪の少年は素直に謝るが、銀髪の少年はブツブツとやるのをやめようとしない。髪の色同様、対照的な少年たちである。
「せめて自分の食い扶持くらい自分で確保できるようになって、初めて一人前の男なんですよ」
 冷たく突き放すように、カールスが言った。
「んだとぉ!」
「よせよ、ロイ」
「悔しかったら、自分で獲物の一つも狩ってごらんなさい」
 木の実の見分け方はルナが教えていた。時間をかけて、子供たちは自立できる生活力を身に付けねばならないのだ。甘やかすだけが子供の為では、ない。
 少年たちがぐうの音も出ずに黙り込む間に、孤児院が見えてくる。
(「害虫駆除ですか‥‥さて、どうなりますか‥‥」)
 カノンは心中で、訳もない不安に一人、呟いた。

●駆除、開始
 馬小屋前に一同は集まっていた。
「準備、いい?」
 火のついた松明片手、ピリルが確認を取る。
「私はいつでもいいわ」
「俺もです」
 思い思いの装備で完全武装した秋緒とブランが答える。機敏さと引き換えに少々の被害は気にしない格好だ。
「いいですか、孤児院の皆を守るのは君たち男の子の仕事ですよ?」
「はい、もちろんです!」
「‥‥めんどくせえなぁ」
 華宵がレオとロイ、二人の少年に言い含める。反応は両極端だったが、頑張りなさいと両方ひっくるめて問答無用である。
「いいと言うまでここに近付いてはいけませんよ?」
 住居棟に戻る少年たちにカノンが釘をさす。流石のロイも、この指示に逆らおうとはしなかった。
「それでは‥‥始めましょう」
 松明を片手のカールスが告げると、秋緒とピリルの二人が生木や束ねたハーブに火をつけ、正面の木戸から次々に放り込む。放物線を描いた発火物は薄明かりと共に馬小屋の中に消えていき‥‥見えなくなった。
「‥‥煙が回るまで、しばらく待たないといけませんね」
 緊張感に息を潜め、カノンが囁く。この為に、建物の隙間は外側から出来うる限り塞いである。まずは煙で燻し、蔓延る大量の蟲にダメージを与える事が重要だ。
「時間、かかりますねっ‥‥」
「‥‥しっ!」
 焦れるピリルを制し、ルナが警告の声を上げた。
「物音が多数近づいて‥‥きます!」
 警告を切っ掛けにし、ピリルが木戸を開け放つ。
 ――バッ!
 飛び出してきたのは、パピヨンの群れだ。煙に酔ったように空中で力尽き、ぼとぼとと墜落するその様は一種の悪夢的な光景に見えなくもない。
「このっ! このっ!」
 一瞬のことに驚いたピリルは、数瞬の間をおいて我に帰ると、地面でのたうつパピヨンを慌てながら踏み潰した。足元から伝わる、ぶつりというおぞましい感触。見ればそこここで同様の光景が繰り広げられ、馬小屋の前は屍骸が壮絶に散乱している有様だ。
「――ふんっ!」
 弱りながらも暴れたように空中を飛び回るパピヨンは、華宵が麻袋で捉えようとしていた。
 だが振り回された袋は空気を孕み、思うように扱う事が出来ない。網と違い、獲物よりも先に空気を捕らえてしまうのだ。
「儘なりませんね‥‥」
 華宵が苦笑したのには訳がある。振り回した結果、弱ったパピヨン数匹が袋の風圧で叩き落されたのだ。
「この状況では、踏んだ方が早そうです‥‥」
 カノンはムーンアローを使用するのを早々に諦めていた。的を絞りきれないからだ。無駄撃ちしては、自分が痛い目を見ることになってしまう。
「えっと‥‥魔法の使い方ってこうだっけ」
 首を捻るレミナ。ホーリーでパピヨンを狙おうとしたものの、祈り方を忘れたらしい。信心不足でない事を祈るばかりである。
 空中に残るパピヨンを秋緒が槍で叩き落す。程なくして、群れの第一陣は全滅した。

●突入
「それじゃ、行きましょうか♪」
 パピヨン潰しが一段落した所で、華宵が次の行動に移った。建物内部に突入し、チョンチョンやラージアントを誘き出すつもりなのだ。
「そうですね」
 松明左手、カールスが進み出る。
「行きましょう」
 秋緒が魔力の炎を槍と刀に灯す。明かりも兼ねてのようだ。
「‥‥大丈夫。臭くない、苦くない‥‥」
 ブツブツと繰り返しているのはブランだ。どうやら自分に言い聞かせているらしい。

 入口の傍、突き出した槍の穂先に反応したグランドスパイダが飛び出す。
 ――ズビュ!
 秋緒は瞬時に穂先を返すと、胴体に突き刺すような形で槍を繰り出し、スパイダは巣穴に戻れなくなった。
 ――ドシュ!
 続け様にブランが霞刀で切り裂くと、グランドスパイダは緑色の体液を流しながら小刻みに痙攣し、動かなくなった。
「上は、お願いしますね」
 地面に気を配りながら、ブランが華宵に言った。這い寄ってくるであろう、ラージアントの対策である。
「任されました♪」
 天井周辺を見回し、華宵が答えた。此方はチョンチョンを警戒しているようだ。万が一にも降り注ぐ燐粉を吸い込まぬよう、口元を布で覆って対策も施してある。もっとも、充満する煙にやられて、目が酷く痛むのだけは避けられなかったが‥‥。
 と。
「‥‥あれ、なんでしょうね」
 前方を松明で示し、カールスが首を傾げた。
 見やれば、地面に落下し、のたうつ無数の顔。
 ――チョンチョンだ。天井付近に固まっていた為、煙の影響を真っ先に受けて窒息したらしい。
「‥‥どうりで何もいないと‥‥」
 残念そうに呟く華宵である。
「いえ、ガッカリしてる場合じゃありませんよ」
 ブランが警告の声を上げる。
 煙で視界が狭まった上に薄暗くてよく見えなかったのだが。地面に転がるチョンチョンの群れは、黒い影に襲われているのだった。
「‥‥大蟻ね‥‥」
 緊張したように秋緒が呟く。前方の群れは此方には気付かぬように、気絶したチョンチョンを捕食しているが‥‥。
「――うわっ!」
 突然、ふくらはぎを襲った激痛にカールスが声を上げる。驚いて振り向くように見下ろせば、一匹のラージアントが青年の足に鋭い顎を突き立てていた。慌てて松明を押し付けるようにし、振り払う。
「しまった!」
 響いたのは誰の声か。
 気付けば、馬房のそこここから表れる黒い影。充分に注意を払っていたつもりでも、煙、暗がり、未知の場所と条件が悪すぎたのだ。
「‥‥慌てても仕方ありませんね。どうせ我々は生餌なんですから、このまま突破して外まで誘き出しましょう」
 忍者刀を振るって触角を切り飛ばし、華宵が淡々と告げた。
「ですね‥‥」
 カールスが痛みに顔を顰めつつも頷いた。重武装の秋緒やオーラで装甲を強化しているブランと違い、軽装に不意討ちを食らった影響がもろに出た格好だ。一匹斬り倒し、屍骸を蹴飛ばしてじりじりと後退する。
 ――ヒュン! ドシュ!
 ブランと秋緒が同じ蟻を狙い、止めをさした。狭い空間なので武器の取り回しに神経を割かれるが、その分同一の目標を狙いやすい。
 と、その時。
 ――ガッ!
 木に武器を打ちつける音が聞こえた。馬房柵に誤って誰かが獲物をぶつけたのかもしれないが、誰かを確認する余裕はなかった。
 ――バサバサバサ!
 煙で仮死状態になっていたパピヨンが数匹飛び立ち、辺りに燐粉を撒き散らしたからだ。

●結末
 ――バン!
 木戸が内側から開け放たれ、四人が飛び出す。後を追うように這い出るは、生き残りのラージアント数匹。
「わわっ!」
 ピリルが慌てて木戸に駆け寄り、扉を閉める。
 間髪いれず、閃く銀色の矢。弱って動きの鈍い蟻めがけ、カノンがムーンアローを放ったのだ。続け様、その体を白き光が包み、大蟻は動かなくなった。レミナのホーリーだろう。
「‥‥はあっ、はあっ!」
 口元の布をかなぐり捨て、ブランがあえぐように呼吸する。濡らした布は、確かに煙や燐粉の対策に有効ではあったが、呼吸を著しく妨げていたのだ。苦しい息の元、分厚い装甲に任せて大蟻の顎を受け止め、一気に切り捨てる。消耗度は相当なものだ。
 秋緒も状況は似たようなものだった。華宵のように乾いた布ならこういった事態は防げたが‥‥。
「がはっ!」
 華宵が咳き込んだ。偶々布の下に潜り込んだ燐粉を、偶然吸い込んでしまったのだ。これは運が悪かったとしか言いようがないだろう。ほんの少量だったのがせめてもの救いだ。
「おおおおっ!」
 痛む足を引きずりながら雄叫びを上げ、カールスが刀を振り下ろすと、最後の一匹が力尽きた。

「‥‥とりあえず、間をおきましょう」
 このまま再突入は流石に拙い。レミナは聖なる母に祈りを捧げ、負傷者の傷を癒して回る。
 と。
「あ、煙が‥‥」
 ルナが指差すその先、窓を封じた麻袋が燃えている。投げ込んだ火種が朽ちた寝藁や飼葉に引火した結果である。
「け、消さなきゃっ!」
 汲み置きの水を手に、ピリルが叫ぶが‥‥。
「‥‥中は手遅れのような気がするわね‥‥」
 同様に水瓶を手にした秋緒が呟く。
 何とか消し止めた頃には日が暮れ、内部は完全に焼け落ちていた。それでも延焼を防げたのだから、水を汲んでおいたのは賢明だった。
 生き残りの蟲が全滅したのは成功だったが、建物を再利用するには相応の時間と、資金が必要だろう。