【鎌倉藩】絆と立場と

■シリーズシナリオ


担当:言の羽

対応レベル:11〜lv

難易度:やや難

成功報酬:8 G 76 C

参加人数:8人

サポート参加人数:7人

冒険期間:07月07日〜07月14日

リプレイ公開日:2008年07月16日

●オープニング

 向野邸。主である向野靖春は、自室の縁側に立ち、庭を眺めていた。
「幸は?」
 鮮やかな緑を瞳に映したまま、室内にいる長男に声をかける。
「知らない、の一点張りです。あの頑固さは誰に似たのやら」
「奥に決まっておろう。あれも昔から気が強くてな、父君や私をよく困らせたものよ‥‥此度の幸のようにな」
 ふ、と口元を緩ませたのは、昔を思い出したゆえか。それとも、娘が妻に似たゆえか。
「どうされますか。関係しているのは間違いないと存じますが」
「幸に付いている女達を別の担当にせよ。幸には‥‥そうだな、奥に付いていた者を付けておけ。奥にもそう伝えておく」
「はっ」
 監視を強めれば、外と連絡も取れない。連絡が取れなければ、これ以上、娘が惑わされる事もない。惑わされては困るのだ。
 長男が部屋を出て行く音を背中で聞きながら、思い出すのは娘が生まれた日の事。後を継ぐ息子はもういる事だし、次こそはぜひ愛でるかいのある娘を、という願いが叶った日だった。そして同時に、藩主の家とのより強い繋がりを得られる可能性を獲得した日。
「‥‥逃すわけにはいかんのだよ」
 自らに言い聞かせるように呟いてから、踵を返して歩き出した。

 ◆

 強められたのは、鶴岡八幡宮の警備も同じ。だが、一康がいまだ見つからずにやきもきしている役人の様子に不安がる民に、これ以上の心配を与えてもいけないので、それとなくしなければならないのが難しいところではあるのだが。
 守国がふらりと鶴岡を抜け出さなくなったのも、こういう状況でなければ喜ばしいのに。
「異常なし‥‥か」
 境内を廻っていた足を止め、一息ついたのは守国の右腕、日乃太。年若いながら鶴岡の影の実力者となっているのは、時に気まぐれを起こす守国を御する事ができるのが日乃太しかいないからだという説がある。実際にそのとおりだからこそ、右腕でいられる。
 事情があって、関係者でもないのにこの鶴岡で生まれ、守国の弟であるかのように育てられてきた。しかし日乃太が心から守国に付き従う理由は、義務感だけではない。
 人として、尊敬できる存在であるから。
 ――本人に言ってやるつもりは毛頭ないが。
「日乃太様、そろそろお休みになられては」
「そうですね‥‥後はお願いします。僕は若様のご様子を覗いてから部屋に戻りますので」
 共に見回っていた夜番の者に促され、その場で別れる。

 別れていなければ、また違う流れになっていただろう。

「‥‥琵琶?」
 一人になった日乃太の耳に、美しい音色が届いてきた。
 こんな夜更けに誰が、と、そちらに足を向けるのも自然な事。
 音色の主は本宮へと伸びる石段の麓に腰をかけていた。琵琶をかき鳴らす手も指先がしなやかに動いている。月明かりの下でやや微笑んでいるその女性は、頭巾をかぶっている様子からして、仏に仕えている者のようだった。
「大和の神のお社に、仏の道の者が居るのはいけない事?」
 日乃太が体に緊張を走らせたのを感じとったのか、その尼僧は若い声で言った。演奏の手は止まっていない。
「‥‥いえ。拒む理由はありません」
「まあ嬉しい」
「‥‥‥‥今のところは」
 付け足された言葉に、くすりと笑う尼僧の目尻が下がる。
 美しい、と日乃太は思った。けれど、それだけだ。心惹かれない。本来美しさの中に在るべきものが感じられない。
「賢明ですわね。わたくしの姿を認めた時から、距離を保ったまま。わたくしに近づかない。警戒しているわね?」
「貴女が僕の考えるとおりの方であるとすれば、僕の敵です」
「敵対した覚えはありませんわ。少なくともこちらの方々とは」
「鎌倉を乱す以上、若様の敵となりましょう。そして主の敵は従者の敵です」
 目尻が下がったままの尼僧。緊張を解かない日乃太。
 そして、一際大きな、琵琶の音。尼僧を淡い銀の光が包んだ。
「ぐっ‥‥」
 直後、日乃太の腹部に突き刺さったのは淡く光る一本の矢。
「あらまあ。さすが、と言うべきかしら。まさか抵抗するなんて」
 衝撃で体を揺らした日乃太へと、二本目の矢が飛んでいく。
「けれど、脆いのよね。人間って」
 月の光が日乃太を照らして出来た影が、爆発する。
 膝をつく日乃太。耳に届く何かの羽音。だが振り返って目で確認するより早く、その背に短刀が突き立てられた。
 もはや上体を起こしてはいられず、前のめりに倒れこんでいく。
「‥‥わ‥‥か‥‥」
 意識も緩やかに、遠のいていった。

 夜が明けて。連絡を受けた守国はとるものもとりあえず、乱暴に廊下を進んで、医師が来ているというその部屋に向かった。途中、同じく連絡を受けた一康と雉谷も合流するが、彼らが話しかけても守国は応えず、険しい表情を崩さない。
 破裂音に似た音を響かせて障子を開けると、布団の上、うつ伏せになった日乃太が額に玉の汗を浮かべて苦しんでいた。
「なんだこれはっ!」
「御薬酒をお飲みになる事さえも難しい状態なのです。できたとしても、これほどの傷‥‥御薬酒では足りませぬ」
 胸倉を掴まれた医師が申し訳なさそうにうなだれる。
 守国はその医師を放り投げるようにして放した後、日乃太の枕元にかがみこんだ。気配を察したのか、薄く、瞼が開いた。
「ぁ‥‥」
「いい、喋るな」
 口も開こうとして、守国に止められる。
「‥‥しふー‥‥こう‥‥‥‥きっしょうて‥‥」
 しかしそれでも日乃太は震える唇をどうにか動かし、わずかな言葉を紡いだ。
「守国殿」
 一康が恐る恐る呼ぶも、既に守国は己の知識と記憶を掘り起こす作業に入っていた。

●今回の参加者

 ea0443 瀬戸 喪(26歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea3597 日向 大輝(24歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea7246 マリス・エストレリータ(19歳・♀・バード・シフール・フランク王国)
 ea7767 虎魔 慶牙(30歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 eb5401 天堂 蒼紫(30歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb5402 加賀美 祐基(30歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 eb8226 レア・クラウス(19歳・♀・ジプシー・エルフ・ノルマン王国)
 eb9508 小鳥遊 郭之丞(29歳・♀・浪人・人間・ジャパン)

●サポート参加者

白井 鈴(ea4026)/ 黒崎 流(eb0833)/ 御陰 桜(eb4757)/ サイーラ・イズ・ラハル(eb6993)/ ツバメ・クレメント(ec2526)/ リディア・レノン(ec3660)/ アナマリア・パッドラック(ec4728

●リプレイ本文

●鶴岡
 意識があるのならテレパシーで会話できるかもしれない。そう考えていたマリス・エストレリータ(ea7246)だったが、生憎と高熱による意識混濁が続いているとの事だった。
「では、せめてこれを。薬を飲めぬとうかがいましたものでな‥‥塗り薬ならとか、そういう問題じゃないのかもしれませんがの」
 控えめに差し出された貝殻の容器に、医師は目を細めて礼を述べた。
「俺からも。全部やるから、使ってくれ」
 加賀美祐基(eb5402)が取り出したのは二種類の魔法薬、合わせて六本。いずれも高価な代物だ。金銭的に恵まれない鶴岡にとってこの申し出はとてもありがたく、また申し訳ないものだった。
 河童膏の使用で熱がある程度落ち着けば、魔法薬も飲めるようになるだろう。何度も頭を下げた後、小走りで日乃太の伏す部屋に向かう医師の背中を見やって、大伴守国も軽く息を吐いた。
「すまないな」
 張り詰めていた糸が少し緩み、次の瞬間にはまた、一層張り詰める。
 昏睡状態に入る寸前の日乃太が守国に伝えた言葉は、改めて一同に示された。荒い呼吸の中、動かない舌を動かして発された言葉は不明瞭ではあったが、限りなく大きな手がかりではある。
「なぜ日乃太を狙ったのかは今ひとつ不明だが‥‥少なくとも、こちらも警戒していたのに境内に入り込んで凶行を許した、それほどの存在ではあるという事だ」
「守国殿、それについて」
 思い当たる節がある、と日向大輝(ea3597)が手を挙げた。
「江の島にキャメロットから移り住んだ怪しげな一家がいるのは知っているよな」
「あの空飛ぶ葱のか」
「その一家に通訳として付き添っていたシフールがいただろう? そいつの名前が『コウ』だ」
 俺はこいつが怪しいと踏んでる、と続けて言うまでもなく、守国の目はを丸くなった。面識はあれど名前は知らなかったようだ。
「僕も、日乃太さんが伝えたかった言葉は『シフール』の『コウ』だと思います」
 白井鈴から話を聞いていた瀬戸喪(ea0443)も解説を付け加える。
「移住後しばらくしてから、人が変わったようになってしまったのだとか。ずっと引きこもっていたみたいです。シフールなのに」
 基本的に明るくて陽気なのがシフールという種族の特徴である。それが日当たりの悪い部屋に篭っていたとなれば、そこには疑念を挟む余地がある。
「でも残りの言葉の意味がわからない‥‥思いつくのは吉祥天なんだけど」
「恐らくその通りだろう」
 大輝が考え込もうとしたところに、守国からいかにも古臭い冊子が手渡された。横からマリスと喪も覗き込む。目を通してみると、仲の悪い二人の女神の話が書かれていた。
「そういえば、一康様が隠れられていたお社は弁財天をお奉りしてたそうですな」
「弁財天は水神だからな。漁を生業とする者の多い江の島では大事にされている」
 成るほど、と皆がひとまず頷くなか、天堂蒼紫(eb5401)と祐基は首を傾げる。
「どうして仲が悪いんだ?」
 しかしこの問いには守国とて答えられなかった。記されていなければ知りえようはずもない。もし本人に尋ねる事ができたなら、知る事もできるのかもしれないが――
「吉祥天が本物なら、神を相手にするって事ですか?」
「本物ならな」
「悪魔かもしれませんぞ。今あちこちでそれっぽい名前の悪魔っぽいのが暗躍してるという話を聞きますからな」
「上等だ。一連の騒動や日乃太さんを傷つけた事の報いは、ぜってぇ受けさえてやる」
 意気込む一同を頼もしく思い、守国の顔に笑みが浮かぶ。だがそこに滲み出ている疲労に気づいた大輝は、小鳥遊郭之丞(eb9508)から預かっていた皿とその上にあるものを守国の前に押しやった。
「こいつは余計なお世話だろうけど、日乃太さんが目覚めた時、守国殿が倒れてたら悲しむぜ。きっと」
 それは料理が不得意な彼女なりにこしらえたおにぎりだった。

 ◆

「件の盗賊の女頭領。あの女が向野と繋がりがある事は確実です」
 おにぎりを預けた郭之丞は、別室で細谷一康と話をしていた。先日救出した雉谷長重も同席している。
 かの頭領が向野邸に出入りしている事をつかんだ郭之丞は、今は情報屋に会いに行っている虎魔慶牙(ea7767)やレア・クラウス(eb8226)と力を合わせて捕らえに行くつもりでいた。捕らえれば向野側の情報も得る事ができるだろう、とふんで。
「ですが、易々と此方の言う事に従うとは思えません。交渉材料として、罪を軽くする事は可能でしょうか?」
「‥‥盗賊としての罪を、ですか」
 譲歩する事でなびきやすくなればとの考えだったが、一康と雉谷は顔を見合わせている。
 一康はこの鎌倉藩を継ぐ者であるとはいえ、まだ若輩。齢と経験を重ねた筆頭家老である向野とでは、内外に対する発言力がまるで違う。しかも郭之丞が提案した条件は、こちらが勝利する前提でなければ意味を成さない。あちらが勝てば、頭領は罪が軽くなるどころか最初からなかった事にされるであろうからだ。
 勿論、勝つ気がないわけはない。それでも現時点で分があるのはあちらなのだ。
「くっ‥‥いっそ此方側に付ける事は出来ぬものか‥‥」
「そうそう、他にもこっちの味方になってくれそうな方は居りませんかの?」
「マリス殿!? いつの間に――」
 湯気立つ湯飲みを手に、マリスはちゃっかりと郭之丞の隣を陣取っていた。
「お二人がこっちに来た以上は、また相手の方から仕掛けてくる可能性も高いじゃろうし‥‥」
 ずずず、と茶をすするマリスに、郭之丞と同様に驚いていた一康達も、一応の落ち着きを取り戻す。
 そして、眉間にしわを寄せての無言。味方はほしくとも、やはり難しい。
「‥‥お父様の話を聞くと、悪魔が関わってるような印象を受けます。覚悟はしておいた方がいいかもですじゃ」
 捕らえられているのならばまだいい。万が一、傀儡にでもなっていたら‥‥救う手立てがなかったら‥‥
 膝の上に乗せられた一康の拳が、きゅ、とひときわ強い力を込めて握られた。

●調査
「――っていう感じのシフールなんだけど、見た事は?」
 大輝と喪は、コウの目撃情報を求めて街中を巡っていた。だが羽の形状から色、髪の色まで全てを覚えているような人など見つからない。
「あまりおおっぴらに聞いて回れないのが痛いですね。前回の騒ぎもあるので仕方ありませんが」
 途中、茶屋に腰を下ろして休憩していると、喪が小声で囁いた。
「この国じゃシフールは数が少ないから、全部かぶったらほぼ間違いないんだけどな。たまに覚えがあるって人がいても、以前着ぐるみの騒動があった時の事だし‥‥あ」
 思い返せばあの時からコウの様子はおかしかった。と考えた直後、おもむろに大輝は顔を上げた。

 防風林に立つ慶牙は、時折飛んでくる鳥に盗賊の隠れ家について尋ねながら、待ち人が現れるのを待っていた。しかし鳥が教えてくれたのは既知のものばかり。また舞い戻っている様子もないようで、すっかり意気が削がれた。
 だがそれも待ち人の到着で元に戻った。
「あんたかい、オイラに話を聞きたいっていうのは」
「ああ、そうだ。呼びだててすまんな」
 情報屋はぱっと見、ただの町人だった。盗賊の居場所と向野について知りたいと言うと、呆れたような困ったような苦笑いを浮かべたが。
「初見でそれかい。こいつぁ頭が痛いや‥‥でかいヤマだぜ、旦那」
「はなから承知よ。安心しなぁ、金なら払うぜぇ」
「いや、信用を築く為に初めての客にはタダでやってんのさ。代わりに核心からはちょいとずれるがな」
 腕のよさを確認できたら金を払えという事らしい。試行期間のようなものだ。くつくつと笑う慶牙に、彼は声を潜めて告げていく。
 ――盗品なぞ表ではさばけない。しかもこれまでの被害額はかなりのもの。裏でさばくには、裏で顔のきく者が必要。だが大きな金が動けば、お偉いさんとて絡みたくなる。
 ――向野は群雄割拠に参戦できるような、強い鎌倉を作りたがっている。その為には何が必要か。何をどうすればいいのか。

「人身売買だと?」
 鎌倉で一、二を争う大店の前に構えている飯屋で、郭之丞は素っ頓狂な声をあげた。いつぞやに聞いた悪い噂の詳細を教えてくれた店員は、彼女の声の大きさに慌てて周囲を見渡している。
「そういえば、似たような話を聞いたわね。子供を誘拐したり買い取ったりしてるって。黒そう‥‥っていうか、真っ黒なんじゃない、多分」
 旅の踊り子を装いながら同じく情報を集めていたレアも、自身の成果を提示する。
 鎌倉は貧しい。家族全員が飢え死にするよりはと、子供を手放す親もいる。『うまく』成り立っているのだ。
 郭之丞は記憶違いをしていたようだが、店員は女頭領の事を、大店の遠縁の娘と言っていた。思い出されるのは、盗賊討伐の折、自害しようとした者達の涙。
「‥‥成るほど。裏、か」
 杯を傾けながら笑う慶牙の前で、道理が曲げられている事に郭之丞が怒りを燃やす。
 そうこうしているうちに大輝と喪が暖簾をくぐって店内へ姿を見せた。別の店員に、尼僧について尋ねているようだった。

 吉祥天について、というあまりにも漠然とした目的を抱きながら、祐基と蒼紫は寺社巡りをしていた。「吉祥天」が例の尼僧であるとすれば、寺を隠れ蓑にしている可能性があると大輝が言っていたからだ。
 藩主が倒れた頃から現れた尼僧、と限定してしまえば数はさほどでもない。守国から預かった地図の写しに印をつければ一目瞭然だが、その先へ進む事は用意ではない。本物とかち合ってしまった時の事を考えると、まさか会わせてくれというわけにもいかない。準備も対策も不十分なのだ。
 とはいえ、手段が全て費えたわけではない。レアから借りた石の中の蝶‥‥悪魔に反応して羽ばたくそれは、向野邸に比較的近い寺の周囲を通った時に一瞬、確かに羽ばたいた。


 口減らしの為に真っ黒な大店へと売られた子供達は、店主の好みに合う者は蔵に閉じ込められ、さもなくばまた別のところへ売られ、あるいは刀や弓の使い方を学ばされて盗賊へと貶められる。家族に売られた身には帰る所などなく、従うほか道がない。捕縛された折に自害を試みた者は、もしかしなくても家族に負担が及ばぬようにと考えたのだろう。
 そんな裏の道、裏の金を持っている大店と手を結ぶ事は、向野には半ば必然であったと言ってもいい。強い鎌倉を作る為、人を育て、軍備を拡充するには大変な金が要る。内外を刺激しないよう秘密裏に事を進めるにも、大店の存在は都合がよかった。
 しかし金だけあっても仕方がない。藩の実権を握る必要があった。現在だけではなく、この先も。一康は優秀ではあるが向野とは方針を違える。素直に操られるような性格でもない。娘は一康に嫁がせるつもりで育ててきたが、意図を察知されてしまえばこれもおとなしく受け入れるとは限らない。
 どうすればいい――悩む向野に、悪魔が囁いたのだとしたら。

「十中八九、利用されてるだけだろうがな」
 頭領に会えなかった悔しさからか、酌み交わすつもりでいた酒をひとり手酌で飲む慶牙が慶牙なら、郭之丞の落ち込みようも半端ではなかった。不在だと言い張られ、門前払いをされたのだ。
 とはいえ、収穫がなかったわけではない。門を叩く前からその場を立ち去るまでずっと、応対した者以外の視線を感じていた。
「間にあの店の者を挟んでいるとはいえ、奴も向野の配下。うかつに顔を出せんという事か」
「まぁ、向野と繋がってる以上は、嫌でもやりあう事になるだろうさ」
 それは決して慰めではなく、事実を述べたまでだったが、
「そうですね。近いうちに」
 喪がきっぱりと言い切って、大輝も頷いた。
 彼らは江の島へも調査の足を伸ばしていたのだが、弁財天の社を確認した折、家捜しのような痕跡を確認したのだ。しかも、そこでも喪の持っていた蝶が羽ばたいた。
「しかし本当に悪魔とはのぅ‥‥」
 頭痛がするのか、マリスがひたいに手を当てる。
「顔色が悪いぞ、守国さん」
「社に何か置いてあったのか?」
 守国も苦虫を噛み潰したような表情になっており、祐基と蒼紫が心配して声をかけた。
 やがて、ぽつりぽつりと守国が語ったのは、弁財天が祭られているもうひとつの理由だった。
 遠い昔。五つの頭を持つ、山ほどもある巨大な竜が鎌倉に現れ、山を崩し、洪水を起こし、人々を苦しめていた。それをいさめようと現れた弁財天に心を奪われた竜は改心し、彼女の言う事を聞くようになったのだ‥‥と。
「その竜も、今はこの鎌倉のどこかで眠りについているはず。社に竜の眠る場所の位置が残されていたとしたら――」
「――悪魔の本当の目的は、竜、って事に‥‥」
 守国の途切れた言葉をレアが継いだ、その通りであったとするならば。強大な力を持つ竜が目覚めれば、鎌倉だけの話ではなくなる。
『悪魔っていうのはね、魂を欲するのよ』
 サイーラから教わった知識が、郭之丞の中に大きな不安を生んだ。