【鎌倉藩】澱

■シリーズシナリオ


担当:言の羽

対応レベル:11〜lv

難易度:やや難

成功報酬:5 G 84 C

参加人数:7人

サポート参加人数:1人

冒険期間:09月13日〜09月18日

リプレイ公開日:2008年09月30日

●オープニング

 先日の儀式より後、鶴岡八幡宮からは朝も夜もなく楽曲が流れていた。
 ――と表現すれば竜宮上もかくやという宴の日々なのかと思われるかもしれないが、そうでもない。
「違う! そこはもっと強く弾け! 重なる音が多いのに軸となるお前の筝がその音に埋もれちゃ話になんないだろうがっ」
「はっ、はい!」
「お前もだ! 指先の動きへの気遣いが足らん!」
「申し訳ございません、弁財天様!!」
 儀式によって目覚めた、神と呼ばれるまでの精霊、弁財天は、舞や楽曲というものに精通しているらしく、また、自分以外の者にも厳しく当たった。八幡宮で暮らしている神楽奏者と舞い手は、ここのところ疲れすぎて糸が切れたように倒れて眠りに落ちるようになっていた。
 また何か新しい祭でも行なわれるのかと、近所の住人が覗きに来ては、その凄まじさにごくりと唾を飲んでいる。
「‥‥女性のような見た目に反して、ガラが悪すぎやしないか」
「精霊ですからね。性別などは関係ないのでしょう」
 熱い汗のほとばしる光景を、生暖かい眼差しで眺めるのは、八幡宮の主である大伴守国。そして彼の疑問に答える、従者の日乃太。
 日乃太の表情がどことなく満足げなのは、先日久しぶりに恋人と顔をあわせたからかもしれない。それが面白いような面白くないような守国は、とある神社に仕えているという宮侍の話を思い出した。鶴岡にも専属の侍をつけるのも、ありかもしれないなぁと。

 捕縛された盗賊達は、頭領以外は全員が真っ当な道に戻れる心根の者達だった。かといって職がなければ食うにも困ってしまうので、どこかしらの働き口をあてがってやらないといけない。できれば本人の気性や能力に合うものがいいだろう。
「‥‥藩として考えなければならない、重要な問題ですね」
 将来の鎌倉藩主である細谷一康が呟くと、教育係である雉谷長重が御意、と頭を垂れた。
 貧しいが故に身を売らなければならなかったのは彼らだけではない。そしてこれからも。ただ手をこまねいているだけでは解決しない問題であり、自発的に盗賊へと身をやつす者が出てきてもおかしくはない。人材の確保と藩の発展の為にも、早急に対処しなければならない。つまりは、人買いやその後の斡旋を行なっていた大店を潰す必要があるが――
「一度完全に断ち切るには、件の大店を援助している者の摘発と処分が不可欠です」
「仰せの通りにございます、若」
 大店を援助しているのは、鎌倉の重鎮、筆頭家老として他の家老達をまとめる立場にある向野靖春その人。大店の主人を捕らえたとて、向野が内々のうちに処理してしまったのでは意味がない。協力している二人の息子と共に、先に引っ立ててしまう必要があるだろう。
 これまでは、一康の父である現藩主があちらの手にある上に力量不明な吉祥天の妨害にあう事が予想されたので行動に移せずにいた。しかし、吉祥天はもはや向野から離れた。現藩主という手札をなくしては鶴岡を後ろ盾にした一康と対峙するには分が悪く、傀儡のままにしておく為にもこれ以上傷つけはしまい。
 今が絶好の機会。
 だが、一康の顔色からはなかなか曇りが晴れずにいる。
「‥‥藩は少なからず混乱するでしょう。苦しい時期がどれだけ続くかもわかりません。それでも私は実行に移すべきでしょうか?」
 向野が名実共に実力者である事は事実。それを失う事も、失う事による影響も鑑みれば、足が重くなるのも致し方ない事ではある。
「お間違いなされませぬよう。統治者の成すべきは、民の生活を守る事にございます」
 盗賊の頭領から聞き出した向野の屋敷の見取り図――夜間に篝火が設置される位置まで――に目を落としたままの一康に、雉谷ははっきりと告げる。まだ年若い主の進む道に指針を置く事も、教育係としての彼の勤めであるから。

●今回の参加者

 ea0443 瀬戸 喪(26歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea3597 日向 大輝(24歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea7767 虎魔 慶牙(30歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 eb5401 天堂 蒼紫(30歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb5402 加賀美 祐基(30歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 eb5475 宿奈 芳純(36歳・♂・陰陽師・ジャイアント・ジャパン)
 eb9508 小鳥遊 郭之丞(29歳・♀・浪人・人間・ジャパン)

●サポート参加者

神楽 香(ea8104

●リプレイ本文


「江の島、激戦だったみたいだな」
 そんな大事な時に来る事ができなかった、と日向大輝(ea3597)は頭を下げた。彼の前には大伴守国、細谷一康、そして其々の従者達。
「気にするな。私の求めに応じる事はお前の義務ではないし、こうして来てくれただけでも御の字だ。――そうでしょう、一康殿」
「はい。日向殿、今貴方が共に居てくださるだけで、とても心強いです」
 言葉通りにどこか安心したような表情を浮かべる一康に、大輝はなんとなく照れくささを感じる。頼りにされて悪い気はしない。だがその期待に応える為にも、今回の討ち入りは成功させなければならない。
「向野本人とその息子達は捕らえるとして、配下はどうする? 切り捨てていいのか、いけないのか」
「そう‥‥ですね、難しいところではありますが、可能であればやはり捕らえたいです。向野の下についているだけあって有能なはずですし、それに――彼らとて、鎌倉の民ですから」
「わかった。じゃあ得物は木刀にしておく」
 そう言いながらも大輝の視線は雉谷長重のほうへ。隠そうとはしているようだが、雉谷は渋い顔をしていた。
 上に立つ者は、厳しいだけではうまくいかない。優しいだけでもいけない。非常に難しい匙加減を間違えないようにしなければならない。その意味でも、一康にとっての正念場である事は明らかだ。
「少し手合わせでもしないか? 互いの癖を知ってたほうが連携もしやすいからさ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 そのまま立ち上がり、連れ立って庭へ向かう二人。同じ年頃の者の存在は、一康にとってどれだけ大きい事だろう。本当はついていきたいだろうにぐっと堪えている雉谷の様子に、守国はふっと口元を緩ませた。

 座敷牢、と表現すれば最も近いだろうか。薄暗い北向きの部屋はどことなく湿っぽく、重い空気で包まれている。
 猿轡をされ、両手両足を縛られたかつての盗賊頭領は、黴臭い畳の上へ無造作に転がされていた。
「守国殿が指示をしたのか?」
「最初は手を縛っていただけみたいですよ。でも手癖だけでなく足癖も口も悪いので、こうせざるを得なかったとか」
 片眉を歪ませる小鳥遊郭之丞(eb9508)に、瀬戸喪(ea0443)が日乃太から聞いたという話を伝える。
「そうか‥‥」
 嘆息するのも無理はない。郭之丞は頭領に、更正の意思があるのかないのかを尋ねようとしていたからだ。多少なりともその意思があるのなら、真っ当な職に就くまで自分の家に寝泊りさせ、貯え頼りになるだろうが食事も面倒を見て、女同士で気兼ねなく暮らしていこう、暮らしていける、と。
 だが、それは無理なのだろうか。宿奈芳純(eb5475)によって猿轡をはずされた頭領に名を問うと、大きな声で品なく笑い始めた。
「何がおかしい」
「あたしに名前なんかないからさ。売り飛ばされる為に生まれたモノに、名前つける奴なんていないだろ?」
 顔を強張らせた郭之丞に、笑い声はますます大きくなった。
「あの狸商人も向野も同じさ。『おい』とか『お前』とか、それだけで事足りるしねぇ」
 悲観や自虐から出てきている言葉ではない。それが彼女にとっての普通なのだ。
 郭之丞は何言かをかけようとしたが、それより早く、喪の手が頭領の口を塞いだ。
「素直に答えてくれるのであればかまいません。が、すぐに聞き出せないのなら時間が惜しいので、いりません。それとも拷問します?」
 得意ではあるが、やって楽しい相手にしかしたくない――彼の性格をうかがわせる言葉と共に、喪の視線は郭之丞へ、次いで芳純へと向けられる。喪の表情は笑みではある。だが二人とも、彼の真意を察せられないほどではない。
「宿奈殿、よろしく頼む‥‥」
 自身の内に生じる思いを押し留めて下がる郭之丞と交代で、芳純が前に出る。そのすれ違いざまに、聞き出してほしい事を短く囁いて伝える。
 喪も頭領から一歩退いた。頭領は頭を軽く振り、顔にかかる髪を払った。

「よう」
 熱い訓練の繰り広げられる庭に虎魔慶牙(ea7767)が訪れて、弁財天は息の上がっている弟子達に暫しの休憩を告げた。
「先程から少し見させてもらっていたが、見目麗しきなれどその豪快ぶり、傾いてるねぇ。俺ぁそういう奴ぁ大好きだぜぇ」
 移動した先、池のほとりに佇みながら、日陰におらずとも以前ほど眩しさを感じない事に気がつく。既に夏は終わり、実りの季節であると同時に冬への準備を整えなければならない秋に来ている。
「気の向くままに動いてるだけに過ぎんさ。川が高きより低きへ、海が引いては寄せるようにな。さもなくば水は澱んじまう」
「ほぅ、そうかそうか」
 頷きながら、慶牙は己の顎を撫でた。気の向くままというが、その「気」がどんなものなのか、興味を引かれているのかもしれない。
「ところで、弁財天。真名は何というのかね?」
「真名?」
「ああ。弁財天というのはいわゆる通り名、まさかそれが名である事もあるまい」
 にやりと口角を持ち上げた慶牙と、指先で池の水をすくった弁財天の、視線が交錯する。
 水が指先から垂れて池へと戻り、水面に広がった波紋が消えても、その余韻はまだしばらく残っていた。
「‥‥あんま意識した事はないな。ヒトは神と呼ぶが、この身はあくまでも、水の属性を持つ存在ってだけだ」
 話しながらも彼女は慶牙に背を向け、すたすたと歩いて戻っていく。慶賀もあわてる事なくその後についていく。
「そんなものなのかねぇ」
「それに真の名なんてやばいモンがあったとして、おいそれと教えるかってんだ」
「確かに」
 互いに喰えない相手と感じたか。だがそう感じる相手を面白いと思う事が、彼らの共通点であるようだった。

 その日のその後、弁財天の機嫌はすこぶる良かった。これ幸いと大輝が質問をぶつけてみたところ、五頭竜の復活が示すものは「破壊」だそうだ。巨体、首ごとに異なる竜の息、魔法。性根は温厚ではあるが、ひとたび心を乱せば無慈悲に力を振りかざすのだという。
 ではどうすれば復活を防ぐ事ができるのか、という問いには、かんばしくない答が返ってきた。大きな力を抑えている故に強力な封印ではあるが、逆にかなめを突かれれば脆い。そしてそのかなめの位置は吉祥天の知るところとなっている。
 弁財天もその位置を知っているが、十分な準備もなく赴けば、吉祥天と彼女に従う者達と戦って勝利できるかどうか。
「まあ、あいつを目覚めさせたところで言う事を聞かせる当てがないだろうな。何らかの手は打ってくるだろうが、時間は稼げる」
 甚大になるだろう被害を少しでも小さくするには、役人達の力も借りるべきだろう。その為にも、藩の実権を向野から取り戻さなくてはならない。
 此度の討ち入りを成功させねばならない。


 向野の屋敷が一望できる場所といっても、城すらない鎌倉では近所の建物の屋根くらいだ。屋根の上に障害物はないからムーンシャドウに必要な影もできない。結局鶴岡の社務所に上り、数種の魔法を駆使して向野の屋敷という建物ひとつを透視したものの――熱源の数と位置はともかく、どれが誰かはどうにも判断がつかない。群れているのが怪しいが、奥方や娘とその侍女達の可能性もある。
 屋根から下りて未記入の巻物を広げる。潜入経験のある者から得られた一部見取り図に、頭領から聞いた篝火や裏口の位置、芳純が確認した熱源の大体の位置を合わせていく。
 地図と呼べるほどのものができればよかったのだが、屋敷そのものを透視したのでは構造の把握はできず、壁一枚ずつ透視してというのでは時間と魔力がいくらあっても足りない。魔法というものは便利ではあるが、全能ではない。その事を芳純は改めて思い知った。頭領から話を聞きだす時もかなりの手間だったのだ、対象の記憶を読み取る魔法であるリシーブメモリーを、思考を読み取るものとして使用するつもりだったから。
 それでも、完全でないとはいえ情報や地図が手に入った。全員がそれらを頭に叩き込み、動き方を再確認する。

 警戒していたとはいえ、そう来るとは予想だにしていなかったのだろう。慌てふためく門番達。彼らを目にして実に楽しそうに、慶牙は背後の郭之丞に手綱を任せ、これが祭の始まりの合図だと長く鋭い黒刃を振るう。けたたましい音が夜の向野邸に響いた。分厚く頑丈な扉に穴を開ける事はできなかったが、閂の留め具の設置部は衝撃に耐えられなかったようだ。
 僅かでも隙間ができれば、それ即ち突破口となりうる。戦用に訓練された馬ごと突撃し、慶牙と郭之丞は邸内への侵入を果たす。すぐさま門番の一人が呼笛を吹き、刀を抜く。突撃の勢いが殺しきれない馬は急には止まれず、体勢の不安定なその脚に切りかかろうとする者もいたが、続いて侵入してきた加賀美祐基(eb5402)によって阻まれた。
「すまんなぁ、加賀美」
「礼はいらないよ。剣の腕も前回よりは上達したんだ、二人の背中を守るくらいやってみせるさ」
 駆けつけてきた者達によって既に囲まれつつある。しかし彼らに意気消沈する様子はない。自分達のほうに人が集まれば集まるほど、本命が動きやすくなるのだから。
「俺、お嬢さんと約束したんだ。お父上も助ける、って。だから無傷で保護して、ちゃーんと一康殿の前に連れてって、己の所業を反省してもらわなきゃならないんだ」
「ふむ、約束は果たさねばならんな。‥‥私も此処で命を散らすつもりは無い。まだ吉祥天も残っている故な」
 じりじりと狭まる包囲網に切っ先を向けて牽制する祐基の背後で、郭之丞は馬から飛び降り刀を抜いた。
 直後、包囲網の外側で悲鳴が上がった。
「くっくっ‥‥靭もいい仕事をするもんだ」
 クナイをくわえた忍犬によるものだろう。魔法の指輪を用い、弓兵を攻撃するように慶牙が命じたのだ。
「まずは道作りだ。小鳥遊、加賀美、派手に行くぜぇ!」
 叫ぶ慶牙に身構える向野の臣下達。だが次の瞬間には、慶牙の体から膨れ上がるように放たれた闘気が彼らを襲った。さすがと言うべきか多くの者が耐えて威力を軽減させているようではあるが、駆け寄っていた郭之丞の一撃で包囲網は乱れ、彼女の死角を補うように動いた祐基の一撃では一人の刀が二つに折れた。
 目指すは屋敷の主、向野靖春の私室。恐らく奥にあるだろうその部屋への道を開こうと、三者三様に刀を振るい、前へ進んでいく。

 正門側の動きはとても騒々しく、裏口にいても難なく聞こえてきた。
「囲まれているそうです」
 思念での会話を行なっていた芳純が、その内容を他の者に告げる。
「俺達も動こう」
 そう言って疾走の術を発動させる天堂蒼紫(eb5401)の脇には、気絶させた見張りが数人、転がっている。一康は申し訳なさそうにしたが、その肩に大輝の手が乗せられる。
「今は気にしたらダメだ」
「しかし‥‥」
「そうそう、悪いのは頭である向野ですからね、そちらをどうにかしなければ。気にしてると隙ができますよ」
 喪の言う事ももっともだ、隙は危険を呼び込む。一康は今一度、唇を噛み締めた。
 扉の軋む音。塀を飛び越えた蒼紫と兵の向こう側の陰に移動した芳純によって、扉は開かれた。背中を丸めて小さな勝手口を通過した後は、壁伝いに移動を開始する。こちらも目指しているのは向野靖春の私室だ。
 唐突に、先頭を行く蒼紫と喪の足が止まった。突然部屋を出てきた侍女と目が合ったのだ。恐慌状態にある侍女は叫び、蒼紫が気絶させるも間に合わずすぐに刀を携えた男達がやってきた。
「正面からやりあうなど俺の趣味じゃないが‥‥まあいい、面倒だがやってやる」
「こちらは僕達で対処しますので進んでいてください」
 蒼紫と喪で道を塞ぐ一方で、一康と雉谷を連れた大輝と芳純は先を急ぐ。
「‥‥っこの!」
 別方向からやってきた者達と鉢合わせるも、一人は芳純が即座に発動させた魔法によって眠りに落ちた。残りは大輝と雉谷が壁となり狭い廊下ながら、突きなどで対処する。
 不殺の為には仕方ないとはいえ、あまり時間をかけるわけにもいかない。大輝がまるで金属のような木刀を握る手に力を込めた。一歩踏み込んだかと思うと、得物の重みを乗せるように目の前の男へ突き下ろした。男は受け止めるも堪えきれずに腕を痛め、これにかっとなって斬りかかってきた者達へはまた魔法が飛び、あるいは大輝が踏み出した分の隙間を埋める一康と雉谷が鞘で打って膝を折らせた。
「あちらももう少しのようですね。陽動のおかげで、こちらが相手をしなければならない数が減っているのはよかったです」
 ひと段落したところで、芳純はソルフの実を口に放り込んだ。
「息子は?」
 フレイムエリベイションを唱え終えた大輝の横に、同じく片付け終えた蒼紫と祐基が追いつき並んだ。
「どうやら弟が指揮を。兄のほうは恐らく‥‥」
 父と共に在るのだろう。
 皆が一康を見た。しっかりと頷いた彼に、一同は先を急いだ。

「父上‥‥我らは間違ってなどいない。そうですよね?」
 立ちすくんだまま答を求める長男とは対照的に、向野靖春は座して書物をめくっていた。
「抱いた信念に間違いも正解もない。あるとすれば――協力を請うた相手か」
 落ち着いた様子で、まためくる。
 障子が左右に開いた。右に大輝。左に雉谷。中央に一康。
「間違っていないというのですか。父を操り、私を貶め、そして民が危険に晒されようというのに」
「この鎌倉は強くならねばならんのですよ、一康様」
 他方の障子が内側に向かって倒れた。転がる男達。転がしたのは蒼紫と喪だ。
「貴様の主義主張などどうでもいい。言いたいことがあるなら裁きの場で好きなだけ語れっ」
 術の効果はまだ切れていない。飛ぶように近づいた蒼紫だったが、その拳を受けたのは息子だった。すかさずもう一撃打ち込めば、重心をずらしてかわした後に斬り返してくる。蒼紫は鼻を鳴らして身を反らせる。その時にはもう喪が肉薄していて、今度は避けきれなかった息子の腹に峰がめり込む‥‥しかし、倒れない。
 短い鍔鳴りの音。向野の居合いと気付いた雉谷は、一康をかばってその身で刀身を受け止めた。赤いものが吹き出て壁を汚した。
「雉谷!」
 一康の顔色が変わった。刀を鞘ごと振りかざせば、挟撃の位置に動いていた大輝も振りかざした。稼動範囲の狭まった向野に二人への対処は仕切れず、骨の折れる嫌な音と共に崩れた。
 父の異変を視界の端で捉えた息子は動揺したが、その隙を芳純の魔法による眠気が襲う。ぐらりと傾ぐ体に、蒼紫と喪の攻撃が埋まった。

 その頃。もはや倒す相手のいなくなった庭で、慶牙は肩をすくめ、女性を介抱する郭之丞を眺めていた。気を失う前に女性が発した言葉に、祐基の拳が震えている。
 彼女はこう言っていた。――‥‥お嬢様がさらわれた。