【アスタリアの竜神】攻落
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■シリーズシナリオ
担当:紅白達磨
対応レベル:8〜14lv
難易度:難しい
成功報酬:4 G 15 C
参加人数:8人
サポート参加人数:2人
冒険期間:03月22日〜03月27日
リプレイ公開日:2009年03月30日
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●オープニング
アスタリア山脈には、竜の巣と呼ばれる場所がある。獰猛かつ人間をも勝る知識と永遠に近い命を持つ畏怖の存在たちが巣食う場所だ。
その異変に気づいたものは一人もいなかった。冒険者たちだけではなく、リュブリャナの戦士たちでさえ気づくことはなかった。餌を狩り、体内に潜む食欲を満たせば巣穴で眠る竜たち。その姿が数ヶ月前から一匹、また一匹と消え始めていたのである。
頂で深い眠りに突く巨大な竜がいる。山岳民リュブリャナからガリュナと呼ばれるこのドラゴンの正体は、かのレインボードラゴンに次ぐ竜種、グラビティードラゴン。輝く鱗は鋼鉄の如く、呼吸に合わせ、はち切れんばかりに膨れ上がる四肢の肉と先端の爪は人型兵器ゴーレムの装甲すら紙切れの如く引き裂く力を秘めている。黒と緑の中間色から茶色へと、光の加減で移り変わる鱗の色彩は崇高な魂を映し出したかのようである。
竜は体内に渦巻く怒りを静めようと眠り続ける。人と同等の知識を持つこの竜は争いを好まない。深遠な知識の奥には平穏を愛する気性があり、自らの吐き出す咆哮と激情が周辺の生物にどんな影響を与えるかを知っているからだ。
生きてきた時の長さなどとうに忘れてしまっている。その中で生まれた現象は数知れず。記憶に刻まれているものはほとんどない。網膜に焼きついている光景は、一人の少女と白色の花。平穏とともにある孤独の世界に、一時の温もりを感じることが出来た時間は、人の心を解せない竜にとっても確かに意味のあるものであった。
(―――――――)
霧の如く地面から溢れ出でた小さな靄が大地を埋め尽くしている。唯一の安らぎであり、貴い記憶の欠片が失われていく光景は、永い自制の眠りから目覚めたばかりの竜神を刺激するには十分過ぎるものであった。
(―――――――よ――)
竜神の儚い願いにも、紫の靄は止まらない。嘲笑うかのように広がっていたそれは雪を削り、下に眠っていた白色の花々を食い尽くしていく。
鼓動が高まっていくのがわかる。
もうとまらない。
争いを望まない気性の奥に眠っていた竜としての荒れ狂う本能が、怒りの吐き出し所を求めて頭に訴えかけてくる。
怒れ、そして破壊せよと。
「―――――――――――――――――――――――――!!!!」
大地が、震撼した。
「状況を確認しろ! リュブリャナ側との連絡はまだ取れぬのか!?」
西方都市メラートは大恐慌に見舞われていた。
夜中に突如発生した地震。それと共に降り注いできた雷のような咆哮。地震が単発で規模もそこまでなかったことから、街に甚大な被害は起きていなかったが、降り注いできた声の波、竜神の怒りは人の恐怖を呼び起こしていたのだった。
至高の存在が放った咆哮はそれほどまでにすさまじいものだった。魂を直接打ちのめされたような感覚は、戦場を何度も経験してきたアナトリアでさえ思わず気を失いそうになったほどだった。地震よりも突如襲ってきた竜の咆哮によってパニックに陥った人々が街のあちこちで騒ぎ始めている。事態を聞きつけた西方騎馬隊のおかげで何とか沈静化しつつあるものの、いつ暴動に発展するかもわからない。
すでに何度も聞いてきた唸り声だ。夜中のあれがガリュナのものであることは瞬時に理解できた。竜の巣で何か異変が起きたに違いないと判断したアナトリアはリュブリャナ側へと急遽使者を送ったのだが、未だ何の連絡も入っていない。
慌しく部屋に駆け込んできたのは、送ったはずの使者である騎士だった。
「も、申し上げます! 山脈内の山道がさきほどの地震によって分断され、内部に入ることが出来ません!」
「‥‥っ」
「それだけではありません。ガリュナの咆哮によって混乱した魔物たちが山脈中からあふれ出て我が領内を侵しております。各地方から至急援軍を求めるとの急使がやっておきており‥‥」
両肘をついたまま、アナトリアの眉間に深い皺が刻まれた。
先ほどの地震とガリュナの異常な咆哮。
考えられる結論は一つしかない。
「‥‥暴走、したか」
「いや、まだだ」
声は部屋の入り口から。入ってきた男は騎士とも街のものとも違う、粗暴なものだ。
「‥‥アアザムか。どうしてお前がここにいる?」
「話は後だ。すぐに集落へお前らの船を回してくれ」
「船? フロートシップのことか?」
「先ほどのガリュナ様のお怒りによって、山脈のあちこちで雪崩や地割れが起きている。我々の集落でも巨大な地割れが起き、すでに多くの者たちが飲み込まれた。原因は不明だが、このままではガリュナ様を本当に止められなくなる」
アナトリアは言葉に詰まった。そうしたいのは山々だが、フロートシップはおいそれと簡単に動かせるものではない。それに街がこのような状況では下手に動くことも出来るわけがない。
机が大きく揺れた。アアザムの巨大な手が木製の表面を凹ませる勢いで、机に叩き付けられていた。制止しようと詰め寄った騎士たちも、アアザムの凄まじい殺気にしり込みしてしまう。
「よく聞け。今でなければ全ては遅い。まだガリュナ様は完全に我を失っておられない。まだ間に合う。ガリュナ様が完全に暴走すれば、この程度では済まない」
アアザムの言葉に、安心と冷や汗が半分ずつ。さきほどの地震で、まだ完全ではないというのか。
「まだ、竜は完全に暴走していないというのか?」
「そうだ。ガリュナ様の怒りは大地の怒り。暴走したら最後、誰にも止められない。咆哮は大地を震撼させ、人間は恐怖に耐え切らず暴徒と化す。先ほどの地震はまだ序の口だ。ガリュナ様が本気になれば、お前たちの住むこの平野全てが崩壊する」
「‥‥先ほどの数倍の地震が起きると?」
静かに頷いたアアザムの表情は必死そのものだった。リュブリャナの集落はガリュナの眠る頂上に近い場所にある。先ほどの影響をまともに受けたに違いない。本来なら集落で仲間たちの救助を行いたいのだろうが、山脈が崩壊した今、自分たちだけで山脈から脱出する手段がない。この男は苦渋の決断をしてここに救いを求めにやってきたのだと、その目が語っていた。
「‥‥すぐにでもフロートシップと救助隊を派遣しよう。暴走しつつある竜を止める手段は‥‥」
「族長の命令を受けた戦士たちが指示されたものを取りにいったが、異変に巻き込まれたのかまだ戻ってきていない。最悪そちらだけでも回収してくれ」
「‥‥‥‥承知した。メラートにあるフロートシップを全て回す。領民の避難が完了次第、私も山脈へ向かおう。お前は冒険者たちと共に集落に向かうといい」
「‥‥助かる」
俯くアアザムの肩に、アナトリアの分厚い手が添えられた。
何の因果か、もう長い付き合いになる二人だ。アアザムという男が情に厚いものであること、族長と正面から衝突こそすれ村を愛していること。誰よりも誇り高い男だから、本来なら今回の件も自分たちだけで解決したかったのだろうが、それが出来ない歯痒さ。それが痛いくらいに伝わってくる。
「工房と冒険者ギルドに使者を飛ばせ! 我ら騎馬隊も一刻後領内に侵入した魔物どもを一掃するため出陣する!」
●リプレイ本文
●竜の怒り
「これが‥‥竜の力‥‥」
身震いするような緊張に、ファング・ダイモス(ea7482)の声が震えた。
艦の甲板に吹き荒れるのは荒々しい肌を削ぎ落とすような強風。風圧ではなく、大気が恐怖に震えている。一帯に満ちる精霊が、強大な何かに当てられて悲鳴を上げ狂い始めているのがわかる。
ルームに所属する東方艦隊と共に竜の巣入り口に急行している冒険者一同だが、眼下に広がる壮絶な天変地異の光景に言葉を失っていた。大地が割れ、山のあちこちが陥没し、これまで会った場所にあったはずの森林が姿を消している。大地に飲み込まれたか、土砂に押しつぶされたか、何にせよ人の力では不可能な現象である。山道が分断されたと聞いていたが、これはそんなレベルではない。山脈中の地形がこれまでの形跡をほとんど残すことなく崩壊している。竜の巣に到着すれば、その規模は更に増していた。視界の果てまで伸びる影色のジグザグの線は大地の亀裂。入り口の象徴でもあった絶壁が真っ二つに割れて倒壊している。
畏怖すら覚える光景に身体を奮い立たせ、冒険者たちが艦隊所属のグライダー12騎より先行して艦から飛び出した。空に展開するグリフォンとグライダーの影も崩壊した大地には届かない。
「ったく、とんでもねぇことになっちまったな」
「俺が集落を出た時には、すでに村の半分近くが地割れに飲み込まれていた。あれからかなりの時間が経過している。山脈の崩壊もかなり進行してしまっている」
巴渓(ea0167)に言葉を返したアアザムの顔が酷く歪んだ。その心境は口に出さずとも理解できた。
囮として行動するもの、集落の人命救助に当たるもの、山脈で立ち往生している戦士たちを助けに行くもの、大体三つの班に分かれて行動するようになっている‥‥ように思われる。冒険者たちの行動の中にかみ合っていない部分がやや見られるが、果たして‥‥。
「この竜の咆哮、唯の怒りだけでなく‥‥急ごう。今は為すべきことを為す時だ」
「これは試練ではありません。『やり遂げねばならない』事です」
騎獣に跨ったグラン・バク(ea5229)と導蛍石(eb9949)が加速を命じると、それに導かれるように十数の飛行物が空を駆け出した。
●畏怖
集落の崩壊は半分どころではなかった。
四方から聞こえる阿鼻叫喚の悲鳴。地割れに呑まれた子を、親を助けようと試みる者たちも自然の圧倒的な力の前になすすべもなく犠牲になっていく。近隣の山が崩れたことで下ってきた土砂が村を押しつぶし、逃げ場を求める人々が走り回るものの、山脈の真ん中で完全に孤立してしまった村にそんな所はない。
フロートシップでは村の高度までは来ることが出来ないため、グライダーや騎獣で一人ずつ艦まで運ばなければならない。ベアトリーセ・メーベルト(ec1201)や導が必死に声を張り上げ、比較的安全な岩の陰に村人を誘導していくも、それが一時しのぎであることは誰の目にも明白だった。
もう何度目かの地震が大地に足を下ろす者たちに襲い掛かった。途端にあちこち悲鳴が上がり、村の反対側の地面が大地の底に呑み込まれて消えるのがはっきりと目に映った。
「族長様、伝承に必要なものとは白い花なのですか?」
「伝承なら普通の幼女が取りに行ける場所ですよね? 大まかな予測はできます」
「‥‥否だ。確かにあれはガリュナ様と伝承の娘との思い出の品。だが、ガリュナ様を鎮めるために必要なものはもう一つ‥‥」
言葉が切れ、目が向かったのは視界の果てに並び立った峰の上。遠くからでも間違えようがない。大地の化身、グラビティードラゴンが徐々にこちらへと向かってきている。
「も、もうだめだぁ!」
「ガリュナ様、お静まりください!」
「落ち着いて! 一人ずつ指示に従ってグライダーか騎獣に乗り込んでください!」
ベアトリーセと導の指示も、竜という絶対的な存在を目のあたりにして恐慌状態に陥った村人たちには届かなかった。現行のフロートシップでは集落の高度まで来ることは難しく、必然的にグライダー等で一人ずつ送り届けることになる。空の往復のため入り口まではそう時間が掛からないから、村が完全に呑み込まれるまでにはかなりの余裕があった。‥‥だがそれも村人たちが正常な状態での話しである。
たちまち竜の方向へと5つの影が空を翔けた。巴、ファング、クライフ・デニーロ(ea2606)、レインフォルス・フォルナード(ea7641)、晃塁郁(ec4371)。この5人が竜を引き付ける囮として行動を開始する。
5人の活躍を目にして村人たちが何とか正気を取り戻しつつあるのを見て、ベアトリーセは一人救助活動を再開した。導とグランは立ち往生している戦士たちの救出に向かったので既に姿はない。
「‥‥お願い、持ちこたえて」
囮班が倒れれば、村人たちが再びパニックに陥るのは確実。竜が暴れることで雪が吹き飛び、その足元に白い花が出現している。本来ならそれを拾いに行きたいところだが、現状ではそんな余裕はない。懸命の救助活動を繰り返すベアトリーセには、少しでも囮班が時間を稼いでくれるよう、祈ることしかできなかった。
●操るモノ
不気味に唸る風の音が耳元で鳴り響く。竜神の怒りによって崩壊した山脈から与えられる感情は哀れや同情のような生ぬるいものではなかった。罅割れ、下層が隆起して大木が軒並み圧し折れ転がっている。人でいうならば内臓をさらけ出したその状態は、竜の試練として活用される場所では一層規模を増していた。
それらの光景に背筋の凍る思いを抱いたまま、導とグランは雪原にまでやってきていた。グランのペットであるドラゴン「すえぞう」に戦士たちの臭いを覚えさせた柴犬「津吹」を乗せ追跡させるという方法を取っていたのだが、どうやらそれによれば戦士たちはここにいるらしい。
「秘密の花園か‥‥」
皮肉なことに、天変地異によって雪が捲れたことでその下に眠っていた白い花たちが姿を現していた。二人に気づいた戦士たちが声を上げ、グランがすぐさま着陸して被害状況を確認する。戦士たちの手に幾束の花が握られているが、どうにも周辺に咲いている花とは形状が異なる。別の場所から摘んできたものということだろうか。
(‥‥?)
吹きすさぶ風に、導は嫌な汗を覚えていた。デティクトアンデッドに反応はないが、何かが、何とも言えない嫌悪感が心の奥でくすぶり始めている。
グランが負傷者を運ぼうと空飛ぶ絨毯を広げた瞬間、それは突如姿を出現した。
真っ白な雪に覆われた雪原のあちこちから紫色の霧のものが噴出した。状況が掴めない二人が混乱する間にも、それらは地上にいるグランたちを包囲していく。クライフとベアトリーセがこの場にいたならば、二人は驚愕したことだろう。彼らだけはその存在を知っていた。飛散する紫色の気体、雪を溶かし、下に潜む花々を一つ残らず枯死させてしまう。生き物の自由を奪い、少しでも吸おうものならそれが持つ猛毒性で死に至ってしまう。その存在の名は、瘴気。
完全に呑み込まれてしまったグランと戦士たちを、導は為す術も見ていることしか出来なかった。瘴気とは分からずとも霧状の何かが居ることも理解できていたはずだ。だがそれに対して何も対応策が練れていない現状では、ただ傍観することしか出来なかったのだ。
漸くデティクトアンデッドの端に、カオスの魔物らしき存在を感じて目を向ければ、そこには黒いローブを身に纏った老人の姿が見えた。
「まさか‥‥罠!?」
戦士たちを餌として誘き寄せることが目的だと、漸く気づいた頃には遅かった。完全に瘴気に呑み込まれてしまったグランたちは紫の霧の中に埋もれてしまって姿を確認することが出来ない。
老人が手を上げれば、それに従うように瘴気が導目掛けて登ってくる。
瘴気を操っているがあの老人であることはほぼ間違いない。あれを倒せばグランたちを助けることも出来るかもしれないが、自分一人では逃げるので精一杯。これ以上どうすることも出来ないことを分からないほど愚かな導ではない。
この危機を他の仲間たちに教えるべく、導は集落へとペガサスを走らせた。
●怒れる竜神
集落で懸命の救助活動が為される一方で、囮班もまた命がけで竜を引き付けていた。
幸運なことに竜の飛行速度はグライダーに劣っていた。ファングがフライングブルームの最高速度を出せば、振り切れないほどではない。毛布で気を逸らし、グライダーの後部座席に乗った巴が大声で注意を引く。それぞれが行動する中でも、クライフの活躍は目を見張るものがあった。竜が地面に降りるのを待ち、クリエイトウォーターとウォーターコントロールで竜の足を封じてしまう。何分も止めることは出来ないが、数秒の足止めをするには十分な行動だった。
クライフの放った雷が竜の頭上を通過する。避けられたのではなく、外したのだ。竜を引き付けることが目的であり、傷つけることは本意ではない。
囮としての役目は比較的順調進んでいるように見えた。決して連携した動きではないものの、各自の練った行動と能力は辛うじて竜を牽制することに成功していた。ファングの超越的な能力が時折現れる危機を救っていたのも大きい。
竜とはいえ、熟練の冒険者たち5人が牽制を行っているのだ。このまま囮は成功し、集落に取り残された村人たちの救出も無事に完了するかに見えた。
「‥‥‥‥!?」
晃のデティクトアンデッドに初めて何かが反応した。それを周囲に伝えるよりも早く、山の向こうから津波のように広がってきたのは、瘴気の波。
途端に沸き起こる村人たちの悲鳴。その中でベアトリーセが絶望の表情を浮かべていた。
「‥‥どうしてこんなところに!?」
それはクライフも同様。規模がそこまでないことからカオスの地を横断しているものとは別のものと推測できるが、それでもあの脅威は変わらない。
しかし、そんな混乱も一瞬のうちに掻き消えてしまうことになる。
仲間たちを襲ったのは、凄まじい畏怖。
「――――――――――――――――――――――――!!!!!」
それは咆哮。これまで冒険者たちに怒りをぶつけることで何とか正気を保とうとしたガリュナだったが、瘴気に触れられたことで理性の箍が完全に外れてしまう。
それは別の言い方をするならば、まさしく竜の逆鱗に触れた瞬間。
竜は少しも臆することはなかった。あらゆる生命体を腐食させてしまう瘴気に身体を覆われながらも、まるで微風の如く。大地にしっかりと根を下ろした竜が、突如その口を開けた。
「グゥォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
全てを吹き飛ばすように、目の前に存在するあらゆる存在を拒絶するように、口内から放たれたのは巨大な重力のブレス。大地を抉り、岩を砕き、愛しい花々を守っていた雪たちさえも無慈悲に吹き飛ばした衝撃波はその前方にあった全てを破壊していった。
「――――――っ」
冒険者たちは全員、言葉を失っていた。失わざるを得なかった。
山が、なかった。竜のブレスが放たれた方向には何も残されていなかった。凄まじい重力の波は竜の寝床であった峰ごと一つの山を消滅させ、瘴気さえも跡形もなく吹き飛ばしていた。
ガリュナは争いを好まない。自らが暴走することを拒否していた。そのために冒険者たちを怒りの捌け口としていたのだ。言い換えるならば手加減したということ。だが今この瞬間、竜の力が完全に解放されてしまった。
黒い真珠のような瞳が敵意と共に、空に待機する冒険者たちに向けられた。口元から淡く漏れ出す白い吐息は凶暴な竜としての本能が解き放たれた証。
大地にへばり付く巨大な竜。全身は30m近く。抉られた大地の傷跡を背景に、規則的に唸る獰猛な息は知性など欠片もない獣と等しい。
「―――――――――――――――――――!!!!」
咆哮という名の音圧が、地上物全てを打ちのめした。一瞬の束縛と大地の震動。揺り動かされた山々から土砂が降り注ぎ、集落が再び土砂に見舞われてしまう。
真っ先に狙われたのは巴だった。竜はこれまで通り飛翔して距離を詰めてくるのかと思いきや、大地にへばり付いたままだった。
竜が淡い光に包まれたかと思うと、巴の身体があらぬ方向に引きずられてしまう。
「‥‥なん、だぁ!?」
意識した時にはグライダーごと地面に叩きつけられ、あまりの衝撃に息がつまってしまう。
漸くグライダーから抜け出て顔を上げれば、目に映ったのは大口を開ける竜の姿。
「―――――――――――――――――――!!!!」
重力のブレスに巴が飲み込まれ、集落にいたベアトリーセもその存在にようやく気づいた。迫ってくる重力の波が肌で感じられる。最早避けられないことを悟った彼女は、親を失い泣き叫んでいた子供を庇うように背中を向けて、
怒れる竜神は自らを信仰する集落を跡形もなく吹き飛ばしたのだった。
大地の根こそぎ抉り取るような爪の一撃が空を切る。何とか攻撃を回避していくファングだが、そう何度も避けきれるものではない。他の三人が援護に回ろうとすると、その真下から紫の霧、瘴気が噴出した。
辛うじて避けきれたのはクライフのみ。飲み込まれたレインフォルスと晃はそのまま地面へと落下した。
巧みに回避していたファングを襲った突然異変。地面に落ち、激痛に耐えながら再び空に上がろうとしたところで悟る。下半身が石となってしまっている。竜が唱えた魔法、ストーンだった。
石の身体では立ち上がることさえも困難。手立てを考えつく間もなく、目の前に降り立った巨大な姿は竜。
鋼をも切り裂く爪が石になるのを待つこともなく、ファングの身体を両断した。
「族長様、早くこちらへ!!」
戻ってきた導が集落の端で静かに腰を下ろしていた族長へと手を伸ばした。
「族長!」
「わしはよい。他の幼子たちを連れてゆけ。その騎獣では多くは乗れぬ」
「しかし‥‥!」
「ガリュナ様の本当の名を呼ぶのだ。さすれば、ガリュナ様は必ず正気に戻られる」
死ぬ間際までも冷静な趣を失わなかったのは族長としての誇りであろう。鳴り響いた竜神の彷徨に呼応して大きく裂けた大地が集落を完全に飲み込み、それに追従するように族長もまた大地の底へと消えた。
何とか生き残った導とクライフは、アアザムと共にフロートシップに帰還した。助けきれたリュブリャナの者たちはわずか100名足らず。多くの者たちが大地に呑まれ、あるものは瘴気に、あるものは信仰する竜に食われて息絶えた。東方艦隊に所属するグライダー部隊もその半数の墜落が確認されている。
絶望感に打ちひしがれる二人の耳に届いたのは、山脈に木霊する竜神の咆哮。
未だ鳴り響く竜の怒りは、これから始まるであろうスコット領の悲劇の幕開けを告げていた。