●リプレイ本文
「映さん、小町さん、そして皆さんお久しぶりです」
穏やかに笑みを刷いた橘由良(ea1883)が面目なさ気に首を傾けると「元気そうだな」と以前と変わらぬ心安い言葉が返ってくる。
「皆さんもお元気そうで‥‥それにしましても、暫くお会いしない間に小町さんも変わられたような‥‥きっと、皆さんから良いところを吸収されたんでしょうね」
「良いところ‥‥。はて、その様な有るやも無いやも知れぬ珍奇なものを身に受けたとすれば、富籤に当たったような、病に罹ったような、どちらにせよ複雑じゃのぅ」
由良を一瞥して目を眇め、扇を開いた婆はほくほくと笑う。
「ほれ、いつまで経っても行けぬわ。主ら早う着替えぬか」
「小町さん〜私、着飾る衣装がないです〜。何か借りられませんか〜?」
眉尻を下げた槙原愛(ea6158)の相変わらずのゆったりした言葉を聞き終えぬうちに婆はひょいと視線を上げて部屋を見渡した。
睨(ね)めつける婆の視線の先では、着替える様子の無い者達が数名、茶を啜り和んでいる。
「何じゃ、お主ら‥‥それが一張羅か?」
「いえいえ、小町ちゃん、聞いて下さいな。これには荒川の流れよりも激しく深い事情ってものがあってですね‥‥」
小町の顔の前でわたわたと手を振る林雪紫(ea6393)の頭に、小気味の良い音を伴って扇が降り落とされる。
「皆まで言わずとも良いわ。火事じゃ!」
「いたたっ‥‥小町ちゃん、そんな鬼の首を取ったかのように‥‥」
目を潤ませて頭をさする雪紫が恨みがましく紡ぐのには耳を傾けず、婆は無言のまま扇を開いたり閉じたりを繰り返す。据えられた視線が門人達に突き刺さる。
「‥‥何よ? 着飾れと言われても私はこれしか持ってないのよ‥‥興味ないし。無地で飾り気はないけど、私に一番しっくりくる色でしょ? ほら、花みたいで」
やがて沈黙の圧に耐えかねた佐上瑞紀(ea2001)が渋々口を開いた。
彼女の全身を覆っている深い紅を改めて眺めた仲間らは、
「‥‥花と言うか〜」
「血‥‥」
「血ですね」
「本当に血染めだったりして」
「わあ、それ冗談になってませんよ☆」
揃って同じ感想を抱いたようだが、ゆっくりと首を巡らせた瑞紀の黒の瞳に捉えられると、或る者は視線を泳がせ首を掻き、或る者は慌てて茶に視線を落とし、或る者は畳を跳ね上げて身を隠し、一様に口をつぐむ。
「何か聞こえたようだけど?」
「姐さん、それは空耳ですよ」
表情を変えず、しれっと言ってのけた静月千歳(ea0063)も普段と同じ、黒地に紅い曼珠沙華柄の着物である。
年長組の瑞紀と年少組の千歳。例えるなら動と静、炎と水。いやいや、これでいて意外と根底は似通っているのだ。
「何やら会話が弾んでおるようだが」
別室で着替えを済ませたニライ・カナイ(ea2775)がズルズルと引き摺る音を立てて戻り、声を掛けた。
「お主にはこれが弾んでおるように聞こえるのか?」
呆れた声を上げ、ゆるゆると眼差しを向けた婆はニライの姿に瞠目し、目をしばたたかせた。
「‥‥着飾る、と‥‥言えば正‥‥装っ‥‥。神‥‥聖騎士とし、ての服装っだが‥‥何か、問題が‥‥?」
騎士正装に身を包む彼女が腰に帯びているのは、二尺六寸ほどの長剣で、華奢なニライはそれに引き摺られる形で足取りが覚束無い。
「問題がないと思うのかのぅ? ほれ、どうじゃ、動けまい」
剣を婆に掴まれ、ニライはヨロヨロと左右に振られる。
「まともに扱えぬ物を差すでないわ。虚け者がっ!」
ひょいと剣を取り上げられて、右に掛かっていた重みから解放されたニライは左に傾いて体勢を崩し、倒れこんだ。
「くっ‥‥さすが人外、物の怪小町殿。そのように軽々と我が剣を取り上げるとは」
“人外”の単語に反応した婆に鞘先で突付かれたのはお約束である。
「小町さんまで遊んでいては日が暮れてしまいます」
細く溜息を吐いた橘雪菜(ea4083)が首を竦め、婆は静かに咳を払うと剣を部屋の隅に片付ける。
愛を奥の部屋へと連れて行き着物を広げた。
「どれも丈が短くて合わないようです〜足の長さが違いますから〜小町さんの着物では無理みたいです〜」
愛に悪気はないのだ。ぎりぎりと歯噛みした婆は言葉を飲み込む。無論、しっかり手は出たが。
*
本日の河岸(かし)は、婆の懇意の小料理屋との事だ。二階に案内され、襖を取り払った二間続きの広間に通された。
膳は既に並べられており、婆を上座に順に席に着く。
「今日はゆるりとくつろぐが良いぞ」
婆の短い挨拶の後、和やかに会食が始まったのではあるが、婆の鋭い視線は雪紫から離されないままだ。
「小町ちゃん、まだ怒ってるです? 山橘、可愛いと思ったのに‥‥」
「山橘が悪いのではないわっ!」
向かう途中、雪紫は小さな赤い実を付けた山橘の枝を手折り、簪代わりにと自身の髪に挿した。歩く度に揺れる愛らしい簪は彼女によく似合っていた。
そして師匠想いの優しい彼女は、婆にも‥‥と考えたようで「えい♪」とザックリ刺した。そう“刺した”のだ。頭頂部に。
「まぁまぁ、師匠。古い事はいつまでも根に持ってちゃいけませんよ。さぁ、呑んで下さい」
「お主、ちと気張り過ぎじゃないかのぅ?」
がっつり着飾った栄神望霄(ea0912)に酌をされた婆は一度眉を寄せてから杯を空けた。
「着飾れと言ったのは師匠ですよ。‥‥今日はゆっくり話を聞いてくれるんでしょう?」
「門人の人と為りを知るのも大事な務めでのぅ。武術、芸事に於いて、技術だけ身に付けても意味がなのじゃ。真に学ぶべきは精神であるからのぅ。ほれ、何でも良いから話してみよ」
頷いた婆が視線で促す。
「俺の好きな人は、イギリスで修羅の二つ名で呼ばれていて大の男も素手で張り倒す、かっこいい人なんですよ」
うっとりと語る望霄に、哀れむ視線を向けて「何やら色々と踏み誤っておるのぅ」ってのは婆の心の内の呟きである。
「俺の産みの母の親友で、両親が死んだときに引き取って育ててくれたんです」
「三つ子の魂百までと申すしのぅ。‥‥心して励むのじゃな」
一体何に対しての励ましであったのだろうか。
麹塵色の袷に根岸色の羽織を羽織った由良は、華やかではないが落ち着いた、清潔感のある装いである。
「生い立ちは普通ですよ、あんまりお話するほど面白い事はないです。女当主の家系なんですけど、俺の代は女性が居なかったので俺が後継ぎなんです」
杯を受けた婆はほぅ、と目を眇めた。
「異性の好みは‥‥そうですね、しっかりしてて、あまり異性を感じさせないような人が良いですね。あ、同性なら『可愛げのある大人』が好きですよ。俺の兄がそんな感じなんですけど‥‥」
僅かに頬を染めて、由良は眦を下げる。
女性に対する好みは、飽く迄も友人としてのようだ。
「それは〜解り易く言えば〜女性らしくない方が好みという事ですか〜? でしたら〜ここは由良さんにとっても過ごしやすい場所ですね〜」
婆と由良の間、後ろからにょっきと首を突っ込んだ愛がにこにこと微笑む。
ズバリ解り易く言い過ぎ。
「いつもお疲れさまです。それと、これからも宜しくお願いします」
雪菜が声を掛け、婆の杯に酒を満たす。杯を呷った婆は、うむ、と頷いた。
「主の話も聞かせて貰おうかのぅ」
「お父さまは、一度も顔を見た事がないのですよ。現在行方不明‥‥生死も分からない状態です。お母さまは、私の幼い頃に病気で亡くしてしまいました。とても優しく、時に厳しい方で、私の自慢なんですよ」
穏やかで澄んだ声音で、雪菜は続ける。
「母の死の後、お母さまの知人だった橘家の養子になって‥‥お義父さまは理解のある方で、私が興味を持った事に、色々と支援してくれるんです」
雪菜の話を聞いていると、幼少の砌から苦労をしてきたようである。
然し、大輪の花の様に優しく微笑む彼女を見れば、慈しまれ、目一杯の愛情を受けて育ったのだろうと誰もが感じる筈である。
その後も雪菜の話は続き、彼女が数年前までイギリスに居た話題になると撫子達の興味は異国に向けられ、次々に質問が飛んだ。
「お話出来る事はあまりないのです。お義父さまが病に倒れてしまい‥‥すぐに日本に帰って来ました。結局、数ヶ月間しか居られませんでしたから」
柔らかに笑う雪菜の瞳は澄んでいて、婆は満足したように目を細める。
「私は〜ほのぼのとした幸せな家庭がつくれればそれでいいですね〜。その為に花嫁修業がんばりますよ〜。年齢的にそろそろ行き遅れの危険があるので〜相手も見つけないとですね〜」
二十歳の愛のこの発言に一部殺気だったのは言うまでも無い。いわゆる年長組である。
「次は私ね。私は播磨の国の‥‥良家とまではいかないけどそこそこ裕福な武家に生れたわ。家族はおばあちゃん、父さん、母さん、弟の四人。弟は何かあったらすぐに喧嘩を吹っ掛けて来るガキ。母さんは何から何まで人を管理して縛ろうとする煩わしい人。父さんは武士なのにかなり気弱。おばあちゃんは優しかったけどね。で、三年前に家出したの。野裟斗はその時に柵を壊してまでついて来たのよね」
瑞紀が滔々と語るのに耳を傾けていた仲間は箸を進めながら頷いていたのだが、或る箇所で皆の動きが止まった。
「お父上には似なかったのだな」
矢張りと言うか何と言うか、代表して口を開いたのはニライだ。
「どういう意味かしら?」
「そのままの意味だが‥‥」
小首を傾げるニライにいつもながら他意は無い。言葉そのままの素直な感想なのだ。‥‥多分。
「‥‥ま、いいわ。将来は新しい流派を開設したいわね。ソードボンバーやソニックブームを主体とした流派、佐上流を」
ぐぐっと拳を握ってみせる瑞紀を双眸で捉え、婆は長い息を吐いた。
「花嫁修業にもそれくらい身を入れてくれればのぅ」
「大丈夫よ。きっと花嫁修業にも役立つし!」
どんな花嫁修業だ、それは。
「私の話の前に質問を良いだろうか? 近畿小僧に関し‥‥ではなく、物の怪小町殿の初恋についてだ。どのような生物だったのだろうか? 興味がある」
「私の好みの殿方は‥‥近畿小僧より柿沢さん‥‥“カッキー”ですー。甘いお顔が好みです♪」
ゴツンと音を響かせてニライに拳骨をお見舞いした婆は、雪紫の台詞に顔を緩めて頬を上気させた。
「ほぅ、カッキーとは主もなかなかじゃのぅ。憂いを帯びて、こう伏せた目なども色気があってええのぅ」
どうやら婆は、自分の容姿は高い棚にあげて置き去りにしたまま、若く眉目秀麗な男性がお好みのようだ。年甲斐もなくきゃあきゃあと声を上げている。
「カッキー‥‥物の怪小町殿が恋い慕うのはどんな妖怪なのだ?」
「妖怪とは何じゃ。妖怪とはッ!」
酒も入り、普段よりも更に絶好調な小町の扇がニライの頭をパコンと打つ。面有り、一本!
「私は色事に疎い自覚はあるのだ。特に奇異な環境で育ったとは思わんのだが‥‥家族は父と四人の兄‥‥下三人の兄は三つ子だ。ハーフエルフの母は私が幼い頃に他界している」
「どうりでのぅ‥‥」
婆は一人納得したようにニライの肩をぽむぽむと叩いて頷く。
「次は私ですよー。名前‥‥本当は『しぇつー』と読むそうですよ。お婆さんが川へ洗濯に、お爺さんが山へ芝刈りに行ってる隙に、玄関の前に置いてあったそうです。人生踏んだり蹴ったりですね☆」
てへっ☆と舌を出して頭を掻く雪紫だが‥‥ちょっと待て。笑い話じゃないぞ、それは。まぁ、本人が笑ってるからいっか。
「将来の夢は立派なお家の屋根裏に住まうこと‥‥じゃなくて、立派な『忍者花嫁さん』になることです、にんにん☆」
「お主は将来の夢を語るより、今を無事に生き抜くのが先決じゃのぅ」
「あいたたた‥‥」
しみじみと婆に突っ込まれ、さすがの雪紫も息を詰めた。
「小町ちゃんが屋根裏か軒下を提供して下されば、生きて越冬できそうですよ」
「‥‥‥‥部屋も余っておるし、屋根裏と言わず好きにするが良いわ。門人を凍死させる訳にはゆかぬしのぅ」
「ありがとう、小町ちゃん☆ 懐も物の怪並み! よっ、太っ腹!」
どうでもいいが、それはちっとも褒め言葉じゃない。
こうして宴飲は続き、愛はここぞとばかりに高価な物ばかりを注文し続け、ニライもテキパキと酒や料理を追加する。
「せかっくの奢りですし〜、普段食べれないものが食べたいですよね〜」
「生臭以外の品は全部持ってきてくれ」
由良は酒量を抑えてさり気無く皆の観察をしながら話に耳を傾け、瑞紀と千歳は牽制し合いながら互いに酒を勧め合っている。どちらも勧められれば飲むが、あまり酒に強くは無い。
それでも、飲むとなれば豪快に飲み干す瑞紀姐さんは流石と言うべきだろうか。どんな場面でも豪傑である。
「あはははは。あ〜はっはっは。あ〜、おっかし〜」
何が可笑しいのか笑いながら刀を振り回しだした瑞紀に婆が足を掛けるとバタリと大きな音を立てて畳に潰れる。そのまま瑞紀は眠ってしまった。
「笑い上戸であったか‥‥こやつに飲ませる時は事前に武器没収じゃ」
その隙に、千歳が用意しておいた筆を取り出して瑞紀の顔に落書きを開始。
「たのちいでしゅ。おはなたん、かくでしゅ。てふてふもかきましゅ」
‥‥千歳さん、赤ちゃん言葉になってますよ。顔には出て居なかったが、彼女も相当酔っていたらしい。
次から次に時をあける事無く注がれる“わんこ酒”を婆は表情一つ変える事無く飲み干してゆく。
「わぁ、胃袋も物の怪‥‥」
思わず呟いた雪紫に箸まで投げつける元気振り。物の怪小町の名は伊達ではないようだ。
「私、生まれてこの方、お酒を一度も口にした事がないんです。へぇ、これがお酒の味ですか。思ったより、大丈夫そうでふ‥‥はれ?」
今まで一度も酒を飲んだ事が無かった雪菜は勧めらた酒を一舐めしただけでふらふらと身体を揺らし、数秒後、ドサリとその場で眠りについた。
――かと思いきや。
「‥‥なんは、あふいれすねぇ‥‥」
据わった目で景気良く着物を脱ぎ出す始末。
「可愛い子発見です〜。撫で撫で〜♪」
愛はすっかり童になってしまった千歳を抱き締めて頭を撫で、頬擦りを繰り返す。
ニライは祖国語であろうか、異国の言葉をぼそぼそと呟いては時々笑い声を上げて、無差別に術を発動して仲間を呪縛している。かなり迷惑。
「‥‥主ら‥‥」
わなわなと怒りに打ち震える婆から、後日“禁酒令”が出たのは当然と言えば当然であろう。
それでも矢張り、皆で集えば楽しくて。
「皆さんの朗らかな笑顔に朱がさして、まるでこの山橘の実のようなのです」
髪に刺した山橘を手に取り、笑顔を落とした雪紫は視線を巡らせる。
『常盤木の 青葉の如き 門人と 婆の笑顔の あから橘』
楽しい時が長く続きますように――。