●リプレイ本文
夏の訪れを告げる卯の花が顔(かんばせ)を覗かせ始めた花名残月の某日(現在の暦で五月末頃)
更衣の日も過ぎて、人ばかりでなく畳や御簾も夏支度を整えた日の本の国。今やすっかりお江戸の津々浦々が夏気分である。
日に日に強く輝きを増すお天道様に負けず劣らず、撫子達のなんと逞しい事よ――まぁ、こちらは季節を問わずではあるのだが。
「何やら大荷物じゃのぅ。主ら準備は恙無く整ったじゃろうな?」
揃った門人達に暫し眼差しを送った物の怪小町はついと目を眇めた。
その視線には、目一杯の不安だとか疲労だとか、その他諸々の‥‥有り体に言えば“負の感情”が色濃く滲んでいるのは言うまでもなく。
「ええ、何とか。選ぶのが楽しくて、ついつい時間が過ぎてしまいますね」
「やっぱり流行はおさえておきたいですし、目移りしてしまって♪」
橘由良(ea1883)と栄神望霄(ea0912)が興奮冷めやらぬといった様子で早速店を広げて燥(はしゃ)いでいる。
古今東西、女子は市と飽くなきお喋りが好きな生き物である。
小町とてこの道●十年――“遣り手婆”の異名までもつ老練な花嫁修業のお師匠である。これまでに育て上げた門人数知れず(嫁にいったかどうかは不明)女子の習性は知り尽くしていると言っても良いだろう。
仮にも婆も女子であるし、遥か遠い過去には乙女だったのである。多分‥‥きっと‥‥えーと、だからほら物の怪界の(どんなだ)
故に、由良と望霄の姦しい騒(ぞめ)きも女子の性のなせる業。花嫁を夢見るうら若き乙女だと思えば微笑ましくもある。
――とは言えぬのが少々厄介なところ。何せ二人は歴とした日本男児である。
花嫁修業と言うからには、『花嫁になりたい者』が学ぶ。これが道理だ。件の二人は真剣に花嫁を目指しているらしい。だから良い。良いのだ。
「‥‥浮かれるのは良いが、肝心なのはこの先じゃぞ」
「分かってますよ小町さん。今までの私とは違いますよ」
こめかみを押さえて嘆息した老嫗の前で静月千歳(ea0063)は静かな闘志を燃やしている。
「何じゃ千歳。お主、いつになく気合いが入っておるのぅ」
「っ! 別に何も変わりませんよっ。小町さんってばからかっては厭ですっ!!」
ばしばしばしばしっ
頬を染めた千歳の容赦ない平手が婆の肩を連打する。
「落ち着け。落ち着かんか、これ。‥‥誰もからこうてなんぞおらんじゃろうが‥‥近頃の陽気に当てられたのかのぅ?」
中らずとも遠からず。
春を過ぎ、夏を迎えようというこの季節、花開くを待つ蕾は何も野辺や庭だけに限らぬようである。
そんな訳で『素敵なあんちくしょう』に思いを馳せる千歳が、ここぞとばかりに気合いを入れるのは無理からぬ事。
(「浴衣の作り方をしっかりと学んで、いつかあの人に浴衣を縫ってあげたいです」)
いつになく、こんな真っ当な志を胸に臨んでいるのである。
因みに、今までだって志だけなら天よりも高い。要するに志だけじゃどうにも成らぬのが世の常、花嫁修業の常である。
殊に小町流はお師匠がお師匠なら門人も門人。一癖も二癖もなんてしみったれた数では無く、癖者だらけの魔窟‥‥いや花の園だ。
世間一般の花嫁修業とは一味、二味‥‥もっと格段にドバッと景気よく大味に――そこまでいったら別物だろうと言う程に大違いなのである。
「こんな所で当てられるとしたら、差し詰め『陽気』じゃなくて『妖気』でしょ」
「きぇぇいっ!」
「ぃったー!!」
怒号と共に佐上瑞紀(ea2001)の脳天に渾身の『秘技・扇の舞 壱ノ太刀』を喰らわせた小町が見事な着地を決める。
部屋のあちこちから「よっ、物の怪!」と声が掛かったが、余すところ無くギロと目を光らせた婆に打ち据えられた。ある意味とばっちり。
「小町さん益々お元気ですね〜。まだ、お墓までの道程は長そうで何よりです〜」
「‥‥有り難い事にお主らのお陰で、当分は死ぬに死ねんでのぅ」
槙原愛(ea6158)ののんびりした口調に、やや気を殺がれた婆はやれやれと息をつく。
愛にもきっちり一発入れているのは言わずもがな。
「元気過ぎるのも問題ですね〜小町さんは〜少し弱ったくらいが良いかもです〜」
イタタタと頭頂部をさする愛は涙目である。
「いつまでも埒が明かないわ‥‥そろそろ始めましょうよ。今回こそ物の怪小町さんがあっと驚く様な物を作ってみせるわ!」
「毎度毎度、十分過ぎる程に驚かされておるがの。して、瑞紀。物の怪小町とは何じゃ」
「やあねぇ、敬意を払って姓名で呼んでるだけよ」
「誰が“物の怪”が姓じゃ〜っ!」
――本当に埒が明かない。
「えへへ、ひなたもう何百枚もの褌を繕ってきたもん。裁縫はすごく得意なの☆」
古褌専門店『若葉屋』で培った技能を活かせると美芳野ひなた(ea1856)は大きな瞳を輝かせている。
「毎回惜しい結果に終っているからな、今回は自主特訓を行ってきた」
ひなたとは相反して、硬い表情のニライ・カナイ(ea2775)はその両腕に沢山の布を抱えている。
彼女の真っ直ぐに見据える澄んだ青の瞳が色を変える事はまことに稀有な事。したがって不安や危機を感じている訳ではなく常がこの表情なのである。
その証拠に――
「自分で言うのも何だが手先は器用な方だ、割と自信作なのだが‥どうだ?」
色とりどりの褌を広げて見せて僅かに口元を緩める。自信満々らしい。
しかしニライの手にする褌に並々ならぬ感心を寄せたのはひなた只一人である。
「それにどう意見を言えと申すんじゃ‥‥」
婆の疲労は一気に増したようだ。
「花嫁修業の基本に返ってみたところ、夫あっての花嫁だと思ったのでジャパン伝統の男物を作ってみたのだ」
「そこで選んだのが下帯とはのぅ‥‥しかもその柄は何じゃ」
「ふっ。物の怪小町殿、私のセンスに‥‥ジャパンでは“粋”と言うのだったか? 驚いておるようだな」
「‥‥‥‥確かに驚いておるが違う意味じゃ、虚け者っ!」
「っ! そこだっ!」
びしぃっ!
「ほほほ、まだまだじゃのぅ」
婆の『秘技・扇の舞 壱ノ太刀』を見切り、すかさず鉢金で受けたニライだったが胸元から抜き繰り出された弐ノ太刀を顎に喰らう。
「くっ‥‥両手利きだったか」
「‥‥ふぅん、やるわね物の怪小町さん(←相変わらず姓名)」
歯噛みするニライの後方で瑞紀の瞳が苛烈にきらめく。むしろ瑞紀そのものが剣呑だ。
「早く浴衣作りましょう☆ 浴衣といえば夏の風物詩ですねっ。かつて見たこともない可憐な私達の姿に、小町ちゃんも殿方も、きっとドッキリしますよ☆」
林雪紫(ea6393)が笑顔でぴょこんと跳ねるが、ドッキリはドッキリでも『打っ魂消(ぶったまげ)る』方のドッキリに相違ない。
字の如く魂まで消えないように祈るばかりだ。
「裁縫‥‥俺、不器用だから指先を刺したりしないか心配です。あれって痛くはないけどゾッとするんですよね、怖いなあ‥‥」
危なっかしい手付きで針を進める由良は緊張の為か表情を強張らせて一人呟く。
「ほぅ、薄色に蛍か。風情があるのぅ」
「ええ。夏祭りに合わせて選んだんですよ。似合うだろうな‥‥兄さん‥‥」
あらぬ妄想を巡らせる由良は遠い場所へと旅立って逝った。否、誤字でなく。
「あっ、やだ。兄さんっ、そんなっ‥‥」
一人百面相を披露する由良の運針は、彼の妄想に合わせて漣から大波へ、寄せては返し、時には大渦――と見事に踊っている。
怖くて誰も声を掛けられなかったらしい。
「まだ片恋ですけれど想い人も出来ましたし〜気合い入れて頑張りますよ〜」
むんっと胸を張った愛は一度大きく息を整えてから袖まくり。
「猫さん柄です〜これを着て、あ‥‥あの人と‥‥なんて〜」
やはり乙女である。新しい衣装を前についつい浮かれてしまうようだ。
まぁ、今のところ衣装になる前の段階で、最終的に何が出来上がるかは果てしなく謎な訳ですが。
「桜色に猫柄ですか。可愛いですね」
「千歳さんは〜真っ白ですか〜?」
「今日は練習なので。‥‥いつかあの人のを‥‥なんて‥‥」
ごにょごにょごにょ。後半は聞き取れないほどのか細い声になってしまう。
「今日しっかり覚えて帰ったら〜作れるようになれますね〜」
「ええ♪」
(「これなら此奴等の花嫁姿もそうは遠くないかもしれぬのぅ」)
咲(わら)う花の様子に婆もほくほくと笑み、目を細めて頷く。
「‥‥痛っ! 思ったよりも難しいです‥‥」
「千歳さん大丈夫ですか〜? 何だかどんどん布が赤く染まってますよね〜模様になっていいかもしれないです〜」
血染めの模様って一体――。
「おや〜? 不思議に腕が出ません〜なんででしょう〜?」
「あら? どうして愛さんの浴衣と私の浴衣がつながってるのでしょうね‥‥」
――まだまだ遠そうだ。
「うふふふ〜♪ お裁縫は好きなんだよね〜v なんてったって生業が生業ですからね衣装には拘ってるんですよ」
「ほぉ? そりゃまた頼もしい言葉じゃな」
うきうきと生地を広げる望霄はやはり危なげな手捌きで縫い始めた。実のところ家事はあまり得意ではない。
「ほらほら、師匠! 今年の流行はこんな風に透ける素材らしいですよ」
何とか縫い上げた浴衣を羽織り、肩越しに振り向く。何つーかスケスケな訳ですが‥‥。
「何をやっとるんじゃ、お主はッ!」
見事に婆の鉄拳を喰らう。
「もう、冗談が通じないんだから‥‥」
曲がりなりにも花嫁修業である。多分‥‥だったはず。
「実はまだどちらの生地にするか迷っているのだ」
ニライは僅かに眉根を寄せる。
店で勧められた変わり織の『藤と紫の格子柄の地色に花玉柄』と一目惚れに近い『黄地色に十二支柄』を手に未だ決めあぐねているようだ。
「何を迷っておるのじゃ」
「干支柄の‥‥この竜のうねりが捨て難くてなぁ、どちらが良いだろうか?」
「考えずとも普通は判るじゃろ」
婆の言葉にふむ、と一つ頷いてニライは決心したようで黙々と作業を開始した。
取り出したナイフをキラリと煌かせ、まるで親の敵かのようにザクザクと布を裁つ。
その後ようやく運針にかかったのは良いが、布を畳に広げたまま何故かニライ自身が縫い進んでゆく。
「む。裁縫というものは、意外に身体を使うものだと侮れなく思ったぞ。剣を針に持ち替え縦横無尽に動く、さながら剣舞のようだな」
剣舞のような裁縫って何だ。
そんなこんなでニライの裁縫は体力勝負のようだ。
「さて完成だ。少々丈が短いのは動き易くて良いとして、袖口以外全部閉じているのは‥‥袖の下とかいう物の収納に便利でいいか。やはりこの竜が何とも言えん」
「どこがじゃっ!」
矢張り婆の愛の鞭を一身に受ける事となったのは最早お約束のようである。
「よし、出来たわ」
満足げに呟いた瑞紀の手元を覗き込んだ小町は言葉もなく瞠目する。
「‥‥敢えて問うがの。それは何じゃ?」
「あら、見ての通り浴衣だけど?」
深緋の地に松の模様の入った生地‥‥ここまではまだ良いだろう。問題はその先である。
「その背中の文字は何じゃ」
「物の怪小町さん、やっぱりお歳かしらね。こんな大きな字も見えないなんて‥‥」
「見たくなくとも、くっきりはっきり見えておるわっ! 何が『上等』なのかと聞いておるんじゃっ!」
「‥‥だから、浴衣が『上等』なのよ」
待て、瑞紀よ。
その上、機能性重視だとか何とかで裾はうんと短く、袖は無い。
浴衣だと言われなければ何なのかすら分からない状態だ。浴衣だと言われても首を捻る出来ではあるが。
「こういうのはやっぱり『自分らしさ』が出てるのが良いわよねぇ」
本人は甚くお気に召した様子ではあるが、婆の幻の最終奥義・参ノ太刀が炸裂したとかしなかったとか。
「雪紫‥‥お主は先程から何をしておるのじゃ?」
「あ、小町ちゃん。実はですね、貧乏人の知恵、経費削減で染めから自分でやってるですよ☆ さっき花をつんで来たですっ」
雪紫の手にあるのは鮮やかな青紫の花。
「ほぅ‥‥花勝見じゃのぅ」
「草木染のやり方は知りませんが、人生行き当たりバッタリドッキリ、きっと何とかなります☆ 染めから自分でやるのは浴衣作りの醍醐味だと夢で両親らしき人が教えてくれました」
何やら突っ込み所は満載過ぎるのではあるが、醍醐味ならぬ『大塵(だいごみ)』にならなきゃいいが。
「ええと、面倒なので花ごと擦り付けて‥‥あれれ? ‥‥‥‥えーと‥‥世界に二つとない柄ですよっ! ほら、色は綺麗! 色は! 色はっ」
色は綺麗らしい――色だけ。
「ひなた、ずっとわしを見て何じゃ? 何ぞあるのか?」
「ぇ、ひなた見てないよっ☆ 全然見てないもんっ」
ひなたは大仰にふるふると首を振って顔を引きつらせる。元来素直な彼女は誤魔化したり嘘を吐くのが苦手だ。
実はニライの提案で、皆で分担して小町の浴衣を拵えて贈ろうという計画もひっそりドッキリぱっくり(?)進行中なのである。
(「う〜ん‥‥ひなたより五寸くらい小さいかなぁ」)
盛大に怪しまれながらも、婆の寸法を視認したひなたは視線を右に左にと彷徨わせつつ何とか場を切り抜け、その後、門人達からそれぞれの担当部位を無事に回収し終えた。
<担当>
●右袖 :雪紫(草木染の大塵)
●左袖 :由良(臙脂色と黄緑地に柿柄)
●右後身頃:瑞紀(青地に魑魅魍魎柄)
●左後身頃:千歳(血染め白装束)
●右前身頃:愛(白装束)
●左前身頃:ニライ(紅薔薇柄)
●衽 :ひなた
●襟 :望霄(ノルマン製のれえす)
「あとは皆さんの作ったものをひなたが一つに纏め上げ‥‥あれ? あれれ? ここがこうしてあーして‥‥? あ、あはははですゥ〜」
ひなたの努力は涙ぐましいが端っから無理である。
何しろ、どう考えても浴衣に縫い上がるはずのない珍品ばかりの寄せ集めなのだから。
「と言うわけで、日頃世話になっておる物の怪小町殿に門人一同より贈り物だ。なかなか似合いに出来た‥‥蛍狩りなどにも良いのではないか?」
「も一つ、おまけです☆ 橙色のお手玉に布のヘタと黒点を二つ縫い付けました。カッキーです☆」
「ふふふふふふふふ‥‥主ら、覚悟は出来ておろうな?」
ニライの手から浴衣を受け取った婆はわなわなと肩を震わせて怒髪天(因みに雪紫作のカッキーはすかさず胸元に仕舞った)
門人たちは翌夕まで丸々一日正座させられたそうな。
――とは言え、今でも小町さんの箪笥の奥には謎の布の塊が入っているらしい。