●リプレイ本文
海面を撫でた風は潮の香を乗せて髪を躍らせる。凪いだ水面がきらきらと射す陽を照り返していた。
絶好の道連れ日和。
船への荷積みを完了させて静月千歳(ea0063)は遠く蒼海(わだつみ)の向こうを見晴るかした。寄せる小波の先に目指す地がある。
期待と不安を綯い交ぜに、それでもやはり旅は心躍るもの。気心の知れた仲間と一緒となれば怖いものなんてあるものか。
ここで悲しいお知らせ。その肝心の仲間こそが恐ろしいという事実は今更どうしようもない事である。不幸なのは運悪しく同じ船に乗り合わせる人々であろうか。しかし、そんな事は彼女らにしてみれば瑣末な事。
今回の旅にはもっと深刻な問題があるのだ。が、それは一先ず置いておくとして――。
「京都は初めてなんです。楽しみですね」
ちょっぴり感傷的な色を孕んだ呟きは乙女の秘密の事情。千歳の長い睫が白い肌にけぶる影を落とせば、思わず溜息なんかも漏れたりして。
姿の見えぬ“あの人”へと思いを馳せて、ふるふると首を振る。
「京かぁ‥‥お料理の食材も味付けも違うからなァ。楽しみだな〜♪」
乙女の事情という名の峠に差し掛かる一歩手前(?)の美芳野ひなた(ea1856)は忍犬『ぱとらっしゅ』の頭を撫でて無邪気に笑う。
「その花どうしたです?」
「船旅安全祈願に船頭の灯りとなる花を出掛けに摘んできたです。姫百合ですよ」
首を傾げて問うたひなたに林雪紫(ea6393)は目見を緩めた。
「灯り‥‥綺麗な色だね」
「だけど姫百合は夏野に埋もれて人に知られ難いですって。私達も未だに独り身なのは、単に殿方に気付いて貰えてないからですー。決して胸が繊細過ぎるからでは‥‥」
「胸‥‥」
ずーん、沈む二人の姿は旅立ちの朝どというのに果てしなく悲愴だった。
「今回は師匠からお小遣いが出るんですね。おやつはいくらまでですか?」
呑気に口を開いた栄神望霄(ea0912)に物の怪小町こと花嫁修業のお師匠は肩を竦めた。
「此度は歴とした依頼じゃからのぅ、報酬とは別にそれぞれ金一枚を渡しておく。使い道は自由じゃが、わしの護衛という任務を忘れてもろうては困るぞ」
「わぁ、小町ちゃんありがとうです! これで餓える事はないですね。一っ走り行ってきます☆」
路銀を受け取り食料調達に走った宿無しくノ一、雪紫の遠ざかる背を見送って婆は盛大な溜息を落とした。
今一、今二、今三‥‥いや、今百ほど頼りないが大丈夫だろうか。
「小町さんの護衛ってよりは〜小町さんから人々を護る方が正しいような〜」
「あの、不勉強で申し訳ないですが、小町さんがお探しの近畿小僧やカッキーというのは‥‥どんな魍魎ですか?」
積み終えた荷物の横で呟いた槙原愛(ea6158)が滲んだ汗を拭い、その傍らで橘由良(ea1883)が声を潜め訊ねた。
「小町さんと同じ物の怪で‥‥口が裂けてて〜牙があって〜きっと、こんな感じです〜」
「そ、それは恐ろしい‥‥」
「きぇぇぇぇい! 誰が物の怪じゃ、魍魎じゃ!」
出発前から大目玉。並んだ鉢に落とされた扇が小気味よい音を立て、愛と由良は頭を押さえて蹲る。因みに、大目玉という妖術ではありません。たぶん。
「魍魎だけでは足りぬのではないか? 魑魅も足さねば」
誤りは正さねばならん。魑魅魍魎――うむ。ニライ・カナイ(ea2775)は一人満足したように頷く。当然ながら婆の愛の拳が飛んだ。
「魑魅は山林から生じる化け物。魍魎は山川から生ずる化け物。魑魅魍魎としてはじめて様々の化け物という意味になるのではないのか?」
「お主‥‥っ」
ぴき。
額に青筋を浮かべた婆の拳が再び唸る。
「手が空いてるなら荷物運ぶの手伝ってもらえないかしら? まだまだあるのよね」
声の先へ視線を巡らせれば黙々と荷物を運ぶ佐上瑞紀(ea2001)の姿。
「お主‥‥それは何のつもりじゃ?」
古今東西、女子は身支度に時間がかかる。荷物も多い。それはある意味微笑ましい事でもある。
――が。
「あら、護衛だって言うからそれなりの装備をしてきたつもりなんだけど?」
深紅の武者鎧に身を包み、兜まで装着し、偃月刀を手に瑞紀は口端を引き上げる。
続々と積み込んでいる荷物のほとんどが武器で、戦でもおっ始めそうな物々しさというか、何というか。
船上が戦場へ――ただならぬ雰囲気になっている事は間違いない。
約一年、修業を積んだ愛弟子は確実に腕っ節を上げているようだ。‥‥花嫁修業で腕っ節が上がるのは如何なものか甚だ疑問ではあるのだが。
「限りなく“らしい”と言いますか‥‥」
「期待を裏切りませんよね〜」
鴨が葱をしょって来るのは有難い事だが、瑞紀が武器をしょってくるのは――とりあえず京都の皆様ご愁傷さまです(合掌)
都の夏は例年よりぐっと暑く、いや、寧ろ熱かったり篤かったりするのかもしれない。
本日の日替わり妖術‥‥じゃなかった、大目玉はきっちり瑞紀にも落とされた。
「くっ、さすがね物の怪小町さん」
「‥‥じゃから誰が物の怪じゃ!」
この一年で進歩があったのか無かったのか、花嫁修業ご一行は相も変わらず。
【お見送り劇場・其の壱】ニライとナガレ・アルカーシャの場合
「忘れ物はないか?」
「ない」
「迷子にはなるなよ」
「ならん」
「京菓子には気をつけろ」
「‥‥き、京菓子か‥‥そ、それは‥‥」
まるで我が子を初めてのお使いに出す親のような見送り人、ナガレは心配で堪らない様子で次々に言葉を並べる。
彼の路考茶の瞳を真っ直ぐ見据えて、鰾膠も無く返していたニライは京菓子の響きに反応し、ふと視線を横へと流した。
「‥‥物の怪小町殿もきっと食したいだろうし、多少寄り道はする、かも‥‥な? 師匠」
くるりと振り返ったニライは荷箱の影に隠れて様子を窺っていた婆(と、背後に続くその他六人)に縋る眼差しを向ける。
「ちょっ、ちょっと、覗いてるのバレてるじゃないの」
「そんな事より『京菓子には気をつけろ』って何でしょうね?」
「愛し合う二人にしか通じない言葉もあるんですよ」
「そんな色気のある内容とも雰囲気とも思えぬがのぅ‥‥」
「男女の仲というものは複雑なんですよ」
「おばあちゃん、ひなた京菓子も作ってみたいな♪」
「京菓子‥‥美味しそうです。ぐぅ☆」
どうでもいいが途中から話題がずれてる上に全部聞こえてる。
「‥‥変なヤツについていくなよ」
「しかし物の怪小町殿が依頼主ゆえ、それは難しい」
大真面目な表情で返したニライの脳天に婆の扇が飛んだのは最早お約束である。
「絶対帰って来るんだぞ!」
「うむ」
叫ぶナガレに、やはりニライは抑揚なく返すのだ。
【お見送り劇場・其の弐】愛と陸堂明士郎の場合。
「餞別だ」
「何ですか〜?」
首を傾げた愛は『根性』と書かれた鉢巻と『努力』と焼印が押された木刀を受け取って更に首を捻る。
「花嫁修業に役立てて欲しい」
どうやって。
「ありがとうございます〜立派に修業してきますね〜」
「何、礼はいらん。ほんの気持ちだ」
どんな気持ちかは置いておいて、とりあえず通常の花嫁修業からまた一歩遠ざかったのだけは確かである。
「こっちはこっちで問題ね」
「確か明士郎さんには好い人がいらっしゃったはず‥‥」
「望霄さんじゃありませんけど男女の仲は複雑なんですよ」
「あの贈り物は意味深ですね」
「そうじゃろうか‥‥女性への贈り物としては大いに間違っておるがのぅ」
「ひなた、京のお料理もたくさん覚えて帰りたいな♪」
「わぁ! 楽しみですね。私は味見専門で。任せてください、忍びたるもの、つまみ食いはお手の物です☆」
明後日の方向の忍び×2とか、大きな勘違いとか、そんなものは聞き流せ。
そんなこんなでお江戸の町とも暫しのお別れ。
「酔ってしまったようです‥‥」
普段より更に色を白くした貌を下へ向けて千歳が船首に腰を下ろす。もやもやと胸を這い上がってくる不快感に苛まれるが、渡る風は心地よくて少し気分が晴れた。
「それにしても退屈ですね。海賊でも襲って来ないんでしょうか」
波間をただ進む景色は最初こそ趣があったもののすぐに見飽きてしまう。思わず物騒な事も言いたくなるのが花嫁修業の心意気ってもの。
うん、間違ってるけど。
「むしろ、海賊船を襲いたいです」
更に間違っちゃったけど。
「物の怪海賊団‥‥強そうですよね」
花嫁修業はどこいった。
退屈は人を殺すと言うけれど、花嫁(予備軍)はちょっと違うようだ。どんどん物騒な思考になってゆく。
「皆さん退屈してるようですし、ちょっとした余興でもしましょうかね」
退屈も最高潮を迎えた辺りで望霄が悪戯な笑顔を浮かべた。婆を船首に呼んで背後から抱きすくめる。
「な、何の真似じゃっ」
「知らないんですか?! 今流行の『鯛ぱにっく』って芝居の名場面ですよ。ほら、潮風が気持ち好いでしょう?」
そんな二人を盛り上げるように、ニライが浄瑠璃を奏で歌う。澄んだ歌声は波の音にとけて高天原へと昇ってゆく。
「見世物のお代はこちらへ」
ニライちゃっかり。
「‥‥鯛ぱにっくってよりは捕らえられた物の怪みたいですね☆」
それは禁句だ、雪紫。つーか見たまんまやん。
「感動の場面が台無しですね〜」
「‥‥てゆーか、あの船、沈むんでしたよ確か」
ぶくぶくぶく。
由良の呟きに皆の表情が凍る。縁起でもいないっつーか演技でもない。
「やっぱり一緒にやるなら‥‥あの人が良かったです‥‥」
共演者にまでそう呟かれては婆の立つ瀬がないというもの。
「お主ら、ここに並べ〜!!」
出航して早々、甲板に正座させられる八人の乙女(?)は芝居の鯛ぱにっくを観るより遥かに緊張感漂う時間を過ごしたらしい。
船酔いどころでは無くなったのは喜ぶべきか。
それでも時間を持て余す船旅はまだまだ始ったばかり。
「幾ら妖怪でも、好きな殿方に逢うにはもっと印象付けないと!」
ぐっと拳を握った雪紫はちくちくと裁縫を始める。
「ほぅ、裁縫か雪紫よ。好い心掛けじゃのぅ。何を縫うておるのじゃ?」
婆は目を細めてその様子を眺める。顔を上げた雪紫はにっこり笑んで手にした布を広げてみせた。
「小町ちゃんの法被ですよ。背には『妖怪上等』ってはいってるです☆」
「この虚け者がぁ!」
「ぃたー! 小町ちゃん何を怒ってるですか?」
流石は忍者といった所か、軽やかに逃げ惑う雪紫だったが、婆の身のこなしも徒者ではない。船上での追いかけっこは意外にも早く終了し、雪紫は船檣にくくられた。
「ふっふっふ、忍者を甘くみてはいけないのです小町ちゃん。いかなる場合にも備え常に忍具を身に付けているです! 忍者の力を見せ付けちゃいますよ☆ ‥‥あれ?」
わたわたと慌てる雪紫を見下ろす婆が目を眇める。
「ほれ、忍者の力とやらを見せ付けてくれるのじゃろう? のぅ?」
「手裏剣は背嚢の中でした‥‥」
がくっ。
「花嫁どころか忍びとしても未熟じゃのぅ」
「いつか‥‥いつか小町ちゃんがアッと驚く素敵な花嫁忍者になってみせるです」
雪紫の誓いは波の音に攫われた。
「それは何年後になるのじゃろうな‥‥」
「大丈夫ですよ! 小町ちゃんなら軽くあと百年は生きますから☆」
一体幾つの花嫁忍者になるつもりだろうか。
「心做しか船尾の方が重いのでしょうか。傾いてるような気がしますね」
「ん? そうかのぅ? どれ様子を見て参るか」
船尾へと向かった千歳と婆はその光景に絶句した。
馬二頭を繋いだ横で瑞紀がありったけの武器を広げて手入れをしているのである。しかも表情は恍惚としている。
「この刀身‥‥綺麗ね。ゾクゾクするわ」
「何をやっておるか瑞紀! 迷惑じゃろうが」
婆の蹴りを左手の木刀で受け、鼻を鳴らした瑞紀は遠巻きに膝を抱えて他人の振りを決め込んでいた記録係に切っ先を向ける。
「迷惑なの?」
ぶんぶんぶん。記録係は蒼白の顔を力の限り左右に振った。
「迷惑じゃないみたいよ」
人はこれを脅しと呼ぶ。
◆朝まで生討論! 小町ちゃん警護計画二次相談!
「という訳で、皆で師匠の都入りについての問題点や過去予想図で盛り上がろう」
「まずは物の怪小町さんが黄泉人と間違われない為にはどうするかが重要よね」
ニライ、瑞紀がものものしい表情で口を開いた。
「あ、俺たっぷり酒持ってきたんで皆で飲みましょう♪」
「俺も実はニライさんと佐上さんにどぶろくを贈りたいと思って用意しました。そろそろ花嫁修業も丸一年ですから記念に」
「あら、ありがとう」
「かたじけない」
望霄と由良がででんと酒を並べれば、生討論とやらは宴会へと姿を変える。要は面白ければ何だって良いのだ。
「じゃあ、ひなた何かおつまみを用意するね♪」
ひなたが戻った頃には、違う意味ですっかり盛り上がっていた。
「小町ちゃんを人間だと証明するより、黄泉人だと証明する方が簡単な気がします」
「そもそも〜小町さんは黄泉人じゃないんですか〜?」
「皆さん! 小町さんに失礼ですよ、いくらなんでも黄泉人に間違えられたり、あまつさえ黄泉人だなどと‥‥いえ、言えなくもないかもしれないかもなんて‥‥うっ、差し込みがっ」
実は皆心の中では疑ってました☆
「何れにせよ、やはり物の怪ぶりは手を加えた方が無難だろうと思うのだ」
「都の方達が何の免疫もなく小町ちゃんを見たら驚くと思うですよ」
「妖の縄張り争いなどがあり巻き込まれても危険ですね。江戸物の怪ともなれば肩身が狭いかもしれないです」
「王城の地ですし京の物の怪は気位が高そうだよね」
いや、これ本当に大真面目な相談なんです。きっと‥‥酔ってはいるけど。
話し合えば話し合うほど、物の怪小町=黄泉人説が色濃くなってゆくのは何故だろう。
「小町ちゃん、百五十年くらい前はきっと可憐な妖怪だったに違いないですね☆」
「ええ、小町ちゃんはきっと、生まれたときから妖怪だったに違いありません」
雪紫と千歳は互いに頷き合う。
「えっ、小町さんの娘時代は普通に可憐で可愛い方だったと思いますよ‥‥ほ、本当に思ってますってばっ‥‥多分」
「人間にしろ妖怪にしろ、普通じゃないわよ、普通じゃ。それだけは確かね」
瑞紀の言葉には根拠のない自信と説得力があった。
そんな訳で討論の結果、物の怪度いっぱい。黄泉人度はんぶん。人間度うっすら。こんな感じになりました。
「最後にジャパンの伝統行事、枕投げですね〜。集団で寝泊りする場合にはこれをやらないと末代まで祟られるとか〜」
愛の提案で枕投げ開始。
凄まじい枕投げは船を一部破壊したり、周囲の人を巻き込んだり。
最終的には小町の妖術『大目玉』により終結と相成ったが、その内容は記録係に「忘れたい」と言わせる程だったとか。
「ふと思ったのだが、物の怪小町殿は嫁にいったのだろうか?」
「「「「‥‥あ」」」
ニライ達が重要な事に気付いた頃、彼女等を乗せた船は旅を終えようとしていた。