古鏡の幻夢、泡沫の故郷〜人形工房〜

■シリーズシナリオ


担当:呉羽

対応レベル:6〜10lv

難易度:やや難

成功報酬:4 G 56 C

参加人数:8人

サポート参加人数:5人

冒険期間:02月04日〜02月11日

リプレイ公開日:2008年02月12日

●オープニング


「無垢な魂は舞い降りた」
 闇の中、男の声が響いた。
「白き魂、白き心。何者をも寄せ付けず、何者にも染まる」
「染まるは何色でございましょうな」
 肌を刺すような冷え冷えとした気配に、対する者は僅かに身を縮ませる。
「其は海の如き深青か、この寒空に相応しい灰を成すか、或いは‥‥この寒さを癒す炎の赤」
「血色か」
 男は答え、満足そうに頷いた。
「それは楽しみな事だ。この世の悪しきを統べ、表す我等にとっては歓迎すべき色」
「造作も無い事でございましょう。白きもの。故に」
 そして彼らは笑う。この世界を支えるべき大地の下で、ただ静かに。


 本を閉じ、女はそっと男の横顔を盗み見た。狭い部屋の中央で、男は黙々と手を動かしている。無骨な手で作り上げるものが、月日を重ねるごとに洗練されたものへと生まれ変わっていく過程は、まるで夢物語のようだ。そう、女は思う。
「‥‥ガ‥‥ガーディ」
 だが、立ち上がって2歩。それだけ歩み寄れば触れる事が出来る距離なのに、以前よりも遥かにその距離を遠く感じる。不安は拭い去れない。この人は変わってしまった。いや、本性を今まで見せていなかった。でも信じている。だが予感がある。
 この人は、きっとまた‥‥裏切る。
「寒くない‥‥? 火を強めたほうがいいかしら?」
 努めて明るく尋ねると、男は手も止めず顔も上げずに口を開いた。
「いや、大丈夫だ」
 それだけ。あんなに優しかったのに。たくさん話もしたのに。自分の事も気遣ってくれて、楽しげに笑ってくれる事も。
「ガーディ‥‥ねぇ、ガーディ。その人形‥‥いいえ、ここに来てからも作っている人形。‥‥人形を作らない貴方は貴方じゃないかもしれないわ。けれど‥‥ねぇ、どうして?」
 もう一度私のほうを見て欲しい。そう叫べば彼は見てくれるのだろうか。以前のように笑ってくれるのだろうか。
「その人形達‥‥」
「イレーヌ」
 男は目線さえも動かさずに、女へと呼びかけた。
「いつまでこうしているつもりだ? 俺は以前の俺じゃない。お前が待っても俺は戻らない。戻る事は出来ない」
「どうして‥‥?」
 だが男はその問いには答えない。
 女は小さく息を吐いて、再び椅子に座り直した。そして、ゆっくりと写本を開く。その頁に描かれた白き魂が、男の作る人形の事を指しているように、女は感じた。


 冒険者ギルドに依頼が届いたのは、雪の深い日の事だった。
 以前冒険者の活躍のおかげでデビルが退治され、生贄とされかけた女性達が救われたと感謝を述べた上で、依頼人は話を切り出す。
「実は、あの時の事件の発端となった、人形師の事なのですが」
 依頼人の名はジョセフ。黒の教会に属するクレリックである。
「教会で拘束し、背後関係を隈なく聞き出す予定だったのです。しかし15日ほど前、女性を人質に逃亡を図りまして」
「教会から女性連れで逃亡を成功させたのですか?」
「恥ずかしながらその通りです。女性の名はイレーヌ殿。人形師ガルドの幼馴染で彼を更正させようと日々教会に通っておられました。貴族のご令嬢でもあり、ガルドと婚約する話も出ていたそうですが、あのような忌まわしい事件を起こした男と結婚する事は、残念ながら許されない事でしょう」
 忌まわしい事件。それは数ヶ月前の出来事だ。
 ガルドはデビルと思われる女から、この世でもっとも美しい人形を作るよう依頼を受けた。だがその人形は、人の体を縫い合わせて作られたものであり、例えデビルに唆されたのだとしても許される事ではない。悪魔の所業。故にガルドは囚われていたはずだった。
「イレーヌ殿は、それでも何とか更正させてあげたいのだと涙ながらに訴えておいででした。その為、度々面会を許可していたのですが、護衛の者が離れた一瞬の隙に、ガルドはイレーヌ殿を人質に逃げてしまったのです」
「具体的なその時の様子は?」
「護衛の者が来た時には、既に2人の姿はありませんでした。‥‥冒険者の方々の働きには非常に感謝していますが、この時ばかりは溜息をついたものです。デビルも部下も倒して下さったのだから、ガルドもその時にカタをつけていただいておれば‥‥と」
「しかし‥‥」
 ギルド員は冒険者からも事件の概要を聞いていた。詳細までは分からないが、その時の印象ではジョセフが言うほどガルドが悪い男のようには思えなかった。だがガルドが以前にも一度逃亡したのは事実だったし、悪辣な人形を作ったのも間違いなかったし、その事をきちんと反省したという話も聞いていない。
「勿論、逃がしたのは我々の落ち度です。しかも2度目ですから、我々が批判されこそすれ、冒険者の方々が悪く言われる筋合いはありません。我々は八方手を尽くして探しました。ガルドは元兵士の人形師。イレーヌ殿は貴族のご令嬢。逃亡しても簡単に見つかると思っておりました。しかし手がかりを得たのはつい先日の事です。恐らく、ガルドにはまだ後ろ盾がいて匿う者が居たのでしょう」
「どこに居たのです?」
「ガルドとイレーヌ殿の故郷の町。その近くで2人を見かけたという話を得る事が出来ました。私は手勢の者を連れて先に参りますが、出来れば冒険者の方々のお力添えも頂きたい」
「2人の探索を依頼すると言う事ですね?」
 問われてジョセフは大きく頷いた。
「ガルドの生死は問いませんが、イレーヌ殿は出来れば無傷で保護したいと思っております。‥‥前例の事もありますので、ガルドがイレーヌ殿を『悪魔人形』にしていないとは‥‥言い切れませんが、それを回避する為にも一刻も早く見つけ出さなくてはなりません。どうか宜しくお願い致します」


 娘は教会の奥で、静かに暮らしていた。
 白の神官達は皆、何かと娘の世話を焼いてくれた。まるで女神の使いのように美しい姿をしたエルフだったし、保護された経緯も哀れだ。おまけに表情は無く意思表示もしない。寝食は必要だが言葉を喋る事も無いその姿は、血の通った女神像のようだ。
 彼女が何者なのか。素性が分かれば彼女が生きている事を家族知人に伝える事も出来るだろう。そう思って神官達も彼らに頼まれた者達も彼女の事を尋ねて回ったが、2ヶ月経った今も何も分かっていなかった。
 かつて、デビルが『人形』と呼んだ娘。
 毒の池と呼ばれる池の中にある島に建っていた館の中で、彼女は操られていたように見えた。
 
 彼女は何者なのか。
 古い鏡が映し出した娘の姿を知る者はいない。

●今回の参加者

 ea5242 アフィマ・クレス(25歳・♀・ジプシー・人間・イスパニア王国)
 ea6215 レティシア・シャンテヒルト(24歳・♀・陰陽師・人間・神聖ローマ帝国)
 eb3084 アリスティド・メシアン(28歳・♂・バード・エルフ・ノルマン王国)
 eb5314 パール・エスタナトレーヒ(17歳・♀・クレリック・シフール・イスパニア王国)
 eb8113 スズカ・アークライト(29歳・♀・志士・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb8664 尾上 彬(44歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ec2418 アイシャ・オルテンシア(24歳・♀・志士・ハーフエルフ・イギリス王国)
 ec2838 ブリジット・ラ・フォンテーヌ(25歳・♀・クレリック・人間・ノルマン王国)

●サポート参加者

ラテリカ・ラートベル(ea1641)/ リン・シュトラウス(eb7758)/ レア・クラウス(eb8226)/ ジャン・シュヴァリエ(eb8302)/ 彩月 しずく(ec2048

●リプレイ本文

 アフィマ‥‥。君は、人を好きになった事があるか?


 その翳りは人の心に闇を落とす。
 ブリジット・ラ・フォンテーヌ(ec2838)は、『人形』と呼ばれた娘を見つめていた。空虚な表情、何も映さない瞳。
「‥‥本当に、生きているのでしょうか‥‥」
 後方からそっと覗き込んだアイシャ・オルテンシア(ec2418)が呟く。雪のように白い肌は、その血さえも凍っているかのようだ。
「‥‥何としても、護りましょう」
 座っている娘の傍らに片膝をつき、ブリジットはそっとその手に触れる。
「私はブリジット。貴女を護りたいと願う者です」

 その翳りは、クレリックであるパール・エスタナトレーヒ(eb5314)にも覚えがある。
「ニュートラルマジックを使える専門家の方を探してるですよ」
 黒教会に出向き、ガルドが留置されていた部屋の調査は行った。ガルドが使用していた毛布を貰って、パリを出発する仲間達に渡した。人形を作っていないかとも思ったが、それは許されていなかったので道具も置いてはいない。だが、毛布の端に小さな針が刺さっていた事を発見して、それを抜いておいた。計画された逃亡ならば針も持っていくはずだとパールは思う。だから同派の者を疑うわけではないが、ガルドがイレーヌを人質に逃亡した事に信憑性があるとは言えない。状況を詳しく聞けば聞くほど、逃げた現場を誰も見ていなかったのだと言う事だけが分かって行く。
「だから、本当はここから黒の教会に『人形さん』を移したいと思うですが、今回は保留したいと思うのですよ」
 黒教会で指定の魔法を使える者は確保した。だが何日も拘束するわけには行かない。
「そうですね‥‥。黒さんは脱出穴がどこかに開いてるかもしれないですし」
「そんな穴は開いてないです〜っ」
「満月の晩になると、うぃーんと開くんです‥‥きっと‥‥」
 怖がらせるようにおどけたアイシャにパールはむぅむぅ怒って見せたが、それが少し場の空気を和らげたようだった。
 振り返ると、ブリジットが娘を盥に入れて優しく体を拭いてやっている。その姿はどこか慈母のようでいて、仄かな蝋燭の揺らめきに照らされた2人は、聖画の一枚のように見えた。
 神聖騎士であるブリジットが娘の世話をする事に、教会の者達は困惑の表情を浮かべている。だがブリジットもパールも、娘を覆う翳りの正体を知っていた。
 それは、死の淵に立ち、それでも救われたいともがく人々。苦しんで苦しんで、他人も巻き込み闇に落ちようとする人々だ。
 この娘は、放っておけば何れ誰かを巻き込む。させてはならない。この娘を闇に落としてはならないのだ。


「恨み辛みも正義感も義務感もあるんだろうけど、ちょっと待ってくれると嬉しいかな」
 ガルドとイレーヌの故郷。その町の手前でアフィマ・クレス(ea5242)は神聖騎士とクレリックの団体に追いついた。
「ガルドさんは、あたし達に任せて欲しいんだ。理由は幾つか挙げられるよ」
 ガルドの生死は問わない。そう言った彼らが先にガルドを見つければ、間違いなく彼の命は無い。ギルドで聞いた話の方向から、彼らがガルドを亡き者にしようとしている事は分かった。だがそんな事はさせないと、アフィマは単独で先に彼らを止めに来ている。少しでも足止め出来れば仲間がガルド達を見つける手掛かりを入手するだろう。上手く行けば、彼らも自分達の意見に倣ってくれるかもしれない。その為の、大事な役目だ。
「デビルが関わってた事。あのデビルには、冒険者が追っている悪魔崇拝者達の影も見えたように思う。ガルドさんはその事、何か知ってる可能性大なんだよね。それから惨劇のあった館の事。その館にガルドさんは自分の人形を置いてきてるはず。その人形はでも、自分で勝手に動いてたって。その事も聞かなくちゃ。他にもたくさん‥‥。あたし達はまだ何も聞いてない。彼には用事があるの。そっちに預けたら聞けない事が多すぎる。今までもそうだったみたいに」
 彼らのリーダーだと言う男に告げるアフィマだが、男は黙って頷く。
「だからと言って、あの悪魔のような男を放っておくわけには行かないでしょう」
「放っておくわけじゃないよ。‥‥それに、今まで2回も逃亡されてる所に引き渡すのは、ちょっと不安がある。そんなのも含めて、出来るだけ任せて欲しいんだけどな」
「その事に関しては、我々も強く言えませんな。しかし、聞きたい事をあれが素直に言うとでも? まさか、改心するとでも」
「まず本人に会ってみないとそれは分からないけどね」
 自分の気持ちは腹の底に溜めながら、アフィマは努めて明るく言った。
 人形に携わる者として。その心を少しでも理解したい。最近の彼の作品は見ていないけれど、今作っている物を見れば彼の気持ちも分かるはずだ。そうすればイレーヌにもアドバイスしてあげられる。少しでも、良い方向へと進みたい。
「分かった。では、こうしよう。仲間が先ほど、彼らの住む屋敷と思われるものを発見した。そこに一緒に行って、私達の目の前で彼から言葉を引きだしてもらおう」
「‥‥あたし1人じゃ厳しいと思うけど」
「だが君の仲間は後から来るんだろう? それまでに逃げられては困る。だから、まずは君が一緒に来る。君の目の前では奴を殺さないと約束しよう」
 言われてアフィマは頷いた。


 故郷の町は、薄い雪に覆われていた。
 町の中を探すだけならばさほど広くは無い。一行は宿を取ってから探索を開始した。
「アフィマさんの防寒服がギルドに落し物として届けられてたみたいだけど、大丈夫かしらね‥‥」
 雪を踏みながらスズカ・アークライト(eb8113)が呟くが、それには皆苦笑を返すしかない。
 皆のサポート役として来た人達もパリ周辺を捜索してくれた。『毒の池』への往復をした者達によると、『孔雀なんて見た人はいない』、『ガルドの臭いはそこには残っていない』、『池の底には金属と骨が溜まっていた』、『ついでに館は黒焦げだった』というのがそこでの情報で、詩人ギルドでも孔雀の噂はなく、ガルドの故郷付近の細かい地図は見つからなかったのでダウジングは町を指すだけだった、との事。
 パリ組がそれをシフール便で探索組にも送ってくれたので、皆はそれを確認する。それから、ざっと町を回って聞き込みをした後にイレーヌの実家に向かう事を決めた。
 ここ数ヶ月で行方不明者が出ていないか、町から少し離れた所に使われていない小屋や工房は無いか、屋敷は無いか。或いは人形を連れた人を見なかったか、孔雀はどうか、分かれて聞いて回る。主に情報源は市場だ。もしこの周辺に居るならば、市場に食べ物を買いにくるかもしれない。
 ガルドがイレーヌを連れて逃亡したのか。それともガルドの後をイレーヌが追ったのか。概ね皆の考えは後者である。ならばイレーヌも町に来ている可能性が高い。
「すみません。イレーヌに会えますか?」
 レティシア・シャンテヒルト(ea6215)、アリスティド・メシアン(eb3084)、尾上彬(eb8664)の3人は、イレーヌの屋敷を訪れた。イレーヌやガルドの友人知人を装い、門番に尋ねる。
「イレーヌが沈んでいると聞いたのだけど。ガルドと上手く行ってなくて‥‥こちらに戻ってるとね」
「慰めてあげたくて来たんだけど‥‥」
 しかし門番達は首を振った。お嬢様は帰って来ていない、と。
「物陰でテレパシーしてみるわ」
 建物内に匿われている可能性もある。門番の目につかない場所でレティシアは魔法を唱えた。
『‥‥レティシアさん?』
 返事はしばらくの後に返ってきた。まだ門番の相手をしている男性2人を見ながら、レティシアは言葉に心を籠める。
『ガルドが貴女を攫って逃げたと聞いたの。でも、私は2人を信じたい。力にならせては貰えないかしら』
『本当に‥‥?』
『えぇ。だから、信じて』
『貴女も味方になってくれるのね。嬉しい‥‥』
『イレーヌ。貴女は今、どこに居るの? 屋敷の中?』
 だが、それへの応えはない。
「彬! アリス!」
 何度かテレパシーで話しかけても、もう声は戻って来なかった。レティシアの声に、2人は門番へと1歩近付く。
「‥‥匿っているんだな?」
 彬がやんわりとした笑みにどすの利いた声で尋ねた。
「し、し知らない!」
「知らないなら仕方ないね。良ければ少し頭の中を見せて貰えないかな」
 後ろに妖精が舞っていそうな笑みで、アリスティドも門番の傍らに立つ。
「ひぃぃぃ」
「駄目。やっぱり返事がない。もしかして‥‥」
「移動したのかもしれないね」
 3人は屋敷を見上げた。気絶させられたなら、テレパシーにもその片鱗が聞こえたはず。だがその気配は無かった。ならば圏外へ出た可能性のほうが高い。
「スズカと合流しよう」

 スズカは町の周辺にある屋敷などを愛犬と共に渡り歩いていた。毛布の臭いを嗅いだみっちーくんは、臭いを辿って移動する。だが、なかなか臭いを見つける事も出来なかった。
「う〜ん‥‥。これがただの駆け落ちでした、ってオチなら気が楽なんだけど‥‥」
『スズカ。イレーヌと接触できたよ。すぐ戻ってくれないかな』
『本当? りょうか〜い』


 ブリジットが聖書を読む、静かな声が聞こえてくる。
「フェリシーかリリム。どっちがいいですかね〜?」
 名の無い娘の為に、皆は名前を考えていた。娘は自分で食事は出来るものの、やはり誰を見ようとも何に興味を示そうともしない。デティクトライフフォースで何度か人数を確認するパール。その他にも同行した神官、ブリジットの魔法。定期的に警戒を続けるが状況に変化は無かった。それもそうだ。半月以上前に消えたガルドと密接な関わりがあるならば、冒険者が来る前に何らかの出来事が娘にも起こっているはず。だが娘はここに連れてこられた時から全く変わっていないのだと言う。
「どちらも素敵な名前ですよね。洗礼、するんですか?」
 娘の世話の合間に、ブリジットは教会内での信頼関係の構築に努めている。アイシャは定期的に外、部屋の外、室内を警戒して回っていた。夜は交替で娘の傍で見張りをし、朝になれば彼女の世話をする。話しかけ、部屋に花を飾り、髪を梳く。
『たくさん話してあげることです』
 彼女達の経験がまだ浅い頃。教会の者はそう教えてくれた。
『そうすれば心を失った人も帰ってきてくれる。夢闇の世界から、光満つこの世界へ』


「そういえばアフィマさんから連絡が無いんだけど?」
 二手に分かれて行動しながら、スズカがレティシアに言った。
「‥‥先に来てるはずの黒の人達も見当たらないわ」
『潜んでいる可能性もあるな』
 集まった時にそう言ったのは彬だ。
「黒教会の面々より先に見つけないと言いたい事も言えないのよね」
『依頼を出しておいて、向こうから接触して来ないのは何故だと思う‥‥?』
 その指摘はアリスティドだった。
 何故。
 その言葉は、これまでの依頼で何度も胸に刻んだ言葉。
『イレーヌ‥‥?』
 テレパシーで何度か声を掛けながら、2人は森の傍までやって来た。
「やっぱりここにも居ないわ‥‥」
「待って」
 スズカがレティシアの頭をぎゅうと押さえた。
「あれ、小屋に入っていくの‥‥」
 神官服と武装した男達。それを見た瞬間、スズカは走り出す。レティシアは町のほうへ少し戻ってアリスティドへテレパシーを送った。まだガルド達がそこに居るのか確認は出来ていない。だが、黒の神官達の好きにさせるわけには行かなかった。
「スズカ‥‥?」
 急いで戻ってスズカの後を追ったレティシアは、小屋の中からスズカの声がするのを聞き取る。
「ス‥‥」
「ガルド!」
 小屋の中には、3人の男が居た。そして裏口の傍にガルドが立っている。
「何、ぼーっとしてるのよ!」
 だが男達に襲われているのはスズカだった。その内の1人が斬りかかって来るのを避け、ガルドは扉を開く。
「‥‥後は‥‥頼む」
「イレーヌは!?」
 1人をスリープで寝かせ、気になっていた事を叫んだ。だが裏口を再度見たレティシアの視界が、不意にぼやける。
「な‥‥に‥‥?」
 誰かが叫んでいる声が聞こえた。だが背中が焼けるように熱い。‥‥スズカは無事だろうか‥‥。
 支えを失った人形のように崩れ落ちながら、レティシアはぼんやりと床を見つめる。
「レティー!」
 だが彼女の傍を一陣の風が通り過ぎた。
「彬さん! ガルド追って!」
 スズカの怒声に含まれた感情に気付き、一瞬彬は迷う。この戦いが長引けば彼女は間違いなく狂化する。だが開け放たれた扉の向こうに2つの姿が見えた。
「彬」
 追っ手に追われているガルドを死なせるわけには行かない。レティシアを背後から襲った男を眠らせたアリスティドがもう1人へとスリープを唱えるのを見て、ちらとレティシアを振り返り、彬はそのまま雪の降る世界へと飛び出して行く。
 戦いはすぐに終わった。最後の1人をスズカが寝転がせた所で、アリスティドが素早くレティシアの口にポーションを注ぐ。だが既に死の淵にいる彼女はそれを飲むことが出来なかった。
「‥‥ごめん」
 謝ったのは、ポーションを口移しで飲ませたからだけではない。
「‥‥アフィマ‥‥」
 徐々にレティシアの呼吸が戻っていくのを感じながら、アリスティドは目を閉じた。

「巴!」
 彬の忍犬が男に噛み付いた。すかさず雪の上で彬も男にタックルする。見事に倒れた男に小太刀を突きつけ、その体をロープで巻いてから彬はガルドを僅かに見上げた。
「‥‥イレーヌは何処に?」
「今日は戻って来ていない」
 感情の篭もっていない声と目で、ガルドは彬を見下ろす。
「パリに連れ戻しに来たのか」
「誰かに匿われていたのか?」
「俺をここに連れてきたのはイレーヌだ」
「‥‥じゃあ、ここに来た男達は?」
 倒れている男を見ると、雪は赤く染まっていた。


 その森に、金の髪の娘が倒れていた。
 冷たくなった体は雪に薄く覆われている。
 その傍で、何かが光った。

「これ‥‥。この子がつけていた物なの。貴女が持っているといいわ」
 神官に言われてブリジットは指輪を受け取った。紫の石が美しく煌いている。
「身元、これ使って分かりますかね〜?」
「これ欲しさに『兄です』とか言う人が出るかもしれませんね〜」
 平穏な日々にまったりしていたパールとアイシャの台詞だったが、不意に変化が訪れた。
「‥‥どうかしましたか?」
 娘が、ゆっくり窓の方向へ目を向けたのだ。ブリジットがその窓を開けると、丁度馬車が教会に向かってやって来る所が見えた。
「‥‥見てきますね」
 アイシャが外へ出、丁度止まった馬車へと近付く。
「あの、すみません。この馬車‥‥」
 声を掛けようとして、幌の中から出てきた姿に一瞬息が止まる。
「‥‥アフィマさん!」
「どいてくれ。急がないと死んじまう」
「そんな‥‥!」
 呆然とするアイシャを置いて、アフィマは教会内へと運ばれていく。
 その首元から、僅かな紫の光が零れた。