【夢幻の憐檻】 猜疑

■シリーズシナリオ


担当:姜飛葉

対応レベル:3〜7lv

難易度:普通

成功報酬:2 G 46 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:11月17日〜11月24日

リプレイ公開日:2005年11月26日

●オープニング


 近頃、戻らぬ者がとみに増えた。優秀な者から欠けていく気がする。
 檻に囚われる事に飽いたか、あるいは戻れぬ理由があるのか。
 そう、ここは檻。
 変わらぬ姿勢、変わらぬ在り方。
 新たな流れを厭い拒み、淀み凝り腐っていく。
 それをよしと留め置くのだから、檻としか言えない。

 戻らぬ者を『裏切り者』と罵るべきか。
 留まる者こそ、そう断罪すべきか。
 断罪――何が罪で、誰が罰するものなのか、それすらも‥‥


●審議
 当主に許された一室は、華美な装飾など一切なく。その代わりに、これまで代々の当主が積み重ねてきた膨大な叡智がうず高く積まれていた。飾りよりも書物を好む、知識を求める者達が過ごすに相応しい――そんな部屋である。
 そして今、当主が座すべき場所に座っているのは、ジルフィーナだった。
 次代の当主が立つまで、彼女はこの場所を、家を護らなければならない。それまでこの部屋の主はジルフィーナなのだ。
 しかし、その当主代行たる彼女に対し、大きくは無いが強い口調で異を唱える男がいた。
 そしてそれは一人ではなく。ジルフィーナを囲むように部屋にいる数名の者らは、皆男を支持していた。
「外にいるならばまだしも、屋敷内での護衛に外部の人間を入れるなど!」
「当人のたっての希望です。それに一族内においては、精霊魔法の使い手には不自由しませんが、剣や弓を扱う事が出来るもの、荒事の処理を得手とするものの数は多くありません。優秀であれば、依頼を受け外へ出ている者も多い」
「ですが!」
「次期当主であるフレイアの求めを断るに足る理由をあげ、更にフレイアの身の安全を保証をできる者がいるのであれば考慮しましょう」
 居並ぶ人々――一族内部で力を持つ優秀なウィザード達を前に、臆する様子も無く、ジルフィーナは淡々と答えた。
 静かだが、断固として引かぬ意思を含んだその声。
 その後も暫しの間、問答が続く。けれど結局折れたのは彼らの方だった。そして三々五々、彼らは部屋を後にする。
 やがて部屋に残ったのは、ジルフィーナとジェノバの二人だけだった。
 話の最中、1度として口を開かなかったジェノバが問うた。
「ジルフィーナ様、これで宜しかったのですか?」
「フレイアのこの夏の不調の真実は、明らかにしなければいけない。それは確かです。けれど、証も無く、望んだ者も明らかではない今、断片的な情報だけを、皆に話してみたところで無駄でしょう」
 いたずらに混乱を招くだけ。
 ただでさえ、不穏なパリ周辺、ノルマン国内。それは、冒険者で多く構成される一族にとって遠い話ではない。
「‥‥可哀想な子、本当に」
 薄青の瞳は、薄暗い室内のためか暗青色に染まり。
 ジルフィーナは、ぽつり小さく呟いた。


●護調
「この間は、助かったよ♪ ちょっと大変だったけど、フレイアちゃん無事に帰れて、『ありがとう』って言ってたの」
「それは何よりでしたね」
 訪れるなりそう笑うシェラに、先日の依頼を受け付けた係員も釣られるように笑みを浮かべた。
「それでね、今度はフレイアちゃんの家で、ちょっとの間一緒にいて欲しいんだって」
「は?」
「楽しいお話を聞けると、フレイアちゃん嬉しそうなんだけど、お話しするためだけに冒険者を雇うなんて多分皆許してくれないから、『護衛』の依頼で来て欲しいっていってたの」
 要領を得ないシェラの話に、受付係の浮かべる笑みにほんの僅か苦いものが混ざる。
 けれどその後、シェラが差し出した書簡に納められていた書面を見て漸く納得できた。

 書面には依頼内容が書かれていた。そして、シェラが話す内容とは別の依頼も書かれていた。
 依頼の要件は2つ――護衛と調査。
 護衛を依頼するのは、3日間。そして、その3日の間に調査を願うという内容だった。
 そして調査してほしい事項は、フレイアの病の原因‥‥一族内部にデビルに通じるものがいるか否か。
 内部の人間が潔白であればいいが、仮にいたとするならば、おそらくフレイアに近しい内部の者なのだろう。
 けれど、証も無くては疑う事も出来ず。近しい者であればあるほど、一族内では力を持つ当主位に近いものも多い。
 悪戯に混乱を招き、あまつさえデビルを身中に招き入れた人物を追い詰め、逃すのならばまだ良い。
 フレイアをまた命の危機に晒すわけにはいかないから‥‥だからこその依頼だと書かれていた。
「生きていて今まで真に潔白な人間など、いるものではないでしょう。ですから、もし神を仰ぐ冒険者に協力を願えた場合には、内部不信を一族内でこれ以上広げないためにも‥‥」
 見境なく『ホーリー』等を試みるという荒事は止めて欲しいとも書かれていた。
 予測とそれに基づく願いと注意が書かれた書面を受け取り、「承りました」と受付係は頷く。

 最後に書かれていたのは、『調査の件は依頼を受ける冒険者以外は内密に』という一文。
 目の前にいるシフールの少女に、その事は知らされていないのだろう。
 それを知った時、彼女はどう思うのだろうか。ふと浮かんだ疑問、受付係はそれをシェラに投げかけた。
「依頼人であるジルフィーナ殿の言伝を御預かりするのはいつもあなたなんですね」
「うん、ルベウスちゃんの友達で、ジルちゃんもシェラの友達なの。フレイアちゃんも友達だから、頑張るよ? でも、どうしてルベウスちゃんは、ジルちゃんを頼らなかったのかなぁ?」
 自分の問いに小首をかしげ。けれど、その後何かに気付いたように表情を曇らせ肩を落とした。
「ええと、フレイアちゃんの元気のお手伝いできると、いいな」
 シェラは、にこりと笑ってみせた。



「かの君は確実に準備を進めているというのに‥‥上手くいかないものね」
 呟き声。影が問うように声の主を見る。
 主はその視線に含む笑みを浮かべてみせ、気にすることではないと告げる。
 部屋にある影は2つ‥‥。

●今回の参加者

 ea5838 レテ・ルーヴェンス(25歳・♀・ファイター・エルフ・イギリス王国)
 ea7780 ガイアス・タンベル(36歳・♂・ナイト・パラ・イスパニア王国)
 ea7984 シャンピニオン・エウレカ(19歳・♀・僧侶・シフール・インドゥーラ国)
 eb0605 カルル・ディスガスティン(34歳・♂・レンジャー・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb1460 エーディット・ブラウン(28歳・♀・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 eb3000 フェリシア・リヴィエ(27歳・♀・クレリック・人間・ノルマン王国)
 eb3361 レアル・トラヴァース(35歳・♂・レンジャー・人間・エジプト)
 eb3385 大江 晴信(37歳・♂・侍・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

●再集
「いよいよ犯人を探すときが来たのね。『家』では冒険者は不評みたいだけど、めげずに頑張るわ!」
 フェリシア・リヴィエ(eb3000)の意気込みに、レテ・ルーヴェンス(ea5838)は不評の理由は違うのではと思った。
 疑に満ちた家。その中で、ジルフィーナの手腕は見事だった。冒険者の行動を予測し先に釘を刺しておく。不信を広げぬ注意である反面、保身とも言える行動。
 今まで暴かれなかった事が白日の下に晒されるかもしれない事を怖れているのだろうか。
 門戸を潜ろうとする冒険者らの後ろから、お〜い‥‥と掛けられる声。振り向けば、セブンリングブーツで道のりを急ぎ来たレアル・トラヴァース(eb3361)だった。
「追いついてよかったわ。遅刻したんじゃ面目立たへんからなぁ‥‥」
 レオンは頬を掻きつつガイアス・タンベル(ea7780)に蜜蝋で封じられた手紙・ギースからの封書を差し出す。
 封書を開き、彼は心配が杞憂であった事を知る。そして杞憂で良かったと思った。同時に浮かぶ疑問、ならばルベウスは今どこにいるのだろう。
「それにしても、フレイアちゃんに当主になって欲しくないヒトの仕業って奴かな? デビルと手を結んでまでするなんて‥‥」
 憤慨したように腰に手を当て怒ってみせたシャンピニオン・エウレカ(ea7984)。だが、彼女自身も迷う表情を見せる。
「なんとなくだけどね、フレイアちゃんを嫌ってとか、当主としての適応が云々とか、単純な理由じゃない気がするの。そんな動機なら、暗殺者でも雇うか何かした方が、余程手っ取り早いし。デビルと通じるリスクを考えたら、とても天秤が釣り合うとも思えない」
 彼女の言葉も尤もだと思いながら、青空を見上げた大江 晴信(eb3385)。先日見かけた鳥が気になったものの、今空には何の影も見つけられなかった。
「けど、どんな訳があっても、フレイアちゃんを苦しめて悲しませていい理由にはならないよ」
「‥‥ややこしい流れだが、任務は必ず遂行する‥‥」
 きっと守ってみせると意気込むシャンピニオンに小さくカルル・ディスガスティン(eb0605)が呟いた。
 黒装束の下、窺えぬ表情の彼の言葉に皆頷き合い、重く軋む音を立てる門扉を潜った。


●調査
 雰囲気が重くならないよう配慮し、おっとりした空気を身に纏ったエーディット・ブラウン(eb1460)は、何くれとシェラと共にフレイアの傍で時間を過ごしていた。
「そうそう、前に約束した魔法をお見せするですよ〜」
 カリツェに頼み水差しと深めの大皿を借り受けたエーディットが、皿に水を満たしながら微笑む。
 笑顔で頷くフレイアは、けれど、目の前にある水が張られた皿の意図が読めずに小首を傾げた。
 その表情にエーディットはふわりと微笑を浮かべ、片手で印を結び詠唱をはじめた。一瞬淡い青い光がエーディットを包む。
「どうしてここにいるです〜?」
『さっき水差しから汲まれて溜まった水だよ〜』
 エーディットの問い掛けに、小さく高い無機質な声が返る。皿に溜められた水の応え。驚くフレイアの隣り、シェラも「すごいね」と皿の水を見つめる。
「この魔法は、見た目全然地味ですごく無いのですよ〜」
 でも‥‥と彼女は言葉を続けた。
「本当に凄い魔法ほど、見た目が地味だったり、あっけない効果に見えたりする物なのです〜。魔法使いにとって大事なのは、見た目に惑わされず、本当の事を知ろうとする心なのです〜♪」
「そうよ。それに周りは敵だらけと怯えているけどそうじゃないわ。そして魔法の能力だけが全てじゃない。フレイアにはフレイアにしか出来無いことがあるはずよ」
「いつかフレイアはんが当主になったら、『家』改革をできればええなぁ」
 レアルやフェリシアの励ましに微笑み頷く。自分を肯定してくれる存在、それこそがフレイアが求めたものなのかもしれなかった。


 ガイアスの申し出に、ジルフィーナは時間を作り部屋へと招き入れてくれた。常と異なり柔らかい口調なのは、私人として答えてくれるという事なのかも知れない。
 彼が話し易い様配慮したのだろう、休養をとるようにと退室を求められたジェノバの視線がやけに鋭い気がしたが、その背を見送った後、ガイアスはルベウスについて訊ねた。いなくなった時、また失踪にデビルが関与している可能性等々問う。
「『フレイアの病の原因がわかった。治す為の薬を手に入れようと思う。君はそれで構わないか?』と訊ねられたから、勿論と頷いたわ。彼は元々年中旅して歩いている人だったけれど彼が戻らず、貴方方が訪れた時は驚いたわ」
「他に彼が戻らない理由をご存知でしょうか?」
 ジルフィーナは僅か考える様子を見せたが、結局首を横に振った。
「ルベウスがいる方がフレイアも楽しそうだから、もう少し居着いて欲しいとは言ったのだけれど‥‥本当に自由に行動する人だから、わからないわ。彼のその奔放さは呆れるけれども、少しだけ羨ましいわね」
 幾つかの話を終え退室したガイアスは、ふと広く長い廊下から外を眺めた。
 以前、魔法使いの一団に襲われたのはあちらだったろうか‥‥そう目測を量る。一部の部屋を除けばそこが見えた。
 どんな大仰な魔法が放たれようとも、気に留められないこの状況こそが問題ではないかと思ったが、それを問う相手は彼の前にはいなかった。


 明るい声が響き、時折楽の音も零れ、フレイアの私室は近頃には稀な賑わいだった。
 交替で常にフレイアの傍にいる事を心掛けていたが、年若い少女と共に過ごすに難い者も中にはいた。
「‥‥会話は苦手だからな」
「別に無理をせず、カルルさんはカルルさんでいいんじゃないですか?」
 ガイアスの助言に考えるように小さく唸るカルル。ふと、彼が手にしたもの。
 ちゃり‥‥と、小さな金属の擦れる音を立てるそれは鈍色を放つ銀のネックレスだった。
「‥‥銀は魔除の力があるそうだし‥‥おあつらえむきだろう‥‥」
「カルルちゃんからのお守りだね♪」
 唐突に掌に落とされたそれを見つめるフレイアの横合い、覗き込んだシャンピニオンの笑みを含んだ言葉。
 繰り返しなぞるように「お守り」と呟き、ネックレスを見つめていたフレイアだったが‥‥。
 感情を量り難い抑揚の無い声音に、表情を伺う事の出来無いマスク。けれど彼の配慮までもが遮られる事はない。
 手に在る銀のネックレスには、やがて体温が伝わり冷たさは消える。
 微かな笑みを浮かべ、フレイアはカルルに礼を述べるのだった。


 ジルフィーナの元へ戻ろうとしたのだろう、私室から出てきたジェノバの姿を認め、レアルはそっとその後を歩き始めた。
 ふと、足を止め振り向いた先。鋭い声を投げかければ、観念したのかレアルが角より姿を現した。
「そこで何をしている?」
「不審者がいないか屋敷内巡回中なんや」
「成る程、ご苦労な事だ。それで不審者は見つかったのか?」
 ふ、と口の端を持ち上げ笑うジェノバに、レアルは軽く肩を竦めてみせた。
 その場を歩み去ろうとするジェノバの背にレアルは問うた。
「なあ、なんで神聖騎士辞めたんや?」
「騎士の道は降りてはいない。剣を捧げる相手が神ではなくなっただけだ」
 振り向きそう答えたジェノバは、レアルが今まで彼の中に見た事が無い笑みを浮かべていた。


 依頼人の許可は得るべきだと、それを申し出たのはカルルだった。
 精霊魔法の使い手には不自由しないこの屋敷の中、隠密行動に探知魔法は天敵である。
 迂闊な行動は避けるべきだという彼の指摘は尤もだったが、晴信はジルフィーナとジェノバ、2人共が信用できなかった。だからこそ調べたかった。
 結果、一族の者が共用で使用している部屋、そしてジルフィーナの私室を見ることは叶ったが‥‥
「頼んで見せてくれる奴じゃないよな」
 レアルがジェノバと話すのを認め、晴信はそっと部屋に身を滑り込ませた。鍵は掛けず出た今しかないと判断したのだ。
 許されたのは僅かな間。晴信が見渡したジェノバの私室は、必要最低限の物しか置かれていない生活感の無い空間だった。
 けれどその中で見つけた、隠されるように書棚の本の影に仕舞われていた1枚の絵。隠そうとする物を探しに訪れたのから、より目を引いてしまったのだろう。
 小さな絵姿に掛かれていたのは、幸せそうに笑う4人家族の姿だった。否、一家というにはそこに描かれていた青年が、夫婦の子にしては年を重ねすぎていた。
 何より夫婦と薄青色の瞳が印象的な少女は人間で、青年はエルフであった。そこで晴信はようやくその青年がジェノバだと気付いた。それ程の微笑を浮かべていたのだ。


 多くの若者に魔法を指南してきたというジーハ・トルテ。
 ルベウスの師でもあったというジーハに話を聞こうと思っていたフェリシアは、初めてジーハが暫く家を空けているという事をジルフィーナに聞いた。
 ジルフィーナは依頼した事だからと、『部屋の物は不用意に動かさない事』を条件に、ジーハの部屋を訪れる事を認め、合鍵を渡してくれた。
 話が聞けなければ、ルベウスの事は結局わからない。それでも何もしないよりは‥‥と窓には戸が下ろされ光の差さないその部屋に燭台を持ちフェリシアは訪れた。
 部屋は一言で言えば、紙で埋められた空間だった。大なり小なり知的探究心を抱えるウィザードという道を選ぶ者達の例にもれず、部屋の四方は大きな書棚が並び、その書棚に納まりきれぬ紙束の山が、部屋に築かれていた。そして、部屋の燭台に残る尽きかけた蝋‥‥その上には埃が積もり、長く主が不在であることを示していた。
「‥‥だめね、やっぱり。ジルフィーナさんに聞いた方がまだ良いのかしら」
 呟き嘆息を零すフェリシア。ふと部屋の片隅に残されていた物に気付いた。灯りを寄せ間近で覗き見たそれは、飴色に磨かれた古びた木の杖。
「長く大事に使われていたのね。それをおいていってしまうなんて‥‥」
 飴色に磨かれた時間の流れに逆らう真新しい傷跡を杖に見つけ、フェリシアはそれが少し惜しいと思った。


 カリツェは、自分に分かる事ならば‥‥と、レテの手伝いの申し出には遠慮したものの、問い掛けや会話には仕事に支障無い範囲で応じてくれた。
 特に目立つ事も無い平凡な容姿の、穏やかな印象の中年女性である。
「フレイア様を1番気に掛けていらっしゃるのは、ジルフィーナ様でしょうね。本当の姉妹のように仲の良いご様子でしたよ」
 カリツェがここに来たのは、当主が亡くなってからだったが、その様に見えたという。
 けれど、後継としてのフレイアの資質が危ぶまれ、不満や疑問の声が大きくなる度に、フレイアの方がジルフィーナを疎んじるようになり始めたという。
 フレイアが倒れた夏には既に彼女自身が、ジルフィーナや一族の者を避けるように過ごしていた。唯一の例外は、ルベウスくらいではないのだろうか‥‥と。
「‥‥常に精神的な重圧を感じられていたのでしょうね。実際、ジルフィーナ様ご自身が家督をお継ぎになられてもおかしくないお立場の方ですし」
 亡くなった先の当主の兄がジルフィーナの父。旅先の事故で体が不自由になった事から、弟であるフレイアの父に家督を継ぐ役を譲ったのだという。
「私はこちらにお仕えしだして日が浅いものですから、余り詳しくは無いのですけれど‥‥。さあ、今日は良いお天気ですから、お部屋の露台でお茶に致しましょうか」


●護衛
 よく晴れた空の下、フレイアの部屋の露台に卓を広げ、和やかなお茶の時間が始る。
 お茶の席に並んだのは、レテが作った林檎のパイ。
 レテ手ずから切り分けられたパイと、フェリシアが淹れてくれたお茶を先んじて頂いたのはガイアス。
 美味しいという言葉より雄弁な彼の笑みに、フレイアも釣られるようにパイに手をのばした。
 お茶に酒を垂らして飲めばもっと美味いと零した晴信に、仕事中でしょとフェリシアが窘めれば、そんな些細な遣り取りさえも楽しいのか、フレイアはよく笑った。
 シャンピニオンの明るい歌声を乗せたシェラの竪琴の音が、お茶の席に流れる。レアルの横笛の澄んだ音が重なれば、小さな演奏会が開かれた露台は、和やかな雰囲気に包まれた。
 他愛ない会話の数々。その中でガイアスが、ふと口にした問い掛け。
「ルベウスさんを裏切り、って判断したのは何故でしょうか。誰かがそう言ったのでしょうか?」
「裏切り? ルベウスも本当に私を見捨てたの?」
 目に見えてフレイアの表情が強張る。慎重に機を見計らい訊ねたつもりだった。
『必ず治す』――そう約し、けれど姿を消してしまったルベウスを、フレイアは『嫌い』だと言った。だが‥‥。
 突然、あがった高く鋭い鷹の鳴声。
 笛を手放し、剣の柄へと手をのばしたレアルの頭上に降ってきたのは、愛鷹の物と思しき猛禽の羽根。
 降り注いでいた陽光が遮られ、露台に影が落ちる。
 同時に舞い降りたのは、真っ黒な羽を広げたシャンピニオンよりも遥かに大きな蝙蝠。
「ラージバット‥‥この家の森にはこんなの住んでるの?!」
 その言葉に柳眉を顰めつつ、ホーリーを放ったフェリシアがそれ以前だと鋭く叫んだ。
「冬の日暮れは早いけれど、まだ夕刻というには間がありすぎるわ」
 陶器が卓から転げ落ちる。高く鈍い音が幾つもあがり、悲鳴が響く。それが誰のものなのかエーディットには確かめる間が無かった。
 咄嗟にフレイアを抱きしめるように庇った彼女の背に鋭い痛みが幾つも走る。
 窓硝子が割れ露台に散乱する中、カリツェとフレイアを部屋の中へというレテの鋭い指示に、シャンピニオンとシェラが動いたが、目の前の光景に腰が抜けたか座り込んでしまったカリツェを引っ張り上げるには、彼女らでは荷が勝ちすぎた。
 その様子を視界の端に認めたレテが、カリツェとフレイアを庇うよう腰に帯びていた剣を抜き構えれば、シャンピニオンはエーディットの傷を癒しに飛ぶ。
 茶会への同席はしなかったカルルが喧噪に気付き駆けつける。獲物を狙う蝙蝠に再び舞い降りる機を合わせ、ダーツを投げつける。
 生み出された隙に、痛みを堪えエーディットが作り出した水球が、1匹のラージバットの上に落ち爆ぜた。
 重みにふらつき体制を崩した所を、レアルのレイピアが羽を貫き、ガイアスの剣が裂く。
 もう一方のラージバットは、晴信の放った闘気が羽を強かに打ちつけ、よろめき空を滑り落ちる。
 フェリシアのホーリーが畳み掛け、翼を欠いた蝙蝠は上手く飛べずきりもみしながら落ちた。
 空を翔ける術を奪われ地に落ちれば、冒険者の敵ではなく。
 断末魔の甲高い声をあげながら、2匹の巨大蝙蝠は討ち果たされたのだった。

 黒く大きな蝙蝠の死骸を前に、断末魔の声が耳に残るのか、耳を塞ぎ怯えるフレイア。
 彼女の部屋の扉が大きく叩かれ、名を呼ばう複数の声が響き聞こえ始めたのは、カルルが駆けつけた更に後。冒険者らが討ち果たしてからの事だった。