●リプレイ本文
●モロゾのお話
とちのき通りからの新たな依頼に、再び集まったしふしふ団。集合場所は、なし崩し的にしふしふ団基地となってしまったパン屋宅だ。
「初めまして、孫美星(ソン・メイシン)アル。シフールの危機と聞いて飛んできたヨ、何ができるかわからないけど、よろしくアル」
ぺこりと頭を下げる孫美星(eb3771)に、フィリア・ヤヴァ(ea5731)がしふしふ団腕章を手渡す。これで彼女も、とちのき通りの平和を守る『正義のしふしふ団』の一員だ。
「全国一千万しふしふ(適当)のひとりとして、楽しく明るく幸せで満腹な、しふしふとして恥ずかしくない行いを心がけるんやで? それを忘れたしふしふは、しふしふの暗黒面におっこちて、悪のブラックしふしふ団になってしまうんや‥‥」
ごくり。恐ろしい。何て恐ろしい。
──嘘だ。そんな話聞いたこと無い。
「さてっと、今回も正義のしふしふ団が、わるしふ団を成敗するで〜☆」
取り敢えず、そのモロゾとわるしふ団の仲間達を何とかしなくちゃだね〜、とフィリア。ふと見れば、ファム・イーリー(ea5684)が難しい顔で考え込んでいる。これぞ真剣に依頼に取り組む、正しき冒険者しふのあるべき姿。
「ん〜、しふしふ団のテーマソングどうしよう」
‥‥まあ、それはさておき。
「不思議なんやけど、どうしてモロゾはあそこまで落ちぶれたんや?」
「それそれ。悪いやつに騙されたとか?」
フィリアの疑問に頷きながら、天野夏樹(eb4344)が興味深々に身を乗り出す。
「不都合が無ければ、話してください」
サティー・タンヴィール(eb2503)に促され、トート少年が語るには。
「モロゾさんから畑を取り上げたのは、ご領主様だよ。税があまりに厳しくて支払えなかったから、その代わりに。小作人になってでもってモロゾさんは言ってたんだけど、ご領主様はシフールの畑なんて初めからどうでも良かったんだよ。森を切り開いて開墾するって話だったから、今頃はもう、村ごと無くなっちゃってるかもね」
トートにとっても、辛い思い出があるのだろう。暫し、言葉に詰まる。
「村を夜逃げした後の事は詳しくないけど、随分とあちこち巡って、小作に雇ってもらおうとしたみたい。でも、他所ではモロゾさんの技術は理解してもらえなかったんだろうね。知らない人にとっては、ただの怪しい流れ者なわけだし、どうせなら力持ちを雇いたいって思うだろうから。のたれ死にしそうになってるところを奇跡的にワルダーさんに拾ってもらって、運命を感じたって言ってたな。土地を耕す夢はきっぱり捨てて『ワルダー殿と共に、ここにそれがしらの新しい住処を作るのである〜』って頑張って、とうとう幹部になっちゃった」
ははー、と一同、感心するやら呆れるやら。。
「むむむ、納得いかーん! どうして最後、そうなっちゃうん?! なんていうか、頑張る方向が違うっていうか──あああさぶいぼでる〜」
フィリア、ごろごろ転がる。ぴたっとうつ伏せで止まって、特大の溜息をひとつ。
「しかし、わるしふ団も何や厄介な連中が多いな〜」
皆、まったくだと頷きながらも、でも、何とか助けてあげたいと意見が一致してしまう辺りが、このメンバーの良いところ。
「殴って黙らせた方が早い気もするが‥‥ま、同じシフールだから気も咎めるし、それでいいかな」
面倒くさいこったと肩を竦める劉蒼龍(ea6647)。もしもの時は頼むな、と頼られて、任しとけと一転笑顔。
「んじゃ、しふしふ団腕章つけてしふしふっと『とちのき通り』をパトロールしよか〜」
通りに出れば、気さくに声をかけてくれる人達もちらほらと。
「頑張ってるねぇ」
近所のおばさんから、労いの言葉がかかったりもする。
「うちらしふしふの仲間が厄介なことやってゴメンな〜」
フィリアが謝ると、おばさんは笑って首を振った。
「あんた達が謝らなくてもいいんだよ。悪いのはあのわるしふ達なんだから」
ほんとに厄介だねぇ、と憤慨する姿に、ちょっと切り出し難くなってしまったが、そこは上手くぼやかして話を進める。
「あたいらしふしふにも出来る仕事って、あるやろか」
「そうだねぇ、シフールってのほほんとしてて、あんまり働いてるイメージじゃないけどさ‥‥お店番とかしてるのは、時々見るねぇ。後は、細かい細工物とか得意そうだけどね」
色んな意見を聞きながら、わるしふ達に勧められる仕事を見つけ出そうという作戦だ。
「あ、天龍くん、またちょっと手伝ってくれんかな」
前回の働きっぷりの良さが幸いして、飛天龍(eb0010)には早速声がかかる。じゃ、行ってくる、と飛んで行く天龍を、がんばれ〜、と見送る一同。
一方、ファムが訪ねたのは、皆さんご存知シフール飛脚。
「‥‥というわけなので、飛脚の募集してないか聞きにきました」
瞳を期待できらきらさせながら返答を待つファムにちょっと気圧されながらも、こほん、と咳払いをひとつ、話を切り出す事務方しふしふ。
「残念だけど、人様の大切なお手紙を預かる仕事だから、素行の悪いシフールは採用できないよ」
「改心しても?」
うるうるしながら迫るファム。
「本当に改心したかどうかなんて分からないし。せめて、保証してくれる人くらいはいないと」
「あたしがするんじゃ駄目?」
「もしも何かがあった時に、代わりに責任を負えるかどうかだね」
ぽわぽわ〜っとイメージが浮かび上がる。うっかり保証人になってしまったばっかりに、大借金赤貧シフールとなってうらびれた貧民街で歌う自分に、ちゃりんと1Cが放られる。はたまた、悪い大金持ちの囲い者となって鳥かごの中で泣く自分を、にくったらしいドラ息子が歌え歌えと棒でつっつく。ああおやめになってください〜。
「ちょっと、お嬢ちゃん大丈夫か?」
「し、失礼しましたーっ!」
大手はやっぱり甘くない。
それでは、とファムは、わるしふ達の故郷の方をどうにかできないかと、トーエン卿という人について調べてみた。ついでに、この街の主の事も。
──解説しよう。トーエン・へウロ。地方にささやかな領地を持つ小領主だ。今のエーガン王の時代になってから、土地改良の技術を買われて取り立てられ、不興を買って没落した貴族の土地を与えられている。しかし、以後は技術を生かすよりは接待と付け届けで歓心を買う事に腐心。とかく噂の絶えない人物で、領地の規模からは考えられない程に裕福だ。その一方で、容赦なく法外な税を取り立てられる領民は、今も苦しい生活を余儀なくされているという。
一方、ウィルの街はエーガン王が領する。通常、正規の手順を踏んで申し出れば訴えを聞いてもらう事も可能な筈なのだが、残念ながらエーガン王は長らくその機会を設けていない。詳しくは、王族関連の報告書を参照して欲しい。
「うーんうーん、どうしたらいいのかなぁ‥‥」
パン屋に戻る頃には、すっかり眉間に皺が寄ってしまったファム。旦那さんに話をしたら笑われた。そんなお偉い人達に訴え出ようなんて、とんでもない。まともにとりあってくれる筈が無い、と。
「じゃあじゃあ、あたし達の話を聞いてくれる偉い人って、誰なの?」
パン屋の旦那、そうだなぁ、と考える。
「この界隈の事を相談する人といえば、古物商のゴドフリーさんかな。何か決めなきゃならない大切な事がある時に、皆が頼るのはあの人だね。お役人に意見を聞かれる事も多いし、あの人、古美術品みたいなものも扱ってて、意外と貴族なんかにも顔が広いんだよ。本当は町役人に相談するのが筋なのかも知れないが‥‥」
言葉を濁した。あまり頼れる人物ではないらしい。
カノ・ジヨ(ea6914)は通りの人達のもとを周り、頭を下げ続けた。
「トート君の話から、わるしふ達が不当に住処を追われ、食べていく為にやむなくこういった行動をとっていることが分かりましたー。大部分のわるしふたちは、働きたくても流れ者だからって職に就けなかったひとたちなんですー。なのでぇ‥‥、彼らに悪事を止めさせる一番の方法はぁ、この街が彼らを受け入れてあげることだとおもうんです〜」
もちろん彼女にだって、これが皆にとって釈然としない話な事は分かっている。
「さんざん悪さをされてきたことを水に流して一緒に働くのは難しいでしょうけどー、そこはどうか、広い心で受け止めてあげてほしいんですー。その‥‥私たちのジーザス教にはこんな言葉があるんです〜。『汝、欲するならまず与えよ』。この街の治安をよくするために、どうか皆さんから歩み寄ってあげて欲しいんですー。もちろん、二度と悪さをしないようにしっかり反省させますし、悪者にそそのかされないように、首謀者は私たちが必ず捕まえますから‥‥どうかよろしくおねがいします〜」
「少しずつでも受け入れられていけば、きっと色々と変わるでしょうから」
お願いしますと、サティーも共に頭を下げる。天龍もフィリアも、仕事を手伝いながらそれとなく話をした。するとその日の夕方、住人の代表として、ゴドフリー氏がパン屋を訪れた。落ち着いた雰囲気を漂わせた、人の良さそうな老齢の男性だ。
「結論から言えば、50人ものシフールを受け入れる程の余裕は、この通りには無いのだよ。皆、その日その日を懸命に暮らしている。余裕のある家など、ごく僅かだからね」
そうですか、と、落胆するしふしふ団の面々。
「ただ、本当に更生しようとする気持ちがある者に貸す手は惜しまないつもりだ。皆一緒に、というのは難しいが、その人物が懸命ならば必ず拾い手は見つかるもの。私が後見となってもいい。もちろん、私を納得させられる人物ならば、だよ? 彼らにしても、ひとりひとり事情は違うだろうから、むしろそれぞれ自立の道を探ってあげるのが良いのではないかな。その上で、かつて同じ村に暮らした仲間同士で良い関係を持ち続けるのは、不可能では無いと私は信じるよ」
全ては本人次第、という事だけれど、通りの人々が出した答えは拒絶ではなかった。その事に、しふしふ団の面々はほっと胸を撫で下ろす。
「‥‥ずっと考えてたんやけど、多分、モロゾにはまだ、農業をやりたいっていう心が残ってるんやないかな。でもそれが叶わないから絶望のあまり、人様に迷惑かけてでも自分達の住処を作るって事で誤魔化してるんや」
「なるほど。本当にそこまでの思いがあるなら、彼が居るべき場所を提供しよう。まずはその彼を連れて来なさい。情熱がまだ消えていないなら、小作として雇ってくれて1日2食が食べられる、ちゃんとした奉公先を紹介しよう。儲かるとは言い難いが、身を持ち崩さなければささやかな蓄えと技術が身に付く筈だ」
図書館で数多の本を読み耽っていたモニカ・ベイリー(ea6917)。彼女がパン屋に戻ったのは、ずいぶんと遅くなってからだった。
「カオスの魔物って概念がよく分からなかったから‥‥デビルみたいなものなのかな、と同一視して良いなら、私の魔法が役に立つ筈だから」
しかし、この世界には最近まで神聖魔法が無かった訳で、そのものズバリな解説は何処にも無い道理。ただ、その存在のあり方も、行いも、悪しき技も、非常に共通点が多い。恐らくは、と、希望を抱いての帰路なのだ。
忙しい初日は、忙しいままに暮れて行くのだった。
──もう時間か。では、これで失礼する。
「シャリーアさん、ありがとうアル〜」
解説のおねえさん、お仕事を終えてご退場。
就寝前。夏樹は気になって、トートに聞いた。
「結果的にわるしふ団を裏切った事になるんだよね。元の仲間から責められたりしてない?」
「うん、今のところは。あれから会ってないし‥‥。拾ってくれた旦那さんの恩を思うと、会わない方がいいのかな、って。でも、いつかはまた会える様になるといいな」
夏樹、もらい泣きしそう。
「前回、ちょっと酷い目に遭わされた気がするけど‥‥今、ちゃんと真面目に働いているなら、それは水に流すよ」
「酷い目? えーっと‥‥」
「思い出しちゃ駄目っ。忘れるのよ! ど、何処を触ったとか!」
夏樹の大きな声に、皆我慢の限界。声を殺して笑い出した。
「と、とにかく! もしも困った事になったら私達も手伝うから、一人で抱え込んじゃダメだよ、わかった?」
咳払いしながら、そんな話を。トートはありがとう、と微笑んだ。
「あーでも、みんな一緒は無理アルか〜。サーカス興行の許可をもらうとか、治療院やペットショップ、飲食店を開くとか。安い土地で庭つきの一軒屋を借りて、家庭菜園や花畑、薬草園か畑のどれかでも作るとか‥‥。皆の力を合わせれば、何かひとつぐらい事業ができないアルかなー」
あたしは薬草園つきの治療院がいいアルよ〜、と夢いっぱいの美星にトートは苦笑。
「50人を養う稼ぎは、ちょっとやそっとじゃ出せないよ」
現実を知りすぎているというのも、シフールとしてどうなのか。
「ふーんだ。それを口実に、しふしふ団の秘密基地を構える遠大な計画なのヨ、わかってないアルね! ‥‥そういえば、わるしふ団のアジトって何処なんアルかねぇ?」
教えるアル〜、とトートをくすぐり攻撃。
「うわわ、やめてよ! やめ! 言えないってホント危ないんだって、美星さんはワルダーさんの怖さ知らないからってあひゃは、許して〜っ!」
しふしふ団の夜は、賑やかに更けて行く。
●くれくれ誘き出し作戦
さて。ファムと天龍から作戦を聞いたパン屋の旦那、そういう事なら協力しようと、売り物の前へ。
「なんだかもったいないみたいだね」
小麦の甘い香りに誘惑されながらも、ぐっと我慢のファムさんだ。天龍はよっこらせとパンを篭に詰めて行く。と。それを見ていた旦那が動いた。
「‥‥いや、待て。こっちの方がいい」
持って来たのは、どっしり重い黒いパン。小麦のパンよりずっと安い、雑穀のパンだった。
「ケチで言ってるんじゃないぞ? この酸味の強い黒パンは、連中が食べ慣れた味の筈なんだ。腹にずっしり来る満腹感と力のある味。働き者の食べるパンさ」
旦那がパンに込めた思い。分かる気がして、二人は助言に従った。
「じゃあ、お代はしめて2Gね」
「な!? 高い!!」
なんとなく、普段のまかない代と宿泊費まで取り返された気がする。
天龍はパンの配達のフリをして、籠に入れたパンを持って通りを飛んだ。追いかけてくる者があれば、人通りの少ない通りに誘い込んで対決するつもりだ。一方ファムは、パンの篭を、とちのきの根元にちょいと置いて。フライングブルームに掴まって、ひとっ飛び。いくらか離れた屋根の上に陣取った。
「天界アイテム、双眼鏡ぅ!」
ぱらぱぱっぱぱ〜、と取り出した双眼鏡で、置いたパンを厳重監視。こちらは果報は寝て待てというわけ。
どのくらい待っただろうか。うとうとし掛けていたファムを叩き起こしたのは、がんがんがん、がんがんがん。とうるさく響く例の音だった。
「はらへった〜、なにかくれ〜」
いつも通りにやっていた彼らの足が、篭に詰まったパンを見て止まる。
「なんとこれまた。くれくれする前に頂けてしまうとは、これぞまさしく天の助け!」
「うわ、ホントに来たよ!」
わたわたと双眼鏡をしまって、フライングブルームに掴まるや、超特急でモロゾに迫る。勢い余って着地に失敗、ホウキごとごろごろ転がった末にようやく止まったファムさん、めげずにすっくと起き上がるや、シフールの竪琴を奏で出した。
ちょいとお待ちな くれくれシフール
あたしらのお話し 聞いてちょうだいな
食いねぇ 食いねぇ パン食いねぇ
パンを噛み噛み お話し聞いてちょうだいな♪
ファムの歌声に込められた魔力に、わるしふ達の鍋叩きが止まる。駆けつけたサティーがファムを庇い、夏樹が両手を広げ、退路を断った。ゆらゆらしながら迫って来るわるしふ達は、不気味でボロでしかもかなり臭い。ごくりと息を飲む夏樹。背中に怖気が走った。
「向こうか!」
天龍も大急ぎでとちのきに向かう。フィリアとカノ、モニカと美星も間に合って、モロゾとその仲間達の前に集結した。その様子を眺めながら、蒼龍は身を隠し周囲を警戒。モロゾ達が逃げ出す様ならすぐに追える様に。そして、わるしふに援軍が現れた時の為に。
「モロゾさん、昔の畑の事とか思い出しすアルよ!」
美星がイリュージョンで送り込んだ、穏やかな農作業のイメージ。モロゾはよろよろと力なく数歩後ずさり、しかし、頭を振って正気に戻ってしまった。
「ぬう、なんたる事を!」
「ごめんアル、でも、あたし達はモロゾさんが昔のように畑仕事がしたいなら協力を──」
彼女が近付くだけ、モロゾも下がる。アチャー! ホイホイ! と妙な構えで威嚇するが、多分あまり武術の心得は無い。
「自らの努力の末手に入れた物にこそ価値が有ると俺は思う。お前はそそれで良いのか?」
到着した天龍は篭を置き、夏樹に迫るわるしふ達の前に立つ。夏樹、ほっと一安心。
「壁にぶち当たり挫けそうになるのは仕方がないし、努力しても届かない事は有る。自らの心のけじめをつけ新しい道へ進むのも一つの手だろう。だが、心に問い掛けず流されるまま違う道に進むのは逃げているだけだ。もう一度聞く、お前は今のままで良いのか?」
そして、構え。わるしふ達は気圧されて、とちのきの根元に追い詰められてしまった。
「もしもまだ農業への情熱があるのなら、仕事を紹介してもいいと言ってくれている方がいます。もう一度、真っ当に働いてみませんか?」
カノの呼びかけに、モロゾはぶんぶんと首を振った。
「それがし土への執着は捨てて、ワルダー殿のもと新たな夢を追うのであるよ!」
「真面目に聞いて下さい。モロゾさん、あなたはもっと考えるべきなんです。目の前に開けている道から目を逸らさないで!」
サティーが強い言葉を使うのも、モロゾを思えばこそ。だが、彼はその言葉から耳を塞いでしまう。
「本当にもう、土に塗れて作物を作る生き方は捨ててしもたんか?」
フィリアの言葉から逃げる様にモロゾは駆け出し、そして盛大に転んだ。石畳の敷かれていない、とちのきの根元からは、土と草の匂いがする。そして、顔を上げたモロゾの目に涙が溢れた。彼の目の前で、運搬の途中でこぼれ落ちでもしたのか、痩せた冬蒔き小麦が一本、懸命に寒風に耐え、揺れていた。
「モロゾ、ざまぁないな!」
屋根の上から響く声。腕組みをして言い放つのは、鍛え上げた体が肉々しい眼帯シフールだった。モニカ念の為にデティクトアンデットを発動。
(「少なくとも今、15m圏内に対象は存在しない、か」)
ほっとした様な、残念な様な。
「そら、お前らさっさと逃げろよ!」
その声に弾かれる様に、わあっと逃げ出したシフール達。後にはモロゾと、彼を慕う3人のシフールだけが残された。
「連れて行かせないアル!」
美星がホーリーフィールドを張るのを見て、ふん、と鼻先で笑う眼帯。
「その嘲笑、安くは済まさないぞ!」
モニカのホーリーに打たれ、眼帯は転げて落ちそうになりながらも、辛うじて踏み止まった。ぎろりと睨む眼光の鋭さに、モニカは更なる一撃で応えようと詠唱を始める。飛び掛ろうと身体に力を込めた、その時。はっと振り向いた眼帯は、そこにある蒼龍の姿に舌打ちをした。一度ならず二度までも容易く背後を取られたのだから、彼のプライドはさぞ傷ついた事だろう。
「赤い翅の娘じゃないのか。残念」
蒼龍は、手足の間接を回して解しながら軽口を叩く。‥‥いや、ちょっと本音だったかも知れない。
「行くぞ!」
一気に間合いを詰めるや、あらゆる体勢から繰り出される多種多様な蹴り技。そして何より──
「く!」
上段に来た筈の蹴りが変化し、気付いた時には脇腹を抉っている。そのまま絡め取られそうになるのを、眼帯は強引な飛翔で辛うじてかわした──と見えて、更に高く飛翔した蒼龍から繰り出された踵が、眼帯の脳天に叩き込まれた。敢え無く翻弄され、食らった蹴りの勢いのまま屋根を転がり、そのまま路地に落ちて行く。技が多彩な蒼龍の戦いは、実に派手、かつ美しい。質実剛健を絵に描いた様な天龍とは対照的だ。
「逃がすか!」
すかさず追った蒼龍。だが‥‥不思議な事に、眼帯の姿はまたもや、忽然と消えていた。
「いいんだな?」
天龍の問いに、モロゾは無言で頷いた。
「お前らはどうする?」
3人のシフール達は、モロゾさんを手伝わせて欲しいと口々に訴えた。
「‥‥まあ、食え。パン屋の主の心尽くしだ」
差し出されたパンを口に運ぶ彼ら。酸っぱくてもさもさしていて、でも、じんわりと深い味わいのある雑穀パン。それを噛み締めながら、モロゾは顔とヒゲをぐしょぐしょにして泣いていた。そして、パンを喉につっかえさせて、派手に咳き込む。
「しょーがないやっちゃなぁ、もう」
苦笑しながらフィリアが差し出した水筒を手に取り、ごきゅごきゅと飲み干した。
「それを食べ終わったら、菓子売りの少年に謝りに行くんだぞ。通りの人達にもだ」
天龍の言葉にひたすら頷くモロゾを、夏樹がひょいと持ち上げた。
「その前に、絶対洗う。こんな臭いのが通りを回ったら、大迷惑間違いなしだよっ。悪事と一緒に溜めた垢、きっちり落としてあげるからね!」
情け無い顔でじたばた暴れるモロゾをぶら下げて、慌てるボロシフール達を引き連れて、夏樹は井戸へと歩いて行った。