ノワールの囁き2〜ショアの港にひとしずく
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■シリーズシナリオ
担当:マレーア3
対応レベル:8〜14lv
難易度:やや難
成功報酬:4 G 15 C
参加人数:15人
サポート参加人数:9人
冒険期間:02月09日〜02月14日
リプレイ公開日:2006年02月11日
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●オープニング
夕闇迫るウィルの下町。近年、ますます治安の悪化が嘆かれ、人々は戸を閉ざし、夜明けの光彩が訪れるのをただひたすら待つ日々を送る。
闇が街を覆う。心の闇が。その闇の中に、ぽうっと赤い光が灯り、どこからともなく異界の楽の音が聞えて来たならば、それに耳を傾けてはならない。目を奪われてはならない。何故なら、それは呼んでいるから。誰かが、その扉を押し開け、闇より深く暗い世界へと片足を踏み入れるのを待っているから‥‥
カジノバー『ノワール』
赤いネオンがジジジと細かく唸る。
黒革張りの扉を押し開き、今宵も誰かがここを訪れる。
「ノワールへようこそ」
渋みのある低い声で、黒ずくめの妙にシンプルな格好をした一人の男が出迎える。地球からの天界人にとって、その男はタキシードを身にまとっているだけなのだが、このアトランティスにおいても、ジ・アースにおいても馴染みの無い近代地球の礼服である。
薄暗い店内。男は静かに宣言する。
「では、お約束通り、闇のゲームを始めると致しましょう」
男は、染之助闇太郎は、愛用の黒いパイプに火を着け、ゆっくりと紫煙を燻らせる。
「あんた〜!」
「エリザベート!!」
「す、すまん‥‥」
「わ〜ん、お父ちゃ〜ん!」
「この馬鹿たれが!!」
「どうしてこんな‥‥」
「何やってんだよぉっ!!」
「ジョン! ジョン!」
「甲斐性無し!!」
「馬鹿馬鹿馬鹿ぁーっ!!」
「や、止め! 勘弁してくれぇ!!」
「一緒に帰ろうよぉ〜!」
「駄目だ! 駄目なんだ!」
「嫌!」
「わあああああんっ!!」
闇太郎の背後では、ギャンブル漬けとなり魂を売り渡した男達と、誰かが連れて来たその家族がもみくちゃになって涙の再会を果たしていた。
「我々がギルドへ提出した依頼書を見て戴いたとおり、今から皆様に向かって戴くのはショアの港。この国、ウィルの海の玄関とも言える場所です」
闇太郎は背後を一瞥する事無く、静かに言葉を続けた。
「今もなお、そこでは多くの強い想いが潰えようとしています。これを救えるか否か、それが今回のゲーム。先ずは第一ステップとして、それを見つけ出す事。その為の期間は三日間。何、ギルドへ提示した金額は導き出した答えが合っていれば、支払われる様に伝えます」
真紅のバニーガール、リリムが意味ありげな目線で戸口へと立つ。
「それでは皆様、良いゲームをお楽しみ下さいませ。無事のお帰りをお待ちしております」
クスクスとコケティッシュな笑み。紅いハイヒールをきゅっと鳴らし闇色の扉に手をかけた。
するとどうだ。
唐突に再会を喜ぶ家族達の歓声が消え、遠く、どこからか囁く様に、波と風の音が響き始めた。
いかさま。扉が開かれるや、潮風と波音がどっと店内へ流れ込んで来る。
恭しく一礼して下がるリリムを前に、冒険者は一人、また一人と扉の向こう、闇の中へと消えた。
真っ黒な夜の海。打ち寄せる波が砕け、飛沫が闇に舞う。ショアの船着場に錨を落とした船舶が、びょうびょうと吹き抜ける寒風と荒波にマストを揺らし、ギシギシキイキイと悲鳴を上げていた。
湾内には点々とカンテラの灯りが揺れ、船の数だけそこに見張りの姿があった。
だが、この日はそれだけでは無い。冒険者達の眼前には、松明の炎が燃え盛る林の様に揺らいでいた。
海を背に何十人もの平民達が押し問答をしている様だ。
「お願いです! どうか、お止め下さい!」
「お願いします!」
「通せ通せ!」
「ええい、黙れ黙れ!! この下郎どもが!!」
闇に赤々と浮び上がる人の群れが大きく二つに割れた。
そこへ馬に乗った貴族らしき身なりの男が現れ、馬首を大きく巡らせ威圧する様に吐き捨てた。
「ウィルの民でも無い貴様ら流民風情が、伯爵様に意見するなど片腹痛いわ!! ましてや徒党を以って意を示すなど、賊徒と変わらぬ!! それっ!!」
これを合図に、後ろに付き従っていた騎士達が一斉に進み出た。
「御無体な!?」
「ウィルの民でない者に加減は要らぬ!! 税を納めぬ奴は人で無いわ!!」
「ひいぃぃぃっ!!?」
横一列、並び立つ6騎が素早い手綱さばき。仰け反る馬は大きく嘶き、前足を激しく振り上げる。
たちまち蹄にかけられ、みすぼらしい服をまとう人々が石畳に叩きつけられてゆく。
マントを翻し、馬上の貴族が満面の笑みで指示を出す。
「見せしめに何人か捕らえよ!」
「ははぁっ!!!」
松明を持つ兵士達が騎士に続き、棍棒を逃げ惑う人々の背へと振り下ろす。頭を抱え地べたに転がり丸くなろうものならば、動きを止めるまで殴り続け、ある者は冬の海へと叩き込む。
それをおろおろと眺める平民の集団もあった。
その中から一人の老人が頭を低くし、目を合わせぬよう貴族の傍らへと進み出た。
「男爵様。これ以上は死人が出てしまいます。どうかこの辺でお止め下さい‥‥彼ら流民どもも懲りた事でしょう。ですから‥‥」
「町長、このキャプスタン・ゴロイ・キールソン男爵様が、ショア伯であらせられるメンヤード伯爵閣下より『特別』に今回の件を任されておるのだぞ。流民風情が何人死のうと、閣下にご迷惑はかからぬ」
胸を張り自らを指差す。
愉悦を含む貴族の言葉に、老人は顔色をも変えずひたすら平伏して意見する。
「いえ、あまりにも血生臭い事が港で起きては、精霊の祝福も薄れようというもの。ここは男爵様の広いお心で丸く‥‥」
そう言うと、老人はそっと男爵の掌に何かを握らせた。
男爵は目を細めてそれを確かめ、急に猫撫で声に変わるとうやうやしく頷いて見せた。
「ふむ‥‥確かに、精霊に嫌われては良い風も吹かぬな。尤もな意見だ。今回だけだぞ、町長。この私の心の広さに感謝するがいい‥‥お前達!!」
男爵は懐にチャリチャリと軽やかな音で何かを忍ばせ、パンパンと手を叩いた。
すると、賊を散々に追い散らした騎士達は、笑い声も高く男爵の周囲に集まり互いの武勇を褒め称え、兵士達は捕えた者達を面倒そうに小突きながら集める。逃げ遅れた者達は元気無くされるがままによろめき、それをつまらなそうに眺める男爵。
「十名か、まあ良かろう。出航の際に海へ還してやるとするか。さぞ鮫も集まって来よう。貴様らお得意の、精霊の祝福を賜るが良い」
くっくっく‥‥と含み笑い。男爵は黒くそびえるショア城へと馬首を巡らせた。
「戻るぞ! 明日は朝が早いからな!」
「お待ちなさい!!」
ぞろぞろ動き出す人々を、凛とした声が引き止めた。
「見せしめ等と、無為に命を奪うものではないわ!」
見送る人々の中から、一つの影が歩み出る。
「いけない、マリンちゃん!」
制止する手よりも早く、腰程もある長い金髪を赤くなびかせ、マリンと呼ばれた女は男爵の元へと進み出た。ぼろをまとい、白い素足で。
「貴様がマリンか‥‥」
男爵は先程以上に目を細め、やおらサーベルを抜き放つ。
はらりはだける前を押え、マリンは真っ直ぐに男爵を見返した。
「成る程、お前がこいつらクズどもの身代わりになると言うのか」
「生き物にクズなどないわ!」
「いいだろう。貴様の化けの皮をひん剥いてやる」
男爵はヤニ色の歯をニタリとのぞかせた。
きゅっと結ぶ紅い唇。
ショアの港に涙ひとしずく。
●リプレイ本文
●涙ひとしずく海に消ゆ 1日目
闇の中。松明の炎に、振り上げられた男爵のサーベルは赤々と天を突いた。
憎々しげにマリンを睨む男爵の目が醜く歪み、チャリと音を発てて刃を反して見せる。が、マリンは炎の映る青い瞳で真っ直ぐに。その頬に涙ひとしずく。
その場に居る者は、はっと息を呑んだ。否が応でも、サーベルの平で殴打される様が、鮮明に脳裏を駆け抜ける。
パシャ!
唐突に白光が瞬いた。
人ごみの中、左手にオーディオレコーダー、右手に携帯電話を構えるサラ・ミスト(ea2504)。
皮鎧の上に例のまるごとメリーさんを着込み、水晶のティアラを輝かせ、何ともファンシーな姿。
「‥‥無意味な‥‥力を振りかざす事がここの騎士道だとでも言うのか‥‥」
その渋い囁きも、ばっちり記録。携帯の液晶画面には、バックライトで男爵の勇ましい姿がばっちり写し出され、記録しますか?の文字が浮かんでいる。
一瞬の出来事に唖然とする人々。男爵も例外では無い。動きが止まった人々の間から、一人の男が跳び出した。
「待った!」
両の腕を大きく横に開き、男爵とマリンの間に割って入る。礼服に身を包み、如何にも身なりが良い青年。無謀にも寸鉄帯びず、白刃の前に立ちはばかる。
「な、何奴!?」
「俺の名前はマイケル・クリーブランド(eb4141)。天界人だ!」
誰何する男爵に、マイケルはどんと胸を叩く。長身に褐色の肌、碧の瞳。
男爵はほっとした表情で、振り上げたサーベルを鞘に戻した。
「その天界人とやらがどうした? そこに居るのは流民どもをそそのかす淫婦! まさかその方が裏で関わっている等とは‥‥」
値踏みする様に馬上より見下ろす男爵。
「違う! 俺はただ、どうして流民を捕らえたのか、どうして処刑するのか、それが聞きたい!」
「ふむ‥‥その身なり。あながち嘘では無い様だな。宜しい」
すると6騎がマリンとマイケルをぐるり取り囲む。
「如何致しますか男爵様?」
「うむ。先ずはこちらの天界人殿に、城へ戻る道すがら詳しくご説明を致そう。丁重にな」
「はっ!」
男爵がひらひらと手を振ると、騎士達は二人を警護するかの様に囲み直し、並足で進み出す。兵士達は10名の捕虜を後ろ手に縛り上げ、これに続いた。
暗闇の中、ぽっかりと四角い窓が浮び上がっていた。その窓辺に、パイプを咥える闇太郎、そして甘える仕草のバニーガール達が。
「人は逆境に陥った時、真価を露にする」
ふぅ〜っと煙を吐く闇太郎は、無表情にその背後の闇へと語りかける。
「さあ、彼らの活躍を期待するとしよう。ゲームスタートだ」
そう言って窓を閉める闇太郎の向こう、艶やかな金色の瞳が嘲る様な唸りを上げた。そして、ばたん。窓が閉まると、もうそこには何も無かった‥‥
「このままでは、この近隣の村々が立ち行かなくなる。それ故に我々は明日朝一番に船を出すのです」
先頭を行く男爵は、マイケルへ得意げに話して聞かせていた。
「それを可哀想だから殺すなだとか、頭がおかしいとしか言いようが無い。そうでしょう?」
「ですが、三頭も居るんです! お願いです、母鯨だけでも逃がしてやって下さい!」
マイケルのすぐ後ろで必死に声を荒げるマリン。だが、男爵は目をつぶり、背中越しに首を左右に振った。
「それが出来れば、誰も苦労せぬわ。マリンよ、お前の声は涼やかな鈴の音の様に私の胸に響く。そうやって多くの者をたぶらかしたのであろうなぁ。が、私には効かぬ。領民の暮らし向きを考えたならば、今殺さねばならぬのだ」
暫く黙って聴いていたマイケルだったが、そこで初めて口を開いた。
「いや、キールソン男爵。良く判らないのだが、どうして網が壊されるのと鯨の群を皆殺しにしなければならない事が繋がるんですか?」
マイケルは努めて礼節を外れぬ言葉を選ぶ。内心、腹の中は煮え繰り返っているのだ。
「湾の中に鯨の群れが入り込んだのが十日前。奴等に網を壊された領地が三つ。網が壊されるという事は、そこの領民が漁を出来なくなるという事だ。小さな投網や銛で獲れる魚などたかが知れている。そこから税に収める分を差し引いたら、どれだけ残ると思うかね? マイケル殿。いくらも残らんのだよ」
「はあ‥‥」
「天界人のマイケル殿にはなかなかピンと来ないかも知れませぬが、沿岸部の領民の多くは物々交換で日々必要な物を手に入れる。それすらもままならず飢える現実に、流民どもは勝手に魚や貝を採り、漁場を荒らし、取り締まろうにもさっとボートで沖に逃げてしまう。正直者が馬鹿を見る、そんな事が許されようか?」
まったくどうしようもないとばかりの言葉に、マリンは悲痛な叫びで訴える。
「海は、海は誰の物でも無いわ! そこで誰が何を採ろうと、どうして‥‥」
「お前の理屈で言うならば、我々が鯨の群を退治しようと関係無いではないか! その血肉で湾全体の領民の飢えが賄えるのだ! まこと精霊の恵、深き事よ!」
マリンの語尾は震えて言葉にならなかった。勝ち誇る男爵。トンとマイケルの背中に当る物があった。それは震えるマリンの頭だった。
「どうして‥‥」
「マリン‥‥あんた泣いているのか?」
「お腹の大きな母鯨が3頭も居るの。それを日の目も見せないまま殺してしまうなんて‥‥」
振り向くマイケルの胸に、転がる様にマリンの小さな肩が飛び込んで来た。細く柔らかで熱く、そして潮の香がした。
「そうか‥‥そうだったのか‥‥」
顔を隠し肩を震わせるマリン。その肩に優しく手を置こうとするマイケルを、男爵の冷徹な声が呼び止める。
「マイケル殿、それがその女の手口なのですよ。耳を傾けてはなりませぬぞ。それ! 城に着いたわ! 開門ー、開門ー!!」
男爵の合図に、かがり火で浮び上がるショア城の門が重々しく開く。そのまま、中へと入るマイケルはふと振り返り、街中へ残った仲間達へ想いを馳せた。
海に面するショア城は、外門と内門の間に造船施設があった。建造中の船や、船底の修繕中の船が数隻、闇夜に黒い塊として存在していた。本丸は高台にあり、マイケル達一行はそこに入る事無くばらばらとなった。
門からすぐの虎口を抜けた辺りで流民達は座らせられ、マリンとマイケルは男爵達に連れられ、ドッグの傍にある建物へと入った。
だだっぴろい簡素な食堂の様な部屋。
「おい、マイケル殿に何か暖かな物を。マリンよ、お前はこれから取り調べだ」
「あっ‥‥」
従者らしき少年達が小走りで立ち去り、男爵はマリンの腕を引いて奥の別室へ消えようとする。それを追って騎士の一人がランプに火を灯し後を追おうとした、その時、何か物言いた気な目でマリンはマイケルを見つめ、思い切って身をよじると男爵の腕を振り解き、汚れた石畳に転がった。
「お、おいっ‥‥」
マイケルが駆け寄ると同時に、男爵や取り巻きの騎士達がマリンを荒々しく床に押さえつける。
「大人しくしろ!」
「馬鹿目! 今更、逃げられぬぞ!」
もみくちゃにされながらも、マリンは何かを握った腕を突き出し、マイケルはそれを掌で覆う様にして受け取った。
「‥‥ありがとう‥‥」
それだけ言って微笑むと、マリンはそのまま両足を持ち上げられ、床をずるずると引き摺られて奥の部屋へと消えた。バタンと分厚い木の扉が閉まり、内側から閂がかけられる音がした。
一瞬の出来事に呆然とするマイケルは、強張った指を一本一本開いた。
そこには、白い貝をくり貫いて造ったらしい、素朴な指輪が一つあった。
「ふう、やれやれ‥‥これだから野卑た娘は‥‥」
「おや? マイケル殿、それはあの娘の指輪ですか?」
戻って来た騎士達が、マイケルの掌を覗き込んだ。
「あ〜っはっはっは‥‥どこかの貴婦人にでもなったつもりでしょうか?」
「まぁ良かったではないですか。最後に誰かに想いを伝える事が出来て。これも情けというもの」
「明日が早いと言うのに、男爵様もお好きですなぁ〜」
「まったくまったく」
六人の騎士は大爆笑。
思わずマイケルは手近の一人を殴っていた。
「どけっ!!」
「おや、言葉が過ぎましたかな? ご勘弁、ご勘弁」
振り回す拳は空を切る。たちまちマイケルはテーブルの上に押さえつけられてしまった。
「マイケル殿、天界人とは言え過ぎますぞ。しっ! 静かに‥‥」
「もが! ふが!」
じたばたする最中、隣室の声が遠く響いて聞えた。
『マリンよ、このままでは極刑は免れぬぞ』
バタンと何かが倒れ、カラカラと乾いた音も響く。
『私の情けを受ければ、助けてやろうというものだ』
『い、嫌です!』
何かがぶつかり、砕ける音がした。
『くっくっくっく‥‥そんな事を言っても良いのかな? あの者達がどうなっても‥‥』
『卑怯者! 恥を知りなさい!』
布が裂ける音。そして短い女の悲鳴。バタンバタンと窓から風が吹き込む気配。
マイケルはだらだら汗を流し、真っ赤になって起き上がろうとするが、ぴくりとも出来ない。
その内、大きな水音がしたと思うと、急に静かになった。
騎士達は互いの顔を見合わせ、すぐさま扉に殺到する。マイケルも慌てて飛び起きた。
「男爵様!? 男爵様!?」
「おいっ、マリン! どうした!?」
すると徐に閂が外れ扉が開き、どっと潮風が吹き込んで来た。
中から姿を現したのは、髪と衣服を乱し、唇の端に血を滲ませ、がっくりと肩を落とした男爵ただ一人。その向こう、めちゃめちゃになった室内に、闇が全てを飲み込む様に大きく開かれた窓が、その鎧戸がきいきいと揺れている。
男爵は力無く椅子に腰掛け、いきなりテーブルを激しく叩いた。
「馬鹿な女だ!! 死んだ方がましだとでも言うのか!!?」
吐き捨てた男爵の目じりに、光るものがひとしずく。
慌ててマイケルが部屋へ足を踏み入れると、床にはマリンが身にまとっていたぼろが、なかば引き裂かれて落ちている。手に取るとまだ暖かい。だがマリンの姿は無い。
「マリン!! マリーンッ!!」
窓の外は寒風吹き荒ぶ冬の海。窓から身を乗り出すマイケルに、闇の中、マリンの姿はどこにも見えず、その声も海鳴りにすぐさまかき消されてしまった。
●男爵出陣ス 1日目
世界が虹色の光彩に包まれるアトランティスの夜明け。
ショアの港には、様々な国の帆船が停泊している。ラオやハン、メイ、中にはランやジェトなども。
流石にウィルの海の玄関口と言うべきか。この日は大小併せて商船が20隻程、これに海戦騎士団の武装帆船が大体30隻。漁船は街の中央から外れた位置に小型のものが50艘は下らない。これらの間に、普段ならば所狭しと屋根つきの小さなボートが何百艘と犇いている。それが海の流民、ボートピープルと呼ばれる存在だ。季節毎に沿岸部を移動し、どこの国にも属さず、港で様々な問題を起こし、犯罪の温床と目されている。
今朝は昨晩の事件故か、港に流民の船は一艘も無く、湾のどこかへ逃げてしまっていた。
本来なら風霊祭を間近に、その準備に追われる姿が街のあちこちで見かけられる筈のショアの港だったが、今朝はいつに無くものものしい様相を呈していた。
大きな銛を何本も肩に担ぎ、漁民らしき日焼けした男達が7、80名程集まり、焚き火を囲っている。そこへ10名程の兵士が駆け付け何事かを話すと、男達は兵士と共に沖へのびる浮き桟橋へと移動を開始し、一本マストの漁船五隻に分乗した。
始めは手漕ぎで桟橋から離れ、次々と四角い帆を広げて進み行く。これと歩調を合わせる様に、一隻の武装帆船が銅鑼を打ち鳴らし沖へと出航する。二本マストに四角い帆。前後の高甲板では大型のカタパルトやバリスタの防水シートは取り外され、いつでも使える準備がなされていた。甲板上には何十名もの船員が忙しなく動き、号令に合わせ左右計48本のオールがまるでムカデの様に動く。
それに圧倒されつつマイケルは船尾の高甲板に、魂が抜けた様な男爵と共に立っていた。
街の人々は複雑な面持ち。言葉も無く、吐く息だけが白く、沖へ出て行く船を見送っていた。
そんな人々にサラは声をかけ、昨晩の訳を尋ねた。
「なんでそんな?」
「‥‥いやなに‥‥騒がしかったのでな」
今日のサラは、例の白い上着を脱いで来た。ゆえに少し寒い。
その腰に、ぷうっと頬を膨らませるチカ・ニシムラ(ea1128)がひょっこり顔を覗かせる。
「みゃ、サラお姉ちゃんふわふわもこもこじゃないー。むぅ、残念ー」
「おやおや、可愛い嬢ちゃんじゃのう」
別の老人が、枯れ木の様なしわしわの手でチカの頭を撫でて来る。
「みゃぅ、ありがとー♪」
「お姉さんと仲が良いんじゃな、いい子じゃて‥‥」
老人は目を細めて何度も頷いた。
それを横目で眺めていたクーリエラン・ウィステア(eb4289)は、ソーラバッテリーを空に向けつつ、にこやかに世間話を進めていたセレス・ブリッジ(ea4471)に肘で合図。
「セレス、セレス〜」
「何かしら、クー?」
「ほら、あの人。男爵に袖の下を渡してたお爺さんだよ」
「あらまぁ〜。ごめんなさい、ちょっと失礼します」
セレスがにっこりと会釈すると、街の人達もにっこりと笑顔で返す。そして二人は老人の背後にそっと立った。するとそれに気付いたのか、少し離れていたジム・ヒギンズ(ea9449)もとことこと歩み寄る。
きょとんとした愛くるしい表情で、老人を見つめるチカ。
「あれ、いったい何してたのー? 何か酷いことしてたけど‥‥」
「お嬢ちゃん、あれを見てたのかね。子供の夜更かしはいかんよ‥‥」
ため息一つ、老人は悲しげにチカを見つめ、首を左右に振り立ち去ろうとする。
しかし、振り向いた先には、意味ありげな笑みを浮かべるジム、静かに見つめるセレス、そしてにっこりと純朴そうな笑みで懐からスタンガンを取り出すクーリエラン。
「おいらも聞きたいんだよな。あんな事が起きるなんて、最近この街で何が起きてるんだよ?」
軽くウィンク。パイプでクーリエランの物騒なものを制するジム。ちょっと不満そうなクーリエラン。そんな二人をセレスは大人の余裕で暖かく見守った。
「あ、あんたら冒険者かね?」
そして振り向くと、チカとサラを見つめ老人はとても悲しそうな表情を浮かべた。
「あんたみたいな小さな子も‥‥こんな所ではなんですから、家でお話をさせて戴けませんかね?」
老人はキノーク・ニヤーと名乗った。この街で船を使った商売をしているらしい。
着いて行くとそこそこ門構えの大きな店に入って行った。
広間に通された一同は、甘いお菓子や、暖かな食事、上等な酒等を振舞われ、大概の話を耳にするのだった。
湾に面し街をぐるりと囲む外壁はそこそこ高く、丘陵地が迫っている為、大きな部隊を陸に上げて戦う事は難しい様に思えた。スニア・ロランド(ea5929)はこの港町の要は海戦にあり、と読む。
「ショア城の本丸は断崖絶壁を背に難攻不落。ですが、海戦で制海権を握れば本丸は孤立する。あの地形では水源が無いわよね」
町外れの小高い丘から全景を眺め、仲間と簡単に意見を交わす。
海を数隻の帆船が行く。その動きに違和感を覚えた。
小型の帆船は漁船なのだろう。二本マストの帆船一隻に率いられる様、湾の中央へと向かってゆく。それに呼応する様に、湾のあちこちから小型の帆船が一隻、二隻と集まり、二十隻程の船団を組む。
それから乱れた雁行の陣を組み、明らかに船足の違う艦船がてんでバラバラに進み、沖の方で何やら旋回運動を行っては何隻かが衝突、転覆する様が見て取れた。
「無様ね‥‥何? 鯨を追っているのかしら?」
暫く眺めていると、わらわらと船団は迷走し、やる気が無くなったらしくバラバラに散った。
後には紅く染まった海。鮫でもいるのだろうか、遠く黒い背びれがキラキラと陽光を跳ねて蠢いている。
その日はハンの商船が2隻入港し、ウィルの軍船1隻、ランの軍船2隻が入港した。
船が入港すると港はにわかに活気を帯びる。人足が集まり、仕事にありつこうと声を荒げるからだ。
「やっぱりこうでなくっちゃねぇ〜」
水場でおばちゃん連中がせっせと洗濯。ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、くっちゃべってる間に、ひょいと首を突っ込む竜胆零(eb0953)。
「ちょっと、お邪魔しますね」
零はその辺でかっぱらって来た衣類を水に漬け、じゃぶじゃぶ洗う。
「おやまあ!?」
「すごいね、この子‥‥」
おばちゃん連中は、零のプロポーションにびっくり。ひそひそにやにやひそひそにやにや。
そんなこんなでうまい事会話の輪に入り、色々な話を聞いた。
「風霊祭が開けない?」
「そうなのよ。だからみんな困っちまってさぁ〜」
「港の船なんて、全部それ目当てで集まってる様なものなのにねぇ」
「そりゃ、言い過ぎだよ。みんながみんな、あんたみたいな道楽もんと違うさね」
けらけら笑うおばちゃん連中。桶を太鼓の様に叩いてみせる。
「みんな出し物の準備に余念が無いって言うのにねぇ」
どうやらこの湾全体で、領地毎に船を飾って出し物を競うらしい。ショアの港だけは例外で地区毎に出し、その華やかさを競うとか。それが鯨の群れが湾に入り込み、危険だから中止になるらしい。
「それに間に合う様にって、噂じゃ伯爵様のお嬢様もランからお帰りになるって言うじゃないさ」
「留学してたって、あの?」
「だから、キャプスタンの野郎が張り切っちゃってさ」
「え? どういう事ですか?」
すっかり猫を被った零が尋ねると、ゲラゲラ大笑い。
「あのスケベ野郎、年甲斐も無くお嬢様を狙ってるってもっぱらの噂なのさぁ〜!」
「何しろ、伯爵様には一人娘のディアーナ様しかお子がいらっしゃらないのさ」
「いい格好したいんだろうねぇ〜。あんたも気を付けなよ!」
「え? あたしですか?」
すっとぼけてみせる零に、おばちゃん連中は胸を揺すり、色っぽい声を上げては大騒ぎ。
「そんな牛みたいなおっぱい揺らしてその辺歩いてると、襲われちまうって事さ!」
「あいつ、見境無いからねぇ!」
「やだ〜もう〜」
ケラケラと笑いながら、零は心の中で、なるほどと頷いた。
●ショア城の宴 1日目
この日の夜、伯爵の娘ディアーナの帰国を祝い、ささやかな宴が催された。
男爵に面会を求めて城を訪ねたトリア・サテッレウス(ea1716)とその一行、夜光蝶黒妖(ea0163)、アレクセイ・スフィエトロフ(ea8745)の三名は、無気力な男爵に拍子抜けし、丁度良いの一言でその宴へと出演する事となり、城内に部屋を与えられ、時間があったので城内をくまなく歩き回る事も出来たし、マイケルと再会し、マリンの死や、沿岸部で流民を海に捨てて来た事を聞く事も出来た。
情感を込めトリアがリュートベイルの余韻をしっとりと指で殺す。
広間は割れんばかりの拍手に包まれた。上座に座すショア伯とラース伯、その周囲の者達も全員立ち上がり、トリアの演奏を口々に誉めそやした。
ショア伯は満面の笑み。
「流石は天界人という触れ込みの事はある。トリア殿もその従者達もこの城に心行くまで逗留なさるが良い。キャプスタン」
「ははっ!」
「我が娘への又とない贈り物であったぞ」
「ま、又と無いお言葉! キャプスタン・ゴロイ・キールソン感激に御座います!」
昼間の失態を取り戻した感の男爵は、ぎこちない笑みで跪く。
微笑みつつディアーナ嬢が腕を差し伸べると、男爵はそのままの低姿勢、すすすっと歩み寄り、恭しくその手を取り口付けし、また後ろへと下がる。
その光景を、トリアもアレクセイも黒妖も、そしてマイケルも冷ややかに眺めた。
それから、ショア伯はにこやかに隣りのラース伯へと語りかけた。
「どうでしょう、グロック提督閣下。このトリア殿の見事な演奏に免じ、あの者に再度のチャンスを与えようと思うのです。提督閣下は捕鯨にて財を成したと聞き及びます。どうかあの者に、その極意を‥‥」
するとラース伯ことグロック提督はニヤリと笑み、男爵を見やった。
「キャプスタン。お前からもお願いするのだ」
「ははっ! ランの守護者よ、どうか私めに秘策をお授け下さい!」
ショア伯の言葉に、男爵は電撃を受けたかに跪く。
「そこまで言われたら仕方ねえな。ジャニス男爵!」
「ははっ」
ラース伯の左に控えていた大柄な男が一歩前に出る。眼光鋭くキールソンを見た。
「ユニコール号であちらの男爵殿の力になってやれ」
「了解です! キールソン男爵、お力になりましょう!」
半分涙目。頬を紅潮させ、キールソン男爵はジャニス男爵へ駆け寄り、その手を取って握り締めた。
「正に、正に百万の味方を得た心地です!」
その場に居合わせた者達は、その言葉に少なからず心を動かされ、惜しげの無い拍手で祝福した。若干名を除き。
●流民の宴 2日目
うっすらと朝もやが立ち込める湾に、ボートを漕ぐ細波が広がっては消える。
「そ〜れそれそれ、こうやって擦ると暖かいぞ〜」
「きゃはははは」
小さな子供と互いの手足を擦りながら、天界人の験持鋼斗(eb4368)は無邪気に笑った。流民達のボートの中は、一晩過ごしてみると結構面白く感じられた。奥で鼻水を垂らしてる見ず知らずの男を、近くに医者がいるらしいと送り届けてあげるところとか、人情味もある様に思えた。
「おい、着いたぞ」
表で櫂を漕いでいた男が、そっと中を覗き込む。
「大丈夫か?」
「あ、ああ‥‥」
「手を貸すぜ」
鋼斗が脇に腕を入れ、揺らめきに調子を合わせながら表へ出る。
すると、接舷した相手のボートに見知った顔が立っていた。こうして会うと結構間抜けだ。
「医者ってあんたか」
「んー、まぁ、単なるモグリ医者なんだけどよ」
ばつが悪そうにアリル・カーチルト(eb4245)は苦笑い。患者を受け取ると、よろよろと奥へ運ぶ。
それを待ってましたと奥から出て来た黄安成(ea2253)が片手で受け取り一言。
「風邪だな。俺がやろう」
「じゃあ、頼むわ。生姜あったろ。あれ煎じてやって」
「おじちゃん、大丈夫〜?」
それを見送る少年がぽつりと呟くと、一人のお姉さんが座り込んでにっこりと微笑んだ。
「大丈夫。安心してください」
潮でべとべとな頭を優しく撫でてあげると、少年はこっくり頷いて笑った。
アリルが首を左右に捻り、周囲を見渡すと、そこは20艘程のボートが集まった、ちょっとした小島になっていた。誰かが釣った魚や、採って来た貝をみんなで焼いては食べ、誰かのボートの隅で寝た。
「衛生的にゃあ、よくねえな」
「そうね。ここじゃ解説お姉さんも必要無いみたい」
すれ違い様クスクスと苦笑を交わす。ここは結構居心地が良い。
するとどこからともなく、奇妙な笛の音がピーヒョロロ〜。えらく下手だ。
「そこの兄さん、元気ないみたいね。いっちょ腹ごしらえでもしない?」
「ん?」
怪訝そうに見ると、岸辺に見慣れた男がロバを引きつれ立っていた。
「んん!?」
アースハット・レッドペッパー(eb0131)は既に先を越されていた事に、ちょっとしかめっ面。
「まぁ、うん‥‥。いいんでない? 」
がっくり肩を落とした所に、黄やアリルが笑いながら駆けて来る。
「おおっ! 俺を待っていてくれたか!?」
そう言って水辺へざぶざぶと駆け出すアースハットの横を、二人は駆け抜け荷車に殺到する。
「やった! 毛布がこんなに!」
「発泡酒! これだけあれば!」
「ちょ、ちょっと待てぇ〜い!」
吼えるアースハットにじっとりと見返す二人。
「全てはお慈悲じゃ」
「大体よぉ〜、こいつら金持って無いぜ。はっきり言って。物々交換だから魚、生の魚いるか?」
そしてアースハットの背後から鋼斗が近付き、にこぽんと肩を叩く。
「定めじゃ」
その日は昼間からちょっとした宴会気分。アルミ缶から噴き出す泡に大爆笑。黄はちょっと口を付けただけで高いびき。60人くらいで回し飲み。
焼きたての魚や海老、蟹、貝、そして保存食をたらふく喰って大満足。歌や太鼓で大盛り上がり。
すっかり眠くなり、みんなしてごろごろ。誰のボートだろうと構わず寝っ転がった。
●ジャニス男爵かく語りき 2日目
翌日、ジャニス男爵は、キールソン男爵とその配下の騎士や希望者を募って、鯨についての説明会を開いた。白い大理石のテーブルに、羊皮紙を広げ、湾を描いて見せた。
「現在、この湾には10頭前後の鯨の群れ入り込んでいる」
そう言うと、ジャニスは鉛の人形を一つ置く。
「確か、マリンが三頭は腹の中に子供がいると‥‥」
口を挟むキールソンに、ジャニスは頷いた。
「成る程。この時期、鯨の群れは大きく北から南へ移動する。暖かい海で子供を産み、そして育てる為に‥‥そのマリンとは?」
「え? ああ、流民の娘です‥‥でした‥‥」
その表情に、ニヤリと笑むジャニス。
「だが、この湾に入り込んでしまった。病気という事があり得るが、他にも一つだけ可能性がある」
「それは一体?」
「外敵から群を護る為に」
そう言うと、ジャニスは鉛の人形を湾の外側に置く。
「特に身重なメスを抱えては、逃げ切れない。シャチやサーペント、もっと凶暴な怪物かも知れない。だが、湾内で襲われていないという事は、シャチの可能性が高い。何故なら、シャチの狙いは産まれたばかりの赤ん坊鯨だから。実はこの湾に入る少し前に、うちの船員がシャチの群を見ている。つまり、産まれて来るのを待っている。俺はそう考える」
バンとテーブルを叩くジャニス。転がる人形が金属音を響かせる。
「なるほど、そう考えると産まれるまで、群れは湾を離れない!?」
「産まれたらば、ちょっとした見ものだ」
あまり想像したくない光景に、一同眉をひそませた。
すると、震える声でキールソンが話し始めた。
「実は昨日、一番でかい一頭を追い詰めたと思ったら、突然、数頭のシャチが‥‥漁船などあっというまにひっくり返されて‥‥本当に一瞬の出来事だった」
「そいつは、きっと囮だな」
「囮?」
「多分、一番でかいオスが、仲間を護る為にあんたらとやりあった。そしてその間に仲間を逃がしたって所かな。結局、シャチは鼻が利く。血の臭いで寄ってきて、弱ったところを」
ジャニスは、一方の人形に、片方の人形を襲わせてみせた。
「そんな馬鹿な。ただの獣ですよ?」
「馬鹿にしちゃいけないよ〜。連中は結構、頭が良いし家族想いでもある。だから俺達もなるべくメスは殺さないし、身重ならなおさらだぜ。後味が悪いしな。だから大人のオスだけを殺す。それが海の騎士の心意気ってもんさ。こいつは提督の受け売りなんだがね」
そう言ってジャニスは軽くウィンク。一同を見渡した。
「まぁ、今回みたいにどうしようも無い事もあるさ。さて、嫌な話はさっさと終わらせてトリア殿の演奏でも聞かせて戴くとしよう」
「そ、そうですな‥‥」
「実は、今演奏と言った事は、あながち遠く無い。鯨やシャチって奴は音に敏感でな。逆にこれが弱みでもあるのさ」
「ほお」
「つまり、小型船に鐘や太鼓を積ませて、音で囲い込む。こうなると連中はめっぽう弱い」
「ほほほおっ!! それなら風霊祭用の鐘や太鼓が使えますぞ!! 他の方々に声をかければ、かなりの数に!!」
キールソンは身を乗り出し、ふと表情を曇らせた。
「今にして思えば、あの鯨。多勢に無勢、仲間を護る為に一騎がけ。人であれば誠の騎士と」
「そういう連中でもある、という事だ。皆、強い想いで結ばれ生きている。それを断ち切る覚悟だ」
「覚悟‥‥」
ドンとジャニスの岩の様に硬い拳が、キールソンの胸に押し当てられる。
「それはここにある筈だ」
●豪商キノーク・ニヤー 3日目
町長も勤めるニヤー家に、数名の客人が泊まる様になってから数日、少し華やかになったと評判だ。
雑多な荷物を手に、スニアが店内に入ると店の者が深々とお辞儀をする。
「お帰りなさいませ。皆様もそろそろお戻りの様でございますよ」
「ああそう。ありがとう」
軽く挨拶を交わし、奥へと廊下を進むと、途中でキノークに呼び止められた。
「スニア様、この街について何か判りましたかな?」
「ええ、やはりフォロ王の代になってから税が重くなっているのですね」
「大きな声で言えませんが、仕方の無い事です。それをきっかけに、ここでの商売を諦めて店を畳んだ同業者も大勢おりました。街の皆さんも他所の国へ、伝を頼って行かれる事が多かった様です」
残念そうに首を振るキノーク。
「ですが、そういう方々へ、ショア伯は一筆持たせて送り出しております。なかなか出来る事では無いと私めは存じ上げているのですよ。ですから、私くらいはこのショアに残るのも‥‥」
「それが伯の想い‥‥か」
キノーク老人は恭しく頷き、そっと扉の奥へと消えた。
●海の中 3日目
もぐもぐもぐもぐ。海草を口一杯に頬張り、暫く咀嚼してから出すとネバーっとした碧の粘液になった。ゆらゆらと水面の揺れが映る中、それを細い指で引き伸ばして白い傷口に当てた。
「ん〜、まだ痛いよね?」
巨大な黒い影が幾つも躍る中、小さな人影が一緒に泳ぐ。ゆらゆらゆらゆら。