ノワールの囁き3〜あの鐘を鳴らすのは貴方

■シリーズシナリオ


担当:マレーア3

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:4 G 98 C

参加人数:9人

サポート参加人数:2人

冒険期間:02月17日〜02月22日

リプレイ公開日:2006年02月21日

●オープニング

 漆喰の白い壁が夕映えに染まる頃、その黒い扉は赤い輝きと共に忽然と現れる。カジノバー『ノワール』。まるで蛍のように明滅する赤に男は微笑を浮かべ、たおやかなる調べの手を止め、借り物のリュートベイルを傍らに置く。
「やれやれ‥‥こんな所までお出迎えですか」
「の、様ね」
 女はほうと息をもらし、緩やかなカーブを描く白木の椅子よりそっと腰を上げ、ちらり振り向くその
頬を白い指が這う。エルフにしては短めの耳に、艶やかな唇が触れ、静かな湖面を想わせる黒い瞳と出会う。
「俺は‥‥問題無い‥‥だが‥‥」
 瞳は揺れ、それを追う。

 掌に白い貝殻のリング。じっと見つめ、その存在を確かめるかにそっと握り締める。
「‥‥時間に負けた、なんて言ってらんねぇ」
 そう呟き、長身の男が腰を降ろす寝台より、跳ね上がる様に立ち上がった。
 扉が開く。黒い扉が‥‥

「魂を奪うなんてお前本当に地球人かよ? 少なくとも俺の知る限り、地球でそういう事を出来る奴はいないぜ。なあ、どうやるんだ?」
 ケンカごしにジロジロ睨む少年と青年の中間に居る様な若者に、染之助闇太郎は煙を吹き掛けた。
「げはっ!? ごほっ!」
「失敬。あまりに面白い顔なもので」
「んだと!!? この野郎!!」
 跳びかかる相手をするりと避け、パイプを手に闇太郎は居並ぶ全員の前に進み出る。
「無論、私にそんな事が出来る訳ではありません。この空間がそうさせるのです。言わば、私はこのゲームのディレクター兼司会進行役に過ぎません」
 恭しく一礼。
「さて、どなたかは辿り着けた様ですね。おめでとうございます。少しあからさまでしたでしょうか? 目の前であんな事が起きていては、皆様その勇気を示さずには居られませんでしょう。私もかつては熱い想いに身を任せ、自由と愛、そして平等の為に戦いへと命を投じたものです」
 うんうんと頷き、闇太郎は次のステップへの宣言を行った。
「もうお判りでしょう。何が失われようとしているのか。私からはもう何も申し上げる事は御座いません。刻限は迫りつつあります。一つの悲劇が、雪崩をうって数多の悲劇を呼び込もうとしています。この悪魔の所業を、それを止める事が出来るのは、選ばれた貴方がただけなのです」
 そう言い終わった闇太郎の手からパイプがカランと滑り落ちた。それを拾おうともせずに、相変わらずの無表情で闇太郎は続けた。
「その扉を出‥‥再び訪れた時が本当のベット‥‥レイズは‥‥ありません‥‥」
「みゃぅ、落としましたの」
 とととっと近付き、拾い上げたパイプを差し出すと、闇太郎は古傷で引きつった唇を更に歪ませた。
「サンキュウ‥‥レディ‥‥」
 その土気色の顔に驚き、更に手渡した時の白い手袋越しに感じた石の様な冷たさに二度驚いた。
「さあ、皆様。お帰り下さい」
 ふらりルーレット台にもたれる闇太郎は、少し震える手でパイプを咥えた。最後に扉をくぐる少女は、くるりと振り返り、先程、一瞬だけ見えた気がした、暖かな眼差しの痕跡を探したが、闇太郎の横顔は相変わらず無表情なままであった。

 ウィルの街で再びノワールを訪れ、扉をくぐった先は、夕暮れを迎えたショアの港街だった。港には、数日前より多くの帆船が犇き様相が異なっていた。多くの船舶に鐘や太鼓が積み込まれ、そこかしこからそれらの音色が無秩序に響き、閑散としていた酒場は漁師達でごった返している。街全体が祭り前夜の様に、浮かれた空気で賑わっていた。
 そのまま毎年恒例の風霊祭に突入してもおかしくない雰囲気だが、百を越える帆船の内、一隻も派手な飾りつけはされておらず、代わりに大小を問わず幾本もの黒々とした銛が、何時でも手に取れる様に立てかけてある。

 ショアの町長でもあるニヤー家も、数日前まで冒険者達が顔を合わせていた部屋で、近隣の村長や顔役が集い宴会半分打ち合わせが行われていた。
「では皆さん。お城からの指示通り夜明けにと言う事で」
 大きな羊皮紙を広げ車座になった老人達はキノークの一言に頷き、傍らに控えていた壮観な身体つきの漁師達へ何やら指示を出し始める。
 腰をとんとんと叩きながらキノークは廊下へ歩み出た。
「やれやれ、これで丸く事が収まれば良いが‥‥」
 風は凪いでいた。街の気配が、いつになく響いて聞える。更に廊下より庭先へ出ると、はっと息を呑むキノーク。いかさま、老人の目には、空は血の様に赤々と燃えて見えた。
「おお、精霊よ‥‥我等に加護を‥‥」
 震える声で祈り、キノークは胸を押え、傍らの陶器の椅子に腰を降ろす。そのまま、空が朱より紫へと変わり、家中の者が声をかける迄、ただただ天を仰ぎ見ていた。

 吹き上がるくしゃみに嬌声を上げる女は、腰まである濡れそぼった金髪を滑らかな裸身に巻き付け、夕映えに煌めく海を眩しく見つめていた。ゆっくりと動く黒い大地は、その体表に無数の藤壺をまとい、その黒い瞳は何を想うのか。その嘶きは海を駆け、遥かなる外洋へと響き渡る。そして、その想いだけを伝える。
 リーダーを欠いた十頭の鯨の群れは、身重なメス三頭を中心に緩やかな円を描き、若い二頭のオスが外側を最も速く泳いだ。
「お〜い、マリンちゃ〜ん!!」
「は〜い!!」
 遠くから数艘の流民達のボートが近付いて来る。その呼びかけに女は、マリンは両腕を大きくかざし、くったくの無い笑顔で応えた。
「あんた〜、そんなカッコで寒くないんかね〜!?」
「大丈夫〜! 私、北国育ちだから〜! ちょっとあったかいくらい〜!」
 流民のおじさんやおばさん達は口々に何かを叫びながら、先日、ジ・アースという異世界よりやって来た、口は悪いが人の良い天界人からせしめた真新しい毛布だ、と言ってそれを振り回す。
「ありがとう〜! でも、いらないわ〜! 本当に大丈夫なの〜!」
「あんたね〜! 街の方じゃ、明日にでも攻めて来るよ〜!」
「う〜ん! 判ってる〜! 心配してくれてありがと〜!」
「だったら逃げな〜!」
 ボートはマリンが立つ、群の中でも最も大きなオス鯨の間近まで来た。すると、鯨はそれが判るのだろうか、泳ぐ腕を休め、まるで極力波を立たせないかの様に静まり返った。
 まるで黒い小山の様だ。
 集まった人々を見下ろす形で、マリンは頭を下げた。
「本当にみんな、ありがとう‥‥」
「今夜中に、湾の外へ逃げなよ!」
「そうだよ、いまならまだ間に合うって!」
 だが、マリンは頭を下げたまま、左右に首を振って答えた。
「本当にありがとう‥‥でも、この子達‥‥仲間が眠るここから、離れたく無いって言うの‥‥」
「そんな‥‥」
 何かを言いかけ、誰も説得の言葉が続かなかった。
 にっこりと微笑んだまま頭を下げるマリンの瞳から、ポタリ、ポタポタと、大粒の涙が滴り落ちるのが見えてしまったから‥‥
 ため息を漏らし、伝えたい言葉の殆どを飲み込み、人々は唇を噛んだ。
「マリンちゃん‥‥あんたって娘は‥‥」
 両目をこすり、鼻を鳴らし、マリンはおもてを上げた。
「だから、私も最後までこの子達と一緒に居る事にしたの」
 少し赤みが差した目元を、夕焼けが覆い隠す。その笑顔は、細波が浜に打ち寄せる如く、人々の胸へ静かに、そして確実に広がって行った‥‥。

●今回の参加者

 ea0163 夜光蝶 黒妖(31歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea1128 チカ・ニシムラ(24歳・♀・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea1716 トリア・サテッレウス(28歳・♂・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 ea2253 黄 安成(34歳・♂・僧兵・人間・華仙教大国)
 ea7393 イオン・アギト(28歳・♀・ウィザード・エルフ・フランク王国)
 ea8745 アレクセイ・スフィエトロフ(25歳・♀・レンジャー・ハーフエルフ・ロシア王国)
 ea9449 ジム・ヒギンズ(39歳・♂・ファイター・パラ・ノルマン王国)
 eb4141 マイケル・クリーブランド(27歳・♂・天界人・人間・天界(地球))
 eb4565 難波 幸助(35歳・♂・天界人・人間・天界(地球))

●サポート参加者

サラ・ミスト(ea2504)/ ヴルーロウ・ライヴェン(eb0117

●リプレイ本文

●再び戦場へ
「さて、がんばるとするか!!」
 勢いよく跳び出すジム・ヒギンズ(ea9449)。その小さな身体は転がる様に、夕映えに染まるショアの港町へと消えていった。そのカラ元気に苦笑する一同は、眼下に見下ろす港の街並みを眺め、新たな緊張にその表情を引き締めた。
 バタン。
 背後で扉の閉まる音がした。
 そして、建物自体の気配も消える。
 いよいよである。

「‥‥己が魂を賭け金に、そこにある想いを救え――要するに、今がその時と言う事ですね」
 決意も新たに、アレクセイ・スフィエトロフ(ea8745)は、その燃えるように赤く染まった髪をたくし上げる。
 その仕草を美しいと思った。
「まぁ‥‥できる事を‥‥やるだけか‥‥」
 軽く大気が揺れ、皆が振り向くと、そこには軽業衣装の夜光蝶黒妖(ea0163)が無表情に立つ。一瞬の早変り。それをさも当たり前の様に、楽士姿のトリア・サテッレウス(ea1716)はリュートベイルを片手に軽くかき鳴らす。
「まさか鯨の「想い」をも護る事になろうとは‥‥さすがは神の国。スケールが大きい♪」
 相も変らずトリアはにこにこ。一同の顔を見渡すと、腹を決めた様子の黄安成(ea2253)と目が合った。
「さて、黄さんは、どうします?」
「ワシは時間もないので急ぎメンヤード伯爵に鯨を助けるために直訴に向かうのじゃ」
 トリアは少し考えてから、ほんのちょっとだけ作戦を軌道修正。
「そうですか。僕達はシャチ対策に流民が協力してくれる様に要請してみようと思っているんですが、良いでしょう。黄さん、僕がお付合いしますよ。こうみえても僕、お城では好感触だったから」
ボロロ〜ンと一掻き。
「そうか、すまぬ。じゃが、流民の方もワシの名やアースハット達の名を言えば、何かと力になってくれる筈じゃ。共に飯を喰ってみれば、奴等ほど気の置けぬ連中はそうおらんじゃて」
 両腕を組んでうんうんと頷く黄。数日間の共同生活を思い返し、着の身着のまま、あるがままの生活を送ってゆく流民達の大らかさに、天・地・人と融和した一つの完成した世界を垣間見た気がしないでもない。南〜無〜‥‥
「だってさ。アレクセイ、黒妖、悪いけど少し先に行ってて貰えるかな? 流民の方は、もう黄さん達が下地を作ってくれているみたいだから、下手をしない限り大丈夫だと思うよ」
「問題無い‥‥」
「なら私も問題無いわ」
 静かに頷く二人。トリアも小さく頷き返した。
「他に流民へ向かう方はいますか?」
 その言葉に、難波幸助(eb4565)、そして小柄でほっそりとしたエルフ、イオン・アギト(ea7393)の二人が手を挙げた。
「さって、難題山積みだけと、やるしかないね! 来れないサラからも頼まれたし!」
 イオンは元気いっぱい。サラの携帯電話とメモリーオーディオを懐から出し、みんなに見せた。
「そうか、イオンさんはサラさんのお友達なんですね?」
「ま、そういったところね。テレパシーのスクロールがあるから、鯨とだってお話出来るよ!」
 真っ赤な瞳をくりくり輝かせ、幾本もある貴重なスクロールをちらりと見せる。
「それは凄い! だったら、細かい打ち合わせなんかも鯨達と出来そうですね。城の方では船を繋げて、沖のシャチまでも音で驚かそうとしているみたいだから、流民の船にもサーペントなどに扮してもらって、シャチを追っ払う事が出来れば、その隙に鯨達は湾から出て貰って、沖に逃がす事が出来ると思うんだ」
 トリアの言葉に皆が得心した様に頷く。降臨したばかりの天界人、幸助も感心した様に頷いた。
「今回の件は、難民の漁、祭り、鯨、複雑な事情が幾つも絡んでいるようだな、日本でも領海問題は大変だったが」
「日本。それが難波さんの国の名ですか?」
「ああ、小さな島国でね。四方を海に囲まれている」
 そう言うと、幸助は肺いっぱいに潮風を吸い込み、次第に紫色へ染まる風景に目を細めた。
「流民の協力を経て、マリンさんに会おう。俺は流民達から海の掟も聞きたいし、マリンさんが本当に鯨と話せるなら、そんな物を使わなくても鯨に逃げて貰う事も出来るかもしれない」
 その一言にイオンは、少し眉を寄せる。それをなだめる仕草でトリアは最後まで黙っているマイケル・クリーブランド(eb4141)に声をかけた。
「マイケルさんは? マイケルさんはどうするんです?」
「俺は、俺はまず酒場に入って鐘や太鼓を乗せた船の話、捕鯨を行う日の事を漁師達に聞く。それから流民の方へ向かう。後の事はそれからだ」
 ぷいと振り向くと、こうしている時間すら惜しいとばかりに歩き出すマイケル。イオンは、慌ててサラから預かっている物をマイケルに手渡した。
「そうですか。では皆さん」
 トリアの掻き鳴らすリュートの音。それに押し出される様に、一人、また一人と冒険者達はショアの港町へ消えて行った。

●ショアの港、酒場にて 1日目
 酒場を覗き込むと、どうやら打ち合わせの真っ最中らしい。マイケルが最初に向かったのはショアの港でも大きい方の店構えだったが、店内に隙間無く入り込んだ人々が押し合いながらざわめいていた。
「おや、あんたは?」
 マイケルが後ろから声をかけられ、ふと振り向くと何人もの老人が立っていた。
「確かあんたは‥‥あの時の‥‥」
「ほらほらキノークさん、行きますぞ」
 怪訝そうな表情でマイケルに話し掛けた老人は、他の老人達に連れられ店の奥へと誘われて行った。
「今から何が始まるんだ?」
 傍らの漁師風の男に訊ねると、怪訝そうな顔でじろじろ見られた。
「おやおやおや〜、なんか変な奴が居るぞ〜!?」
「おめえの顔の方がよっぽどおかしいぞ!‥‥ん? 何だこいつは?」
「だろ?」
 無精ヒゲだらけの魚臭い男達はマイケルを変った生き物を見る目つきで上から下までじろじろ見る。
「俺は天界人のマイケル・クリーブランドだ」
「へぇ〜、天界人たぁ〜たまげたなぁ!!」
 仰天するそぶりをして、みな老人の方へ注意を向けてしまった。
「あんたらに聞きたいんだが、あの鐘や太鼓は何の意味があるんだ?」
 聞き流しかけて、男達はマイケルに振り向いて、更にじろじろ眺めた。
「あん? 太鼓? 今更何をって、天界から来たばっかじゃ判んねぇか? ま、俺等も良く判んねぇ!」
「伯爵様がヤレって言ったらしいから、俺達はやってんだよ」
「飯も喰わして貰えるからなぁ!」
 げへげへと笑う三人組の頭を、拳がガンガンと叩いて回った。
「うるせい!! 馬鹿野郎め!! ショアの町長さんから話が始まんだよ!!」
「ああ、そこ。そこ。そこ。五月蝿い」
 何とものんびりした老人の声に、酒場中が大爆笑。怒鳴った本人が真っ赤になって頭をペコペコ。静まり返るのを待って、先ほどのキノーク老人は話を始めた。
「さて、お城の方から陣ぶれが来たんじゃ。明日の朝にはこの順番に船団を組み、この数日間の修練を発揮して欲しいんじゃな。さて‥‥先ず、先頭はユニコール号がされるそうじゃ。次に‥‥」
 次々と老人が手にする羊皮紙から、船の名前が読み上げられて行く。その度に、船の乗組員らしき男達が歓声を挙げて立ち上がる。それも2、3人という事から船の代表者が集まっているらしい。
 マイケルはさっきの連中が立ち上がって奇声を上げる様を眺め、殴った方の男に声をかけてみた。
「おい! あんた、ちょっといいか?」
「ん?」
「あんたら、何の為に太鼓や鐘を鳴らしてんだ?」
「あん!? そりゃぁ、太鼓は漕ぎ手のリズムだぜ。鐘は合図だろ? 右行け〜左行け〜止まれ〜」
「だから! 何で大勢で鐘や太鼓を打ち鳴らすんだって聞いてんだよ!」
 いいかげん声を荒げるマイケルに、海の男達はようやく得心がいった様子。ここに集まったショア湾全域の漁民たちの代表が、ぎょっとしてこのやり取りを聞き入ってしまった。
「そりゃぁ、同じリズムって事になりゃ、一匹のでっかい生き物の心臓の音みたいに響くだろう? そうすりゃ、あんなでっかい鯨どもだって『こりゃ大変だ〜!!』って事になるだろう?」
「きひひひ‥‥天界人マイケルたって、大した事ありゃしませんねぇ、船長?」
 ごん!
「横からチャチャ入れんじゃねぇっ!!」
 天界人マイケル、この一悶着でその名を知らぬ漁民はショア湾に居なくなった。名前だけなら。

●ショア城の夜宴 1日目
 夜に入り、ショア城を訪れた黄とトリアの二人は、天界人の天才楽士とショア城では評判の高いトリアの名声によりすんなりと城内へ案内され、二人の少年従者に恭しく通された一室、そこにはデカール・ショア・メンヤード伯爵と、キャプスタン・ゴロイ・キールソン男爵、そしてランの国はラース伯の配下バルダック・ジャニス男爵の三名が待っていた。
 銀の燭台にうっすらと照らし出される中、杯を交わし談笑していた様子。白磁のグラスを持ちながら、メンヤード伯爵は満面の笑みでトリアを迎え入れた。
「これはこれは、天界の天才楽士トリア殿。再び足を運んで戴けるとは、片田舎の領主として喜ばしい限りです。また、あの麗しい楽の音をお聞かせ願えませぬか? すぐに立ち去ってしまわれ、娘ともども何がいけなかったのかと心を痛めておりました」
「過分なお言葉。このトリア、及ばずながら伯爵様のご期待に沿えますよう力を尽くしましょう」
 微笑みつつトリアも片膝を着いて恭しく返礼する。それを伯爵は慌てて手を取って立たせ、その時初めて黄に気付いた様子でトリアへ訊ねた。
「さて、そちらの御仁は? 先日の天界の精霊とも思しき、麗しきお二人のお弟子様はどうなさいました?」
「実はある件で、使いにやっております。この男もまた天界人で黄安成と申します」
 話を切り出したくてうずうずしている黄は、はやる気持ちを押さえながら礼儀に則って一礼する。
「なるほど、トリア殿も、お二人のお弟子様もさる事ながら、見た事も無い珍かな衣装。ジ・アースとはまた様々なお国柄がおありの様ですな」
「はい、その通りで御座います伯爵様。ジ・アースもまた広大な世界。多くの民、多くの国が御座います」
 余所行きの台詞が滑るように流れ、求められるままに一曲を奏でた後、トリアは黄へ本題を切り出させるべく話を誘導した。黄はこの時とばかりに、伯爵の情へ訴えるべく言葉を紡ぎ上げた。

「‥‥人にあらずとも生まれ出る新たな尊い命を摘み取るような真似をすることはあまりにも慈悲がないのではないのではないか?」
 ようやくに黄が言葉を終え、それを黙って聞いていた伯爵は、徐に二人の男爵に尋ねた。
「要は湾から群を追い出せれば良い話だが、出来るのか?」
 ジャニス男爵はちらりとキールソン男爵を見、しばらく答えにつまった当のキールソン男爵は小さく頷いた。
「この度の策ならば、出来るかと‥‥」
「ならばやってみせよ!」
「ははっ、必ずや!」
「うむ、その言葉、その誓い、よもや違えるでないぞ。黄殿! トリア殿!」
 伯爵は厳しい面持ちで二人の名を呼ぶ。これに我が意を得たりと恭しく頷く二人。
「お二人は、このキールソンの船に同道し、事の成り行きを見届けてはくれませぬか?」
 この伯爵の願いに、黄とトリアは頷くしかなかった。
「元々、鯨たちが湾に逃げ込んできたのはシャチに襲われない様にするため。ならばシャチをどこか遠くまで追い払うことができれば鯨たちも数日中には自然と湾から出て行くのではないのか?」
 黄の言葉を継いで、トリアも胸の内をもらす。
「いま、我らと同調する者が、シャチを追い、鯨を救おうとしております。我等想いを護る者‥‥」
 伯爵は穏やかな目で皆を眺め、それら全てを暗黙のうちに了承し、そこでジャニス男爵はキールソン男爵の肩を叩いた。
「これで鯨討伐命令が、鯨を湾から追い出す命令へとめでたく変更になった訳だ。お前もこれで、海に身を投げた流民の娘、マリンの想いに償う事が出来るというモノだ」
「その話はもうよしてくれ! 死んでしまった者は、もう還らない。還らないんだ!」
 キールソン男爵は一礼すると、何かを振り切る様に廊下へ駆け出した。伯爵はそれを敢えて追わせず、他のものにも見送らせた。
「判って貰いたい。彼は彼なりに大きな責任を負っている。しかし、若く経験も浅い。故に行き過ぎや失敗もある。だがその痛みを知らずして成長はありえないのだ。悲しいかな、このウィルには形ばかりの騎士や貴族が数多く居る。上にへつらい、下に厳しく、義務を怠り、口先ばかりに権利を主張する。若さゆえ、その風潮に流れる時もある。だが、私は信じたいのだ。このショアの海に生きるという事から、父や祖父、祖先が何を感じ、何を学び取って来たのか、彼もまた学び取れるのだという事を」

●流民の宴 1日目
 そこに集う者達の拍子に、星明りの下、夜の蝶が舞う。
「‥‥夜の蝶‥‥軽やかに‥‥羽ばたき‥‥魅せてみせましょう‥‥」
 銅の鍋、木の棒、ボートのオール、様々な音がリズミカルに交錯する、その中を一人の女が細くしなやかな身体を闇に舞わせる。ひらり、ひらりと闇に溶け、白い肌にその羽を揺らす。
 紅を僅かに差した唇。静かな面差しが、能面の様に、ただ双の瞳だけがちらちらと揺れる僅かの炎を映し出し、夜の蛾を引き寄せるが如くに観る者を魅了する。
 小船が40艘程集まって形作る浮島。その上にあって水上の宴が進む。
「そうですか、黄さんやアースさん達のお友達で、マリンちゃんと鯨を救いたいから説得したいと‥‥ようがす! わっちらがお手伝い致しましょう!」
「おおっ!」
 どんと胸を叩くのは、この集団の顔みたいな男だった。すぐに何艘かのボートを放ち、他の集団へ渡りを付ける事となる。
 急に動き出した人々に、幸助も、アレクセイも、イオンも少し拍子抜けするくらいに驚かされた。
「いや、何ね。あん人達にゃ、キャプスタンの野郎に冬の海へ放り込まれた仲間の風邪を看病してくれたり、わざわざ酒や毛布をくれたりと良くしてくれたってぇ話さ。それにあのマリンちゃんは、うちらの身内みたいなもんさ。それを助けたいってぇのは同じだ。みとれよ! 朝までにゃ200艘は集めちゃる!」
 宴は急遽お開きとなり、船は互いを繋げていたもやい綱を外し、文字通りバラバラに散った。
 
●夜陰 2日目
 まだ当分明けぬ夜陰に紛れ、黒い影が一つ、ショアの港を駆けた。
 船にはそれぞれかがり火が焚かれ、数名の見張りがいる様子。
 それらを克明に記憶しつつ、影は城の外壁の外堀に身を沈めた。冷たさを感じる部分を心で切り捨て、影は陰に紛れて進む。すると、その耳に聞きなれた楽の音。城に接岸された一隻の帆船から聞えて来る。影は、錨を降ろした鎖を伝い、見張りの死角を縫って船内へと入り込んだ。

「やあ、以外に早かったね」
 船室の暗闇で、トリアが影に囁く。
「こっち‥‥大丈夫‥‥」
「こちらは幾つか変更点があるよ。それをみんなに伝えてくれる?」
「判った‥‥」
 ベッドが軋む。二つの影が静かに重なり、別れ、再び影は陰に潜む。やがて気配は遠のいてゆく。
 トリアは満足そうに頷き、それから数分もしない内に静かな寝息を立て始めた。

●夜明けの海 2日目
 世界が虹色輝き、夜明けの気配に包まれる頃、眠い目をこすりのそりと起き上がったマリンは、周囲の状況にびっくりした。
 鯨の群が集う海域に、小型のボートが既に何十艘も集っていた。
「みんな、おはよう!!」
 ひょっこり海上に姿を現したマリンは、腰まである見事な金の髪を身体に巻き付け、鯨の背に立って両手を振る。満面の笑みで、ボートに乗っている人、一人一人の名を呼び、朝の挨拶を交わした。そうこうしている内に、ボートの数は次々に増えて行き、あっと言う間に百艘を数えた。その中には当然の如く、幸助やイオン、アレクセイ、黒妖の姿もある。
 さて、どうやって話をするかと、ゆっくりと泳ぐ大きな鯨の背にいるマリンとの距離を縮めながら思案していると、マリンは何かに気付いた素振りで、その愛くるしい笑みを更に輝かせ、鯨の背から大きくジャンプ。一艘のボートに飛び移ると、あっという間に何艘ものボートを跳び抜け、携帯電話を片手で構える男に跳びかかった。
「マイケル! 来てくれたんだね!」
「うわっ!?」
 おおおおっ‥‥
 海上にどよめきが走った。鯨達が一斉に潮を噴いた。
「そうなの! この人が助けてくれたんだよ! 天界人のマイケルさん!」
 天界人マイケル、ショア湾に居る流民の中でこの名を知らぬ者は居なくなった。
 マイケルの胸に思いっきり抱き付いたマリンは、嬉しそうに鯨達に紹介し、鯨達もそれを歓迎するかの様に一斉にいなないた。びりびりとボートが震えた。
「ありがとう、マイケル。輝く光と共に私の前に姿を現し、あの男爵から護ってくれた時、あなたこそ私の運命の人だと‥‥また会えて嬉しいわ!」
 海の様に真っ青な瞳が、真っ直ぐにマイケルを見詰めている。予想だにしないマリンの攻撃にマイケルは答えを失い、ただ揺れるボートの上で海に落ちない様、両腕をバタバタとさせた。その様がおかしいのか、マリンは吹き出し、目の端に涙を浮かべて笑った。が、その瞳がマイケルの両手の指を確認するとにわかに曇り、慌てて身体を引き離した。
「ごめんなさい。私、勝手にはしゃいじゃって‥‥ごめんなさい!」
 マイケルは、マリンが渡した貝の指輪をどこにも身に付けていなかったのだ。それは、渡した相手の事を何とも想っていないという証。マリンは死にたいくらいの恥ずかしさと絶望感に、顔を赤くしたり青くしたり、それを両手で隠して海の中に飛び込んでしまった。
 その波紋が消えるよりも早く、海底に広がる海草の森へと姿を隠すマリン。それは一瞬の出来事だった。
 後には携帯電話を片手に呆然とへたりこむ、塩水にぬれた天界人マイケルただ一人。天界人マイケル、その名を知らぬ者はショア湾にそうはいない。

「やれやれね。胸ばっかし大きくなっても、やってる事は子供と同じ‥‥」
 一部始終を見終えてから、イオンは呆れて一言こぼした。それから一本のスクロールを取り出すと、ゆっくりと開く。その横で、アレクセイが慌しく一本のスクロールを取り出し、他の荷物を黒妖に預けた。
「私、ちょっと行って来ます」
「ああ‥‥」
 どっぼ〜ん、と水中に身を投じるアレクセイ。括り付けた錘の重さも手伝い、ぶくぶくと。
 水中は、10頭の鯨の鳴き声で結構騒がしかった。そのニュアンスから、鯨達もマリンの身を案じて呼びかけている様にも、アレクセイには感じられた。
「なるほど、その鳴き声の先に‥‥」
 アレクセイは海底の森へ降り立つと、冷静に鯨達の声を頼りに急いだ。海底は凹凸が激しく、垂直に生える海草が手足に絡みつき、地上に比べて何とももどかしい。何しろ、この魔法の効果は6分しか持たないのだ。果たして、海底に金の髪を放射状になびかせたマリンの姿を発見する。
 マリンもアレクセイに気付いたらしく、恥ずかしそうに海草の中に身を隠そうとする。
「待ちなさい! 貴方、今はそれどころじゃないでしょう!?」
 その呼びかけに、ひょっこり海草の間から首だけ出すマリン。半べそでアレクセイを見つめる。その様が何とも可愛らしく映り、少し胸がどきりとした。
「どうしよう。あんなに大勢の人の前で告白したのに、最初ッから見当はずれだったなんて。お姉さんはどうすれば良いと思う? きっとみんな笑ってるわ」
「あのね、今は鯨達を沖へ逃がす事が先決でしょ? 人間達もみんな力を合わせて助けようとしてくれているんだから、貴方も鯨達を説っげぼがぼ‥‥」
 魔法が切れた。

 ぷかりと水面にアレクセイの体が文字通り浮び上がった。水面から弾かれる様に。そこは集まったボート群の外れの方。そして、二人してごろりと一艘のボートに転がり込む。
 ボートの主はびっくりした様子だったが、がちがちと震えるアレクセイを屋根の下に運び入れ毛布をあてがい、表に出て二人が無事な事を皆に告げた。
「あ、あなた、ホントに寒くないの?」
「はい、私、北国育ちだから、まだ暖かいくらいなんです」
 そう言いながらマリンは何とも楽しそうにアレクセイに身を寄せ、毛布の中でアレクセイの身体をこすり温める。マリンの身体も少し冷たかったが、次第に身を合わせる部分から何とも柔らかな温もりが伝わって来て、心地良く思えてきた。
「わ、私だって、ロ、ロ、ロシアの産まれよ」
「寒い国なんですか?」
 アレクセイは震える手で、毛布より剥き出しになったマリンの白い足を触れ、その存在を確かめる様に、ふくらはぎから上へと指を這わせた。心の中で、成る程、と呟く。
「そ、そうよ、でもこんな無茶は‥‥」
「そうだな‥‥無茶な話だ‥‥」
 ふわりと外気が入り込み、黒妖が、それに続きイオンや幸助が心配そうに覗き込む。
「心配したぞ‥‥」
「黒妖‥‥」
 立ち上がろうとしたが、まだ力が入らない。黒妖はそんなアレクセイを毛布越しに抱き締めた。
「‥‥ごめんなさい、でも‥‥安全な場所に居たままでは、どんなに言葉を重ねてもきっと聞き届けてもらえないと思ったから」
 アレクセイも毛布から腕を出し、黒妖を抱き締め反す。瞳を閉じ、頬を摺り寄せ、思わず涙ぐみ、頭を撫でて謝った。
 黒妖も、愛し気にアレクセイの濡れた髪を掻きあげ肩口に唇を押し当てた。そのまま目を見開き、その向こうにいるマリンをその黒い瞳で凝視する。無言の圧力。
「あ‥‥ごめんなさ‥‥い」
 申し訳無さそうにマリンがアレクセイから身を離すと、当然だとばかりに黒妖は頷き、ようやく安心した様に目を閉じた。
「あの〜お取り込み中、大変申し訳ないんだけど〜」
 と、この様にイオンは悪びれる様子も無い。
「鯨さん達からの伝言を伝えるね。これ以上マリンを巻き込みたく無いから、沖のシャチの群を何とかしてくれるなら、その隙に外洋へ逃げる準備をするってさ。ま、この痴話喧嘩も全く意味が無かった訳じゃないって事ね♪ みんな良かったね☆」
 にっこりとVサイン。それは紛れも無い極上の微笑みだった。

●歓喜の海 2日目
 ど〜ん! ど〜ん!と太鼓の音が、まるで一つの音の様にかぶさり、大気を、海を、そこに集う船を揺さぶり、その奇妙な船団は湾を抜け外洋へと向かっていた。
 ユニコール号を先頭とした湾の領民たちの船や、風霊祭を目当てに錨を降ろしていた各国の商船、海戦騎士団の船を抜かした様々な船が百隻ほどこれに連なっていた。海戦騎士団『ラ・バレーヌ』は、騎士団長不在を理由に参加要請を端から拒否。国の戦力である海戦騎士団を勝手に動かす訳にはいかないらしい。
 これに鯨の群を挟む形で、右の沿岸側を一本の列が、流民達の200艘余りのボートが連なり、手にある物を何でも打ち鳴らし、老若男女こぞって歓声を挙げていた。
 その様を眩しそうに眺めながら、流民のボート上、天界人である幸助は感嘆の言葉を漏らしていた。
「正にこれは、アトランティス世界の風霊祭ですね!」
 これほど大規模に、身分の差に捉われず、共に協力して一つの事を成しえるという事があったであろうか。それは、地球の日本においても同じ事。
 一斉に全ての船の鐘が鳴る。
 二匹の巨大な竜と化した船団は、ゆっくりとその進路を変える。マストの見張りが外洋のシャチの群を視認し、その逃げていく様を伝えた。
 どっと歓声が沸きあがり、同時に別の悲鳴も上がった。
「海の中に何か居るぞ〜!!」
 トリアと黄がキャプスタンと共に後部甲板から身を乗り出す様に海中を見た。
「あれは何じゃ!?」
「龍? 水龍ではないですか!?」
 するとキャプスタンは驚きに声を荒げた。
「サーペントだ! 海の精霊サーペントだ!」
 海中をこの船団と平走する様に、一匹の青い龍がその身をくねらせる。
「やあ、これはもしかして」
 ぼろろ〜んとトリアが爪弾く。
「我々を仲間とでも勘違いしているのでは?」
「うぬ? あそこにも居るのじゃ!」
 目を凝らしていた黄が、離れた所を指差すと、別の青い龍が水面から顔を出す。その背には、また別に透き通る女性の姿も。
「マーメイドではないのか?」
「体が透き通ってますね。あれも海の精霊ではないですか? 流石は神の国アトランティス♪」
 見る間にその数は十を越え、一時間後には船団全体を取り囲む様に数え切れない程の大小様々な精霊達に囲まれていた。中には恐ろしげな姿をするものも居る。また別には見目麗しい存在も海の中を舞う。海全体が淡く輝き、幻想的な光景が目の前で繰り広げられてゆく。

「凄い‥‥」
言葉を失った様にマリンは口元を押え涙を流した。すぐ手の届くところに精霊の姿がある。

「これは‥‥精霊達の祭り‥‥」
「この時期は風の精霊じゃないの? ふふふ‥‥ま、いいわ」
 うっとりと眺める黒妖とアレクセイ。その身をしっかりといだき合う。

 マイケルは夢中に携帯で写真を撮る。
「うわっ!?」
 思わぬ近くにある、サーペントのぞろりと生えそろった鋭い牙にぎょっとした。

「これが‥‥これがアトランティスの理‥‥」
 幸助の頬を歓喜の涙がハラハラとこぼれ落ちる。

 最早、誰一人としてオールを漕ぐ者は居なかった。太鼓や鐘の音も、打ち手がその手を休め、逆に船底の方から、静かな楽の音がまるで波が打ち寄せる如く、風が吹き抜ける如く、淡く、柔らかく、染み入る様に響いて来た。
 外洋に居るにも関わらず、波は静まり返り、船団は誘われるがままに鯨の群と共に水面を滑る様に進む。
 空は夕映えを通り過ぎ、瞬く間に星の輝きへと変る。
 正に青白く輝く海は、鯨達の群を浮び上がらせていた。
 すると、数頭の体の下から、赤黒いもやの様なモノが吹き出た。海の乙女達が、それを導き出す様に、優しく撫でている。その内に、一頭の鯨がそっと寄り添い、半分ほど出て来た物を丁寧に噛み切って行く。すると、その胎盤から一頭の子鯨がするりと滑り落ちる様に抜け出した。
 小さな歓声がわきあがる。
 人々がどよめく中、残る二頭も無事に出産を終え、海上にその小さな身体を浮び上がらせ、勢いよく潮を噴いた。
 それまで押えていた気持ちが、どっと大きな歓声となって湧き上がった。
 同時に、全体を包んでいた青い輝きが、最高潮に達し、一瞬で弾け跳んだ。暗転。
 人々は呆然と、ただ鯨の可愛らしい小さないななきを耳にし、ほっと安堵に胸を撫で下ろした。海は、徐々に元の姿を取り戻して行った。

●ノワールの囁き 3日目
 ぱちぱちと闇太郎は手を叩く。
「おめでとうございます。海の精霊達から祝福を勝ち取るとは、大勝利ですね。これでショアの民はこれまでにない恵みを海から授かる事となります。また、参加された船は、海で事故に遭う事も無く、どんな嵐からも帰還する事が出来るでしょう」
 闇太郎は言葉を続けながら、天井に手を差し伸べると、そこからは何やら口惜しい様な獣の唸りが響いて来た。
「やれやれ。行儀が悪いと、その名に傷が付きますぞ。約定は御守り下さい」
 すると一枚の羊皮紙が忽然と舞い降りた。それを手に、闇太郎は皆を眺め回した。
「ふむ。皆様、特にご希望が無い様子なので、店側で選ばせて戴きました。この度、あなた方が勝ち得たのは、農民のジロールさんです」
 闇太郎は羊皮紙をくるりと返すと、そこにはおどろおどろしい紋章と文字で何やら書かれていた。そしてジロールのものらしきサイン。
「おいらが!」
 ジムがそれをかっさらうと、パイプをもくもくふかし、その火を近付けると、一瞬にして燃え上がり、それは灰も残さず掻き消えてしまった。
 農奴のジロールは歓喜に身を震わせ、皆の手をとってひとしきり礼の言葉を口にすると、扉の外へ跳び出して行ってしまった。

 闇太郎は続ける。
「さて皆様。この度、皆様が成し得なかった場合の光景をご覧戴きたい。あのままならば、又この闇のゲームが介入しなかった場合の光景で御座います」
 するとバニーガールのリリムが、幾つかある窓の内一つに立ち、徐にその鎧戸を開いた。
 今はもう夜なのに、窓の外は昼間。
 船団を組み、出航する艦隊は鯨を護ろうとする流民達のボートを次々と転覆させ、包囲した群の鯨に襲い掛かった。見る間に血まみれになる鯨達。そこへ沖から駆けつけたシャチが一斉に襲いかかる。
 血に狂ったシャチは、ボートだろうと漁船だろうと構わず噛み砕き、乗員をその牙にかけ、たちまち湾全体を真っ赤に染め上げて行く。沿岸で網を投げている老人。細波にたわむれる子供達。たちどころに大波となって海中へ引きずり込む。そして、人々の悲鳴がひとしきり終わった後、ショアの海は更にどす黒く変色し、波一つ立たない不気味な海へと変貌を遂げる。
 どくん
 どくん
 海底より、まるで太鼓が打ち鳴らされる様に、何かの鼓動が響いた。薄っすらと、巨大な赤黒い瞳が、細く、長く、膨大な陰気をもって開かれる。鎧戸がガタガタと悲鳴を上げ、リリムはにっこりとそれを締め出した。

「では、次の闇のゲームでお会い致しましょう」
 闇太郎は、会員で無い者に金のカードを配った。
 気が付くと、元の路地。以前からの会員は、己のカードの色が変わった事に気が付いた。