●リプレイ本文
●開かれた扉
黒い網タイツがスラリと伸びた脚を引き立てる。紅いハイヒールで板をコツコツと鳴らし、リリムはその闇色の扉の前へ立ち、いつもの如くその扉を開け放ち、これ以上に無いコケティッシュな笑みを浮かべる。
「では、行ってらっしゃいませ」
その向こう、空は大地を茜色に染め上げていた。
「第三幕か‥‥あいも変わらず情報が少ないな」
ぶわっと黒革のマントを翻し斜に構え、サラ・ミスト(ea2504)がきつい一瞥を投げかけると、真紅のバニーガールは燃える様に紅い唇をキュッとすぼませ、少しおどける様な表情で返した。
「あら、ごめんなさい。でも、そこで何が起きているか、一歩脚を踏み入れれば判る事でしょう? そこで何を感じ、何をするのか、それは貴方の自由。一度目は目の前で大勢の人が兵士達に攻め立てられ、二度目はその地の要を切り崩そうという動きがあったわ。貴方はそこで何をしたのかしら? それは貴方にとって少しも意味の無い事?」
「そんな事は‥‥無い‥‥」
クスっと愛らしく微笑むリリム。サラはムッと口を結び、胸元のブローチに手を置いた。
(「この場合は、ゲームに勝利したら、支払いはリリムが行い、魂はリリムの物と言う形になるのか? 思いがちょっち小さくなった代わりに、プロのギャンブラーが出て来た様な気がするが気のせいか?」)
「とりあえずゲームが再開した以上勝ちには行くが」
ロングスピアを片手、防寒服に筋肉質のその身を包み、難波幸助(eb4565)はリリムをちらりと見た。すると、その気配に気付いたか、リリムがサラから幸助へと流し目をくれた。
「うっ‥‥」
湖面の様な深い藍。その瞳をじっと覗き込む幸助。
「なあに?」
「勝っても‥‥良いんだよな」
戸惑い混じりの声色にリリムは目を細め、その蠱惑的な輝きが幸助の胸を高鳴らせる。
「救えるものならね。絶望という毒は、確実に想いを殺すわ‥‥貴方に、絶望を消せて? 無理をしなくても良いのよ。どうせ貴方達には勝てないもの。目の前で悲鳴をあげて逃げ惑う人達を放っておいて、高見の見物を決め込んでいる、そんなステキな方達‥‥きっと私の思った通りの結果になるわ☆ あら? そう言えば、あの時一人だけ飛び出して行った勇敢な殿方がいらしたわね?」
そう言って、リリムは一人一人の顔を舐める様に見渡した。
「獅子の如き勇猛さ、炎の如き情熱で、ああ‥‥無垢なる波の乙女を魅了する。その上であえて無視する悪魔の如き残酷さ‥‥そう‥‥戴くなら貴方の魂が良いわね」
リリムは満面の笑みでマイケル・クリーブランド(eb4141)を指差した。
「お、俺!?」
ぎゅっと愛犬のフレディを抱きしめるマイケル。
その視界を白い影が遮った。
「聖なる母の下僕、フェリシアと申します」
白い頭巾に、帯という銀の髪のエルフ、フェリシア・フェルモイ(eb3336)がリリムの前に立ち塞がる。
「あら、とてもステキな方です事。お友達になりません?」
「闇太郎様、リリム様。貴方達はカオスの魔物、ないしそれに組する者なのですか?」
リリムの戯言を無視し、フェリシアは二人へ質問を投げかけるが、リリムは微笑むばかり。闇太郎に至っては、カウンターで静かにグラスを磨き続けた。
「リリム様。エーロン王子に与する方に『半分魂を売り渡してる』と仰ったそうですね? わたくしは他の依頼にて、エーロン王子様に恐れながらカオスの魔物の影ありと伺っております」
「でしたら、ご本人にお尋ねになれば宜しいのに。きっと、我こそは偉大なるカオスの手先、カオスの犬なりとお答えになるでしょう。そうして、貴方の御心にも平安が訪れるのですね。ス・テ・キ‥‥」
「茶化さないで下さい」
するとリリムは扉の影に隠れる様に身を縮め、大げさにぶるぶると震えて見せた。
「まぁ、恐い☆ 天罰が下るのね。そして神の教えに背く者は、神の軍勢に尽く打ち滅ぼされると‥‥ああ、早くその光景を見てみたいものですわ。早く! 早く!! 早く!!! まだですの!?」
コロコロと嘲笑するリリム。
すると、カウンターの向こうより闇太郎が進み出、フェリシアの前で静かにお辞儀をしてみせた。
「申し訳御座いませんフェリシア様。この娘は、言葉遊びをしているので御座います。どうか、お気になさらず、闇のゲームをお楽しみ下さいませ」
「闇太郎様。貴方は『このゲームのディレクター兼司会進行役』と名乗られたと伺いました。天界の賭場を模したこの店を形作っているのは貴方の記憶ですね? ここに常にいる天界人は貴方だけなのですから。闇太郎様。貴方もまた、囚われ人なのではないですか? この『仕掛け』、罪無き人々を罠にかけ、人の想いをチップとし、より徳の高い魂を集める大掛かりな仕掛けを動かすには、誰かが『店』を思い描く必要があるのでは? そんな風に私は思っています」
「それは貴方様のご想像にお任せ致しましょう。それよりも、宜しいのですか?」
だが、闇太郎は静かに見返すのみ。扉の向こうを指す。その向こうはすでにどっぷりと暗闇に包まれていた。それでも構わず、フェリシアは闇太郎へ真っ直ぐに向いたまま、毅然と胸を張る。
「闇太郎様。この『仕掛け』は、一体誰が何のために用意したのですか?」
しかし、闇太郎からまともに返答する気配は微塵も感じられなかった。
ここで、この会話を見守っていた冒険者達の中から、小さな影が飛び出した。可愛らしいファンシーな魔法少女のローブをひらり、パステルカラーの杖を手にチカ・ニシムラ(ea1128)は精一杯両手を広げ、闇太郎の前に立った。
「うー、今回の護るべき想いが何かしらないけど絶対負けないからね! 負けると思ったら負けなのにゃっ!」
闇太郎は静かに頷いた。
その黒い瞳をじっと見据え、それからチカはくるりと振り返る。
「というわけで、今回も絶対勝とうね♪ お兄ちゃん達、お姉ちゃん達♪」
「そうさ! 刻んでいくってことはおいら達が勝てばそれだけ早く捕まっている魂が帰ってくるってことだからな! とっとと取り返して見せるさ!!」
ぴょんと跳び上がり、空中でジム・ヒギンズ(ea9449)が大理石のパイプを振り回し、煙草の煙が大きな円を描いた。
唐突に女のしゃがれ声が室内に響いた。
「捜し物は暗いね。冷たく暗い森の中。いけないねぇ〜。怪我や病気の暗示が出てるよ‥‥そして差し迫った危険‥‥命に関わる危険だね。あんた達、こんな事をしてていいのかい? おや?」
何時の間にか、カウンターで一人の女がタロットカードを手に、腰掛けていた。そして一枚のカードをめくると、それを手に、大いに満足した様子で笑い出した。
「ほ〜っほっほっほっほ‥‥そうかい‥‥そういう事かい‥‥」
手早くカードをまとめ、女はよっこらせと背の高い椅子から腰を降ろした。
「あんたらも早めに動いた方がええて。手遅れにならん内にな。ほな、さいな〜ら‥‥」
うやうやしく一礼すると、戸口に立つリリムに会釈し、ひょこひょことその女は暗がりへ姿を消す。
それを見た冒険者は、ふと呪縛から開放された様に、慌てて扉の向こうへ旅立って行った。
「じゃあ、これおいてくから世話頼むな」
「承りました。行ってらっしゃいませ、マイケル様。良いゲームを‥‥」
無造作に黒い鉢を店の隅に置き、文字通り丸腰のマイケルは最後に扉をくぐる。
既に辺りはどっぷりと暗く、遠く炎の瞬きが先程の村らしき存在を知らせてくれた。
●闇を抜けて
チリチリと音を発てる燃え落ちた農家の周りでは、幾つかのかがり火が煌々と焚かれ、そこかしこで数名の村人が固まり、何を話するでも無く俯き、ただ黙り込んでいた。
そんな意気消沈した村落へ、畑を踏み越えて姿を現すと、村人達は一瞬こちらを見、見知らぬ者達の突然の来訪に、短い悲鳴と共に大慌てで姿を消した。
そんな反応に眉をひそめ、アリル・カーチルト(eb4245)は、傍らに立つ誰かにそっと声をかけた。
「は、ハクション! ハクション! ココって何処かわかるかい、ショア地方?」
「さあ? どこかしら? 先ずは聞いてみましょう」
帰って来た返事で、初めてリール・アルシャス(eb4402)だと気付いた。リールはゴーレムライダーにマントと言った装備でそれなりに暖かそう。ぶるると震え、アリルはバックパックに防寒着があった事を思い出し、もぞもぞとそれを着込む。
続く幸助もこれに倣い、その辺の草むらでもぞもぞと。
そんな様を尻目に、伊藤登志樹(eb4077)はずかずかと村へ入り込んで行った。
「ここは何処だぁ! 何があったんだぁ!」
返事は無い。
そこで呪文を唱える。インフラビジョン。視界が一転、かがり火の眩しさに、思わず目を細めるも、その向こうの建物の隙間から、覗く赤い影が幾つも見えた。
「ちっ! 何だ〜こいつら?」
「先ずは何があったのか、それを聞く事じゃ」
墨染めの衣をはためかせ、黄安成(ea2253)は馬の手綱を引き、手近な木にそれを巻き付けた。
「取り合えず、情報収集が先決だねぇ」
素早くレジストファイアの呪文を唱え、イオン・アギト(ea7393)は燃え落ちた家屋跡へ脚を踏み入れる。パキパキと足の下で赤く炭化した残骸が砕け、火の粉を散らした。
「何でこの家だけ、燃えてるんだろう?」
「何か判ったか?」
背中で聞いたサラの問いに、イオンは地面を眺めながら、小さく首を左右に振った。
その様を眺め、一人超然と立つケヴィン・グレイヴ(ea8773)。
「状況があまりよく解らないな。小さな想いとはいったい何なのか?」
その問い掛けに答えるかの如く一人の老人が物陰より、震える足で歩み出た。青ざめた表情で唇を噛み、ケヴィンを食い入る様に見つめて。
「こ、こ、この村にゃ、年寄りや怪我人しかおりませんですじゃ! それに、すぐ近くに領主様が兵を率いて動いております。ど、ど、どうかこれでお引取りを‥‥お願いです!」
ぶるぶると震える手で差し出したのは、小さな皮袋。
ケヴィンがそれを手にすると丸く薄く硬い物が幾つも入っている様だ。少し振ると金属のチャリチャリする音。掌にあけてみれば、それは数枚の金貨と銅貨だった。
それを手早く袋に戻すと、ケヴィンはポンと老人に放り返す。
「いらねぇ。俺等は冒険者だ。野盗じゃねぇ。ここで何があったのか、教えて欲しいだけだ」
「ほ、本当ですか‥‥?」
老人はほぉ〜っと深く息を漏らし、緊張が解けたのかその場でへたり込んだ。
それを取り囲む様に、数名が集まる。その中から、サラがねめつける様にして話し掛けた。
「私達は通りすがりの冒険者だ。火の手が見えたのでな、何事かと来てみた訳だが‥‥いったい何があった? 説明を願おう」
老人の呼び掛けに、一瞬の静寂の後に次々と閂の外れる音が響き、建物からぞろぞろと老人、女、子供や軽い怪我をした者等が顔を出す。
「はみゃみゃっ!? な、なんだかよくわからないけど大変なことになってるっ!? と、とりあえず怪我してる人助けないとっ! あ、カッコいいお兄ちゃんやお姉ちゃんはあたしが特別な手当てをするにゃ♪」
一同怯え隠れていた人数に驚き目を見張ったが、怪我人の姿を認めると、チカは持ち前の朗らかさで陰鬱な空気を吹き飛ばす様に飛び出していく。
「おい、爺さん。この小屋は何で燃えているんだい? なんか、すっごい跡があるね、何かが通ったのかい?」
一見して何やら大きな力で崩れた粗雑な石組みの壁、折れた柱、それらを眺めながら、ジムはその老人の傍らへと歩み寄った。
人間の子供と一見そう変わらぬパラからの、不思議と大人びた口調に、その老人は驚きをグッとかみ殺しつつも、ぎょろぎょろと冒険者達の顔ぶれを見渡し、妙に納得した様子で頷き、その場に座り込むと、ゆっくりとした口調で思い出す様に語りだした。
「実は夕暮れが来ようという時分‥‥これまで見た事も無い‥‥それは恐ろしい怪物が村を襲いましたのですじゃ‥‥」
「痛むが我慢するのじゃ‥‥」
ハーブの葉を数枚、紐でくくった束から取り出すと、それを軽く揉み、井戸水で洗い直した傷口に当て、その上から大きなボロでそっと巻く。
痩せた肉に細い骨。ごつごつと節くれた指。暮らし貧しき者の身体。
鋭い爪が、人の皮をまるでバターの様にさっくりと切り裂いている。
「爪は3本じゃな‥‥あなたは運が良いのう‥‥傷が浅い」
木の棒を口に、歯を食い縛る男に、歯の間からこぼす様に黄は話し掛けた。
「幸いな事に‥‥男爵様の兵がすぐに来て下さり‥‥怪物を村から追い払ってくれたのですじゃ‥‥」
焼け落ちた農家の跡に立ち、呪文を唱える白い髪のエルフ、ルナ・ローレライ(ea6832)。その類にもれず、瞳は血の赤。緩やかな詠唱と共に、ツバ広の帽子に挿した羽根がさわさわと囁き、黒い麻のドレスもふわりと浮き上がる。
「悠久の調べをここに奏でよ、刻は嘘をつかず、また包み隠さず伝えけり‥‥パースト」
ルナの全身を淡い銀光が包み、その視界に少しずつ過去の映像が映り込む。
激しく燃え上がる家屋。口元を押さえ、火を放つ兵士。滅茶苦茶になった室内を、恐る恐る覗き込む農民達。牛より大きな黒い怪物が、巨大な嘴をカツカツ鳴らし、羽根を撒き散らして転げ周り、室内にある物が尽く破壊されて行く。石組みの壁を吹き飛ばし、転がり込む怪物。寝かされている少年が、体中に膿の滲む発疹があり、非常に苦しそうに身もだえている。寝かされている少年は、体中に赤い発疹が出て、息苦しそうに寝ている。少年が倒れ、村人達が慌てて寝台に寝かせる。母親らしき女性の発疹だらけの遺体が運び出される。母親らしき女性に取り付いて泣く少年を村人が引き離す。母親らしき人物が倒れている。父親らしき人物の、体中に発疹が出た遺体が運び出され、少年は母親らしき人物に引き止められて‥‥
時を遡るのを止め、ほうとため息をつき、こめかみを押さえた。
「これが、リリムさんの言っていた絶望‥‥?」
目を細め、ルナは思索にふけた。
「それから男爵様は‥‥怪我人をこの村に残され‥‥村の若い衆を連れて山狩りに向かわれたのですじゃ‥‥」
「俺はアリル・カーチルト、ただの天界人医士だ。ほら、診せてみろよ」
背嚢から応急手当キットを取り出し、手回し発電ライトで一人一人の手当ての具合を見て周る。
「ちっ、いい加減な‥‥」
傷口を検め舌打ちするアリル。
はっと我に返り、己の頬をはたいた。
「すまんすまん。なぁ〜に、大した事ねぇよ」
不安そうに見返す人々を前に、しかめっ面を隠す。作り笑いに頬を引きつらせ、薄明かりに感謝しつつ、アリルは怪我人の肩に手を置き安心を促した。
「これは‥‥」
大地に残された大きな足跡。それを掌で計り、リールは唸った。
「大きい‥‥だが、この形は‥‥」
指先で拾った黒い羽根をくるくると回し、フェリシアは老人の元へ歩み寄り、それを見せた。
「これは、例の怪物が落としていった物に間違いありませんね?」
「そうじゃないかと‥‥」
自身なさ気に申し訳なさそうに返答する老人に、フェリシアは労わりの気持ちを込め、心配ないわと小首を左右に振り、それから皆を出来るだけ集めてから話し出した。
「この羽と、ルナ様のご覧になった特徴、足跡の形からして、その怪物の正体はグリフォンでは無いかと想像されます。おそらく、翼に何らかの怪我をして空を上手く飛べないのでしょう。既に手負い。この地の領主様が手勢を率いて山狩りをされているご様子。脅威は間もなく取り除かれるでしょう」
「問題は、あの焼け落ちた小屋に寝ていた子供の事です」
フェリシアの言葉を継ぎ、ルナが語り出した。
「寝ていた子供は、何か重い病気にかかっていた様でした」
ちらり村人達へ目線を向けると、皆そっと目を逸らす。
「数日の間に、両親が亡くなり子供も倒れています。何か良くない病気かと思われます。その為に、領主は住む者の無くなった家に火をかけて浄化したのでしょう。そして、その病気の子供は、怪物が飛び出した後には消えていた。そこで、リールさんが発見した大きな足跡の辺りで、過去見をしたところ、怪物の左羽根が折れている様でしたが、そこに衣服がひっかかり運ばれていました」
「おお、それはトミーですじゃ。全身酷い腫れ物が出来て‥‥最初は、親父のジョップから倒れましてな、酷い熱に苦しんで、それは惨い最期でしたのじゃ‥‥それが女房にもうつったんですな。そして最後にはトミーも。わし等は恐くて恐くて、遺体を火の精霊で清める事しか出来る事はありませなんじゃった‥‥」
「体中に腫れ物か‥‥腫れ方ってのが詳しく知りたいが、遺体は焼いちまったんだよな?」
腕を組むアリルは辺りを見渡した。かがり火に多くの羽虫が舞うのが判った。
(「蚊なんかを媒介にしていたら厄介じゃねーの‥‥?」)
「親父さんは、そのジョップさんとやらはどっかに出かけていたとかね〜の?」
「倒れる数日前までは、ショアへ出かけていたんですじゃ‥‥」
「ショアだって!?」
思わず声を荒げ、老人はビクリと肩をすぼめた。そんな事を気にかけるでなし、アリルは老人の胸ぐらに組み付いた。
「ショアのどこで何をして来たって!?」
「はぁ、ショアの港で商家を何軒か回って、今度畑に植える新しい品種を‥‥何でも天界人が持ち込んだ新しい品種を栽培してみないかって話があったんですじゃ‥‥そこで、村を代表して‥‥」
「天界人!? 商家!? じゃあ、マジで天界の病気が‥‥やべぇかも‥‥」
「アリル殿? 何がヤバイのか?」
老人から手を離し、ぶつぶつと口早に呟くアリルに、不安気な声でリールが尋ねると、いつになく真顔で振り向いた。
「それまで接触の無ぇ文化圏が接触すると、人や物が行き交うが、その中で最も恐ろしい物が病気なんだ!! 西洋人がマヤやアステカ帝国を滅ぼした際に持ち込んだ、メソアメリカの熱病の大流行なんか、当時の人口の9割以上が死亡したってぇ記録を、昔の宣教師が残してやがる!! 免疫の無ぇ現地人にゃとんでもない被害をもたらす事が地球じゃあったんだ!! くそっ、リリムの野郎!! おぞましいぜ!! 小さくて可愛いたぁこれか!? これの事か!?」
アリルは苦悩に全身を震わせ、地面をダンと叩く。その肩をポンと叩く者が居た。アレクセイ・スフィエトロフ(ea8745)が暗闇に溶け込む様、そこへ立っていた。
「‥‥新しい小さな想い‥‥早く見つけて護らないと‥‥もしそうなら、今回の闇のゲームに失敗した場合、アリルさんの心配が現実のものになる可能性が高い。急ごう‥‥」
「で、ここはどなたの所領なのだ?」
その様に一瞥なげかけながら、サラは老人へ尋ねた。
「この辺はモラン・カンバス男爵様の領地で御座いますじゃ」
「何?」
「モラン男爵だって!?」
リールとアリルが驚きに声を上げ、サラはその反応に少し驚いた。
「知っているのか?」
「ショア伯様の配下の方だ。この前の、東方小貴族会議に出席されていたお一人だ」
リールの言葉に、アリルも頷き、立ち上がる。
「確か、グリガン男爵の領地から道沿いに南の方へ、内陸に下った所だって言ってたな」
「お、お知り合いで?」
驚く老人に、アリルは力強く頷き、皆を見渡した。
「これなら、話が早いかも知れねぇや」
ぴゅ〜い、と指笛を吹くアレクセイ。
すると墨の様な暗闇から、一頭の純白な馬が現れる。その額には一本の角がある。
「アリョーシカおいで‥‥」
そのユニコーンは、軽く嘶きながらアレクセイに頭を摺り寄せた。
●モラン男爵
足跡は、怪物の物だけでなく、馬や人、犬と言った大勢が動いた形跡が残されていた。
冒険者達はその跡を追う。
すると、そのはるか向こう、松明の灯りがちろちろと動くのが目に映り出すと、追い込みをかける鐘や太鼓の音が、徐々に響いて来る。
星の瞬きが地上にも幾つか落ちたみたい。
「きゃ〜っほう〜♪」
大気のうねりを全身で感じると、それに自分自身を乗せてふわりふわり。踊る様にチカは、フライングブルームの上から、瞳を輝かせこの光景を眺めた。
その中でも、一際多くの光が集まる所、取り合えずそこを目指してみる。
「みゃぅ〜♪ こちらにモラン男爵さんは居るかな〜!?」
ふわり闇から箒に跨り降り立ったパステルカラーの魔法少女『まじかる♪チカ』の登場に、木々の間を怪物に警戒しつつ追跡を続けている騎士達は目玉をぎょろり、かなり引きつった顔で出迎えた。
「うみゅ〜♪ 恐い顔のおじさんばっかり〜‥‥」
箒を抱え、口元で両手をきゅっと握り、瞳をうるるんとさせる。すると、騎士の中より一人の男が馬首を巡らせ近付いて来た。
モラン男爵は口ひげをピンとさせた、金髪碧眼の紳士然とした人物だった。
「‥‥という事なの♪」
「成る程、あの怪物がグリフォンと言う奴か‥‥途中で子供は見つからなかった‥‥」
冒険者の一行が到着するのを待ち、兵士達へ休息を命じたモラン男爵は、苔むした倒木に腰掛け、チカから怪物に関する話を聞いていた。
二人の掌の中には、銅のカップが暖かな甘い香りの湯気を立てている。はちみつを湯に溶かし、ハーブを少量加えた物らしい。一口すすると、体がほかほかしてくる。
そこへ、冒険者の一団が到着し、にわかに雑然とする。
その中を、アリル達は迷う事無く突き進んだ。
「モラン男爵!」
「ほお‥‥アリル殿か、いつぞやの会議以来ですな。これはこれは、リール殿も。おお、幸助卿も」
立ち上がって、両腕を広げて出迎えるモラン男爵。
「お久しぶりだ。早速だが、こちらのモンスターの専門家の意見を聞いて貰いたい」
闊達に挨拶を交わし、リールがフェリシアを紹介する。
「おい! お前達!」
モラン男爵が手招きすると、周囲で休息をとっていた騎士達が集まって来る。
それを待ち、フェリシアはすっと息を吸い、やおら語り始めた。
「グリフォンは、元来風通しが良く見晴らしの良い岩場等に生息している肉食獣です。逃げ込むとしますと、その様な地へ向かうのではないでしょうか? この辺でその様な場所はありませんか?」
「岩場か‥‥そういえば、最初に追い込んだ時も高台の岩場に隠れたな‥‥しかし、この方角に逃げているとなると、国境に小高い岩山がある。おそらくそこへ逃げ込んだのかも知れんな‥‥このまま隣の所領へ逃げてくれれば楽だと不謹慎ながら思ってはいたが、そんな所に巣くわれては、これも堪らん話だ」
う〜んと唸るモラン男爵。
話を聞いてみれば、獣の足に追いつけずに姿を見失い、足跡を追跡している所だったとか。
「人里を離れてくれればそれに越した事は無かったのだが、小さいながらも街道がその近くを通っている。牛馬や旅人が襲われる様になってはこの地を預る者として、伯爵様に面目が立たぬというモノだ。しかし‥‥」
そこで言葉を区切り、モラン男爵は一同を見渡した。
「岩山の向こうは伯爵様の勢力圏外になる。その様なところへ黙って兵を進めたとなると、いらぬ誤解を生むやも知れぬな。ホッブス! ヒース!」
「はっ!」
「はっ!」
傍らに控えていた騎士達の中より、年若い者達が姿勢を正し、一歩進み出た。
「これより、隣のくそネズミ野郎どもの巣に行き、こちらの口上を伝えるのだ」
すると他の騎士達はニヤニヤ。従者の一人がきょとんとする冒険者達へそっと口添えした。
「くそネズミ野郎というのは、お隣の領主様の事です。モラン様はあまりと申しますか、実に全く仲がよろしくないのです」
「我等、勇敢なる真の騎士たる騎士は、怪物を国境の岩場近くまで追い詰め、明朝にはこれを討たんとする者である。故に、兵馬を進めるものである。危険な怪物故、御隣人様に至りましては、扉にしっかり閂をかけ、窓という窓は鎧戸を閉め、耳に耳栓をし‥‥後は何かあったかな?」
ドッと笑う騎士達。
これに幾つか言葉を追加し、冒険者達が唖然とする中、伝令となった二人の騎士は馬に跨り、松明片手に森を抜けて行った。
●黒いグリフォン
空が虹色に染まり、朝となる頃には様子を見に向かったケヴィンが数名の斥候と共に帰還する。
火の傍にどっかと座り込み、手足を温める。
「どうやら、フェリシアの読みは当たったみたいだ。小高い岩場の影に、息の荒い子供ぐらいのと、大きな生き物の気配が判った。だが、あそこだと狙えるポイントが難しいな」
そう言って、肩に掛けた当人に似合わぬ可愛らしさのキューピットボウを軽く叩く。
「そうか、トミーは生きているんだな? 息が荒いと言う事は、まだ熱があるな‥‥ご苦労だった‥‥」
駆け寄るアリルは、状況を耳にすると唸り、考え込む。
「俺は俺の仕事をするだけだ」
「そ、そうか‥‥」
「小さな想いが俺達に叶えられる物ならば、叶えてやりたいものだな」
意外そうな面持ちでケヴィンを見やるアリル。ケヴィンは燃える炎をただじっと見つめていた。
報告にあった小高い岩場へ、チカがフライングブルームで同じくらいの高さに昇ってみると、岩場のくぼみに一匹の牛程も大きな黒いグリフォンがでんと居座っていた。
くっとチカの方を、その射抜く様な鋭い目線で見つめて来る。
「うみゅ〜★ 恐ぁ〜いっ!」
思わず涙目になりながらも、グリフォンの足元に横たわる少年の姿を捉える。
「居たっ!」
キュィィィィン!!
鋭い警告音を鳴らすのは、チカが思わず叫ぶのとほぼ同時だった。慌てて下へ下へと降りるチカ。下では男爵を始め、一同が雁首をそろえてその様子を眺めていた。
「下手に手を出せば、子供の病気を貰う事になるやも知れぬな‥‥」
う〜むと唸る男爵や騎士達。ここぞとばかりに登志樹が吼える。
「出番だ。ドクター、アリル!!」
「ぶはっ!? ちょ、ちょっと待てぇ〜い!!」
「やはり無理か‥‥フェイトが居ればなぁ‥‥」
断崖の高みを見上げるリール。
「居れば居たでひじょ〜に問題なんですけど‥‥」
左右の人差し指を一本ピンと伸ばし、胸元でちょんちょんと合わせるアリルに、背後からマイケルが苦笑しつつその肩をポンと叩いた。
「だったらよ、鯨の時みたいに、イオンにテレパシーのスクロールで話をさせてみようぜ!」
「で、何を話せばいいのかな?」
スクロールを片手に、イオンがフッと鼻息を鳴らす。既に心得たものだ。
「チカ、フライングブルーム貸してよ」
「うん」
「このままじゃ、対象がイメージ出来ないからね。ちょろっと見て来るよ〜♪」
「仕方ないよ。そのスクロール、レベルが高いんだもん」
にっこり微笑むチカから空飛ぶ箒を受け取ると、ぴょ〜んとひとっとび。グリフォンの威嚇に追い払われながらも、イオンは一度戻ると上機嫌で早速スクロールを紐解いた。
「駄目‥‥凄いヒステリー‥‥」
座り込み、頭を抱えてイオンがうめく。
思念で語りかけた途端に頭の中、全力で拒絶されて目の前がクラクラだ。
「大丈夫か?」
サラがその背を支え、フェリシアが貰ってきた水をそっと飲ませた。
「で? 喋れない生き物と意思を繋げる精霊の力を使える者は何だと?」
モラン男爵から尋ねられ幸助は苦笑い。
「すいません。少し休ませてやって下さい」
「ふむ‥‥そんなに疲れるモノなのか?」
興味深げに眺めるモラン男爵達。
ようやく落ち着いたらしく、上体を起こして座り込むイオン。ぽつりぽつりと話し始めた。
「あのグリフォンはメスみたいね。なんか勘違いして、あの子供を自分の子供と思い込んでいるみたい」
するとフェリシアは何事か考えている様子で立ち上がり、皆を見渡した。
「もしかしたら、トミー少年が身体にくっついている間に、匂いが移ったのかも知れません。動物は自分と同じ匂いがするものを、仲間や子供と思い込んで育てるという実例を聞いた事があります。犬が子猫に乳をやって育てたり‥‥」
「やっこさん。一晩中追いまわされて、錯乱したな」
皮肉めいた口調で登志樹が揶揄するが、その表情は厳しいものだ。
「一体どうすれば良いんだよ!!」
ジムもパイプをスパスパ吸って頭をぐしゃぐしゃ掻き回す。
「マジさっさと保護しねぇと命に関わるな」
アリルはどっかとその場に座り込み、顎に手を置き考え込むが、良い考えが浮かぶでも無い。
「フェリシア殿、何か良い策は無いのか?」
悲痛に顔を歪めるリールの問いに、フェリシアは残念そうに首を左右に振った。
「野性の動物は、人が近付くだけでも警戒心を強めるものです。ましてやこれだけの人の気配、きっとこのままの状態が続くのではないでしょうか?」
果たしてどうすれば良いのか‥‥。
トミー少年の体力は持つのか‥‥。
時間ばかりが、無為に過ぎた‥‥。