マリーネ姫と王国の試練2〜北部領主の密偵
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■シリーズシナリオ
担当:マレーア3
対応レベル:8〜14lv
難易度:難しい
成功報酬:3 G 32 C
参加人数:15人
サポート参加人数:6人
冒険期間:09月26日〜10月01日
リプレイ公開日:2006年10月04日
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●オープニング
●王の驚喜
「父上っ! 父上っ!」
宮中に響くエーロン王子の叫び。その声のあまりの大きさに、城勤めの侍従が何事かと目を向けるや、その眼に映りしはこれまでになく色を失い、急ぎ廊下を走り行く王の姿。その後をエーロン王子やお付きの者達が慌てて追いかけ、口々に叫んで王を呼び止めるも、王はまったくその声に耳を貸さず。
そのまま王は一人、マリーネ姫の居室に飛び込んだ。乱暴にドアを押し開け、いきなり現れた王の姿に、姫にお付きの衛士や侍女達は言葉を失う。
「‥‥陛下!」
ベッドの上に身を横たえていたマリーネ姫が王の姿に気付いて身を起こし、その尋常ならざる姿に掠れた声を漏らす。しかし王は無言だった。
王の手は姫のドレスをたくし上げていた。姫は露わになった自分のお腹と、そのすぐ間近にある王の顔を交互に見つめて、何か言葉を口にしようとしたが、口にすべき言葉が見付からない。
その時の王の表情、姫は決して忘れることがないだろう。王の顔は強烈な感情に支配されていた。それが喜びなのか、それとも恐れなのか、咄嗟に姫には理解できなかった。ただ、宿した命の重さを確かめるように自分のお腹に触れる王の手が小刻みに震え、その口が忙しく息を繰り返すのが分かった。
「でかしたぞ! マリーネ!」
雷鳴の轟きの如くに放たれた王の言葉。あまりにも大きな声に一瞬、叱責されたかと思った程。姫に考える余裕さえ与えず、続いて王は姫を強く抱きしめ、その腕の中で姫が言葉の意味を理解するのに暫しの時を要した。
「でかしたぞ‥‥でかしたぞ‥‥よくぞ‥‥余の子を‥‥」
姫の耳元で囁くように繰り返される言葉。熱いものが姫の頬を濡らし、姫はそれが王の涙であることを知る。
気がつけば、騒ぎを聞きつけた者達が部屋の入口にどっと詰めかけ、ひしめき合いながらも恐る恐る様子を見守っている。王は姫より身を離し、城中に聞こえるかとも思える程の大声で言い放った。
「いと目出度き事だ! 余は新たなる子を授かったのだ! さあ皆の者、準備を為せ! 今宵は祝いの宴だ!」
それからは城中が上へ下への大騒ぎ。程なく慶事の知らせは王都に広まり、ウィルの各分国へも慶事の知らせを告げる使者が早々と送られた。
●王の苦楽
城のバルコニーに王と護民官の2人の姿がある。
「この高みより見下ろせば、民は誰もが小さく見えます。しかしその誰にも家族があり、その人自身の生活があり、また人生があるのです。この度の賢人会議に先立ち、わたくしは貧民街へ赴き、ウィルの民の皆様にとって『幸せなこと』をお伺いしてきました。場所は、あの辺りです」
王都の一画を指さし、護民官は王に語り始める。貧民街の民が護民官の求めに対して答えた、数々の幸せのことを。
「陛下。人の幸せに大小あれど、これらは紛れもなく貴方が民へお与えになった幸せ。民の幸せは貴方を生かす糧に御座います。この穏やかな幸せを護り育てる為に貴方が何をすべきか、何をしてはいけないのか。陛下御自身で御考えになる事をわたくしは望みます」
「そうか‥‥」
護民官の目に映る王の横顔は、いつになく穏やか。しかし彼はその姿に悲しみの影を見た。
「陛下。お尋ねしてよろしいでしょうか?」
「何なりと申せ」
「今、何をお想いになっていたのでしょうか?」
「民の前で命を奪われた余の最愛の者達。そして、この世に新たなる命を授かりし、余の子のことをな」
護民官が城より去ると、王はマリーネ姫に命じる。今後、子が産まれるまでの間は城に留まり、決して城の外に出てはならぬと。そのお腹の子の身の安全を願っての、王の言葉だった。
●黒鳥の君
カイン・グレイスの冒険者ギルド総監就任から程なくして、ぱこぱこ子爵とウィル第一のフラレーは総監室に呼び出された。
「先日の『マリーネ姫ご懐妊祝い行列』について、警備隊から苦情が寄せられていましたよ。祝い事とはいえ、羽目外しは程々にしていただきたいと」
しかし、あれはエーロン王子の認可を受けての公式行事。ならば王子に苦情を持っていけばよさそうなものだが、やはり苦情は持ち込みやすい所に持ち込まれるものなのだろう。また、主君のために怨みを負うのも臣下の務めである。殊に、寵臣と呼ばれる者の義務とも言える。それ故、カインもけじめとして叱っただけである。
「それから、とある吟遊詩人に飼われていたペットのヤマアラシが逃げ出したという話を小耳に挟みました。まあ、捜索依頼を出すまでもないでしょう。賢いペットならば、恩返しに戻って来るかもしれませんね。さて、ここからが本題です」
カインは先の賢人会議にて、ぱこぱこ子爵が献策した内容について触れる。
「陛下のご不興を買った者達への赦しと名誉回復、口で言う程容易くはありません。問題はこの献策の実現に着手に当たって誰を最初に赦し、その名誉を回復させるかです。赦されたその者がその恩義に報いるなら陛下はお喜びになり、その後に多くの者が赦され名誉を回復する契機ともなるでしょう。しかし、その者がその恩を仇で返すことがあれば、陛下はお心を頑なにし、さらに多くの者が赦しを受ける道は閉ざされるでしょう。
然るに。私が思うにその試金石となるべき者は‥‥黒鳥の君ことレーガー・ラント郷ではないかと」
そう言いながらカインが取り出したのは、先の報告書の続きだった。
「ここに、冒険者街で見付かった置き手紙の内容が書かれています。『我は王国の未来を案ずるが故に、国王陛下の寵姫に侍りし冒険者諸氏との接触を望む。この手紙を残せし住処の戸口に、我が黒鳥の紋章旗を掲げよ。されば我は、我が使者をかの住処に送らん』と。試してみる価値はあるでしょう。但し、この置き手紙の主の正体も真意も不明であり、これが巧妙に張り巡らされた罠である可能性も否定できない以上、慎重に事を運ばねばなりません」
●北部領主の密偵
「では次に、北部領主の密偵のことに話を移しましょう」
報告書の続きには、先の依頼で冒険者が接触した密偵との、会話の続きが書かれていた。
場所を冒険者街に移すと、使者は語る。
「ここはトルク王の御領地も同然なれば、フオロ王の手の者にかかる心配はない。なれば率直に話そう。フオロ王は王権の強化を名目に私服を肥やし、王国を破滅の道へと導いている。現国王の統治が始まって早7年が過ぎたが、その悪政が改まる気配さえない。今こそ悪王は排され、王国は王の名に相応しき新たなる王の手に委ねられるべき。北部の諸領に住む者であれば、誰でもそう考えよう」
「しかし、王は変わった。招賢令が行われ、少なくとも王はその声を受け入れている」
その言葉に密使は声を荒げる。
「変わったのは上辺だけだ! 悪王の本性は変わらぬ! かのルーケイにしても、なぜその統治を余所者に任せ、死を給いしルーケイ伯の一族とその民を顧みぬ!? フオロ王が簒奪せし諸領地が悉く、その本来の所有者たる一族に返還されぬうちは、信用などしてたまるか!」
2人の間に暫し沈黙が流れる。やがて密使は、穏やかな口調で告げた。
「だが、貴公の誠意だけは信じよう。俺は身分を隠し、街の宿屋に泊まっている。また俺と会って話がしたい時には訪ねて来るがよい」
宿屋の場所を告げると、密使は立ち去った。
以上は、ウィル国王エーガンと冒険者ギルド総監カインの間で、協力のための確約書が交わされる以前の話だ。カインは言う。
「この件については私も協力します。この密使とも再び交渉を持ちましょう」
最後に、カインはウィンターフォルセを襲った首謀者についてぼそりと言った。
「現在の取り調べでは、クレアと名乗る男の吟遊詩人が黒幕との事。彼等はただ金で雇われただけのようでありました」
●リプレイ本文
●猫の受難
依頼の初日。ぱこぱこ子爵こと山下博士(eb4096)は、現護民官の後継者として名乗りを上げた冒険者を連れて、マリーネ姫の元に参じた。
「まさか秋に、花を見られるとは。お会い出来て光栄です、マリーネ姫」
謁見は姫の寝室にて行われたが、かの冒険者は身重の体をベッドに横たえる姫の前で、格式に則り跪いて恭しく礼を為し、先のご懐妊祝い行列にて羽目を外しすぎた事の詫びを入れると、改めて姫の面前でそのご懐妊を祝した。
「彼は優しすぎて、愛する者の幸せのために常に自分を犠牲にしてきた人です。今、花の中の花であらせられる姫のために、忠誠を捧げることを望んでいます」
と、博士も紹介の言葉を述べる。
「他ならぬぱこぱこ子爵の紹介です。貴方のことは覚えておきましょう。貴方が求めるならば力にもなります」
紹介を受けた冒険者に微笑みを向ける姫。好印象は持たれたようだ。
「お腹のお子に話してもいいですか?」
博士のその言葉にくすっと笑う姫。
「まだ生まれぬうちから? 気が早いのね」
そして博士は、横たわる姫のお腹に向かって語りかける。
「誰でも、飼っている仔猫が病気になって苦しんでいれば、心配して何とかしてやりたいと思います。でも、隣の国で沢山の猫が皮を採るために殺されてると聞いても、気の毒だと思っても涙を流す人はそういません。遠くのことで切迫感が無いからです。人の頭となる方はこれではいけません。遠くで起こったことも目の前で起こったことと同じに考える事が出来てこそ、初めて名君と呼ばれます」
びくっ。いきなり姫の体が激しく動いた。
「どうしました?」
「気持ち悪い‥‥」
気分の悪さに身を縮めようとするが、膨らんだお腹のために寝返りさえうまく打てない。
「沢山の猫が‥‥皮を!? ‥‥もう二度と、そんな話を私の前でしないで!」
想像して気持ちが悪くなったのだ。
慌てて侍女長が2人を姫の前から退かせ、衛士長が怖い目で博士を睨み付けた。
「おまえ、姫様にいらぬ事を聞かせたな! 子爵様でなければ城の窓から突き落としているところだ!」
部屋を出るとき、博士は無意識に親指を口に持って舐めていた。
●下町の酒場で
ここは下町の酒場『妖精の台所』。さっきまで大賑わいだった店の中も、店仕舞いした今はひっそりしている。
「いやあ、盛り上がりましたなぁ。姫様のご懐妊ネタは」
と、セデュース・セディメント(ea3727)が言うと、相方のシフール芸人メルは横笛を使ってピロピロピロと、セデュースが客の前で披露したリュートのメロディーを真似して見せて、うふふと笑う。
「早く生まれるといいね。姫様の赤ちゃん」
「ほんとだねぇ。お目出度い事が続くのはいい事だよ。店の商売も繁盛するし」
と、店の女将も相づちを打つ。
「ところで是非とも先日の、一緒に組んで『お仕事』をする話を進めたいのですが」
と、メルに話を向けるセデュース。
「そうだね。とりあえず次の目標は、マリーネ姫様のご出産祝いかな? 王都では大きな祝賀会が開かれるはずだし、バードが名前を売る大きなチャンスだよね」
話をしながら2人は店を出る。
「ねえ、これからおじさんの家に行ってもいいでしょ? 祝賀会でどんな出し物をやるか、相談があるし」
「構いませんけど、いつも貴方は何処に住んでいるのですか?」
にこっと笑い、答えるメル。
「『妖精の台所』の天井裏だよ」
●黒鳥の紋章
ここは冒険者街にあるセデュースの住処。屋根の上から、住人の名を記す立て札との間に、数々の紋章旗をくくりつけたロープが渡された。
「これでいい?」
高い所の仕事を終えて、メルが言う。
「いやぁ、上出来です。手伝ってくれてありがとうございます」
「だって、おじさんが屋根から落ちたりしたら大変だからさ」
これは、黒鳥の君の使者を迎える為の合図。数々の紋章旗の中には、翼を広げた黒い鳥を象った旗もある。例の置き手紙に押されていた封印と同じ意匠だ。
「話によればラント家の紋章は翼を広げた白鳥を象ったもの。それを黒く塗りつぶせば黒鳥の君の紋章となるわけですな」
「だけど、どうしてフオロとかウィルとかその他の分国とか、色々な紋章旗と一緒に掲げるのさ?」
「『黒鳥の紋章旗』だけを掲げると、いかにも謀反人のアジトっぽいし、事情を知らない衛士の方に目を付けられても困りますので」
「でも自分の旗を謀反人の旗と並べられたら、フオロやトルクの王様が怒らない?」
「はははは‥‥かもしれません」
「それじゃ、僕はこれで帰るね。さよなら〜」
吊された旗の向こうに飛んで姿を消すメル。
「さて、本当に使者は現れますかな?」
「置き手紙で求められた通りの合図は掲げた。しかし、相手が何らかの罠を仕掛けてくる恐れもある。警戒は怠れない」
ルエラ・ファールヴァルト(eb4199)はそう言うが、ルクス・ウィンディード(ea0393)は鷹揚に構えたもの。
「罠かどーかはさておいて、会って見なきゃ何もわからずじまいだろ? 後のことは起こってから考えるしかねぇだろ。ああ、じゃあ腕一本ぐらい覚悟しとく?」
ふと、その場に居合わせたアレクシアス・フェザント(ea1565)は、気になる事を思い出して仲間達に尋ねた。
「そういえば以前、ラントの現代官であるグーレング卿から『バードに気をつけろ』との忠告を受けた。その場には仲間のバードのディアッカが居合わせていたが、彼に向けられた以外にも含みがあると感じる。心当たりはないか?」
「バードならついさっき、あっちに飛んでいったよな?」
メルが飛んで行った方を示して、ルクスが言った。
●密使の到来
旗を掲げたセデュースの家に、マスクで顔を隠した男がやって来たのはその日の夜。
家の扉を男がノックすると、中からルクスの声。
「ドアなら開いてるぜ」
男が中に入ると、ルクスが言う。
「んじゃ‥‥序章は終了ってことで、本番と行きますか」
「早速に本題へ入れるなら、こちらも嬉しい」
と、使者は言った。
「生憎、正義とか悪とかどーでもいいんだ。そちらが具体的に何をしたいのか言ってくれればね」
「『黒鳥の君』が望むのは、今や間近に迫りつつある王国の危機を回避することです」
カルナックス・レイヴ(eb2448)が質問した。
「最初に確認しておきたいが、『黒鳥の君』の正体はラントの元代官レーガー・ラント本人なのか?」
使者は暫し、その場に集う冒険者の一人一人をじっくりと見つめた。あたかもその人物の中味を吟味するかのように。そして答えた。
「冒険者として実績もあり、信頼もおける皆様だからこそ答えましょう。我をここに遣わした『黒鳥の君』は、レーガー・ラント卿その人です」
カルナックスは続ける。
「私がレーガー卿を信頼するか否か、その判断基準は、マリーネに危害を加える可能性があるか否かのただ一点だ」
「率直に申し上げれば、レーガー郷は危惧しておられます。マリーネ姫がその母君マルーカ殿と同じ過ちを犯し、いたずらに権勢を振るうことで王国を再び分裂と内乱の危機に陥れるのではないかと。ですが、今のマリーネ姫には冒険者達がついており、姫が誤った道に踏み入らんとすれば、冒険者達が忠言と行動とをもって、姫を正しき道に引き戻すであろうと私は信じます。レーガー卿とて、姫が正しき道を歩まれる限り、姫に危害を加えることを欲しはしないでしょう」
使者は素顔を隠しているものの、その声その言葉遣いは実直な人柄を感じさせる。もっともそれが演技だとしたら、大した役者だ。
「レーガー卿の功績は色々と耳にしている」
と、ルエラが話を向けた。
「それまで不毛の土地に近かったラント領を、実り豊かな土地に変えたと」
「しかし、その功績も先王レズナー陛下の恩寵があったればこそ。陛下が騎士学院の形で実現したことを、レーガー卿は農業の分野で実現したのです。即ち、数々の土地を巡ってはその土地に伝わる農法をつぶさに調べ、そのうちに優れたる物を見い出すや、ご自分の領地の農法に次々と採り入れていったのです。しかしそれも、陛下のご支援あって叶ったこと。ところがその成功をご自分の領地から王国全土に広げようと始めた矢先に、現国王陛下のご不興を買い、貴族の身分を剥奪され、領地を取り上げられました」
その話が出た機を捉え、オラース・カノーヴァ(ea3486)が言う。
「実は内々の話だが、そのレーガー卿を赦免し、名誉を回復しようという動きがある。しかし俺は知りたい。レーガー卿本人は赦免と名誉回復を求めているのか、そしてレーガー卿はそれに値する人物かどうかを」
続いてカルナックスが願い出る。
「その事を判断するには当人と会う必要がある。レーガー卿と会う機会を作ってもらえないか?」
さらにベアルファレス・ジスハート(eb4242)も。
「国王陛下の説得、これが一番の難事である事は承知の上で御願いしているのです。今、必要なのは国内部からの改革なのです。理想高きレーガー卿の御力、今こそ必要な時が来ているのだと、私は感じております」
使者は答えた。
「レーガー卿をあなた方と引き合わせるには、レーガー卿の安全とあなた方の安全とが、共に保証されなければなりません。レーガー卿が反逆者として身柄を取り押さえられ命を危険に晒されぬよう、またあなた方に反逆者と共謀したという疑いがかけられぬよう。一番良いのは国王陛下がレーガー卿とあなた方との話し合いをお認めになり、国王陛下が保証なされる安全な場において、双方の話し合いが持たれることです。ですが、これが叶わぬ場合には、次善の策を考えましょう」
「一つ訊いていいか?」
問いを発したのはアレクシアス。
「レーガー卿にとっての未来とは如何なるものか」
使者は暫し考えた後に答えた。
「レーガー卿ならこう答えるでしょう。未来とは道なき場所に道を切り開き、力を尽くして進んだ先にあるものだと」
●姫の主治医
冒険者になりたての高円寺千鶴(eb7147)に、マリーネ姫のお側に仕える機会がやって来た。
「ここはただのおとぎの国ではないようです。私なりにこの国での生き方を考えなければなりませんね」
城へ向かう道すがら、王都の賑わいを見やりつつ思う。
城の入口ではベアルファレスが待っていた。
「良く来てくれた。医療の知識がある者がいてくれると心強い」
35歳になる千鶴には、離島での診療所経験がある。妊産婦に対しても一通り対処可能だ。そして何よりも千鶴には出産経験があり、姫の相談役としても適している。姫に近しいベアルファレスらはその事を汲んで、彼女を取り立てたのである。
2人して姫の居室に辿り着くと、中が騒がしい。
「何事だ?」
「姫様が‥‥倒れました」
「何!?」
部屋の奥の寝室に踏み込んだ2人は、ベッドに横たえられカッツェ・シャープネス(eb3425)に介抱されている姫の姿を見た。
「どうしたのです?」
「貧血を起こされたようです」
と、カッツェが千鶴に答える。
「この者は‥‥誰なの?」
貧血で顔色の青ざめた姫がか細い声で問いかけ、カッツェは千鶴を姫に紹介する。
「医術の心得ある天界人です。姫の相談役としてここに来てもらいました」
「ところで、御典医の方はこちらにいらっしゃらないのですか?」
千鶴の問いに答えたのは、姫に仕える衛士長。
「天界人の医者が来ると聞いたので、これまでの医者には俺がお引き取り願った。強欲な連中との腐れ縁があって、姫に何か事があれば、それを政争の具にしかねん輩だったのでな」
あくまでも相談役として引き受けるつもりが、幸か不幸か千鶴には主治医の役割までもが回ってきた。
「姫、お体を診させて頂けますか?」
姫が頷くと、カッツェは回りに呼びかける。
「では、殿方の方は暫く外へ」
姫の回りには女性陣が残り、男達がやきもきしながら寝室の外で待っていると、暫くして診察を終えた千鶴が現れて告げる。
「お体の具合から判断すると、妊娠7ヶ月目といったところでしょう。暫くは貧血が頻繁に起きるでしょうから、安静にして栄養のある食べ物を摂らせてあげて下さい。早ければ今年のうちににご出産をお迎えになるでしょう。それから、今の内に大事なことを知らせておきます」
柔和だった千鶴の顔が一転、死の危険に向き合う医者のそれになる。
「姫はまだ14歳で、お体が成熟しきっていません。かなりの難産を覚悟して下さい。母子ともに生命の危険に晒される可能性が高いので、その為の備えも十分に願います」
●生まれてくる命
この時節になると、夕暮れ時は冷え込む。
「もうすぐ秋ですものね」
姫の傍らに侍り、ずっとリュートを弾き続けていたケンイチ・ヤマモト(ea0760)はふと手を休めて呟いた。
「灯りを‥‥」
侍女が燭台を運んできた。
「暗いと手元が見えづらくて弾くのに大変でしょう?」
「ご心配なく。長いこと弾き込んできたので、弦の位置を指がしっかり覚えています。暗闇の中だって弾けますよ」
それでも燭台の暖かい光は、薄暗かった部屋の雰囲気を温もりのあるものにした。
既に部屋の窓は閉ざされているが、姫の寝室には幾つもの絵が飾られている。枕元には2枚の絵。1枚は聖山シーハリオンを遠くから眺めた絵で、見ているとまるでシーハリオンを窓から眺めているような気持ちになる。もう1枚の絵は、マリーネ姫とぱこぱこ子爵を1つのキャンパスに収めたもの。
「今、新しい絵を絵師に頼んでるの。セレの森のドラゴンの絵よ」
遠くを見やるような表情で、ベッドの上のマリーネ姫が囁いた。
「でも‥‥またセレに行ける日が来るのかしら? ‥‥毎日が今にも死にそうな気分」
貧血が酷いのだ。腰も痛いし、仰向けの姿勢で寝るのもつらい。未成熟な体での妊娠だけに、妊娠に伴う体の不調が甚だしい。
「その苦しさも、いつまでも続くわけではありません」
と、傍らから主治医の千鶴が優しく言い聞かせた。
「あと3ヶ月。あと3ヶ月もすれば、元気な赤ちゃんがお生まれになりますよ。姫様はお母さんになるのです」
「お母さんになるって‥‥どんな気持ちかしら?」
呟く姫。暫く手を休めていたケンイチが、再びリュートを弾き始める。
姫のお腹の中で動く気配が。
「あ‥‥」
「どうしました?」
「赤ちゃん‥‥動いたの。まるで、リュートの音に喜んでるみたい」
姫のその言葉にケンイチは微笑みつつ、落ち着いたメロディーを奏で続ける。その音色で赤子をあやすかのように。
「天界では胎教音楽というのだとか。母子共にいい影響があるらしいですよ」
と、語り聞かせるカッツェ。そして先日、仲間のルエラがマリーネ姫の謁見に参った時に、彼女から頼まれた助言を姫の枕元で伝えた。
「今はお辛くて気分も滅入っていても、体の調子が悪くなるのは、お腹のお子様が元気に育っている証拠と考え、気を楽にして下さい。そういう時があってもいいんです。楽になりましょう。体が痛くなったり苦しくなったりしたら、それは『安静にして』という御子様からの伝言です。お腹の御子様の為にも堂々とお休み下さい」
ルエラにそう助言させたのも、実はルエラの知る冒険者の一人。大勢の者達が姫を支えている。
「セレのドラゴンの絵‥‥まだ仕上がらないのかしら?」
姫のその呟きを耳にしたカッツェは、
「セレを懐かしむ姫様のお気持ちはわかります。が、今は‥‥。今度はお子様とセレに参りましょう。その時には私も傍にありますゆえ」
言って、寒さをやわらげる衣類をふわりと姫の体にかけた。
「行きましょう。またみんなと一緒に、セレの森へ‥‥今度は私の赤ちゃんも連れて」
目を閉じ、姫は呟く。その瞼の裏に浮かぶのはセレの森、そしてセレの森の大いなる竜。
「‥‥ドラゴンのように強い子が産まれるといいわ」
●姫の護り
翌日。カッツェは国王エーガンと面談する機会を得た。
「姫様の参加される行事においては、姫とお子様のお身体を気遣い、出来れば厳か且つ簡略的に行われるよう‥‥」
「くどい! マリーネとその腹に授かりし子の命をこの王国で誰よりも案じているのは、ウィル国王たる余に他ならぬ! 左様な事をその口から言われるまでもない!」
このところ姫の体の不調が続いているせいか、エーガンはいつになく気が立っていた。そのまま立ち去ろうとするのをカッツェは呼び止め、言葉を続けた。
「陛下。我を持てば、それは刃となり多くの縁を切り裂く事になります。人々の言葉の裏にある心情を解して下さい。貴方の言動は鏡のように己に返ってきます。そして大事な者にも。今は解せずとも姫とお子の為に心に留めて下さると嬉しく‥‥」
「貴様は国王たる余に斯様な説教を‥‥!」
エーガンは激昂してカッツェを怒鳴りつけたが、彼女の最後の言葉が気にかかったか、一転して感情を鎮めた声で告げた。
「もうよい。下がれ」
姫の寝室では姫がすやすやと眠り、その隣では衛士長がベアルファレスにぼやいていた。
「姫様に加え、陛下もあのご様子だ。気の休まる暇がない」
「ところでマリーネ姫親衛隊だが、入隊希望者の集まり具合はどうだ?」
「もの凄い人気だ。入隊希望者は100人を越えたかもしれん?」
「そんなにか!」
思わず身を乗り出すベアルファレスだが、衛士長の顔は渋い。
「だが、安心して姫様を任せられるに足る者は一人もいない。希望者は主として下級貴族の娘達だが、賊に襲われれば姫様より先に逃げ出すような手合いばかりだ。姫様を安心して任せられる者といえば‥‥ベアルファレス殿のお墨付きを得た、あの2人だけだな。隊長を含めてたった3人の親衛隊でも、俺は騎士百人の援軍を得たように心強い」
「そう言って頂けると、私も嬉しい。ところで、親衛隊のために花を印とした紋章を作りたいと思う。姫に訊ねたところ、一番好きなのは薔薇の花だということだった」
「薔薇の花か‥‥そいつは、ちょっとな」
衛士長は言いよどむ。
「何か?」
「薔薇の紋章といえば、ウィルの国の宿敵たるエの国の紋章だ」
「そうか。‥‥そいつは残念だな」
「だが、何か別の意匠と組み合わせるなどして、違いを際だたせれば問題はなかろう。或いは、薔薇よりも姫様がお気に入りになる花を見つけてくるとかな」
衛士長との話し合いを終えると、ベアルファレスはエーロン王子の元へ行き、マリーネ姫懐妊を祝う祝賀会の開催を提案。しかし王子の賛意は得られなかった。
「話によれば、御子の誕生まであと3ヶ月か。ならばこの3ヶ月間が最も大事な時だ。浮かれ騒ぐ派手な行事は慎め。その代わり、御子が無事に誕生し、姫も無事に出産という難事を乗り越えたその時には、王国を挙げてその誕生を祝おう。祝賀会はこの俺が仕切る。それから‥‥」
王子は盗み聞きを恐れるよう、ベアルファレスの耳元に顔を近づけて囁いた。
「父君の不興を買った者達への赦しと名誉回復だが、父君の第3子が無事に誕生するまで待て。その時になれば、父君のお心も今より遙かに寛大になろうからな」
他にも姫の警備に関することなど様々な打ち合わせを終え、冒険者街の住処に戻ったベアルファレスがくつろいでいると、城から使いの者がやって来た。
「お忘れ物でございます」
届け物を見て、苦笑が浮かぶ。後で姫に献上するよう侍女に頼んでおいた、『携帯型風信機[水]』と『高級石鹸』だった。姫の身辺がごたついていたせいで、侍女の勘違いで忘れ物扱いにされたようだ。
●北部領主の密偵
「私も全ての事情に通じている訳ではありません」
と、カイン総監は予めユパウル・ランスロット(ea1389)に念を押す。ユパウルが訊ねたのは、王都の貴族で北部領主達と繋がりの深い者が誰であるか。そして北部領主間の絆の深さや、発言力の大きい者について。カインは続ける。
「しかし、王都の穀倉とも言えるクィースやラントの地の旧領主達は、北部領主達と繋がりが深かったと聞いています。飢饉などで北部諸領の食料が不足した時には、惜しみなく食料支援を行う程に。しかしエーガン陛下の不興を買って、旧領主の一族がその身分を失い、その豊かな領地を代官達が治めるようになって以来、代官達と北部領主達との仲は険悪化する一方だと聞いています。
北部領主達の力関係について私が詳しく知っているのは、先王レズナー陛下の治世下のことだけです。エーガン陛下の治世が始まって間もなく、私は長いこと国を離れていましたので。その間に北部領主間の力関係の変化もあったことでしょう。それを正しく知る為には、何よりも直接現地に出向いて調査するのが一番です。
しかし北部領主達の一族の中にも、私の知り合いが1人います。ラーケン・クレスという名の騎士で、騎士学院では私と同期でした。当時のクレス家は北部領主達の間で顔の利く存在で、卒業後もラーケンとは何度か手紙をやり取りしましたが、今は音信が途絶えています」
カインがユパウルに語るその言葉を頭に叩き込み、オラースは北部領主の密偵が泊まる宿屋に足を運ぶ。
「ほぉ、やはり来たか」
密偵はオラースの顔を見て、にやりと笑う。
「貴公は俺の見込んだ通り、大義に準ずる覚悟のある男のようだな」
「いいや。俺は大義に賭けるよりも、人に賭けているところがある」
と、オーラスは言う。
「いつぞや、貧民街で窮地に陥っていた少年に賭けたこともある。その時には少年の敵がたまたまカオスであったがゆえに、大義と重なり合った。人と大義がずれた時には、自分を苦しめることになるだろう」
「今の貴公はどうだ? 悩み苦しんでいるようには見えぬが?」
「俺にはいま、悩まなきゃならねえことは、なにもねえ。ウィルの平和を守り抜く力になればいい。知識が少なすぎることなど、仲間と時が解決してくれる。自分にあるのは、北部領主の反感払拭という困難だけだ。それは、大義の悩みじゃなく、現実の困難にすぎねえ。困難と自分達の力の、どちらが大きいかを比較される。それだけだ」
そこまで言うと、オラースは密偵に求めた。
「ここから先の話は、場所を変えて行おう」
「良かろう」
密偵は同意し、オラースと共に冒険者街へ同行した。そこには仲間の冒険者達が待っていた。
「まずは北部の者である証拠をみせてもらう」
求めるユパウルに密偵は不敵な笑みを向ける。
「そんな物は無い」
「何?」
「考えてもみろ。密偵は危険な仕事だ。いつ敵方の手にかかって捕らえられ、また殺されるかも知れぬ。そんな時にその体から雇い主の証拠が発見されたら、雇い主が危険にさらされるではないか。つまりは証拠を何一つ身につけぬのが、優れた密偵ということだ」
この答にユパウルは閉口した。
「では、何をもって信用すればいい?」
「貴公らの要求を聞こう。もしその要求に俺の雇い主が興味を示したならば、俺は貴公らを俺の雇い主か、もしくはその関係者と引き合わせよう。俺の役割は、人と人とを繋ぐことだ」
ユパウルはカインから渡された密書を取り出した。
「ここにカイン総監殿からの密書がある。これを渡すよう頼まれた。北部が王家に不満を持っているのは多くの知るところ。だが毒と思うモノへ毒を使っても意味は無く、また、毒を使ったと思われるのも利点は無いし、放置しても誰の賛同も得られまい」
と、ユパウルは先のウィンターフォルセ事変の事を仄めかす。
「密書は確かに預かった」
密使は密書を懐に収めた。
「そして我々は、調査と交渉のため北部へ冒険者を入れさせてもらうことを希望する」
「その事も我が雇い主に伝えおこう」
と言って立ち去りかけた密偵を、博士が呼び止める。
「先にオーラスさんに語った言葉を覚えていますね?」
「その事がどうかしたか?」
「人が獣と違うところは、他人の痛みを自分の痛みと感じる事です。でも、王の赦しを受けた追放者が、旧領あるいはそれに代わる物を求めるとしても、それがあなたの主人と何の関係があるのでしょう? 民の不満を理由として忠義の対象替えをするなら、あなたの主人は恥を知らぬ者です」
「何だと、小僧!?」
「領民から不満が出るとしたら、それは国王陛下の責任ですか? それとも不満の出るような統治を為す領主の責任ですか? 陛下に責任ありとするならば、いつからあなたの主人は先祖伝来のご領地を陛下に捧げ、進んで代官に為られたのでしょうか? そんなはずはないです。だから、あなたはぼくたちを試しているんですよね? ウィルの政治に疎い者かと」
そこまで言うと、博士はにこりと笑う。
返ってきたのは密偵の豪快な笑い声。
「確かにおまえはウィルの政治に疎い者よのぉ! だが王都に住む者であれば、そのような物の見方も致し方あるまい。しかし北部の地に立ち、北部を中心として王国全体を眺めるならば、また違ったものの見方も出来よう。宜しい、明後日にでもその機会を与えてやろう」
密偵は手持ちの羊皮紙に走り書きで地図を書き記した。
「王都の南、船着き場の町ガンゾのこの場所にて待て。そこにおまえ達を北部の地へと導く者が現れよう」
●その後の展開
密偵の言葉は本当だった。冒険者達はガンゾの町で、北部領主の一族に連なる若き騎士と接触した。王家調査室室長の草薙麟太郎(eb4313)は、その者より北部の詳しい状況を知る。
アレクシアスはフラル家を訪ね、エルシード・カペアドール(eb4395)は単独で北部領主の密偵を訪ね、さらなる情報を得る。
レイ・リアンドラ(eb4326)は航空騎士ガージェス・ルメイとの面談で空戦騎士団の再編成のための情報を収集。そしてエルシードも、彼女の構想する計画を国王陛下に建白する時に備え、それに対する協力をワンド子爵から取り付けた。
これらの詳細については外伝の報告書、並びに次回報告書の導入部を参照されたし。