マリーネ姫と王国の試練4〜波乱のご出産
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■シリーズシナリオ
担当:マレーア3
対応レベル:8〜14lv
難易度:難しい
成功報酬:4 G 98 C
参加人数:15人
サポート参加人数:4人
冒険期間:01月18日〜01月23日
リプレイ公開日:2007年01月29日
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●オープニング
●処刑場の惨事
新年早々、大事件が王都を震撼させた。処刑場で絞首刑に処せられるはずの謀反人達が、テロリストによって奪還されたのだ。彼らテロリストは目的の為なら手段は選ばない。人々の犠牲を顧みずに暴れ馬を放ち、その混乱に乗じて容赦なき魔法攻撃を平然と行う。その結果、処刑見物に来た平民達に大きな犠牲が出た。死者11名、負傷者は数知れず。また、悪名高きフオロの騎士ギーデン配下の傭兵2名も死亡した。
「これが彼らのやり方なのです! 他者を犠牲にしてまで事を成し遂げようとする、騎士道を踏み躙るその行為は下劣であると言わざるを得ません!」
テロリストの逃走後、パニックの余韻冷めやらぬ処刑場に鬼面男爵の声が響く。この事態は明らかにフオロ王家にとって大きな痛手。それでも彼は人々の怒りをテロリストに向けさせるべく、絞首台を演壇代わりにして声を張り上げる。
「それは違う!」
人々の中から反駁の声が上がる。
「そもそも騎士道を蔑ろにしたるは、暴政により民に多大なる犠牲を強いたる悪王だ! 騎士道なき悪王と戦うに騎士道は無用! 悪王に追従する悪民にも騎士道は無用なり!」
声の主は貧しい身なりだが、凛々しい顔立ちの若者。しかしその言葉はたちどころに封じられる。群衆の中に紛れ込む敵に目を光らせ、つい先程もテロリストの1人を捕らえた冒険者の鎧騎士が、若者に組み付いて取り押さえた。
「あなたは私の捕虜です。これ以上は喋らせません」
後の調べで、この若者は国王エーガンに怨みを持つ元騎士の子弟である事が判明。彼もまたテロリストを救国の義士と信じ込んでいた。
若者の言葉をうち消すように、鬼面男爵はまたも声を張り上げる。
「この国の安寧の為! 民の安全の為にも! 我々は断固としてテロリストの存在を許してはならないのです! 先の襲撃に、何人無辜の犠牲者が出たであろう。手段を選ばぬ輩が騎士道とは聞いて呆れる。諸君らはたった今、憎むべき無法者が何をやったのか、その目でしかと見たはずだ」
処刑の失敗を告げ知らされたエーロンも、早々に処刑場へやって来た。
「も‥‥申し訳‥‥ありません」
処刑を取り仕切っていたフオロの騎士ギーデンにとっては大失態。そのギーデンも今は大怪我を負い、担架の上で身を縮めて詫びる。
「無様だな、ギーデン。先王の信頼を良い事に悪行を行った報いだ。しかし先王の信頼した者を負傷したまま放逐したとあっては、俺が狭量だと思われるだけでなく、先王の顔にどろを塗る様なものだ。最後の機会をくれてやる」
エーロンはそう言って、ギーデンを引っ立てていかせた。
●悪女
ここは冒険者街に近い下町の酒場『妖精の台所』。
「聞いたかい? 処刑場での騒ぎを。フオロ王家ももうおしまいだね」
辺り憚らず王家の行く末を悪し様に云々しているのは、店の中だというのに外套のフードを深めに被って顔を見づらくした、見るからに陰気な女。その側にいるだけで、その体から滲み出る陰気が伝染しそうだ。
女にはシフールの連れがいる。シフールは女の肩に腰掛け、無邪気にくすくす笑いながら女の言葉に相づちを打っている。
「王宮には伝染病が蔓延して、悪王は腐れ病に倒れて隔離されちまった。だけど、これで終わりじゃない。お次はマリーネ姫の番だよ。知ってるかい? マリーネ姫も腐れ病に体を蝕まれて、城の中から一歩も外に出られないのさ」
「本当かよ、その話?」
悪い話は殊更に好奇心をかき立てるもの。話に釣られた隣の客が女の顔を覗き込むと、なかなかの色白美人。その唇は夜の商売女のように真っ赤なルージュで染められている。周りの客達も女の話に耳をそばだてる。
「本当さ。私は王宮に出入りする侍女達の話を立ち聞きしたんだよ。ワガママな腐れ女のマリーネは、お腹の子もろとも生き腐れの病に冒されて、腐った死体のような醜い姿に変わり果ててしまったのさ。だから王宮の奥の部屋に閉じこめられて、死ぬまでそこから出られない。それは城に出入りする者なら誰でも知ってる王家の秘密さ」
「そう言えば‥‥」
客達は妙に納得した顔に。この所、マリーネ姫はずっと公の場に姿を現していない。もしや、女の言う事は本当では?
「だけど、文字通りの腐れ女になっちまったマリーネの代わりは見付かったのさ。それは王都の娼館で体を売っていた、マリーネによく似た娘。赤ん坊の方も捨て子を拾って来て、身代わりに据え付けるのさ。今度、マリーネが大勢の前に現れる時は、その顔をよく見てごらん。良く似てるけど、これまでのマリーネとはどこかが違う‥‥」
「いい加減におしよっ!」
ゴンッ! 見せの女将が投げつけた皿が女の頭を打つ。
「おまえはいつぞやも店に来ていた女だね! 出鱈目な話ばかりぐだぐだと! さっさと出て行きな! 二度とこの店に入らせはしないよ!」
女は女将を睨み付けていたが、やがてぞっとするような笑みを見せて席から立ち上がる。
「マリーネを恨む者がどれほどいるか、おまえは知っているのかい?」
その言葉を残し、店を出て行く女。連れのシフールもその後を追っていく。
●エーロンの決断
「また随分と、面白い噂が流れているな」
話を聞いたエーロンはせせら笑ったが、報告を入れた侍従長は真顔そのもの。
「たかが噂と軽んじてはなりませぬ。先王陛下に続きマリーネ姫までもが病を得たという噂は、今や王都の至る所で囁かれております。しかも、マリーネ姫とその赤子の幽霊を見たという者まで現れる有り様でございます」
「幽霊か。また随分と手が込んでいるな」
相変わらずのエーロンの態度に、侍従長は困惑気味。
「事態は深刻でございます。既に噂を耳にした大勢の貴族達からも、噂の真偽を問い質されているのです。このまま放置すれば王国の一大事に‥‥」
「分かっている。悪しき噂がこれだけ広まるのは、噂を広めて回る不逞の輩が存在するからに違いない。ならば、姫の出産を堂々と公開しようではないか。根拠なき噂はそれで全て吹き飛ぶ」
「は!?」
侍従長は目を白黒。王族の出産には立会人が付き添うものだし、公開出産自体も珍しいものではない。しかし政情不安定な現在の国情下にあって、出産を公開することは危険を伴う。衆人環境の中での公開出産となれば、姫の命を狙う者達も姫に接近し易くなる。
「しかしつい先日も、死刑囚を叛徒に奪われる大事件が起きたばかりで‥‥」
「臆病風に吹かれてどうする? ますます敵の思う壺だ。フオロ王家の威信がぐらついている今、正々堂々と立ち向かう以外に威信を取り戻す方法があるか? それに公開は彼女と子供の立場を公に認めた証にもなる」
マリーネ姫の公開出産はここに確定した。
王城正面の広場に天幕が張られ、寝台や調度品が運び込まれる。この天幕が暫くの間、臨月を迎えたマリーネ姫の住まいとなるのだ。
この天幕の中にはマリーネ姫の他、王家が認めた者のみが出入り出来る。出産の立会人となる者達に、姫の身の回りの世話をする者達。そして親衛隊隊長や主治医を始め、姫を支え続けて来た冒険者達。そんな中。
「名付け親にはルーケイ伯を‥‥」
マリーネはこの世に命を送り出す命がけの大戦(おおいくさ)を前に、そっと女官長に漏らした。即ち、姫は我が子の後見人に伯を指名したのだ。
広場は一般民衆にも開放され、人々は天幕を囲んでご出産の時を待つ。天幕の周囲は警備兵が固く守り固め、人々は天幕から一定の距離を置くよう命じられる。無事にご出産の報が伝えられれば、広場は喜びの熱狂に包まれるだろう。
公開出産のお触れは各地に届き、姫と親しいエルフ貴族のリシェル・ヴァーラもセレ分国より王都に到着した。
しかし襲撃の危険にも増して懸念すべきは、姫がまだ14歳で体が未成熟であること。それだけに出産の負担は大きく、難産が予想されている。母子ともに命を落とす危険さえあるのだ。
●リプレイ本文
●天幕へ
街は朝から騒々しい。
「てめこら、何してやがる? あぁ?」
樽を転がして逃げて行く男達を冒険者が追いかけて行く。密かに企てられた姫襲撃の陰謀が露見し、それを阻止すべく大勢の冒険者達が忙しく駆け回っていた。
公開出産の会場たる広場の守りもぬかりはない。襲撃に利用されるのを防ぐため、酒樽や馬など余計な物は一切置かせず。天幕内の消毒は念入りに行い、さらにベッドのマットレスの下には緊急脱出用の『空飛ぶ絨毯』を敷く。勿論、絨毯を始めとして、天幕内に持ち込む全ての物品は消毒済みだ。
また、高貴な方々とその護衛の為の貴賓席は、マリーネ姫の天幕の近い位置に設置された。たとえ暴徒が押し寄せたとしても、貴賓達の護衛が守りに加わってくれるはずだ。
その日はマリーネ姫が城の寝室からご出産の天幕に移動する日。王城の門の前には、マリーネ姫の姿を一目でも見んと人々が詰めかけた。皆、噂の真偽を確かめたがっている。
「在らぬ噂が流れているようだが、マリーネ姫死亡説も幽霊の噂もまったくの嘘である。斯様な噂を流す者に対しては十分に注意し、そのような者がいたら直ちに報せるべし」
ベアルファレス・ジスハート(eb4242)の布告に続き、ルエラ・ファールヴァルト(eb4199)が告げる。
「未確認ではありますが、この公開出産の場にマリーネ姫とそのお子様の命、並びに見物客を狙って襲撃が行われるとの情報があります」
その言葉に人々はどよめき、互いに顔を見合わせた。
「警備は入念に行いますが、そうした事態もあることを覚悟したうえで、見学をお願いいたします。言うまでもなく武器の持ち込みは禁止。入城の際には身体検査を行います。では、これより緊急時の避難路の説明を‥‥」
説明の途中、幾人かの者がこっそりと人混みの中から立ち去る。ルエラはそれを見逃さなかった。あれは恐らく襲撃を企んでいた者。予め見物人の中に紛れ込もうとしたが、警戒厳重なので諦めたのだろう。彼らを捕らえるよう、さり気ない仕草で警備担当の冒険者に合図を送った。
説明が終わると、人々は少人数ずつ城門をくぐって広場に通された。
人々の見物場所にはにわか作りの柵が設けられ、柵を乗り越える不埒者が現れぬよう衛士達が見張っている。大勢が見守る中、いよいよマリーネ姫が輿に乗って城から現れた。
「生きておられたぞ」
「しかし、おやつれのようだ」
「遠くてよく見えん」
「もっと近づければいいのに」
人々が口々に囁く。
姫の乗る輿の担ぎ手は衛士達だが、その中には冒険者のルクス・ウィンディード(ea0393)も混じっている。ルクスの頭上には輿の上に身を横たえたマリーネ姫の顔がある。
「今、俺は一人の女として貴女に言うよ。ガンバレ」
小声で姫に囁くと、隣で担ぎ棒を担ぐ衛士から文句がついた。
「仕事中は私語を慎め」
すると、輿の上のマリーネ姫からも声がかかる。
「あなたも頑張ってね。重たくない?」
「へっちゃらです」
「転んではだめよ」
輿に乗ったマリーネ姫は子どもみたいに無邪気に面白がっているようで。
輿が天幕の中に入ると、マリーネ姫はベッドに移される。
(「んじゃ、マリーネ姫。元気な子供を生んでくれよ」)
心の中で声援を送り、ルクスが外に出ると次の仕事が待っていた。
「もっと水と薪を運んで来て! いくらあっても足りないわ!」
天幕のそばでは侍女達がお湯を沸かしたり石を焼いたりで大わらわ。お湯は煮沸消毒用。焼き石は天幕の暖房に使い、台車に乗せて運び入れる。
「はいよ」
ルクスは城の裏手の薪置き場に駆けて行く。もとから雑用もきちんとこなすつもりでいた。その後ろ姿を見て侍女が呟く。
「男手がいて本当に助かるわ」
●下町のバード
「御子の誕生を望まれているのはマリーネ様、誰よりも貴方様自身でありましょう。その事を御忘れずに‥‥母子共に無事な出産を心より願っております」
無事に天幕の移動を済ませ、ベッドにその身を横たえる姫にベアルファレスは激励の言葉を贈る。鬼面男爵のトレードマークたる鬼面は、今は外している。
「もっとこちらに」
求められてその身を寄せると、姫の指が彼の頬を撫でた。
「こうして貴方の素顔を見るのも久しぶり‥‥。でも、貴方は心にも仮面を被らせ、私はまるで鉄の仮面を相手に話をしているみたい。これまでずっと、そんな気がしていたの」
姫は出産を間近に控えて気がたかぶっている。そうでなければ、こんな言葉を口になどしなかったろう。
「心にまで仮面を被せて、貴方は何を守りたいの? 仮面の下に隠している貴方の本当の思い、いつになったら見せてくれるの?」
「この王国に、そして姫に真の平安が訪れた時に‥‥。実は姫にお目通りを願う者がおります。セデュース、近う」
呼ばれて現れたのはバードのセデュース・セディメント(ea3727)。このところ姫とはご無沙汰だったが、姫に近しい仲間達の口添えもあってお目通りを許されたのだ。
「セデュース、お久しぶりね」
姫は彼を覚えていた。かつて姫と旅を共にした冒険者の一人。
「最近はどうしてるの?」
「下町の酒場で歌を歌いリュートを爪弾き、下々の者達に姫様の話をば語り聞かせておりました。皆さんそれはそれは、姫様の話に夢中でして」
「そんなに私のことを?」
「ええ、それはもう」
「ついでに熱々なカップルの面倒を見ることにもなりまして‥‥」
話のついでに身柄を預かったシーネとマローの事を話そうとするや、立ち会いの衛士長が咳払い一つして、それ以上話すなと目配せ。なにせあの2人は反逆者として牢にぶち込まれていた身だ。本当はシーネもここに連れて来たかったのだが、衛士長と侍女長の強行な反対で叶わなかった。
「1曲、弾いてくださらない? いつも来るはずのお気に入りのバードがいなくて、物足りなく思ってたの」
それではと、愛用のクレセントリュートを奏でるセデュース。曲が終わると姫は言った。
「もっと上手く弾けないの?」
無邪気に発せられた言葉だったが、当人にとっては耳が痛い。
拝謁を終えたセデュースは馴染みの酒場『妖精の台所』に足を運んだ。
「姫様に会って参りました」
伝えると店のみんなが色めき立つ。
「姫様はどんな具合だったね?」
「こんなご様子で」
魔法の呪文を唱え、『ファンタズム』で姫の姿をテーブルの上に映し出した。
「姫様、おやつれのようだが」
「あの若さで身籠もられたのですから、その苦労は大変なものです。それでも姫様は産みの苦しみを乗り切られようと懸命に頑張っておいでなのです」
セデュースの語り口調に女将も客も魅せられる。
「で、どうだったい? 姫様の前でもリュートを披露したんだろう?」
「いやぁ、それが。下手くそだからもっと精進せよとお叱りを受けてしまい‥‥」
その言葉に皆は大笑い。
「だったら頑張らなくてどうするんだよ、酒場の大将?」
「どうだい、ここで姫様を励ます歌を一曲?」
セデュースはもったいぶってリュートを持つ。
「それでは、拙い腕前ではありますが‥‥」
もとから姫の無事な出産を願う、覚えやすい歌を作ろうと思っていた。
「おお麗しのマリーネ姫♪ 拙き我が歌をお聴き下さい♪ お耳触りは覚悟の上♪ お耳を塞がず最後まで♪」
即興で歌詞を作り、即興のメロデイーに乗せて歌い上げると、どっと笑いが起きる。
「では、皆さんもご一緒に」
セデュースが何度も繰り返して歌ううちに、一人また一人と歌声が加わる。調子っ外れの歌声ばかりだが、込められた想いは楽しく暖かい。気がつけば酒場にいる者全てが歌っている。こんな盛り上がりは滅多にない。
●姫の護り
万が一の事態に備え、司祭の派遣を教会に要請したオラース・カノーヴァ(ea3486)が教会に寄付したお布施は300G。庶民にとってはべらぼうな金額だが、教会首脳部の反応は芳しくない。
「聞けば、公開出産の会場には襲撃の危険があるとか。そんな危険な場所に高位の司祭を派遣して、司祭に万が一のことがあったら教会の運営に支障をきたすではないか」
「だから、司祭の身は俺が責任をもって守る」
「そなた一人でか?」
「俺では役者不足か?」
押し問答が続いた挙げ句、一人の司祭が派遣要請に応じた。但し、神聖魔法で死者を復活させられる程の力は無い。
「まったく! 教会は慎重なんだか臆病なんだか!」
愚痴りながらも、オラースは訪ねた先の教会でマリーネ姫とその子の無事を安産を祈る。その後でご出産の天幕に姫を訪ねた。
「姫、これを」
姫に手渡したのは消毒済みの指輪。8個のプロテクションリングと2個の守護の指輪。
「こんなに沢山?」
姫は全部の指輪を10本の指にはめ、無邪気に微笑む。
「最後の最後で必ず護ってくれるはず」
姫の枕元にて、依頼でウィル北方へ赴いた時の事などを報告した。
「そう‥‥。ハンからの難民が‥‥」
「しかし北方のウィン男爵を始め、信頼に足る者達が守りを固めています。案ずるには及びません」
報告を終え、オラース一礼して姫の前を去ると、にわか雑用係のルクスが化粧箱を持って現れた。
「城の寝室に届け物だ。箱も中味も消毒済みだから安心しな。差出人は親衛隊のカッツェだ」
「カッツェからなの!?」
カッツェ・シャープネス(eb3425)。久しく会っていなかったその人の名を聞くなり、姫は手を伸ばして化粧箱を受け取る。箱を開くと中には置き手紙とシルバーナイフ。
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マリーネ姫へ
シルバーナイフはお子様への贈り物です。
銀には魔を退ける力があります。
なので、お子と共にカオスに負けぬ強き心を宿しますように。
またいつか姫やお子の為に尽くせるよう忠誠心の証として。
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「‥‥これは、どういうこと? カッツェはどこに?」
「カッツェと話をするかい? こういうこともあろうかと持って来たぜ。よっこらしょっと」
一緒に運んで来た携帯型風信機をベッドの上に持ち上げた。姫の寝室で使われていたものだ。
「カッツェ! 聞こえてたら返事なさい!」
姫が風信機に向かって叫ぶと、風信機からカッツェの返事があった。
『姫、お久しぶりです』
「カッツェ! 何処にいるの!? どうして会いに来てくれなかったの!?」
『私は病にかかりました。病を姫様に移さぬよう、ずっと我が身を姫様より遠ざけています』
「病って‥‥」
『ですが姫様、私は遠くから姫様を見守り続けています』
「そんな事より、そちらに医者はいるの!? 居場所を教えなさい! すぐに医者を送ります! カッツェ! ‥‥カッツェ?」
風信機は沈黙。いくら姫が呼びかけても返事は無い。
●告発
ご出産に向けての準備が進み、誰もが忙しい最中。草薙麟太郎(eb4313)も仕事に追われててんてこ舞いだ。
「頼まれていたリストをご用意しました。これが天幕内で使用される物品の一覧です」
リストの羊皮紙を侍女から渡され、
「うっ‥‥」
麟太郎は言葉に詰まった。自分はセトタ語が読めない。
「すみません、読み上げてくれますか?」
「消毒用のワイン、さらしの服、銀の杯、銀の小鉢、銀のスプーン、ナイフ、タオル‥‥」
「それらの物品の出所は?」
「4大王領代官からの贈呈品、並びに王領バクル、シェレン男爵領、ショア伯領、ワンド子爵領、マーカス商会‥‥。それに、王家御用達のお店で買った品々ですわね」
「‥‥ずいぶん沢山ですね」
「それはもう。エーガン陛下の寵姫様ですもの」
これだけ多いと出所を調べ上げるのも大変だ。
「で、どこからお調べになります?」
「とりあえず、王家御用達の店を」
麟太郎は王家御用達の銀器店を教えられ、早速に足を運ぶ。店の主人は丁重に麟太郎を出迎えた。
「この品々の出所でございますか? いずれもランの国の高級銀器でございます」
ついに流通経路は国外にまでも及んだ。頭が痛くなる。
「何か当方でお手伝い出来ることがあれば、なんなりと」
「では良心的で業界に顔が利く人物を、誰か紹介してください」
一人で調査を進めるにも限界がある。
「そうですな。ワンド子爵もしくはシェレン男爵など如何でしょう? 一度、お訪ねになられては?」
店の主人に教えられて店を出ると、建物の陰から手招きする若者がいる。
「何か?」
「王家に出入りしている方ですね。貴方を心正しき方と見込んで頼みがあります。‥‥これを」
若者は麟太郎の手に手紙を押しつけた。
「これは?」
「読めば分かります。では」
若者は逃げるように立ち去る。帰って手紙に目を通してみると、それは悪徳商人とも噂される大商人マーカス・テクシに対する告発文だった。
●ルーケイ家の指輪
フオロ城、獅子の間。ここは少人数での謁見に用いられる小部屋。ルーケイ伯アレクシアス・フェザント(ea1565)はこの部屋で、戴冠式を終えてフオロ分国王に即位して間もないエーロンと対面していた。
「俺は忙しい。時間をとらせるな」
「報告に上がったのは、ルーケイ家に代々伝わる指輪のことです」
ルーケイの統治者たることを証し立てるというその指輪は、先の『竜の関門』遺跡の調査で発見された。
「これを献上品として陛下に」
しかし、アレクシアスが差し出したその指輪を、エーロンは受け取ろうとしない。
「俺がこんな物を貰ってどうする? お前の代わりに、この俺にルーケイの地を統治させるつもりか? お前は王領代官の仕事に嫌気がさしたか?」
「いいえ、私はただ‥‥」
「その指輪はお前が持っていろ。お前が真にルーケイの統治者にふさわしいと思う者に与えればよい。人を統治するのは、指輪でも王冠でもない。人が人を統治するのだ。指輪などに決められたくなかろう」
分国王の言葉にアレクシアスは渋々、指輪を懐に収めた。しかし、エーロンはアレクシアスに人を見る目という課題を与えたことになる。
「それからエーガン前国王陛下の隔離に際して、私がやむなく取った行動について‥‥」
「お前の話に付き合う程、俺は暇ではない。侍従長!」
エーロンは釈明の言葉を封じ、侍従長を呼びつける。治療院の創設功労者として感染の脅威を知っているはずのアレクシアスの行動に、エーロンは正直なところ失望もしていた。伯はあるいは、ただ自分の疑いを察して反応しただけかも知れない‥‥。しかし、それが弁明に見えたのは確かである。
「後は任せる」
言って部屋を出て行きかけたエーロンだが、ふと足を止めて振り向く。
「新国王の即位でウィルは変わる。ルーケイ平定にしても、俺は無駄な時間をかけるつもりはない。まずは先王に対して見せた以上の働きを俺に見せろ。話はそれからだ。西ルーケイに手間取るようなら切り売りするかもしれんぞ」
伯に言い残してエーロンは部屋を出て行き、後に残るは恐縮した顔の侍従長。
「新たなウィル国王が即位された後、王都ウィルはどのような扱いになるのだろうか?」
伯が訊ねると、侍従長は答えた。
「エーロン陛下はすでに決めておりましょう。そのお心を打ち明けられたのは、カーロン王弟殿下のみ。しかし、陛下は城の掃除を命じておられます。聞くところによると、天界には『トブトリアトヲニゴサズ』という言葉があるそうでございます。狂王様でごさいますから、何をされても驚かれぬよう」
●出産の天幕
出産の天幕の中は暖かく、消毒に使ったワインの匂いが満ちていた。
「今夜のようなひときわ星が輝く夜のことです。それは、母も子も死んでもおかしくない難産でした」
ベッドに横たわるマリーネ姫に山下博士(eb4096)が語って聞かせるのは、故郷の地球で慣れ親しんだゲームの物語。
「御子は死んで生まれて来ましたが、大いなる精霊の力によって甦りました。御子は母の惜しみない慈愛を受けて、たくましい若者に育ちます。この御子こそ、偉大なる精霊が人間のおなかを借りて生まれてきた、後に世界を救われた方でした」
地球ではありがちなファンタジーも、このアトランティスの世界では現実になり得る。
「ぼくはマリーネ様の御子が偉大なる使命を持って生まれてくると確信します」
マリーネ姫は何か言おうとしたが、その顔が苦痛に歪む。今日で何度目かの陣痛だ。付きっきりで世話をする女医・高円寺千鶴(eb7147)が、姫の肩に優しく手を当ててアドバイス。
「教えた通りに。全身をリラックスさせて長く息を吐いて。吸う時は自然に短く」
ラマーズ法の呼吸だ。体の緊張を取り去り呼吸を整えることで自律神経のバランスを良くし、安産へと導くのだ。
やがて陣痛は過ぎ去った。今はまだ前駆陣痛の時期。出産がさらに近づけば陣痛の感覚も狭まり、痛みも強まる。
姫が千鶴に訊ねた。
「まだ、生まれないのかしら?」
「焦らない焦らない」
「生まれるのは明日? それとも明後日? それとも‥‥」
「赤ちゃんに聞いてごらんなさい。さあ、お腹に手を当てて」
「動いてる、私の赤ちゃん‥‥。でも‥‥元気ないみたい。前は飛び跳ねるように動いてたのに‥‥」
「それは赤ちゃんがしっかり育ってる証拠ですよ。大きくなってお腹の中が窮屈になったから、今は大人しくしているのです」
「そうなのね‥‥。私の赤ちゃん‥‥」
安らかな顔で胎動を感じていた姫だが、ふと博士に頼む。
「窓を開けて。星が見たいの」
「はい」
博士は求めに応じ、姫は天幕の小さな窓から夜空の星を見た。吹き込む夜風は凍てついていたが、姫は身じろぎもせず星を見つめて小さく呟く。
「この子ももうじき、あの星を見るのよ」
●出産近づく
ご出産の天幕に足を踏み入れたカルナックス・レイヴ(eb2448)を待っていたのは、医者のゾーラク・ピトゥーフ(eb6105)による念入りな身体検査。
「はい、目を見せて。舌を見せて。‥‥健康そのものですね。頭痛は? 吐き気は? 腹痛は? 下痢は? 感染症の疑いはありませんね。では、これから消毒を行います」
「また、随分と念入りな」
「姫の側にお近づきになる方には、誰でもこうして頂きます」
「ご出産はいつ頃になるかな?」
「ここまで来たらあと少し。赤ちゃんは今夜にも産まれるでしょう」
「そうか。大変なのはこれからだな」
昨日までは1日数回、不規則だった姫の陣痛も今や1時間おき。規則的な出産陣痛に変わっていた。
ゾーラクはウォッカを染みこませた布で体の露出部をくまなく拭いてから、煮沸消毒して乾かした清潔な白衣をカルナックスの服の上から外套のように着てもらう。
天幕の内側はカーテンで二分され、姫はカーテンの向こう側にいる。消毒を終えたカルナックスがカーテンをくぐると、ベッドに横たわってベアルファレスと話す姫の姿があった。
「陛下はどうして来てくださらないの?」
「陛下はこのところ公務でお忙しく‥‥」
「隠してもだめ。私には分かります。陛下に何かがあったのでしょう?」
「姫、陛下は‥‥時が来ればお話します。今は姫ご自身とお子の事を第一にお考え下さい」
姫は何も言わずに宙を見つめていたが、やって来たカルナックスの姿に気付いて顔を綻ばせた。
「カルナックス、来てくれると思ってたわ」
「主治医殿のご指名を受けました。治癒魔法の使い手として、姫のお側に。何かお飲物でも?」
「お願いするわ」
カルナックスは再びカーテンをくぐり抜け、やがてハチミツとブドウ果汁をお湯で溶いた甘い飲み物を持って戻って来た。
「お酒の匂いがする‥‥」
「ああ、これは消毒の為に酒で体を拭き清めましたので。飲み物は酒抜きですのでご安心を」
「だったら大丈夫ね。赤ちゃんが産まれるまで、お酒の入った食べ物は口にしないよう主治医様から言われてるの。外の様子はどう?」
「あれから一段と人が増えました。もうじき貴賓席にも分国王の皆様がお見えになるでしょう」
不意に姫は顔をしかめ、呻きを漏らす。
「痛みますか?」
「ええ。痛みの繰り返しが早まってるわ」
主治医の千鶴がベッドの周りの者達に告げる。
「そろそろ皆様は外へ」
ベアルファレスと博士は退出し、入れ違いに3人の立ち会い人がシャリーア・フォルテライズ(eb4248)に付き添われて入って来た。セレ貴族のリシェル・ヴァーラ。そして貴族女学院から立会人として派遣された2人の教官、ゼフィー・リラレとトゲニシア・ラル。いずれも女性ば
かりだ。ところがトゲニシアは姫の枕元に立つカルナックスの姿を見るなり、
「どうして男がここにいるザマスか?」
きつい視線で誰何する。
「私は主治医殿の依頼を受けたクレリックで‥‥」
「本当ザマスか?」
頷く千鶴。
「忘れている物があるザマス」
「あ、何を‥‥」
「これを付けるザマス」
カルナックスの目の前が真っ暗に、
「目隠しザマス」
「あの、これでは‥‥」
「姫様に魔法をかける時には、私が手助けしてあげるザマス」
すると再びカーテンが開く。
「あの‥‥」
「ルリ!」
おずおずと入って来たのは、姫のお気に入りのルリ・テランセラ(ea5013)。
「私も‥‥ここにいていいですか?」
誰よりも真っ先に答えたのは姫。
「いいわよ。外で待つのは寒いでしょう?」
「万が一の時のために、これを」
シャリーアは姫の枕元に、携えて来た聖遺物箱を置いて退出する。箱の中味は聖なる釘。どちらもジ・アースではデビルに効き目のある聖なるアイテムだ。
「それでは姫と皆様の安全のため、ムーンフィールドの魔法を張ります」
魔法の使用許可は得ている。ゾーラクは呪文を唱えた。
‥‥おかしい。魔法が効かない? 3回繰り返したがだめだった。
「まさかとは思うけれど、この中に魔法の効果を嫌っている人は?」
結界を張る際、範囲内に効果を嫌う者が居るとこの魔法は発動しない。当然ながら、その問いには誰もが首を振る。
しかしゾーラクは気付いていなかった。ベッドの下に止まっている1匹のハエの存在に。いや、それは一見するとハエだが、実はもっと禍々しき物だった。
●襲撃
姫の陣痛が本格化したのは夕刻。しかし夜半になっても赤ん坊は産まれない。
「まだか? まだなのか?」
天幕の外で警戒にあたるベアルファレスもやきもき。
天幕の中からはずっとルリの歌声が聞こえている。お産で辛い思いをしている姫をいたわって、ずっと静かな歌を歌い続けている。
天幕の入口は手にキューピッドボウ、足下に消化器を置いたシャリーアが守る。
広場に目をやれば、人、人、人。皆、柵の向こうで姫のお子の誕生を静かに待っている。暖を取るための焚き火が各所に焚かれているが、焚き火の場所は衛兵や冒険者達がしっかり守る。見物の場所から出産の天幕までは十分に距離が置かれ、余計な物は何も置かれていない。馬の乗り入れも禁止したから、先日起きた処刑場襲撃のような惨事は防げるはずだ。
貴賓席に目を転じれば、焚き火で暖を取りながら会話に興じる貴賓達の姿がある。
騒ぎは突然に起きた。城の門から手に手に武器や松明を持った暴徒の一段が押し寄せて来たのだ。
「牝犬を焼き殺せ!」
暴徒達を扇動するのは妖艶な色白の美女。既に警護の衛兵や冒険者達が、躍起になって暴徒を押し止めようとしている。
「皆、落ち着いて! 教えた通りに避難を!」
ルエラが見物人の避難誘導を始めた途端、いきなりそいつは背後から襲いかかってきた。
「うっ!」
邪悪な笑いを浮かべたシフールがルエラの後頭部にしがみつき、小さな手が顔面を掴んで放さない。
「おまえの顔、焼いてあげる」
シフールが呪文を唱える。ヒートハンドの呪文だ。小さな手が灼熱し、顔を焼かれる苦痛がルエラを襲う。
「ルエラ! じっとしてろ!」
叫んだのはルクス。構えたロングスピア「黒十字」でシフールに狙いを定め、突き入れた。外しはしなかったが致命傷には至らず。叫びと共にシフールはルエラから離れて宙に舞い、何を思ったか焚き火の火の中に突進。
「自殺か!?」
と、思いきや。火の中から全身火だるまになったシフールが飛び出し、そのまま天幕へ一直線。火を放つつもりだ。
「させるか!」
天幕の入口を守るシャリーアが消化器を噴霧。シフールは消化剤の白い霧に包まれ、炎が消える。
「よくも!」
宙を飛び悪態をつくシフールを、会場警護の冒険者が放った銀の矢が射抜く。石畳の上に落下したシフールをよく見れば、その腰からは先端が矢尻のように尖った尻尾が伸びていた。
「こいつ、黒いシフールだったか」
黒いシフール、それはシフールによく似たカオスの魔物。
「ルエラ、大丈夫か!?」
オラースが司祭を連れてルエラに駆け寄る。
「こりゃひでぇ! 綺麗な顔が台無しじゃねぇか!」
「これしきの傷、どうってことない」
「いいから治療してもらえ。あんたを心配してるヤツは大勢いるんだぜ」
オラースの言う通り。大勢の見物人がルエラに心配そうな目を向けている。
「そうだな」
彼らを動揺させてはいけない。ルエラは司祭に治療の魔法をかけてもらい、見物人達に呼ばわる。
「心配はいらぬ! 私は無事だ!」
すっかり傷が消えたその姿が、彼らを大いに安堵させた事は言うまでもない。
●カオスの魔物
「あの女を赤ん坊ごとぶち殺せ!」
「生きたまま火あぶりだ!」
天幕の外で暴徒達が叫んでいる。
「あれは、何? 誰が叫んでいるの?」
その声が耳に入り、マリーネの顔に怯えの色が。心配はいらないと、付き添いの者達が慰める。
シャリーアが天幕の中に入って来た。
「襲撃にはカオスの魔物が関与しています。安全のため姫を移動させた方がよいのでは?」
「今、姫を天幕の外に出すと感染の危険が。もう一度、魔法を試してみます」
シャリーアを消毒するとゾーラクは再度、ムーンフィールドの呪文を唱える。やはり効果は現れない。
『姫、聞こえますか? お体の具合はどうです?』
風信機からカッツェの声。姫は陣痛続きでぐったりしていたが、カッツェに言葉を返す。
「痛みが何度も何度も来るけど‥‥まだ産まれないの。ゾーラクのムーンフィールドもさっぱりだわ。何度呪文を唱えても魔法がかからないの」
風信機からの声が警告を発した。
『姫、気をつけて! 魔物が近くに潜んでいるかもしれません!』
「魔物が!?」
思わずゾーラクはベッドの下を覗き込む。隠れていたハエが飛び出し、煩い羽音を建てながら天幕の中を飛び始めた。
「このハエは!?」
外からブゥン、ブゥンと音がし始めた。警護の冒険者がかき鳴らす「鳴弦の弓」の音だ。すると、飛び回るハエの動きが急に鈍くなる。
「これは!」
シャリーアの動きは早かった。枕元の聖遺物箱から聖なる釘を取り出し、念を込めて足下の敷石の隙間に打ち付ける。ベッドのマリーネ姫に一直線に向かっていたハエは、まるで見えない壁に遮られたかのように空中を右往左往。
「下がって!」
カルナックスの手が枕元の化粧箱に伸び、銀のナイフを握る。ほとんど同時にコアギュレイトの呪文が高速詠唱で放たれ、ハエは硬直して落下。その真上からカルナックスは銀のナイフを叩きつけた。
「ぎゃあああっ!」
ぞっとする断末魔と共にハエの体が膨らみ、その正体を現す。背中にコウモリの羽根を生やした全身1m程の醜い子鬼だ。しかしハエに変身したことで、耐久力もハエ並に低下していたのだろう。体は銀のナイフの一撃でぐちゃぐちゃに潰れ、やがてその体が灰のように崩れて跡形もなく消え去った。
「あれがカオスの魔物か。私の故郷のジ・アースでは、ああいう手合いを別の名で呼ぶが」
そう言うカルナックスの目隠しは、いつの間にか外されていた。
「まあ、何てことを‥‥」
何か言いたそうなトゲニシアに彼は言う。
「大丈夫。余計な物は見ていません」
ベッドからマリーネの掠れた声。
「魔物が‥‥ここに‥‥?」
「心配はご無用。魔物は跡形もなく消え去りました」
と、カルナックス。
「念のためにもう一度、周りの消毒を」
と、ゾーラク。
おや? 外から聞こえて来るこの声は。
「おお麗しのマリーネ姫♪ 拙き我が歌をお聴き下さい♪ お耳触りは覚悟の上♪ お耳を塞がず最後まで♪」
あれはセデュースの声ではないか。リュートの腕は拙いが、力一杯に声を張り上げて歌っている。やがてその声に、一人また一人と新たな歌声が重なる。見物人達も一緒になって歌い始めたのだ。
「おお愛しいマリーネ姫♪ 姫君はまさしく我が心の太陽♪ 真冬の吹雪もなんのその♪ 姫君を想えば体はぽかぽか♪」
姫の顔に笑みが浮かんだ。
「歌っているのね‥‥私のために‥‥」
もはや避難の必要は無いと皆が思う。しかし出産の正念場はこれからだ。
●誕生
夜が深まるにつれ、冷え込みはさらに増す。しかし城の広場は熱気に包まれている。
「ご誕生はまだかい!?」
「これじゃ夜が明けちまうぞ!」
そんな人々の声にセデュースは答える。
「歌い続けましょう! 姫のお子様の誕生まで力の限り!」
人々はどっと沸き上がり、広場は再び歌声に包まれる。
天幕の中では主治医の千鶴が最後の決断を迫られていた。出産が長引き過ぎている。姫の体が未成熟すぎて産道が十分に開かない。このままでは母子ともに生命の危険に晒される。
千鶴は覚悟を決めた。
「やむを得ず、最後の手段を取ります」
下腹の会陰部を切り裂き、産道を広げて赤子を取り出す。地球の医療ではこれを『会陰切開』と呼ぶ。本来ならメスを使うところだが、ここでは消毒したナイフで代用する。
危急に際しては最終手段に訴えることをエーロン陛下の耳にも入れてあるが、実際にその時が来ると流石に緊張する。
「姫。痛い思いをしますけど、少しだけ我慢してください」
麻酔は無しだ。
「覚悟は出来てるわ‥‥やってちょうだい」
気丈にも姫は答える。
自分の手と姫の体の消毒は念入りに。ゾーラクに止血処置を施させると千鶴はナイフを手に取り、刃先を慎重に狙った位置へ滑らせる。‥‥おかしい、刃が立たない。何度やっても駄目だ。
「‥‥そうだったわ、リングが」
姫の指にはめた魔法のリングの事を思い出した。全部取り外して再び切開を試みると、今度はうまく行った。姫が叫ぶのと同時に傷口からどっと血が噴き出す。止血処置をしていても血は出るものだ。が、出血に動揺している余裕は無い。千鶴は姫の胎内に指を入れ、押し広げて行く。産道は固くて指を奧に進めずらい。それでも千鶴の指は産道の奧の塊を捉えた。赤ちゃんの頭だ。深呼吸を繰り返して気を落ち着け、ゆっくりと引っ張り出した。赤ん坊はぐったりして動かない。呼吸が止まっている。その小さな体は姫の傷口から出た血で赤く染まっている。
こんな時にはどのような蘇生処置を‥‥?
考えるよりも先に、千鶴は反射的に行動していた。
「起きなさい!」
びしっ! 思いっきり赤ちゃんの背中をひっぱたいた。その衝撃で赤ちゃんの呼吸が快復。赤ちゃんはびくっと痙攣したかと思うと大きく息を吸い込み、元気に産声を上げた。
「おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ!」
「さあ、あなたの出番ザマス」
トゲニシアが目隠しをしたカルナックスの手を取り、姫の傷口に触れさせる。カルナックスがリカバーの呪文を唱えると、傷口はたちどころに塞がった。
マリーネ姫はとみれば、目を閉じたまま動かない。千鶴は一瞬、不安にかられる。
「姫!?」
閉じていた姫の目がゆっくり開く。
「‥‥産まれたのね」
「はい。元気な男の赤ちゃんです」
産湯で赤ちゃんの身を清め、姫の胸に抱かせる。
「私の赤ちゃん‥‥」
姫は安心したように目を閉じ、再び眠りに落ちた。
●歓喜の時
「お生まれになったぞ! 男の子だ!」
その報せに広場は大いに沸きたつ。出産は長引き、今や夜が明けようとしていた。虹色の輝きを増し始める空の下、人々は歓喜の声を上げ、歌い踊る。
「やれやれ‥‥長かったな」
オラースもほっと一息。そこへ近づいて来た者がいる。品格のある白髪の男。オラースには心当たりがあった。
「あんたは、もしや‥‥」
「オラース君。君と仲間達の話は聞かせてもらった。私がレーガー・ラント。少し前までは黒鳥の君を名乗っていた男だ」
オラースは思わず大声出して笑ってしまった。
「はっはっは! そうか、ようやく会えたってわけだ」
ところがレーガー卿の後から、部下をぞろぞろ引き連れた衛兵隊長が血相変えてすっ飛んで来るではないか。
「謀反人レーガー・ラント! 貴様を逮捕する!」
「おい待てよ! ここに来てそりゃないだろ!」
「邪魔するな! 貴様も謀反人に荷担するか!?」
かねてよりレーガー卿の逮捕を目論んでいた衛兵隊長と、卿を護らんとするオラースの間で諍いが始まるや、エーロンの声が衛兵隊長を制した。
「手出しはするな。放っておけ」
「しかし陛下、この男は先王陛下に背いた謀反人で‥‥」
「今、フオロの王座にあるのはこの俺だ。謀反人かどうかは、俺が決める。ご苦労だった、行って良い。俺の期待を裏切らぬように励めよ」
その言葉に衛兵隊長は押し黙り、敬礼して立ち去った。
「あっさり片付いたな。さすがは新分国王陛下。それじゃレーガー卿、後片づけが一段落したら俺の仲間を紹介するぜ」
と、オラース。
「宜しく頼む」
と、レーガー卿。
姫を狙った襲撃者達も全員が捕らえられた。暴徒をけしかけた首謀者の女は、カオスの魔物に取り付かれていたことも判明。彼らの処罰についてシャリーアがアレクシアスに訊ねると、それをお決めになるのはエーロン陛下だとの答を得る。
そこでシャリーアはエーロンにも同じ質問を向けた。
「お尋ねしたい事が。襲撃者の大部分は唆された者で、首謀者にしてもカオスの魔物に憑依された者でした。幸いにも姫様とそのお子様は無事でしたが、彼ら襲撃者に対する処罰は‥‥」
「遠からず、俺が直々に裁きを下す。楽しみにしていろ」
エーロンは答え、衛兵隊長を呼んで命じる。
「謀反人を全員、牢にぶち込んでおけ。取り調べが済むまで一人たりとも死なすな。それが拷問のプロの仕事だ」
襲撃者達は全員、囚人護送用の馬車の檻の中。首謀者の女を始め誰もが言葉を失い、これからの自分の運命を思ってうなだれるのみ。
小さな影が近づいて来た。ルリと付き添いのルエラだった。
「話が聞きたいの。苦しんでいる事があったら、ちゃんと話すべきだと思うし‥‥。マリーネ姫様が小さいときやった事は許される事じゃないけど‥‥。でも‥‥だからといって怨み晴らしたとしても悲しいだけのような気がする‥‥。何も残らないしそれに生きてればこれからがんばってよくしていけばいい事だもん‥‥」
首謀者の女が顔を上げた。
「‥‥私、これからどうなるの?」
取り憑いていたカオスの魔物が離れ去った今、その表情も言葉もあまりにも弱々しい。
「それは‥‥」
ルリが答を返す間もなく。衛兵隊長の命令が下り、襲撃者達を乗せた馬車はルリの目の前から走り去って行った。
アレクシアスは姫の天幕に向かう。自分が名づけ親になった姫の赤子の名を届けるために。赤子に贈る名は『オスカー』。アレクシアスにとっては思い入れのある名でもあった。