●リプレイ本文
●プログラム作成
部屋は落ち着いた色で統一されており、テーブルの上と、窓辺には春をにおわせる花が一輪挿しにさしてある。広い壁には風景画が掛けられていた。
やがて廊下を歩く靴音が聞こえ、親子が冒険者達の前に現れ。
「お待たせしました」
と、まず挨拶をしたオデッセアスの平服は簡素な仕立てであったが、
「ごきげんよう、皆様」
と、微笑を見せた夫人は、派手好き・遊び好きの噂に違わず豪奢なドレス姿であった。これでも普段着である。
「このたびの仮面舞踏会へのご協力感謝いたしますわ。楽しいパーティとなるよう、よろしくお願いいたしますね。それでは、わたくしはこれで」
そう言って夫人は優雅に膝を折ると応接室から去って行く。特に何があったわけではないが、メイシ夫人がいなくなったとたん室内から騒々しさが消えたようだった。
「えーと、ではまず、こちらの案を出す前に、オデッセアスさんはどのようにしたいと考えているか聞かせていただけますか?」
気を取り直すようにケンイチ・ヤマモト(ea0760)が話を切り出した。
「そうですね‥‥主催者は母ですので、舞踏会にはあまり見られないような演出があってもいいですね。以前開いた時は、ダンスの合間に剣舞や火を吹く男などが現れました」
オデッセアスは淡々と語るが、かなり破天荒な夫人であることはわかった。対する招待客の反応もまた良く、大いに盛り上がったとのことだ。
それなら、と辰木日向(eb4078)が考えたイベントを発表する。
「男装あるいは女装した方数人をパーティ会場に紛れ込ませて、舞踏会終了間際に当ててもらうというのはどうですか? 男装の場合は鎧を着こんで体のラインが出ないようにしてもらうとか、女装の場合はカツラの他になるべく体のラインがわかりづらい衣装で、コルセットで閉めてもらうとか‥‥」
「男装の女性は稀にいらっしゃいますが、女装ですか。ふむ‥‥おもしろそうですね。うっかり女装の方にダンスを申し込んでしまうこともありえるわけですね」
オデッセアスの口元がわずかにほころぶ。
「やりましょう。事前にお客様に告知しておけば問題ないでしょう」
続いて龍堂光太(eb4257)が天界の行事の一つ、豆まきについて話した。
「豆まきとは炒った大豆をまき、まかれた豆を自分の年齢の数だけ食べるという天界の行事の一つで、その豆を鬼にぶつけることで邪気を祓い、一年の無病息災を願うという意味があるんだ」
「なんだか景気のいい行事ですね。鬼はどんなものですか? 人形とか?」
「鬼の役の人がやるんだけど、それは僕がやるよ。ただ問題は、豆をまくわけだから後の掃除が大変だという‥‥」
「あ、なるほど」
「どこか、場所を限定できればいいんだけど」
「では、小広間で行いましょう。ところで、龍堂さんはそれでいいのですか?」
「は?」
「思い切り豆をぶつける人はいないと思いますが、痛そうですよ」
「思い切りやってくれないと邪気は祓えないよ。最近、鬼みたいな連中が襲ってきたとか言うじゃないか。それを追い払う感じでさ」
光太が屈託なく言うので、鬼の役は彼に任されることとなった。
イベントはそれらに決まり、次は曲の流れである。音楽担当のケンイチと蒼穹楽団の二名、リュイス・クラウディオス(ea8765)とセレス・ホワイトスノウ(ea9693)が考えたものはこういう感じだった。
「基本はワルツで、最初に前奏曲としてやや明るめのものから初めて、華やかな円舞曲につなぐわ。最後は落ち着いた曲ね。夜想曲といきたいところだけど、竪琴じゃ普通はやらないから、それをアレンジしたものでいこうと思うの」
おおまかにセレスが説明をする。それに対しオデッセアスが、さわりの部分だけ聞かせてほしいと言うので、三人はそれぞれのパートを奏でた。
「すばらしいですね。それでお願いします」
曲とイベントが決まったところで全体の流れについて話し合い。それぞれをどの順番でやるかである。結果、挨拶〜舞踏会1〜豆まき。この時に女装・男装が紛れ込む〜舞踏会2〜女装・男装当て〜終、という流れに決まった。
豆まきの時に人が流れるので、その時に女装・男装を紛れ込ませようというわけだ。
だいぶ賑やかなパーティになりそうだということで、月紅蘭(ea1384)は会場は白と暖色で飾ろうと提案した。
「ええ、いいですね。必要なものはこちらでそろえますので、何でもおっしゃって下さい」
その時、レジーナ・オーウェン(ea4665)がセッティングなどの注意点を言った。
「仮面舞踏会となるとお客様の視界が狭くなりますから、照明の強弱やテーブルの配置などには気をつけるべきでしょう。うっかり転んでしまって怪我でもされたらせっかくのパーティが台無しですから」
オデッセアスは得心したように頷いてみせた。
紅蘭もそれに答え、
「それじゃあテーブルクロスとかの色も考えないとね‥‥」
と、目を閉じ、腕組みしてイメージする。
そんな紅蘭へ、リーザ・ブランディス(eb4039)があるものを差し出した。首を傾げる紅蘭へ、ニッと笑ったリーザは手元のスイッチを入れる。すると、パッと明かりが点く。
「まぶしっ。それはもしや天界の?」
顔の前に手をかざし、目を細める紅蘭。
「こいつを使って照明のアクセントにならないかな?」
「なる‥‥と思う」
紅蘭は「使ってもいいかな」とオデッセアスを見やる。一応、許可は得ておく。
彼はあっさりOKを出し
「紅蘭さん、僕も手伝うから何でも言ってね」
「ありがと。期待してるよ明人君。重いものとか特によろしくね」
名乗り出た塚原明人(eb4113)の肩を、ぽんと叩く紅蘭。
その彼女の横にそっと立つアリシア・キルケー(eb2805)。
「私もいますわ。紅蘭さん、遠慮なさらないでね」
いかにも聖職者らしい清楚な微笑みをたたえるアリシアは、ボトルを抱えている。そこだけ妙に現実的である。
アリシアは二人の側を通り過ぎ、オデッセアスの前に足を止めると、抱えていた逸品を差し出した。
「お客様にお出ししてくださいませ。ジ・アース産のワインです。ロイヤル・ヌーヴォーと申しますの」
「ジ・アース産の? それは珍しいですね」
差し出されたボトルをしげしげと見つめていたオデッセアスは、急に気遣わしげな表情になってアリシアに目を移す。
「これ‥‥かなり高価なものではありませんか?」
「だからこそ、貴族の皆様の集う日にふさわしいのでは?」
「ありがとうございます。きっと皆さん喜びましょう」
感謝の念をこめて、オデッセアスはロイヤル・ヌーヴォーを受け取った。
「これで大きいところはまとまりましたね。後は細かいところですが‥‥」
「あ、それはあたしにちょっと案があるの」
と、小さく手を挙げるティアイエル・エルトファーム(ea0324)。
「あたしが少年ぽく男装して道化師になるのね。それで人形を使って腹話術でみんなを歓待できないかなって思うんだけど。人形以外のものから声を伝えたり。あと、入り口で花を一輪ずつ贈るとかどうかな」
「オカリナだけでなく腹話術もできるのですね」
オデッセアスは感心した目でティアイエルを見た。ティアイエルは慌てて腹話術が魔法であると訂正した。そしてこう付け加える。
「いきなり目前で魔法は失礼だと思うから、そこらへんは考えるけど」
「失礼ということはないでしょうが、まぁかなり驚くでしょうね。私もちゃんと見たことはないですし。では、お願いしますね」
●舞踏会準備
明人がメイシ家の使用人達と協力しあい、広間に必要な分のテーブルを運んでいる頃、紅蘭はオデッセアスにパーティ用具が保管されている一室へ案内されていた。
そこには圧倒されてしまうほど高さのある棚がいくつも立ち並び、おかげで室内は薄暗い。棚と棚の間は人ひとりが通るくらいの幅しかなかった。決して狭い部屋ではないのだが、異様に狭く感じる。
迷子になってしまいそうな不安を覚えている紅蘭へ、オデッセアスはまるで気付かず棚の説明を始める。ここらへんが貴族との感覚の違いなのだろう。
「棚ごとに収められているものが決まっています。種類は、あのように札がかけてありますので、そこから選んでください」
オデッセアスが示した札には、それぞれ食器だの蝋燭だの書かれていた。また各通路には一台ずつ脚立が置かれていた。
紅蘭はそれらの棚からテーブルクロスと書かれた札を見つけると、さっそく引き出しを開けると。色、柄、さまざまなテーブルクロスが引き出しごとにまとめられ大量に収められている。
「これなんかどうかな」
と、紅蘭が取り出したテーブルクロスは白地にふちに黄色の糸で刺繍を施されたものだった。白といっても真っ白ではなく、生成りの白である。
「いいですね。それに合う食器はこれでしょうか」
そう言ってオデッセアスが食器棚から出したのは真っ白な磁器製の皿だった。周縁に紅で花模様が描かれている。
そんな調子でとりあえず、テーブルクロス、食器、花瓶、蝋燭、燭台と1セットそろえてみると、なかなか春らしい雰囲気が出ていた。
「そういえば、花はあるのかしら」
「温室で栽培しているものがありますよ。合うものがあればいいのですが」
というわけで、オデッセアスは使用人にテーブルクロス等を必要な数だけ広間に運ぶよう言いつけると、今度は温室へ紅蘭を案内した。
薔薇、ガーベラ、カーネーション、カスミソウ‥‥主にそれらの花が栽培されている。まだ花の時期ではないので種類は少ないが、やがては外の花壇にも色とりどりの花が咲き誇ることだろう。
「ガーベラとカスミソウにするわ」
一通り見回した後、紅蘭が決断をする。オデッセアスは庭師を呼び、これも広間に運ぶよう指示。二人が広間に戻った頃には、床は塵ひとつなく掃き清められ、パーティに使うテーブルも運ばれて隅にまとめられていた。
「それでは月さん、後はお願いします。私は厨房を覗いてきます」
「あたしも後で行くわ」
というわけで、後を任された紅蘭はさっそくテーブルの配置から始めた。明人をはじめ、使用人達が紅蘭の指示に従い、手足のように動く。
その際、アリシアが特技を生かしてテーブルの位置や楽団の立ち位置について助言をした。
リーザのハンディLEDライトはちょうどダンスが行われるであろうスペースを照らすように天井から吊るすことになった。
脚立程度では天井まで届かないので、梯子を運び込み数人がかりでそれを支え、誰かに吊るしてもらうこととなった。かなり危険な役目である。それを押し付けられ、いや頼まれたのは明人だった。
「大丈夫だって、死んでも梯子は支えてみせるから」
「縁起でもないこと言わないでよ、リーザさん」
梯子に足をかけた明人の不安を、リーザは明るく笑い飛ばした。
しかし明人も登ってしまえばかえって気持ちが落ち着いたのか、意外と手際よく作業を終えたのだった。
「よし、それじゃテーブルセッティングね」
間髪入れず次の指示を出す元気な紅蘭に、人々は内心思った。
「案外人使い荒いのね‥‥」
その頃、当日の楽曲を受け持つことになった冒険者達の一室では、隅でティアイエルが道化師の衣装を縫っていた。リュイス、セレス、ケンイチの三人は練習をしている。
道化師のための布やその他裁縫道具一式はメイシ家から提供された。広間の掃除を手伝っていた時に仲良くなった使用人の女の子が、それらを用意して今もティアイエルの傍らに座り、衣装に付ける小物などを作る手伝いをしていた。
「ティアイエルさんは、ダンスのほうには参加しないのですか?」
針を動かす手は休めず、女の子‥‥ケイトが尋ねた。
「一応、出る予定‥‥ダンスは自信がないから遠慮するけど」
ティアイエルは苦笑気味に答えた。
「あら、もったいない。あ、あとパーティにはボイド夫人もいらっしゃるはずだけど、あの方は必見ですよ!」
言って、何やらクスクスと笑うケイト。
「うちの奥様とはいわゆるライバル関係でして、毎回衣装がすごいんです」
「あ、派手さのライバル?」
「当たりです。お互い自分のところのパーティに招待しあっては、派手さや華やかさを競い合っているんです」
いかにも貴族の女性らしい争いである。
ティアイエルは挨拶に現れた時のメイシ夫人の様子を思い出していた。いるだけで賑々しく、眩しい存在。悪く言えば騒々しい。彼女の息子が年齢以上に落ち着いているのも、親の影響かもしれない。
そんな他愛もないことを話している間も、ケイトの手は止まらず、あっという間にティアイエルに頼まれていた分を仕上げてしまった。そして結局ほとんどを彼女が縫い上げたのだった。
明人が梯子に登り、ティアイエルが道化師の衣装を作っている頃、日向は厨房で春巻きを伝授していた。始めは料理の下ごしらえだけのつもりでいたのだが、用意されている材料を見ているうちにふと、春巻きが作れそうなことに気付いたのだ。
日向が春巻きの皮を作っている間に、奉公人の少女達に豚肉を湯通ししてもらい、アスパラやチーズを食べやすいくらいの細さに切ってもらう。
そうしてできた具を皮で巻き、揚げる。食べやすいように直径2センチほどのスティック状に仕上げてみた。
「あ、これはいいですね」
いつの間にやって来たのか、オデッセアスも試食に参加していた。
呑気な様子で春巻きを食べている彼を料理長がからかう。
「こんなとこでつまみ食いしてていいんですか? ステップの一つでも勉強なさったほうが‥‥」
「いつの話をしてるんですか。それに、皆さんが頼もしいので安心して怠けられるんです。明日も頼りにしてます」
などと話しているところへ、息切れしながら紅蘭が駆けつけてきた。手には羊皮紙を握り締めている。
「日向、ごめん。手伝うつもりでいたけど、ちょっと向こうがまだ終わらないの。ここにメニューをいくつか書いておいたから、試しに作ってみてくれる?」
「あ、はい。やってみます。あの、大丈夫ですか? なんか顔色が悪いような」
「大丈夫よ。今時の女はタフなのよ」
わけのわからない言葉を残し、紅蘭は再び駆け足で戻っていった。
日向が受け取った羊皮紙に書かれていたメニューは三点。
「えーと、細かく切るか叩いてバターと塩で炒めた肉と野菜と香菜を一口大の薄味ビスケットにさまざまな組み合わせで乗せる。‥‥湯通しした魚のツミレにオリーブ油を振り、溶かしたチーズをまぶす。‥‥細切れの肉、野菜、豆類をキャベツで巻き、木串で刺して鳥ダシスープで煮る‥‥以上です」
読み上げて、日向はそれを料理長に渡した。彼は大きく一回頷いた。どうやら味の予測がつき、いけると思ったらしい。さっそく調理にとりかかる。
「試食も兼ねて休憩入れましょう。広間の人達死んでるかもしれません」
冗談とも本気ともつかない顔でオデッセアスが言った。
●仮面舞踏会・前半
翌日の夕方近く、仮面舞踏会に招待された貴族達の馬車が次々とメイシ邸へ到着した。
広間の入口では道化師チェスターに変装したティアイエルが彼らに薔薇を一本ずつ贈っている。時々、腕に巻いた天界の自動巻き腕時計に気付いた貴族がそれについて尋ねたりしてきた。
招待客が全員そろったところで、オデッセアスが挨拶を始め、その間に給仕達がワイングラスを運び配っていく。注がれているワインは、アリシアが提供したロイヤル・ヌーヴォーだ。
仮面舞踏会というからには、全員仮面をつけているわけだが、まったく誰が誰だかわからないかといえば、そうでもない。なんとなく、わかる人もいる。
例えばこの人。
その夫人は、ワイン色のドレスを金糸銀糸の凝った刺繍とレースで飾り、それらが照明に反射してかなり目立っている。その飾り具合はとにかく尋常ではない。
「ボイド夫人はあの人ね‥‥」
いまだチェスターのままのティアイエルは一人納得した。ボイド夫人は数名の貴婦人方と談笑していた。
チェスターは人の波を縫い、彼女達の方へ近づくと、くるりと回って挨拶口上の代わりに深くお辞儀をした。
「あら、さっきは綺麗な薔薇をありがとうね」
ボイド夫人がにこやかに声をかける。
「恐れ入ります」
と答えたのは、チェスターの肩の上の人形だった。
ボイド夫人だけでなく、周囲の貴族達も目を見張る。
さらに夫人の側のテーブル上にあったガーベラから、
「今宵は心行くまでお楽しみくださいませ」
という声が。
驚きのあまり声もなく、口をぽかんと開けていたボイド夫人は、一礼して立ち去ろうとするチェスターの腕を思わず掴んでいた。
「それ、魔法というものですわね。メイシ夫人たらいつの間にあなたのような方を召抱えていたのかしら。うらやましいですわ」
「召抱えられているわけでは、ありませんよ」
と、今度はテーブル中央の蝋燭が答えた。
とたん、ボイド夫人はパッと笑顔になり、
「あら本当に? そう、そうなの‥‥」
口の中で何やら呟くと、得心したように一人で頷きチェスターを解放したのだった。
オデッセアスの合図で蒼穹楽団とケンイチが演奏前の挨拶に立った。代表としてリュイスが簡単に自分達の紹介をする。
「本日はようこそおいで下さいました。どうぞ、たっぷりお楽しみください」
三人は目で呼吸を合わせると、やや明るい雰囲気の前奏曲を始めた。リュイスとセレスは竪琴でケンイチはリュートである。ダンスの始めとしては良い選曲。
貴族達は次々と組になり、広間中央で踊り始める。明人が苦労してセットしたライトと、紅蘭が苦心した燭台の配置がダンススペースを別世界のように照らしていた。その中でそれぞれの仮面をつけた貴族達は、ふだんの立場を忘れて曲に身を任せている。
中にはダンスには参加せず、三人の楽士の技術力の高さに感心している人もいた。
まずはここまで無事に運んだ、とホッとしていたオデッセアスへ、レジーナはゆっくりと歩み寄り目の前で優雅に礼をすると、ダンスへ誘った。エクセレントマスカレードで顔の半ばを隠した彼女は、素顔の時とはまた違う魅力があった。
それでも女性からダンスを申し込むことは珍しいので、オデッセアスも一瞬戸惑ったが、すぐに手を取りダンススペースへ。
彼は充分にレジーナをリードできるだけの実力があった。
やがて、オデッセアスとのダンスを終えワインで喉を潤していたレジーナの前に、男性が一人現れダンスを申し込んできた。レジーナは快く手を添え、受ける。曲は華やかな円舞曲へ移っている。
レジーナを誘った男性のリードは、最初少し強引さを覚えるものがあった。しかし、踊っているうちに不思議とそのペースに巻き込まれ、それに心地よさを感じてしまうのだった。
「仮面舞踏会のミステリアスな雰囲気は好きですが、今日はそれがもどかしい」
男性は言った。
それはエクセレントマスカレードのステキ効果によるものなのか、レジーナ自身の魅力によるものなのか。
その男性は名残惜しそうにレジーナとのひと時のダンスを終えた。
レジーナが彼の行く先を目で追っていると、やたらと派手な夫人の側で足を止めた。知り合いなのかただ止まっただけなのか、あるいは親子だったのか‥‥。
紅蘭もダンスの誘いを受けていた。流行を意識した彼女手製のドレスは、やはりひと目を引いたらしい。前日からの重労働でほとんど寝ていないはずだが、それを微塵も感じさせないのはさすがである。もっとも、右目の淵に赤い小粒の宝石をつけた白い仮面が寝不足のまぶたを隠していたという事実もあるが。
演奏の小休止でセレスが最初に休憩を取った。再び始まった曲は、やはりテンポの良いワルツで、これはケンイチが歌詞をつけ自ら歌っていた。その珍しい趣向に貴族達は喜び、そのうち曲に合わせて鼻歌を歌いだす者まで現れる。
そんな様子に、思わずセレスの口元にも微笑が浮かんでいると、いつの間にやらダンスの申し込みをされていた。
「恥ずかしながら、ダンスの経験はまったくないのです‥‥」
申し訳なさそうにセレスが告げると、相手は残念そうにしながらも彼女の演奏にいかに感動したかを言葉を尽くして述べていったのだった。
曲目が一段落つくと、
「さて皆様、本日は皆様のために特別なイベントをご用意しております」
と、オデッセアスが豆まきの説明を始めた。彼にとっても未知のものであるから、しつこいほどに光太に念入りな説明を受けていた。
説明をしながら、チェスターがうまく小広間の方へ貴族達を導いていく。
一瞬の沈黙の直後、広間の入り口に「ウガーッ!」と現れる光太。濃い褐色の上下に角の飾り、手には棍棒を持っている。さらにご丁寧に仮面までつけていた。
使用人達により、貴族達の手には一握りの豆が渡されていた。
「では、今年一年の健康を願って、鬼を追い払いましょう!」
正直、貴族達がついてきてくれるか不安がないわけでもなかったが、冒険者達が率先して豆を投げたことと、光太の鬼っぷりがかなり良く、ほとんど反射で貴族達が豆を投げたりで豆まきイベントは盛り上がったのだった。
もちろん、「鬼は〜外! 福は〜内!」の掛け声も忘れなかった。
小広間に雨のように降り注ぐ豆、豆、豆。
光太はあっちへ逃げこっちへ逃げ、あるいは貴婦人を驚かせ会場を沸かせた。
そして歓声と拍手に鬼・光太は包まれ、退場したのだった。
その間、こっそり次のイベントへ向けて数人の冒険者が広間を抜け出していたことには誰も気付かなかった。
●仮面舞踏会・後半
ヴェントリラキュイを駆使し、チェスターが貴族達を大広間の方へ誘導した後、使用人達が手早く散らばった豆を片付けた。『年の数だけ食べる』分の豆は、後で別に配られることになっている。
掃除の間、貴族達は初めて体験した豆まきの余韻に酔っていた。まだ興奮が冷めず頬を紅潮させた女性もいる。
それが終わると、再びダンス音楽が響きだす。今度はセレスとケンイチの二人だ。
鬼の格好から礼服に着替えて戻ってきた光太も思い切って参加することにした。貴族達の誰も、彼が先ほどの鬼だとは気付いていない。
光太は同じくらいの年頃と思われる女性にダンスを申し込んだ。彼女は「よろこんで」とはにかんだように小さく答え、光太が差し伸べた手にレースの手袋をした手を添えた。
まだダンスはあまり得意ではない光太だが、相手をしてくれた女性に恥をかかせることもなく、最初のダンスを終えることができた。一度踊ってしまったことで弾みがついたのか、彼はその後も数回踊る機会に恵まれた。
例えば光太が純粋な気持ちでこの舞踏会に臨んでいるとすれば、この人は‥‥?
一見優雅で上品な振る舞いの彼女。艶やかなシルクのドレスとショール、気品を盛り立てるような羽扇。女性らしいシルエットを作り出すコルセット。
(「コルセット、キツイですね‥‥いいえ、我慢です」)
などと内心では頑張っていることなど微塵も出さない。おかげでろくに料理も食べられないのだが。
そんな彼女をダンスに誘う人がいた。アリシアは丁寧にそれを受け、ダンススペースへ。
(「実はダンスなんてやったことないのですよね‥‥」)
という不安も毛筋ほども出さず、微笑をたたえて適当に足を運ぶ。相手の男性のリードがうまいのか、アリシアの反射神経が優れているのか、つまずくこともなくダンスは終わろうとしていた。
と、気が抜けたのか最後の最後でアリシアはパートナーの足を思い切り踏んでしまった。
ダンススペースを離れると、彼女はひたすらに相手に謝った。
「慣れていますので気にしないでください。そんなに恐縮されると困ってしまいます」
言いながら、どこぞの子息と思われる男は思い出したようにクスクスと笑った。
「本当はあなたがダンスに不慣れなことは踊り始めてすぐに気付きました。でも、なんだかしっかり付いてくるので‥‥すみません、最後の方で少し意地悪をしてしまいました。踏まれたのは自業自得です」
再び、すみませんと呟いた彼は、ふと仮面の向こうからアリシアをじっと見つめ、
「案外活発なお嬢様、とか‥‥」
アリシアが冒険者であることは知らないようだ。どこかの令嬢と思っているのだろう。なのでこれ以上突っ込んだ話題に入りボロが出る前に、
「ご縁がありましたなら、また‥‥」
と、慌てて笑顔で会釈してその場を立ち去ったのだった。
竪琴とリュートによるワルツが何曲か終わったところで、二度目のイベントが始まった。
「実はこの中に男装の麗人、または女装の名人が何人かいます。さて、見分けられますかな‥‥」
といったふうにオデッセアスが言えば、貴族達は今まで歓談していた相手の顔をとたんにまじまじと見つめたりする。
その最中にもワルツは流れ続けている。そんな貴族達の様子を、道化師から若草色のふんわりとしたドレスに着替えたティアイエルがおもしろそうに眺めていた。そういう意味で言えば、彼女も男装していたことになる。
「どうです? わかりますか?」
不意に声をかけてきた相手は、ほっそりとした綺麗な色白の令嬢だった。こんな人いたっけかな、とぼんやりしたティアイエルに、令嬢はくすりと笑う。瞬間、ティアイエルはそれが誰なのか気付いた。
髪を高く結い上げ、ナチュラルメイクの女性は唇に人差し指を立てると、ティアイエルをその場に残して貴族達の群れの中に紛れていったのだった。
「明人くん‥‥似合いすぎ」
呟いた直後、慣れないヒールでバランスを崩す明人。ぐきっという音が聞こえてきそうだ。と、それを近くにいた男性貴族が支えた。
もしもまっとうな男女なら、新しい縁が生まれたかもしれないが、残念ながらどちらも男だ。何かが生まれようはずもない。
他には誰がいただろうか。例えば、そこでダンスの申し込みをされている黒髪の婦人はどうだろう。
(「そんなにわからないものなのか‥‥」)
特に乗り気で女装したわけではないリュイス。気持ちとしては複雑である。もちろんダンスは受けた。後でそれと知った相手は何を思うだろうか‥‥。
また、赤毛を後ろで一つにまとめ、きっちりと紳士用礼服に身を包んでいるどこかの貴族。おおらかで気前の良さを感じさせる話し振りのおかげか、すっかり貴婦人達の中に溶け込んでいる。
と、グループの中で一番おしゃべりな婦人が急に声のトーンを落とした。
「ご存知かしら? あの方のところ、近々きっと荒れますわよ。もしかしたら今日があの方の見納めかも‥‥」
などと、もっともらしく言い出す。その婦人がちらりと見やった方には、ボイド夫人の姿があった。同じくらい派手な夫人と笑い合っている。メイシ夫人だろう。
「あそこは税が厳しいそうですからねぇ」
「かといって、フラウ家のように民に媚売ってるようなところもちょっとねぇ」
別の婦人達も囁く。ボイド夫人もこの婦人達も、中身はたいして変わりなさそうだ。
自分達が贅沢をすればそれだけ領民にしわ寄せが行くことを、彼女達は何とも思っていないようだった。このような意識の持ち主が幅を利かせると、領地だけでなくやがては国をも疲弊させてしまうだろう。
「ところであなた、最初からここにいましたかしら?」
不意におしゃべり好きの婦人がリーザに不思議そうな顔を向ける。リーザはいたずらっぽく舌を出してみせた。
と、同時に第二のイベント時間の終了となった。オデッセアスの合図でリーザ、リュイス、明人の三人は前に出た。リーザの背後で「え、あの方そうだったの?」と、残念そうな呟きが聞こえた。他でも明人やリュイスに惹かれていた男性達がぽかんとした顔をしている。特にリュイスを誘った男性は、仮面があってもわかるほど愕然としていた。
三人は変装の性別のままにお辞儀をして広間を出て行った。すれ違い様、いまだに信じられないような顔の貴族達が何人もいたものだった。
そしていよいよパーティも終わりが近づいてきた。曲もゆるやかなものに変わっている。
しばらくして着替えを終えたリュイスも演奏に加わると、曲はセレスがアレンジした夜想曲へと移っていった。
「見事な淑女ぶりでしたね」
かすかに笑いながら言ったケンイチに、リュイスは何ともいえない笑みを見せただけだった。高く低く流れる旋律は、やがてゆっくりと静かに終わる。これで、仮面舞踏会は終了である。
最後の貴族を見送った後、冒険者達もそれぞれ着替えに入った。ずっと演奏を続けていたケインチはかなり疲れていたのか、着替える前にしばらく椅子に腰掛けたままぼんやりと。その間、日向は使用人達に混じって後片付けをしていた。
「日向さん達が出したメニュー、好評だったのよ。何ていう食べ物なのか、何度も聞かれたわ」
と、給仕もしていた侍女がそっと日向に報告する。今日の厨房はまるで戦場だったが、がんばったかいがあったと思わず会心の笑みがこぼれた。