●リプレイ本文
●壊れた竪琴
「そうですか、昨日はパールちゃんが来たのですか」
「元気そうでした。子供って少し見ない間に大きくなるんですね」
交換日記に視線を落としていたニルナ・ヒュッケバイン(ea0907)は、ノアの言葉に淡く微笑んだ。随分とお兄ちゃんらしくなったと、その成長ぶりを感じ取って。
「女の子ってアッという間にキレイになっちゃうしね」
レオナ・ホワイト(ea0502)に反応したのは、ジェイクだった。チラチラとサナを窺う落ちつかなげな様子に、ルリルーとアイカがこっそりと笑う。そんないつもの光景‥‥その日、虹夢園は平和だった。
クリスとショーンとララティカが、アリアという少女を連れて帰って来るまで。
「‥‥まぁ中に入りなさい、麗蘭の料理は美味しいわよ」
戻ってきたクリス達を迎えたのは、クレア・クリストファ(ea0941)だった。クレアはアリアの頭を撫でると、優しく招き入れた。
「その竪琴は私が預かるわ。大丈夫、悪いようにはしないから」
レオナの方はアリアが抱えたモノを見て、そっと手を差し伸べ。アリアは自分の頭を撫でるクレアと、一つ優しく頷くレオナとを交互に見てから、恐る恐る竪琴を手渡し。
「弦が切れてるわね。本体には‥‥うん、細かい傷はついてるけど、歪んだり欠けたりはしていないようね」
ざっと見てのレオナの言葉に、アリアは祈るように問うた。
「‥‥直る、の?」
「ええ。大丈夫、直ぐに元通りになるわ」
自分達家族の象徴のような、竪琴‥‥今は壊れている竪琴はしかし、直るという。それがアリアには嬉しく心強く‥‥一筋の光のように感じられた。
(「もしかして、あなたが守ったのかしら‥‥?」)
クレアがチラと向けた視線の先‥‥宙に浮いた女性はアリアを見下ろし、僅かに安堵の表情を浮かべていた。
「久しぶりの園だからゆっくりしたかったけど、そう言ってられないか」
リオン・ラーディナス(ea1458)は、リオンの姿にホッとした顔になったクリスに少し笑ってから、意識をアリアへと向けた。見知らぬ大人達と子供達の中に放り込まれ、心細げな幼い少女。
「アリアってのか。よろしくな」
陸奥勇人(ea3329)は片膝をつくと、その小さな頭を軽くポンポンと撫でてやった。人懐っこい笑み、だけでなく、おそらくその手の平の大きさ温かさに、アリアは安堵するように小さく息を吐いた。
「俺はミカ。いきなりこんな所に引っ張って来られて不安かもしれねぇが、俺達はアリアの力になりたいと思ってる‥‥だから、信じて欲しい」
そして、ミカ・フレア(ea7095)の言葉と、
「まぁとにかく一息つくことじゃ。ほれ、お茶をおあがり」
マルト・ミシェ(ea7511)が差し出したレモンバームのお茶、その香りに勇気付けられるように、アリアはようやくその緊張を解き。
「アリアちゃん、何があったか話してくれますか?」
見て取った富島香織(eb4410)はいたわりを込めながら、優しく問うた。或いは、それを話させるのは酷かもしれない‥‥けれど、今のアリアには、ずっと必死で我慢してきただろう少女には、心に溜めたものを吐き出させる事が必要だと感じたから。
「あたし‥‥あたし‥‥ッ、あたしが‥‥あたしがあんなワガママ言ったから‥‥母さん‥‥母さん、死んじゃって‥‥父さんも‥‥」
いつも楽しそうに歌を歌っていた両親、仲間に入りたくて二人の役に立ちたくて‥‥両親の仕事の後、歌をねだった自分。だから、母は体調を崩したのだと、死んでしまったのだと、小さな胸を痛めて。それでも、悲しみに沈む父に言えなかった‥‥嫌われたら捨てられたらどうしよう、と怖くて。
「あたしが‥‥あたしのせいで‥‥ッ」
あふれる想いと共に零れ落ちる涙を、クリスはそっと拭ってやった。何度も何度も。アリアのせいではない、言うのは簡単だ。ただ今は、閉じ込められた痛みを解放してあげたいから。
泣きじゃくるアリア。それでも、そんなアリアをレモンの香りと香織達の優しい眼差しが包み。
「アリアさん、私はお父さんを探しに行ってきます。そのためにはどうしても貴女の力が必要なんです‥‥」
やがて、涙と共に胸のつかえを流したのか、幾分スッキりした顔になったアリアに、ニルナは真剣な面持ちで告げた。
「そうだな。これからアリアの父さんを捜す訳だが、覚えてる限りで構わねぇ。父さんが行きそうな場所の心当たりを教えてくれねぇか?」
「後、アリアの父ちゃんの背格好だな」
そして、勇人にミカに、にアリアは頷いた。
「いつも父さんと母さんが歌ってた広場と公園、練習したり歌を作ったりしてた川べり‥‥」
指折り数える様子は、青ざめてはいたものの、ここに来た時よりずっと落ち着いて見えた。それはきっと、目の前の大人達が暖かく優しく、頼もしかったから。
「父さん‥‥父さんは背が高くって、本当は優しくってカッコ良くて‥‥」
クリスやララティカに補われながら、アリアは父の姿や心当たりについて必死に語っていった。
●かそけき想い
「仏教徒として、レイスを許すわけにはいきませんので‥‥是非とも満足して成仏していただきたいです」
淋麗(ea7509)はレイスの女性をじっと見つめた。放ってはおけない‥‥だが、可能なら手荒な真似はしたくなかった。
同じ気持ちでクレアは頷き、レオナに目配せした。アリアをリオン達に任せ、レイスの女性への接触を試みる。
「あなたが、後悔していることを教えていただけませんか」
別室、麗はレオナのテレパシーの力を借り、レイスに問いかけた。
『‥‥私が悪いのです』
応えレイス‥‥いや、アリアの母親であるメロディは悲しげに目を伏せた。
『体調を崩して‥‥心配させたくなくて、大したことないって‥‥なのにこんな事になってしまって‥‥私がこんな事にならなければ‥‥』
「愛する家族を残して死んでしまった‥‥それがあなたの後悔なのですね」
麗は傷ましげにそっと、目を伏せた。自分が死んだ事を責めて責めて責めて。愛する娘と夫の嘆きと悲しみに胸を痛めて‥‥案じて。そうして、彼女はココに居る。
ハラハラと形なき涙が零れるたびに、悲しみの気配が強くなる。彼女を縛る鎖になる。
「大丈夫、だから、もう泣いてはダメ」
気づき、クリスは緩く首を振った。このままでは本当に、動けなくなってしまう。悲しみに囚われてしまう。
「貴女の大切な人たちは必ず、私達が救ってあげるから」
そして、とクリスは強い笑みを送った。
「救ってみせるわ‥‥貴女もね」
「もし全てに絶望していたら、人はどんな行動をとるか‥‥な」
「こういう‥‥誰か亡くなってしまった方に引きずられて死を意識されている方って、その亡くなられてしまった方との思い出でも特に、美しい場所での死を願う傾向があるんですよね」
アリアの話、そして、レオナ達がメロディから聞きだした話を元に、香織は分析した。
「て事は、公園、広場、川沿い‥‥広場はないかな」
「それとアリア、お父さんの持ち物、何かないか?」
リオンに頷いてから問いかけた勇人に、アリアはおずおずと肩から掛けていたバッグを指し示した。頑として拒んだそれ‥‥どうやら父親のものだった、らしい。
「よーし、そんじゃ行ってみようか。颯、氷雨、お前らも力を貸してくれ」
カノッサの臭いを覚えた犬達に勇人が合図した時だ。
「俺も行く、手伝う‥‥こういう時、人手は多い方がいいだろ?」
ずっと様子を窺っていた子供達の中から、ジェイクが手を上げた。しかし、間髪居れず反対するケディン。
「止めておいた方がいい。無事に見つかったとして、最悪の事態になってないとは限らないから‥‥そうなってた時、俺やチコはともかく、ジェイクは耐えられないだろ」
「最悪って何だよ。そうならないよう、見つけるんだろっ!」
「はいはい、ケンカしないケンカしない。ケディンの言う事も分かるけど、俺としてはジェイクの気持ち、尊重したいな」
軽い調子で二人の間に割って入る、リオン。最悪の事態‥‥ケディンがジェイクを案じているのは分かる。だが、ジェイクの気持ちも痛いくらい分かるから。
「‥‥俺だって、分かってる。でも、だからこそ、動かないではいられない‥‥あの子に、俺達と同じような思い、させたくないよ」
唇を噛み締めながらの、強い決意。置いていかれる痛み、その辛さ‥‥アリアの為にも、話を聞いている内に口数が少なくなっていったサナやショーンの為にも、そして自分の為にも。
「大丈夫だよ、ケディン」
「‥‥分かった」
チコに小さく告げ、頼むと示すようにこちらを見たケディンに、リオンは「任せておいて」と首肯した。
「言っておくが、ケディンもチコも俺達の下を絶対に離れない事! これが守れないなら、連れてはいかねぇぞ」
「うむ。先生の手を離してはならぬぞ」
ミカとマルトに言い含められた男の子達はそれぞれ、真剣に頷き。
「ノア君‥‥お願いします‥‥手伝ってくれませんか?」
「‥‥うん。僕も放っておけませんから‥‥」
同じく、ノアもニルナに応え‥‥どちらからともなく手を繋ぎ合う。アリアの不安、最悪の事態を防ぎたい、と。
「あっあの‥‥ごめん‥‥でも、父さんをどうか‥‥」
不安と期待と、唇を震わせるアリアに、ミカは笑ってやった。
「気にすんな、俺達は子供達の笑顔を守るためにここにいるんだからな」
そうして、羽を羽ばたかせる。アリアの笑顔を、取り戻す為に。
「まだ間に合うはずだ‥‥あの悲しみを味わう子供がまた一人増える前に、何とかしてやらねぇとな」
虹夢園の子供達を、これ以上増やさせない為に。
「ララティカ、お主はここで一緒に皆の帰りを待つのじゃ」
「‥‥おばあちゃん」
後悔に突き動かされるように、ミカの後を追おうとしたララティカを、マルトの手が留めた。
ララティカの気持ちは分かる。だが、カノッサの状態は分からない‥‥もしかしたら、ララティカを目にして動揺してしまうかもしれない。それはそれだけは避けたかった、誰の為にも。
「私も歌で何度も人を傷つけて、自分を傷つけてきたけどね‥‥それでも歌が好き。音が好き。変かしらね?」
皆の後に続こうとしていたレオナは気づき、ララティカに微笑んだ。
「貴女も貴女の歌も凄く素敵。だから恐れないで歌って。幸せを願って歌う歌はきっと心に届くわ」
だから‥‥レオナはアリアを見つめ、ララティカに告げた。
「貴女の力‥‥その歌声でやって欲しい事があるの」
レオナは何事かを頼むと、今度こそ皆の後を追って行ったのだった。
●いつかの痛み
「きっとカノッサさんも音楽には楽しい想い出がたくさん詰まってると思うんだ」
虹夢園の留守を守るテュール・ヘインツ(ea1683)は、カノッサを探しに行くリオン達を見送り、少しだけ悲しげに呟いた。
「でも今は、その想い出よりも大切な人を亡くした悲しみが先に来ちゃってるのか‥‥」
アリアを傷ましいと思う、何とかしてあげたいと思う。それでも、カノッサを責める事はテュールには出来なかった。
「早く立ち直って欲しい‥‥けど、それだけメロディさんのことを好きだったってことだから責められる事でもないよね」
深く愛したからこそ‥‥それが何よりもやり切れなかった。
「大きな擦れ違い、というものはあるものじゃよ お茶を飲んでゆっくりと息を吐き出してごらん?」
そのララティカにはマルトが、お茶を出しているところだった。緊張をほぐすという、レモンの香りが優しく漂う。
「今、先生方が擦れ違いを綴じ直す手伝いをしておるところじゃ。大丈夫、きっと上手く行くからのぅ‥‥しばし辛いが、我慢しておくれ?」
ララティカはコクンと頷き、カップを両手で抱えた。
「はい、麗蘭特製スープだよ。いっぱい作ったから、いっぱい食べてね!」
人心地ついた頃合を見計らい、龍麗蘭(ea4441)は元気良く言うと、アリアやララティカ、サナ達の前に温かなスープを置いた。
アリアの、スプーンを持つ手は細かった。元々、というより、おそらくは母親が死んでからロクに食べていないのだろう。
(「スープなら胃に負担もかけないしね」)
お茶で一息ついたとはいえ、気は張り詰めていて‥‥自分が空腹だった事に今まで気づかなかったのだろう。たどたどしくも必死にスープを口に運ぶアリアに、麗蘭の胸が痛んだ。
「おいしいでしょ? よくかんでたべるの」
「カノッサさんは、お辛かったじゃろうなぁ‥‥」
そんなアリアと、その隣で(自分なりに)世話を焼いているショーンを見つめ、マルトはふと呟いた。
「それでも、生きている我が子を放って命を捨てることは、許される事ではない。誰も喜ぶことはなく、悲しむだけじゃろう」
誰に聞かせるつもりもない、それは呟き。
「アリアに二重三重の悲しみを与えてもよいのじゃろうか」
「そんなの、ダメに決まってるわ」
だが、それを聞いていた、聞いて反応した子がいた‥‥サナだ。
「‥‥だって、悲しくっても、どんなに悲しくても‥‥自分から手放しちゃダメだから‥‥どんなに生きたくても‥‥生きられなかった人だって‥‥」
サナはギュッと目をつぶった。こみ上げてくる何かを堪えるように。そう、アリアの痛みはかつての自分と同じだった。
何度も何度も唱えた、願った、祈った。置いて行かないで、一人にしないで‥‥逝かないで。
それでも、願いは叶わなかった、祈りは届かなかった。喪われた大切な家族、救われなかった命。
なのにどうして、自分からそれを手放そうとする人がいるのか。自分達と同じ子供を増やそうとするのか‥‥?
「そうだよね、本当に‥‥仕方のないお父さんだよね」
テュールはギュッと目をつぶったままのサナの手を、硬く握り締められたそれを、そっと握った。
「だから、伝えなくちゃね。メロディさんの事もアリアちゃんの事も‥‥」
「そうそう、せんせい達ガツンと言ってやってよ」
「‥‥父さんをいじめちゃ、ダメ」
多かれ少なかれサナと同じような気持ちだったのだろう、力を込めるルリルーに、しかし、アリアは顔を歪めた。
「あ‥‥」
その様子に、ララティカは小さく声をもらした。先ほどのレオナの言葉‥‥だけど、きっと自分はアリアに嫌われている。大好きなお父さんを追い詰めたのは、ララティカだから。
だけど、その時猫が鳴いた、励ますように。それに、マルトの眼差しがテュールと麗蘭の微笑が「頑張って」と背中を押してくれる。
躊躇った後、ララティカは意を決してアリアにお願いした。
「‥‥歌を、教えてくれる?」
●ともしび揺れる
どうしてだろう、流れる川を眺めカノッサはぼんやりと思った。
彼女がいなくなっても、空は青く鳥は鳴いて人々は笑い合う‥‥彼女がいなくなってしまったのに。世界は変わらずそこに在る。それが理不尽な事は分かっていた。だがそれでも、それが辛く切ない。
それに、彼女を亡くしてから、脳裏に思い浮かぶ彼女はいつも、悲しげな寂しげな顔で。
どうしてだろう、そんな顔して欲しくないのに。彼女にはいつも笑っていて欲しいのに。
「‥‥独りで、寂しいのかい?」
口に出すと、それは正解のようで。カノッサは「そうか」と呟いた。寂しいなら、独りで寂しいなら‥‥僕が傍にいてあげる、傍にいってあげるから、と。
フラフラと踏み出す。水の冷たい感触は、直ぐに気にならなくなった。微笑みさえ浮かべて、大分冷たくなった川へと進んでいく。
その時、声がした。
「あんたがカノッサさんか? 捜したぜ」
皆に知らせる犬の鳴き声と、勇人の声が。
颯と氷雨の声に引き寄せられたレオナとニルナと香織は咄嗟に、子供達を抱きしめるように引き寄せた。眼前の光景‥‥それはアリアの父親が、今まさに境界線を踏み越えようとする場面だったから。
ピン、と張り詰めた空気があった。意を決して沈黙を破ったのは、リオン。刺激しないよう、殊更軽く言い、肩をすくめてみせた。
「あなたが今ここでもし逝っても、待っているのは死神だけだ。吟遊詩人の相手に、そいつは些か不似合だよ」
焦点を結ばない目が、ぼんやりとこちらを見返し‥‥リオンは気づかれぬよう眉をひそめる。同じ危惧を抱いたミカは、こちらも慎重に言葉を選んだ。
「娘さんを虹夢園で保護している、迎えに来てやってくれないか?」
「‥‥む、すめ‥‥?」
ぼんやりとしていた目が、焦点を結んだ。次の瞬間、その目と口が大きく見開かれる。意識から抜け落ちていた、決して忘れてはならない筈の存在に、思い至って。
「‥‥ぁ」
絶望的な吐息と共に、身体がグラリと傾いだ。
リオンとクレアと勇人は同時に飛び出した。冷たい川へと迷い無く飛び込み、そのグラつく身体を引き戻す‥‥こちら側、へと。
「あなたが後を追うことでメロディさんが幸せに思うと、本気で思っているんですか?」
濡れそぼるカノッサに掛ける、香織の声は静かだった。
「死に逃げるなんざ絶対に許さねぇ。大体だ、あんたが死んだら娘はどうなる?」
ミカの声は少しだけ、語調が強い。アリアの焦燥を間近で見たから、つい語気が荒くなりかける。それを何とか押さえ、言葉を紡ぐ。
「あんたと奥さんが愛し合ったからこそ娘が生まれた。あの娘は、あんた達の愛の証だろう? だったら、その証を大切にしねぇでどうするんだ」
我ながら少し臭いセリフだ、と思う。だけど、この気持ちがミカの本心なのは確かで。
「正直、今の心情は察するに余りあるが‥‥これだけは確実に言える。このままメロディさんの後を追ったとして、あんた彼女に本当に顔向け出来るか? アリアを1人残して逝って、メロディさんはあんたに笑い掛けてくれるかい?」
少し怒り気味なミカと、あくまで静かに問いかける勇人‥‥カノッサの表情からいつしか、先ほどまでのどうしようもない空虚感が消えていた。
「とにかく、このまま秋風に吹かれてたら風邪ひいちゃうぞ」
そうして、落ち着ける場所に行こうか、リオンに促されるまま、カノッサは歩き出した。
●響く声
「メロディさんが亡くなられたことは大変残念なことです」
虹夢園に連れてこられる道すがら、カノッサは静かだった‥‥というより、途方に暮れているように見えた。
「でも、あなたまで死を選んでは、アリアちゃんはどうするのですか? 先に言いますが、アリアちゃんも一緒にというのは論外ですからね」
けれど、麗蘭の特製スープを眼前に置かれ、香織に静かに問いかけられると身を強張らせた。
「彼女はあなたと一緒に生きていきたいと思っています。メロディさんを心配させないためにも、あなたが立派に生き、アリアちゃんをしっかり育ててください。悲しみは深いでしょうが、将来を見つめることこそが大事ではありませんか?」
「苦しみは、痛い程よく判るわ。でも、その何倍の苦しみを、アリアに背負わせる気なの? あなたが、喪う辛さを知るあなたが、そんな惨い仕打ちをするの?‥‥メロディがそれで喜ぶと思うの?」
説得しながら、クレアも香織も気づいていた。カノッサは部屋の片隅に佇むアリアを一度もちゃんと見ていない。
(「アリアちゃんの事を思い出して、死の影は遠くなった‥‥私達の言葉は届いているはずですが」)
おそらく罪悪感が、娘を忘れ果てていた事が重く圧し掛かっているのだろう、と香織は推察する。
そして、思う。何かきっかけが必要だ、と。
「あんたねぇ、いい加減にしなさい!!」
そのきっかけは、涙混じりの怒声、という形で訪れた。
「自分には何も無い? 寝言は寝て言いなさいよ!!」
麗蘭は静かに見守るつもりだった。香織やクレアの説得は正当性のあるものだったし、理に叶っているし、カノッサも直ぐに反省してくれると、信じて。
「それじゃアリアちゃんは何なのよ! 奥さんを亡くして落ち込む貴方を支えようとあの小さな体で必死に頑張ってたのよ?」
だが、カノッサはいつまでもウジウジしたまま。アリアに駆け寄り、抱きしめてもあげない‥‥それが何より、辛くて。
「貴方それに少しでも気付いてた?」
麗蘭は泣きながら、感情に任せて思いをぶつけていた。
「まだあるじゃないの! 彼女は奥さんと貴方が愛し合って生まれてきたんでしょ! 奥さんが必死に生きた証でしょ!! それでも何も無いって言うの!」
頭が真っ白だった。ただ、悲しくて辛くて胸が痛くて。
「それじゃ奥さんもアリアちゃんも報われないわよ! 父親でしょ!! 貴方はあのアリアちゃんの姿を見て何も思わないの? 何も感じないの?」
今も留まるメロディ、一人で必死に耐えるアリア‥‥どうしようもなく、涙があふれて。
「許さないからね! 父親としての責任を破棄してアリアちゃんを悲しませるような事したら私、絶対に貴方を許さないからね!!」
「やめてっ!?」
いつか、アリアが麗蘭に殴りかかっていた‥‥勿論、威力なんてない、弱々しいもの。幼い少女とて分かっている、麗蘭が自分の為に言ってくれている、怒っていてくれる事。
だけどそれでも、父を護りたいと、いじめないでと、アリアは小さな身体いっぱいで訴えていた。
「‥‥ごめん、ごめんね」
それ以上、耐えられなかった。麗蘭はアリアを抱き締め、泣き崩れた。
「‥‥」
レオナはそのアリアの肩にそっと手を置き、泣き崩れたままの麗蘭をニルナに預け‥‥取ってきた竪琴を爪弾いた。
「アリアちゃん、ララティカ、一緒に歌ってくれる? カノッサさんの心に届くようにね」
それは、レオナの画策‥‥いや、計らいだった。奏でる、懐かしい曲。アリアが生まれた時、カノッサとメロディ夫婦二人で作った、優しさと愛しさと喜びだけを込めた歌。
『メロディさんも一緒に歌いましょう? 貴女の声はきっと彼に届く筈よ』
レオナに頷き、メロディもまた声無き声を合わせる。というより、想いを。
カノッサを気にしながらのララティカ、涙でかすれたアリア、声無きメロディ。それでも、音楽は優しく響く‥‥作られた時の気持ちのまま。
「貴方は歌が好きかしら?」
そして、レオナは竪琴からカノッサへと視線を移す。
「私は歌が好き。虹夢園の子達もアリアちゃんも‥‥きっと歌が好き。歌は幸せにも不幸にもさせる。それが歌い手でも、ね」
分かったはずだ、彼にはもう、分かっているはずだった。
「辛い時でも幸せをくれる歌だってあるわ。そして貴方はそれを奏でる事ができる。だから、一歩ずつ進んでいきましょう。歌は貴方と共にあるわ」
だから、その手の竪琴を差し出した。まぎれもない、彼の竪琴を。
一度は手放してしまったそれに、カノッサは逡巡した。もう一度、自分はこれを持つ資格があるのか?、と。
「カノッサさんは今まで、この竪琴でメロディさんとたくさんの音楽を紡いでたくさんの笑顔を作ってきたんでしょ?」
迷いを見て取り、今まで見守っていたテュールは口を開いた。
「今、弾くことをやめてしまったらきっと二度と弾けなくなってしまうと思うんだ」
ララティカとアリアの歌、カノッサは無意識に手を動かしていた‥‥探していた。そこにあるのが当たり前な、竪琴の形をした絆。
「そうしたら音楽だけじゃなくてメロディさんと築いて来たものまで捨てることになっちゃう。メロディさんと会わなかったのと同じになっちゃう、メロディさんが心の中からもいなくなってしまう。悲しいのは分かる、だけどたくさん詰まってる想い出を捨てたりしないで」
「命というのは短くて、少しのことで失われてしまうものです‥‥だけど、尊いものだからこそ限られた中で輝こうって思うんじゃないですか‥‥」
麗蘭を抱き支えていたニルナは、尚も躊躇うカノッサに静かに語りかけた。
「メロディさんだって貴方が生きる気力を失っているのを黙ってみているのは、つらいはずです‥‥」
今も、心配そうに不安そうに、愛する夫を見守っている‥‥見守るしか出来ない、女性。
「メロディさんの分も、そしてアリアさんのこれからの希望、夢、育みのためにも‥‥これからも竪琴を奏で続けてください‥‥カノッサさん‥‥!」
「今でも彼女を思っているなら、その気持ちだけでメロディさんは報われるよ」
「娘の為にも、生きなさい」
そして、ニルナのリオンのクレアの皆の‥‥何よりアリアの思いを噛み締めたカノッサは、娘へと手を伸ばした。
「‥‥ッ! 父さんっ!」
両の手に飛び込むように、アリア。その頬を新しい、安心と喜びの涙で濡らし。
「すまなかった、すまなかったアリア。父さんバカで、寂しい思いをさせて、すまなかった」
繰り返す父に、大好きな父さんに、アリアは何度も何度も首を横に振った。
親子は随分長い事、抱き合っていた。互いがここに確かに居る事を確かめ合うように。
●よみがえる旋律
「アリアさんとカノッサさんはもう、大丈夫です」
ずっと見守っていたメロディに、麗はそして、静かに語りかけた。微かに揺れる身体‥‥それはそのまま、心の揺れなのか。おそらく、「別れの時」を感じて。
「お気持ちは分かります。ですが、あなたが本当にアリアさん達のことに気にしているのなら、あえて成仏してください」
察して、だからこそ諭す。娘と共に生きる気力を取り戻した夫、メロディの心配事は解消された。だがそれでも、愛する二人と今度こそ完全に別れなければならない‥‥未練が全くないと言えば嘘になろだろうから。
だが、メロディをこのままにしておく事は出来ない、絶対に。それはメロディの為にも、アリアの為にも。だから。
「アリアさん達は生きている人として、自分自身で悩んで生抜いて行く力をつけなければいけないのです。あなたはアリアさんに幸せに生きてもらいたくないのですか」
麗は静かに静かに、言葉を重ねた。
「メロディさん、カノッサさんとアリアさんはきっと大丈夫、だから安らかな眠りを‥‥」
そして。麗とニルナに、メロディは頷いた。少しだけ切なげな、それでも、嬉しそうな微笑みを浮かべて。二人に見送られ、メロディの姿はスゥッと薄くなり‥‥やがて消えていった。
「アリアさん、一生懸命生きてくださいね‥‥お母さんの分も」
見届けてから、アリアを訪れたニルナは、その身体をギュッと抱きしめた。メロディの代わりに、限りない願いを込めて。
「カノッサさん、貴方の竪琴が幸せを運ぶと私は信じています」
そして、そのままの眼差しを受けたカノッサは、真っ直ぐで真摯なそれに反射的に視線を落としそうになり‥‥それを堪えて、確りと頷いたのだった。
「ねぇアリア、ララティカや皆の友達になってくれる?」
ニルナの様子から察したクレアは、だから尋ねた。答えは、勿論。
「うん。あたしも友達‥‥欲しい」
「ありがとう。‥‥ね、皆で一緒に歌わない?」
「そうですね。カノッサさんも‥‥メロディさんの事を愛していたのなら、彼女のために一曲引いていただけませんか」
麗に、カノッサは今度は迷わず頷いたのだった。
「じゃあ今日はカノッサさんとアリアちゃんにも手伝ってもらって、曲作りをしましょうか」
それを嬉しく見つめ、レオナは子供達に声を掛けた。
「全部僕自身のせいだったんだ‥‥ごめんね」
「あたしも‥‥ごめんなさい、でした」
と、カノッサに頭を下げられたララティカは慌てて謝った。やはり、自分のやり方は間違っていたのだと、思って。
「優しさは、時として相手を傷付ける事もある。でも、その大切な気持ちは決して失くさないで」
その頭を、クレアはいつものように優しく撫でた。
「悩む事は悪いことではないんですよ。皆さんもどんどん悩んで、自分自身の力でその悩みを解決する力をつけてください」
麗もまた、ララティカにサナに子供達皆に、教えた。これからも生きていく上で、たくさんの困難にぶつかって、悩む事も増えるだろう。だけど、それを恐れないで。成長していく事を恐れないで欲しいと、願いを込めて。
「また、大事な事を知ったわね」
麗にクレアに、ララティカを始め子供達は真摯な眼差しで頷いた。
「不変の愛、か。なんて言うか‥‥家族っていいね〜」
響く歌声、これが本来の姿なのだろう、カノッサの歌声は深く、どこまでも優しかった。思わずこぼれたリオンの独り言。聞き取ってしまったらしいクリスは頬を染め何かを言い掛け。
「そうですね。こんな日がずっと続けばいいですよね」
結局は別の言葉を口にし、そっと微笑んだ。
やがて出来た歌。
「ずっと、妻の悲しい顔ばかり浮かんでいたんです。でも、今‥‥どうしてでしょうね、目を閉じれば彼女の笑顔しか浮かばなくて」
「メロディさんが笑ってるんだよ、きっと」
「あんたに任せて大丈夫、って安心してるんだな」
カノッサはミカと勇人に改めて頭を下げ。竪琴を奏でた。つられ、子供達の声が一つまた一つと、重なっていく。
耳に‥‥胸に響く歌声達。それは、これからを生きる為の約束‥‥メロディへの鎮魂歌だ。
歌う子供達。クレアはその頭を優しく撫でながら、空を見上げた。遥かな、空を。
失われたもの、途切れた命、それでも、歌は続いていく。
残された祈りがあるなら、残された想いがあるなら。
歌は続いていく、いつまでもいつまでも。