●リプレイ本文
●秋にお出かけ
「今回は、天然酵母を使ってパンを焼いてみようと思うの」
虹夢園のハイキング前日。厨房にすっくと立った龍麗蘭(ea4441)は、サナとアイカにニッコリと笑った。
りんごから作った天然酵母を使ったパン。天界人より教わったそれは、麗蘭にとっても初めての試みであり、失敗する可能性とて皆無ではない‥‥だが。
「初めて作る料理って、冒険とはまた違った興奮があるのよね〜♪」
寧ろ目を輝かせて作業に入る麗蘭。天然酵母から作った生種と小麦粉で、先ずはパン生地作りだ。
「結構力が要るわよ? 時間もかかるし‥‥覚悟してね」
こねこねこね。手際の良い麗蘭とは違い、サナもアイカも悪戦苦闘している。それでも、サナは根気良く、アイカは少しずつだが丁寧に作業を続けて。
「でも、麗蘭先生はすごいですよね」
と、サナが尊敬の眼差しで麗蘭を見上げてきた。
「見るたびに、食べるたびに、感動します‥‥本当にすごいです!」
だが、麗蘭はふっと苦笑を浮かべた。
「私だって最初から何でも出来たわけじゃないしね、何度も何度も失敗して‥‥」
「「ええっ?!」」
「その度に何が悪かったのか、何処をどうすれば良かったのかって涙流しつつ考えてね」
少しだけ恥ずかしそうに‥‥懐かしそうに目を細めた麗蘭を、少女達は信じられないというように見つめ。
「そうやって何度も何度も失敗を繰り返し、そしてそれをバネに前に進んできて今の私がある‥‥」
けれど、強い瞳で笑み返され、サナは「そっか」と呟いた。
「わたしも頑張れば、いつか‥‥」
頑張ろう、小さくガッツポーズを作るサナと、そんなサナと麗蘭とを眩しそうに見つめるアイカ。
「アイカの奴、何か浮かない顔だなと思ったら‥‥そういうコトだったのか」
こっそり様子を見に来たミカ・フレア(ea7095)は、ふっと息を吐いた。
「気にするコトじゃ無ぇとは思うんだがなぁ」
思い悩むその手元。アイカの手の中、ぎこちなくも懸命にこねられた生地は、随分となめらかになっていた。それは麗蘭やサナのものと、同じように。
「うふ、麗蘭さんのお手伝いを‥‥え、別にやましい気持ちとかそういうのは一切ありませんよ?」
当日。朝早く麗蘭達の手伝いに加わったニルナ・ヒュッケバイン(ea0907)は、出来上がっていたパンに目を輝かせた。
「とりあえずデザートのタルトから‥‥一応言っておくけど、つまみ食いはダメだよ?」
「ピクニックに行けば食べられるんですから‥‥我慢しますよ」
麗蘭の言葉に肩をすくめるニルナに、サナもアイカもクスクスと笑んで。それぞれ麗蘭を手伝いながら、お弁当の仕上げをしたのだった。
「そう、理由は分からないの‥‥」
「はい。元気がないという事は分かるのですが。さり気なく理由を尋ねてみたりも、したのですが‥‥」
密かに厨房を窺っていたクレア・クリストファ(ea0941)は、クリスの沈んだ声に小さく溜め息をついた。
「まぁ、察しはつく気がするけれど‥‥」
常々子供達の成長を喜んでいるクレアは直ぐに察した。自分だけ成長していない気が、皆に置いていかれるような気がしているのだろう、アイカは。クレアからみれば、決してそんな事はないのだけれど。
「アイカはバカだから」
「‥‥アイカちゃんはバカじゃない、よ?」
「分かってるわよ」
珍しく反論するララティカに、唇を尖らせるルリルー。多分二人とも、大好きなアイカを心配しているのだ。
「ほらほら、これから楽しい楽しいハイキングでしょ? そんな顔してちゃダメよ?」
「でも、アイカが‥‥」
だから、クレアはルリルーの顔を両手で優しく、むにゅっと挟んでから、
「楽しいハイキングになるわ、先生達に任せなさい」
静かに微笑み、約束したのだった。
●秋の野を行く
「皆さんに迷惑をかけない様に気をつけないといけませんね」
出発の時間。馬車に乗り込みつつ、淋麗(ea7509)は自分に言い聞かせた。子供達が楽しみにしているハイキング、貧血で倒れて水を差すわけにはいかない、と。
「イグナ、荷物とブレズィアの事、頼むな」
ミカは大事なペットである驢馬に荷物と、孵化したばかりのヒナとを乗せ。
そして、一同は出発する。大多数が、胸を躍らせて。
「ハイキングかぁ、ふふっ楽しみ」
「そういえば、サナは春のピクニックにいけなかったものね。人一倍楽しまないと、ね」
「はい!」
移動中もまた楽しいもので。クレアにサナは声を弾ませ。
「みんな、何するのか決まった?」
「えをかくんだよ〜」
「ブローチを作るわ」
テュール・ヘインツ(ea1683)に尋ねられた子供達も口々に、答えた。
「俺はまだ決めてないけど‥‥」
「‥‥あたしも」
勿論、やりたい事を決めている子達ばかりではないが。
「うん、じゃあとりあえず、絵を描いてみようか。着いた先で気に入ったものがあったら、それにチャレンジしてもいいし?」
テュールはケディンやアイカの気持ちが少しでも軽くなるように、そう提案するのだった。
「タキオン、貴方は自由に飛んでなさい‥‥また呼びますからね」
目的地に着くと、ニルナは愛鳥を空へと放した。一声上げて、澄み渡った秋の空に翼を羽ばたかせていくタキオンに、子供たちが歓声を上げた。
「皆、順番に並んで下さい」
子供達の視線を集めたニルナは、そのまま手馴れた仕草で、缶コーヒーと缶ジュースを配った。
「途中でノドが乾いたら、飲んで下さいね」
「「「は〜い!」」」
缶ジュースを手に、元気良く手を上げる子供達に一度笑んでから、ミカは「いいか?」と引き締める表情を作った。
「あまり遠くへ行き過ぎないこと。それから、常に先生達の姿が見える場所にいること。以上二点はしっかり守るように!」
ミカに頷いてから、子供達は早速、周囲をキョロキョロやりだした。広がる、色鮮やかな紅葉。
「あの葉っぱとあの葉っぱと、ショーンはどちらが好きじゃな?」
「ん〜とね、あのキラキラしたやつ」
一際鮮やかな葉を指差したショーンに、マルト・ミシェ(ea7511)は「うむ」と相好を崩した。
「確かに、キレイな『赤』じゃな」
「ね、おばあちゃん‥‥ショーンの言うアレが赤? じゃあ、あっちのやこっちのは?」
と、小首を傾げたのはルリルーだ。そう、確かにルリルーの指し示すのも『赤』だ。けれど、確かにそれぞれ色は違う。
「良いところに気づいたのぅ。確かに、一口で赤というても、自然の‥‥木々の赤には様々な色があるのじゃ」
赤・紅・朱・スカーレットにクリムゾン、あふれるたくさんの『あか』。その違いを知る事は、ルリルーだけでなく全ての子供達の為になるだろう。
「じゃあオルガお姉ちゃんトコのお客さんが『赤いドレス』って言ったら‥‥」
「フィーリングかのぅ。相手の事を考えて、どんな赤が似合うか選ぶのじゃろう」
「む‥‥難しいのね」
「それが楽しさでもあるのではないですか?」
ふっと微笑み、
「そうですね。秋にはこんな表現の仕方があるんですよ」
麗もまた故郷‥‥華国の、秋に関する漢詩を朗々と吟じてみせ。
「皆さんも皆さんなりの秋を表現してみてください」
眼差しで優しくアイカを、子供達を見回した。
「そうね。じゃあ今回はそれぞれ、作品に因んだ詩を考えてもらおうかしら」
更にクレアが言うと、子供たちは慌てだした。葉っぱを拾って絵を作って‥‥時間は無限ではないのだ。
「みんな、動いたりして汗かいたら、すぐにふかなくちゃダメだよ」
忠告するテュールが心配したのは、皆が風邪をひいてしまう事。子供達はミカやマルトが用意してきた上着を身につけている。勿論風は冷たいし必要だが、あの様子で元気に走り回れば汗をかく子もいるだろう。
「汗をかいた後そのままにしちゃうと、汗が冷えて風邪をひいちゃうからね」
「「「は〜い!」」」
今度もキレイに揃う、子供達の元気の良い返事。
「うん。じゃあ、いってらっしゃい」
そして、子供たちは歓声を上げ駆け出していく。
「気をつけないと転んしまいますよ」
山本綾香(eb4191)はやんわりと釘をさしてから、自らも美しい景色を愛でるように目を細めた。
「芸術、ね‥‥私もよく分からないって言ったら師匠に怒られちゃうかしら?」
同じく周囲を見回し、レオナ・ホワイト(ea0502)は‥‥苦笑を浮かべた。美しい紅葉を見るのは勿論、楽しい。だが、同時に自分に楽器を教えてくれた師匠の事を思い出して。
感謝してもしきれない人。けれども、教え方はお世辞にも優しいとは言い難かったし、特にそのお仕置きといったら‥‥。
「うわっ、止め止めっ。こんなにキレイな紅葉なんだもの、張り切っていかなくちゃ」
「そうですよ」
突然首をブンブン振り出したレオナに驚いていた綾香は、気を取り直した同僚にクスリと笑んだ。
「綺麗な紅葉‥‥良い曲ができそうだわ♪」
「楽しみです。私達にとっても、何より子供たちにとって、楽しい時間になるといいですね」
顔を輝かせ散っていく子供達。眺め、二人は笑みを交し合った。
「自分の天職につける人は、世の中には一握りしかいないそうですよ。世襲制の国も私の世界にはありますし」
そんな中、自分の板をじっと見下ろしたまま立ち竦むアイカに、麗は穏やかに話しかけた。
「大切なのは悔いが残らない様に十分悩んで、たくさんのことを失敗、成功しながら経験して、自分自身で道を切り開くことだと思います」
「だけど‥‥」
言いよどむ、アイカ。迷って惑って、立ち止まったまま動けなくて‥‥麗はそれ以上の言葉を控えると、代わりに視線を上へと移した。
「私に限らず、先生方は皆、応援してくれますから、今はピクニックを楽しみましょう。こんなによい景色を見るのも経験ですよ」
アイカは数度目を瞬かせ。それから、初めて気づいたように、頭上を見上げ息をのんだのだった。
●秋を彩る
「何か分からない事があったら、聞いてね。まぁ実演は‥‥蒼威、任せたわ」
実はちょっぴり不器用なクレアは、実演に関しては時雨蒼威(eb4097)にお任せさんだ。
「任された‥‥まぁ、こんな感じか」
蒼威は早速、手近な木片を拾うと、頃合とニルナが呼んだタキオンを彫り始めた。所謂、木彫り人形だ。
「カッケー!」
「やってみるか? 手を切らないようにな」
挑戦するケディン、初めてにしては良い手つきだ。
「やっぱブローチよね」
「木の実で壁飾りを作ろうかな」
「俺は絵かな。折角すげぇ景色だし」
「とりあえず、僕も」
「じゃあ、チコ君とルリルー君は木の実を、ジェイク君達は木の葉を、先ずは集めなくちゃね」
木の実も木の葉もたくさん落ちていたし、テュール達が手伝った甲斐もあり、程なくしてケディン以外の子供達も作業に入った。
「自由に使っていいけど、怪我しないよう注意してね」
テュールはチコ達に細工用工具一式を貸してから、「そうだ」ともう一方へ声を掛けた。
「遠くのほうの景色が見たいなら言ってね」
「えっ、見たい見たい!」
「どういう感じなのか、興味ありますね」
「魔力も道具の数も限りがあるから、順番とかは話し合って仲良く決めないとダメだよ」
ジェイクとノアは暫く軽くにらみ合ってから結局じゃんけんを行い、順番にテレスコープを付与してもらった。
「テュール兄ちゃん、ここちょっと手伝ってくれる?」
「いいよ。この角度でつけたいんだね?」
「うん」
「‥‥ジェイクの絵はちょっと雑じゃないかな? あの景色はもっとずっと繊細だと思うけど」
「いや! 男ならバ〜ンといくべきだろ?! お前のこそ、ちまちましてないか?」
と、テュールがチコに手ほどきしている間に、ジェイクとノアはちょっとした諍いを起こしかけていた。同じものを見、同じものを描いているはずなのに、全然違う互いの絵を見比べ。
「俺は、芸術とかそういう方向には疎いんだが‥‥」
そんな二人に気づいたミカは、それぞれの作品を覗き込んだ。
「ノアのはキレイにまとまってるよな。ジェイクのは確かに少し粗いが、大胆で元気があって、俺は好きだぞ」
「そっそうかな」
「じゃあ、僕の絵はダメだって事ですか?」
「ん? 勿論、ノアのも良い絵だ。丁寧で繊細で‥‥そうだな、とてもノアらしくて良いと思うぞ」
どちらが良いというのではなくて、どちらも良い‥‥寧ろ、個性があって見ていて楽しい。
真正面から褒められた二人は、少しだけ照れくさそうに互いを小突き合って‥‥笑い合った。
「アイカもだぜ? あんまり深く考えるコトは無ぇ、感じたままに作っていけばいいんだ」
作業を始めたものの、やはり手が止まりがちなアイカ。気づいていたミカはついでを装い声を掛けた。
「上手い絵なら他の誰かにも描けるだろうが‥‥お前の絵はお前以外の誰にも描けねぇ。上手く描けなくたって構わねぇんだ、俺達が見たいのはお前の‥‥お前『だけ』の絵なんだから、な」
「‥‥うん」
「家の娘達の中でも一番大人しい子でね‥‥って、フォース?」
そんなアイカを見守っていたクレアは、愛犬がいなくなっている事に気づいた。見ると、フォースはいつの間にか、アイカの足元でちょこんと座り込んで、そのつぶらな瞳でじっと見上げていた。
「‥‥かわいい」
アイカは、その口元を緩めると、
「先生、絵って景色じゃなくても良いのかな?」
ミカや追いついたクレアに問うた。
「勿論。好きなモンを好きなように描けば良いんだ」
「あらフォース、大役よ?」
先生達の答えに、アイカはようやくホッと息をついた。
「アイカ‥‥私も幼い頃は剣も魔法も‥‥もちろん馬を乗りこなす技術なんて持っていませんでした。父親が騎士で、そんな人になりたいって私は思い続けてここまできたんです」
拾った葉っぱで、犬を形作ろうとしているアイカ。ニルナはその横に腰を下ろすと、邪魔しないよう穏やかに言葉を紡いだ。
「ニルナ先生、も?」
美人で優しくて強くて何でも出来て‥‥そんなニルナの告白を、アイカは驚いて受け止めた。麗蘭といいニルナといい、「尊敬する先生達」の昔話は意外なもので。
「大人になれば、ニルナ先生みたいにすごい人になれる?」
祈るような、問い。ニルナは少しだけ笑って、首を振った。
「ただ年を重ねるだけでは、ダメですよ‥‥だけどね」
かつて自分が、父の大きな背中を追いかけたように。
「アイカも何か夢や目標ができれば、おのずと何かが生まれるかもしれません‥‥いえ、きっとできますよ」
「時間はあるわ、迷いながらも楽しんで考えなさい‥‥ゆっくり、ね」
ニルナのクレアの言葉。アイカは噛み締めるように、じっと自分の絵を見つめた。
(「誰もが何かの可能性を秘めている。それを正しい方向に導いてやること。それが、私達『先生』の役目‥‥」)
クレアはそんなアイカを静かに、見守っていた。
「あらあら、少し冷えてしまいましたか」
隣で黙々と絵を描いていたララティカの小さなクシャミ。綾香はそっと防寒服をかけてやった。
「日差しはありますが、木陰でじっとしていると冷えますし‥‥風邪などひかないよう、気をつけないと」
「はい、綾香せんせーありがとう」
頬をほんのり染めるララティカ、その手元の板には様々な葉っぱが張られている。赤や黄色やオレンジの競演。
「これはタキオンくんですね。後‥‥猫さん?」
小首を傾げるとララティカは嬉しそうに頷いた。
「綾香せんせーのは‥‥あっ、この景色?」
「はい。絵を描くのは好きですから」
「‥‥せんせー、すごく上手」
「ありがとう。ララティカちゃんの絵もとても素敵‥‥可愛らしいですよ」
褒められたララティカは、はにかんだ笑みを浮かべ、再び懸命に絵を描き始めた。その様子を優しく見つめる綾香。
「最近、子供達を見ていると、私自身が癒されている様に感じます。もう、年ですかね」
同じく子供達を見守りつつ、麗は小さく苦笑した。
「そんな事ないですよ。でも、子供達の笑顔を見ていると、こちらまで元気になりますね」
「それは確かに‥‥そうですね、空さんも膝の上にいるのではなく、子供達と遊んできたらどうですか」
麗の膝の上、ニャンコは「にゃ」と鳴いて、首をすくめてから再び麗の膝で丸くなった。
麗と綾香は顔を見合わせ‥‥鈴を鳴らすように笑い合った。
●秋ご飯
「はい。召し上がれ」
待ちに待ったお昼ともなれば、子供達の前に現れたのは、麗蘭特製のお弁当の数々だ。天然酵母を使ったパンと、軽いサラダにゆで卵。デザートには、林檎のタルト。
「楽しみじゃな」
言いながら、焚き火でハーブティーをいれようと用意する、マルト。木の実を集めていた時はともかく、作業に集中していた身体は冷えているだろう‥‥そう配慮して。
「寒いと思ったらちゃんと教えるのじゃぞ」
「防寒着を脱いだ子はちゃんと、着ておく事」
マルトとテュールに従い、それぞれ着たり脱いだり調節してから、いよいよ「いただきます」にと相成った。
「‥‥わ、美味しい!」
「これパン‥‥だよな?」
「何か不思議な感じ‥‥だけど、美味しいよ!」
麗蘭が作った、りんごから酵母を培養して作ったパン。時間と手間はかかっているが、苦労の甲斐はあって、風味豊かな‥‥独特の食感のパンに仕上がっている。
「満足です、我慢した甲斐がありますね」
「ニルナは質より量じゃないの?」
「うっ‥‥否定はしませんが、麗蘭さんの料理は本当に美味しいですよ」
クレアの突っ込みに必死に抗弁するニルナ。
「そうですね。作り方を今度、教えていただこうかしら?」
「意中の人に食べさせたいの? ‥‥あぁ、今回は残念ながら不参加だものね」
「リオンさんは忙しいですから‥‥って、何です?」
「いぃえ〜? 私は別にダレとは言わなかったんだけどぉ?」
からかわれ真っ赤になるクリス。そんな先生達に子供達も大いに笑い、美味しい料理に舌鼓を打った。
「ね、ジェイクくん。この料理、サナちゃんもお手伝いしたんだよね?」
「あぁ。麗蘭先生はすごい! って言いながら頑張ってたな」
やがて。もぐもぐと美味しそうにタルトを頬張りながら、ジェイクは囁いたテュールに小首を傾げた。
「そっか」
その仕草から「ジェイクが気づいていない」事を悟ったテュールは更に声を潜めつつ、言葉を重ねる。
「あのね、海の時に分かったんだけど、サナちゃんを褒めるならファッションよりも料理とか家事のほうがいいみたい」
「うん?」
「ってことで、しっかりほめるんだよ、ジェイクくん」
キョトンとしたジェイクは徐々にテュールのアドバイスの示す意味に気づき、
「‥‥うん!」
自分を鼓舞するように、頷いた。
「火の後始末は、きちんとしないといけませんね」
美味しいご飯の後、ニッコリする綾香に従い子供達も片付けを手伝い。
それから、作業中の子は続きをする為、終えた子はまた別の楽しみを見つける為、パタパタと散っていった。
●秋色物思い
「秋ですか‥‥芸術・食欲・読書‥‥どれも捨てがたいですよね。ノア君、絵を描き終えたなら、新しい本を一緒に読みませんか?」
「はいっ!」
マッパ・ムンディを示した大好きなニルナ先生に、ノアは勿論頷き。二人は真っ赤に色づいた木の根元に腰を下ろした。
「テュールお兄ちゃんどう? 中々ステキでしょ?」
「うん、すごく可愛く出来たね」
「ん〜、もうちょっとかかるかなぁ」
「チコ君は焦らないでいいから。一緒に最後まで頑張ろう?」
チコはラストスパート、と励ますテュールに頷き。
「料理、全部すげぇ美味かった!」
ちなみに、そのテュールに背中を押されたジェイクは丁度、勇気を振り絞ってサナを誘っていたりした。
「ありがと。でも、ほとんど全部、麗蘭先生が作ったのよ。わたしは勉強させてもらっただけ」
「いや! それでも大したモンだと思うぜ。その、サナが頑張ってるトコ俺‥‥感心してたし」
ジェイクの言葉に、サナは嬉しそうに微笑んだ。その微笑を、冷たい風がスッと撫でる。
「料理の事、もっともっと勉強して、もっともっと上手に作れるようになりたい‥‥」
「なれるさ、サナなら!」
その、あどけないとも言える、絶対の信頼。サナは僅かな逡巡の後、口を開いたが。
「ねぇ、ジェイク。わたし‥‥」
「ん?」
「‥‥ううん、何でもないわ」
二人の足元で、枯れ草がカサリと音を立てた。
「ふむふむ、あちらは中々いい雰囲気じゃないか」
一方。蒼威は誘ったケディンの肩に手をおくと、
「さ、お前を見て落ち込んでいるアイカをフォローする」
やにわにハッパをかけた。
「何でだ師匠?」
「本命だけでなくその周囲もフォローできてこそ、一人前だからだ」
まぁアイカは恋する女性の目というより単純に落ち込んでるだけっぽいが‥‥まっいっか。
「おっ、今レオナが行ったか‥‥それ終わったら、褒めて口説け。大丈夫、ケディンは才能がある‥‥お前、将来、複数の女泣かすな。うん9割がた確定事項だ」
断言され、ケディンが押し黙る。向ける眼差しは疑いに満ち。それでも、蒼威を尊敬している少年は頭から否定する事は出来ない。師匠だし人生の先輩だし。
「‥‥火遊びは楽しんで切り抜けろ」
表情を見て取った蒼威はだから、殊更重々しく言い含めた。
「まー年喰って虚しく寂しい人生過ごすより‥‥」
と、蒼威はふと話題を変えた。
「そういえばケディンは将来は何か考えてるか?」
「えっ‥‥?」
「あぁ、いや。別にお前が邪魔とかいう話じゃない、ここの誰もが皆の将来を案じている何か夢と目標を持て、て意味」
一瞬よぎった不安は、蒼威のフォローで直ぐに掻き消えた。
「木彫り人形、初めてのわりに中々だっただろ?」
「あぁ、うん。手先は器用だと思うんだ、まぁ当たり前だけど」
けれど、続けた言葉に表情は影を帯びる。
「生き延びる事に精一杯で‥‥だから、好きな事とかやりたい事とか言われても正直、困る」
ようやく平穏になれてきたばかりの、そういう意味では不器用な少年。
「だけどさ、ほら今まで俺、誰かから何か奪うだけだっただろ? 何かを作り出すのは結構楽しいなって。だけど‥‥だけど、それっていいのか?、って感じもする。こんな手で、何か‥‥生み出してもいいのかよ?、って」
じっと手を見る。今は、キレイな手。だけどそれで、今までやってきた事が、今までやってきた汚い事が、消えるわけじゃない。
「バ〜カ、そんな事言ったら俺だって‥‥まぁ冒険者なんて輩は多かれ少なかれ同じだよ」
蒼威はそんな少年の髪をわざと乱暴に、かき混ぜた。
「人を殺したのと同じ手で、何かを作り出す誰かを守る‥‥誰に許しを請う必要もないんじゃないか?」
でももしも、それでも、迷うならば。
「誰が許さなくたってこの俺が、許してやるよ」
蒼威はもう一度強く、不肖の弟子の頭を撫でた。
「何だよ‥‥ちぇっ、カッコいいよなぁ」
小さな肩を震わせてから、ケディンは空を見上げた。
「で、そんなカッコいい師匠はあるのかよ? 将来の夢ってやつ」
「あー俺は男爵で領地経営に没頭かな‥‥クビにされなきゃだが。実家や親元に帰るのは半ば諦め気味だし、まー親の面倒は兄が見るだろうが‥‥」
蒼威も同じように空を見上げた。隣の少年の光る目元、気づかぬフリをしてやるのが師匠ってモンだから。
「‥‥」
ずっと考えていた、ミカやニルナ達の言葉。出来上がった絵はやはり平凡で、面白みのないもののように思えるけど‥‥。
「‥‥ふぅ」
思わずついた溜め息、そこに不意に竪琴が差し出された。
「アイカ、楽器を弾いてみない? 大丈夫よ、私も一緒に弾いてあげるから」
「え‥‥でも‥‥」
アイカは躊躇する。だが、レオナの深い笑みに促されるように、ぎこちなくそれを受け取り。
「鳴らしてみて?」
レオナの授業で教わった動作を思い出しつつ、隣に腰を下ろしたレオナに導かれるまま指を動かす。
弾かれた音が、ピンと澄んだ空気を、震わせた。
「ほら、弾けば音は応えてくれる。出したいと願えば、出てくれる‥‥アイカ、楽器は弾き手を、自分だけを一心に見つめてくれるものなの」
レオナは懐かしく、ホンの少しだけ微笑み。
「私だって今はこうやって楽しく楽器を弾いてるけど、最初は生きる為に仕方なく始めた事だったりするのよ。最初は嫌でも‥‥何かをすれば何かができる、何かができれば楽しくなる。そういうものよ」
その眼差しでアイカを捉えた。
「今、楽器を弾くことが楽しいと思っているのなら、私がこれから教えてあげる。そうじゃなくても貴女が楽しいと思える事を見つけなさい。焦らなくていいから‥‥ね?」
勿論、無理やり押し付けるつもりはない。ただ、アイカが楽しいと思う事、好きだと思える事を見つける手助けをしたかった。
「楽器を弾く事、楽しい。料理をする事も、絵を描く事も‥‥だけど、どれが自分に合うのかなんて、決められないよ」
心をそのまま写すように、ぎこちないメロディの隙間。小さな呟きが零れ落ちる。
「選んだものが正しくないかも‥‥失敗するかも‥‥」
「正しくなくてもいい、失敗してもいいのよ。失敗しても、何度でもやり直せば良い‥‥生きてさえいれば、やり直せるんだから」
止まった音、レオナはアイカの手に自分の手を重ねた。一度手を握ってから、
「レオナ先生?」
「気が向いた時にでもいいわ。試しに挑戦してみなさい?」
レオナは竪琴を、その小さな腕に優しく押し付けた。
「竪琴の音が聞こえると思ったら‥‥」
そこに現れたのは、デジカメを構えたニルナやミカ、マルトだった。
「お前の音は優しいよな‥‥もう少し自信ありげに弾くともっとカッコいいが」
ミカは言ってから、傍らに置かれた絵に目を細めた。
「お前の絵も、そうだ」
確かにこじんまりとまとまっている。だが、小さな葉の先まで丁寧に貼られたそれは、描き出された犬の姿は、妙に温かみがある。ハッと目を引かれる絵では決してないが、見ているとじわじわ胸に温かいものが広がるようで。
「優しくて温かくて。お前の絵も俺は好きだ、大好きだ」
「‥‥俺も。アイカみたいな絵、俺はどう逆立ちしたって描けねぇよ」
ミカに同意したのは、ケディンだ。少し赤い目元で、照れたように笑う。後ろで蒼威が「それじゃ女は落ちない」とか何とかブツブツ言ってたりするが。
今のケディンには見えていない。それは、アイカにも。アイカに分かったのは、アイカが気づいたのはただ一つ。
「あ‥‥」
認めてくれる言葉。ありのままの自分を認めてくれる、優しい眼差し達。胸を満たす温かさ。アイカは言葉を失い。
「アイカや。皆で育てていた花壇、花によって育ち方が違っておったのを気づいておったかのぅ?」
そこにマルトは言葉を重ねた。マルトもまたずっと、元気がないアイカを案じていたから。
「あれと同じじゃ。人の花は、早く咲かせる事を競うものではないのじゃよ。どんな花を咲かせ、どんな実をならせるかが肝心なのじゃ」
その優しい手で、俯きそうになるアイカの頭を優しく、撫で。
「アイカは今、種をまく時期‥‥今のうちにたくさんのことを知って、色んな種を自分の心の中にまくんじゃよ。きっと、素敵な花が咲く‥‥婆は信じておるよ」
マルトは同じくらい優しい声で告げた。
「なにしろこの婆からして、冒険者として1人立ちしたのは人間で言う所の59歳の時じゃからのぅ」
最後に冗談めかして付け加えたマルトに、アイカの顔にようやく、笑みが戻った。未来が見えたわけじゃない、選べたわけじゃない。でも、それでもいいのだと‥‥遅くともゆっくりでも悩んでも、良いのだと。だから。
「いい顔です。では、皆を呼んできて下さい‥‥一緒に写真を撮りましょう」
デジカメを掲げるニルナに、アイカは「うん!」と頷きかけていく。秋の野を、軽やかに。
●秋の思い出
「やはり老体にはきついですね」
帰り道。苦笑まじりにぼやく麗とは対照的に、子供達は皆元気だった‥‥というか、遠ざかる紅葉に、興奮冷めやらぬといったところか。
「おばあちゃん、はい」
「婆にくれるのかのぅ?」
「うん」
秋を写し取ったかのように美しく色づいた葉、差し出されたマルトは満面の笑顔で受け取り。
「あとね、このあいだのおじちゃんとおばちゃんにもあげたいな、って」
「‥‥そうか。うむ、きっと喜ぶじゃろう」
ショーンの小さな身体を抱き寄せた。
「何の才能も無くったってな、生きてるコト・在るコトそれ自体に価値ってモンはあるんだ」
その中、ミカはアイカにそっと語りかけた。見上げた顔は昨日よりもずっと、いい顔をしていた。もう、大丈夫だ‥‥思いながら、自然と頬を緩め。
「何も無いからお前のコトが要らないって言う奴、この場には誰もいねぇだろ?」
応えて、アイカは頷いた。穏やかに、嬉しそうに微笑んで。
「さぁ皆、今夜は私が詩を聴かせてあげるわね」
だからクレアは、アイカの髪を優しく撫でると、子供達に笑みと共に告げた。
「こんな日がずっと続けばいいのに‥‥続きますよね‥‥きっと‥‥」
そうして、祈りを込めたニルナの呟きを、冷たい秋風がさらっていった。