●リプレイ本文
●涙の理由
「クリスせんせいは、パメラっていう人に会いに行ったんだよ!」
虹夢園を訪れたレオナ・ホワイト(ea0502)は、困惑と不安を抱えた子供達と対面した。いなくなったクリスティア‥‥クリス先生とリンナ、それをサナの口から知らされた時、ショーンが叫んだ。
「落ち着いてショーン、大丈夫よ。私達が何とかするから、知っている事を教えて頂戴?」
泣きじゃくるショーンに目線を合わせたレオナは、とにかく優しく声を掛けた。動揺するショーンを落ち着かせる‥‥それが引いては、子供達を落ち着かせる事に、そして、クリスとリンナの手がかりを得る事に繋がると判断したから。
「ショーン、大丈夫、大丈夫じゃよ。今まで婆が嘘をついたことがあったかね?」
同じく、混乱が他の子達にも移ることを懸念したマルト・ミシェ(ea7511)の、いつも通りの穏やかな声。
「焦らなくてもいい、一つずつ確実に思い出せばいいんだ」
励ましを込めたミカ・フレア(ea7095)の眼差し。
それらを受けたショーンは一度グッと強く唇を噛み締めると、掠れた声で‥‥それでも、懸命に話した。
「偉いわ‥‥よく話してくれたわね」
聞き終え、クレア・クリストファ(ea0941)はショーンを抱き寄せると、その頭を撫でた。褒めながら、濡れた頬を優しく拭う。
「誰もショーンくんを責めたりしないし悪い子だなんて思わないから泣かないで、ね?」
同じく、いたわりを込め優しく告げられるテュール・ヘインツ(ea1683)の言葉。ショーンはクレアの腕の中で、コクンと頷いた。
「ウィルの街の外、川沿いの廃屋、か」
「具体的に示さなかった以上、分かり易い場所‥‥なのでしょうね」
少なくとも、そう数はないはず、レオナの推測はミカのものと同じ。
「それに、クリス先生が心当たりがあって飛び出していったなら、クリス先生の行き先がリンナちゃんがいるところだよね」
「‥‥うむ。どうやらリンナを拉致‥‥連れて行ったのは、件のパメラさんとやら、で間違いないようじゃからのぅ」
テュールに頷くマルト。庭の植物にグリーンワードの魔法で聞いてみての、確信だ。
「知り合いらしいけど、何か訳ありなのかな?」
「何の心算か知りゃしねぇが、子供達にもクリスにも手出しはさせねぇ‥‥絶対にな!」
気遣わしげに考え込むテュール、対照的にミカは今にも飛び出していきそうだ。
「と、その前にみんな、クリス先生やリンナちゃんの今日の服装を教えて。ショーンくん、パメラっていう人の髪とか特徴・服装も分かる範囲で」
それを抑えたのは、テュールの冷静な質問。テュールとて勿論、直ぐに探しに行きたい。でも、そういった情報をちゃんと手に入れれば、迅速な捜索に繋がるから。
「少年、件の女性と別れた場所‥‥向った方向は分かるか?」
とここで、少し離れた位置からやり取りを見つめていたケヴィン・グレイヴ(ea8773)が口を開いた。
「う、うん‥‥はい。あのね‥‥」
ケヴィンに視線を向けられ、マルトが得たりと大体の位置を特定‥‥この辺りの地理には流石に、詳しい。
再び口を閉じ、仲間達のやり取りに耳を傾けるケヴィンの元に、一人の少女がトコトコと近づいてきた。
「お兄さん‥‥クリス先生とリンナ、見つけてくれる?」
可愛らしい顔をした少女は、何かを堪えるように唇を引き締め、ケヴィンを見上げた。
「大丈夫ですよ、ルリルー。ケヴィンさんはその為に、来てくれたのですから」
膝を折り、両肩を後ろから山本綾香(eb4191)に抱かれ、だが、ルリルーはじっとケヴィンを見つめていた。気の強そうな顔に、すがるような色を滲ませ。
「‥‥俺は俺の仕事をするだけだ」
ケヴィンはだが、短くそれだけを告げた。ただそれだけ、だが、それで十分だと。
「お願い、します。どうか‥‥」
綾香とルリルー双方に対し、ケヴィンは小さく顎を引いた。
「私も一緒に‥‥でも、子供達を放って置くわけにはいきませんね」
だから、行きたい気持ちを‥‥リンナを案じる気持ちを、綾香はケヴィン達に託した。
「二人は僕たちが見つけてくるから。綾香さんは、みんなをお願い‥‥みんなも大丈夫だから安心して待ってて」
「事は一刻を争う‥‥だから、ショーンも皆も、待っていておくれ」
そうして、テュールとマルトは子供達へほんわかした笑顔を一つ、残す。少しでも、その不安を軽くしてやりたい、と。
「フェンは虹夢園でお留守番してて。もし‥‥もしもクリス先生が戻ってきたり状況が変わったら、フェンを伝令に走らせて」
「はい、分かりました。テュールさん達も、お気をつけて」
テュールから愛犬フェンを、真剣な面持ちで受け取る綾香。
「二人とも必ず無傷で連れて戻るわ」
「はいっ! 他の子供達は私達に任せて、頼みますクレア‥‥皆さん‥‥!」
飛び出していくクレアやテュール、その背をニルナ・ヒュッケバイン(ea0907)もまた子供達と共に見送った。願いと、信頼とを込めた眼差しで。
●焦りの足跡
「ここが起点、だな」
クリスとパメラが出会い、別れた場所。立ち、ケヴィンはじっとマルトを見つめた。
「ふむ。ショーンの話だと、パメラなる人物はあちらに立ち去ったようじゃな」
「川沿い、ウィルの外‥‥方向は合っていますね」
淋麗(ea7509)は表情を引き締めると、確認した。
「‥‥少し前確かに、クリスはここを通ったらしい」
こちらは更に必死な面持ちの、リオン・ラーディナス(ea1458)。この辺りでは虹夢園、引いてはそこのクリス先生は結構有名だ。そのクリス先生が、ただならぬ様子で走り抜けていったのだ、目立つ。チラと聞き込んだだけでもその行方は容易く知れた。
「とはいえ、ここから離れるに従い、足跡を追うは難しくなろうな」
「‥‥分かってる」
マルトの指摘、リオンは唇を噛み締め。
「足跡を辿るのは俺の仕事だ」
「うむ。魔法は任せておくのじゃ」
そんなリオンを、ケヴィンは淡々とマルトは頼もしげに力づけ。
「私は上から探します。何か分かったら直ぐ知らせますから」
言って、麗はミミクリーの魔法で鳥へと華麗に変身を遂げた。危険もともなうが、見張り等がいた場合、こちらの方が良いだろうと考え。
「同じく。逐次連絡はするからな」
同時に、シフールであるミカも、その羽を羽ばたかせた。
「もう誰も、死なせない。大事な人さえ護れなかったら、オレの価値がなくなる」
そして、リオンもまた駆けながら、大切な人を探しながら、確固たる決意を込めて呟いた。
クリスは急いでいた。とはいえ、元々体力のある方ではない。しかも、こちらも途中で目的地‥‥川沿いに廃屋があるかどうか、尋ねながら進んだらしい。
マルトとテュールは時にサンワードの魔法を使いつつ、ケヴィンやリオン、クレアは聞き込み等を行いつつ、その足跡を追った。
「この先、です」
「いかにもらしい、さびれた建物があるぜ」
やがて、舞い降りたる翼がもたらした、光明。
「当たり、だな。どう見ても放棄された家だが、地面に新しい足跡がある」
やがて件の廃屋の近く、身を潜める一同に、地面を調べていたケヴィンが告げた。
「見張りはいないようだな」
更に先行しつつの確認を受け、魔法の使い手達はそれぞれ意識を集中させる。
「いるよ‥‥中に人。クリス先生とパメラって人ともう一人‥‥リンナもいる、隅っこに‥‥動かないけど」
エックスレイビジョンを使ったテュールの声に、緊張が走る。
「大丈夫よ、ちゃんと生命力を感じる‥‥生きてるわ」
「呼吸も浅いが規則的じゃ‥‥気を失っているだけのようじゃ」
けれど、続けられたクレアとマルトの言葉に知らず、安堵の息がもれた。デティクトライフフォースとブレスセンサーは、小さな息吹と生命力を確かに告げていたから。
「男はお金で雇われた者、でしょうね。誘拐とか復讐とか聞いてない、と内心ぼやいてます‥‥勿論、危険でないとは言えません」
こちらはリードシンキングを使った麗の言葉。小者だけに、状況によっては何をしでかすか分からない。しかし、麗の気がかりはもう一人の女だ。
「パメラさんは‥‥正直、よく分かりません。予想外に‥‥そんなに強い憎しみや怒りは感じないのですが」
「でも、いつ状況が動くか分からない」
「迅速に行動するべきだな」
「僕はここで待機してる。万が一逃がしても、食い止めるから」
張り詰めているだろう、中。リオンとケヴィンは、テュールに外を任せ、そろそろと静かに移動する。
「正直、隠密には自信ないんだけど‥‥足引っ張らないようにするさ」
ケヴィンに小さく肩をすくめるリオン。可能な限り、足音を忍ばせる。助けたい人がそこにいるから。大切な人がそこで苦しんでいる、から。
「生きている限り、時に残酷な選択をせねばならぬ時もあるだろう。それがどの様な結果になろうともな」
突入のタイミングを図りながら、ケヴィンは誰にともなく、呟いた。
●信じる勇気
「正直不安ですけど‥‥私たちが不安な顔をしていては、子供たちが落ち着きません」
「その通りだな。ま、こっちもこっちで出来る事をやるだけさ」
胸に圧し掛かる不安を振り払うように、フルフルと頭を振る綾香に、時雨蒼威(eb4097)は言い‥‥ジェイクやサナの年長組を手招いた。
「クリスとリンナが厄介な事になった‥‥が、他の先生が助けに行ったから問題無い」
緊張の面持ちでパタパタ駆けて来たジェイク達に、蒼威はズバリ告げた。
(「この子らも成長してる。ただ隠すより信頼して何かを任せた方が良い」)
そんな冷静な判断の上で。果たして、ジェイク達は事実を知らされても恐慌状態に陥る事はなかった。ただ、表情は強張ったまま。
「でも‥‥」
「ああ。でも百戦錬磨の戦士、特にフラレーがその最たる者だったりする‥‥愛の力で死んでも何とかするだろ」
けれど、蒼威がニヤリと笑ってみせると、その表情はキョトンとしたものに変わり‥‥ついでその口元に小さな笑みが浮かんだ。
「そう、だよな‥‥うん、愛の力は偉大だもんな」
「そういう事。で、だ。彼らの留守中に迷惑をかけないよう、他の子の面倒を見てやってくれ。それと、怪しい人を見かけたらすぐ伝えるよーに」
出来るな?、問われジェイクとサナは今度こそ確りと頷いた。
「リデア、真の狙いは貴方やエヴァンス子爵という事もありえる。念の為、最近の子爵の周りでトラブルは?」
「ありませんわ‥‥少なくとも、表立っては」
「成る程。では、やはりそちら絡みの可能性は低いか」
蒼威に、やはり駆けつけたリデア・エヴァンスは難しい顔になった。
「クリスは、大丈夫でしょうか‥‥?」
「大丈夫さ。それより、万が一もある。リデアも単独行動は控えてくれ」
「分かりました」
「ほらほら、またそんな顔して。不安がらず、こういう時こそ胸を張れ、リデア先生?」
「‥‥そうですね」
ポン、背中を叩かれたリデアは、気持ちを切り替えるように、広げられた本達の方に向かった。
「今日も本をいっぱい持ってきたんです、先生達が帰ってくるまで読みませんか?」
たくさんの本を開いていたのは、ニルナ。より不安だろう年下の子供達を、相手に。
「私もセトタ語勉強して、読み書きできるようになりましたし、ノア君の本も本格的に読んでみたいんですよね」
「あっ、はい‥‥」
ニッコリ、と笑まれノアが慌てて頷く。けれど、その顔はやはり、どこか憂いを帯びて。
「ニルナ先生は‥‥不安じゃないんですか?」
ふと、ノアが小さく小さく呟いた。躊躇うように、心細げに。
今までも、こんな風に不安になった事は何度もあった。だけど、今回は今までと違う事が一つ。いつも笑顔で。ノア達がここにきた時から笑顔で迎えてくれたクリスが、いない。あんな怖い、厳しい顔をしていなくなってしまった。それがとても不安で‥‥怖くて。
そんなノアの気持ちを勿論、ニルナは察していた。だから、本に掛けられた手をキュッと握った。
「こういうときだから‥‥こういうときだからこそ笑顔でいなくちゃいけないんですよ」
視線で指し示す、幼いショーンやネロ。自分が、自分達が不安な顔をしていたら、子供達はもっと不安になってしまうから。
だから、今はただ精一杯の笑顔で。
「やっぱりニルナ先生は、すごいです。今もとても‥‥キレイです」
見惚れ、ノアは顔を赤くして‥‥ぎこちなくも、今の精一杯の笑みを浮かべた。
「心配しないで。クレア先生達が探しに行ってくれたのよ、すぐに見つかるわ」
そんな様子にレオナもクスリと笑むと、竪琴を爪弾いた。
「アイカ、そろそろ本格的に練習してみましょうか」
「はい。わたしにも出来る事が、あるなら‥‥」
皆の動揺を少しでも収められるように‥‥穏やかな曲を選んで。
チラと向ける視線、片隅でわんこ達に埋まっているネロに、その傷ついた心にも届くように。
「ふふっ、動物さんはやはり可愛いですね」
「うん。何か和んじゃうよね」
「そうだな」
蒼威の愛犬・奏とクレアの愛犬フォース、そして、フェン‥‥そのもふっとした温かな毛を撫でていたチコとケディンは、綾香に覗き込まれそれぞれ小さく笑みを返した。
しかし、もふもふ地獄に落とされながら、ケディン達と違いやはり気もそぞろなのは、ネロ。その小さな身体は、今にも飛び出して行きたい衝動を、必死に抑えているよう。
見て取り、蒼威は静かに話しかけた。
「知ってるか? 天界人の多くは物騒な土地に召還され野垂れ死んでる話」
こちらを見上げたビックリ顔にシニカルな笑みを返し、
「救世主て呼ばれようが世の中そんなもの。少年が妹を助けに飛び出し大活躍‥‥何て現実には無い」
言い切った蒼威をネロは暫くじっと見つめていた。
「‥‥何で僕、こんなに非力なんだろ」
やがて、力なく俯いた顔。零れた声は力なく悔しげで。
「自分を押さえ耐える事、信じる事も闘いの一つと学べ」
蒼威はただ、小刻みに震える肩をそっと叩いた。理不尽な事、不条理な事を理解するのも必要な事なのだ。
「ただその悔しさを忘れなければいい‥‥そうすれば、いつか。今度こそ守れるかもしれないだろ」
と、その耳に届く優しい優しいメロディ。レオナとアイカの奏でる、心を癒し落ち着ける旋律。
「風に流れ、大地に抱かれ、笑え愛しき子等よ――‥‥リンナはきっと大丈夫よ」
思わず顔を上げたネロの瞳に映る、優しい笑み。レオナは同じ笑みをララティカ達に向け、促した。歌を歌いましょう、と。
「帰ってきたリンナと先生達に聴かせて上げましょうね」
少しでも気を紛らわせる事が出来ればと願うレオナ。察したのかサナが、そして、ララティカとルリルーが頷き竪琴の音色に声を合わせた。
「誰も傷ついて欲しくないのにね‥‥難しいものだわ」
それでも、どうしても歌声に滲む、不安。感じながら、レオナは胸中で思わずにはいられなかった。
●虚ろな刃
「‥‥リンナが傷つくことだけは避けねば」
突入の合図は、マルトの呪文‥‥ウォールホールの魔法だった。
「窓はともかく壁から来るとは思うまい」
ぼこっ、壁に開いた穴から、麗が飛び込む。突然の事に、呆然とする男とパメラ、ついでにクリス‥‥を前に、麗は丸腰である事を示すように、両手を広げてみせた。勿論、後続の本命から意識を逸らすため。
「どんな理由があろうとも、第三者を巻き込むのはやめてください」
説得しつつ、麗は寂れた小屋の内部にざっと視線を走らせた。事前情報通りの位置に居る、リンナ。ぐったりしているが、おそらく命に別状はないだろう‥‥とにかくそれだけを確認し、先ずはホッと胸を撫で下ろす。
そんな麗をよそに、我に返った男が取ろうとしたのは、古典的且つ一番効果がありそうな手段‥‥即ち、人質だった。
気を失ったままのリンナへと手を伸ばしかけ‥‥だが、その手は不意に止まった。正確には、止められた。
「俺はこれでも魔法使いでね‥‥てめぇ一人灰にするくらいは造作も無ぇぜ?」
小さな身体に不似合いな、不敵な笑みを浮かべたミカによって。発せられる、迫力と怒りとによって。
いつから?、先ほどから。ミカは皆の突入に合わせて、窓から飛行、リンナの護りについていたのだ。
「‥‥」
更に、そのリンナの姿は既に、そこにはなかった。抱きかかえたケヴィンによって、確保されているのだから。
「‥‥ぐっ!?」
多勢に無勢、そもそも忠誠心や使命感など欠片もない男である。引くか突破口を開くか、迷いを見透かしたように、その動きが不意に、緩慢になる。マルトの、アグラベイションの魔法だ。
「やれやれ。年寄りにあまり無理をさせるでない」
ふぅ、マルトはわざとらしく溜め息をついた。
「‥‥クリス、借りはワインね」
一方、パメラが動く前に、クリスとの間に割って入ったのは、クレアだ。ちらりとクリスを見、悪戯っぽく告げる。
「クリス、大丈夫? 怪我とか、どこかに無い!?」
そのクリスの元には、リオン。必死で声を掛けてくるその姿、自分を案じてくれる真剣な光に、クリスは胸を震わせた。こんな時なのに、とても‥‥嬉しくて。
ホッとした拍子に、張り詰めていた緊張の糸が切れた。ガクリ、と落ちかける膝。
「えっ!? どっか怪我してるの?!」
「違います‥‥その、リオンさんの顔を見たら安心して‥‥気が抜けてしまって‥‥」
慌てたリオンは、潤んだ瞳で言われ少しだけ狼狽してから、
「良かった、本当に‥‥もう大丈夫、だから」
その華奢な身体をしっかりと支えた。
「‥‥どうして」
そんなクリスに、パメラがゆらりと動いた。右手に握られた、小ぶりのナイフ。威嚇するクレアが目に入っていない様に、一歩踏み出す。
「私はこんなに苦しいのに、どうしてあなたはそんな‥‥そんな風に幸せそうなの? そんなの、ズルいじゃない」
振り上げられる、刃。周囲の状況など、圧倒的な不利など、まるで見えていないかのように‥‥否!
「パメラさん、お止めなさいっ!」
麗の一喝と共に、黒い光が飛んだ。高速詠唱で唱えたデストロイの魔法が、バメラが持つ小ぶりのナイフを破壊した。砕けた欠片が薄く、パメラの頬を切る。
リオンは咄嗟に、クリスの上に覆いかぶさるようにして、その身体を護る。何も誰も‥‥僅かたりとも傷つけさせない、と。
同時に、素早く動いたクレアが呆気なく、拍子抜けするほど呆気なく、パメラを拘束する。初めて、ごく間近で見た、その瞳。空っぽな‥‥虚ろなそれ。
「パメラさん、貴女は‥‥」
やがて、取り押さえられたパメラに麗の哀しそうな声が、落ちる。
「貴女はクリスさんを傷つけるつもりはなかった‥‥貴女の望みは死ぬ事だった‥‥クリスさんか、クリスさんを大切に思う人に殺してもらう事だったのですね」
聞いたクリスはリオンの腕の中、大きく目を見開き。パメラは小さく息を呑んでから、ガックリと肩を落とした。
「とにかく、貴女には色々と聞かなくちゃ、ね」
「おぬしは‥‥これに懲りたら二度と、悪事に手を染めるでないぞ」
そうして、一同は虹夢園に、子供達が待つあの場所へと帰った。
●もう一度ここから
「おかえりなさい、待っていたわよ」
虹夢園で皆を迎えたレオナは、リンナとクリスの無事な姿を目にすると、瞳を潤ませ。ケヴィン越しにリンナを思わずぎゅうっ、と抱きしめた。
「ん‥‥レオナ、せんせぇ?」
ようやく意識を取り戻したらしいリンナの、不思議そうな顔に、声が震えた。
「心配したんだからね‥‥本当に」
「おかえりなさい‥‥皆、待ってましたよ」
ニルナもまた短い言葉に安堵を込めると、ケヴィンからリンナを受け取り抱き上げた。
「リンナ、おかえりなさい‥‥ゆっくりさせてあげないといけませんね」
チラリとクレアと、連れられて来たパメラを確認し、ニルナはその存在を子供たちに気づかせぬよう、リンナをそっと運んだ。
「リンナリンナ、リンナぁぁぁぁぁぁっ!?」
「こらネロ、男の子がそんなグジグジ泣くんじゃねぇ」
「ていうけど、ジェイクだって結構キてるんじゃないの?」
そんなクレアとパメラを窺い見てから、レオナは喜び合う子供たちに囁いた。
「皆、協力して。優しさを伝えて欲しい人がいるのよ」
「‥‥」
きゃらきゃらと、喜びに笑いざわめきながら、レオナの後を付いて行く子供達。その中の一人、ルリルーがこちらにニコニコと手を振っている‥‥手招いているのかもしれない。
だが、それを確認して、ケヴィンは静かに背を向けた。事件が終わった以上、自分が関わるのはここまでだと‥‥そこは俺の居場所では無いのだから、と。知らず、頬に微かな笑みを浮かべ、ケヴィンはその場を立ち去ったのだった。
「まっ、とりあえず事情を聞かせてもらおうか」
教室でない部屋。ミカに問われ、クリスは重い口を開いた。友達だった事、その結婚式での事故の事、そして、パメラの最愛の人を助けられなかった事を。
「私の選択は間違っていたのでしょうか?」
「私はそうは思いませんが‥‥それに、その答えはもう、クリスさんの中では出ているのではありませんか?」
微笑と共に告げた麗に、クリスは「でも‥‥」と迷う瞳で続けた。
「今回の事は私のせいで‥‥私のせいでリンナちゃんが危険な目に遭ってしまって‥‥そもそも、私のせいでパメラは‥‥」
落ち込むクリス、つい浮かびそうになる苦笑を、麗は懸命に堪えた。代わりに、精々厳かな口調で、諭す。
「私も人の事は言えませんが、私から見れば、貴方もまだまだ子供なんですから十分やり直しがききます。落ち込むくらいなら、もっと子供達のことを考えた方が、ずっと有意義であると思えませんか」
最後に一つ、慈愛に満ちた笑みを向けてやる。じっと、噛み締めるように心に刻むように、耳を傾けている同僚に。
と、そんなクリスの鼻腔を清々しい香りがくすぐった。蒼威が掛けた、香水の香りだ。
「血の匂いはしないか‥‥ヘタレーが上手くやったってトコか。まぁ埃消しってトコだな」
蒼威は人の悪い笑みを浮かべてから、不意にその目に真摯な光を宿し、告げた。
「貴方の過去に興味は無い‥‥『今』を知っていれば充分だ」
「‥‥はい、はいっ!」
過去ではなく、今を‥‥そして、これからを。クリスは蒼威と麗にペコリと大きく頭を下げ。
「行こうぜ、パメラのトコ‥‥行きたいんだろ?」
「はい」
ミカに応える顔にはもう、迷いの色はなかった。
「貴女‥‥昔の私ね」
一方。燃え尽きたようなパメラを見下ろし、クレアは静かな‥‥静か過ぎる微笑みを浮かべた。
「全て痛い程よく判る‥‥似ているから、その憎しみが。知っているから、その絶望を」
パメラは反応しない。だけど、クレアには分かる。そう、知っているから。
「でも、間違っている。判っているはず‥‥クリスの判断は正しかった」
分かる。パメラの身体がピクリと震えたのが。
「でも愛故に苦しみ、憎悪の矛先を向けた。そうしなければ、壊れてしまいそうだった」
声は届いている。だって、パメラは壊れていない‥‥壊れない為に、自分を壊さない為に、クリスを憎もうとしたのだから。
「でも本当は‥‥クリスに傍に居て欲しかったのでしょう? 彼女も貴女も‥‥皆、辛かったのよ」
カラリ、音もなく扉が開き、ミカ達が入ってきた。
「お前の痛み悲しみは正直分からねぇが、これだけは言える。だからってこいつに同じ痛み苦しみを与えていい理由にはならねぇ、とな」
「ごめんなさい、パメラ。私はあの時、貴女の傍を離れる事が貴女の為だと思って‥‥勘違いして。間違ってました、私‥‥私は貴女の傍に居続けるべきでした。貴女の傍にいたい、自分の気持ちを偽らないべきでした」
パメラの瞳は虚ろなまま。でも、クレアには分かる。そこに込み上げてくるモノ。人前で自分が決して見せぬ、見せられぬ、その気配。
「聴きなさい、あの歌声を‥‥取り戻しなさい、貴女に残された最後の光!」
だから、その旋律を聞き取ったクレアは、告げた。強く強く、願いを込めて。それを手放せば‥‥今度こそ戻れないのだ。己の幸せを放棄し、宿命と復讐の狭間で生きるだろう‥‥そう、自分のように。
パメラはまだ踏みとどまれる、今ならまだ‥‥クリスに声無き救いを求めてきた今なら、戻れるから!
その言葉に、込められた真摯な祈りに、そして、聞こえてきたメロディに、パメラは震えた。
「どうか、悲しむ人達が心から救われますように」
レオナのそんな祈りが込められた、優しくて落ち着いた曲。それは、愛しい人達に想いを届ける為の‥‥幸せを願う為の曲だ。
そのメロディに、練習の成果を見せようと、子供達の素直な喜びの歌声が乗る、重なる。
幸せな歌。懐かしい、あの頃の気持ちを思い起こさせる。
心を掘り起こし、揺り動かす‥‥流しつくした筈の水源を刺激する。それは込み上げ、堰を切り流れ出す。苦しみを優しく慰撫するように、悲しみを優しく和らげるように。
「同じ神の力を使うものとして、苦渋の選択を強いられることもあるでしょう」
ニルナは涙を流すパメラにそっと、語りかけた。
「でも私はそれでも自分が信じた選択は間違っていなかったと胸を張って言いたい、思いたいんです。問題はその後どうするかです‥‥」
優しさよりも、励ますように勇気付けるように。
「パメラさん、復讐は何も進めませんし‥‥ましてや、命を粗末に扱っては、貴女が愛した、貴女を愛した人も喜びません」
麗は教え諭すように。多分、本人ももう分かっているだろう事を、それでも、口に乗せる。
「クリスさん、分かっていますね? 償いでも何も進めませんよ」
同時に、反射的に俯きかけたクリスにも、釘を刺す。もう心を決めたのでしょう?、と。
「前へ進むのに必要なことは強い意志と希望です。二人で一度ちゃんと話し合って、将来をもう一度考え直してみてはどうですか」
そして、麗は二人に向けて、ニッコリと可憐な笑みを向けた。
「私としてはここで、一緒に‥‥ここからもう一度始める事をお勧めしますけれど」
「うん、俺も。パメラとクリス‥‥色々な柵はあるだろうけど、俺としては、仲の良い二人に戻って欲しい」
「パメラ、私も‥‥私もまた貴女と一緒にいたい。一緒に、生きたい‥‥貴女に、生きていて欲しい」
そして、そうして、パメラは‥‥俯きつつ小さく小さく本当に小さく、頷いた。
「願おう‥‥再び繋がれる絆の鎖が、今度こそ断たれぬ強固な物である事を‥‥!」
認め、クレアは心の中で祈った。祈らずには、いられなかった。
「皆も飲むのじゃ」
ちゃんと良い子で待っていた子供達にも美味しいお茶を振舞っていたマルトはふと、小さな‥‥寂しげな微笑を浮かべた。
「おばあちゃん‥‥?」
「うむ。実はの、今月末で‥‥先生としては来られなくなってしまうのじゃ」
「えっ?」
「本当に?」
「おばあちゃん、どこか行っちゃうの?」
服の裾を小さな手達にギュッと掴まれ、マルトはやんわりと首を振り。
「なに、住んでいる所は変わらんよ。遊びにおいで。婆はウィルにおるからのぅ。皆、‥‥立派な大人になっておくれ」
いつものように、優しい手で子供達の頭を撫でた。
「りっぱな、おとな」
「あのね、ショーンくん」
テュールは思いがけず真剣に考え込むショーンに、話しかけた。ショーンの話は聞いている。引き取られるか、ここに留まるか‥‥どちらかを勧めるなんて事は出来ない、けれど。
それでも、或いはだからこそ、伝えてやりたい事があった。
「どっちを選んでも、だれもショーンくんのことを嫌いになったりなんてしないから‥‥自由に選んでいいんだよ」
「‥‥うん」
テュールの思いを受け止め、ショーンは確りと頷いた。
「あのさ、クリス」
「はい?」
「良かったな、色々」
「はい」
少し赤い‥‥だが、今度は哀しみの跡でないそれに、リオンは微笑み。ちょっとだけ迷って、口を開いた。
「でも、もしその事件が無かったら‥‥クリスはここに来なかったかもしれない。会えなかったかもしれないんだ。そう考えると、さ」
「‥‥ぁ」
吐息をもらす、クリス。もしそうだったら、目の前のこの人にも逢えなかったのだ、その事実に初めて思い至り。
変わっていく。人も、その関係も。時にそれは哀しい結果をもたらすけれど。決してそれだけではないから。
だから、クリスはリオンの肩にそっと、もたれかかった。そのまま二人、束の間夜空を見上げて。
「‥‥そこは抱きしめて、キスの一つも贈るトコだろーが」
「まぁリオンじゃからの」
「‥‥コメントはしないが」
その後姿を見つめる者達がいるのは、お約束。
それでも、今夜はきっと。虹夢園の子供達・先生達はきっと、良い夢が見られるだろう。