●リプレイ本文
●前奏曲〜プレリュード〜
「お礼で音楽会か、絶対成功させてやりたいな!」
「ああ。子供達から何かしたいってんなら、それを全力でバックアップするのが俺達の仕事、ってな」
桜桃真治(eb4072)に同意し、ミカ・フレア(ea7095)はクレア・クリストファ(ea0941)と挨拶を交わす子供達へと視線を向けた。
「その為にも、憂いはできるだけ取り除いてやらねぇと、な」
「クレア先生、こんにちは」
「貴方達、今日も元気ね」
クレアはいつものように、一人一人に視線を合わせ、笑いかけていた。その中の一人。ララティカが自分の視線から逃れるように目を伏せた事に、胸が痛む。
「皆で素敵な歌を歌いましょうね」
だから、指先でそっとララティカの髪を撫でると、アイカに声を掛けた。
「ララティカの様子、どうなの?」
「元気ないの。視線合わなくて、それを悪いって困ってる感じなの」
「でも、大丈夫だから」
クレアは言った。一瞬だけ自分を見上げてきたララティカの、途方に暮れた揺れる瞳を思い出しながら。
「皆さんにお礼をするために自主的に行動するとは、嬉しいことです」
「皆、その感謝の気持ち、大人になっても忘れないでいておくれ」
そのララティカや子供達を、淋麗(ea7509)とマルト・ミシェ(ea7511)は褒めていた。
「お礼の場としてでなく、新しい出会いの場として、もっと多くの子達とお友達の輪が増えて行くと良いですね‥‥」
けれど、カレン・ロスト(ea4358)の前向きな言葉にクリスは、曖昧な笑みを浮かべただけで。
「‥‥ひゃあっ!?」
「クリスさんが心労で倒れたらそれこそ、子供達が泣いちゃうぞ」
その脇の下をくすぐった、リオン・ラーディナス(ea1458)。
「オレらも頑張るから、あまり気負いすぎないでね」
「そうじゃな。ララティカの事、気に病むでないよ」
気づいたマルトもまた、助言を与えた。
「心の迷路は途中誰かの手を借りても、最後は自分一人で出口まで行かねばならん。クリスさん達には、その出口で待っていてあげてほしいんじゃ」
苦しむ子供に、必要な分だけ手を貸してあげ、後は見守る‥‥それはとても難しい事。それでも、一番身近だからこそ心得て欲しいと、マルトは思うから。
「確かに世の中には信じられぬ人もいる。でも、私達は生徒に信じられてこその先生だもの‥‥頑張りましょう」
マルトのレオナ・ホワイト(ea0502)の励ましを噛み締め、ようやく息をついたクリスに安堵するリオン。
「だけど、きっかけ‥‥少しは手助けが必要だよな、ララティカにも」
そんな思いを抱きながら。
「来てくれた人たちをもてなす為の、ハーブ茶と果物を手に入れねばのぅ。桜桃さん、ショーンとパールを連れて店に出かけようか」
一方、クリスが落ち着いたのを見て取り、マルトは買出しに出掛ける事にした。
「マルトさんと桜桃さん、買出しに行くんだよね?」
そんな買出し組を呼び止めたのは、テュール・ヘインツ(ea1683)だった。
「あのさ、ハーブティーだけど、モーブなんてどうかな? ノドに良いからピッタリでしょ」
「確かに、の。探してみるとしよう」
テュールに応え、四人は市場に向かった。
「パール、元気になってよかったな」
真治が抱き上げると、すっかり元気になったパールが笑った。先日の、ぐったりした様子が印象強いだけに、それだけで胸がいっぱいになってしまう真治。
「虹夢園の新しい先生じゃ」
「よろしく!」
「で、虹夢園での‥‥」
和やかな買い物の途中でも、宣伝を試みるマルト。
「おうた、うたうの。だから‥‥」
たどたどしくも必死に言葉を紡ぐショーンを前面に押し出しつつ。
(「頑張れ、お兄ちゃん」)
一度、ショーンの瞳が助けを求め、マルトを仰ぎ見る。が、マルトは眼差しで励まし口は噤んだだけ。ショーンはその先を続けようと、再び言葉を紡ぐ。
「だから、きて‥‥ください」
そして、やり遂げる。ささやかで、大きな成長の足跡。
「子供達がお礼、したいそうだ」
「そっか、じゃあおばちゃんもいっちょ、聞かせてもらいに行こうかな」
手にした熟れた果実に負けないくらいの頬で、ショーンは恥ずかしそうに嬉しそうに、笑った。
「で、後は布か」
買出しの最後、飾りつけの布を求めた真治達はそこで、リデアと遭遇した。
「買出しですか‥‥てか、布ですか、布ですね? では是非持っていって下さい!」
リデアは真治の腕にドサッと色とりどりの布を乗せた。
「じゃあ、御代‥‥」
「そんな!? 良いんですよ、桜桃先生。これは虹夢園の為なんですよね? なら御代なんてとれません」
「でも、そういうわけには‥‥」
「そぉですか? なら、御代の代わりに市場調査お願いします! 色と素材、どれが皆さんの興味を引くのか、さり気なく観察して教えて下さい」
言われて手元を見てみると、どれもあまり一般的ではないような色や手触りだ。
「見本品? あ、メッシュ素材」
「丁度良かったですね、リデア様。夏素材の一押し、どれにするかサンプルになりますよ」
「ええ。やはりお客様のニーズは大切にしなくては、ですわ」
「まぁ、元気で何よりじゃ」
「あい!」
苦笑するマルトに、パールが元気良く応えた。
●練習曲〜エチュード〜
「先ずは声を揃える事‥‥音程を合わせる事を覚えましょう」
レオナは早速、指導に入った。授業で使う楽器を用い、正しい音を覚えさせていく。
これは日ごろの指導の賜物か、結構ちゃんと出来ている事に安心する。ただ、やはり声が出せないララティカが気になったが。
「ゆっくりで良いの、焦らないで。貴女だけの声を聞かせて頂戴?」
急かさないよう、気遣いながら旋律で促すが‥‥ララティカは悲しげに首を振るだけ。
(「歌いたいのに歌えないのね‥‥無理強いは酷かしら。少なくとも、今は」)
だから、レオナは代わりとばかりに告げた。
「なら、声を出さなくても良いわ。皆の様子や、ハーモニーが作れているか、一緒に聞いていてくれる?」
躊躇いながらでも頷いてくれた、それだけで今は満足して、他の子供達を次のステップに進めるレオナ。
「じゃあ、歌ってみましょう。声を揃える事、意識してね?」
奏でるは、簡単な曲。子供達に声を揃わせる事が、他人の声を聞いてハーモニーを作り出す楽しさを教える事が目的だ。
「そう‥‥良い感じ。これを忘れないで」
そうして、最後にして最大の難関に挑む。
「皆で歌を作りましょう。で、テーマを出したいの」
提案したのは、詩の先生であるクレアだ。
「女の子達には『優しさ』。男の子達には『勇気』。‥‥そして、全員には『家族』」
協力し合い、無垢な子供の心で歌を紡いで欲しい。その中で、ララティカの心の扉が少しでも開くならば‥‥密やかな願いを込めて。
「皆で協力して創るのよ。貴方達なら、良い歌を創れるわ」
自信なさそうな子供達を、クレアは励ました。ララティカに筆談用の羊皮紙を渡し。
そして、後をレオナに任せてクレアが出掛けた後、子供達は話し合い、詩を作っていった。
「この方がカッコいいだろ?」
「それはさすがにちょっと‥‥」
「こんなメロディはどうかしら?」
レオナはそれを適宜、メロディに乗せていく。
「成る程、じゃあこの音階なら歌える?」
同時に、それらを子供達の歌いやすいように整えていく。口で言うほど容易くないそれは、だが、楽しいものだった。
皆で作り上げていく、皆でより良きモノに名なるよう考えていく‥‥喜び。
その中で、レオナは気づいた。ララティカがうずうずそわそわ、している事。
それはレオナも覚えがある。自分の中で鳴る音を外に出したい、歌いたい欲求があふれ出す寸前の。
「ララティカ、貴女の声は綺麗で柔らかくて‥‥私は大好きよ。もっと聞きたいと思わせてくれる、素敵な声よ」
だから、レオナはそう、正直な気持ちを伝えた。
「大丈夫、先生を信じなさい。私は貴女達に心から信じられる先生になりたいんだから、嘘なんて言わないわよ?」
揺れる瞳に、力強く笑むレオナが映えていた。
●行進曲〜マーチ〜
「以前はご協力頂きありがとうございました。お礼も兼ねて、またもや一席用意していますので、宜しければ」
「虹夢園の子供達が皆様に感謝の気持ちを込めて、お茶会と合唱を行います。是非ともお礼をさせてください」
リオンと麗は、ニルナ・ヒュッケバイン(ea0907)やジェイク、ノアと連れ立ちご近所を回っていた。
礼儀正しく誘うリオンと、すかさず招待状を差し出す麗に続き、ジェイクも「よろしく」とペコリ頭を下げる。
「あの、この間はすみませんでした」
「そういう時は『ありがとう』ですよ、ノア君」
「‥‥この間はありがとうございました」
ニルナに優しく訂正されたノアは、ちょっと照れた頬できちんと頭を下げた。
「音楽会にきて下さい。用意されるのは、お茶とちょっとした果物と、子供達の優しい元気な歌声です」
そんなノアを嬉しく見つめるニルナ。
「子供達は日々、成長しています。努力して、頑張っています。それを見ていただくだけでも楽しいと思います」
そして、麗がダメ押しとばかりに言葉を重ねると、顔見知りのおばちゃん達は快く返してくれた。勿論、応じる旨を。
「ありがとうございます」
麗はリオンやジェイクと視線を合わせ、ご近所の皆さんにもう一度、頭を下げた。
「ノア君、今回は皆さんに喜んでもらえるといいですね」
「‥‥うん」
同じように一礼しながら、ニルナはノアと視線を合わせ。頷いたノアが淡く微笑んでいる事を認め、自らも笑みを含めた。
「ケイト様のお加減はいかがなのですか?」
パールの母を訪れたのは、カレンとミカ。
「精神的に少し不安定になっているけれど、体調的には問題ないようです」
「そうですか、それは良かった‥‥実は」
男性の言葉に、カレンはお茶会について説明した。
「あんたの娘も会いたがってるからな、是非会いに来てやって欲しい」
「私の、娘‥‥」
ミカの要請に、ケイトはポツリと呟く。表情の揺れは、心の揺れか。
「これがパールちゃんです」
その目に、そっと携帯電話の画面を映すカレン。映っているのは、パールの笑顔だ。
出来るだけ早く記憶を取り戻して欲しい、カレンはそう願っている。1分1秒でも永く、親子である時間を過して欲しい、と。
瞬間、ケイトの手が大きく震え、男性が励ますように握る手に力を入れた。
「‥‥会ってみたい、です。この子に」
収まった震え、食い入るように画面を見ていたケイトはやがて、小さく告げた。
そして、ケイトが落ち着くのを待って手を放した男性に、ミカはふと問うた。
「すまん、名前聞いてもいいか?」
「チャールズです」
「お袋さんだけじゃ何かと危なっかしいからな。今現在一番頼りにされてるだろうあんたにも是非来て欲しいんだ」
「‥‥分かりました」
チャールズは言い、だが、躊躇うように言葉を繋いだ。
「でも、もし彼女が‥‥」
途切れた先を、ミカは察した。彼も気づいているのだろう。ケイトの記憶が戻りつつある事、だからこそ不安に思っている。
「いえ、それは誰かに聞く事じゃないんだ。彼女が一番良いように‥‥」
それでも、自分に言い聞かせながら、チャールズは笑った。ぎこちなかったけれど、必死に笑みを形作った。
「‥‥すまんな」
願うのはパール親子の幸せ。けれど、叶うならチャールズにも祖父母にも辛い気持ちを味わわせたくない‥‥ミカとカレンはそう思った。
「虹夢園で音楽会を開く事になりました。どうか是非、いらして下さい」
同じ頃。クレアはパールの祖父母を訪れていた。
「楽しそうですね。ええ、是非‥‥」
「ケイトさんもいらっしゃいます」
その言葉に、夫人の言葉が止まった。それを知りながら、クレアはもう一度、頼んだ。
「後を見ずに前を見て、先へと進む‥‥その為にも、子供達の歌を聴いて欲しいんです」
狂ってしまった運命の歯車。止まってしまった時間。それを正しく、もう一度動かす為に。
「あの子達は、希望の光‥‥必ず、道を示してくれる」
クレアの言葉に、パールの祖父が妻の肩を抱き‥‥夫人は小さく頷いたのだった。
「クレアせんせー、お歌聞いて、聞いて」
虹夢園に戻ったクレアは、自分達を出迎えた子供達の顔を見、微笑んだ。
キラキラと光をまとう笑顔に、眩しそうに目を細めて。
●狂想曲〜カプリッチオ〜
「まずは掃除だね。落ち葉やごみを掃きだして、花壇の雑草もついでに抜いておこうっと」
春盛り、庭に咲いた花々を傷つけないように、テュールはチコとルリルーと、掃除に勤しんだ。
「歌の調子はどう?」
「うん。少し恥ずかしいけど、楽しいよ」
「こっちはバッチリ!、とはいかないわね、やっぱり」
「そっか」
丁度掃除が終わる頃、真治達が帰って来、続いてミカ達招待班が帰ってき始めた。
「おかえり、みんな。じゃあ、飾りつけしようか?」
「おう。よし皆、くれぐれも気をつけてな」
ミカは真治の持ち帰った色とりどりの布をチコに示し、請け負う。
「高いトコは任せな」
「じゃ、頼む。これを木と木の間に渡したいんだ」
「うん、ここにはこの色が合うかな?」
テュールの方は布をルリルーから受け取ると、花の咲いていない木や壁に、見栄え良く飾り付けた。
「もっとちゃっちゃとやっちゃって良いんじゃないの?」
「ダメダメ。それじゃあ草木を傷めちゃうよ」
「そっか。キレイにするだけじゃダメなのね」
「そういう事。バランスは大事にしないと、な」
「そうね‥‥あ、そこもうちょっとピンとさせた方が良いかも。うん、そう‥‥」
「キレイだな。まるで聖夜みたいだ」
真治がふと口ずさんだのは、大好きな曲。
「ロマンチックな歌ね?」
「そうだな。祈りの歌‥‥かな」
飾られていく木々を見上げ、真治はふっと微笑んだ。
「皆おいで。ナイフだけでできる魔法を見せてあげよう」
一方マルトは、手伝ってくれていたサナやアイカを手招くと、買ってきた果物にナイフを入れた。
器用に淀みなく動くナイフ、その切っ先が果物を全く別の形に変えていく。咲き誇る花のように、鮮やかに。
「すごい‥‥本当に、魔法みたい」
「おもてなしはいかに気持ちよくしてもらえるか、じゃからのぅ」
その手際を、特にサナとアイカが食い入るように見つめ。
「わたしにも、出来る?」
「うむ。じゃが、皆がナイフを使うのは、もう少し大きくなってからじゃ」
嬉しくも、一応釘を刺して、マルトは子供達をぐるりと見回した。
「さぁ、もう一頑張り、お客さんが来るまでに、準備万端にしておくんじゃ」
ここにララティカがいない事を、ララティカの笑顔が無い事を、痛ましく思いながら。
「ララティカには、元気を出して出してもらいたいなぁ」
「何か出来る事があるといいんだけどなぁ」
近所周りから帰ってきたリオンとジェイクは「う〜ん」、と考え込む。
と、その前をトテトテと一匹の猫が通った。
「おっ、ミュー! うん、キミの好きなララティカの為、ちょっと協力してくれ」
思いついたリオンは猫を抱き上げると、「?」顔のジェイクに頷いてからララティカの元に向かった。
ララティカは一人、教室にいた。歌の練習は終わり、他の子供達は準備の手伝いに追われているようで。一人で、立掛けられた竪琴に指を沿わせていた。
「え〜、ゴホンゴホン」
驚かせないよう、近づいたリオンは猫の前足をちょこちょこ動かすと、言った。
「『ララティカ、笑顔デ歌ッテホシイ、ニャー』‥‥と、ミューも言っている」
腹話術の心得などないので、リオンが喋っているのがモロ分かり‥‥だったが、ララティカはそっと微笑んだ。猫の動きに、ではなく、リオンの気持ちを感じ取って。
「そうそう。やっぱり女の子は笑顔だよね。な、ジェイク」
「そうだよな、やっぱ笑ってた方が安心するよな」
ジェイクは屈託無く言って、トトトと距離を詰めララティカの手を引いた。
「な、行こうぜ。手伝いサボったら、後でサナに何て言われるか分かったもんじゃないからな」
「そうだね。準備も楽しいしね。うん、頑張ろう」
そうして、リオンは二人の肩を後ろから包み込むように、促した。
「手伝ってくれるのですね、ありがとう」
料理を作っていたカレンは、姿を見せたララティカを温かく迎えた。マルトやサナもまた。
そして、料理の仕上げをしながら、カレンはララティカの瞳を覗き込んだ。
「私はララティカちゃんが好き。サナちゃんもショーン君もチコ君も、皆大好き。100回聞かれても100回好きって答える自信があります」
胸を張る、誇らしげに。嘘偽らざるカレンの気持ち。もし‥‥もしも、ララティカやサナに嫌われてしまっても、それだけは変わらない自分の正直な気持ち。
「ララティカちゃんは私のこと、皆の事が好きですか?」
頷くララティカ。そこに躊躇いは無かった。
それが嬉しくて、カレンは「ふふ」とこぼれるような笑みを浮かべ。
「ララティカちゃんが好きである限り、皆もララティカちゃんが好きなんですよ」
当たり前みたいに、揺ぎ無い事のように笑むカレンを、ララティカはビックリ顔で見つめた。
●交響曲〜シンフォニー〜
「ようこそいらっしゃいました。さぁどうぞ」
麗は柔らかな笑顔で、訪れた人たちを迎えた。
「こっ、こんにちは。今日はその、お招きいっいただき、あのぉ‥‥ありがと」
その中、妙に緊張した男の子が一人。麗はその子があの時‥‥お茶会の時に石を投げ入れた子だと気づき、微笑んだ。
「そんなに緊張しなくて良いのですよ? それより、この間は二人を探してくれて、ありがとう」
男の子はホッと息をつくと、足取り軽く虹夢園に足を踏み入れた。
「よう来てくれたのぅ」
認めたマルトは早速、ハーブティーを振舞った。
「先日は世話になったの」
「でも、無事に見つかって良かったわね」
「本当じゃ。いなくなった子供達だけではない、他の子供達も心配しておったからのぅ」
他のお客達をも、もてなすマルト。ハーブティーの香りが優しく、辺りを満たしていく。
「懐かしい香り‥‥農園の皆、元気かな」
その香りに、テュールはホンの少し遠き地に思いをはせた。
「‥‥帰りたい?」
「そうだね。帰りたくないって言ったら嘘になるけど、今は‥‥うん、皆が居るからね」
寂しくないよと笑うテュールに、チコはホッと安堵を浮かべた。
「それより、良く似合ってるね」
「‥‥ちょっと恥ずかしいんだけど」
「まだカンペキじゃないわ。これ、つけて」
と、トコトコ駆け寄ったルリルーが有無を言わさぬ迫力で、仕上げとばかりにチコの首に蝶ネクタイをつけた。
「自分を飾るのも良いけど、他人を飾るのも面白いもんね」
言うルリルー達女の子は、ふわっとした短いワンピース姿。窮屈そうに恥ずかしそうにしている男の子達も、短いフォーマルジャケット姿で、ちょっぴりおめかしさんだ。
「音楽会にプレゼントはつきものだろ」
そんな子供達に、真治は自作のぬいぐるみを手渡した。
「これは感謝な」
一人一人頭を撫でながら、首にリボンの巻かれた、動物さん。
「すごい。このウサさん、せんせいが作ったの? 今度教えてくれる?」
「あぁ、いいぞ」
ルリルーに応えながら、真治は最後の一人‥‥ララティカの頭を撫でると、差し出した。
いつものぬいぐるみを抱えていたララティカは、差し出された可愛い子猫なそれと、真治や子供達とを見比べて‥‥身を翻した。
「ララティカは私に任せて。皆は歌、頑張るんだぞ!」
真治は子供達に言い聞かせると、その後を追った。
「ようこそいらっしゃいました。そろそろ、始まりますよ」
整えられた庭の中央‥‥簡易ステージを、クレアは訪れたパールの祖父母に指し示した。視線でツイと、パールの母ケイトの姿を探しながら。
(「うん。でも、きっと来てくれる」)
信じるクレアの耳に、男の子達の歌の開始を告げる、リオンの声が届いた。
♪行け行け僕らの虹レンジャー!
飛び出せ僕らの虹レンジャー!♪
「‥‥勇気とは違う気がするけど、楽しんでるしウケてるから良いのかしら?」
ノアとチコは非常に恥ずかしそうだけど‥‥お客やニルナが喜んでいるのを確認し、クレアは呟いた。
♪庭の片隅 ひっそり咲いた 小さな花
見つけて そっと 微笑んだ♪
続く女の子達の歌。レオナが爪弾く、柔らかな音色に乗せられたそれは、耳に優しく心地よく響いた。
「へぇ、良い感じじゃないか」
「ええ。でも、この歌は未完成だわ」
クレアに、ミカは頷く。
足りないもの、欠けたるもの。子供達が作った歌は完成してはいない‥‥大切なピースが欠けているから。
その欠けたピース‥‥ミカは庭の片隅に居るララティカと真治とを見つめた。
「まだ会って日が浅いけど、私はお前達が大好きだ」
そのララティカを、仲間達を遠い瞳で見つめるララティカを、真治はぎゅぅ、っと思い切り抱きしめた。
「大好きは信頼してるって事だ。信頼は『うそをつかない』って事なんだ。‥‥少なくとも私の中ではそうだ。ララティカ、大好きだ。だからお前は『大丈夫』なんだ」
その頭を優しく撫でながら、真治は繰り返し、繰り返した。
「大切なのはどう思われるのかではなく、よく思われる様に努力することだと思います」
やはりララティカを案じていた麗は、さり気なく声を掛けた。
「一生懸命に努力している人を笑う人がいるのなら、そんな方によく思われる必要なんてありませんよ」
だから、大丈夫。自分のしたいようにして良いのだと、歌を歌って良いのだと、笑む。
優しい声、優しい言葉、優しい眼差し、優しい‥‥優しすぎる温もり。
真治や麗、リオンやカレン‥‥皆の優しい気持ちは、自然なほど『信じられた』。
(「せんせい達はウソ、つかない。心と言葉が一緒だもの」)
いや、ララティカにはもう分かっている。分かったのだ、先生達が皆が、分からせてくれた。
信じる、という事を。
真治の手から受け取る、ぬいぐるみ。今度はちゃんと受け取れる。何も失くさないの。お父さんやお母さんを大好きな気持ちも、先生達大好きな気持ちも。
胸がふわっと軽くなった。ノドにつかえていた重苦しい何かが、スッと消えた。もしかしたらさっきのハーブティーにも何か、魔法がかかっていたのかな? それとも、この猫さんに?
胸が軽くなって、だから、言葉は自分でもビックリするくらいスルリと出た。
「わたし‥‥わたしも、大好き。せんせい達のこと、みんなのこと、大好き‥‥だよ」
「うん」
真治は満面の笑みで頷くと、ステージを‥‥そう呼ぶにはあまりにもみすぼらしく、同時にとても素晴らしいその場所を、指し示した。
「行っておいで」
同じく見守っていたテュールに背中を押され、足を踏み出す。途中、ミカがピッと親指を立ててくれたり、カレンが「頑張って」と口を動かしているのが見えたり、皆が‥‥励ましてくれた。
泣きそうになった。温かな何かが、胸から瞳からあふれ出してしまいそうで。
そして、司会進行のリオンに手を取られ。
ぎこちなく、ステージに立つ。あの日約束したのとは違う、ステージ。同時に、同じくらい大切な人たちが居てくれる、ステージ。
口を開こうとして一瞬、動きが止まる。恐い。本当に声は出るのだろうか?
けれど、その時目が合った。「大丈夫」と頷いてくれるマルトやニルナ達の。そして、励ますような旋律が後押ししてくれたから。
歌う。
♪いつもそこにある 温もり
いつもそこにある 笑顔♪
ゆったりとした旋律、包み込むように。
♪僕らの居場所 大好きな人達
手を携えて 共に行こう
陽だまりの中 歩いて行こう
かけがえの無い 僕らは家族♪
重なり合う歌声。層のように波のように、重なり合い響き合う。一つ一つは拙い歌声。
しかし、感謝の気持ちを精一杯込め、声を想いを合わせようとする歌声は‥‥心に響く。
歌が終わり、レオナの旋律が止まり。贈られた拍手は、お世辞よりもずっと大きく熱心なものだった。
「良かった、良かったわ! 本当に‥‥皆、本当に素晴らしい歌だったわ」
クレアもまた、心からの惜しみない拍手を贈った。隣では、祖父母がやはり熱心に拍手している。瞳にうっすらと涙さえ浮かべているのはやはり、思い出しているのだろうか。
と、そこでクレアは気づいた。門の所に立つ一組の男女に。
そして、パールが声を上げた。
●子守歌〜ララバイ〜
「マァァァァァァァァァっ!?」
パールのそれは、嬉しそうな、喜色があふれた、大きな声。
パールの母‥‥ケイトはその声に打たれるように、小さな小さな女の子を見た。知らず、頬を涙が伝う。
最初はよろけるように、おぼつかない足取りで。だが、やがて駆け足で、ケイトはパールへの距離を一気に詰めた。
瞬間、ケイトに手を伸ばしかけたチャールズは拳を握り締めると、そっと笑った。どこか切ない、視線の先。
「マァマァママぁ‥‥」
「‥‥うん、うん、ごめんね‥‥遅くなって、ごめんね」
そこには、互いを確かめ合うよう抱き合う親子の姿が、在った。
お茶会がおひらきになってから。
「記憶は簡単には戻ってこねぇ。だが、それでもやり直す事はできるハズだ‥‥そうだろ?」
ケイトとパール、祖父母とチャールズを順繰りに見つめ、ミカは語尾を強めた。
「まずは、それぞれのことを知るのから始めましょうか」
ここから、始める。麗の提案に、パールの祖母が「ふっ」と口元を緩めた。
「そうですね。また新しく始める‥‥私達はここに生きているのだから」
そして、告げる。多分沢山悩んだ末に出した、答えを。
「貴女はバートが‥‥私の息子が愛した人、私の娘です。だから、貴女さえよければパールと一緒に私達の家に来て頂戴」
それは先日、麗のした提案だった。おそらく夫婦で話し合ったのだろう、祖父もまた穏やかに頷いた。
「‥‥そうだね、それが良いと思うよ」
対照的に寂しそうに、それでも、笑みを作ろうとしていたのがチャールズで。
「それでもし、貴女がこの方と一緒になりたいのなら、そうなさい。私達の家から、お嫁に行きなさい‥‥私達の娘として」
「‥‥あ」
「それは良い考えだと思います」
目を見開くケイト、麗はゆっくりと言葉を紡いだ。
「パールさんの事を思い出したケイトさんには少し、時間が必要ですわ。お義母さんの下で色々考えてみてはどうですか?」
開いた、記憶の扉。チャールズと一緒にいて、亡き夫の事を思い出したら傷つき苦しむのは、ケイトなのだから。
「準備が済むまで、パールちゃんはこちらで預かりますわ‥‥落ち着いたら迎えにきてあげて下さい」
「あ〜い!」
カレンの腕の中、パールが嬉しそうに嬉しそうに、手を挙げた。
●夜想曲〜ノクターン〜
「良かったですよね、パール‥‥バートさんだってきっと」
月精霊の力が強まっていく空の下。片付けの手伝いをしながらノアがポツリと呟いた。
「そうですね。本当に、良かったです」
ノア君の為にも、とニルナは心の中でだけ続け。そして、言葉を繋げる。
「今更ですけど、私本当に心配したんですよ‥‥でも、元気になって本当に良かった、ノア君は笑顔のほうが似合いますしね」
今の顔。いつも難しい顔をしていた‥‥作っていた頃よりもずっと素敵な。
「私、ちょっとだけアトランティスの字が書けるようになったんです‥‥初めて書く文字は『ノア』がいいですね」
だから、気づくのが遅れた。辺りが暗くなりつつある中、ノアの顔が真っ赤になっている事に。
「唄も音楽も大好きだ。人の心に滑り込んで人の事大好きだって思わせてくれる」
余韻に浸り、真治はほぅと溜め息をついていた。
「子供達にもそんな思い出として刻まれていたらいいって思うよ」
願いを込め、見上げた空。そこには、月のような星のような輝きがある‥‥真治の故郷と似て、だけど、異なる空。
ふと、真治は手を自分のお腹に当てた。そっと、撫でる。想うは、あの子の事。恋人との子‥‥思いを馳せる真治の顔は、ひどく大人びて、自愛に満ちていた。
しかし、それは幻影のように。子供達の呼び声と共に儚く掻き消えた。
「ずっと一緒、だね」
歌っていてララティカは気づいた。自分の声が母に少し似ている事。受け継がれるものがある、いなくなっても側にいてくれる、きっと。思いはいつも寄り添って‥‥それに。
「わたしの大切な、家族‥‥」
呼ぶ声がする。自分を呼ぶ大切な‥‥家族の声が。
「今、行くから‥‥待ってて」
そうして、ララティカは可能な限り声を張り上げて駆け出した。大きく両手を振って。
「家族の絆、それは何よりも尊きもの。失ってはならないもの」
嬉しそうに虹夢園に‥‥家族の元に掛けていくララティカの背中に、クレアはそっと独白した。
「私は影から護ろう、あの子達の希望の全てを‥‥」
ほのかな、けれど、確かな光に向かうその背中に優しく目を細めながら。