●リプレイ本文
●信じる気持ち
駆け出すテュール・ヘインツ(ea1683)、異変を告げる山本綾香(eb4191)の声。即座に反応したクレア・クリストファ(ea0941)とニルナ・ヒュッケバイン(ea0907)が、その後を追う。
「チコさんは誰かを追って行きましたわ‥‥あちらです!」
その背にルメリア・アドミナル(ea8594)は叫び、チコの向かう先を指し示し、伝える。
「サンキュ!」
そして、 リオン・ラーディナス(ea1458)が。
「ジェイク、皆を宜しくな。んで、安心して待っていてくれ」
一つ笑顔を残して、人ごみを駆けていく。
「クリス、大丈夫だ。必ずチコと一緒に『ただいま』を言いに来るから‥‥笑顔を用意してて」
人々を避けながら、髪を結い上げる。その表情を引き締めて駆け抜ける。
「リオン兄ちゃん、待っ‥‥!」
「待ちなジェイク!」
咄嗟に追いすがろうとしたジェイクを、ミカ・フレア(ea7095)は鋭い声で引き止めた。
「チコのコトは、テュール達に任せてやってくれ。この人込みでヘタに動くと色々危ねぇしな‥‥」
ビクリと身体を震わせたジェイク、ミカは今度は優しく言い聞かせた。
「でも‥‥」
「チコが戻ってきた時、皆揃ってないと心配させちまうだろ? だから、な」
ミカの説得に頷くものの、ジェイクの‥‥いや、子供達の顔には不安の色が濃い。それも当然だ、とミカやマルト・ミシェ(ea7511)は思う。子供達には何が起きたのか分からないから。いや、それはマルト達も同じ‥‥ただ、今やるべき事は、やらねばならない事だけは分かるから。
「先生達はどんな事があっても皆を守り、必ず幸せにしますわ」
今までの楽しい思いを繋ぎとめるように、元気付けるように、ルメリアは子供達を抱きしめた。少しでも、その不安を和らげるように。
「皆、先ずは一つ深呼吸じゃ」
タイミングを見計らい、マルトは有無を言わさず皆に指示した。夜の到来を告げるひんやりした空気が少し、心を落ち着ける。
「お騒がせしてすいません。大した問題ではありません」
その間、淋麗(ea7509)はそつなく周囲の人々をあしらっていた。足を止めた集団に奇異の眼差しを向ける人々、「大丈夫ですから」とやんわりと頭を下げ。
「とにかく、この人込みじゃ。はぐれてはならぬぞ。ララティカ、アイカ、ノア、ルリルー‥‥それぞれ手を繋ぐのじゃ。緊急事態じゃ、離れてはいかんぞえ?」
「心配ないですよ」
察したカレン・ロスト(ea4358)は器用にパールを抱き上げ、
「大丈夫よ、先生達が何とかするから。今までもそうだったでしょ?」
レオナ・ホワイト(ea0502)もまたショーンを抱きしめた。
「そうですわ。チコさんの所には、先生方が向かわれましたもの。直ぐに戻って来るに決まってますわ」
優しい口調の中の中、確信を込めてキッパリ告げるルメリア。
「その通りです。私達を信じて下さいね」
富島香織(eb4410)も子供達を優しくいたわりながら、クリスに視線を向ける。折角立ち直ったクリスに、この事態は酷ではないか、と。
だが、気づいたクリスは「大丈夫です」と頷き、子供達へと笑顔を作り向け‥‥一つ減った心配事に香織はホッとする。
「気分がまぎれるように、合唱の練習をしませんか?」
「そうですわ。チコくんが帰ってきた時、歌でお迎えしましょう」
そして、子供達の気をまぎらわせるよう、香織とルメリアが提案する。
「ほら、先生が音楽を聞かせてくれるからのぅ、落ち付いておくれ。すぐにチコや先生たちも戻るでのぅ」
いつまでもここに留まる事は出来ない‥‥マルト達に先導され、ゆっくり帰り道を進みながら歌を口ずさむ子供達。その表情はやはり、元気いっぱいというわけにはいかないが。
「あなた方が今することは、明日の合唱のために練習することですよ。チコさん達のことは先生に任せてください。先生達のことを信用できませんか?」
麗は子供達に優しく言い聞かせた。何かする事を提示する‥‥そうすれば、悪い方悪い方へと考えが沈んでいく事もないだろう。
「そうですよ、皆。今できる事をする‥‥それが大切ですもの」
綾香は励ましながら、心の中で付け足した。
(「私も、私にできることをしておきましょう」)
チコの事はテュール達に任せる。今は、残された子供達をしっかり守る事。その身だけでなく、その心をも。合唱の‥‥パールへのプレゼントの為にも。
「歌は、世代を超え、皆に思いを伝える精霊への祈りの意味が有るのですよ」
同じ気持ちで、ルメリアは話して聞かせた。
「チコさんへの皆の気持ちを歌に込め、迎える事に致しましょう」
いや、それはチコだけでない。
「パールさんへの贈り物、決めたのですか?」
「うん。歌と‥‥お守りを持った人形にしようかなって」
リオンに頼まれたのだ、自分がしっかりしなければ‥‥ジェイクが気を取り直した口調で答えた。
「歌は思いを届けてくれるんだろ?」
「はい。ですから、ちゃんと練習しないと、ですわね」
ルメリアにつられ、子供達の視線がパールに注がれる。
子供達みんな、不安が完全に消えたわけではなかろう。ただ、先生達を信じているから。そして、今、自分が出来る事をしたいと思うから。
「子供達が助けを望んでいるというのなら、私は先生としてその望みを叶えましょう。その信頼に報いる為にも、ね」
レオナは呟き、拍子を取る。
「じゃあ、1・2・3、はいっ!」
レオナに合わせる声たちは、今度は先ほどよりしっかりと‥‥どこか静謐な響きをしていた。おそらく、チコの無事を祈る願い故に。
(「大丈夫、先生達が必ず守りますわ、だからもう怯えなくても大丈夫ですわ」)
その美しくも切ない音色に耳を傾けながら、ルメリアは何度も繰り返した。
●追跡者たち
(「絶対に、見失わないっ!」)
チコを追うテュール。突然のチコの行動の理由がハッキリと分かっているわけではなかった。ただ、察しはつく。今までチコが隠してきた、その動きを見れば。
けれど、テュールは大仰に驚いたりショックを受けたりする事は無かった。知っている、から。親のいない子供が独りで生きていこうとすれば、多くの子供はそうなるのだから、と。
(「僕はそこに、紙一重で落ちずにすんだだけ。だから救いたい‥‥」)
だから今はただ、チコを全力で追うだけ。
そして、テュールがようやく追いついた時。その茶色の瞳が映し出した光景は。
「大人しくした方が身の為だぜェ?」
「逃げんなよ。そいつみたいになりたくなけりゃ、な」
血だまりに沈む少年と、その少年を庇いつつ必死で後ずさろうとするチコ。なぶるように二人を見下ろす、チンピラが三人!
「‥‥二人から離れなよ」
テュールの表情から感情が消える。静かに告げて、テュールはゆっくりと歩を進めた。男達‥‥いや、チコ達へと。
「ん? 何だ、このガキ」
「このガキの仲間じゃないのか」
「て事は、金づるもう一匹ゲットかよ」
身長123cmのテュールを侮る男達。テュールは静かな‥‥静か過ぎる口調で言い放つ。
「いいの? これでも僕、天界人だよ。天界人に手を出した盗賊の末路を知らない訳じゃないよね。‥‥今なら見逃してあげるから、とっとと消えなよ」
テュールは本来、戦うのは得意ではない。だが、突きつけたセリフはハッタリでも内容は本気だった。二人に何かあったら‥‥自分が許せないから。
「天界人だと?」
「はっ‥‥ハッタリに決まってる!」
「そうさ。それに3対1で何が出来る」
「3対1ではありませんよ!」
怯みつつ強がる悪漢。そこに凛とした声が割り込む‥‥ニルナだ。
「貴方達って人はぁ! この子は絶対渡しませんから!」
テュールの背中に庇われたチコとケディン、駆け寄ったニルナが声を荒げる。動揺する男達、そこに。
「リオン、すぅぱぁパァァァァァァァンチ!」
めきょ、音を立ててリオンの拳が顔面にめり込んだ。
「成る程。よく分かったわ」
そして、クレアは軽く顎を引くと、無造作に歩を進めた。
「二人共‥‥子供達に、私の姿を見せるんじゃない」
クレアの口調は静かだった。だが、違う。その背中が、発する威圧感が、普段の「クレア先生」とは決定的に違っていた。
「‥‥」
クレアは男達を見据えたまま、じっとしていた。けれど、その威圧感に呑まれ男達もまた動けない。
小物だ、笑ってしまうくらいに‥‥どこか冷静な声がした。だが、それは何の理由にもならない。何の救いにもならない。
そして、クレアは開放する。子供達をニルナとテュールが無事避難させた‥‥その視界より自分達が、これから起こる光景が隠された事を確認して。
「なっ‥‥っ!?」
「‥‥遅い」
顎に抉り込まれた掌底、のけぞった身体から奪った刃で、悪党の腕を磔にする。
「ひ‥‥ヒイッ!?」
「甘いな」
仲間を見捨てて転がるように逃げ出そうとし‥‥だが、男が逃してもらえようはずは、無かった。すかさず放たれた衝撃波が、腰を直撃する。
「あの子の痛み、その身体で思い知れ」
静かな怒りを燃やしたまま、クレアは淡々と宣告した。
「もう止めろ。ナイフの本当の使い方なんて、知りたくないだろ」
もう一人‥‥対峙していたリオンは、がむしゃらにナイフを振り回す相手に、こちらも静かに‥‥どこか悲しげに忠告していた。
獲物に手を掛けるリオン、仲間がクレアに倒されたのを見た盗人は、とうとう戦意を喪失した。
「‥‥甘いな」
「無用な戦いはしたくない‥‥そうだろ」
ふっと微笑むリオンに、クレアは暫しの沈黙の後「そうだな」と呟いた。
「窃盗、児童虐待、誘拐未遂‥‥叩けばいくらでも罪状が増えるでしょうね」
やがて、クレアは駆けつけた自警団員に感服状を示してから、ボロ雑巾と化した男達を引き渡した。
「呆けてる場合じゃない! ケディン君を助けにきたんでしょ、しっかりして」
一方。チコとケディンを安全圏まで避難させたテュールは、呆然としているチコの頬を叩いた。
「テュール兄ちゃん‥‥」
「手を握って、呼びかけて!」
今、ケディンにはニルナが治療に当たっている。それでも、出血の量が多い。
「! ケディン、ケディン、しっかりして!」
チコは自分の手が血で汚れるのも構わず友達の手を握り、必死で呼びかけ続けた。
(「‥‥誰だろう? チコ? 精霊?‥‥いつもの夢、なのかな?」)
それとも、自分はもう死んでしまったのか。
(「それでもいいか‥‥温かいや」)
口元に微かな微笑を浮かべて、ケディンは意識を手放そうとし。
「あなたは絶対助けます! だから、気をしっかり持ってください‥‥!」
けれど、ニルナの強い声が、ケディンのぼんやりとした意識に届いた。
(「やっぱ、夢だ。でも、もしもこれが夢なら‥‥」)
ケディンは願った。もう少しもう少しだけ、この温もりたちを感じていたい、と。おそらくそれが、命運を分けたのだと、後になってニルナは思った。
「チコ‥‥友達を護りに行ったのね、偉いわよ」
そうして、四人の元にやってきたクレアは言って、その頭を撫でてやった。
過去は過去‥‥今は光の中で輝いているのだから、と。
●変わらぬもの
「お帰り。先ずは着替えだな」
所々乾いた血をつけたチコを、ミカは優しく迎えた。責めたり問い詰めたりせず、ただ静かに受け止める。
「ほらほらお前達、チコが帰ってきたぞ」
ずっと待ってたり、つい寝てしまって慌てて起きてきた子供達、走る動揺を「大丈夫」だと言外になだめてやり。
「ほらほら、皆。練習の成果はどうしたのですか?‥‥音量は少し落として下さいね」
ルメリアに微笑まれた子供達は顔を見合わせてから、声を合わせた。迎える歌。チコ‥‥大事な仲間を迎える歌。それは、先ほどよりも喜びに輝き。
「帰ってきたんだね、俺」
チコは噛み締めるように言ってから、皆に礼を述べ、運び込まれたケディンの後を追った。
「大変ご迷惑をおかけしました」
もれ聞こえてきた喜びを歌う歌。事実は事実として確認しながら、香織とクリスは同行してきた自警団員に詫びを入れた。
「ですが、この子は被害者です。私達大人がしっかりした社会を形成できていないのがいけないのです」
その上で、麗はそんな風に説得した。実際、ケディンの様子は明らかに暴行を受けたものであり、クレアの口ぞえもあり、自警団員達は麗に頭を下げ、大人しく引き上げていった。
「ただいま」
安堵したクリスに、結んでいた髪をほどきながら、リオンは笑った。いつものリオン兄ちゃん、の顔で。
「お帰りなさい」
クリスはただそれだけを、告げた。笑顔で、万感の思いを込めて、リオン達を迎えてくれた。それが、それこそが自分の役目なのだと。
「大丈夫、もう落ち着きましたから」
その間。応急処置の施されたケディンに、カレンは改めて治療を行っていた。高位の神聖魔法の使い手であるカレンの手により、傷は瞬く間に塞がり、その容態も安定する‥‥失った血まではどうしようもないが。
「回復魔法は傷を治しても、疲労は治らんからのぅ」
「はい。充分に休息を取る事、今はそれが一番の薬です」
カレンはマルトに頷き、案じるチコやテュールに優しく告げた。
カレンにとってケディンは、正に手を差し伸べたい子だった。生きる為に犯罪に手を染め、苦しんで生きてきた子供。
救いを求めるこの小さな手を、どうして振り払う事が出来るのだろう?
「この子はちゃんと、私が見ていますから」
カレンはそっと、ケディンの手を握りしめ。
「私も看護しておこう。チコも心配じゃろうが、合唱をケディンに見せてやりたいじゃろう? 今日はとにかくしっかり休まねばの」
マルトの説得に、チコは不承不承頷いた。
「勝手にどこかへ行ったりしないことって約束したでしょ、もしもっとひどいことが起きてたらどうするの」
ケディンが床に就いてようやく肩の力を抜いたチコに、テュール「先生」は説教した。
「‥‥ごめんなさい、ごめんなさい」
やはり気が緩んだらしい。泣きながら繰り返すチコを、テュールはしっかり抱きしめた。先生の時間は終わった、ここからは兄ちゃんの時間だと。
「でも、偉かったよ。‥‥最初に言ったよね、救世主なんて待たずに自分で進んだ人が道を見つけられるんだって。チコ君が頑張ったからケディン君を救えたんだよ」
テュールの腕の中、そう身長の変わらない少年が小さくコクリと頷いた。
「あのときもう一つ言ったよね、覚えてる? 覚えてるんだったら何をするべきか分かるよね?」
「俺に今出来る事‥‥」
「うん」
「合唱を頑張る事、ケディンを守る事‥‥それより先に」
「うん」
「‥‥皆に謝らなくちゃ」
「うん、頑張れ」
心配させた事を、そして、黙っていた事を。少しだけ表情を硬くしたチコの肩、テュールは勇気付けるように手を置いた。
「俺、売られて。スリとかそういう事、やらされてて‥‥ケディンはその頃の仲間で‥‥」
隠してきた過去、忘れようとしてきた過去を、チコはポツリポツリ話した。ショーンとパールは床に就いたが、他の子供達や綾香やミカ達に、震える声で告白する。
「レアン様が助けてくれた、もう大丈夫って言ってくれて‥‥」
やはり案じていたリデアが部屋の片隅で小さく首肯した。
「皆に知られたくなくて、知られたら皆に嫌われるんじゃないかって、みんな消えちゃうんじゃないかって怖くて‥‥」
俯きそうになる顔を必死で上げ続けて、言葉を搾り出す。
「でも、ケディンと会った時、助けなくちゃって。皆や先生達が俺を救ってくれたように、俺も助けたいって‥‥」
皆、静かにチコの話を聞いていた。おそらくその過去を、受け止めようと。
「苦しかったんですね、ずっと。苦しんできたのですね」
動いたのは香織だった。チコをギュッと抱きしめる。
「彼がやったことは罪ですが、情状酌量の余地はたくさんありますし、何より領地の責任者であるエヴァンス子爵が許していることですからね」
腕の中に庇いながら、子供達に言葉を掛ける。何も変わらないのですよ、と伝える為に。
「咎めだてはしません。ですが、立派に生き様を見せることで償って言って欲しいと、願います」
それはある意味、難しい事だけれども。チコには自分達が‥‥家族がいるから。
「さぁ皆、すっかり遅くなってしまいましたが、寝る時間ですよ。明日の為にもしっかり休んで下さいね」
そうして、綾香がいつものように子供達を急かした。
「しまった、寝不足は美容の敵なのに」
「変わらん変わらん。チコ、一緒に寝るか?」
普段と変わらぬ空気、チコを包むいつもの風景に、リオンはクリスと笑みを交し合った。
「大丈夫。普段通りなら、必ず成功するから」
クレアもまたいつものように微笑むと、眠りの世界に子供達を送り出した。
「明日は『家族』の歌を、心で歌うと良いわ」
「子供は、未来への架け橋、国の宝ですわ」
ルメリアは、改めて心に刻んだ。子供達の未来が万色の未来へと繋がる第一歩と信じて、虹夢園の先生として、子供達の合唱を支えようと。
●祈りの歌を
「ここで見ててやんな」
舞台が良く見える席。ミカは、クレアに抱きかかえられたケディンにそう告げた。
「‥‥」
返事はない。意識を取り戻してから、ケディンは一言も口を利いていないのだ。それは警戒か‥‥それとも戸惑いなのか。
ただ、ミカが感じるのは一つ。小さな胸の中、色々な思いが渦巻いて、苦しんでいるという事。
「どんなどん底からでもな、足掻いてればいつかは這い上がれるモンだ‥‥負けんなよ、お前自身に」
だから、精一杯のエールを送る。押し付けにならないようにサラリとした口調を装って。
いつかを祈る。きっと大丈夫だと、ケディンは一人ではないから大丈夫だと、祈りながら。
「友達、か。‥‥そう言や俺‥‥師匠に拾われるまでダチの一人もいなかったな‥‥」
ふと漏らしたミカに、ケディンがピクリと反応した。
ステージでは見事な踊りやファッションショーが披露されている。
「うわっ、あのスリットすごいわね」
「それよりあの服のラインとっても良いわ。あぁいうの作ってみたい」
さすが女の子、サナやルリルーは目を輝かせてショーを楽しんでいたりして。苦笑したレオナは、視線を感じて膝を折った。
「どうしたの?、チコ」
「レオナ先生、あの‥‥」
チコから感じる、ステージを前にした緊張感とは違う何か。察したレオナはふっと頬を緩め、その肩に手を置いた。
「ケディンの事が心配なら、この合唱を上手く終らせなきゃね」
どこかで、聞いてくれているだろうケディンに。
「貴方の気持ちを歌声にこめてケディンに届けてあげなさい。ね?」
「‥‥届くかな」
「ええ、きっと」
レオナは迷う事無く、大きく頷いた。
「皆、緊張しないで落ち着いて‥‥楽しい気持ちで歌ってくださいね」
やはり子供達の緊張を和らげようと声を掛けていたニルナはふと、小首を傾げた。何だかノアの表情が硬い、気がして。
「ノアくん?」
「ニルナ先生、あいつ‥‥」
「ケディンくんですか?」
小首を傾げたニルナに、ノアは何かを追い払うように首を横に振った。
「‥‥いえ、何でもないです。今は歌う事に専念しないと、ですよね」
「合唱頑張ってくださいね・・私もちゃんと聞いてますから」
顔を上げたノアはもういつものノアで。ニルナはその頭を優しく撫でて励ました。
「いつものように歌うだけでいいんじゃよ。観客をご近所さんと思って、歌う前にちょっと笑ってごらん? それだけで声が出るようになる」
マルトに、ルリルーやサナが笑う。先ほどショーに見入っていた二人は意外とリラックス出来ているようだが‥‥問題はジェイクやアイカだ。
「それでも緊張するのなら、最終手段、掌に人じゃよ」
「人?」
マルトを真似て、小首を傾げるジェイク。
「これはジャパンから伝わった秘奥義でのぅ、緊張をたちまちのうちにほぐすのじゃ」
もっともらしいマルトに、アイカは真剣な面持ちで試み。
「出来たわ。これで大丈夫ね!」
「おお、良い笑顔じゃ。緊張なんぞ吹っ飛んだじゃろう?」
マルトはニコニコと笑み返した。
「心を合わせる‥‥それが一番大切なのだと思います。だから、大丈夫です、あなた達ならば」
「そうね。練習通りやればいいの。肩に力入れずに楽しんで歌ってらっしゃい」
そうして、綾香と共に皆の衣装を一通りチェック、整えてやりながらレオナは子供達と共にステージに上がった。
「さぁてお立会い! 次に登場しますはウィルより来る、可愛い特別ゲスト達にございます。その歌声に暫し、耳を傾けて下さいませ」
司会の口上と共にステージに上がる。ショーンはパールと手を繋いだ。
爪弾く竪琴が、子供達をそっと導く。
紡がれる歌。重なり合う旋律。思いを込めた歌声が響く。去り行くパールに、大切な友達に、互いに‥‥大事な家族達に贈る歌。
真っ白な衣装に身を包んだ子供達、その歌声はまるで精霊の祝福。
「皆に思いを伝える、精霊への祈り‥‥」
「良い歌じゃな」
ルメリアとマルト達は互いに笑みを交し合った。
「何か皆、すごいな」
メロディーに聞きほれながら、子供達の堂々とした歌いように目を細めながらリオンは隣のクリスを見た。そして、慌てる。何故ならクリスの瞳に透明な雫が溜まっていたから。
「‥‥ごめんなさい。ただ‥‥嬉しくて」
「うん‥‥分かるよ、それ。俺もそうだから」
リオンはハンカチを差し出し‥‥ちょっとだけ迷ってからクリスの手を握った。握り返される温もり、優しい音楽を聴きながら、二人はほんのりと頬を染めた。
「もう、独りじゃないのよ」
響く歌声に包み込まれるケディンの頭を、クレアは優しく撫でた。顔を背けながら、でも、ケディンはクレアの手を振り払おうとしなかった。
その肩が小刻みに震えている事、クレアは気づかぬふりで子供達の歌声に耳を傾け続けたのだった。
ショーが終わり、アンコールとして披露されたのは寸劇だった。勧善懲悪活劇、といったもの。闇の者と、闇の呪いにかかった魔法少女が、世界の命運を握る巫女を狙い、善なる剣士達と戦うといった内容だ。
結局最後は闇は闇に消え‥‥魔法少女も呪いを解かれ無事、光の世界に戻ってきた。
「ジェイク達、楽しんでたな」
観客席まで声援が飛んできた‥‥苦笑するミカの耳はその時、小さな声を拾い上げた。
「‥‥本当に、這い上がれるのかな」
小さな小さな囁きに、ミカは大きく頷いた。
「勿論だ。何度も何度でも、諦めなければ‥‥きっと」
ケディンはやはり小さく小さく、でも、確かに‥‥頷いたのだった。
●夢の続き
合唱も終わり、チコ達がウィルへ帰る時が来て。
「ケディン、私達と来ませんか‥‥?」
差し伸べられた手が、ケディンには理解できなかった。本調子とは言い難いが、無理しさえすれば動ける‥‥今までがそうだったように。
だけど、今までと違う‥‥頑張ってみたいと密かに決意していた矢先の事だった。
「無理強いするつもりはありません、でも‥‥貴方の希望を見出したい」
押し黙るケディンをどう思ったのか、ニルナは真剣な眼差しで言葉を重ねていく。
「偽善かもしれない、我侭かもしれない‥‥それでも放っておけないんです‥‥」
手を差し伸べてくれる人なんかいなかった、どんなに助けを求めても救い上げてくれる人なんかいなかった。けれど、この「先生」達は。
もしも、もしも願いが一つだけ叶うならば、その資格があるのならば‥‥恐る恐る差し出された手を、ニルナはしっかりと握り締めた。
「ケディンに関してですが、虹夢園に新たに迎えいれられないでしょうか?」
ウィルに帰ってきて早速、レアン・エヴァンス子爵に面会した香織は願い出た。
「ケディンもまた、エヴァンス領で庇護される可能性があったのにされなかった過去があるわけですし‥‥」
「本来なら、チコと共に保護される筈だった哀れな子。パールが去る虹夢園に、新たな希望を迎え入れたいの」
クレアも必死で言葉を重ねる。
「あの子もまた孤独‥‥だからこそ」
「あの子はチコの大切な友人です。あのまま育てば‥‥人を信じる事などできなくなります。人を傷つけ、辛い思いを一生背負う事になります」
レオナもまた、精一杯の気持ちを込めて子爵に頭を下げた。
「未来ある子供にどうか、救いの手を差し伸べてあげて下さい」
私の様な者を増やさない為にも‥‥真摯で切実な願いに、更に頭を深く垂れた。
「ケディンは身寄りが無く、悪事も生存のため悪漢から強要されたもの。そして何より彼はチコの、親友だから‥‥」
リオンもまた精一杯真摯に願い、言葉を思いを重ねた。
「もし何か必要なら、俺が請け負う事で何か解決するとしたら、何でも手伝う、力を貸しますから」
「では、一つだけお願いが‥‥」
そんなリオン達を見やり、子爵はフッと口元をほころばせた。
「これからも子供達をよろしくお願いする‥‥より良き未来を掴めるように」
「お義父さま、ですが‥‥」
「それが一番大切だよ、リデア」
珍しく乗り気でない様子のリデアだったが、子爵に諭され引き下がった。
「今まで済まなかったね。どうかこれから、楽しい事や嬉しい事、たくさん経験して欲しい」
エヴァンス子爵はそして、唇を噛み締めつつ成り行きを見守っていたケディンの頭に手を置いた。
「行きましょう、あなたの家に」
そして、カレンは戸惑うケディンの手を引いた。新しい家族の、手を。
「子供達のためとはいえ、一般の方を騙す様な事をしたのは反省すべきです」
虹夢園に帰ってきた麗は、反省も込めて水行をしていた。言外に、悪い事をしたら反省しなければいけない事を、子供達に知っておいて欲しいという意味も込め。
「俺も‥‥俺もそれをやったら許されるのかな?」
と、虹夢園に迎えられる事になったケディンがポツリ、もらした。
「こんな俺だけど、こんな汚れた俺だけど、変われるのかな‥‥っ!」
「はい。大切なのは行為ではなく、その気持ちです。その気持ちがあればきっと‥‥」
麗は笑った。ケディンの言葉が本当なのか、本当に乗り越えられるのか試されるのはこれからだ。でも、今の気持ちがあれば、持ち続けていけるのならきっと‥‥。
「パールさん、元気で」
「体調にはくれぐれも気をつけるのじゃぞ」
「また遊びに来てくださいね」
「あぃっ!」
出会いがあれば別れもある。ウィルに戻ってきて早々、虹夢園からパールが卒園していった。
カレンも綾香も涙ぐみながら、それでも皆、笑顔で。
「皆さん、本当に本当にお世話になりました」
お守りを首に掛けたパール人形を抱いたパールは、母親であるケイトと祖父母に連れられ、去っていく。
「ぼくたちのこと、わすれないで!」
「大丈夫だよ、ショーン。忘れたりしないさ」
「そうですよ。また会えますし」
ミカや麗に慰められ、ショーンも涙を堪え。寂しいけれど、どこか温かい‥‥優しい。
「‥‥」
輪の外、そんな光景に居心地の悪さを覚えながら、ケディンは同時に感じていた。胸の奥、不思議な温かさを。
それはいつか、チコ達と見た夢。誰かを傷つける事も無く、誰かから傷つけられる事もなく、迎えてくれる誰か、迎えてくれる何処か‥‥怯える事無く疑う事無く居られる場所。
ある筈のない、幸せの在り処。
もしも、もしも願いが一つだけ叶うならば、その資格があるのならば‥‥ケディンは生まれて初めて祈った。
天の精霊様、どうか。どうかもう少しだけ、この夢を見させて下さい。