●リプレイ本文
●公開授業ですよ
「あはは、ギルド見て仕事に来たら、まさかワンド子爵の時の子供らだったとは、これも何かの縁かねぇ」
「あっ、司会のおっきいお姉さん」
「ダメだよ、女性に大きいというのは禁句ですよ」
「いいっていいって。ジャイアントなんだから大きいのは当然、気になんかならないさ」
虹夢園を訪れた青海いさな(eb4604)はカラカラと笑った。
「皆、今日も元気そうで何よりだわ」
同じく、クレア・クリストファ(ea0941)がいつもの様にニコニコと、子供達の頭を撫でる。笑顔を返す女の子達と、ビクリと身を硬くしたケディン、それを見てフォローするサナと、途端ムッとするジェイクと。
(「ケディン君が園に参加したことで、子供たちの関係が緊張してしまっているようですね)」
察した富島香織(eb4410)は口には出さず、思いを巡らせる。
(「変化があれば人間関係が最初はギクシャクするのは仕方がないことですが、幸せなことでもありません」)
それを少しでも何とかする‥‥円滑にしたいと、決意を固めつつ口では別の事を提案する。
「では、公開授業の為、皆で用意をしましょうね」
「ご近所の方たちにお知らせに行くか」
ミカ・フレア(ea7095)といさなは、ララティカとルリルーとサナを連れ、ご近所を回る事にした。公開授業について告知し、招待する為だ。
「あ、サナちゃん」
香織はふと、呼び止めた。
「サナちゃんの優しさは分かります。でもね、必要以上にかばわないことが、ケディン君をむしろ‥‥よくするのですよ」
やんわり諭されたサナはキョトンという顔をし。
「さぁ、置いていかれてしまいますよ」
香織は微笑みつつ、いさなの頼もしい背中を指し示した。サナならばきっと、悟ってくれると信じて。
「まぁ、今回の事はジェイク君との絆を深めることに役立っている面もありますけどね」
チラリとやはり、淋麗(ea7509)達に連れられご近所周りに向かうジェイクを伺い香織はふっ、と口元をほころばせた。
「読み書きや音楽の授業をするのよ。ぜひ見に来て!」
「‥‥ルリルー、そこはぜひお出で下さい」
「親しき仲にも礼儀あり、だぞ」
ララティカとミカに咎められ、今度はスカートをちょこんと摘み、ご近所の方々を「ご招待」するルリルー。
「うちの子のちっちゃかった頃を思い出すねぇ」
そんな姿に、いさなは目を細めた。
「まぁジャイアントだから、ちっちゃいってもデカいし、この子らみたいに色白美人じゃなかったンだけどね‥‥何だい?」
「いや、別に大した事じゃないさ」
子供達に我が子を重ねるいさなの瞳はとても優しくて、つい微笑んでしまったミカは、緩く首を振った。
「ミカせんせ、いさなせんせ、置いてっちゃうよ〜」
と、悪戯っぽい呼び声がして‥‥二人は顔を見合わせてから、子供達の後を追い。
「そういえばおまえたち、ケディンの事どう思う?」
ミカはふと、問うた。女の子達に普段と変わった様子は無いが、本当の所はどうなのか?
「色々戸惑ってるようですね」
「仕方ないと思うけど」
「あたし達が色々教えてあげないとね」
口々に言う少女達。ルリルーやララティカはケディンより年下っぽいが、「お姉さんぶってる」感じだ。転校生には優しくしてあげましょう、なクリスやカレン・ロスト(ea4358)の言葉を守っている。
「そっか。まぁ、ケディン自身も戸惑ってるし、おまえ達は先輩だもんな‥‥その内慣れるだろうよ」
安堵しながら、ミカは少しだけ釘を刺した。
「だから、焦らねぇでもゆっくり仲良く慣れればそれでいい‥‥と思うぜ?」
特にサナ。気を使いすぎて倒れてしまったら、ケディンだって気に病む。
「はい。少しずつ‥‥ですね」
先ほどの香織の言葉もある、自戒するようにサナは頷いた。
「またお茶会かい?」
「今度はこーかいじゅぎょーだよ。ぼくたちがべんきょーしてるトコ、見てほしいの」
「お蔭様で子供達共々元気でやってます、その様子だけでも見ていただけたらと思いまして」
ショーンを補い、店のおばちゃん達を招待するリオン・ラーディナス(ea1458)。リオンと麗、ニルナ・ヒュッケバイン(ea0907)はショーンとジェイクとノアを連れて、公開授業のお知らせを行っている。
「まぁまぁ、じゃあ時間を作っていかなくちゃね」
マルト・ミシェ(ea7511)から頼まれたアップルミントの生葉、手渡すおばちゃんのそれは、ただのお世辞でない響きがあった。
「街の人に理解してもらう事も大切ですが、子供達が社会的に自立する為のよい機会である事が嬉しい事です」
そう考える麗は、一歩下がって子供達を見守る姿勢をとっている。勿論、手を差し伸べるべき所、補足が必要な時は言葉を足していくが。
「私達は皆さんを歓迎します。子供達もいっぱい頑張ってくれましたから、きっと楽しいですよ」
それは、ニルナも同じだ。
「良い気なもんだぜ」
勿論、虹夢園に好意的な人達ばかりではない。近所と友好関係を保ってはいるが、全員に理解してもらうのは難しい‥‥麗達は挫けはしないが。
「あなた達もどんな事をしているのか、興味ありませんか?」
毒づいた十代と思しき少年達‥‥麗は真正面から視線を合わせ、柔らかく微笑んだ。
「別に俺達は‥‥」
そんな反応を予想していなかった少年達は狼狽した。
「確かにあなた達からすれば、この子達は遊んでいるだけに見えるかもしれません。ですが、そうでない事を、その中にも得るものがある事を知って欲しいのです」
少年達のそれが妬み‥‥羨ましさからきていると悟った麗が熱心に口説くと、少年達は互いの顔を見合わせつつ、小さく首肯したのだった。そうこうして一通り回った帰り道。
「ジェイク、最近はどう?」
折を見てリオンが尋ねたのは、やはりケディンの事が気になったから。
「新入生と友達になれているか、気になってね」
「別に‥‥ケンカなんかしてない」
分かりやすいなぁ、吹き出しそうになるのを堪え、リオンはその背中をわざと乱暴に叩いてみせた。
「ま、ケディンに対するサナについては、気持ちは分かるけど‥‥男なら、妬くなヨっ!」
「なっ!? 何で俺が‥‥妬かないよ、べっ別にサナなんか‥‥」
「へぇ、サナなんか‥‥何だい?」
詰まるジェイクの顔は真っ赤。ケディンへのわだかまりが嫉妬なのだと指摘され、自分でも気づいてしまったようだ。
「全く、素直だな。このリオン兄ちゃんみたいに、ど〜んと構えてれば、女の子は頼もしいわってメロメロになっちゃうもんだよ」
「‥‥ど〜んと?」
「うん。細かい事言わずに、新入生にも先輩らしいトコ見せてあげればね」
ニッコリするリオンに「難しいなぁ」と天を仰ぐジェイク。それでも、その横顔にリオンは大丈夫だと微笑んだ。
「ノア君、私が今言うことについて素直に嘘偽りなく答えてください」
一方、ニルナはノアを担当‥‥声を掛けていた。
「お祭りの時もそうでしたが、ケディン君の事、どう思っていますか?」
大好きなニルナ先生の真剣な声音。出しかけた建前を、ノアは口にする事が出来なかった。
「わだかまりが無いと言ったら、嘘になります。別にあいつが悪いわけじゃないですが」
変わりに苦く吐き出す。「盗賊」‥‥襲われた恐ろしい記憶と、大切な者達を奪われた憎悪と。それは消す事の出来ない、過去。
察して、だが、ニルナは告げる。
「盗賊に染まった者、これに偽りはないでしょう‥‥もちろん、ケディン自身やりたくてやったわけじゃない‥‥では言い訳かもしれません」
ケディンの為、そして何より、ノアの為に。
「でも、私はあの子の手を握ったとき、とても暖かかった。ノア君やジェイク、この虹園の子供達と一緒です」
手を取る、同じ小さな手、同じ温もり。見上げる、戸惑いと葛藤を宿す瞳もまた。
「私は彼の希望に賭けてみたいんです。ノア君、人はまだやりなおせる‥‥そう思うんです」
「信じてるんですか、あいつを」
ニルナはその質問には答えず、ただ優しく笑んだ。
「正直、直ぐに気持ちを切り替える事、あいつを許す‥‥受け入れる事が出来る自信はありません」
距離が離れた二人を呼ぶリオンの声、足を速めながらノアは言葉を重ねた。
「‥‥でも、僕も知っていますから」
ためらいを、迷いを振り切るように。
「人は間違う‥‥でも、その過ちを正せる、償えるって事」
恥ずかしそうに言うノアの手、ニルナは頷く代わりにそっと力を込めた。
●新しい家族
「準備も頑張りましょうね」
「授業だから、合唱の時みたいに飾りつけはしないけど、掃除はいるよね」
虹夢園に残った山本綾香(eb4191)とテュール・ヘインツ(ea1683)、クレアとレオナ・ホワイト(ea0502)は早速、掃除を開始した。
「ケディン‥‥どう?」
箒を動かしながら、クレアは何気なさを装いアイカに問うた。
「色々大変みたい‥‥でも、頑張ってる」
「そうですね。辛抱強く一つずつ少しずつ、覚えていこうとしてます」
「これはね、こうやって使うんだよ」
見ると、チコがケディンに箒の使い方を教えていた。
「普通‥‥言葉にするのは簡単でした。気をつけないといけませんね」
その様子に、綾香は呟いた。
「でも、特別扱いでなく、それこそ普通に扱われる事、ケディンも嬉しいのじゃないかしら?」
聞き取ったレオナは微笑んだ。
「そうですね。分からないから知りたいと願って、知っていく‥‥それも必要かもしれません」
「夢は現になる事、教えてあげないとね」
そして、目線を合わせたクレアに、アイカはコックリ頷いた。
「頼りになる先輩だね」
「そんな事、無いですよ」
一方。悪戦苦闘中のケディンを見守り、肩を並べながらテュールはチコに聞いてみた。
「ケディン君はどう? 少しは馴染めてそう?」
「うん、色々戸惑ってる‥‥サナ姉ちゃんや先生達に優しくされても、どうしたら良いのか分からないみたい」
「そういう時は『ありがとう』ってニッコリ、って教えてあげた?」
「うん、ありがとうとおはようとかはちゃんと教えたよ」
ケディンを語るチコは心配そうではあるが、深刻そうではなく、とりあえずテュールはホッとした。だが、危惧は他にもある。
「じゃあジェイク君やノア君の様子は?」
「?、二人とも元気だよ」
続けたテュールに、チコは小首を傾げた。
(「あぁ‥‥やっぱこっちには気を払ってないんだ」)
その様子に、テュールは悟る。ケディンに掛かりきりな分、他の子達に注意を払ってる余裕が無いのだろうが。
「あのね、ケディン君は新しい環境に変わって不安でいっぱいだっていうのは分かるよね?」
「うん」
「でもね、ケディン君のことを知らない皆もきっと同じように、ケディン君がどんな子なんだろうって不安だと思うよ」
その指摘は意外なものだったらしい。チコは考え込んだ。
「だからケディン君の良い所を皆に知ってもらうだけじゃなくて、ケディン君にも皆の良い所を知ってもらわないとダメだと思うんだ」
考えて、やがてチコは頷いた。
「チコ君はケディン君の良い所も、皆の良い所も知ってるよね? 教えてあげたいって思うかもしれないけど、そういうのって実際に触れ合わないと分からないから‥‥たくさん触れ合えるようにしてあげるのがいいと思うよ」
「皆とケディンと、それぞれ良い所を分かって貰える様、橋渡しするって事だよね」
「うん。でも、無理に手を繋がせるんじゃなくて、そっと互いの背を押してあげる感じでね」
「難しいけど、頑張る。俺はケディンもジェイク達も大好きだから」
チコの頭をテュールは「良く出来ました」と優しく撫でてやった。
「今はまだ時間があまり経っていない、ただそれだけの事さ。きっと皆、仲良くなれる!」
と、帰ってきたリオンが口を挟んだ。声に、確信を込めて。
「別に何かをしようと心構えてやることを見つけなくてもいいと思いますよ」
チコに指示された部分の掃除を終えたケディンは、困った顔で立ち尽くしていた。こちらに声を掛けたのは、麗。
「でも、暇でしたらあちらを手伝ってくれませんか?」
一緒に帰ってきた男の子達は、レオナの頼みで楽器運びの作業に入っている。
「掃除はこっちが引き受けるよ。働け働け青少年!」
同じく帰ってきたいさなには、細かい事情は分からない。ただ雰囲気を察して殊更明るい声でケディンの背中をポンと叩いてやり、ホウキを受け取った。
そして、さっさと掃除を始めてしまう。
「うちトコじゃね、向こう三軒両隣って言うんだよ」
虹夢園からご近所の家の方へと掃除を進めていこうとするいさなは、小首を傾げたララティカにそう説明した。
「つまり、清潔にしとけば第一印象は確実に良くなる、って事‥‥分かったかい?」
ララティカは「うん」と頷くと、自らも手伝い始めた。
「基本的に、出入りは自由‥‥出来れば普段もそうありたいわね」
「そうですね。でも、何かあるとマズいですか‥‥」
公開授業に向けてリデアと打ち合わせしていたクレアは、その表情が常に無く暗い事に気づき、言葉を切った。
「やっぱり不安? ヘンウィ卿ってそんなに怖い人なのかしら?」
「そんな事ないです。ただおじ様は母さん‥‥母をとても可愛がっていた、と。罪悪感というか、どう接していいか分からなくて‥‥」
ふぅ、と溜め息をつくリデア。この間の依頼でも思った事だが、この少女、自分の事となるとトコトン弱気だ。
「ですがおじ様はちゃんと、公平に判断出来る方ですから‥‥」
大丈夫、自分に言い聞かせるリデアに、クレアは微笑んだ。不安を必死に押し殺そうとしている、不器用な少女に。
「大丈夫、私達を‥‥子供達を信じなさい」
クレアに指し示される視線の先では、子供達が元気に準備を進めていた。
「ケディンはのぅ、今、ジェイクがここに来て一番苦しかった時と同じような心持ちでおるのじゃよ」
そんな中、マルトはジェイクにそっと声を掛けた。
「思い出してご覧、あの時の事‥‥皆が手を差し伸べている理由、わかるじゃろう?」
「分かるけど‥‥」
でも、やっぱモヤモヤする‥‥ジェイクは溜め息混じりに呟いた。それが醜い男の嫉妬だともう分かってしまったけれど。
「それでも心がもやもやするなら、体を動かすのが一番じゃ」
もう少し時間が必要か、見て取ったマルトはジェイクの頭をそっと撫でてから言った。
「さぁ、手伝っておくれ。水を一人で運ぶのは婆にはちょっと重荷でのぅ」
ジェイクはそして、アップルミントティーを用意するマルトの手伝い‥‥重に力仕事に忙殺された。
終わる頃には、随分とサッパリとした顔になって。
「気をつけて。ゆっくり運べばいいから‥‥」
レオナから楽器を渡されたケディンは、緊張気味に頷いた。
「重いでしょう? それは、これが夢でなく現実だからですよ」
と、香織は言葉を投げかけた。ケディンは虹夢園に来る事を選んだ‥‥おそらくは、とてつもない幸運の下で。
だから、今ひとつ今が、この現実が信じられない‥‥信じ切れていないのでは、と思うのだ。
(「夢なら、流されるだけで良いかもしれませんが、現実ですので、当然ややこしい人間関係から逃れることはできません」)
「あなたは今、此処にいる。観客でもお客さんとしてではなく、仲間‥‥虹夢園の家族として、確かに此処にいるのですよ」
「だけど‥‥」
「受け入れなさい。これが今の‥‥あなたの現実だと」
「そうですよ。私は本当のお母様ではありませんが、ですが‥‥代わりとしてでも良いです」
カレンは、間近で接しているカレンもまた、ケディンを案じる一人だった。
「私達に甘えて下さい。ここは『家』で私達は『家族』なんです」
そっと、抱きしめるように身を寄せる。この温もりもまた、現実だと教える為に。今まで受けられなかったであろう愛情を温もりを、少しでも伝える為に。
カレンが身を離すと、ケディンは顔を真っ赤にしていた。楽器を手にしていたままの手が身体が、固まっている。クスリと笑む香織、そして、ニルナに背を押されたノアが仏頂面で手を添えた。
「手伝う‥‥その、壊されたら困りますから」
「あっ‥‥あの、その‥‥ありがとう」
不器用に言い、一つの楽器を持ち合う二人に、香織とニルナはそっと笑みを交し合った。
「公開授業を成功させるって言うより、普段どおりの姿を見せてそれで虹夢園でやってることが認められたらうれしいね」
キレイな整えられた虹夢園に、テュールは目を細めた。
「もし厳しい意見が出たとしても、それは中にいる僕たちじゃ気付かなかった見方だから参考にさせてもらって、もっともっとよくできるってことだしね」
「そうですね」
同意しながら、綾香はレオナを手伝う子供達に、同じように目を細めた。
「人材育成‥‥長い目で見た方が良いでしょうね」
人を育てる、その重み。決して焦ってはいけないのだと、綾香は改めて思う。だけど、いや、だからこそ。
「子供たちはいい方向に成長している‥‥それを見てもらえれば良いですね」
「大丈夫だよ、あの子達なら」
祈るように呟いた綾香に、テュールは笑った。ぎこちなく、それでも、確かに‥‥同じ楽器を持ち合うケディンと、ノアの姿を映しながら。
●授業の時間
「難しく考える事ぁ無ぇ、普段やってるコトをするだけだからな」
「確かに問題に答えるのも重要だけど、授業で一番大切なのは真剣に取り組んでいるかどうか、だと思うぞ」
授業の開始を前に、ミカとリオンは子供達を見回し笑ってみせた。
「だから、変な気負いは必要ないさ」
と、リオンの耳を打つ悲鳴(?)。
「あぁぁぁっ皆、落ち着いて下さいねぇぇぇっ!?」
「‥‥いや、リデアこそ落ち着けよ」
リデアはミカに突っ込まれ言葉に詰まった。領地から直でこちらに顔を出すという「おじ様」はそれほど脅威なのか。
「ほら、深呼吸して‥‥それと、ごめんな」
リオンは苦笑交じりに言ってから、少し表情を引き締めた。ケディンを受け入れた事、進言した事をリオンは勿論、後悔などしていない。ただ、リデアの不安が的中した事は確かだから。
「でも、絶対このままにはしない。皆でいい雰囲気に出来る様、頑張るよ!」
その上で、力強く告げるリオンに子供達がそれぞれ大きく頷き、リデアもまたその表情を少し緩めた。
「クリスは緊張とかは、大丈夫?」
「はい。いつも通りにする事しか出来ませんし‥‥リオンさん達が見ていて下さいますし」
はにかんだ笑みを浮かべたクリスに、リオンは安堵する。
「そうだね。普段通りの『クリス先生』なら、何も問題ないと思うよ‥‥じゃ、クリスも授業、頑張って!」
そんな二人の様子を窺っていたジェイクが、「‥‥成る程」と感心するように頷いた。
「ようこそいらっしゃいました」
「教室はこっちだよ」
虹夢園を訪れた人たちを出迎えたのは、綾香といさなだ。にこやかに、ご近所の方々を案内する。ウィルでは孤児院のような施設も平民が学ぶ施設も珍しいから、教室以外の様子を聞きたがる者もいた。
「冷えたアップルミントティーもあります、お申し付け下さいね」
それでも、二人は丁寧に応対していき‥‥気づいた。一人の紳士が現れた時、それが問題の「おじ様」だと。
「初めましてニルナ・ヒュッケバインです、これからも宜しくお願いします」
如才なく出迎えたのは、ニルナだ。白の上着に緑のロングスカート、華美でない普通の格好で穏やかに、ヘンウィ卿を教室へと導いた。
「当園において子供たちの心理的助言をしている富島香織と申します」
その教室、授業の開始前。香織は名乗ってから、見学に訪れた人々を見回した。
「本日は授業後に、見学にこられた方々のために悩み相談コーナーを設けたいと思います。当然ながら秘密は厳守します。解決の糸口を見つけませんか?」
虹夢園への不平不満、別の悩みでも良い‥‥聞いてもらう事で人は楽になるのだから。
「では、言語の授業を開始します」
担当するのはカレンとマルト、クリスもサポートに回る。
「物語に触れる事は、感性を豊かに育てる‥‥それに本への、文字への興味にも繋がるかもしれませんしね」
本を朗読するカレン。ノア達に、そして、興味深そうに見つめる見学に訪れた子供達や大人達へ向けて、ゆっくりと本を読んで聞かせ。
「綴りが分からん子は遠慮なく、婆に声を掛けるのじゃぞ」
マルトはクリスと共に、文字の綴りを指導していく。出来る子は先に進ませ、出来ない子にはゆっくりと、出来るようになるまで面倒を見る‥‥それがマルトの教育方法なのだ。
と、不慣れなケディンがインク壷をひっくり返した。焦りと羞恥で、その顔が歪む。
「大丈夫です、落ち着いて‥‥誰も叱ったりしませんから」
怒られると思ったのだろう、歯を食いしばるケディンの頭をカレンは優しく撫でた。何度も何度でも繰り返す‥‥大丈夫だと、伝わるまで。
「失敗もまた経験‥‥良い勉強じゃて」
マルトはそして、落ち着いたケディンの手をそっと取った。
「正しく読み、正しく綴ることは、すなわち正しく受け取り伝えることができるということじゃ」
他の学問を修める上でも、言語は基本中の基本になるもの‥‥そして、自らの気持ちを示す為の基盤でもあると。ケディンに子供達に、見守る者たちに、告げたのだった。
息を付いたヘンウィ卿に気づいた麗は、
「教育とは失敗を反省してもらい、それを糧により努力することだと‥‥こちらの世界ではなじみがないですが、我が神の教えです」
フォローすべく言葉を添えた。
「将来を見据えた政治を行うなら、教育ははずしてはいけない項目だと思います」
それは麗の考えであり、生き方にも通じる。
「人は学び、努力することによって成長し、善悪の判断を行えるようになるのです」
「それには同意するが‥‥君はこれらが本当に必要だと考えているのかね?」
「はい。私はこの街にたくさんの虹夢園ができると良いと、そう思います」
麗はそして、優しい笑みをヘンウィ卿へと向けた。
「さぁ、楽しい授業の始まりよ。今日も頑張りましょうね?」
レオナに応える子供達は、喜色満面。続いての授業はクレアとレオナ‥‥詩と音楽の合同授業なのだから当然か。
「今回はテーマは無しよ。夢、家族、友達‥‥自由に考えて頂戴」
自分で考え、時に相談させる事で、自主性と協調性を養わせるのが、クレアの狙いであり願いだ。
「ねぇここ‥‥何か良い言葉は無い?」
と、サナが顔見知りの男の子に話し掛けた。反応した男の子は戸惑いながらも嬉しそうに、返す。それは予想外‥‥授業を見て貰う趣旨から外れるが、ある意味嬉しい誤算とも言えた。
いつの間にか皆で‥‥虹夢園の子供達も、麗があの時声を掛けた少年達も分け隔てなく皆で、意見を出し合っていく。ともすれば収集が付かなくなるそれを、クレアは一言二言で、レオナは旋律でフォローしていく。
「さぁ魅せなさい‥‥貴方達の心の絵画」
描き出される拙い、けれど、素直な詩たち。
「この中から、皆の好きなメロディを選んで‥‥皆で歌を作り上げましょうね」
それをレオナは巧みに音に乗せ、歌に変えていく。子供達に楽器を持たせ教えながら、音を遊ばせていく。
「では、発声練習ね」
ケディンを始め、不慣れな子が混じっているから不協和音‥‥なのだが、皆で合わせよう合わせようとしている声たちはそう、聞き苦しいものではない。
それは、見学者達や見守るリオンやニルナの表情からも、知れる。
そして、レオナの伴奏に合わせて子供達が歌を歌う。
不恰好で時折音が外れて、でも懸命で楽しそうな歌声たち。
「良い歌だね、何だか楽しくなる」
耳を傾けたいさなと綾香は頷き合い。やがて、教室から大きな拍手が聞こえてきた。
「よく頑張ったわね」
子供達を褒めてから、クレアは見学者達の下へと足を向け。
「虹夢園の存在は、偽善と言われるかもしれない」
そして、クレアはヘンウィ卿に語りかけた。
「でも、それで救われた子供達が居る。未来を担う希望を育てる事ができる。そして、この子供達が護り育てるだろう‥‥新しい希望を」
偽善なのかもしれない、でも、それでも尚。
「私は、動かぬ善より動く偽善を選ぶ」
「不幸な境遇は心を歪める。歪んだ心は悪しき行いを、争いを呼び‥‥不幸を引き起こし、犠牲となった子供の心をまた歪める」
ミカもまた淡々と、言葉を紡ぎだした。
「その悪循環を、どこかで断ち切らなけりゃ、領地は‥‥国は荒れる一方だ。ここは、その為の場所‥‥子供達を真っ直ぐに育て上げ、未来に不幸ではなく希望を繋ぐための場所」
視線で示す、子供達の姿。そのキラキラ輝く笑顔に、ヘンウィ卿は無言で、少しだけ目を細めた‥‥眩しそうに。
「私は確かに此処を良く思っておらぬ。だが、それは君達の考えに否定的だからではない」
そして、意外な事を口にした。
「出る杭は打たれる、レアンの立場を案じてもいるし、この虹夢園のあり方にも疑問がある」
王の不興を買ったりしないだろうかと、憂い。
「今のままでは、もしエヴァンス領が潰れた時、君達の言う希望も潰えてしまうのではないかと」
虹夢園をも案じていると、麗は感じた。
初めて聞く大叔父の本音に、リデアは言葉を失う。領費の無駄遣いと反対していたわけではなかったのだ、ただエヴァンス領と義父を、そして、虹夢園を案じていてくれた。
「でも、誰かが始めなければ‥‥エヴァンス子爵が始めなければあの子達は救われなかったわ」
「それに私、信じてます。この街に‥‥この街以外にも虹夢園のような場所が出来る事」
クレアとカレンに、卿は「そうだな」と口元をそっと緩めた。
その微笑は、リデアの大好きなお義父さまにやはり、似ていた。
●夢の先へ
「子供達は皆、楽しそうだった‥‥却って心配になっちまってね」
授業後、希望者からお悩み相談を受けた香織。パン屋を営む彼女の不安は十歳になる子供の事。既に家業の手伝いをしている子供が、虹夢園を羨んでいるらしい、事。
一般に平民の文盲率は高い。貴族の子弟はともかく、学ぶことの出来る場所は少ないから。
「ですが、無駄な事なんてありませんよ」
そんな現状を知りつつ、香織は言う。
「お客様との売り買いに計算や読み書きは必要ですし、新しいパンを作り出す発想や色彩感覚‥‥そういうものを培う想像力だって」
これが正しい事なのか、正しい道なのかは香織にも分からない。ただ、種を蒔きたいと思う。
「もし息子さんが望んだとして、生活に支障が無い程度で‥‥時々虹夢園を覗いて貰っても良いのではないでしょうか?」
「でもねぇ、こちらに迷惑をかけるのは‥‥」
「時々、美味しいパンを差し入れて下さったら、子供達も喜ぶと思いますよ」
種を蒔こう。それが実を結ぶか花を咲かせられるかは分からないけれど、種を蒔こう。未来への可能性‥‥希望という名の、種を。
「今日は本当、よく頑張ったわね、先生にとって、とても良い授業だったわよ」
無事に終わった事を喜びながら、レオナとクレア、ニルナはリデアに頼み込んだ
「毎週2、3回は虹夢園に泊まっても良いかしら?」
リデアやカレンからOKが出ると、子供達が歓声を上げた。
「これからは週に何度か子供達に寝る前に本を読んであげたり‥‥あと、ノア君文通をしませんか?」
嬉しそうに頷くノアに、ニルナも笑みを深める。
「これでお互い、勉強と文通と両方が出来ますね」
子供達の成長を見守る為に、彼らの可能性の芽を伸ばす為に。
「レオナせんせ、子守唄うたってくれる?」
「ええ、良いわよ」
と、子供達を優しく見つめていたカレンは、リデアに提案した。
「夏の間に一度、子供達を連れて水遊びに行きたいと思いますが如何でしょう?」
水遊びには絶好の季節である。出来れば伸び伸びと遊べる、人の少ない場所で思いっきり遊ばせてあげたい‥‥カレンに応えたのは意外な人物だった。
「少し心当たりがある、手配しよう」
「素直じゃないですね」
リデアや子供達から感謝の言葉を受け、口を引き結ぼうとしている卿に、麗は笑いをかみ殺した。その顔が赤かったから。
「‥‥なぁ、『幸せな暮らし』って何だと思う?」
ミカは、そんな光景を離れてぼんやり眺めていたケディンに問いかけた。
「‥‥誰かにぶたれたり蹴られたり、怯えなくて済んで‥‥屋根があるトコで眠れて、盗まなくてもご飯が食べられて‥‥それで‥‥」
答える声は段々と小さくなっていく、震えていく。
「おはようって言ったらおはようって返ってきて、おやすみって言ったらおやすみって返してくれて‥‥」
欲しかったもの。夢見ていたもの。迎えてくれる人応えてくれる人信じてくれる信じられる人、そんな人たちが居る‥‥家。
「お前の思っているそれを、できるだけ長く‥‥寧ろ常に感じられるように日々を過ごす。普通の暮らしってのは、多分そういうコトだ」
俯いた顔を見ないようにしながら、小さな手が乱暴にケディンの髪をかき混ぜる勢いで、撫でる。
「って、師匠の受け売りだけどな」
そして、ミカは照れたように付け足したのだった。