●リプレイ本文
●むかしばなし
「天上界はこの世界よりも素晴らしいせかいだそうだ。貧富の差も無く、美味なものが沢山ある。ありふれた料理でも、この国では考えられないほどの美味揃いだ」
「おとうさんのりょうりより、おいしいの?」
「ああ、当然だ。そしてその地で生きる全ての人は大いなる力を持つという」
「すごいんだね。ぼくもてんじょうかいにいってみたいな」
「だがな、アレフ。天上というのは確かにある。でも俺達には手の届かない幻。まあ、夢のようなものだな」
「まぼろし? ゆめ?」
「だからいつか、天上に届くように俺達は生きていかなければならないんだ‥‥。俺達の夢見る天上は一人一人違うんだからな」
●コンクール当日
「アレフさん、時間は無いですよ。少し急いで下さい‥‥」
「ごめん、荷物買いすぎた。もう、皆用意して待ってる頃だよね」
人通りの多くなりかけてきた通りで富島香織(eb4410)は後ろを歩く青年に声をかけた。彼女の手には食材が抱えられている。後を歩くアレフと呼ばれた青年の手にもだ。
「‥‥ったく遅いと思って迎えにきてみりゃあこれかい。アレフ。料理人でももうちっと体力つけないとダメだよ」
「あっ‥‥」
ひょいと荷物が軽くなる。後ろを振り向いたアレフの肩の斜め上でパトリアンナ・ケイジ(ea0353)はカハハと笑った。
「ほら、急ぐよ。皆もう出発する準備はできてるんだからね」
「解った」
「お待たせしてすみません。昼過ぎには向こうに着かないといけないんですよね‥‥。本当に急がないと」
早足と駆け足の中間ほどに脚の動きを早めて彼らは歩き出す。雨上がりの空は快晴で、悔しくなるほどに晴れ上がっていた。
厨房から甘い香りがする。食欲をそそる暖かい香りだ。
「鳥のフォンはこれで完成。あとは‥‥向こうで仕上げるだけだからっと。そっちの準備の方はいいの? アイリスさん」
「‥‥あ、調味料の配合は‥‥昨日、お兄様に‥‥手伝ってもらいましたから。それほど手間のかかるものでは‥‥ありませんし」
「そっか。じゃあ、後はアレフさんたちが帰ってくれば準備完了だね」
木の匙を置いて、鍋のフォンに蓋をしてカルナック・イクス(ea0144)は捲っていた服の袖を下ろした。アイリス・ビントゥ(ea7378)は香辛料を入れた瓶を大事そうに抱え、粉などを確かめる。
ヤイム伯爵家主催料理コンクール。本当なら一昨日行われるはずだったのだが、20日の日は雨で料理台が使えなくなり、乾燥の為にさらに一日延期されいよいよ今日が本番なのだ。
「あ、帰って来たみたいだよ。うわっ、随分買い込んだんだねえ〜」
「俺も行けばよかったかな。持つよ」
駆け寄った黒峰燐(eb4278)とカルナックに手伝われて朝一番の市で買い込んだ新鮮な野菜と肉と、卵はテーブルの上に広げられた。
「‥‥さすが、ですね。‥‥どれも新鮮で、美味しそうなものばかり‥‥です」
出始まった冬越しの野菜たちを一つ一つ手に取りながら見て、アイリスは嬉しそうに微笑んだ。
「うん、俺も文句なし。タマネギは昨日いいのを見つけたし、腸詰は仕込んであるし、あとはこの新鮮卵とエールを少し貰うよ」
「あ、あの、アレフさん、がんばって美味しい料理をつくりましょう。こんな‥‥いい材料です。‥‥あとは心があれば、美味しい料理は‥‥作れます」
「もう、よろしいですか? 荷物や必要な道具を運んでも?」
少し諌めるような口調でルメリア・アドミナル(ea8594)が声をかける。思わず料理人として材料を見つめるのに夢中になっていた三人は、はたと動きを止めて慌てたように頷いた。
「そうだった! お願いするよ」
「解りました。重そうなものは驢馬や馬に乗せていきましょう。もう時間がありませんから、急いで!」
荷物運びを手伝おうとするイシュカ・エアシールド(eb3839)の肩を、そっと叩いたソード・エアシールド(eb3838)は無言で目を合わせた。
長い付き合いだ。彼の意図を理解してイシュカはそっと身を翻し物影に隠れた。
「どうしたんです? ソード」
「俺は、少し遅れていく。‥‥アレフの身辺には十分気をつけてくれ」
「この間言っていた事をまだ気にしているんですか? この世界に神聖魔法の使い手がそんなにいるとは思えないのですが‥‥」
可能性としては十分あるから否定できることでは無いのだが
「ああ。普通の毒使いなら接触さえしなければ防げるだろうが‥‥俺と同じ魔法が使える奴なら‥‥【ポイゾン】や【デス】使いだったら?」
言ってソードは沈黙する。ことは料理だ。その料理に毒が入っているなどということになれば‥‥。食べ物を扱う店においてそれは致命的になる。
「‥‥確かに、大変なことになりますね。解りました。料理に対する注意は万全以上に‥‥」
「頼む。俺はジノと合流してから向かう。取り越し苦労だといいんだがな」
ジノ・ダヴィドフ(eb0639)は今頃調べものに回っているはずだ。その手伝いをしてからでもコンクールの中盤までにはなんとか間に合うはずだ。
「店の方は僕に任せておいて。シャルロットさんとシャロンさんは守って見せるから、アレフさんはコンクールに集中して」
仕事が忙しく応援にはいかないというシャロンと、それを気遣うシャルロットは店に残る。ならば、自分はその護衛に付く、と燐は笑った。
この店は最近珍しい歌を聞かせる詩人がいる、と評判にもなっている。彼女らが店に残ってくれれば、コンクールの後からでも夜の営業には間に合うはずだ。
「じゃあ、行って来るよ!」
明るくアレフは手を振る。冒険者達と共に出立する。
サイラス・ビントゥに何か言われて以来、どこか冴えを無くした表情がなお、一層白く曇る。息子の出立さえも見送らないで篭るシャロンの部屋の扉を燐は黙って見つめていた。
●料理コンクール開始
会場にはもう幾人かの人が集まっていた。その殆どが参加者とその助手だが、気の早い観客も何人かいるようだ。
本来料理コンクールなどと言ってもそれは、所詮食べるのも、味を判定するのも審査員だけ。見ていて楽しいものではありえない。だが、ヤイム家のコンクールでは、コンクールの後、料理の余りが観客に振舞われる。滅多に食べられない豪華絢爛な料理が食べられるかもしれないと、その笑顔は楽しみに輝いていた。
(「頑張って下さいね‥‥」)
観客席から香織は中庭を見つめる。遠目で何をしているか良くは見えないがイシュカとルメリアがアレフの助手についてもう調理は開始されているはずだ。
「これが地球なら、解説が入って料理の説明をしてくれるところなのでしょうけど‥‥」
遠い、会場の端のキッチンで動くアレフ。彼が何を作るつもりか、香織は良く解っていた。
昨夜一晩アレフと話し合い、考えたのだ。昨夜のことが思い出される。自分の問いに答えてくれた料理。あの味がまだ口の中に残っているようだった。
「あれを、アレフさんが間違いの無い思いで作って下されば大丈夫のはず。頑張って下さい」
香織の手は自然と合わせられ、祈るような思いを手のひらの中に握り締めていた。
貴族席と、一般の観客席の丁度中間。急ごしらえの貴賓席でエルシード・カペアドール(eb4395)は小さくため息を付いた。
「やっぱり、ちょっと強引過ぎたかしら‥‥」
「まあね。だけど、これくらいしないと中に入れなかったからね。まあ、仕方ないよ」
一応、主人と従者なので対等の『会話』が周囲に聞かれないように少し声を潜めた。
『主が自分の使用人の様子を見に来るのはおかしいかしら?』
『私に従者の前で恥をかかせるおつもり?』
鎧騎士であり貴族という貴婦人の来訪。門番は半ば脅されるようにして彼女とその従者を主へ取次ぎ中へと招き入れた。
「とても握手できるような状況ではなかったし‥‥」
最初に主催者に遠巻きに挨拶した後は、貴賓席と言う名で隔離されているようなものだから。
従業員は皆忙しいらしく殆ど近寄っては来ないから、そうそう心配は無さそうだが。
「でも、そうね。あれが、ガイン卿で‥‥そうすると時々彼に近づいているあの人が彼の魔法使い、ってことかしら」
「多分ね。手袋もしてるし、あんまりまっとうな人物って感じはしないよ。その辺は、ジノやソードたちが戻ってきたら解るかねえ」
中庭の最奥に拵えられた審査員である貴族達の席。反対側で不思議なほど活気に溢れている一般人達。そして、その真ん中で居場所無く佇むだけの自分達。
(「やれやれ、貴族の館ってのは、どうも居心地が悪くていけないよ。そもそもあたしみたいな山出しは、とっととお役御免になるべき依頼のはずなのにね〜」)
パトリアンナは軽く肩をすくめる。最初はつまみ食い気分だったのにどうしてこうも大事になってきたのか。だが、今更退く気は当然無かった。通り魔ともやりあったことだし、責任は最後まで果たさないと寝覚め悪い。
「アレフの方は心配いらない。あの子が自分の力を最高に出せば、後はどんな結果だろうと受け止められるはずだからね。それに‥‥」
止められた言葉の先を、エルシードは解った気がした。
ぞくぞくと仕上がる料理を、それを生み出す業を見つめながら無言で頷く。彼女も気になったのだ。
挨拶した時、一瞬目があった席の中央の老人。ヤイム伯の目が。この席と貴族席までは近いようで遠いから表情までは良く見えない。だが、彼が見つめている先は‥‥きっと‥‥。
「あ! ジノ! ソード!」
こちらに向かって早足でやってくる騎士達にパトリアンナは軽く手を振る。
〜♪〜〜♪〜〜♪〜〜
リズミカルな鼻歌と共に香ばしいタマネギの香りがあたりに広がっていく。向こうで貴族の料理人らしい人が作っているのは香辛料たっぷりの鳥の丸焼き。あっちは牛肉ひき肉の丸め焼き。酒場でハンバーグと呼ばれる天界料理でやはり香辛料が効いている。
「うわ、あっちは肉団子をパイで包んでる。リンゴの形に見立てているのかな?」
カルナックは小さく苦笑しながらも自分の料理に専念している。この世界での料理コンクール、どんなものが出てくるのかと思って楽しみにしていた。だが、こうして間近で見てみると貴族主催のコンクールであるだけに、香辛料を多く使ったものが圧倒的に多いように思えた。
強く効いた香辛料の香りがこちらの鼻にまでツンと来そうだ。
「こうしてみると、俺やアレフの料理は‥‥ちょっと異色かな? っと、味付けは薄味に‥‥」
スープの味を確かめると鉄皿に盛り付けて細切りにしたチーズを乗せた。
「まあ、相手はおじいさんだしね。こんな料理も悪くないんじゃないかな? と、時間あとあんまりないか‥‥」
見てみればアイリスの方はもう完成し、試食に入ろうとしている。アレフの方は品数が多い分少し遅れているが、助手が二人も付いている。時間までには完成するだろう。
「とりあえず、料理に近づく人は無し‥‥っと。じゃあ、俺も行こうかな」
取り出した皿を盆に盛り付け、残ったスープを観客への試食に指示し、カルナックは自らの持ち場から立ち上がった。
「? あれは‥‥?」
試食席に向かう途中にすれ違った男性。審査員席に座る貴族の方からやってきた手袋に黒礼服の人物。何事か会話し、頷きあい去っていく。主と部下のただそれだけの行為。不信な様子は何も無いのに、カルナックは何故かその鋭い目が気になって仕方なかった。
今、このコンテスト会場に『黒いローブ』の人物はいない。仮令、その格好が好きであろうとこの人が集まる、しかも晴れの舞台でそんな格好は目立ちすぎるだろう。
だから、ジノは人々の服装などは見ていなかった。見ているのは背格好と‥‥手。
「手袋、している奴がいるな。あそこに‥‥」
「ええ、私達も気になっている人物です」
先ほどまで何度か審査員席に近づいてた礼服の男性は、今はその側で真っ直ぐに立って参加者を見つめていた。周囲の建物や椅子やテーブルの高さから、彼の身長をソードは考えた。結果、『黒いローブの男』に会った人物からの証言にあった『男』の身長とかなり近い所にあるのが解る。
一番、冒険者の中で黒に近い人物だ。
「あいつに、なんとか近づければいいんだが‥‥」
構えた携帯電話を降ろしてジノは息を付いた。香織に教わった使い方によると「カメラ」というものが使えるはずだが遠すぎて今映っている画像では顔が判別できない。
「少しばかり、近寄ってくる。後頼む‥‥」
立ち上がったジノとソードに頷いて仲間達はコンクールの方を見つめた。
「いよいよ、試食が始まっていますわね。‥‥でも、あら? なんだか皆、一様に暗い表情をしてるわ」
エルシードは目を凝らしながら、貴族席を見つめながら首を捻った。審査員達は一口、二口食べて殆どの料理を残しているようだ。余った料理は切り分けられて観客に振舞われる。
喜ぶのは客ばかり。浮かない顔の審査員に、料理人。そんなに不味い料理ばかりなのだろうか‥‥。
「ご試食を。皆様方」
使用人の一人が貴賓席に料理を運んできた。ありがとう、と盆を受け取りエルシードは料理を口に運ぶ。思わず声が上がった。
「スパイスが効いていて‥‥美味しい。アレフさんより上かもしれない美味しさよ」
興味で顔が近寄ってくる仲間に皿を差し出す。手が、焼きたての肉に、パイに包まれ仕立てられた魚に伸びる。
「ホントだ。じゃあ、なんで?」
審査員からは遠いここからは、遠い向こうの会話は何も聞こえない。だが、今、この瞬間俯き、ため息を付くアイリスの頭上にはその理由が聞こえたようだった。
●美味しすぎる味、美味しい味
「美味しすぎる? どういう意味でしょうか? どこか不味い所でもあったのでしょうか?」
アイリスは俯いた顔を上げ、審査員に疑問をぶつけた。
「か、辛さとかの厳しさを知ってこそ、天の恵みである野菜の美味しさを噛みしめるって感じですけど‥‥、あ、あの、ど、どうですか?」
彼女の問いに返った返事は自信作であるサブジの皿と、二口で止まったフォークとその言葉だったのだ。
「普通の人々にとってなら、この料理は素晴らしいものでしょう。新鮮な野菜の甘さと、それを引き立て倍増させるスパイスの絶妙な加減。とても美味しかった。私も作り方を学びたいほどに、です。現に、ほら観客は喜んでいるようです」
審査員の一人、料理人がアイリスに答える。それは賛辞と言えるものだ。
「なら‥‥」
「ですが、翁は老人で、しかも病み上がりなのです。香辛料の強い料理は身体に刺激を与えすぎる。美味しすぎる料理は食べられないのですよ」
「あっ‥‥」
料理人の説明にアイリスは口元を押さえ俯いた。そういえば、何度も料理コンクールが延期されたのはヤイム翁が体調を崩したからだと聞いていた。
病み上がりの老人に食べさせるには確かに、インドゥーラの料理は刺激が強すぎるかもしれない。
「申し訳‥‥ありません‥‥。そこまで考えが‥‥回らなくて」
見る見るうちに表情が曇って、思わず涙ぐむアイリスに
「‥‥お嬢さん。私のわがままで、申し訳ありませんでしたね」
優しい声がかかった。
「えっ?」
俯いた顔を上げたそこには老人の笑顔がある。まるで娘を見つめる父のような優しい眼差し。それは、何かを詫びるような寂しげな思いを頬に乗せていた。
「‥‥次は、俺の番でよろしいでしょうか?」
カルナックの声にアイリスは慌てて身を翻した。盆を持ったまま、カルナックは前に進み出る。
「俺にとっての天上の味は、師が作ってくれたありふれた料理、だが、食べるとホッとする心地よい気持ちにさせてくれた料理‥‥。どうぞご試食の程を」
湯気のたった料理は二皿。そのうちの一つ、オニオンスープに匙が入れられた。
「ふむ‥‥」
一口、二口、三口。
真剣に料理の味を吟味する翁に従うように他の審査員達も料理に口をつけた。スープの味に香辛料は殆ど使用されていなかった。素直な素材の、タマネギの味とコク。それを良い鳥の時間をかけて作り、アクをとったスープが相乗効果で引き立てあっている。
「自然で豊かな甘みが口の中一杯に広がっていく。身体に染み込んでいくようだ」
「こちらのクレープもなかなかです。腸詰にとろりとした半熟の目玉焼きの黄身が絡み合って、えもいわれぬ味を‥‥」
「微かな苦味の有る生地が、全体を包み込むようで、この工夫には見事と言うべきでしょう」
絢爛豪華で『美味しい料理』は今までの参加者がいくらでも作ってきた。だが、腸詰と玉子という新しい発想と、暖かく優しいスープのバランスは、どうやら審査員の気持ちを掴んだようだった。
「ふう、とりあえずは合格ってところかな? 良かった良かった」
肩から力を抜いて、カルナックは自分の後ろを見た。参加者のうち最年少で、身分も一番低い。だから試食も最後に回った人物が、今、後ろにいる。
場を譲って身体を引く。そして、視線が合った二人はお互いの目線と言葉を今正に交差させようとしていた。
「やっぱり、あんたか‥‥」
「久しぶりだな。少しは、まともなものを作れる様になったか?」
「まともかどうかは、解らないけどね。俺が父さんから学んだ料理、父さんと一緒に作った料理だよ」
イシュカとルメリアが運ぶのを手伝い、4つの盆が審査員達の前に並んだ。
「ん?」
審査員達は小さく瞬きをした。白い光が過ぎったように見えたのだ。
「お前、料理に何かしたのか?」
今まで黙々と料理を食べていた壮年の男性が始めて声を上げた。
「怪しいワザでも使ったか?」
「何もしてない。誓って」
どこか苛立つ声にアレフは毅然として答えた。無論、料理に異常は無い。
「では、念のため料理を交換せよ。父君の身に万が一のことがあってはならぬ」
「それは、ダメだ。この料理はそれぞれの方以外に食べて貰っては意味が無いんだから」
「どういうことだ! 料理なんて皆同じだろう? まさか‥‥お主‥‥」
「止めんか。ガイン、見苦しい。料理が冷める」
ぴしゃり、言い放つと一言で老人は男性のがなりを止めた。
「今は、試食が先だ。わしが食べねば意味が無いと言うのであれば、食べるだけじゃ」
止める間もなく老人は匙を握り、野菜たっぷりのスープ。その汁をすくって口に入れた。
その姿を見て彼もまた自分の匙を乱暴に口に運ぶ。
「こってりとした味わいが美味いと言えば美味いが、平凡な味だな」
「さっぱりとしていて美味しいですね。いくらでも入りそうです‥‥」
「あっさりとしていて飲みやすい。疲れが取れそうだ‥‥えっ?」
審査員達は顔を見合わせた。こってり、さっぱり、あっさり。三つが一度に形容される料理が有りうるのだろうか。と。
「失礼! これは‥‥同じベースのポトフの味をそれぞれに変えているのか?」
料理人が家令の皿に匙を入れる。流石に主の皿には手を出せないが、自分のと家令のスープは確かに味が違う。アレフは答えないが、ルメリアは昨夜のことと、今日の調理を思い出しながら微笑んでいた。
『アレフさんにとって料理とはなんなのでしょうか?』
昨夜のグローリーデイズの厨房で香織の質問にアレフは暫く悩んだように沈黙してから答えた。
「心の支え、かな。こう見えても料理に関しては結構本気なんだよ。俺」
彼は苦笑しながら答えた。それは香織にも解っている。最後の夜、一度は決めた料理に迷うような表情をしているアレフにだから問いかけたのだ。
「アレフさん、お父様との思い出が何かありましたら、お話してくれませんか? 例えば料理人になろうとしたきっかけとか。それはお父様と関連することではありません?」
「俺が料理人になろうとしたきっかけ‥‥。それは、多分あれだよ。街に流行り風邪が広がった時‥‥」
毎日健康に過ごして、この日が毎日続くと思っていたある時、急に病魔は街を覆った。病は無差別に人々を襲い、特に子供がやられた。アレフとシャルロットにもだ。身体が弱り、何も口にできず、それがさらに体力を奪っていく、そんな時。
「父さんが作ってくれたスープが、死ぬほど美味しいと感じた」
皿を間違えて飲んだ時に気付いたのだがシャルロットと、自分に父はそれぞれ味付けの違うスープを作ってくれらしかった。自分の舌に、身体に合う味。それが身体に元気を与えてくれた。
「父さんの料理を食べて、元気が出て‥‥美味しいものを食べることって凄いなって思ったんだ」
今まで、父が作った料理を当たり前に食べていたから気が付かなかったけれども。
「ならば、それを作ってみてはいかがでしょう?」
「ルメリアさん?」
二人の会話の邪魔をするつもりは無いが、と謝ってからルメリアはアレフに声をかけた。
「主催者はご老人であらせられるのでしょう? ならば‥‥」
「そうか‥‥。二人とも待ってて貰えるかな。思い出したことがあるんだ!」
彼は厨房に駆け出して行った。そして待つこと数時間。じりじりと心配という思いに胸を付かれた二人の前に差し出された二皿の料理を口に運んだ時‥‥
「あっ‥‥」
「こんな事って‥‥」
二人は声を失った。
「思い出した事があるんだ。父さんとの料理以外の会話。いや、やっぱり料理の話なんだけどさ‥‥」
そう言って彼は気恥ずかしそうに笑って、料理を食べる二人の様子を見つめていた。
●コンクール終了。そして‥‥
(「気付いて頂けたようですわね」)
彼の工夫が届くかどうか。それだけが心配だったルメリアは小さく微笑んだ。丁寧に煮込んで作られたポトフは薄味で、そのままではどこか物足りなく感じる。だが、それぞれの好みに合わせて味付けされたものを出された時、信じられないほど美味しいと、自分も思ったのだ。
「天上とは、その人物が目指すもの。願う夢。価値観。それは、一人一人違う。だからこそ、一人一人違う事を忘れずにそれを受け入れる。父さんはそう言ってた‥‥」
アレフには人を見て、その様子を把握する稀有な才能があるようだ。何回も食事を共にした自分達と、今回の相手は無論同じではないが、例えば料理人は日ごろ濃い味や料理に囲まれているだろうから少しあっさりと。
仕事に忙しそうな家令には少し味をはっきりとした味で。でも食べやすく油を抜いて。そして、豪華な味に慣れた貴族には濃い目にと。
「食べてくれる方の事を考え、食べる方の年齢、体調、食生活を考えた、その方を労わる料理。お見事ですわね」
技術的にはまだまだ。だが、冒険者達から技術と発想を学び、そして心を磨いてきたアレフの料理人としての才能をルメリアは確かに感じていた。
鹿肉の鍋焼き肉はソースで味を調整する。若い、濃い目の味が好きそうな相手にはデミグラスソースを使い、老人には煮汁を微妙に味付けて。
サラダは新鮮な野菜を手で千切った単純なもの。だが、歯ごたえを残しつつ食べやすいように考えて切ってある。ヘンルーダの花入りの酢が春の香りを運んでくるようだ。
そして‥‥ジンジャーブレッド。
「‥‥これは、まだまだだが、少しはものの道理が解る様になったようじゃの‥‥」
伯爵が浮かべた微かな笑みに、料理人と家令の顔色が変わった。
「さっきの言葉といい、ひょっとして、君はジェラール先生の子かい?」
「ということはシャロン様の‥‥、旦那さま!」
「ジェラール先生? シャロン様? 一体、どういうことだよ!」
「‥‥後は任せたぞ」
返事をせずに、伯爵は立ち上がって屋敷へと戻っていく。
「お待ちください。父上!」
ガイン卿が後を追い、肩を貸す。テーブルの上に残されたのはさらさらと書かれた一枚の羊皮紙。家令はそれを手に取り大きな声で読み上げた。
「今回のコンクールの優勝は、カルナック・イクス! 二位がアレフ・フリードマン」
以降、順位が読み上げられ、賞金が渡された。アイリスは五位で名前を呼ばれる。
「やりましたね。おめでとう」
イシュカが駆け寄りアレフを祝福するが、当の本人の表情は嬉しいという顔ではない。
「どういうことなんだよ。あの言葉の意味は一体‥‥」
疑問を浮かべるアレフにルメリアはポンと肩を叩く。
「優勝ではないけれど、これはこれで、認められたということではないかしら、きっと‥‥、ほら」
彼女が促し指差した方には、さっきの審査員の一人である人物が立っていた。確か、この家の料理人。
「君に、話があるんだが‥‥ちょっといいかな?」
「な、なんでしょうか?」
「君のお父さんの名前は?」
「ジェラルド‥‥だったと思うけど‥‥」
彼が自分を見つめる眼差しは厳しいものではない。
少し、緊張しながらもアレフが彼の視線を受け止め、彼が何かを話そうとしたその時だった。
「キャア! ご主人様!」
伯爵が入っていった先から甲高い叫び声が響く。そして、どやどやと、屋敷の奥から出てくる衛兵。彼らを率いやってくるのはあの男。カルナックとすれ違った何か警戒心を抱かせる‥‥。
「魔法使い殿、どうされたのだ?」
料理人が会話を止め、問いかける。意気を切らせ、慌てた口調で魔法使いと呼ばれた男は声を上げた。
「誰か! 治療師はいないか? 旦那さまと伯爵がお倒れになった!」
「何!」
会場が一気にざわめく。
「私は、治癒の魔法が使えます。どちらですか!」
イシュカは指示された方に駆け出した。
そのサポートに彼が館の中に入っていくのを確認して後、魔法使いはテーブルの上に残った料理と、コンクール参加者たち。
そして、家令と料理人に問う。
「ご主人様達が、最後に食べたのは誰の料理だ?」
「俺の‥‥料理だけど‥‥」
キン! 微かな音がして衛兵達の槍が動いた。全て、全部がアレフに向かって。
「何をするんです!」
ルメリアがアレフを庇うように前に立つ。カルナックやアイリス。貴賓席からスカートの裾を持って奔ってくるエルシードや冒険者達の眼差しを受けても男は表情を変えなかった。たった一人を、憎しみを湛えた顔で見つめる表情を。
「お二人は、毒を盛られたようだ。コンクールの参加料理人達の料理を全て調べる。特にお前のものをだ。皆!」
「そんな、まさか!」
家令や料理人達の静止も聞き入れず魔法使いの命を受け、衛兵達は庭の全て、会場の全てを壊さんばかりに徹底的な調査を始める。
ほんの少し前まで料理の香りと、暖かな湯気に包まれていた会場は、今、鉄の匂いで溢れていた。
●見えない毒
「どちらも解毒が終了しています。回復魔法もかけましたし、命に別状は無いでしょう。ただ、伯爵の方は元より身体が弱っていらしたのでまだ意識は戻っていないようです」
戻ってきたイシュカの言葉に冒険者達は安堵した。
「どうやら使われたのは植物毒らしい。とあの魔法使いは言っていました。今後は彼が伯爵の治療に当たるそうです」
「あの男が? どうして? 一番怪しいのはあいつじゃないかと思ってるんだぜ!」
何度も彼はガイン卿の側に近寄っていた。そして二人が倒れたと言う時も、ガイン卿に従って一緒にコンクール会場から姿を決していた。
『復讐がこれとは少々お粗末じゃないか?』
ジノが囁いた時の凍った眼差し。ソードがすれ違いざまに読み取った
『あの男の息子‥‥。邪魔』
という言葉。冒険者が見れば状況は彼を犯人と指し示す。だが、ジノの抗議にイシュカは黙って首を横に振った。
「今は証拠がありませんし、ガイン卿も一緒に倒れたのです。今は、回復しているようであの家の実権を彼が握っています。部外者に過ぎない我々が何もいえません」
「でも‥‥」
食い下がりきれずジノはアレフの方を向いた。そこにはテーブルに突っ伏したまま頭を抱えるアレフの姿がある。泣きじゃくり燐に肩を抱かれるシャルロットの涙声も、
「お父様が‥‥」
全ての血の気の引いた白い顔で呟くシャロンの言葉も耳に入らない。
「どうして、こんなことが‥‥」
テーブルの上には料理に使った酢がある。あの父親と一緒に作った特製の香草酢。
『この酢の中に入っている植物が毒草だったのではないか? いや、お前の料理の中に毒を盛ったのだろう!』
冒険者が止めなければそのまま、牢屋に引き立てられていただろうと思うほど、毒草、薬草知識を持つという魔法使いの追求は苛烈だった。
証拠不十分で帰されたものの
「偉そうな事を言ってお前の父親は人殺しか!」
ガイン卿がアレフの背中に叩きつけた言葉が、今、ウィルの街を駆け抜けている。現に営業時間は過ぎているのに、誰一人として客が来ない。
「お兄ちゃん‥‥」
「どうしたらいいんだ‥‥」
俯くアレフに誰も声をかけることができなかった。
冒険者達は信じている。
アレフの無実を。
冒険者達は感じている。
この事件の黒幕を。
だが、その証拠はまだ彼らの手に一欠片も落ちてきてはいなかった。