●リプレイ本文
●始まりに気付くこと
「工房の護衛依頼?」
ギルドの貼り紙にイワノフ・クリームリン(ea5753)は顔を上げた。
「リュシアンとは‥‥あのリュシアンか? その護衛とは‥‥やはり」
彼は仲間達の元に足を向けた。
何かが‥‥動き出そうとしているのだろうか?
そっと、戸を開ける。小さな声で中に呼びかける。
「こんにちわ〜」
‥‥返事が無い。耳を澄ませると‥‥微かな音が聞こえるのみ。
「やっぱり夢中になっちゃってるんだ〜。失礼しまあす」
セルフィー・リュシフール(ea1333)は静かに中に入った。彼らが入っても音は止まらない。静かだった。小さな音も、耳が拾うだろう。聞こえるのは枠が微かに軋む音、筬が交差し、糸を精緻に積める微かな音。
そして、呼吸と、シフールの羽ばたき。
「リュシアンさ〜ん。あ〜、聞こえてないね。こりゃ」
織り機に向かう青年の真後ろでプリム・リアーナ(ea8202)がくるり丸く飛んでも彼は、気付かない。この工房の護衛を頼まれてきたが、当の本人は仕事に夢中‥‥。
「これじゃあ、真後ろから刺されたって、工房に火点けられたって気が付かないかもね」
「物騒なこと言わないんだよ‥‥。じゃあまあ、ここはお茶でもしておこうか?」
エレが持たせてくれたバスケットを開き、小さな食事の用意をする。彼は、まだ気が付かない。
●見つめる目、思う瞳
「へえ、子供の頃からそうなんだ?」
「ええ、一つのことに夢中になると他の事に目が入らなくなっちゃうの」
ホント、困るわよね。膝の上で甘えていた子羊の毛を撫で付けてあげながらエレは李風龍(ea5808)に苦笑交じりの笑みを見せた。
「リュシアンさん、がんばってるから‥‥一緒に遊びたいけど、がまんだよね?」
ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめてルリ・テランセラ(ea5013)は自分なりの決意を示す。因みにぎゅっと抱きしめていないと、足元の羊達がぬいぐるみに遊ぼうと挨拶するのである。首につけた赤い糸を食べられてはたまらない。閑話休題。
「でも、やっぱり生産系の技を持っている人って凄いと思うわ。あたしなんか、ぶっこわすしかないからもう、そんけ〜」
割と真面目に牧場の仕事を手伝いながらフォーリィ・クライト(eb0754)はため息をもらす。先の染色の技を見てからいろいろ思うこともあったのだ。
「後で、ちょこっと覗いてみたいかなあ。織る所‥‥。ダメ?」
「ルリも、見たいかも‥‥」
興味深そうな冒険者達に対して、エレは嬉しそうに笑って答える。
「別に、いいと思いますよ。リュシアン、織る所を見せないとか、そういうことにはあんまり拘らないから‥‥。むしろタピスリーに興味を持ってもらえたって喜ぶかも♪」
「ホント?」
「やった! ラッキー♪」
嬉しそうに手を取り合って、ルリとフォーリィはぴょんぴょんと跳びはねる。周囲で見守る侍女役のエスト・エストリア(ea6855)が諌めるように手を伸ばすが、それより早くジャンプは止まった。
「じゃあ、早く用事を片付けた方がいいよね。ちゃっちゃっとね‥‥」
ちろり、フォーリィは直接後ろを見ないようにしながら、牧場の外に意識を向けた。そこにはエレが依頼したとおり、行きつ戻りつ牧場とリュシアンの工房を伺ういくつかの影が見える。
「今夜ぐらいに、なんとかできるといいね。ルリ頑張るから!」
「‥‥ムリはダメですよ?」
心配そうなリセット・マーベリック(ea7400)の言葉に、ルリはただ、ニッコリと芯の強い目で微笑むだけだった。
「おや、貴方は?」
「お伺いしたいことが‥‥」
リセットは牧場主に向かい、錬金術工房建設の功によりバルディエから授けられた工房長の身分証明書を示し、
「彼の才能を弼けたいのです。自由にタピスリーの仕事に専念できるよう。何か良い考えはございませんか? 良い売り込み先は‥‥」
暫く考えていた牧場主は、はたと膝を打ち。
「先頃、ドレスタットの若い貴族が、3倍の海賊を海戦で討伐すると言う勲を立てたそうだ。彼の父なら、きっとそれを題材としたタピスリーを創るとなれば資金を出してくれるだろう。そして、お家の名誉のためと説得すれば、そいつを人目に付く場所に展示する事を二つ返事で了承してくれるに違いない。ただ、問題は戦いだけをモチーフにしたものならば、あいつが織りたいと思うかどうか‥‥」
リセットは猫の1ダースも被って言った。
「その貴族のお仲間には、弓の名手の可愛らしいパラのお嬢さんや、異国の珍しい服を身に纏ったお武家様、今アルテミシアと噂される聡明なシフールの学師様もいらっしゃったそうです。また、海賊の情報を調べるためにロバのパン屋や大道芸人をやったとも聞いていますよ。海戦ではなくそう言ったモチーフならばひょっとして‥‥」
「それとなく持ちかけてみよう」
牧場主は引き受ける。リュシアンのためには良いことだろうと思いながら。
さて、舞台は変わりリュシアンの仕事場。机の上にはハーブティとお菓子。目の前には、冒険者。
「お久しぶり。元気そうでなによりだね。あ、これ外のクラウに少し貰うね」
焼き菓子を一つ持って外に出たセルフィーが部屋を出て戻るのを、ぱちくりと状況把握が完全にできていない目でリュシアンは見つめた。
「‥‥いつから、部屋の中に?」
「お昼過ぎ頃だったかな。多分。もう夕方よ。凄い集中力ね」
夕方、糸目が見えなくなってきて、初めてリュシアンは織り機の前から離れた。
背後に立っていた旧知の冒険者の顔を見て、驚き‥‥説明を求めて、今に至る。
「ねえ、リュシアンさん。知ってる? 最近周囲に変な人がうろついているの?」
「変な‥‥人?」
窓を閉めるフリをして‥‥。そう言われて席を立ったリュシアンは冒険者ほど目はよくなかったが、確かに誰かがいるのは‥‥感じた。
「何か、うちに用なのか? 鍵もかけてないし、入ってくればいいのに‥‥。皆みたいに」
「多分ね、入ってこれないお客なんだよ。実は、エレさんに頼まれたの」
セルフィーとプリムは侵入を詫び、エレからの依頼について説明した。
「そんなことが‥‥? でも、うちは見てのとおりのボロ家で盗まれるようなものも無いはずだし‥‥」
「うん、待ってる間、ちょっと声をかけてみたら、こそこそ逃げるの。怪しいよね。だから‥‥」
二人はリュシアンに説明する。事情と、作戦を。
「フォーリィが囮にするみたいで悪いけど、って言ってたけど‥‥これも犯人を捕まえる為だから‥‥」
優しくかけられた言葉が、自分を気遣うものだと解る。否もない。
「お願いするよ」
下げられた頭に、自信に満ちた笑顔が答えた。
「落とし物ですよ?」
突然かけられた声と、差し出された品物に男は後ずさった。
「あ? 違う違う。それは、俺のじゃない?」
「そうですか? それは、失礼しました」
丁寧な口調で青年は謝罪すると、羽ペンをしまい、頭を下げた。
「私は向こうの牧場で働いているものです。ここの工房の人のお手伝いをしにきたのですが、今日はもういいそうなので帰る所です」
向こうで待つ仲間だろうか? 女性が早く、と手を振っているのが見える。
「仕事はまた明日だそうです。ほら、もう窓が、木戸も閉められている‥‥」
青年の言うとおり、まだ開いていた窓も閉められ、灯りも消えそうな感じだ。
「何か、御用事なら明日の方がいいですよ? では」
丁寧に会釈をして彼は仲間の方に歩いていく。挨拶された男の方も、街へと戻っていった。
真剣な目、足早で。
「あれは‥‥やはり‥‥」
「ええ、多分そうでしょうね」
薄暗がりに消えていく影は、これから何かをしようとしているように見えたと氷室明(ea3266)は買い物籠を持つルメリア・アドミナル(ea8594)に語った。
「皆さんに、ご幸運を‥‥」
ボルト・レイヴン(ea7906)は工房に向けて十字を切った。
●襲い来る影
その夜、工房の前に夜の闇より暗い影がまるで芋虫のように蠢いた。
「まったく。一度でも工房を出てくれりゃあ、話が早いのによ」
「仕方ないだろう。まずは男を捕らえて‥‥シッ!」
微かな音を立てて、影は木陰草陰へと身を隠した。邪魔をされた怒りをその身に沸き立たせて。
だが、そんなことなど知る由も無く鼻歌を歌いながら少女が道を工房に向けて渡ってくる。背後にはカンテラを持って控える侍女らしい娘が一人。
「お嬢様、こんな真夜中に夜歩きなど危険でございます」
「だって、星がこんなに綺麗なんだもの。あ、あそこに座って休も?」
言うと少女は工房の前のたたきに腰を下ろして空を仰いだ。ため息をつきながらも侍女は側に控えてショールを主人の肩にかけた。
「お星様、綺麗ね。外は涼しいし‥‥気持ちいいなあ」
「おい、あの娘、あそこに居座るつもりっぽいぜ」
「どうするよ? そろそろなんとかしねえと、依頼主も怒り出すんじゃねえか?」
「‥‥仕方あるまい。とりあえず、殺すな。中に入って普通の、物取りに見せるんだ」
「「「おう!」」」
星は夜が更けるごとに美しさを増していく。
だが、それと正比例してルリの瞼も眠りの誘惑に負けてゆっくりと落ちていく。
(「ふにゃ‥‥頭がとろとろ、溶けそう‥‥」)
その時!
カサカサガサガサ! 影が動いて一気にルリに迫った。
「キャア!」
「ルリ様!」
遊ぼうと、声をかける間も無かった。ルリと侍女はあっという間に口元を押さえられ自由を奪われた。
ぬいぐるみも地面に落ちる。
「遊んでんじゃねえぞ。仕事が先だ!」
「ちっ! まあいい、後で遊んでやっからな!」
猿轡をかませ縛られた二人を、少し惜しそうに見つめて男達は部屋の中に入っていく。
「‥‥‥‥!」
微かに涙目を浮かばせながらルリは工房の中に向けて、必死に声を出そうとした。その背後にゆっくりと近づく影も気付かずに‥‥。
「!」
侍女は気配を感じ‥‥振り返った。そこには‥‥。
部屋の中は乱雑で、糸や羊皮紙などがそこら中に転がっている。
男四人が部屋に入ってしまえば身動きなどできなくなりそうだ。
「羊皮紙に書かれたものは全て奪っておけよ。ああ、あと織物と織り機も壊しておくんだ。俺は‥‥向こうの男を捕らえておく」
部下らしいものに命令すると、男は部屋の奥に足を踏み入れた。入り口近くにテーブルと椅子。織り機があった。
奥が確か寝室、というかベッドだったはずだ。眠っている工房の主人を捕らえておけば‥‥。簡単な仕事、と甘く見てさしたる警戒もしないで彼は足を踏み入れた。次の瞬間、彼はその場に足を止めた。まるで彫像のように足を止める。
「どうしたんで‥‥ゲッ! ボス! 一体どうしたんで‥‥!?」
「ルリさんを傷つけるなんて、許しません!」
「泥棒か‥‥、どうみても好意を持つ相手ではないようだな」
男は返事が出来なかった。闇に浮かぶ棍棒持つジャイアント‥‥。光る目に睨まれた時、男にできたのは兎のごとく逃げること。
「に〜がすか!!」
走りかけた男は狭い部屋の中で足をもつれさせ、床に顔面と共に激突する。その音に室内を物色していた残りの男も、初めて状況を知った。
「拙い! 逃げるぞ!」
慌てて外に逃げ出した男達は、外に出るまでに男一人になる。
「くそっ! 捕まったか。俺だけでも‥‥!」
「‥‥フフフ。逃がさないわよ。絶対に‥‥フフフ‥‥」
「フォーリィさん!!」
張り詰めた空気が広がる中、闇の中から現れたフォーリィは笑いながら男の前で短剣を閃かせ、交差させた。
「ぐあああっ!」
クロスの血筋が鈍い悲鳴を生む。
「犯罪者に容赦なんかいらないわよね‥‥フフフ‥‥」
「拙い!」
念のため戦闘には関わらせないつもりだったが、いつの間にかフォーリィは血の宿命に囚われている。
「早く、なんとか‥‥!」
スッと音も立てず仲間達の横をセルフィーはすり抜けた。蹲る影を背中に庇い‥‥仲間であるフォーリィを見つめる。
「あら‥‥悪人なんか庇っちゃダメよ。でないと一緒に苛めちゃうから♪」
一歩、一歩と近づいてくる‥‥今一番の敵。決意と思いを込めてセルフィーは閉じた目を開いた。
「ごめん! 頭を冷やして!」
ピン!
彼女と戦わない為に、彼女との約束を守る為に。
「これで‥‥終わりかな?」
寝室で隠れていたリュシアンとプリムがカンテラで照らし出した時、そこには呻く三人の男と、二つの氷の棺があった。
●追う背中、追う思い
「間に合わなくてごめんなさい‥‥。でも、皆無事で良かった」
礼服から普段着に着替えて頭を下げるティアイエル・エルトファーム(ea0324)にプリムはいいの、いいのと手を振った
「無事かなあ‥‥ルリさんが捕まりそうになるし、誰かさん狂化しかけるし、工房もちょっと大立ち回りで壊れたけど‥‥まあ、多分成功だったね。やっぱり」
「ごめん‥‥そして、ありがとうね」
頭を下げたフォーリィに仲間達は軽く笑って手を降る。気にしなくていい、と言葉ではないもので言っている。
縛られて、赤くなっていた手を擦りながらルリは恐怖の体験を思い出して身震いした。
「怖かったの‥‥。苛められるかと‥‥思った」
「ルリさんも、知らない人にはただの女だもんね‥‥ヤバかったかも‥‥。囮を連れて行ってくれるとは限んないもんね‥‥」
ふう、と息をついたフォーリィの後ろでドアが開いた。
入ってきた二人。セルフィーと風龍の口元からもため息が吐き出されているのを感じ、皆の視線が彼らに向かう。
彼らは 捕まえた男達の尋問を担当していたはずなのだ。
「どうじゃった? 何か話は聞けたか?」
フランク・マッカラン(ea1690)の問いにセルフィーは肩をすくめた。
「いまいち。やっぱ相手もプロでね。大分脅してやったんだけど、大したこと話してくんないの」
「確かにな‥‥」
『てめぇ! 何いらんことしてるんだ!! ‥‥どういう理由かキリキリ吐け!!」』
『また氷漬けにして海に沈めてあげようか? ルルお嬢様に狼藉した以上。きっと地獄をみることになるよね』
かなり絞り上げても彼らは頑として依頼人の名前は吐かなかった。いや、案外、名前は聞いていないのかもしれない。
「‥‥ただね。依頼の内容だけは喋った。彼の部屋にある目ぼしい書物やメモを取ってこいってことらしいよ」
「あいつらに情けなんかかけてやる必要は無いと思うがな‥‥。牧場主に後で自警団への引き渡しを頼んでおいた。お嬢様直々のお慈悲で、狼藉の一件は赦免してやると奴らに言い含めて置いたがな」
相手が恐れてくれるならばそれでよい。二人の仕事を労うと冒険者達は考える。
「書物や、メモ‥‥。やはり機械や財産ではないのか‥‥。ならば、奴らの狙いは‥‥」
「やっぱり、色合いの秘伝なんでしょうね」
腕を組むイワノフはルメリアの言葉に頷いた。それを裏付けるようにティアイエルは報告する。
「あたしはね、ドレスタットでブレンダン氏の工房や、商売について聞いてきたの。彼の家は元々織物工房でそこから派生して染料商人も始めたらしいよ。今の主人も織師修行してたことがあったらしいけど」
で、と店で聞いた事を思い出しながら本題を語る。
「最近は金持ち向けに、優美な赤や、豪奢な紫とか布も売り出そうってしてるみたい。でも、そういう色の布ははっきりいって馬鹿高でね‥‥。この間見せてもらったような簡単な技術で染められるんならぼったくりだなあ、って思ったよ。言わなかったけど」
「ブレンダンはメルジャンと兄弟弟子であったことがある、と‥‥牧場主は言っておったよ。メルジャンは早くに独立し、ブレンダンは実家を継ぎ、そう長いことではなかったようではあるがな」
「えっ?」
突然のフランクの発言に、彼らの目が丸くなる。ただ、牧場主はそれ以上のことを教えてはくれなかった。思い出す。あの苦虫を噛み潰したような顔の後に言った言葉を‥‥。
『詳しいことは、リュシアンに聞け』
「えっ? リュシアンさんに?」
ルリは首を傾げた。彼が‥‥知っているのだろうか?
「ブレンダンだったら、知ってる。父さんの古い知り合いだって」
工房で機に向か糸を繰るリュシアンは事も無げにそう言った。この言葉が出る少し前、タピスリーを織る所を見せて欲しい、とリュシアンに冒険者達は頼んでみた。
「他国の芸術にはすこぶる興味がありましてね。よければ私にも少し、覗かせてもらいたいのですが‥‥」
明は遠慮がちに聞くが‥‥エレの言葉どおりリュシアンは染色の時と同様、あっさりと頷いて工房に入れてくれた。
「縦に糸を張って、手で機械を動かすやり方もあるけど、うちのやり方は地面に向けて水平に近い形で縦糸を張り、足で動かすんだ」
丁度小さなドアマットを織り終えた所で、彼は糸の張り方から基本的な糸の用意まで目の前でやってみせてくれる。
「これは平織りだから割と簡単にできたけど、タピスリーは本来、縦糸を横糸で完全に覆い隠す技法のこと。だから、絵になる部分は全部横糸で織るんだ」
正確に縦糸を配置していくと、今度は色糸をいくつもの板のようなものに通していく。これは、シャトルと呼ぶのだという。シャトルを縦糸に通していくことで糸が絡まって絵を生み出していくのだ。
「デッサンが決まった時から、この織物に使う糸はこれだけ、と決まる。織物の縦の長さと、緩み分、それからつなぎ目の余裕とかを全部計算して出すんだ。それから色糸ごとに必要な長さを割り出して、それぞれのシャトルにセットする。縦糸も同じ。密度や織り幅、丈、緩み分を計算して出してセットする。その計算までやるのは、初めての人には難しいかな?」
ぼんやりとした青年が、タピスリーの話しになるとこれだけ饒舌になり、細かい計算と作業を即座にやってのける。先の染色の手際以上に、冒険者達は目を見張り驚かさせられた。
「え〜っと、糸の計算式は‥‥縦の長さと幅と、緩み分‥‥、や、ややこしいんだね。判らなくなりそう」
「まだまだ、これは絵らしい絵じゃないけどさ、本当のタピスリーを織るなら、飾られる場所やそれを見る人の視線も計算に入れるし、物によっては糸の種類を変えたりするよ。糸の太さが違うとまた長さが違うし‥‥」
「もうだ、だめ‥‥。よく計算できるね‥‥」
「慣れてるから‥‥。ほら、できたよ」
セルフィーが頭をかかえている間に、もう縦糸はほぼ織り機にセットされた。
何本かのシャトルが縦糸の間をススッと通っていく。数色の糸を巧みに持ち替えながら彼は一筋の糸を横幅に通し、筬を前に引き寄せる。
「こうして、糸を通していく。そして筬で糸を詰めるんだ。下絵を爪で薄く描いて、デッサンを横に置いて‥‥一筋の糸が絵の表情をまったく変えてしまうから‥‥根気と絵心と、年季が必要だと思うよ。俺は、まだまだ父さんにはかなわない」
また、絵にも模様にも見えないこの数本の糸が、どのような形になり、どんな絵を紡ぐのか‥‥。
「本当に、凄い‥‥尊敬しちゃう」
思わず魅入ってしまった彼らだったがふと忘れかけていたことを思い出した。リュシアンが夢中になって周囲を見られなくなる前にと、疑問を聞いてみた。ブレンダン、という人物を知っているか? と疑惑を避けて。そして、その答えが先ほどの言葉である。
「なんで、それを早く‥‥」
「だって‥‥悪い人では無かったはずだから。工房を売る前にもいろいろ親身になってくれたし、彼が‥‥何か?」
糸を整えて、区切りのついた所で、こちらを向いたリュシアンの顔は真っ直ぐで、疑うことを知らない、そんな目に冒険者達には見えた。
「その‥‥親身っていうのは‥‥?」
「工房は買い取るけど、俺も一緒に仕事をしないか? とか父さんのデッサンとか絵とか書物を買い取るとか‥‥」
「‥‥で、それを受けたのか?」
(「こいつは‥‥」)
頭が痛くなる思いでイワノフは訪ねた。見るからに怪しい誘いではないか? それを不審には思わなかったのか?
「父さんが大金を借りてたのは事実みたいだから、工房やある限りのデッサンとかは全部売った。工房はこれからも織物工房として使うって言っていたから参考になるかもしれないしね」
「なるほど‥‥だが、工房で働かないかという誘いは断ったんだな」
「ああ、父さんの工房の名前は守りたかったし‥‥それに‥‥」
「それに?」
いいかけて止めたリュシアンに冒険者達が確認するように問いかける。
「ブレンダンはさ、言っては拙いかもしれないけど、父さんとはまったく考え方が違う人なんだ。タピスリーや染色に対する考え方が‥‥」
寂しげに笑って、リュシアンは思い出す。昔、ブレンダンが父と家の前で言い争いをしていたのを。
『技術は金を生む。その腕を腐らせたくなかったら、俺に力を貸すんだ! お前を大金持ちにしてやる』
『技術は人の心を豊かにし、幸せにするものだ。皆の為に使うと言うならともかく、金儲けの為に使うというのであれば‥‥』
「ブレンダンにもリセットさんにも言ったけど、俺は織物を織ってれば幸せだし、俺が作ったもので誰かが喜んで、それを好きになってくれればそれ以上何も望まない。俺は、間違ってるのかな?」
間違っている、とも正しい、とも冒険者には答えることができない。それを答える権利も無い。織り機に向かう青年の背中を、その指から紡ぎ出されるある種、魔法のような技術を、そしてそこに向かう熱い情熱を否定することは誰にも出来なかった。
レオニール・グリューネバーグ(ea7211)は商人達のギルドに接触した。いくつかの情報収集と、そして交流。
「ブレンダン商会の羽振りはどうだ?」
「まあ、いいようだな。最近は豪華な服とか、特徴的な衣装とかに人気が出てるから」
「新しい織物工房の方は?」
「評判はいまいちだ。腕のいい織師があんまりいない上に安かろう悪かろうの誇りの無い出来だ、って顧客は離れてるらしいから‥‥」
「なるほど‥‥な」
雑談から、声を潜めて顔を寄せる。それが表にできないことだと伝える為に。
「明らかに真っ当とは思えない者を出入りさせていたらしいが、知っているか?」
「まあ、そういうこともあるだろうな。そんな商人珍しいことじゃない。ああ、いらっしゃい!」
あっさりとかわされ、別の客の接客に逃げられたことに、レオニールは舌を打った。
「悪しきものと向き合わないのか‥‥」
思い出す。あの青年の真っ直ぐな目を。聞こえはしないだろうが、遠い空の彼にエールを送る。
「リュシアンよ。向上の努力を惜しまず絶え無き研鑚を積むこと。之こそ父なる神の御心に適う行ない。鍛錬を怠らない者にこそ主の栄光が与えられるであろう。その為の手助けをしよう‥‥必ず」
「また失敗したというのか? で、我等の名前は出ておらぬだろうな」
「今のところ大丈夫のようです」
「メルジャン‥‥死しても邪魔をするか‥‥。だが、いつまでも黙ってはおらぬぞ‥‥」
燃えるような熱い情熱。
暗い怨念にも似た思い。
二つのまったく違う意思が同じ一人の人間の背中を見つめ、何かを追いかけている事を冒険者はようやく気付き始めていた。