●リプレイ本文
●夢の真似事 モデルデビュー?
冒険者ギルドに貼り出された依頼を見て、イワノフ・クリームリン(ea5753)は眉を上げた。
「あの、リュシアンからの依頼か‥‥」
腕を組み、顎を撫でる。心底真剣な目で。
「何か問題が起きてるのではないか‥‥確かに、誰かに狙われていた。彼は‥‥」
思い、心配になる。彼は依頼場所に足を急がせた。
「トラブルに巻き込まれているのではないだろうか。大丈夫か?」
牧場の納屋という集合場所に首を捻りながら、急ぎ行く。小屋が見える。少し気を抜いた時のことだ。
それは聞こえた。
「きゃああ!!」
(「悲鳴!」)
思わず駆け出した。そしてドアを勢いよく開ける。
「大丈夫‥‥かあ??」
想像した乱闘も、阿鼻叫喚もそこには無かった。有るのは、いや居るのは細い板の上、バランスを取りながら剣を構えるリセット・マーベリック(ea7400)と彼女の腕を掴む依頼人リュシアン。
そしてそれを生暖かく見守る冒険者達。
「な、何をしてるんだ?」
「えっ? タピスリーのモデルをお願いしたんです。海賊退治の船の上での戦闘シーンを今‥‥」
瞬きを二回。リュシアンはそう答えた。
「モ、モデル?」
依頼書の内容を見落としていたのだろうか?
「身のこなしには、結構自信があったんですけど‥‥ちょっとバランスが‥‥、あ、そうだ。イワノフさん。その板揺らしてみてくれませんか?」
仲間内で一番体力があるであると見たのだろうか? イワノフにリセットは手を合わせた。
「船は揺れますからね。バランスをとるために足を踏ん張ったりする所を描写できれば、迫真性が増すと思いますから」
「あ、手伝って下さるんですね。助かります。私もちょっと着替えをしたいですからね」
板をはい、と渡して氷室明(ea3266)は微笑む。無言でそれを受け取ったイワノフは何故か、何故か遠い目を空に向けた。
「モデル‥‥フッ」
その目の理由を何人かの冒険者達は鋭く察し、そのうち何人かは小さく微笑んだという。
「えっと、そっちの手は‥‥右に、剣は持っていたほうがいいですかね?」
イワノフと明、海賊役の二人を前にリュシアンは腕を組んで考える仕草をした。
「海賊はあまり武具を付けないと思うが‥‥どうする?」
「一応、ヘルムやそれっぽい道具は積んでありますから必要ならお貸ししますよ」
「えっと、あたしはどうしやしょうね。役柄としては、あれです。海賊の下っ端あたり希望なんすけど‥‥」
頭を掻く以心伝助(ea4744)の手をダメ! というようにディアルト・ヘレス(ea2181)が引いた。
「海賊役ばかりじゃお話にならないだろう? 伝助殿はとりあえず、こっちに来て頂こうか? 人遁の術でいろいろ変身できるのであろう?」
ふむ、とリセットが顎に手を当てる。計算してみると‥‥
「私があと、こちらに入っても‥‥海賊側にもう少し人手が欲しいかもしれませんね。あ、そこでのんびりお茶してないで手伝ってくれませんか?」
「そこって‥‥あたし? あたしにはむかないよ。髪の毛上げて海賊のあねさん、ってのもムリありまくりだし」
「あたしも海賊にしてはちょーっと線細くない?」
突然矛先が向けられてティアイエル・エルトファーム(ea0324)とセルフィー・リュシフール(ea1333)は同時に同じ仕草で手を振った。
だが、か細い腕は力強く掴まれずるずると引き寄せられていく。
「申し訳ないが、貴殿らは逃がさぬ。どうせなら一緒にやらねば勿体無いだろう。このようなことをジャパンではなんといったか‥‥」
「一蓮托生、とか死なばもろとも、とかですかね」
苦笑する明はレオニール・グリューネバーグ(ea7211)にそう答えた。海賊の眼帯やヴァイキングヘルム、斧まで持って海賊姿に完全になっている騎士の真剣な表情が少しおかしい。
「海賊と言われた時、ぱっと思い浮かんだイメージの装備を用意してみましたが‥‥どうもサマにならないような気がしたりしてたんですが、お似合いですよ」
ずるずるずるずる‥‥。
「あ、解った。やるからから。ね。ね」
「レポートだけ、置かせてよ! 頼むから」
「こういうのは、敵が多いほうが絵になると思うんですけど、どうです?」
女性陣の着付けを考えながら、リュシアンにリセットは笑いかける。
「3人の敵に5人の海賊。それくらいが‥‥バランスいいのかも‥‥」
「そうっすよ。海賊退治みたいな英雄物語は少数VS多数で勝った方がそれっぽくないっすか? というわけであたしは海賊その6に‥‥」
「ダメ!」
思っていたよりもずっとしっかりと演じてくれるつもりらしい冒険者に感謝しつつも、彼は職人の頑固さと芸術家の頑なさで細かいダメ出しをしていく。
目は真剣だ。
立ち居地や剣の振り上げ方。盾の使い方に、揺れる船でのバランスの取り方などなど、冒険者のアイデアや意見を取り入れながら彼なりの『海賊退治』その一場面を納屋とその頭の中に広げていく。
きっと、今、彼の心の中には大海原で繰り広げられる海賊退治がイメージされているに違いない。
海賊退治の英雄マレシャル役がディアルト。同じノルドの使い手としてシンプルに構えを付ける。
リセットと伝助がその背後に魔法使いと剣士として仕え、敵を睨みつける。
伝助は人遁の術で本当の助っ人役に化けてみようとも思っていたが、術はそう長くは続かないのであえて素で言ってみることにした。
(「ちょい、恥ずかしいですけどね。正義の味方役ってのはどうも‥‥」)
片や海賊側がパワーを重視した面子を全面に押し出す。イワノフと明、レオニールが余裕の表情で武器を掲げ、冒険者達に向かい合う。
細身の少女二人は少年のような仕草で身軽さを強調した。
「よし、このまま‥‥しばらく、動かないで」
「しばらくって、どのくらい?」
「大よそのポーズを書き終えるまででいいから‥‥」
「だから、それってどのくらい?」
「‥‥‥‥」
もう返事は返らない。絵に集中しきっているのだ。
慣れない人間が一つのポーズをとり続けるのはかなりの苦行である。まして、鎧をつけ、衣装を付け、武器を持ち、そしてこの暑さだ。
冒険者達の身体に汗がじんわりと滲み出て来る。
でも、誰も口にはしなかった。彼の目に自分はどう映っているのだろうか? このままごとのような光景が一体どのような絵に、そしてタピスリーに変わるのか。
それを楽しみに震える筋肉に懸命な力を込めていた。
●ささやかな願い
彼らがモデルから解放されたのは昼の真上だった太陽が、そろそろ下に降りつつある頃だった。
「もういいよ。大体描けた」
「ふう〜」
「疲れたあ‥‥」
「動かないでいるということがこんなに辛いとは思っていませんでしたよ」
冒険者達の多くが地面にへとへとと座り込んだ。肩を揺らし、腕を回す。
「ゴメン、俺、夢中になると他の事気付かなくなるんだ」
疲労しきった彼らにリュシアンは頭を掻いた。
「解っているなら直さなくっちゃ。はい、皆さん。お疲れ様。冷たいミルクと食事でもどうぞ」
タイミングを見計らって来たのだろうか。ナイスタイミングとしか言いようのないタイミングでエレはカップの置かれたお盆を持って中に入ってきた。
遠慮する体力はもう残っていない。
「やった! 頂きます」
稲妻の速さでカップを握り締めると息を付かず彼らは中身を飲み干す。冷えてもなお伝わる濃厚な味わいが喉から下っていった。
「美味しい! やっぱり一仕事のあとの一杯は格別よね」
「外の犬さん達にも差し上げておきますから」
気が利くエレにティアイエルはありがとう、と心からの感謝を贈った。
「かくれんぼはもう終わり。ルリもお手伝いするね」
「ルリさん、重いですけど大丈夫ですか?」
焼きたてのパン山盛りの籠を細い手で抱えてルリ・テランセラ(ea5013)が小屋の中に入ってくる。そう言えば最初は一緒に見ていたはずだったのにいつの間にかいなくなっていたな。と冒険者達は思い出して見る。
エスト・エストリア(ea6855)の手にあるのはシンプルに味付けられた夏野菜と、肉料理だ。夏の暑さの中でもなかなかに食欲を刺激する。
「どうぞ。大したものはありませんけど、召し上がれ」
彼らはその勧めに素直に従った。それぞれの手が料理に伸び、美味しいという感謝の言葉を返した。
「良かった。沢山食べて下さいね」
ミルクのおかわりを注ぐ細い指のいくつかは微妙な赤みを帯び、いくつかには白い布が巻かれている。
「痛々しいですね。それは、火傷でしたか?」
給仕の手伝いをしながらエストはエレに聞いて見る。なるべく世間話のように軽く。だ。
「ええ、最近この近辺でボヤが多くて、私たちや近所の人たちも結構見回りしているんですけどね」
「‥‥小火、全てを燃やし尽くす火は恐ろしいよな」
料理を口にしながら冒険者達は軽く話す。ワザと。
「良ければ後で薬でも、差し上げますよ。あと、石鹸も。使い心地を柔らかく作ったつもりなんであとで感想を聞かせて下さいね」
「ありがとうございます」
「この時期、下手をすると焚火程度の炎でさえあっという間に燃え広がりますからね。小火が多いというなら、見回りくらいは行ってみましょうか〜」
軽く言ったが、彼らの誰もが知っていた。
依頼はまだ終わってはいない。真にやるべきことはこれから始まるのだと。
「まあ、いろいろあるんでしょうね。良かったら後でいろいろ教えて下さいよ。研究対象として興味がありますからね。あ、流石上手‥‥苦労したかいがありますよ」
「ねえ、これが、ルリの方のタピスリーの下絵?」
セルフィーが軽く笑った横で下絵の後処理をしていたリュシアンの手元をルリはよいしょ、覗き込んだ。驚くようにリュシアンは横を見るが‥‥隠すことなくそれを見せてくれた。
「もう、こっちは織り始めてるんだ。もうじき完成するよ」
「うわ〜、綺麗。ルリより綺麗かもしんないね」
ぬいぐるみや花に包まれた少女を祝福に訪れる天使。その手に持った純潔の百合の花。花畑に座る少女のドレスは裾がどこか見えないほど花に自然に溶けていく。
スケッチでこれだけの表現が出せるのであれば、色を使用したタピスリーではどうなるか。ルリでなくても気持ちが湧き立ってくる。
「この仕事は俺のこれからがかかってるからね。この仕事成功させて、タピスリーの技術を認めてもらって‥‥もっとタピスリーが一般化できるようになったら、染色の秘伝とか技術を公開しようと思うんだ」
彼の眼差しはスケッチの向こう、タピスリーの未来を見ているようだった。
「独占すれば、商売として大もうけできるのに? という質問は愚問でしたね」
リセットの言葉にリュシアンは頷く。
「俺の夢は、父さんの残した技術を多くの人に伝えること。そして‥‥その技術で沢山の人を微笑ませること‥‥」
「リュシアンさんならできるよ。完成、あたしたちも楽しみにしてるから」
セルフィーの微笑みに冒険者達も頷く。心からの笑みで。
笑顔たちに囲まれて、リュシアンは嬉しそうに腕を叩いた。
「任せて! これだけ皆に迷惑をかけたんだ。最高のタピスリーを作って見せるから!」
(「あれ、この天使の絵って‥‥」)
じっとスケッチを見ていたルリはあることに気付く。天使の祝福を受ける少女は確かに紛れも無く自分だ。恥ずかしくなるくらいよく似ている。
だが、この空から優しく微笑む天使は‥‥。
ふと、顔を上げてある人物のほうを見る。彼女の笑顔はよく似ていた。
「そっか!」
ルリは小さく、嬉しそうに微笑んだ。
●燃え上がる思い 極寒の風
「ボヤや、野火が多発か‥‥なにやら裏がありそうじゃな」
工房を外から眺めていたフランク・マッカラン(ea1690)に李風龍(ea5808)は駆け寄った。
「不審火はやはり、人気の少ない所で起きていることが多いな。刈り取った干草の周辺とか集めた薪とか‥‥一応消火用の水を用意したりはしておいた」
「そうか‥‥では、やはり‥‥お!」
「もう、ズルイよ〜。モデルから二人して逃げて〜」
犬の声と一緒に走ってくる声に二人は顔を見合わせて肩を竦めた。
「逃げたつもりはなかったんじゃが‥‥人手は足りておるようだったのでな」
「できる範囲の見回りはしておいたので‥‥俺にはタピスリーつくりの手伝いはできないと‥‥」
「まあ、いいですよ。それに多分これからが本番ですからね」
頬を膨らませるティアイエルをまあまあ、と明は宥めた。
工房にさっきリュシアンは戻っていった。しばらく工房に篭ると言っていた。いよいよこれからが彼にとっての正念場だ。
だが、冒険者達は手助けすることができない。
彼自身の腕こそが試される時だからだ。
「相手も形振り構っていられないようですね。なればこそ、今、我々にできることは彼を作業に集中させてあげること」
「余程剛毅な方でも、家族や恋人を狙われると弱い。できれば放火犯を捕縛し黒幕を自白させたいところですが‥‥」
もうじき日が暮れる。工房にもランプの明かりが灯った。
犯人がいて、その人物達が動き出すとしたら、そろそろだろう。
「私たちの仕事はここからです」
「早く悪いことしている人捕まえていっぱいおこらないとダメだよね。がんばろー!」
ルリが明るく笑って手を上げた。ここは意気を上げるのもいいかもしれない。
苦笑とそして決意を拳に込めて、彼らは手を上げた。
今回の狙いは工房か、それとも牧場か。
冒険者達が今回頭を悩ませたのはそこであった。
ある者は思う。
「賊は警告や邪魔のつもりかもしれない。本格的な仕事を始めたら賊はそれまでのは効果がなかったと大きく動くだろう」
またある者は考える。
「誘拐されてリュシアンさんが一番動揺する人がエレさんだろうしね。彼女を狙ってリュシアンさんに間接的なダメージを与えるってのが目的かもね」
ティアイエルや伝助、その他皆で実況見分も含めて調べてみたところ‥‥放火のポイントの半分以上は牧場の近辺に集中していた。
「エレ殿の周りで火をつけまわっている輩がいるようじゃのお」
フランクの言うとおりで、残りの半数は本当にあちらこちらだった。完全にばらけている。実際に工房の間近でも何件もあったらしい。レオニールは周辺の住民と連絡を取り合い防災協力を持ちかけていた。
だが‥‥。
「この数と、周辺の様子。そして今までの状況から察するに‥‥」
『相手方はリュシアン支援者の住まいを焼き払うことで、リュシアンをどん底に落とし、さらなる脅迫により技術を盗むことだと思われる』
ディアルトの言葉を思い出しながらリセットは牧場の側の木の枝から周囲を見ていた。
「ん? あれは!」
さっき、自分達がモデルをしていた古い納屋の向こうに何かが動いたような気がしてリセットは瞬きをする。
影が通る。野生の獣でも、動物達でもない。おそらくは頭の黒い獣が数匹。
身軽に木から降りて彼女はそっと近づいてみた。
「来ましたか?」
友人の動きを察知したのだろう。下で見張りをしていたエストが駆け寄ってくる。
「ええ。多分。皆さんも気付いてますかね‥‥」
足音をなるべく忍ばせて二人は影に近づいて行こうとした。リセットと違いエストの足元で草はかさかさと音を立てるが‥‥音は気にはならなかった。
他にも聞こえてくる音に掻き消されて。
パチ! パチバチパチ!
「火の爆ぜる音! 皆さん! 火事です!」
大きな声が影達の真後ろで響いた。
ハッとも、しまった、とも感じられる仕草をして影達は背後の気配を避けて逃亡を目指しダッシュする。
だが、駆けつけて来た人間達は彼らの退路を完全に遮断する。
古い木造の小屋の裏手。詰まれた薪に既に火が移っていた。
右と、左から一つずつ呪文が紡がれた。
「火よ‥‥消えて!」
「水よ。現れ出でて炎の上に落ちろ!」
二つの魔法が重なり合って、火はあっという間に沈黙した。
「チッ!」
小さく舌打ちして影達は右と、左に目を遣った。
右には細身の魔法使い二人。左には剣を帯びた男達が数名。
組し易いのは右!
影達は勢いをつけて突進した。
「キャアア!」
複数の男の突進に思わずリセットは尻餅をついた。エストの側にも風が吹き抜けていく。
「しまった。逃げられるか!」
フランク達が地面を蹴って追いかけようとしたとき!
ガキン!
鈍い音がして、何かが固まったようだった。それはエストの指差した先、影の一つ。
「くそ!」
一瞬振り返るが、先に進んでいた影達が足を止めることはその後無かった。瞬く間に一つの石像を残し彼らは闇に溶ける。
「逃がした! 素早い奴らだ」
「他に、炎の上がっているところが無いかどうか、みんなで調べましょう!」
明の指示に冒険者達は牧場の全てをチェックした。念のためにリュシアンの工房までも行って見る。
「どうしたんですか?」
「来たの? あいつら!」
「ワン!」
家の中で心配していたのだろうか? 慌ただしさに気が付いて扉が開かれエレとセルフィーが顔を出した。
「とりあえず、大丈夫ですわ。ご心配ならないで下さい」
エストはニッコリと微笑む。
彼女の背後には、見事な男の石の彫刻が立てられている。
モデルが悪いのかそれは無骨で汚らしく、優美とか芸術的とはあまりにもかけ離れていたがまるで生きているように見事な彫像。
「何時の間に‥‥」
瞬きするエレの背後。小さな椅子の上ではぬいぐるみを抱いたままそれでも起きていようと頑張ったらしいルリがこっくり、こっくりと船を漕いでいた。
その日の夜。
牧場近辺で小さな野火はいくつか起きた。
だが、その殆どは未遂で終わったようだった。
大きな煙は幸い殆ど上がらなかった。
乾燥していた空気の中、何故か火が燃え広がらなかったのには冒険者の活躍が大きかった。
用意しておかれた水や砂で、警戒を促された近所の人物達が消火に協力した。
意外にも、リュシアンも火の気配に気付くと直ぐに飛び出してきた。
「火が燃え上がっても気が付かないタイプかと思ってた‥‥」
率直なティアイエルの言葉にリュシアンは苦笑して言う。
「火にだけは気をつけてるよ。だって、火や煙はタピスリーの大敵だから」
どこまでもタピスリー優先の思考の持ち主である。
「気が付きましたか?」
教会で目を覚ました男は周囲をぐるり取り巻いている顔に気付いてガバと頭を上げた。
「今度は回復させる手段も考えてから魔法を使って下さいよ」
重い荷物を街まで運んできた男性陣の愚痴をさらりと流した後、エストはニッコリと頭を振る男に目線を合わせた。
状況判断ができる状況になるまで、少し待ってやる。
「貴方は捕まったんですよ。さっきまで石にされていた事を覚えていますか?」
思い出したように男は顔を下に下げる。自分の置かれた最悪の状況にどうやら気付いたようだ。
「ふむ、以前どこかで見たことがあるような顔じゃな。おお、ブレンダン工房に以前出入りしていた者に似ておるわい!」
「違う! 俺達は工房などに出入りしていない。大体雇い主に‥‥」
しまった、という顔をして男はさらに顔を下に、下に下げた。
「やはり、ブレンダンの手のものか。正直に知っている事を白状したほうがいいぞ!」
風龍はチンと日本刀の唾を鳴らせた。教会の中であまり派手なことはできなかろうが‥‥ここは舐められるわけにはいかない。
「リュシアン殿やエレ殿の夢を邪魔する者は、俺達が許さん!」
刀を抜きかけた風龍を軽く制してエストが前に出た。何をするつもりなのだろう。
言われるままに一歩下がる。
「ちょっと、見て頂けますか?」
男の前でニッコリとエストは自分の左手を広げた。手のひらにあるのは木の枝一本。そして魔法を紡ぐ。男にとって聞き覚えのある呪文。
と同時に木の枝の色が変わった。葉っぱも新緑から鈍い白に。そして彼女は思いっきりそれを地面に投げつけた。
微妙な音を立ててそれは完全に、粉々に、完膚なきまでに砕かれた。
「どうしましょうか? ねえ?」
ニッコリと彼女は笑う。男に向けて。
その笑顔は上品で美しい。豊満な胸と共に美しく揺れる。だからこそ、だからこそ男の血は完全に凍った。
「はい、白状します。知っていることは全部言います!」
「あら、良かったですわ。後はお願いしていいでしょうか?」
エストは立ち上がり、もう一度微笑んだ。今度は仲間の男性陣に向けて。
血を凍らせて怯えて話し始める男ほどではないが、猛暑の中、何故か彼らは総毛立った。
彼女の笑顔から極寒の風を感じずにはいられなかったからだという。
●黒い注文 そして‥‥消えた天使
工芸品としてのタピスリーはまだまだ知名度の上で圧倒的にマイナーのレベルであったはず。
仲間達からこの一件についていろいろ聞いて伝助はそう思っていた、
だが、最近織物の人気と噂が微妙に上がり始めている。という話を聞いて首を傾げる。
「タピスリーって一朝一夕でできるものでは無いって話じゃなかったけ? この辺で他にタピスリー職人なんかいたのかいな?」
聞いて見ると先に売り出された手織りのドアマットが洒落物として評判になったのがきっかけらしい。
高いのと、品数が少ないことで人気が上がり始め、今はブレンダン商会の新しい店がごく僅か扱っているだけだとか‥‥。
「ブレンダンの店‥‥ね」
幸い自分は、この依頼の手伝いを始めて間もない。最悪でも顔を知られてマークされてるってことは無いはずだ。
「よし。いっちょやってみっかな?」
服を調えて眼帯を外して彼はブレンダンの新しい店とやらを覗いて見ることにした。
「何かお探しですか?」
比較的まともな接客態度を受けて、少し戸惑いながらも伝助は
「あ、気にしないでいいっすよ。ちょっと彼女へのいいプレゼントなんかないかなって見てるだけっすから」
と軽くかわして店の中の観察に移る。
「へえ、思ったより普通の店だったり‥‥」
いろいろな色糸やシンプルな布。ごく普通の女性が入ってきそうな普通の店に最初は思えた。
「ん? あそこは‥‥」
だが、その一角にまったく別のムードをの空間が作られていたのを彼は見つけた。
カーテンの向こうはいかにも上級者や貴族向けの作り。
「あちらは特別なお客さまの場所でございますので、お許し下さい」
さりげなく店員に追い出されかけて、はいはいと店を出かけた伝助は偶然開いた扉の向こうにある物を見た。
美しい装飾の部屋の足元に虹色のドアマット。そして、壁には風景の壁掛けが。
「お願いしましたよ。噂のタピスリーとやらを早く手に入れたいのです。できれば他家に先駆けて」
「はい、お任せ下さい。この街最初のタピスリーを、最高のお品物をお届けいたします」
優雅な貴婦人は満足そうに笑うと部屋を出た。
見送って手もみする商人、彼がブレンダン。だが、怪しい笑みのその男よりも伝助はさっき聞いた言葉が気になっていた。
「タピスリーを‥‥この店で?」
店の外に出た彼は街外れで仲間達と出会った。
「やっぱりまた下っ端か。大した事は知れなかったな」
「でも、今度はなかなか有益な事も聞けましたよ。工房と、牧場を主として狙え、とはっきり言ったと言うのですからね。ブレンダンが雇い主と言うことも確認できましたし‥‥」
「悪いことしている人捕まえていっぱいおこらないとダメだよね。もっとお仕置きとかしちゃってもよかったんじゃない?」
「いや、流石に今回は気の毒だと思ったぞ」
「しかし、まだリュシアンには伝えられんな。はっきりとした動かぬ証拠が無いとしらばっくれられるかもしれん。さてさて、どうするか‥‥!」
「あ、伝助さん。どうなさったんですの?」
自警団に放火犯を突き出してきた帰りだという仲間達に、伝助は息を切らせ駆け寄ると、問いかけた。
「この街で‥‥タピスリー、他に‥‥作れる人、いるんすか? ‥‥ブレンダンの店で‥‥この街最初のタピスリー‥‥売るって」
「「「「「「「えええ??」」」」」」
その悲鳴にも似た声に答える者はまだ誰もいなかった。
「何故、そのようなご注文を?」
「他家が良い物を手に入れると聞いて興味を持った、というのだ。もう注文を受けてしまった。最初の貴族からの注文。後には引けぬ」
「ですが、既にあの者が貴族の館から注文を受けているそうですぞ。しかも完成は間近であるとか。これから突貫で織らせても間に合いませぬ」
「どこまでも、邪魔な奴め‥‥まてよ。この街最初のタピスリーを納めれば良いのだ。先にあるタピスリーが無くなれば‥‥。それに‥‥まったく、何故これに思い至らなかったのか‥‥」
「なるほど、では、そのように‥‥」
放火犯が捕まって一安心。
冒険者を見送ってから弾む思いでエレは家を出た。
手には差し入れのパンと果物。
だが‥‥彼女は気が付かない。
夕暮れに潜む闇からの足音に。伸びる自分を掴む腕に。
「キャアア!!」
微かな音を立てて籠が地面に落ちる。中身が踏み潰される。
心を込めて用意したそれは誰にも食べられること無く‥‥
「誰か‥‥助けて‥‥リュシアン‥‥」
転がり闇に消えていった。
一枚のタピスリーはもう完全に出来上がった。
もう一枚のタピスリーも頭の中では完全にイメージが固まっている。指も頭も止まることなく動く。
「この作品達は、きっと僕に新しい何かを与えてくれる」
彼にはそんな予感があった。
時々気分転換に伝助から貰った貝を耳に当ててみる。目を閉じると海の波飛沫の男が聞こえてくるような気がして元気が出るのだ。
ふと、後ろを振り返り、完成したタピスリーを見る。今のリュシアンのもう一つの元気の元になっている。
端っこにレオニールがデザインしてくれた紋章を織り込んでみた。天使の羽をモチーフにした十字架。
久々に満足のいく出来で、彼は気に入っていた。
特に絵の中で微笑む人物が彼に元気を与えてくれるような気がするからだ。
「よっし! 頑張るぞ〜〜!」
前を向いたその時、リュシアンはもう一度振り向いた。
誰かが呼んだような気がしたのだ。目に付くのは天使と乙女のタピスリー。
「気のせいか‥‥。あれ? 雨漏り。毛玉だ。なんでこんなとこに?」
タピスリーについた毛玉にリュシアンは手で触れる。
それは、乙女を祝福する天使の頬に付いていたもので、何故か涙に見えた。
偶然だったのだろうけれども‥‥。