マチルド農園繁盛記4

■シリーズシナリオ


担当:マレーア

対応レベル:7〜13lv

難易度:難しい

成功報酬:3 G 80 C

参加人数:10人

サポート参加人数:-人

冒険期間:08月29日〜09月03日

リプレイ公開日:2005年09月06日

●オープニング

「この前の火事騒ぎ」
 お目付役のタンゴが言う。
「犯人を捜す時にはあらゆる可能性を考えて、全ての者を疑ってかかれって言うのが鉄則ですのよねぇ」
「そんな‥‥」
 自分の知る誰かが放火犯だなんて思いたくない、そんな思いがマチルドの顔にありありと現れている。でも、タンゴは平然と言ってのける。
「納屋に放火なんて、まだまだ可愛いもの。あなたが貴族の世界にどっぷり漬かって暮らせば分かりますが、貴族の身辺で事件が起こるなんて珍しくもないことですわ。誰かが死んだり、誰かが行方不明になったり。犯してもいない罪の濡れ衣着せられて決闘になったり、投獄されたりとか、色々ありますわよねぇ」
 晴れてマレシャルとの結婚が叶えば、マチルドもそういう世界で生きねばならない。タンゴはその為の覚悟を迫っているのだ。
「‥‥分かりました。誰が犯人なのか、私達の手で明らかにしなければいけないのですね」
「そういうことです。ただし納屋に火を放った実行犯についてはあなたと私と冒険者たちは除外していいでしょう。なにしろアリバイがしっかりしていますから」
 火事が起きた時、彼らは一室に集まって話し合いの最中だったのだから。
「で、容疑者のリストだけれど、ざっとこんなところですかしらねぇん」
 あの時、納屋の近くに居合わせた者の名前を、タンゴがスラスラと筆記板に書き上げる。

<容疑者リスト>
アンナ・クレール     女性 35歳 奉公人見習い・未亡人のおかみ
マチア・クレール     男性 10歳 奉公人見習い・アンナの連れ子
マリア・クレール     女性  8歳 奉公人見習い・アンナの連れ子
レミ・クレール      男性  5歳 奉公人見習い・アンナの連れ子
ジャン・ポール・ラジャン 男性 66歳 奉公人見習い・老人
マルセル・カロ      男性 23歳 奉公人見習い・実直そうな若者
リカルド・カロ      男性 17歳 奉公人見習い・マルセルの弟
アルベール・プリオ    男性 14歳 奉公人見習い・マルセルの同郷者
ペール          男性  9歳 奉公人見習い・孤児
イーダ          女性  6歳 奉公人見習い・孤児・ペールの妹
シーロ・モントヒル    男性  ?歳 マチルド農場に滞在中の料理人
外からやって来た覆面の男 男性? ?歳 正体不明

「やはり、犯人は外からやって来た覆面の男ではないでしょうか? あの時、現場にいたペールがそう証言していますし」
 マチルドは救いを求めるように訊ねるが、
「第一発見者はまず疑ってかかれって言葉、ご存じですかしらぁ? その証言が嘘だってこともあり得ましてよ」
「え?」
「真犯人に脅迫されて、嘘をつくよう命じられたとか。嘘でなくても夜闇の暗さのせいで見間違えたとか、色々なことが考えられますわよねぇ。第一、外から見知らぬ人間が農場の中へ入ってきたのなら、冒険者の犬が気づいてよさそうなものでしたけれどぉ」
 あの時に番をしていた冒険者の犬は、外からの侵入者に気づいていない。
「まあ、侵入者に気づかないほどバカな犬だったってことも、十分にあり得ますけれどね」
 その方がどんなに良いことかと、マチルドは思う。
「別にペール一人を疑うわけないですが、覆面の男を見たっていうのがペールだけだというのは、ペールを疑う余地が十分アリってことにもなりますわよぉん。だけどペールばかりを疑っていても、かえって真犯人を見逃しかねないし、そこが難しいところですわね」
「でも、どうやって真犯人を見つけたら‥‥」
 憂いに沈んだその顔を見て、タンゴは元気づけるよう助言した。
「こういう時こそ冒険者たちの智恵を借りるのではありませんこと? そのためにわざわざお金払って雇っているわけですからね。ああ、それから犯人探しだけじゃなく、農園のお仕事もこれまで通りにね。事件が起きたからって、手を抜いたらいけませんわよ」
 キノコ栽培、ミントの収穫に加工に商品の輸送、さらには新商品の開発、それにご近所付き合いも。とにかくやることだけは沢山あるのだ。

●今回の参加者

 ea1544 鳳 飛牙(27歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea1683 テュール・ヘインツ(21歳・♂・ジプシー・パラ・ノルマン王国)
 ea2361 エレアノール・プランタジネット(22歳・♀・ウィザード・エルフ・ノルマン王国)
 ea3000 ジェイラン・マルフィー(26歳・♂・ウィザード・人間・ビザンチン帝国)
 ea3260 ウォルター・ヘイワード(29歳・♂・ウィザード・人間・ノルマン王国)
 ea3446 ローシュ・フラーム(58歳・♂・ファイター・ドワーフ・ノルマン王国)
 ea5068 カシム・キリング(50歳・♂・クレリック・シフール・ノルマン王国)
 ea5297 利賀桐 まくる(20歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea6137 御影 紗江香(33歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea6930 ウルフ・ビッグムーン(38歳・♂・レンジャー・ドワーフ・インドゥーラ国)

●リプレイ本文

●事件の真相?
「放火で嫌がらせ? また低俗な人たちがいるんものね。馬糞を投げつけるような手合いならアイスコフィンで凍らしてさしあげましょう。ついでにその人の名前と住所を調べて、シフール便で一言『またやる』とか書いて送ってあげれば、懲りて二度と逆らわ‥‥あら皆さんどうかしたのかしら?」
 あれこれ楽しく思いめぐらしていたエレアノール・プランタジネット(ea2361)だが、冷ややかな仲間の視線に気づいて口を噤んだ。
 再度の事件が起きてはたまらないので、冒険者たちは夜間の見回りを強化したり、警護を固めたり、要所要所にため池を掘ったり、防犯のための細工をしたり、解毒剤を揃えたり。おかげで農園はすっかり物々しい雰囲気に包まれてしまったが、これで放火や盗みやぶち壊しや毒仕掛けの類がやり難くなったのは間違いあるまい。
「で、犯人が覆面男なら、誰からの差し金だろう? タンゴさんなら拷問で聞き出せそうな‥‥?」
 言った後で背後の気配に気づき、鳳飛牙(ea1544)が振り返るとタンゴが笑って立っていた。
「拷問ならあ〜んなのやこ〜んなのを色々知ってるわよん。筋肉ムキムキのローマ兵相手に鍛え上げたタンゴのくすぐり攻めとかぁ〜、その体で試してみる?」
「‥‥け、結構です」
 目撃者ペールの証言に基づき、ウルフ・ビッグムーン(ea6930)はご近所での聞き込みに勤しむ。
「怪しい覆面の男を見なかったか?」
 しかし、そんな男を見た者はいなかった。逆にウルフの聞き込みの熱心さが、噂のタネにされる始末。
「また何か事件が起きそうだねぇ」
「でも、あたし達には関係ないわよ」
 そんなひそひそ話を聞き流しつつ農園に戻って見ると、皆が嬉しそうにテーブルを囲んでいる。目の前には見るからにおいしそうなお菓子。火事見舞いに訪ねてきた冒険者仲間のお土産だった。これにはウルフもいたく感激してしまった。
 心和むことはもう一つある。農園に新しい仲間が増えたのだ。別件の依頼で冒険者たちが手に入れ、農園に連れてこられた4匹の子犬だ。
「仲良く‥‥してあげて下さい‥‥」
 白、黒、紅、銀、4匹でそれぞれ異なる毛色に応じて『雪』『雷』『霞』『雹』の名前を付けた利賀桐まくる(ea5297)は、棒を遣ってその漢字を地面に記し、奉公人見習いの子どもたちに教えてやる。
「ユキ‥‥カミナリ‥‥カスミ‥‥ヒョウ‥‥と、読みます」
 ジャパンの文字って難しいね。どんな意味なの? そんなことを口々に言いながら、子ども達は子犬を抱いて頭を撫でたり、頬ずりしたり。仕事の合間にはダーツの曲芸撃ちを披露しながら、まくるは彼らに言い聞かせた。
「ボクは‥‥腕はそれなりに自信あるよ。必ず護るから‥‥任せてね」
 さて、肝心の犯人探しだが。
「事件は迷宮入りか‥‥」
「諦め早すぎよんっ!」
 タンゴに小突かれ、飛牙は放火現場に足を運ぶ。残された手がかりを探していると、土台石の陰に転がるランタンの油壺を見つけた。
「こんな所に油壺が‥‥どう思うかね? 助手のタンゴく‥‥」
 むぎゅーっ!
「‥‥嘘ですゴメンナサイ。ほっぺ引っ張らないで〜!」
 関係者のアリバイについては次のことが判明。まず料理人シーロだが、彼は炊事場で働いていた。農園内に滞在する許可と引き替えに、奉公人たちの食事の面倒を見る約束をマチルドと交わしていたのである。
 アンナ未亡人とその子どもたち、そしてペールとイーダの2人も炊事場でシーロの手伝い。
 マルセル、リカルド、アルベール、ジャン老人は、炊事場の近くで世間話。時には炊事場にも顔を出していた。
 さらに覆面男のことをペールに詳しく訊ねると、
「背の高さも、体つきも、あの人みたいな感じ」
 その視線の先にはシーロの姿があった。なお、現場で見つかった油壺だが、それは炊事場に置いてあったシーロの私物であった。
 ウォルター・ヘイワード(ea3260)はグリーンワードの魔法を使い、現場近くの雑草に聞き込み。しかし植物は目や耳を持たず、感知できることはごく限られている。事件の日、雑草を踏んづけていった者もいなさそうで、手がかりなし。
 ウルフは念のため、農園や奉公人たちの火口箱を確認。もしや放火に使われたかと疑ったのだが、紛失などの異常は特になし。
 そして、ジェイラン・マルフィー(ea3000)の調査。彼は現場に残された灰をあちこちから抓み採り、アッシュワードで訊ねてみた。灰の出来た原因は全て同じだ。
「放火による火事で作られました」
 ところが、それらの灰が元々何だったかを訊ねると、
「納屋の壁板でした」
 多くはそう答えたが、一つだけ別の答があったのだ。
「竈で燃えていた薪でした」
 この答の意味はあまりにも重大だった。
「これらの事から推理すると、犯人はあの時炊事場の近くにいた誰かって事になるんだよな。隙を見て炊事場の油壺を持ち出して、ついでに竈からも燃える薪を拾って、油を納屋の板壁にぶちまけてから火を点けたんだ、きっと」
 飛牙の推理にマチルドは言葉を失った。
「そんな‥‥農園の者の誰かが放火犯だなんて‥‥」
 うなだれて言葉も返せない。しかし、カシム・キリング(ea5068)の言葉が彼女に救いをもたらした。
「よいかな? 『犯人探し』はそれだけが目的ではないし、それだけで完結するものでもない。我々冒険者は犯人を見つけることに手を貸すが、犯人をどうするかについてはマチルド殿が決めなければならない。おぬしにとっては奉公人の雇い入れも犯人の処分も、同じ試練となろう。他人の人生を左右するという点ではの」
「‥‥そうですね。これも試練なのですね」
 気を取り直した彼女の様子を見て、カシムはさらに言い足した。
「マチルド殿よ。そろそろどのような主(あるじ)に成りたいか、考えてもよい頃だて」

●勤労
 何かと見習い達の面倒を見、相談にも乗るテュール・ヘインツ(ea1683)に、年齢の近い年若い奉公人達は好意を抱いていて、大いに頼りにされている。そんな訳で、彼は皆の指導係なのである。
「仕事の前にみんなに大事なことを言っておくよ。ひとつ目。1人で出来ないときは他の人を頼ること。頼るのは悪いことでも格好悪いことでもないよ。ふたつ目。失敗しちゃっても、ちゃんと正直に話すこと。失敗は誰にでもあるんだから、次しなければ大丈夫。隠しても問題は解決しないんだから、ちゃんと話して謝ろうね。マチルドさんは優しいから大丈夫だよ。タンゴさんにお小言ぐらいは言われるかもしれないけど。あ、いまのはタンゴさんには内緒ね」
 小声で言うテュールに、皆が笑う。緊張も解れたところで、早速お仕事。まずはミントの収穫から。レミとイーダも一緒に、ミントのお掃除に初挑戦。仕事を任されて、2人は大喜びだ。収穫したミントからゴミや汚れを取る単調な作業、すぐに飽きるかと思ったが、なかなかどうして。懸命に働く姿に、思わず皆の表情が綻ぶ。
 ローシュ・フラーム(ea3446)の見たところ、彼らは皆勤勉である。まだ仕事を覚え切っていない為、自分から考えて動くには限界があるが、とにかく何かしようという熱意はある。未熟故に説教に至る事もあるが、教えたことは誰もがよく飲み込み、しっかり仕事に取り入れていた。
 一仕事終え、仔犬を引き連れ放牧に出かける皆。見送るマチルドに、ローシュは聞いた。
「何故、関連のある集団を雇い入れたのだ?」
「マルセル、リカルド、アルベールについては偶然です。採用するに相応しい者を選んだら、たまたま出身地が同じだったのです。アンナ未亡人とペール、イーダは、母子、幼い兄妹を離ればなれにしたくなかったから‥‥」
 派閥を生む元になるやも、との懸念が消えた訳ではなかったが。
「ならばよい。彼らを使いこなすのも、また主の力量だ」
 そう言って、彼は話を打ち切った。そして、黙々と共用道具の手入れを続ける。抱いた疑いの真偽を、鉄の中から叩き出そうとでもするかの様に。
 話は既に、テュールにも伝えてある。
「皆を労って握手をした時に見たのだがな。ペールの手に、火傷の痕があったのだ。本人は、炊事場の手伝いで火傷したと言っているが」
 聞いたテュールは、首を振った。
「兄妹だけで大変なのに、悪いことに逃げないでちゃんとした仕事を探すペール君はきっといい子だと思うから。僕は信じたいな」
 そうだな、とローシュ。ペールの道具は隅々にまで手入れが行き届いていて、真面目で責任感の強い性格を良く表していた。

●土と共に
「ふおおおおっ!」
 キノコの室から、 ジェイランの声がする。丹精込めて育てた彼の努力が、間もなく実を結ぼうとしているのだ。そこにもここにも、柄を伸ばそうとする兆候が。堪らず子供達を呼んだ彼。時を置かず、皆の歓声が聞こえて来る。
 その声を複雑な表情で聞く御影紗江香(ea6137)。彼女がジャパンから取り寄せた作物は、種まき・苗植えの時期が適切で無かった為にすっかり元気をなくしていた。ウォルターがグリーンワードを駆使しての手当てをしていないければ、果たしてどうなった事か。
「本来ならば諦めて、来年にかける事を勧めるところです。心も体も傷ついた想い人を看病する様な、飽くこと無き献身的な世話が必要となるでしょう」
「知らぬとはいえ、酷な事をしてしまったのですね」
 紗江香と畑を交互に見ながら、ウォルターが植物の声を伝える様に感動頻りの子供達。でも、自分達に魔法は使えない。彼らから相談されたジェイランはこう答えた。
「おいらも最近分かってきたんだけど、見てるだけで分かる事は結構あるんだ。おいら達がいる間は魔法で調べて伝えるから、その時に植物達がどうなってるか、みんなしっかり覚えるといいじゃん」
 表情を明るくし、素直に頷く子供達。その瞳は好奇心に溢れていて真剣だ。農園を軌道に乗せるには、冒険者不在の間も作物の世話が滞らない様にしなければならない。子供達の吸収は早く、大いに有望である。
 魚や海草で肥料作りを進めるウルフには、新人を入れた事で少々別の問題が。
「ぬぁ、そうやたらめったら仇の様に肥料をかけるでない!」
 怒られた相手はきょとんとしている。肥料も使い過ぎれば害となる事を理解していないのだ。仕方が無いので使い方の指導に時間を割く事となった。教えねばならない事は山とある。
 その忙しい合間をぬって、珍しい酒を手にご近所回りに出かける彼。聞いたことも無い酒の数々に農家の旦那衆も大いに喜び酒盛りの運びとなる訳だが、すぐにおかみに見つかって、こっぴどく怒られてしまった。
「もう、真っ昼間から酒ばっかり飲んでどうするのよ!」
 そりゃごもっとも。

 ブランシェット家から蜂蜜を安く入手できないだろうかと相談を持ちかけたまくるに、タンゴの返答は『まずは美味しい料理を作ることが先決よん』と一言。そこで、料理の試作が行われる事になった。エレアノールが資金を出し、料理人シーロは肉を買い込んで、ミントを仕込んだ自家製ハム風の料理を紗江香と共に作ってみた。冒険者たちにとっては、まんざらではない味。しかしシーロは首を横に振る。
「相手は舌の肥えた貴族だ。この程度の味では合格点は出せない」
 きっぱりと駄目を出され、落胆する紗江香。
「問題は材料だ。かといって、新鮮で上等な肉を手に入れるにはコネがいるし、金もかかる。とにかく先だつ物は金とコネ。何かいい方策は‥‥」
「ところで、気張らしになるような酒以外の飲み物を作れぬかな?」
 ご近所回りの反省を踏まえ、切り出すウルフ。
「酒にしても、そうでないにしても、肝心なのは良質な水の確保だ。幸い、この農園には旨い水だけならたっぷりとあるが‥‥」
 ところで。その傍らにはテュールが試作したミント入り化粧水。エレアノールに意見を聞いている最中だった。
「エルフの肌に合うくらいなら売り文句に『妖精の〜』とか‥‥ あ」
 シーロが何気なくその中味をぐいと飲み干す。慌てたのはテュールだ。
「そ、それ飲み物じゃないよ、化粧水っ!」
 一瞬、妙な顔になったシーロ。だが直後、その双眸がぎらりと光った。
「こ、この味は‥‥いけるぞ!」
「え?」
 彼の中で何かが閃いた様子。周囲の者はただ、呆気に取られるばかりだ。

●神の友
 夕べの礼拝が始まる少し前。読み書きが教われると聞いて参加した奉公人達を前に、ウォルターは先ず、宙に指で読み上げながら綴りを描く。生徒達はそれに続けて布に大書された聖書の一節を宙になぞる。学ぶ者達の目は真剣そのものだ。
 それを何度か繰り返した後、渡されたロウ板に口に出して読み上げながら書き写す。箇所は出エジプト記の33章7節〜23節である。
 ウォルターは見回りながら、初学の者に手を添えて教える。
「冷たい水は如何ですか?」
 仕事の疲れでうつらうつらする奉公人を労うウォルター。
「しっかり。読み書きは一生の財産です。ランプの油代だって馬鹿にはできないからね」
 勿論言われるまでもない恩恵である。

 こうした読み書きの時間の後、夕の礼拝。カシムが主の教えを説く。
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 主は、全てをご存知じゃ。初めて人間が罪を犯したその日にも、変わりなく声を掛けられた。じゃが罪故に二人は神から遠ざかろうとしたのじゃ。この時、人類は初めて、過ちではなく自分の意思で罪を犯したと言えよう。罪の奴隷になるとはこの事じゃ。罪を犯しても主は変わらずにわしらを迎えてくれると言うのに、わしらが主を避けるようになるのじゃ。
(中略)
 ‥‥使徒パウロがローマ教会に宛てた手紙にこうある。
「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われるのです」
 仮令人類が主を拒んだとしても、主は、今もおぬし個人に御手を差し伸べておいでじゃ。主は、主を求める者をお見捨てには成りはしない。悔い改めるならば、7度罪を犯しても7の70倍赦されるのぢゃ。否、モーセやアロンのような人間の司祭を通じず、親友のように耳を傾けて下さるのじゃ。
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 カシムは礼拝の後、聴聞の時間を取った。多くは仲間と喧嘩したとか、こっそりつまみ食いをしてしまったとか、たわいのないものばかり。しかしペールだけは違った。
「僕は、盗みの罪を犯しました」
「何を盗んだのだね?」
「お金、パン、野菜、果物‥‥他にも色々なものを。ドレスタットの街で毎日のように。盗んだ数は千を超えるかもしれません。それでも、神様は僕のことをお許しになってくださるでしょうか?」
「そなたの罪は今赦された」
 カシムは思う。孤児だというこの少年、何か言いしれぬ重たいものを背負っているのではあるまいか? しかし、その心は救いを求めている。少なくとも自分の目にはそう見える。その夜、カシムはあえて何も問い質しせず、ペールを帰した。