マチルド農園繁盛記5
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■シリーズシナリオ
担当:マレーア
対応レベル:8〜14lv
難易度:難しい
成功報酬:5 G 97 C
参加人数:10人
サポート参加人数:-人
冒険期間:09月16日〜09月23日
リプレイ公開日:2005年09月24日
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●オープニング
マチルド農園はサクス領の中でもかなり外れのほうにある。農園から一番近い村はマイエ村という小さな村だが、この村には教会が無い。その隣村のベルゼ村は、サクス領内では比較的に大きな村で、ここには立派な教会堂が建てられている。だから週ごとの主日礼拝では、マイエ村の村人たちはベルゼ村まで足を運んで礼拝に与るわけだが、それはマチルドとて変わりはない。
その日曜日も、マチルドはベルゼ村の教会にやって来た。彼女一人ではなく、雇い入れた10人の奉公人見習いも引き連れて。
「あらマチルドさん、おはようございます。色々あって大変ですねぇ」
教会の前で声をかけて来たのはマイエ村に住む農夫のおかみ。よくご近所で顔を合わせる中だ。マチルドも軽く挨拶を返すと、後ろのほうで何やら棘のある囁き声が聞こえてきた。
「ま〜ったく! あんなに取り巻きをぞろぞろ引き連れちゃってさ〜! ずいぶんとご大層なご身分になったものじゃないの!」
「しっ! マチルドに聞こえるわよ!」
陰口を叩いていたのは、マイエ村の娘たち。二人とも年の頃はマチルドと大して変わらない。それだけにことさら、最近とみに羽振りをきかせているマチルドに妬み心を感じるのだろう。
奉公人見習いのリカルドがむっとした目つきで娘たちを睨んだのに気づき、マチルドはその耳に囁いた。
「気にすることはありません。さあ、行きましょう」
ベルゼ村は往来の多い街道沿いにあり、人が集まりやすい。村の店といえば、雑貨商が1軒と飲み屋が1軒あるきりだが、この近辺には店一つ無い村も多いのだ。店があるというだけで村の格はぐんと上がる。村の広場では小さいながらも市がたびたび開かれるし、農家が兼業で営んでいる宿屋もある。時には行商人や芸人が訪ねて来ることもある。
その日は市の立つ日だったので、マルセルとリカルドの兄妹は孤児の姉妹のペールとイーダを連れて、ベルゼ村を訪れていた。雑貨屋での買い物が目的だったが、ついでに村のあちこちを見て回れるから、娯楽の少ないこの辺りではいい気晴らしになるのだ。
買い物を済ませて広場へ行くと、行商人とその手伝い人が敷物の上に品物を並べ、巧みな口上で客を引き寄せている。
「さぁて皆様、お立ち会い。今日、お持ちしましたる品々は皆、パリで流行の逸品ばかりでございます」
色鮮やかなスカーフにアクセサリー、きらきら輝く腕輪に髪飾りに、集まってきた村のおかみや娘たちの目が釘付けになり、早速品定めが始まった。品物は女物ばかりだが、マルセルとリカルドの視線はむしろ、妙齢の村娘たちに引き寄せられている。でも、幼いイーダの目は並べられたきらびやかな装飾品を食い入るように見つめたままだ。
「きれい。私も着けてみたいな」
「お金ができるまで、我慢しなきゃ」
幼い妹をたしなめるペール。イーダも兄の言うことが分かっているから、じっとその場に踏みとどまっている。本当は腕輪の一つ、髪飾りの一つでも手に取って見たいのに。
「この盗人め! こんな所にいやがったか!」
突然の怒声が轟いた時、それが自分に向けられたことにペールは気づかなかった。行商人とその連れが商いを放り出し、血相を変えて自分の体を取り押さえた時、やっと自分の立場に気づいた。
「ごめんなさい! もうしません!」
それを見て慌てたのはマルセルとリカルドである。
「待って下さい! この子が何をしたって言うんです!?」
行商人の親父は二人に怒鳴った。
「知らないのか!? こいつはドレスタットで散々悪さを働いてきたガキなんだぞ!」
所は変わって、マチルド農園。
「試作品だ。まずは、飲んでみてくれ」
陶器のピッチャーから杯になみなみと注がれたのは、鮮やかな紫色の飲み物。料理人シーロに勧められるまま、マチルドは味見してみた。まず一口。爽やかなミントの香りと甘美な甘み、そして口当たりのよい酸味が口の中に広がった。
「‥‥不思議な味ですね」
二口目は思い切って、喉に流し込むように飲み込んだ。ミントの清々しさで喉が洗われるよう。
「ミントのエキスに木いちごの絞り汁とハチミツを混ぜ合わせて作った飲み物だ。酒と違ってご婦人方やお子様でも安心して飲める。これをマチルド農園の新製品として売り出す気はないか?」
マチルドはしばし考えを巡らす。この不思議な味の飲み物を、大勢の人々が楽しそうに飲んでいる姿を思い浮かべてみる。
「料理屋や酒場に置いてもらったり、お祭りの日に屋台で売り出したりすれば、人気が出るかもしれません」
私の力で、人々に少しでも楽しい思いを分けてあげることができるなら‥‥。マチルドの心は決まった。
「うまくいくかはまだ分かりませんが、出来ることから少しずつ初めてみましょう。さしあたって、必要なものは何でしょう?」
「木いちごはドレスタットの朝市に行けば、そこそこの値段で手に入る。問題はハチミツだ。大量に仕入れるにはそれ相応の金とコネが必要だが‥‥」
それでも、この計画はうまくいきそうな気がする。その予感を胸に話を進めているところへ、マルセルたちがベルゼ村から戻ってきた。
「マチルドさん、大変なことになりました。実はペールが昔、ドレスタットで盗みを働いて、その被害者の行商人が数日後にここにやって来ます。ペールのことでマチルドさんに話があると。これまでの盗みの償いをペールが果たせぬ時には、ペールを連れ去るそうです」
「ああ、何てことでしょう‥‥」
マチルドは顔を曇らせ、思わず額に手をやる。しかしすぐに気を取り直す。
「‥‥いいえ、これも神様の与えて下さった試練です」
女主人の力量が試されるのは、まさにこういう時だ。
●リプレイ本文
●盗みの償い
「盗みをしたこと、どう思ってるの?」
「‥‥罪、だと思う」
「償いをする気はあるの?」
「‥‥うん」
ペール自身の口からそれだけ確認できればいい。ペールのしたことを全部受け止め、その上で今度こそ罪を離れて生きると信じよう──テュール・ヘインツ(ea1683)はそう思った。
ウォルター・ヘイワード(ea3260)やウルフ・ビッグムーン(ea6930)にしても、大多数の冒険者と同じくペールに擁護的だ。
「先の放火と言い、今回の件と言い、色々と試練が続きますが、これを乗り越えられれば更に大きくなれると信じます。将来の領地経営に際しても、類似する状況が発生するでしょう。今回の事件はいわばその試金石。時には冷徹さも必要ですが、闇雲に切り捨てるのも考え物です」
「確かタンゴ殿の提言では、孤児は家臣候補だったな? そうなると、裏の仕事も考えねばならん。その時にペールを残しておけば、使えるだろう。技術があり、マチルド殿に恩ができるからな」
冒険者たちの中では只一人、キース・レッド(ea3475)だけがペールの見習い破棄と解雇を主張し、色々と物議を醸している。もちろん最終的な決断を下すのはマチルドだが、軽々しくは決断できぬ問題。彼女がカシム・キリング(ea5068)に助言を求めると、彼はかく語り聞かせた。
「僭越ながら神の代理人として言わせてもらえれば、ペールの罪に関しては既に結果は出ている。『神は赦された』と。神は彼の過去の事は既にご存知だ。ペール自身も商人に対し、過去に為した事をその場で否認しなかった。ならば大丈夫じゃ」
「その通りですね。神が赦されたのであれば‥‥」
マチルドもその言葉に安堵する。もっとも、そう答えが返ってくるだろうという予感はあった。
「罪は赦されたが、彼には試練が課せられるべきじゃ。押しつぶすほど強烈ではなく、ぬるま湯ほど安易でもないものを。それを罰だ懲らしめだと言いたい者には言わせておけばいい。大事なのは、子供を教導させるに相応しい試練を課すのは大人の仕事だという事じゃ。マチルド殿、目的を見失うまいぞ? 迷いから抜けられぬ時は、おぬしの胸の中にいるマレシャル殿に尋ねるが良かろう。『貴方ならどうする?』と」
「はい」
それはマチルドが最も望んでいた、最も理にかなった答だった。
●疑惑
ペールの事件のせいで、若い奉公人見習い達も落ち着かなげだ。自然と彼らは、利賀桐まくる(ea5297)の回りに集まってきた。
「ペールはどうなるんだろうねぇ?」
「まちるどさんも‥‥窃盗のこと‥‥ご存知なかったのだし‥‥。農園で働く事で‥‥罪を償うように‥‥させれば‥‥」
まくるが受け答えをしているところへ、鳳飛牙(ea1544)とローシュ・フラーム(ea3446)がようやく姿を現した。二人の到着が遅れたのは、ドレスタットでの聞き込み調査のためだ。
「さて、これぐらいで動揺している暇はないぞ、さぁ仕事だ」
ローシュは奉公人見習いたちを人払い。そして二人は仲間たちに報告する。
話は遡る。飛牙が訊ねた先は、セシール・ド・シャンプランの屋敷。
「え〜と、ルルは‥‥」
屋敷の裏口から入ると、運良く仕事中の思い人に出会えた。
「ルル! 俺だよ!」
「あ! 飛牙さん!」
一瞬、ルルは大きく目を見開き、そしてはにかんで挨拶。その姿は少しずつ少女から乙女へと成長していくようで‥‥久々の逢瀬に心ウキウキの飛牙だったが。
「はい、そこまでよ」
例のごとく、他の小間使い達がずかずか割り込んできた。
「貴方、今日は仕事で来てるんでしょ?」
その日は生憎、屋敷の主人のセシールは留守。代わりに家政婦長ミゼットが対応に出た。飛牙が求めたのは、料理人シーロの身元に関する情報だ。
「私達の調査によれば‥‥」
シーロは北ノルマンの寒村出身。教会で育てられた孤児で、苦労を重ねて料理人として身を立てた。融通の利かない面もあるが、性格は実直そのもの。料理のことで喧嘩はしても、悪事に荷担した過去はない。そんな話を聞いて飛牙は安心したものの、ミゼットに警告された。
「でも、気をつけて。人が悪事を犯す理由が私利私欲だけとは限りません。大事な物や大切な誰かを守るために、悪事を為すこともあるのです」
続いてローシュの報告。ペールをよく知る露天商から聞いたのだが‥‥。
「この界隈じゃ有名な盗っ人小僧でね。でもな、あの小僧ばかりが悪いんじゃねぇ。盗みにしても、窃盗団の下働きでやったことだからな。窃盗団が孤児を拾って、盗みの技を仕込ませるのは、何もそんな珍しい話じゃねぇ」
そのペールが、妹と一緒に周旋所に来ていたことをローシュが話すと、露天商は意外そうな顔をした。
「あれほど盗みの腕が立つ小僧を、窃盗団がみすみす手放すはずもないんだがな。勝手に足抜けしようとすれば、最悪、見せしめに始末されちまう。まあ、死体になって港に浮かばなかっただけ、あの小僧は幸運だったのかもしれんが‥‥」
二人の話を聞き、皆は考え込んでしまった。その背後で聞き耳を立てている者が一人。お目付役のタンゴである。
その直後。タンゴはキースに話を持ちかけた。
「ペールの件では、貴方の意見にまったく同感よ。でも、欲を言えばもう一ひねり欲しいわねぇ。というわけで憎まれ役ついでにもう一つ、汚れ仕事を引き受けてみない? 忍び寄ってきたキツネは追い払うのではなく、尻尾を掴んで頭を押さえるべきよん」
そしてタンゴはひそひそと耳打ち。キースはクールに微笑む。
「いいだろう。元から捨て石になるのは覚悟の上だ」
●審判
そして、行商人がやってくるというその日が来た。
「罪を償えって、何をすりゃ許してくれるんだろ‥‥弁償すれば良いってもんじゃないだろうしなぁ」
飛牙の当惑しきった声。ウォルターの案も、テュールの考えも、決定打とは成らず知恵は空転する。まくるは優しさ故に優柔不断の如く見える。そんな、マチルドを取り巻く人々に、
「ともあれ、簡単な方法はペールを下手に庇い立てず、さっさと商人に引き渡す事だ。この少年が放火に一枚噛んでいる可能性があるのならば、切り捨てる事は必要だな。これで片は付く。考えても見てくれたまえ。罪を認め、神の赦しを得て、人として償う。これが筋だ。断じて農園という庇護を借りて行うものではない。ペール自身の罪だ。マチルドさん。何より、別の奉公人が罪を犯したとき、同じ判断を下すのか? それは決断を先のばす甘えだよ」
例のごとく、キースは黒の教えそのままの厳しさを突きつけた。そう。単に目先の利害だけを算盤に掛ければ、彼の言は正しい。しかし、この処置に伴う副作用についての配慮は充分ではない。結局どの案も決定打とは成らない。果たしてマチルドは如何なる決断を下すのだろうか?
「どうしますか? せめてお気持ちを示さなければ誰も助言は出来ないわよん」
ウルフを伴ったタンゴが促すと、マチルドは
「ベールを助けて上げたい」
それを聞き、タンゴは
「では、彼に交渉役をやらせましょう」
引き渡すべきだと主張したキースを指名した。強い正義を伴わねば、慈愛をなす事が出来ないと告げて。
程なく行商人が到着。皆が見守る中、正義を訴える行商人に向かってキースは断言した。
「宜しい。その訴えはもっともだ。ベールの身柄を引き渡そう」
その言に、予想を外された行商人が慌てたのを、キースは見逃さなかった。
「どうしました? 絞め殺すなり叩き殺すなり、泥棒として御領主様に投獄して貰うなり。好きにすれば良いのですよ?」
「い。いや‥‥」
「そうですね。そんなことをしても、あなたの被った損害が戻る訳じゃない。みすみす損をするだけです」
キースは勝ったと思った。そして、意外な言葉を口にした。
「では、僕がその子を買い取ろう」
行商人はほっと胸をなで下ろし、その才覚を振るい始めた。
そして小一時間後。行商人に一日の長が有りキースの財産は巻き上げられる。有り金全部と金目の物の全てが、行商人の所有となった。こうしてペールの一件はひとまず解決。せっかくこうして知り合えたのだしと、行商人とマチルドの間で商談が始まる。聞けば行商人は、昔からたびたびこの地を訪れており、土地の者たちとはすっかり顔馴染みだとか。
エレアノール・プランタジネット(ea2361)は商品に目を配りし、大した品で無いことを確認する。
「さて‥‥奇遇ですわね、私も先月までパリにいましたの。パリの『流行の逸品』取り揃えていらっしゃるようですのでマチルドさまにも、こちらのお店の商品取り揃えていただいていただけるかしら?」
並べ立てるのは権門貴族御用達の一見さんお断りのお店のリスト。無論彼如きが立ち入れる場所ではない。行商人はたじたじとなり、ジェイラン・マルフィー(ea3000)も加わって、商談はマチルド側ペースで進められた。
「これから農園に来る時には、ついでにペールにも会ってはくれんかね?」
ウルフが行商人に誘いをかけると、すかさずキースが言う。
「僕はペールを農園に戻す気はない。先にも言ったが、今後、ペールは農園とは無関係だ」
その言葉に、行商人をはじめ一同は唖然。
「あなたはペールをどうする気なのです!?」
「ベルゼ村の教会に預ける。罪を償うに最も相応しい場所だ」
その言葉を聞くや、行商人の連れの男が一瞬、殺気のこもった目でキースを睨みつけた。
●緑の夢
農園ではいつもながらの仕事が続く。嗅覚が鋭くなるローズリングをまくるから貰ったテュール、調香に便利だと思って使ってみたら、刈り入れたミントが妙に魚臭い。見習いを呼び出して訊ねてみたら、魚肥を施した後の手洗いが不十分だったことが判明したので、厳重注意。
「気をつけてよね。化粧水が魚臭くなったら台無しだよ」
今のところはミントが主な収入源だが、今年初めて植え付けた各種のハーブもすくすく育っている。ラベンダーの育つ岩地は、来年の夏には柴色の花で埋め尽くされるだろう。
冒険者の手でジャパンから取り寄せられた作物は、最初の育て方が悪くて枯れた物も多かったが、その後のウォルターの世話の甲斐あって、紫蘇とわさびだけは何とか土地に根付きそうだ。もっとも焦りは禁物。農園の売り物となるまでには、あと数年は要するだろう。
ハーブとその他の雑草の区別を、見習いの子ども達や家畜に教えるのは、まくるの役目だ。
「これとこれは‥‥薬草だから‥‥山羊や牛さんたちに食べさせちゃ駄目‥‥」
そして、ウルフはマチルドにアドバイスする。
「さて、今後は農園の中だけではなく、外への気配りを御自分で出来るようにならねばならんようだな。だが、いきなり派手に動いても逆効果だろうから、自然と周りに受け入れられるようにな。結局、農園だけが儲けて見えるから嫉妬されるわけで、ご近所もおこぼれに預かれるような‥‥例えば材料の下請けや取引先への作物の斡旋など、極端な話、村一つ丸ごと名前を売り出すのはどうだろうか?」
「できると思います。ここまでやって来られたのだし」
マチルドの中で、将来への夢は次第に膨らんでゆく。
丁度、ジェイランが育てた上げたキノコが、そろそろ収穫を迎える頃合いだった。
酒場や料理店を回って売り込もうと考えていたジェイランは、近場の酒場や料理店をリストアップした後に、料理人シーロに話を持ち寄った。
「以前、商人ギルドの親方に聞いたら、普通に市場にスープの具として流せるといってくれてたじゃん」
「まずは、味見だ」
先に収穫したキノコを軽く茹でて塩を振りかけ、味見してシーロは言う。
「素材としては悪くはない。ただし、売り込みにはそれなりの工夫が必要だ」
シーロの目がきらりと光った。
「試食会をやってみるか? ただし食材の準備が必要だから、あと何日か時間をくれ」
「マチルドさんに害なすものにはアイスコフィン、遭遇するトラブルにもアイスコフィン、煩い冒険者もアイスコフィン、嗚呼アイスコフィンアイスコフィン‥‥むむっ、このただならぬ気配は!?」
護衛のお仕事で農園近辺を警戒中のエレアノール。気配を感じた茂みに石を投げつけると、
「わうっ!!」
昼寝していた野犬が飛び出してきた。すかさずエレアノールはアイスコフィン発動。出来上がった野犬の氷漬けに、ご丁寧にも『私は敗北主義者です』と掲げた札をかけて野ざらしの刑。ふと、秋色のそよ風が頬をかすめ、しみじみした気分になる。
「‥‥夏も終わりねぇ」
彼女は護衛だけではなく、ハーブ染めの仕事も始めている。
「ハーブだけでなく、使う水の温度や布質の見極めが大事かしら?」
細かいことを一つ一つ確認しなければ進められない、気の長い仕事だ。先に試作した化粧水の商品化のこともある。
「商品名は、『ウィンプル・ミント』でどうかしら?」
新商品としてシーロが作った飲み物は、いかにハチミツを調達するかが問題だ。
「結局、蜂蜜の値段はあって無いようなものじゃん?」
商人ギルドに出向いて調べたジェイランだが、要はコネと、こちらから見返りを提供して、安く大量に仕入れることだ。それがなければ高くつき過ぎて採算が取れない。
「『ロワゾー・バリエ』を仲介にして取引してはどうかな?」
ローシュが提案する。ブランシェット家とも関係のあるあの店ならば、比較的に安価で蜂蜜を取り寄せられるだろうし、ブランシェット家と直接取り引きするリスクも回避できる。
「ならば、農園の主人である私が、ロワゾー・バリエとの交渉に赴かなければ」
マチルドは決意した。
「蜂蜜だけではなく、これから増えるはずのハーブの取引のためにも、ロワゾー・バリエの力添えは必要です」
●銀貨39枚
その日の夕刻。キースはタンゴに事後の相談をする。
「ペールの件ではアドバイスありがとう。さて、今回の僕の出費は必要経費扱いで‥‥」
「銀貨39枚。それ以上は銅貨1枚たりとも払えないわねぇん」
「おい、そりゃないだろう?」
唖然とするキースに、タンゴは最後のダメ押し。
「ユダが主を売ったお金は銀貨40枚。ベールにそれ以上の価値があると思って?」
見事に使い捨てられたキース、苦笑で答える。
「‥‥やれやれ。見事に捨ててくれたな」
「でも。あなたの良い評判の代価としては安いんじゃないかしらん?」
確かに。一事は悪鬼の如き目で見つめていた人々から、尊敬の眼差しで見られていることは確かだ。