マチルド農園繁盛記6

■シリーズシナリオ


担当:マレーア

対応レベル:7〜13lv

難易度:難しい

成功報酬:5 G 47 C

参加人数:12人

サポート参加人数:2人

冒険期間:10月14日〜10月21日

リプレイ公開日:2005年10月21日

●オープニング

●オープニング
 ベルゼ村の朝市に料理人シーロがふらりとやって来た。食材を手っ取り早く調達するなら、マチルド農園から目と鼻の先にあるここが一番だ。
「栗はいかが〜? 森で採れたばかりのおいしい栗だよ〜!」
 呼びかける村娘の傍らには、栗のいっぱい入った篭。シーロは栗の一つを篭からつまむと、指で栗の腹をぺこぺこ押しながらぼそりと呟く。
「実が締まってないな。収穫にはまだ早すぎる」
 栗をそのまま篭に戻すと、お隣の売り物に目を向ける。そこでは村のおかみが、敷物の上にラディッシュを広げて売っている。
「ラディッシュはいかが〜? 畑で採れたばかりだよ〜!」
 シーロはラディッシュをつまみ上げ、鷹のような目でじっくりと検分。そしてまた、ぼそっと呟く。
「付いている土が乾ききっているな。野菜自体の水気もかなり失われている。畑で採ってから何日も放っておいたな。育ちも良くない」
 ラディッシュを元に戻すと、そのまま立ち去って行く。
「ちょっと! 何なのよ、あの人は!」
「人の売り物にケチつけて!」
 背後から聞こえる娘とおかみの罵り声には聞く耳持たず。さらにシーロは、ニンジンを並べて売っている子どもの所へ足を向けた。
「おじさん、買ってよ。おいしいニンジンだよ」
 シーロはニンジンの中でも特に大きな1本を手に取り、重さを確かめ、表面の様子をじっくりと観察。この売り物にシーロは満足した様子である。
「幾らだ?」
「銅貨1枚だよ」
 するとシーロは、3枚の銅貨を少年の手に握らせた。
「え?」
「この食材にはそれだけの価値がある。次の朝市にも、これと同じくらい大きく育ったのを持ってこれるか?」
「うん。持ってくるよ。うちの畑にはニンジンがまだまだ沢山あるんだ」
 実は、マチルド農園で育てているキノコを農園の名産品として売り出す計画がある。近々、キノコ料理の試食会も予定されているため、シーロはその食材を探していたのだ。近場の村で満足のいく食材が調達できるなら、それを村の名産品として、キノコと併せて売り出すこともできよう。マチルドはそんな夢を持っていた。

 ペールの一件で面識の出来た行商人は、この土地での商売ついでにマチルド農園にも顔を出すようになった。
「あら? 今日はお一人なのですか? お連れの方は‥‥」
 先日の話し合いの席に同席していた連れの男は、今日は一緒ではなかった。
「ああ、ジャックですか? あいつは今日、ドレスタットで商品の仕入れがありましてね」
 話は自然と行商のことに移り、マチルドも取引のために近々ドレスタットに向かうことを告げると、行商人も顔をほころばせた。
「そうですか。ドレスタットに向かうのであれば、私も色々とお力になりますよ。あちらには、伝のある商人も何人かおりますし。ところでマチルド様。私からこんなお願いをするのも何ですが‥‥」
 行商人は妙にしんみりした表情になり、
「ベルゼ村の教会に預けられたペールですが、昔のように農園で働かせるお気持ちはありませんか? 私も行商ついでに教会に顔を出しておりますが、それはもう真面目な働きぶりで、預けた先の司祭様の評判も上々でして。昔は悪さばかりしでかして、私の売り物を盗みもしましたが、あの様子ならもう罪を犯さず、立派な働き手としてやっていくことでしょう。私としては過去の罪のことはもう帳消しにしてもいいと思っているのです。それに、あんなに生真面目に働く子を雇わずにいるなんて、農園としてももったいない話じゃありませんか」
「そうですね‥‥」
 マチルドはすぐにでも『はい』と返事したかった。行商人の言葉は親切心によるものとしか思えなかったし、ペールを助けたいというマチルドの思いは変わらない。しかし‥‥心のどこかに何かが引っかかる。
 マチルドは即答を避けた。
「考えておきましょう。まずはペールと会って、話をしなければ」
 ぜひそうして下さい。──そう言って、行商人は農園を立ち去った。

 ドレスタットには何を着ていこう?
 乙女心の囁き。素敵なドレスがはち切れんばかりに入った、洒落た衣装棚があったらなと想像してみる。でも、マチルドの部屋の質素な衣装だなに入っているのは、大きな街に着ていくのは恥ずかしいような、接ぎ当てだらけの野良着ばかり。そんな中にもたった一着だけ、大切な一張羅のドレスがある。結局、これを着るしかない。タンゴに服を借りるとかともふと思ったが、また小言を言われそうなので止めておく。、貸衣装屋のお世話になる手もあったが、奉公人見習い達へのお給金のことを考えると、そんなことで余計な出費がかさむのも、ちょっと‥‥。
 とにかく、大切なのは見てくれよりも中味。そう自分に言い聞かせて、マチルドは挨拶と受け答えの練習を始める。まず、笑顔。これが大切。
「初めまして。マチルド農園のマチルドです」
 この度のドレスタット行きでマチルドが訪れるのは、お得意様である調合屋ロワゾー・バリエ。これからはミントだけではなく、各種のハーブを農園で増産していく考えでいるから、今のうちからでも将来へ向けての商談を進めておこう。 ハーブのことならハーブに詳しい調合屋をパートナーにするのが一番。そして、料理人シーロの伝であちこちの料理屋や酒場を訪ねて、農園の産物を使った料理を試食してもらって‥‥。
「マチルド様、悪い知らせですわ」
 考えに没頭しながら練習していたマチルドは、その一言でようやく部屋に入ってきたタンゴの存在に気づいた。
「え?」
 いつになく真面目顔のタンゴ。彼女がこんな顔をしている時には、ろくなことが無い。
「何を聞いても取り乱しては不可ません」
 その言葉に続いて、タンゴがマチルドに話して聞かせた中味は、マチルドを卒倒させるに十分だった。
「そんな‥‥ああ、神様‥‥!」
 そのまま倒れそうになるのを堪え、何とか意識を失わずに踏みとどまったマチルド。その足下の大地が消え失せてしまったような心地で、かろうじて立っている。

 あのマレシャルが‥‥!
 実は密かに夜遊びを繰り返し‥‥!
 こともあろうに貴族の小間使いの娘を孕ませて‥‥!
 しかも口封じに娘を殺そうとしたなんて‥‥!
 いいえ、そんなの嘘に決まってる!
 だって、だって、私のマレシャルは‥‥!

「でもね、ドレスタットの貴族たちの間では、それが9割9分方の事実になってしまったのよね。まぁ、貴族の世界じゃよくある話だって言えば、それまでだけどン」
 そう言ってのけるタンゴの口調には、いつものお気楽な調子が戻っていた。
「で、マチルド様のお心は?」
「私は‥‥マレシャル様を信じます」
 その言葉にタンゴはにっこり笑い、
「今度のことで誰から何を言われても、臆することなく堂々と振る舞うことですわ。ドレスタット行きも予定通り。この程度の試練を乗り越えられないようでは、領主の妻は勤まりませんわよん」

●今回の参加者

 ea1544 鳳 飛牙(27歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea1683 テュール・ヘインツ(21歳・♂・ジプシー・パラ・ノルマン王国)
 ea1984 長渡 泰斗(36歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea2361 エレアノール・プランタジネット(22歳・♀・ウィザード・エルフ・ノルマン王国)
 ea3000 ジェイラン・マルフィー(26歳・♂・ウィザード・人間・ビザンチン帝国)
 ea3260 ウォルター・ヘイワード(29歳・♂・ウィザード・人間・ノルマン王国)
 ea3446 ローシュ・フラーム(58歳・♂・ファイター・ドワーフ・ノルマン王国)
 ea3475 キース・レッド(37歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea5068 カシム・キリング(50歳・♂・クレリック・シフール・ノルマン王国)
 ea5297 利賀桐 まくる(20歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea6137 御影 紗江香(33歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea6930 ウルフ・ビッグムーン(38歳・♂・レンジャー・ドワーフ・インドゥーラ国)

●サポート参加者

巴 渓(ea0167)/ マグダレン・ヴィルルノワ(ea5803

●リプレイ本文

●ドレスタット行き
 鳳飛牙(ea1544)は少し考えるように顎に手を当て、
「えぇーと、今回のドレスタット行きは、マレシャルさんの浮気の言い訳を聞」
 言い終わらないうちに疾風のように身を寄せたタンゴの肘が飛牙の脇腹にめり込んだ。
 出発の前に飛牙、轟沈。
「じょ、冗談だってば‥‥なんか、いつもより強烈な気が‥‥」
「これだけ色々あるんですもの。その分、腕にも力が入りますわよん」
 無邪気な笑顔で答えるタンゴ。タンゴさん、目が笑ってませんよ。
 飛牙へ苦笑を向け、マチルドへ挨拶に出る長渡泰斗(ea1984)。彼は心細そうなマチルドへ、以前言った言葉をもう一度言った。
「俺があの時に言った言葉を御身は覚えているかな? 『ピンチの時はまず落ち着いて、その後によくモノを考えること』」
 マチルドの顔が上がる。
「喧嘩でも戦でも商談でも、熱くなりすぎたほうが負け。タンゴ殿を身近で見てれば駆け引きはわかるだろう?」
 泰斗はマチルドの目に落ち着きが戻ってきたのを見て、よし、と頷いてみせた。
「商談と言えば」
 と、ウルフ・ビッグムーン(ea6930)が口を開く。
「どうも、行商人のいきなりの軟化が引っかかるな。盗賊団とも繋がりがあるのかね? 道中、何事もなければいいが」
「無礼者は私がすべて凍らせてあげましょう」
 エレアノール・プランタジネット(ea2361)の長い金髪がふわりと舞い上がり、冷気が漂う。得意魔法アイスコフィンである。
 手加減してやれよ、と逆に不逞の輩のほうを心配してしまうウルフ。
 最後に飛牙が、留守中仕事がなくて暇そうにしている人がいたら、乾燥させた泥炭の回収と、新しい穴でも掘っておくようにとタンゴにお願いして、一行はドレスタットへ出発したのだった。
 道中、馬車に揺られながら飛牙やエレアノールは、マチルドが思いつめたりしないよう、いろいろな話をした。
 中でもエレアノールが今まで見聞きしてきた上流階級の夫婦の話は、なかなか参考になるものだった。
「貴族にもいろいろな奥様がいますね」
 彼女はおもしろそうに唇に笑みを浮かべる。
「お互い愛人持ちで相互不干渉な冷め切った夫婦とか、気立てが良いと評判だったできた奥さんが、夫の浮気一つで悋気を起こしてナイフで切りかかったり、妾に水を浴びせて館を追い出すとか」
 できれば居合わせたくない修羅場だ。
「でもまあ、私としては一番怖いと感じた奥様は、いつもはいはいと言い、威張る旦那様の好きにさせて自分は使用人と一緒に楽しそうに働いているところでしたね。なにせ‥‥」
 そこで不意にこらえきれなくなったようにクスクス笑い出すエレアノール。
「何せ首根っこを猫に押さえられたネズミみたいなものだから。その旦那様、奥様に影でまったく頭が上がらないのですよ」
 マチルドはその様子をリアルに想像し、エレアノール同様、小さく吹き出した。
「えへへ‥‥まちるどさん、やっと笑ってくれた」
 マチルドの隣に座っていた利賀桐まくる(ea5297)が安心したように微笑んだ。
 外に注意を払っていた泰斗もかすかに口元を緩めてマチルドを見ていた。
「もっと胸を張るがよい。御身は武勲類なきマレシャル殿に勝ったのだ。よく言うだろ? 惚れた側の負け、と」
 惚れた弱み、の間違いではないだろうか。
 それはともかく、マチルドの気持ちが明るくなってきたのは確かだ。
 そしてもう一つの心配事のほうも、まくるがしっかり応援してくれる。
「言葉をトチっても‥‥にこやかに言い直せば‥‥大丈夫です」
 さらにまくるは友人に、マチルドのために社交界向けの装いと化粧の支援をお願いしていた。おかげでそれに関する心配はしなくてよかった。
 それから飛牙がペットである二羽の鷹の名前をつけて欲しいと言い、熱が出そうなほどマチルドが考えさせられる。
 道中、人気(ひとけ)が途絶えたところで賊に道をふさがれたりとあったが、そこらへんはエレアノールのアイスコフィンで道端のオブジェにされて終わりだった。賊達は口上を述べる間もなく凍らされたとか。さらにトドメとして『私は敗北主義者です』という札をぶらさげられたのだった。賊も狙った相手が悪すぎた。
 そんなこんなで結局は何の障害もなく、目的地に到着したのだった。
「お疲れ様でした」
 シーロの手伝いのために同行していた御影紗江香(ea6137)がマチルドを気遣った。その頃漸く鷹の名前が決まり
「ルイン(月)とソレイユ(太陽)かぁ。マチルドさんいい名前ありがとう」
 飛牙が礼を言う。一生懸命考え抜いたお陰で、マチルドが不安を忘れていた事は言うまでもない。

 夜、泊まりを決めた宿の部屋で一人になったマチルドが、ふと再び生じた不安の影を追い払おうと回避術の復習で気を紛らわせていた時、、
「今、よいかの」
 と、カシム・キリング(ea5068)がドアをノックした。部屋の前には泰斗が見張りをしているはずである。飛牙はマレシャルに雇われている知り合いに挨拶に行っているらしい。
「ちょうど、考え込んでいる頃かと思っての」
 すっかり見透かされているようだ。
 部屋へ招き入れられ、椅子に腰を下ろしたカシムは、じっとマチルドの様子を見守った後、ゆっくりと話し出した。
「大いなる父の試練の嵐は激しい。今回の試練は今までのものとは趣向が異なるのぅ。想いの強さと直向さが試される。が、それだけではない。外に向けて想いを表明する能力も試される」
 マチルドは姿勢を正して耳を傾けている。
「泳ぎをようやく覚えはじめた子供を濁流に突き落とすようなもの。わしは溺れようとする子供が掴む浮き袋となろう。流されるだけ流されるがよい。だが、向こう岸にたどり着くには自らの力で泳ぎきらねばならないのじゃ。心に沸き上がる重石としての感情を吐き出すがよい。主は、銀を練る炉のように金を練るルツボのように、我らを試みに遭わせ給う。だが、主に在る者は勝利を得る。ヨブは自分の生まれた日を呪い、光を見ることなく母の胎で死んだ死産のほうが幸せであるとまで、自分の運命を嘆いた。しかし、その艱難は彼が主を知る為にあったのじゃ。主に在る者は、主が人生を食い尽くすイナゴの害でさえ、何倍にもして償われると預言者アモスは記して居る。マチルド殿。お主は後に今日の日を振り返るじゃろう。あれがあったからこそ今幸せに満たされて居ると」
 マチルドは、同行し支えてくれる冒険者達に改めて感謝せずにはいられなかった。
 その後、話はペールのことに移った。
「今の問題が片付いたら、会いにいこうと思っています」
 マチルドの答えにカシムは黙って頷いた。

●ペール
 風を歌う樹、舞う鳥たち、そして朝鳴る鐘の音。礼拝が終わる頃。テュール・ヘインツ(ea1683)は教会を訪ねた。一礼する彼に司祭も応える。
「司祭様。ペール君は元気ですか?」
 面会を求めるテュールに司祭は頭(かぶり)を振り、
「残念ですが、彼を保護するために会わせるわけには参りません。『悪い仲間が連れ戻そうと接触するかも知れないから誰にも会わせないで欲しい』と、あの子を全財産を投げ出して買い戻されたキース殿から頼まれているのです。伝言は承りますが‥‥」
 一寸かちんと来る物言いをする奴だが、キース・レッド(ea3475)の心配ももっともな話である。大切なのは彼の安全なのだから。
「じゃあ。伝えて下さい。前に頼るのは悪いことじゃないって言ったよね、頼りないかもしれないけどペール君が助けてほしいなら僕たちはいつでも手伝うから何かあったらちゃんと言ってね。僕にじゃ言いにくいならマチルドさんでもカシムさんでも言いやすい人にでいいからさ。って‥‥」
 そして、おそらく近くにいると思われるペールに向かって、大声でこう呼ばわった。
「ペール君! また来るね」
 司祭は母が幼子を視るような目で、テュールに微笑むと手を挙げ
「我が子よ。あなたが主の平安と共に在りますように‥‥」
 祝福を与えた。

 現在のペールの保護者。すなわちキースが教会を訪れたのは夕の礼拝が始まる頃であった。主の誉め歌を歌い祈るペールの傍らに、羽交いで雛を抱くが如きキースの姿。知らぬ者が観れば肉親であると思うだろう程に、キースは世話を焼いていた。
「(物好き‥‥ですかね‥‥)」
 この依頼に入る前に、口悪い渓のあほうから言われたものだ。
「どのみち、自分で更生する気もねェ奴につきあったってろくな事はねぇぜ。確かにおめェはペールってガキを護ってやれるかも知れねェ。だがよ‥‥今は護ってやれても、それが一生続くって訳じゃねェんだ。いつかはガキも一人で歩かなきゃなんねェんだよ。依頼人がガキ一人に構っててもいいって甘ちゃんだからいいけどよ。物好きだな。集められる分のヤクこれだけだぜ」
 如何にも恩義せがましく、僅かなポーションを手渡す渓の顔を思い出し、
「ふっ」
 っと自嘲的な笑みを漏らす。渓のあほうには判る訳もないが、タンゴが農園に利益をもたらさない事に銅貨一枚とて金を払う訳もない。敵が必ずペールやその周辺に手を回して来るに違いないからだ。なんらかのアクションがある。そう考えるからこそ、キースは自分以外の誰にも会わせぬよう、司祭に依頼したのだ。そして、司祭と日替わりの合い言葉を定めて、キース自身であっても違えると会わせないよう頼む念の入りようだ。万が一にも自分に変装した敵の手に渡さないためである。その上で、口封じを警戒してペールにも毒消しやポーションを渡し、万が一の時に備えている。
 夜半。ペールに与えられた寝室で就寝の祈が済んだ後、護衛として添い寝するキースに少年は尋ねた。
「キースさん‥‥なんで僕を問いつめないんですか?」
 ペールは不安げに訊く。罰せられないこと自体が怖いのだ。魚油の臭う燭台に照らされるキースの顔は少し寂しげ。見つめる瞳に抗しかねてか、ぼそりと話を始めた。
「昔、ある少年がいた。貧しくとも、両親と妹に囲まれ幸せだった。だが‥‥少年の目の前で‥‥家族は理不尽に‥‥殺された。この世界じゃ良くある事さ‥‥少年は、罪を重ね生き延びた。生きる為に、奪い、殺した‥‥そして‥‥冒険者になった。家族の仇を討つ為にね。ひょっとしたら、違う生き方があったのかも知れない。でも、そいつは本当は勇気がなかったんだ」
 爆ぜる炎に光る一筋。いつの間にか溢れる涙が、キースの頬を伝う。
「キースさん‥‥」
「いや、言わなくてもいい‥‥盗賊団の事は。あとは、僕らが何とかしよう。君は、妹を大切に、今を精一杯、生きれば良い。それだけでいいのさ。もしも償いをしたいと考えるなら、これから君が幸せな人生を築き上げること。僕と約束だよ」
 暫し静寂の後、ペールはぼそりと口にした。独り言のように。
「僕なんかよりも、妹のイーダを助けて。僕が農園にいないと、イーダに悪いことが起こるかもしれないんだ」
「大丈夫だ。あいつらも君が考えている以上の人間だよ。それに、今は君の方が危ない」
 そのために僕がいるのだと、キースは言った。

●農園
 いつの間にか熱い夏の日差しは消え、朝夕に息は白む。狩りの角笛が響く森は少しだけ明るくなり、実ったどんぐりで豚を肥やす季節の訪れを告げる。秋は実りの季節だ。ブドウ園の働き手を求める馬車が、昼過ぎにもドレスタットへ向かう程、慌ただしい刈り入れの直中。マチルド農園も夏の残り香の暖かな日差しの中にある。
 所用で出かけている女主人の留守を守り、自ら範を垂れてまめまめしく働くのは、テュールとウォルター・ヘイワード(ea3260)。
「みんな随分と馴れて来たよね」
 テュールは汗を拭いながらにこやかに子供達に声を掛ける。
「でも、そろそろこちらはお終いですね」
 ウォルターは植物の状況を見て、ここらが潮だと判断する。ミントに咲いた白い花、そろそろ生育も鈍り、摘み取りを控えねばならない時期が来ていた。あとは株分けや植え直し、そして適切な施肥を行って来年に備えなければならない。
 ともあれ、なんとか薬草園も整備されてきた。湧き水の近くには桃山殿から都合着けて貰ったわさびが植わり、荒れ地のほうにはシソの葉が小さな葉を茂らせている。利益が出るのは来年以降ではあるが、存外に根付きが良好である。また、牛の乳量も増えて増量分の利益もまずまず。近く自前の牛を飼うことも出来そうだ。キノコも見栄えこそまだまだであるが、冬場の換金商品として有望だ。
 このように農園経営の未来は明るい。しかし奉公人見習い達の表情は暗い。皆、マチルドの身を案じて心配しているのがはっきりと判った。
「皆さん。今日はお終いにしましょう。明るい内に学びを進めたいと思います」
 ウォルターは、皆の様子を見てそう言った。薬草園の作業は、無理して今直ぐ行わねばならないものではなかった為だ。放牧の者を残して撤収。宿舎で読み書きを教える。

 その頃。ウルフは村の作物売り出しのため、村々の家を挨拶回りに歩いていた。
「麦の作付けは今まで通りだとしても、これからは金になる作物も作って、御領主様と一緒にキミ達も豊かに成るべきだ。どうかマチルド様に協力して貰いたい。もちろんそれには多少の学問もいるから、どうか農閑期だけでも子供をこちらに寄こして欲しい。たとえばあの荒れ地のような耕作に適さない土地にも育つ価値の高い作物の種も、マチルド様は分けて下さる」
 荒れ地に育つ価値の高い作物とは、菜の花の謂いである。こうして足繁く廻る内に、ウルフはすっかり顔なじみに成って行く。
 彼がサクス家に雇われた冒険者であると聞きつけた村人の一人は不安げに
「悪い噂ばかり流れて、サクス様のお家はどうなってしまうんでしょうねぇ」
 声を潜めて尋ねる。マレシャルの悪い噂はいつしか村にも広がり、村人たちの心配の種になっていたのである。そして、現当主が彼らにとって名君であるだけに、マレシャルや彼が妻に望んでいるマチルドの優しさが知られているだけに、サクス家の失脚を自分達の一大事と感じていたのである。恐らく、別の領主ではここまでの優遇は無い。と考えているからだ。
「ふむ。俺は坊主ではないから上手く言えないが、人はスーダラ(煩悩)と上手くつきあって行かねば成らぬ」
「スーダラ?」
「欲望と言い換えても良いかな? 水車がすっぽり水に浸かっても、逆に水から離れても回らぬように、適度な距離を保って行く必要があるであろう。仮令若様が女色に狂ったとしても、それがなんであろうか? キミ達にとって良き領主であればなんの不都合があるだろうか? 領地をきっちりと治め、豊かにしてゆく領主に対し、領民のためという名分でフェーデは仕掛けられぬものである。キミ達が、苛烈な年貢を取り立てる清廉潔白な者よりも、君たちを豊かにするが女狂いの者を領主として仰ぎたくないと言うのなら、話は別であるが」
「め、滅相もありません!」
「そうだろう。‥‥それに名声を得た者を妬むのもまた人のスーダラ(煩悩)だ。再興戦争に功ありし貴族が殆どであるから、当主はそれなりに有能なのだろう。しかし家柄だけが取り柄の無能な息子を持った父親は、子供のために対抗者を潰しておこうと考えても不思議ではない。サクス家が栄えると自分の家が没落すると考える連中なら、これくらいの悪評は平気で立てるものだ。まぁ、一般論であるが」
 ウルフはそう話ながら、いつの間にか村人達から頼られ始めている自分に気づいた。

●ドレスタットにて
 ドレスタットで商いを営む商人の中には、ローシュ・フラーム(ea3446)と顔馴染みの者も少なからずいた。ローシュは生業として鍛冶屋を営んでいたので、その商売付き合いで見知った仲である。
 かの行商人とその連れのジャックの身元に探りを入れるべく、ローシュは二人を知っていそうなさる商人を訪ねた。
「やあ、ローシュの旦那か。商売はうまくいってるかね?」
「まあ、ぼちぼちとな」
 挨拶し、ローシュはさりげなく話を切り出す。
「最近、足を伸ばした先の土地で出合った行商人について、何か知っておるかと思い、訪ねてみたのだが‥‥」
 相手に不信感を抱かせぬよう、慎重に話を進める。
「その男との商売付き合いを考えておるが、商人としての信用はどうであろうか?」
「ああ、その行商人なら私も知っているよ」
 相手の商人は言う。
「商売の腕は確かで、信用もできる男だ。ただし、人に付け込まれやすい所があってな。かつては悪い連中に騙されて、一財産巻き上げられてしまったこともあったとか。だが、それも昔の話。今は女房子どもとつつましく暮らしているよ」
「ところでその行商人にはジャックという連れがいたが、その男について何か知っているか?」
「ジャックか‥‥。私も何度か顔を見てるが、詳しい素性は知らん。あの行商人もジャックのことは、あまり口にしたがらないものでな。まあ、脛に傷持つワケアリな親類か何かなのかもしれん」
 話のついでに商人は、ローシュにかの行商人の家の場所を教えてくれた。

 ドレスタットに来たついでに、カシムにはぜひとも立ち寄るべき所があった。ドレスタットの下町に立つ古びた白の教会で、過去の依頼がらみで何度か相談に立ち寄ったことがある。傭兵領主ジャンの領地の外れ、川の中州に建てられた教会の件。そして、シャンプラン家のお家騒動の件。それらの案件はいずれも良き形で決着が着き、今は懐かしい思い出でもある。だが今回のマレシャルの醜聞の件は、どのような形で決着が着くのであろう? 或いはこのまま破局へと向かうのか?
「いいや、マレシャル殿は噂のような事を為す方ではない。としても、不幸な女がいる。そして産まれようとする赤子も」
 今は何処かの教会に匿われている小間使いの娘の身の上を案じつつ、カシムは目指す白の教会に行き着いた。
「それにしても、今日は賑やかじゃな」
 以前訪ねた時はひっそりした雰囲気にあった教会だが、今日は妙にざわついている。以前はいなかった護衛らしきジャイアントが周囲に目を光らせ、通りを行く者は気圧され気味だ。カシムが教会正門の扉をくぐると、冒険者風の若者が呼び止めた。
「司祭殿お知り合いの方ですか?」
「カシム・キリングと申す。その名を伝えれば分かるはず。しかし、もしや‥‥」
 やがて現れた老司祭に話を聞くと、なんとここがアンナの保護されている教会だった。アンナの命を救ったのは、目の前の老司祭だったのである。
「げに、不思議なる因縁じゃな」
 老司祭が言うには、この教会は噂の渦中にあり、冒険者の助けが来るまでは野次馬に悩まされていたとか。カシムは老司祭に対し、今は直接会うのが難しいマチルドとマレシャルの仲介を望んだが、それは難しいと返事があった。
「殺人未遂の容疑者というマレシャル殿の疑いは未だ晴れず、わしもアンナを守るという立場があるのでな。じゃが、出来る限りの事はいたそう」

 カシムがとんぼ返りで教会から戻ると、いよいよ一行は商談先の調合屋ロワゾー・バリエへと向かう。ところが店へ行ってみると、こちらも随分と雰囲気が物々しい。店の手前でジャパン人の娘に呼び止められ、何用かと訊ねられる。
「マチルド農園のマチルドです。商談のために参ったのですが‥‥」
 マチルドの言葉を聞き、娘は一行を店へ案内する。娘はギルドから派遣された冒険者で、名をひじりと言う。そしてマチルド達は、ファニィの行方不明事件のことを初めて聞かされた。
「そちらの言い分は分かるが、何せこの状況だ。すまんが察してやって欲しい」
 店の警備に携わる冒険者のイワノフが言い、ちらりとレニーを指し示す。
「すみません。でも、今は‥‥」
 ぎゅと握られた手と、青ざめた顔と‥‥憔悴した風情のレニーに、マチルドも商談は断念せざるを得なかった。
「何か出来る事があれば‥‥」
「ふむ、ならば‥‥彼女においしい料理を食べていただこうか」
 同行してきた料理人シーロの言葉に、マチルドはパッと顔を輝かせた。
 農園から持ち込んだ食材はもとより、近場の夕市でも肉や野菜が買い付けられる。シーロの料理作りが始まると、店の台所は大忙し。並べられた皿に農園のチーズやミントハムが盛り付けるついでに、まくるは付け合わせのニンジンを花形や星形に切って飾り付ける。
「料理も‥‥まず盛り付けを‥‥目で楽しむものですし‥‥いかがでしょう?」
「この店の主が喜んでくれるなら、それでいいさ」
 シーロもまんざら悪い気はしない様子。
 そうして開かれた、ささやかなる晩餐。ファニィの事もあり、最初は乗り気でなかったレニーの表情も、徐々に明るくなる。
「こんな時だからこそ、私がしっかりしないとなんですよね」
「ええ、その通りです」
 レニーの言葉は今、マチルドが自分自身に言い聞かせている事でもある。
「その為にも、今はしっかり食べておく事だ」
 イワノフが大きな手で、レニーの肩を優しくたたく。
「だから、大丈夫‥‥ファニィもきっと‥‥」
 祈るように囁き、レニーは微笑を浮かべた。

「しーろさん‥‥。どうして‥‥農園に‥‥来たんですか?」
 晩餐の後。まくるが後片づけをしながらシーロに訊ねる。
「君の仲間に呼ばれたからじゃないか」
 ぶっきらぼうに答えた後、シーロは付け加える。
「一番大きな理由は、俺がチャンスを掴むため。そして、マチルドを応援するためさ。ふんぞり返った貴族のために働くのは御免だが、自ら汗して働く彼女のためなら働きがいがある」
 すると、傍らにいたローシュが言う。
「それはそれとして、料理人として成功したくば物の言い方にも気をつけんとな」
 余計なお世話だとばかり、シーロは黙っていたが、
「いくら正しいことだとしても、その物言いに問題があれば反感を買い、そもそも話を聞いてもらえない。まぁ、年寄りの小言じゃがの」
「大切に受け止めておくよ、爺さん」
 そう言えるシーロを見て、ローシュは思う。自分も職人としては、そんなシーロに近い。年を経て、若干岩の角も削れたというところだが、シーロに限らず自分も気を付けねばなと。
「あと‥‥表情をもう少し‥‥柔らかくしたり‥‥、ちゃんとした‥‥服を‥‥着たほうが‥‥」
「ああ、分かったよ。ご忠告ありがとう」
 まくるの言葉に、シーロは微かに微笑んだ。

 その夜、冒険者は話し合いを持ち、予定していた試食会は行わずに農園へ引き返すことに決めた。ロワゾー・バリエも事件に巻き込まれた以上、マチルドの安全の為にも今はそうする方が良いと判断したのだ。
 翌日。ローシュから教えられた行商人の家の前で、まくるはこっそり張り込みを行った。物陰から窺っていると、家の中からジャックが出てきた。まくるは足音を忍ばせて尾行する。ジャックの向かった先は、ドレスタットの下町でも物騒な界隈だ。人相の悪い男やけばけばしい化粧顔の女があちこちにたむろしている。
「こんな所で何こそこそしてやがる!?」
 その声に振り向くと、後ろに人相の悪い男。
「おまえもあの東洋人の仲間か!?」
 男は掴みかかったが、まくるはさっと身をかわす。そのまま路地裏へ逃げ込んで疾走の術を使う。成就した術の発動と共に煙が巻き起こる。
「何だこの煙は!? 待て、逃げるな!」
 男の声を後目に、まくるは疾走。男との距離はぐんぐん伸びていき、そのまま安全圏へと脱した。しかしまくるはくるりと踵を返すと、忍び足で逆戻り。離れた場所から窺うと、先ほどの男がジャックと話をしているのが見えた。どうやら仲間らしい。余所者が入り込まぬよう通りを見張っていたのか?
 その姿を確認すると、まくるはその場を立ち去った。

●冬支度
 農園に戻ったマチルド一行を出迎えたのは、少なからぬ数の村人たちだった。
「ドレスタットの方は、いかがでしたでしょうか?」
「マレシャル様のことで、新しい知らせはありませんでしたか?」
 街の噂はこの土地にも流れて来る。村人たちは不安なのだ。といって、領主様のサクス家にいちいちお伺いを立てる訳にもいかぬ。村人たちにとってマチルドは、自分たちとはそれほど目線の高さの違わぬ人間。自ずと相談相手の役割を期待されてしまったようだ。
 二度三度、深い呼吸で心を落ち着かせると、マチルドは落ち着いた声で答えた。
「ドレスタットでは様々な事件が起き、色々な悪い噂が流れています。ですが、たとえどんな悪い事が起こり、どんな酷い噂が流れようとも、それに心を乱されることはありません。マレシャルが正しき人であることは、私が一番良く知っています。たとえ試練の時がどんなに苦しかろうとも、やがてはこの試練も終わります。その時に主なるジーザスは、マレシャルの正しき生き方に答えて下さるでしょう。あたかも主が義人ヨブに試練を下し、その後に大いなる祝福を授けたごとく。さあ皆さん、仕事に戻って下さい。マレシャルのことは何も心配いりません」
 マチルドのその言葉は半分は村人に、そして半分は自分に言い聞かせるためのものだった。村人たちは安心した表情になり、深く礼をするとそれぞれの仕事に戻っていった。
「(マチルドよ。よくぞここまで成長したものだ)」
 マチルドの姿に、カシムは感慨を覚える。幾度もの試練を通し、少しずつ成長しつつあるマチルド。その毅然とした態度には、領主の奥方の風格がにじみ始めていた。

「牛の餌は冬場も干し草だけど、山羊はどうなるのかな? 今は雑草だけど、冬になったら生えないよね、山羊も干し草なら今のうちから作っておかないといけないから、確認しておきたいんだ」
 テュールに訊かれると、マチルドは答える。
「山羊は干し草も食べるけれど、牛が食べないイバラも食べたりするから、なるべく干し草以外で間に合わせましょう。イバラのある所へ連れていって食べさせれば、山羊の運動にもなってちょうどいいでしょうから」
 さすがにマチルドはこういうことには詳しい。
 ドレスタットから戻った紗江香は、キノコをベースとしたスープや煮込み料理を色々と試作。出来た料理を手みやげに村々の家を回り、畑で何かよい食材を作ってはいないものかと見て回る。その一方で、紗江香は外からやって来る行商人や旅芸人にも注意を払う。街からの噂は大抵、彼らによって持ち込まれるからだ。その中にサクス家に害をなそうとする輩が混じる可能性は高いとみたが、それを見破るには地道に観察を続けねばならない。
「人を視るのは楽では有りませんが‥‥」
 それでも、短い期間での観察ではっきり分かったことが一つだけある。もはや村人は誰一人として、マチルドの陰口を叩かなくなったということだ。
「さて。寒い時期に備えて、保温材の準備もしておこう。藁が発酵して出す熱を利用したものだ」
 ウルフは相変わらず、新しいことに色々と取り組みたがる。
「俺が知っているのは東洋式の稲藁と米糠だが、こっちは麦藁とフスマでいいのかな? 落ち葉を使うという話も聞いたがな」
 ご近所の村人が何か知ってはいないかと聞き込みをして回り、実際に麦藁や落ち葉を集めて温床を作り始めたウルフ。
「ウルフも相変わらずね」
 自分はミントの観察を続けながらも、エレアノールはウルフの様子を半信半疑で眺めていたが、ふとこんな事を口にした。
「そういえば、イギリスで娘さん助けるのに1千G以上借金かかえた人いたけど、大丈夫かしら? あれこそまさに借金王ね」
「1千Gの‥‥借金を!?」
 隣にいたマチルドが大きく目を見開いてエレアノールを見つめる。その反応がおかしかったので、エレアノールはくすくす笑い出した。つられてマチルドも笑い出して言う。
「そうね。1千Gの借金と比べたら、私の試練なんて‥‥」
 その日、ドレスタットのサロンで起きた事件のことを、マチルドはまだ知らない。マレシャルとマチルド、愛する二人に下った試練は山場を迎えようとしていた。