進め我らの海賊旗5

■シリーズシナリオ


担当:マレーア

対応レベル:7〜11lv

難易度:普通

成功報酬:2 G 76 C

参加人数:10人

サポート参加人数:-人

冒険期間:09月16日〜09月21日

リプレイ公開日:2005年09月24日

●オープニング

 その日もスレナスは、マレシャルの隠れ家たる教会をこっそり訪ねていた。
「さて、質問だ。足を踏み入れると炎を吹き出すファイヤートラップ魔法の罠を、船の甲板に仕掛けたとする。その船が移動すると、魔法の罠も船と同じように移動して、甲板の同じ場所に留まるのだろうか? それとも、罠の仕掛けられた空間にそのまま留まって、最初に罠を仕掛けた甲板の場所からズレて行くのだろうか?」
 マレシャルの質問に対し、スレナスは笑ってこう答えるしかなかった。
「それは、実際にやってみないことには分からないな。神聖魔法ではないし‥‥」
 マレシャルも笑っている。
「私も同感だ。だから近いうちに、船の上で実験してみようと思う」
 先の質問は、元々はとある冒険者が呈した疑問だ。船上での戦いにおいて炎の魔法は、使い方次第で大きな効果をもたらす。だからマレシャルも、冒険者から提案された実験には乗り気だった。
 ふとスレナスは、部屋の中に目新しい物が増えているのに気づいた。それは現在調査中の海域の模型だった。底の浅い四角い箱の中に、大小さまざまの石が配置されている。それらの一つ一つは、島や岩礁や暗礁を模したものだ。箱には水が入るようになっており、さらに船の模型を浮かべることもできる。模型は立体的な理解を促し、作戦を立てる時の大きな助けとなるのだ。
「良くできているだろう。それも冒険者がこしらえたものだ。ただし、まだ完成にはほど遠い。北の小島からさらに北にある岩礁地帯も、ほとんど手つかずのままだ」
「ともあれ、優秀な部下に恵まれている貴公は幸運だ。で、調査で何か進展はあったか?」
「大物が釣れそうな手応えがあった」
 マレシャルはそう前置きして、全幅の信頼を寄せる客人に話してきかせた。先ず、商船『赤鷲号』にまつわる『ロシアの呪い』。同じ船が何度も同じ場所で海難に遭い、積み荷を海賊にごっそり奪われている。その原因は、船に積まれたロシア貴族の呪われた遺品だ──などとという噂がまことしやかに流れているが、偽装された海賊との闇取引である疑いが濃厚だ。
「事件は必ず、『グリフォンの鼻』と呼ばれる岬の沖合で起きている。私は最近、その岬に足を運んだばかりだが、海賊船を隠せそうな入り江が間近にあって、襲撃にはもってこいの場所だ。ちなみに遺品の移送を頼んだ依頼人は、エドモン・ド・グラヴィエールという貴族らしい。この名に聞き覚えがあるか?」
「噂でちらりと耳にしたことがある。復興戦争後に身を持ち崩して没落寸前だったが、最近になって持ち直し、羽振りのいい暮らしをしているとか。‥‥ところで、僕のほうからも一つ訊いていいか?」
「何なりと」
 言われて、スレナスはやたら芝居がかった態度で質問を口にする。
「貴殿はマチルド嬢という婚約者がありながら、名門貴族ブノワ・ド・ブロンデル卿の御曹司たるマルク・ド・ブロンデルの新妻に手を出したそうだな。この浮気者め」
「はぁ?」
 マレシャルは一瞬ぽかんとした顔になり、その後で吹き出した。
「おいおい冗談はよしてくれ。私が次の戦の準備にかかりっきりで、浮気などする暇もないことくらい、君が一番よく知ってるじゃないか? 一体、誰にそんな馬鹿話を吹き込まれた?」
 当のスレナスも可笑しそうに笑っている。
「貴族のサロンに流れ始めている噂だよ。海賊討伐の英雄マレシャル殿、最近とんと姿を見かけないと思ったら、実は許されぬ相手と秘め事の真っ最中。‥‥とまあ、今はただのゴシップに過ぎないけれど」
 しかし、そう言った後で真顔になって付け加える。
「だけど気をつけた方がいい。今はただの噂でも、扱いを間違えれば噂が噂でなくなる。事の次第によっては話がこじれて私戦にもなりかねないからね。ああ、そうだ。僕は暫くパリに行く。ロランの仇が見つかったのでね」
「そうか。遂に‥‥。頼む、無事本懐を遂げさせてやってくれ」
 マレシャルは修行の旅の嘗ての連れのために、祈りを捧げた。

 そして10日後。北の小島を間近に臨む海の上で、海狼団を率いる女海賊アメリアは、小舟の上から海の中を食い入るように見つめている。
「お宝をしこたま積んだまま難破したあの船、沈んでいるのはこの辺りだね」
 かなり深くに船の残骸らしき物が見える。その上を時たま通り過ぎて行く大きな魚影は、獰猛なサメだ。
「あいつらがどう出るか、楽しみだよ」
 その言葉に、傍らにいた手下のジョーが答える。
「俺の勘ですがね。大きな獲物をぶら下げりゃ、あいつら間違いなく食いついてきますよ」
 沈没船からお宝を引き上げる仕事をジョーが頼んだのは、最近この島に姿を見せるようになった潜り名人の漁師。それがマレシャルの依頼を受けた冒険者であることを、ジョーは知ってか知らずか。その顔には意味ありげな笑みが浮かんでいる。

●今回の参加者

 ea4331 李 飛(36歳・♂・武道家・ジャイアント・華仙教大国)
 ea5644 グレタ・ギャブレイ(47歳・♀・ウィザード・シフール・ノルマン王国)
 ea5858 音羽 朧(40歳・♂・忍者・ジャイアント・ジャパン)
 ea7348 レティア・エストニア(25歳・♀・ウィザード・エルフ・ロシア王国)
 ea8046 黄 麗香(34歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
 ea8106 龍宮殿 真那(41歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea8252 ドロシー・ジュティーア(26歳・♀・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 eb1210 ファルネーゼ・フォーリア(29歳・♀・クレリック・エルフ・ビザンチン帝国)
 eb1350 サミル・ランバス(28歳・♂・ファイター・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb2560 アスター・アッカーマン(40歳・♂・ナイト・ハーフエルフ・ビザンチン帝国)

●リプレイ本文

●魔法実験
 波の穏やかな沖合に一艘の船が浮かんでいる。ありふれた漁船だが、甲板には天幕の囲いがぐるりと張り巡らされ、その内側は外からは見えない。
 その船はアスター・アッカーマン(eb2560)の頼みでマレシャルが調達したものだ。同乗者はマレシャルを始め、先の大戦で武功を上げた老猟師に、マレシャル配下の信頼できる部下。いずれも口の堅さについては保証付きだ。
「では、始めましょう」
 天幕の内側、防火対策で砂の撒かれた甲板の前方寄りの場所を選び、アスターは×印を描く。そして、×印より高さ1mの場所にファイヤートラップの魔法をかけた。船は緩やかな潮の流れに乗って、海面をゆっくり移動して行く。船縁に立つ老漁師は、間近の海面から頭を出した岩を目印に、船の移動距離を計測。頃合いを見計らって錨を降ろし、船を停止させた。
 身をもって魔法の効果を確かめようと桶の水を全身に被り、アスターは×印の場所に踏み入ろうとしたが、マレシャルに止められた。
「大事な体だ。用はこれで事足りる」
 マレシャルから木の棒を渡され、アスターはそれを×印の上方の空間に突き入れてみた。‥‥何も起こらない。
「魔法の罠は船と一緒に移動せず、最初に魔法をかけた空間に留まるようですね」
 船は最初の位置から前方に2mばかり進んでいる。アスターは×印を離れ、魔法がかかっていると思しき空間に木の棒を突き入れた。途端、木の棒は炎に包まれ、めらめらと燃えだした。実験は成功。ファイヤートラップは物と共に移動する魔法ではなく、空間に留まる魔法であることをアスターは理解した。
 マレシャルにとっても、ファイヤートラップの魔法をその目で見たことで、色々と閃くものがあった。
「船の上で使うだけではなく、海上に罠を仕掛けて敵船を誘い込み、火をつけるという戦法も考えられるな」
 しかし、アスターはこう付け加えるのを忘れない。
「ファイヤートラップを使った新戦術とはいっても、一度使うと陳腐化します。使うなら決定的な局面を選ぶべきかと」
 勿論だ、とマレシャルは答えた。
 続いて、レティア・エストニア(ea7348)のウォーターウォークの魔法を使った、海上の歩行訓練。まずレティアが自分に魔法をかけて、海面に降り立った。穏やかな波の震動が、足から伝わってくる。揺れる地面の上を歩くようで、バランスに注意しないと足を取られて転びそうだ。
「これは、すごい!」
 まるで地面を歩くように海の上を歩くレティアの姿に、思わずマレシャルは目を見張った。
「こんな不思議なものを見られるとは、長生きはするもんじゃなぁ」
 あの老漁師さえも、食い入るように見入っている。
 やがて船の上に上がってきたレティアに、マレシャルは頼んだ。
「頼みがある。私にも魔法をかけてくれないか?」
 レティアに魔法をかけてもらい、マレシャルも海に降り立つ。そしてマレシャルは駆け出した。
「魔法が解けないうちに戻ってください!」
 思わず叫んだレティアだが、マレシャルはぐるりと船を一周すると、無事に戻って来た。
「この魔法は使えるぞ!」
 その顔は子どものように生き生きと輝いていた。

●海の底のお宝
「もう10年以上も前の話になるがねぇ、金貨を山ほど乗せた船がこの辺りを通りかかった」
 さざ波立つ海面を小舟の上から顎で示しながら、海賊ジョーが言う。
「あの頃の海賊たちは気が荒くてね。お宝欲しさで船に襲いかかったんだが、相手もあっさり渡せばいいものを最後まで抵抗しやがって、気がついた時には船はお宝もろとも沈んじまって、以来ずっとこの真下にあるってわけさ」
 そのお宝を引き上げるという海狼団の依頼、漁師に扮した冒険者たちは受けて出た。敵の懐に食い込むには好都合だ。
 李飛(ea4331)は海狼団と話をつけ、銛を何本か借りておいた。鮫への用心である。
 そこからやや離れた海の上では、別の小舟に乗ったサミル・ランバス(eb1350)と黄麗香(ea8046)が、鮫の注意を引くために傷つけた魚をばらまいている。それが功を奏したのか、さっきまで海面下をうろうろしていた鮫の姿も今は無い。
 準備が整うと、音羽朧(ea5858)は海に飛び込んだ。前もって水遁の術をかけておいたので、一日中水中で呼吸が出来る。しかし海賊たちに正体を悟られぬよう、潜水時間は素潜り名人程度に留めておく。
 朧が潜ったのを見届けると、飛は銛を手に周囲を伺う。
「ジョーの旦那、見慣れない船がいますぜ」
 手下がジョーに告げるのを聞き、その示す方を見れば、はるか遠くに一艘の船が見える。マレシャルの船だ。海賊の縄張りの外に待機し、万が一の緊急時には冒険者たちの救出に駆けつける手筈だが、この辺りにひしめく海賊たちがそう容易く通すとは思えない。正体とその意図が露見する危険もある。いざとなったら自分の身は自分で守らねばならないのだ。
 と、飛は異変に気づいた。さっきまであちこちに散らばっていた黒鮫団の船が、沈没船の場所めがけて一斉に集まって来たのだ。
「どうしたマグナス、お宝のことで文句でもあるのか?」
 先頭立ってやって来た黒鮫団の頭にジョーが訊ねる。
「文句なら山ほどあるぜ。素性も分からねぇ余所者に手伝いさせることもな」
 それにしても、マグナスの背後が妙に五月蠅い。見れば、そこには犬を閉じこめた幾つもの篭。大方、あちこちで捕まえてきた野犬であろう。マグナスは五月蠅く吠え立てる野犬の一匹を篭から引きずり出すや、その剣が閃いた。
 ズバッ!
 血飛沫を上げ、犬の首が胴体から断ち切られた。
「ほぉれ、サメ公! エサを喰らいやがれ!」
 マグナスとその手下どもは、犬を切り刻んでは海に放り込む。やがて海中に広がったおびただしい血の臭いに引き付けられ、姿を消していたサメが群がり寄って来た。異変に気づき、サミルと麗香の小舟も現場に駆けつけたが、海面に漂う犬の死骸と、群がるサメの姿に麗香は色を失う。
「きゃあ! なんて酷いことを‥‥!」
 サミルに向かって、マグナスが嘲るように怒鳴る。
「どうした!? 早く助けねぇと潜っている仲間がサメに喰われちまうぜ!」
 サミルは水中のサメに銛を投げつけた。もう一艘の小舟の飛もサメに銛を投げつけ、銛はサメの横腹に深々と埋まる。
「きゃー!」
 海面から鼻面出したサメを、ミドルクラブでぶちのめす麗香。悲鳴だけはか弱い乙女だ。と、その目の前で海水が真っ赤に染まり、やがて傷だらけのサメの死体が一つまた一つと浮かび上がった。最後に顔を出したのは、その手に手斧を握った朧。
「やれやれ、サメを殺しちまったかい。やっぱりお前ら、ただの漁師じゃねぇな」
 マグナスは不敵に笑う。
「お宝はくれてやる。野郎ども、引き上げるぜ!」
 黒鮫団は去り、やがて沈んだ宝も引き上げられた。その後は海狼団の海賊たちと入り交じっての酒宴。
「このあたしからも、たっぷりと礼を言わせてもらうよ。さあ、飲みな」
「はい。いっただっきまーす」
 頭のアメリアに誘われるまま、麗香は杯の酒を呷る。酔いが回るとついつい口も軽くなる。
「だけど黒鮫団も、あっさり引き上げましたねー。あのまま抗争にでもなるかと思ったんですけどー」
 その言葉に、ジョーの目が光った。
「で、あんた達の取り分だけどね」
「それはお任せするでござる。それと、毎日の漁の取り分をもう少し。せめて‥‥」
 朧がアメリアにそう答えかけた時、
「きゃー!」
 悲鳴が上がった。麗香をジョーが羽交い締めにし、その首にダガーを突きつけている。助けに動こうとした仲間たちは、得物を手にした海賊がぐるりと囲んでいるのに気づき、動くに動けない。
「これが、報酬さ」
 金貨のたっぷり入った金袋を、アメリアが朧の目の前に置く。
「おまえ達が本当の漁師なら、この金で新しい船を買いな。遠くの海まで漁に出られて、獲物をたっぷり乗せられる船をね。だけど、おまえ達が再びこの島に近づくなら、命の保証はしないよ」

「‥‥そうか。だが困難は最初から分かり切っていたこと」
 北の島から戻った冒険者達から報告を聞いたマレシャルの顔に、落胆の色はない。
「思いもかけぬ軍資金が転がり込んだだけでも、良しとしよう」
 海賊たちから受け取った分け前は、全額がマレシャルに渡された。
 これから先、あの海域での調査は困難になろう。冒険者たちの顔は知られた。表だって乗り込めば、剣と棍棒と矢の歓迎が待っていることだけは、まず間違いない。隠密裏に事を運ぶにしても、命を危険にさらす覚悟が必要だ。

●取り引き
 ファルネーゼ・フォーリア(eb1210)はグレタ・ギャブレイ(ea5644)の計略に協力を惜しまなかった。役人ゴザンに見せる見本として、各種の防犯用品を商人ギルドで調達。それらをグレタの驢馬の背にくくりつけた。
「これだけ沢山あると、シフールの力では持ち運びも大変そうじゃが、後は宜しく頼むぞ」
「任せておいて。伊達に相場師はやってないわ」
 ファルネーゼに送り出され、グレタがやって来たのは港の近くにあるゴザンの事務所。ゴザンはグレタを愛想良く出迎えると、見本の一つ一つを丹念に検分して言う。
「品としては悪くはない。が、しかし‥‥」
「何かご不満でも?」
「私が欲しいのは、戦い馴れた海賊に対抗するための武器と防具。ありきたりの防犯用品では用を為さんのだよ」
 ゴザンは声を潜め、グレタの耳元に囁く。
「ロシアに向かう度に災難に遭う船の話は君も聞いたと思うが、実はあの船が近いうちにまたロシアに向かうことになったのだよ。何度も海賊の被害に遭っているので、依頼主は大量の武器と防具を用意したいと望んでおるのだ。そこで、次の品々を君の力で用意できるかな?」
 羊皮紙にメモ書きして渡されたのは、海での戦いに必要な大量の武器。剣に槍に銛、それに弓矢といった品々が書き連ねてあった。
「これだけ揃えるには金も手間もかかるだろうが、そこは君の方で何とかして欲しい。私も君とは長く取り引きしたいし、今回の取り引きが成功したら、君にも色々と便宜を図ろう」

●サロンにて
 ドロシー・ジュティーア(ea8252)は、マレシャルの浮気の噂を放っておくつもりはなかった。対応を誤れば、海賊と貴族という二つの敵を相手にすることになりかねない。噂の程度や、ブロンデル家の出方についても知っておく必要がある。
 マレシャルに身元の保証人を頼み、やって来たのがドレスタットでも良く名を知られたサロン。貴族や大商人はじめ、街の名士たちの社交場だ。マレシャルの紹介状を見せると、案内人は慇懃な態度で二人を中に導いた。
 さて、まずは誰に話しかけよう? 口の軽そうな客を探していると、
「あの‥‥レディ、誰かをお捜しですか?」
 声をかけてきた若者がいた。
「私はモーリス・ド・クルーシーと申します。ええと‥‥このサロンは初めてですか?」
 顔に浮かぶ愛想笑いが、どこかぎこちない。見るからに世間慣れしない貴族のお坊ちゃん。しかも、年頃の女性を見れば声をかけてしまう性分のよう。これ幸いとばかり、ドロシーは自らをマレシャル様の家で世話になっている貴族の子弟だと自己紹介する。
「ところでモーリス様。マルク・ド・ブロンデル様のことをご存じですか?」
「ああ、知ってますよ。とっても美人な奥方様がマレシャル様と浮気を‥‥あ! 失礼しました! ただの噂です!」
 何を思ったか、モーリスは大声を張り上げた。
「マルク様! エレーヌ様! マレシャル家から可愛らしいお嬢さんが見えてますよ!」
「ほう。マレシャル家から」
 いかにも貴族然とした身なりのいい男が、テーブルを離れてドロシーの所にやって来た。なかなかの男前だ。
「初めまして。私がマルク・ド・ブロンデルです。そして、あちらが愛する妻のエレーヌです」
 にっこり笑ってマルクが示すテーブルには、優雅な微笑みを浮かべた貴婦人がいた。
「そろそろマレシャル殿の使者が来る頃合いだと思いましたよ。しかも、貴方のような天使のように美しいお嬢さんを使者に立てるとは。マレシャル殿も粋なことをしてくれる」
 どうやらマルクは、ドロシーをマレシャルの使者として受け取ったらしい。ここは単刀直入に切り出すのが良さそうだ。
「既にご存じのことと思いますけれど、マレシャル様のことで酷い噂が流れています。私はその出所を突き止めに来ました」
「それは私も知りたいところ。だが所詮、噂は噂。名声が高まれば高まるほど、それに妬み心を抱く輩も多くなるだけの話。いちいち目くじらを立てていては身が持ちませぬな。マレシャル殿にはこのようにお伝え頂きたい。マルクもその良き妻も、根拠なき噂など意に介さずと」
「畏まりました」
 一礼して答えるドロシー。周囲の客は二人のやり取りを興味深げに眺めていたが、その中には龍宮殿真那(ea8106)の姿もあった。他人を装いながらも、必要ならドロシーに手助けするつもりだったが、その必要はなかった。
 真那は注意をサロンの各所に向ける。やがて客たちの関心もマルクとドロシーから離れて行き、特に怪しい動きも見られない。
「‥‥そう。今はただの噂に過ぎません。ただし、裏付けとなる証拠が見つかれば、状況は一変するでしょう」
 ふと、テーブルのそんな会話が耳に飛び込んできた。見ると、言葉の主は身なりのよい中年の紳士。単に噂話をしているに過ぎないが、その言葉が妙に気になった。
「あの、失礼します。レディはジャパンの方ですね?」
 不意に、真那に声をかけたのは、あのモーリスである。
「いかにも」
 真那は、自分をジャパンの貴婦人であると自己紹介した。
「良人を探しておるのじゃよ」
 にっこり微笑むと、モーリスは恋の妖精にでも魅入られたようなぼーっとした顔に。
「ところで、あのテーブルの紳士は何というお方じゃろう?」
「貴族のエドモン・ド・グラヴィエール様ですよ。このサロンの有名人の一人です」
 やがてエドモンは席を発ち、サロンから出て行った。自分たちもそろそろ引き上げる頃合いだろう。
「今日はこれで帰るが、次に来る機会があれば、ゆっくりと話をいたそうぞ」
 すると、上がり気味の言葉が返ってきた。
「あの、僕でよければいつでも会いに来てください!」
 サロンから外へ出ると、真那は呟く。
「サロンという場所は本当に怖い場所じゃなぁ‥‥」
 役者は出揃った。次に来るのは喜劇か悲劇か、はたまた惨劇か?