進め我らの海賊旗8
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■シリーズシナリオ
担当:マレーア
対応レベル:7〜13lv
難易度:難しい
成功報酬:4 G 55 C
参加人数:12人
サポート参加人数:2人
冒険期間:11月29日〜12月04日
リプレイ公開日:2005年12月07日
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●オープニング
「港の倉庫に、賊が空から侵入したんですって?」
訊ねた奥方様、ナッツ入りの香ばしい焼き菓子を一つつまんで口に放り込み、温かい紅茶を豪快に、カップの半分ほどまで一気に喉の奥へ流し込む。続きの言葉はさも大仰に。
「まあ、何て恐ろしいことでしょう! 賊が空から侵入するなんて!」
すると、事情通を自認する貴族の一人が、仕入れたばかりの情報を披露する。
「その賊はフライングブルームという空飛ぶ魔法の箒に乗り、しかも猫の恰好をした衣装で、体をすっぽり覆っていたというのです」
「猫の恰好をした賊が、魔法の箒に乗って来たんですって!? まあ、何て恐ろしい! ドレスタットも、もはや世も末ですわ!」
言って奥方様はくすくすと吹き出し、やがてそれは大きな笑い声になる。釣られて、相手の貴族も笑い出した。
「はっはっは! いやまことに、ドレスタットも妙な連中が増えましたなぁ。おまけに賊は倉庫から何一つ盗まずに逃げ出し、後には置き手紙が残されていたんですよ。『怪盗シャノワール(黒猫)参上! お宝は頂いた!!』 と、そう書かれた置き手紙がですよ」
奥方様は笑いが止まらず、椅子から転げ落ちんばかり。
「ああもう、あまりにも恐ろしくて、笑いが止まりませんわ!」
「まあ、こんな馬鹿げた事件を引き起こすのは、冒険者くらいしか考えられませんなぁ。どこぞで怪しげな衣装や魔法アイテムを手に入れて、調子に乗って怪盗気取りで倉庫に忍び込んだのでしょう。笑い事で済ませられる間はいいが、こういう事件が続くようならば、素行不良な冒険者の取り締まりが必要になるかもしれませんなぁ」
ようやく笑いの収まった奥方様、今度は真剣な面もちで訊いてきた。
「ところでマレシャルとマルクの決闘裁判、勝つのはどっちかしら?」
「私の見たところ、剣の力量は五分と五分。しかしマルクが勝てば、マレシャルはもはや死んだも同然の身となるでしょうなぁ。それはともかく、今度の決闘裁判は大きな見物になることは間違いなし。さぞや大勢の者が観に来ることでしょう」
二人が話しているテーブルの傍を、サロンの常連の貴族エドモン・ド・グラヴィエールが通りかかった。
「あらエドモン様、お久しぶりですわ。今度の決闘裁判、貴方も観に行かれますの?」
奥方様に訊ねられたグラヴィエールは、にこやかに頭を振って答える。
「生憎と、私はあの決闘裁判にさして興味はありませんので。それに、私は仕事で時間を取られていましてね」
「あら、お仕事ですの?」
「何、取るに足らぬことです。私はさるロシア貴族の依頼で、その親族の遺品をロシアに届けようとしているのですが、その遺品を乗せた船が何度も同じ場所で事故に遭うのです。しかし、関係者の証言にどうにも不審な点がありましてね。そこでこの私自らが、航海の途中まで同船して監督することにしたのです」
「あら、そうでしたの。残念ですわ。折角の決闘裁判、エドモン様ともご一緒したかったのに」
奥方様はグラヴィエールの話にさほど興味を示さず、再び決闘裁判の話題に戻った。
こうして時は過ぎて行く。街の高級サロンでは、客の全てが帰るまでお喋りの途絶えることがない。
所変わって冒険者ギルド。そこにスレナスの姿がある。
「おい、いくら何でもこれはやりすぎだぞ」
報告書に目を通し、スレナスは眉根を寄せて舌打ちする。
先日、港の倉庫に忍び込んだ賊の正体は、まさしく冒険者。彼の者が忍び込んだ倉庫というのは、不審な役人ゴザンに渡された山ほどの武器と防具が収められていた倉庫である。
しかし忍び込んだ冒険者は何一つ盗まなかった訳ではない。たった一つだが、重大な手がかりを盗んできた。それは1枚の手紙。
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サファイア 3級品 8カラット
サファイア 原石 7カラット
ルビー 原石 5カラット
ルビー 2級品 9カラット
ガーネット 1級品 10カラット
エメラルド 原石 8カラット‥‥
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こんな感じで、宝石の名前と数字がずらずらと書き連ねてある。手紙に差出人の署名はなく、その代わりに黒い蛇の印章が押されている。
手がかりはそれだけではない。倉庫に忍び込んだ冒険者は、真夜中に倉庫で何やら相談をしていた数名の男たちを目撃。置いてあったテーブルには『グリフォンの鼻』と呼ばれる岬の近辺の海図が広げられ、そこに置かれた3つの駒には船の絵が描かれていた。
それら貴重な手がかりをを得られたのはいい。しかし、冒険者の行動には軽率の感が否めない。
「今回のことで、敵は警戒を強めただろう。今後の作戦に悪影響が出なければいいが」
マレシャルは人目を忍び、夜遅く冒険者ギルドへやって来た。
「報告書の内容は頭に叩き込んだ。俺とマルクの決闘裁判の前日に、海賊どもは大きな取引をするらしいな」
今度の取引で海賊は息を吹き返す──密かに海賊の動向を探っていた冒険者は、そういった彼らの会話も耳にしている。
「しかし、この手紙に記された宝石は何だ?」
「恐らく、それは宝石ではない。何か別の物を示す符丁だ」
「そして、この黒い蛇の印章‥‥そういえば、蛇の入れ墨をした男の話を耳にしたことがある。シフール密売や人身売買など闇の稼業を取り仕切る謎の男らしいが、もしや‥‥」
マレシャルはしばし黙考していたが、それをスレナスの言葉が中断させた。
「これは一発逆転の大きなチャンスだ。海賊どもの企てを阻止し、連中を一網打尽にして証拠を押さえれば、巷に流れる不名誉な噂をうち消すことにもつながろう。それとも、海賊のことは冒険者に任せて、君はあくまでもマルクとの決闘裁判に集中するか?」
マレシャルの決断は早かった。
「分かった。俺は海賊との戦いに臨み、自ら指揮を取る。そして戦いが終わり次第、海賊どもの首を手土産にマルクとの決闘裁判に赴こう。それと頼みがある。船足の速い船と、手練れの船乗りを用意できるか?」
「任せてくれ。既に、さるお方からの支援は取り付けてある。さて、僕はそろそろ行かなければならない。何かと忙しい身だからね」
話を終えたスレナスは早々と立ち去り、残されたマレシャルは部屋のテーブルに広げられた海図をにらむ。
「3つの船か。1つはグラヴィエールの船だとして、奴らが残る2隻の船をどう使おうとしているかが問題だ」
港の者から仕入れた情報によれば、大量の武器と防具を乗せたグラヴィエールの船が出航するのは夕刻。『グリフォンの鼻』岬の辺りを通過するのは真夜中になるはずだが、十中八九、そこで何かしらの事件が起きるはずだ。今はまだ何が起きるか分からぬにしても、海賊の闇取引をを阻止するべきマレシャルと冒険者たちは、時には臨機応変、時には大胆に、時には自分の命を懸けて戦わねばなるまい。
●リプレイ本文
●決戦迫る
報復のためとあらば、悲嘆にくれる身重の娘さえも弄び利用する海賊。イリア・アドミナル(ea2564)にとっては決して許しようのない敵だが、気になることがある。かの手紙に押されていた黒い蛇の印章と、手の甲に黒い蛇の入れ墨をした男との関係だ。別件の依頼の話になるが、サクス領エスト村とベルジュ領ソウド村を争いに導いた人物は、手に十字の入れ墨をしていたとか。入れ墨に蛇と十字の違いはあるが、情報を攪乱させて人々の不和を導く手口には似たものを感じる。とすれば、2つの事件は同じ黒幕が引き起こしたものか?
警告のため、これら思うところをイリアはシフール便にしたため、サクス家の奥方へ送った。手紙の最後には、そちらで何か新たに分かったことがあれば伝えて欲しいと書き記す。
カイザード・フォーリア(ea3693)も海での戦いに先立ち、早馬を駆ってサクスの館を訪ねた。領地では毒殺未遂事件があったとかで、毒殺の手助けをしたという少年と行商人の裁判の準備で慌ただしかったが、主犯の男は行方をくらましたという。ここしばらくはサクス領内で敵が派手に動くことはないという予感を感じたカイザードは、来る戦いに全力を集中すべくドレスタットへと舞い戻った。
この度、マレシャルの依頼に初参加することになったグレイ・ドレイク(eb0884)は、ハーフエルフのナイトである。
「陰険な絡めてでの攻撃とは、海賊も相当の曲者だな。しかも、その後ろに貴族の糸が見えてきそうなやり口だ。しかし、これからこの世界で生きて行くには避けては通れない試練なら、乗り越える手助けをするのも騎士の使命。この剣、マレシャルさんに今は預けよう」
グレイが手始めに行ったのは、教会の保護下にあるアンナの護衛。先ず教会の老司祭に、この度の依頼のことと自らの出自のこと、アンナの身の安全とマレシャルの名誉を守りたいことを率直に告白した。
「成る程な」
老司祭はしばし、グレイの顔に見入っていた。グレイの両の耳は、呪われた出自の象徴ともされるハーフエルフ特有の耳。しかしその物腰や話しぶりに、試練の人生を生き抜いてきた者の品格を感じたのであろう。
「人は皆、それぞれの十字架を背負いて生きることを定められたるもの。主ジーザスが正にそのごとく歩まれたごとくにな。人は如何なる生まれかではなく、如何なる道を歩んだかで、その価値を定められるものじゃ」
老司祭はそう言い、アンナの護衛に就くことを許可した。
差し入れられる食べ物には十分に注意を払い、不審者にも警戒する。戦いが始まるまでの短い時間ではあったが、仲間の李飛(ea4331)とヴェガ・キュアノス(ea7463)も共にアンナの護衛に与った。
そして、貴族グラヴィエールの船が出航する日。
「さて。わしはちと用事があるのでな。すぐに戻る故、心配せず待っておるがええ」
いつものようにアンナの相談役になっていたヴェガは、そう言って教会を離れた。残る2人の冒険者たちも、目立たぬよう教会を離れる。教会を窺う者の視線に注意を払い、しばしの外出であるように見せかけるため、荷物は中に残しておいた。
「これだけ揃えるのは大変でしたが、どうにか間に合いました。良い取引が出来まして嬉しく思います」
慇懃な態度で言葉を述べ、グレタ・ギャブレイ(ea5644)が取引相手のグラヴィエールに一礼すると、向こうもにこやかに言葉を返してきた。
「君は良い仕事をしてくれた。今回の働きぶり、よく覚えておこう」
ここは港にあるゴザンの事務所。いつもは横柄な態度のゴザンも、今日ばかりはグラヴィエールの隣で縮こまっている。約束の金を受け取り、契約書にサインを記して取引を完了させたグレタは、ドレスタットの売れ筋商品や有力者との付き合いにも話を向けて時間を潰す。
「ところで、グラヴィエール様は今回の航海にも付き添われると聞きましたが?」
「いかにも。フランクの国境の港まで同船し、その後は陸路で戻る予定だ」
「良き船旅を。神のご加護がありますように」
握手のために小さな手を差し出すと、向こうはその手を包み込むようにして握手に応じた。取引相手と別れると、グレタは心に被せた仮面を少しだけずらして心中で呟く。
(「取引が終われば、あんたはもうお客ではなく敵陣営の者でしかない。悪行に手を染めている奴との取引は長くするもんじゃないね。さて、スレナスの軍資金も回収できたことだし、この金はスレナスに戻すまで大切に金庫にしまっておくよ)」
間近に迫った戦いに際して正体を悟られぬよう、グレタはマスカレードで顔を隠す。仮面の下の顔は商売人の顔から戦士の顔に変わっていた。
●鯱を追う鷹
今時分のドレスタットの朝はかなり冷える。その寒いうちから港には大勢の人夫が集まり、白い息を吐きながら倉庫の中の荷物を運び出していく。荷物の行き先は、埠頭に横付けにされた商船だ。かなり年期の入った船で、よく見ると船体のあちこちが傷んでいる。その船体には『赤鯱号』と書かれた文字が見えた。
この赤鯱号こそがグラヴィエールの依頼により、さるロシア貴族の遺品と大量の武器類を乗せてロシアに向かうという船なのだ。
竜胆零(eb0953)は港の倉庫から注意を逸らすことなく張り込みを続けていた。敵に感づかれないよう十分に距離は置いたが、倉庫に収められていた武器類の全てが赤鯱号に運び込まれたことは確認できた。この様子なら、闇取引は予定通り行われる。イリアも共に積み出し作業の監視を行い、インフラビジョンとブレスセンサーの魔法を使って荷物の中味を確かめる。
「どうだ?」
「荷物の中に人が隠されている気配はありません」
積み込み作業も昼前には終わり、監視を終えた二人はとある桟橋に足を運ぶ。そこには1隻の船が錨を降ろしていた。マレシャルのためにスレナスが調達した船で、名は『黒鷲号』。これまでは交易船としてイギリスとノルマンを往復していたそうだが、その名に違わず帆も船体も黒い。
既に出航の準備は整い、甲板ではちょうどカイザードが最後の点検を終えたところだ。灯火を絞る為のシャッター付きランタンに、火矢を防ぐ為の砂。用意は万全だ。
全員揃ったところで最後の打ち合わせが始まる。マレシャルと12名の冒険者に加え、黒鷲号の船長とその配下の水夫たち、合わせて20名以上もの人間が集まったおかげで、さほど広くはない船室は熱気で満たされた。
それまでの冒険者たちの意見を踏まえて、マレシャルが作戦内容を決定する。
「赤鯱号の出航は夕刻。その後を追う形でこの黒鷲号も出航するが、ちょうど凪の時間と重なるため船足が遅くなる。そこで風が強くなるまでの間は、飛の小舟に先行してもらおう。もしも赤鯱号に異常を発見したら、シャッター付きのランタンを大きく振って、黒鷲号に知らせるように」
ドレスタットの港から『グリフォンの鼻』岬に至るまでの風や海流の変化については、音羽朧(ea5858)があらかじめ調べておいた。もっぱら地元の漁師たちからの聞き込みによったが、韋駄天の草履が大いに役に立った。それともう一つ。朧は港で働く人間から重要な情報を掴んでいた。
「話によると、イスパニアへと向かうフランク籍の商船が、明日の朝一番にドレスタットの港に入港するそうでござる。となれば、3隻目の船とはその商船の可能性が高いでござる。仮にその船が戦いに巻き込まれた場合、『マレシャルが襲った』などと讒言を受ける危険もあり得るでごさろう」
「恐らくはその船も、闇取引に一枚噛んでいるのだろうが。外国の商船とは厄介だな」
しばし唇を噛むマレシャル。だが、答えは早々に出た。
「最善の策は、その船を巻き込む前に戦いを終わらせ、現場から立ち去ることだ。兎に角、その船の動きには十分に注意を払わねば」
ここで、リセット・マーベリック(ea7400)が発言。
「水夫の皆さんにお尋ねしたいんですが、夜間の戦闘の際はどのような天候が良いでしょうか? 私はウェザーフォーノリッヂとレインコントロールの魔法のスクロールを持っているので、6時間後の天気を予知した上で、曇りを雨にしたり雨を晴れにしたりできるのですが」
「おいおい、この寒空に雨は勘弁してくれよ」
水夫の一人が苦笑しながら言う。
「ましてや夜はなおさら冷える。これで雨なんかかぶったら、たまったもんじゃねぇ」
他の水夫たちもこれに同意し、最後にマレシャルが決定した。
「では、雨は無しということでいこう」
その他、海上での合図など細々したことが決められ、打ち合わせは終わった。さて、朧が船室から甲板に出て、新鮮な空気を胸に満たしていると、変わった道具が甲板に置かれているのに気付いた。
「おお、これは!」
以前に朧が提案した救命具。小さな空樽をロープで繋いだものだ。その近くには、救命用のロープ巻き上げ機が備え付けてある。
「さすがはマレシャル、手回しがいい」
巻き上げ機の提案者であるサミル・ランバス(eb1350)の顔がほころんだ。
その日の夕焼けはいつにも増して見事で、ドレスタットから臨む西の空は真っ赤に染まった。
(「もうじき、夥しい血が流されれることの予兆でしょうか?」)
いつになく戦慄を覚えつつ、リセットが沈む夕日に見入っていると、
「真夜中のお天気はどんなもんだい?」
グレタに訊ねられた。リセットはウェザーフォーノリッヂのスクロールを広げ、念じる。答はすぐに得られた。
「薄曇りです」
「そりゃ結構。しかし、決闘騒ぎを振り切って海賊退治に掛けるなんて、マレシャルも胆力があるね」
グレタのその口振り、マレシャルに惚れ込んでいるのが聞いただけで分かる。
「それでも明日には決闘を控えた身。マレシャルに疲れを残さないよう、海賊なんかさっさと片づけちまうに限るさ」
そんなグレタの言葉を聞いて話に入り込んできたのは、自称・斬り込み要員のバルバロッサ・シュタインベルグ(ea4857)。ジャイアントの巨体の上に乗っかったその厳つい顔を見れば、海賊の手合いかと間違える向きもさぞや多かろう。
「そうとも。時の勢いっつーか、テンションつーのは重要だからなぁ。実力が同じならテンションが勝負を左右する。この闘いに勝てば、決闘でも負けないだろうよ。あとは相手の名誉とか、考える余裕があればいいな。向うも巻き込まれみたいだし。んな余裕はきつそうだけど‥‥」
「あ‥‥見て!」
リセットが赤鯱号を指さす。
「動き初めました」
赤鯱号が帆を広げ、ゆっくり動き出す。
「そろそろ潮時だぜ」
バルバロッサが甲板から声をかけると、待機していた飛の小舟が動き出した。力強くオールを漕いで港の外に出ると、そのまま沿岸流に乗る形で赤鯱号の後を追っていく。港の周囲にはまだ船も多いので、その船影はさほど不審は抱かれまい。
赤鯱号との距離が十分に広がった頃合いを見計らい、やがて黒鷲号も動き出す。夕日は西の水平線に半ば没し、その反対側の空には夜の闇が広がりつつあった。
日が沈んで暫くの間は西の空に光が残っていたが、それも時が経つうちに消え去り、後は夜の闇が広がるばかり。昼間は青々としていた海も、今は茫漠たる黒一色の広がりと化し、その暗黒の大海を行く船は、まるでこの世ならざる世界の果てへと突き進んでいるような、そんな気分にもさせられる。向かって右手に見える陸地にも明かり一つ見えない。昼間なら森の緑に覆われた陸地も、今は夜空の黒よりもいっそう黒い塊となって、延々と連なっている。今宵は月の無い夜だ。薄曇りの夜空を見上げれば雲の広がりが仄かに白く輝いて見え、その雲間から覗く夜空はさながら底知れぬ深淵のよう。そこに瞬く星の輝きは、ひどく儚げに見える。
「今宵は曇り空だから、海と空の境目がはっきりしているだろう?」
熟練の水夫が、見張りを続けるリセットに囁いた。水夫の言う通り、水平線に沿って広がる雲のおかげで、黒い海と空の堺目が際だって見える。
「反対側を見てみな」
振り返って、水平線の広がる船の左舷側から右舷側へと目を転じれば、そこには鬱蒼とした森に覆われた陸地。木々の先端が形作るぎざぎざした黒い輪郭が、僅かに白い夜空の雲を背景にして、黒々と浮き出ている。
「この船は岸辺に近づけるまで近づいて、岸辺に沿って進んでいる。海の方から見れば、船影は陸地の陰に隠れて見えなくなっちまうってわけさ」
船の前方には、この暗黒の世界でたった一つだけ、強い輝きを放つ灯りがある。先行する飛の小舟が目印として掲げるランタンの灯りだ。
夕刻には凪いでいた風も次第に強まり、波音もはっきりと聞こえ始めた。
●敵船発見
そこそこに大きな黒鷲号とは異なり、小舟はかなり揺れる。しかも周囲は暗黒の海。おまけに夜風の冷たさも相当なものだ。
朧の話だと、この辺りの沿岸は岩礁が少なく航海しやすいらしい。にしても、真っ暗闇の海をこんな小さな小舟で進むとは。
「命知らずもいいところかもしれんな」
独り呟いてから、飛はそもそも小舟で先導しようと言い出したのが自分であることを思いだし、苦笑いを浮かべた。冬の訪れが間近い海。防寒着を着込んでいるからこそ寒さもしのげるが、万が一小舟が転覆したら──ぞっとするほど冷たい海水が服のそこかしこから入り込む。それがもたらす痛みは、幾千ものナイフが体に突き刺さるかのよう。
今時分の冷え切った海水は凶器だ。生あるものの体から全ての熱を奪い去る死神の手だ。
しかし今の飛には、冷たい水の中で溺れ死ぬという暗い想念に囚われている暇はない。今はただ、目の前の獲物を追跡することに、全神経を集中するのみ。
小舟のはるか先を行く赤鯱号は何の異常も見せず、大きく広げた帆に風をはらませて夜の海を進み行く。船窓からは船内の明かりが漏れ、それが恰好の目印になっているので追跡は楽だ。
小舟の前方に巨大な黒い影が迫る。『グリフォンの鼻』岬だ。赤鯱号は海に突きだした岬の先端を回り、その向こう側に姿を消す。飛の小舟もその後を追い、岬の先端へ。しかし赤鯱号と同じコースは辿らず、後続の黒鷲号に合図を送れるよう、舳先を外海に向けて進む。
小舟の右舷側に赤鯱号の姿が見えたのと同時に、飛は異変に気付いた。
赤鯱号の帆から火の手が上がっている。
火は帆の下のほうから燃え初め、帆の上へ向かってめらめらと燃えていく。
「‥‥!」
飛はシャッター付きランタンを大きく振る。緊急時の合図だ。
「小舟から合図だよ! 赤鯱号に何かあったんだ!」
真っ先に気付いたグレタが、インフラビジョンの呪文を唱えて夜空に舞い上がる。そのまま『グリフォンの鼻』岬を超えると、赤外線視覚を得た視界に巨大な炎が映った。
炎に包まれた赤鯱号のマストだ。あたかも巨大な松明のごとく、凄まじい熱を放射している。甲板で右往左往する水夫たちの姿も見える。
グレタはとんぼ返りで黒鷲号に戻り、報告。
「赤鯱号が燃えてるよ! 船火事だ!」
「とうとう始まったか! 全速前進で現場に急行する!」
マレシャルの号令が飛び、黒鷲号の帆がいっぱいに広がる。あらん限りの風を受け、船の速度は急速に増した。
その時、くまなく海上を見張っていたグレイが、新たに出現した船影に気付く。船は燃える赤鯱号のある場所、『グリフォンの鼻』岬に向かって一直線に進んで行く。
「あれは、海賊船か!?」
再びグレタが夜空に舞い上がり、今し方発見された船へと飛ぶ。船の甲板には松明の光が点り、武装した海賊たちがびっしり並んでいる。それを見届けるや、急遽グレタは黒鷲号に舞い戻る。
「海賊船に間違いないよ! 武装した連中が、ざっと50人も乗ってるんだ!」
この時には既に黒鷲号は岬の先端を回り、甲板に立つ誰もが炎上する赤鯱号の姿を目にしていた。左舷側から接近する海賊船との距離も、ぐんぐん縮まっていく。
「船火事に乗じて荷物を奪うという筋書きだったか。だが、そうはさせてなるものか!」
防寒着を脱ぎ捨て、白兵戦に備えるカイザード。注意を喚起するため、共に戦う仲間に言い放つ。
「先ず念頭に置くべきは人質の救出、そして海賊の頭目を捕らえることだ。引き際を見誤るな! それと、3隻目の船がこの近くにいるはずだ。注意を怠るな!」
●白兵戦
「総員衝突用意!」
マレシャルの号令に、一斉に甲板に伏せて船縁やロープにしがみつく。ずしんと言う衝撃。斜めに傾く水平線。嵐の如く揺れる星空と海。跳ね飛ばされて空に近い樽が海中に落ちた。飛沫が甲板を洗い、皆の身体の形に甲板を塗り分ける。その衝撃が収まるやいなや、バネ仕掛けのように起きあがり
「切り込め!」
吶喊する冒険者達。グレタが成就させたファイヤーボムが爆発するその箇所へ、カイザードとサミルが突入。爆発のショックの醒めやらぬ敵に錐の如く切り込んだ。続く2陣は飛とバルバロッサのジャイアント二人。
サミルとカイザードの振るう刀の鳴滝が死の旋律を奏で、喉を裂かれた海賊のもがり笛が黄泉路の露を払う。バルバロッサの剣は雷鳴の如く空を摩し、鉄火の閃光が命の灯火を刈る。飛は後方にありて、回り込む敵を襲い退路を確保した。
冒険者達は2隻の船の間に割り込み、プットアップによる消火と同時に攻撃を仕掛けたのだ。
サミルの馬手にティールの魔剣、弓手に翳すは日本刀。顔に掛かる血飛沫を、ぺろりと舌で舐めながら、妖しい光を湛えた眸で睨み付け。
「紅の小獅子って聞いたこと無いかい?」
邪悪な笑みを浮かべる。知らぬ者が見れば、正に狂化も極まった如く血に飢えるハーフエルフ。
「あわわわ‥‥わぁー!」
怖じ気づいて逃げ出す者。自棄になって突進してくる者。凍り付いて腰が抜ける者。目前の賊はサミルに威の位を取られた。
「ふん」
これ程御しやすい相手も居ない。やたらと振り回して向かってくる奴を、右の魔剣で払い退け、日本刀を下から摺り上げて片車に絶つ。腰の抜けた者は手を蹴飛ばして得物を奪う。いまのところ狂化の振りだけでいたって冷静だ。
「どうした‥‥」
カイザードは賊が剣を振り上げた間に、ぐいと体を寄せた。振り下ろす「ふ」のタイミングで、自らスカルフェイスをぶつけるほど接近。同時に深々と横に刃を寝かせた日本刀を差し込む。同時に、仲間を助けに来た賊の助太刀をライトシールドで受け止めた。サミルの狂化演技に肝を潰した奴らの反応は予測し易い。
ドボーン! 上がる水音は飛の爆虎掌を食らい賊が海中に落ちた音。闇に浮かぶ鉄火に、一瞬浮かぶ恐怖の顔を、
「ん、それで全力か? じゃこっちからいくぜ」
不敵な笑いで圧倒し、存分に敵を追い散らすのはバルバロッサ。堪らず賊は武器を投げつけ、その隙に海に活路を求めて飛び込んだ。
「ここは行き止まりだよ」
攻め込んできた。と言うより、その振る舞いから逃げ込んだ場所がたまたまこちらの船だったと言う海賊。その行く手を遮るのは黄麗香(ea8046)。先も刃も無い只の棒と思いきや、するりと伸びて足を払い。必殺の打撃がブンと唸って賊の頭上一寸で止まり。
「降伏だよね?」
賊が額着(ぬかづ)いて命乞いをしたのは言うまでも無い。
これらの混乱を突いて、零が敵の船に入り込んだ。ロープを使ってひっそりと。船の狭い通路と階段を抜ける。次第に澱む空気の腐った臭い。汚水の浸みるバラストに近い船倉に、人の息づかいを感じて問う。
「静かに。騒げば死ぬ。マレシャル様の船が海賊達と戦っている。ただし、勝てるかどうかはまだ解らない。逃げる途中で賊の刃に掛かることもあるかも知れない。私たちが手助けするから、覚悟を決めた人だけ連れて行きます」
ゲルマン語で、零は解放に伴う危険性を説く。灯りに照らされた牢獄の中には、鎖に繋がれた何人もの人々。シフール、エルフ、そして人間。うち幾人かは、零の言葉に耳を傾ける素振り。しかし言葉が通じぬ様子の者、言葉を聞く気力さえも失った様子の者もいる。
いきなり、何者かが背後から零の首を締め上げた。
氷の刃で貫かれるような、冷たさを通り越した激しい痛み。首を締め上げる手は強烈な冷気を帯びていた。その手を引き剥がそうと食い込ませた指さえも、じんじんと冷気にむしばまれる。あわや窒息しかけたが、
「ぬあっ!」
気合いの雄叫びと共に振り下ろされるハンマー。同時に、冷気をまとった手が零の首から離れた。助けに駆けつけたのはグレイ。しかしグレイのハンマーがその頭を打ち砕くより早く、敵は素早く身をかわしていた。零は振り向き、敵の姿を見る。それは見るからに冷酷そうな細面の顔の男。ウィザードの雰囲気を漂わせているが、その身に纏うのは蛇の皮のようにぬめぬめした光沢を放つ黒いコートだ。
男は素早く両手で魔法印を結ぶ。その瞬間、零とグレイは見た。男の手の甲に彫り込まれた、黒い蛇の入れ墨を。男の口が高速詠唱で呪文を放ち、その手に氷の円盤が出現。それを男はグレイに投げつける。
「うっ!」
グレイは避けきれず、ハンマーを持つ右手の二の腕がすっぱり切り裂かれた。氷の円盤は瞬く間に男の手の中へ戻り、男は船倉から甲板へ向かって逃げていく。
「ヤツは任せろ!」
グレイは男の後を追って甲板へ。そして、船縁に立つ男の姿を見た。追いつめたかと思いきや、男は眼下の海に向かって身を躍らせる。
自殺行為だ! あの冷え切った海に落ちたら、まず命は無い!
グレイは船縁から身を乗り出し、男の落ちた海の辺りに視線を走らせる。だが、そこに男の姿は無い。ふと、何かがグレイの視界をかすめる。それはあの男の姿のように見えた。しかも奇妙なことに、まるで地面の上を走るように海の上を走っていく。
「おわ!」
激しい衝撃に船全体が大きく揺らいだ。仲間の放ったファイヤーボムが派手に炸裂したのだ。船から落ちてはたまらじと船縁にしがみつくグレイ。再び海上に目を転じた時には、既に男の姿は消え失せていた。
グレイは再び船倉に戻る。
「倒したか?」
零が訊ねてきた。
「いいや、逃げられた。残念だ」
「そうか。強い敵だな」
そしてグレイは先ほど零がした質問を、イギリス語とラテン語で繰り返した。今度は多くの者から反応があった。
「ここに留まっていても、残った者は殺されるでしょう。逃げましょう皆さん」
中の一人がそう言うと、皆それに同意した。
外では激しい戦闘が続いているようだ。そんなこんなで零の鍵開けは難渋したが、小一時間程でなんとか鍵を壊して開けた。
「まだまだだ」
こういう場合でなければ問題有る技能に零は嘲う。素人でも一目で解る形跡では、普通の仕事には使えない。その間、グレイはライトシールドを構えて敵の襲撃に備えていたが、敵にこちらに人を回すような余裕は無いらしい。漸く檻が開いたので選手交代。零が出口を確保し、グレイがハンマーofクラッシュで鎖を叩き潰して壊す。全員の鎖をどうにかするのに少し時間が掛かった。
「さぁ。脱出だ」
長い捕囚に皆足が萎え、歩くのに時間が掛かるが、二人は皆を励ましつつ、元来た道を進んで行く。
その頃。赤鯱号は既に海賊の一味に乗っ取られていた。そして、向こうから襲いかかってくる海賊達。しかし、突然闇に閉ざされる彼らの視界。イリアがシャドゥフィールドのスクロールを使ったのだ。そして、
「賊でない者は伏せて下さい!」
言うなり放つのはアイスブリザード。傍らの麗香は棒を操り、横殴りに飛び移ろうとしていた賊を海に打ち落とす。それをも掻い潜って来た兵(つわもの)が居た。服装から人目で別格と判る者。海賊船の船長だ。
跳躍の勢いでそのままイリアを叩き切ろうと突っ込んで来た。イリアは魔法を使っているためとっさに反応できない。危ない! と、思った瞬間。コチンと硬直した船長が、イリアに覆い被さるように体当たり。転倒するイリアと敵船長。
「大丈夫だったかのう」
最後の砦はヴェガであった。コアギュレイトで固まった船長は、イリアの豊かな胸の谷間に顔を埋めて悶絶している。
「んもう! とことん嫌な人ですね」
敵船長を跳ね除けると、ここは船の舷故に、勢いあまって海に落下。
「ああ! 船長!」
先に海に落ちていた賊が落下した船長の下敷きになった。このままでは溺れ死ぬと思われた船長は、樽付きロープの救命具に取り込まれ、ロープ巻き上げ機の助けを借りて甲板に引き上げられ、無事確保。
こうして、人質は奪回し船長を捕縛。こちらの損害も魔法とポーションで治せる程度。奇襲攻撃は成功裏に終わったと言っても良いだろう。しかし、同船していた人身売買団の首魁、あのウィザードの姿は、もはやどこにも見当たらなかったのだ。
●騎士の宝と神の宝
戦いは黎明に決した。朝霧の晴れ止まぬ中、海賊一味に乗っ取られていた船の探索が始まる。やはりグラヴィエールや船長たちは船倉に閉じこめられていた。傷はないものの皆ぐったりとしている。
「ほら気付けじゃ」
ヴェガが飲ませる飲み物に、何か話そうとするグラヴィエール。だが声は出ない。
「無理をしないで下さい。さ、彼に掴まって」
リセットが手伝ってバルバロッサの背におぶさる。
全ての人質を甲板まで引き上げたとき。霧の中から一隻の船が現れた。外国船のようである。
「新手か?」
魔法で傷を癒したばかりのカイザードが、血刀を下げて応戦の準備。リセットはスクロールを取り出して戦闘に備えた。
だが、近くまで来たもののゆっくりと舵を切り、船は三隻の横をかすめて通り過ぎる。
「思い過ごしか? それとも‥‥」
それとも海賊達の討伐を見て退散しただけなのか? その判断は付かなかった。ただ、この海域は船の定期航路からは外れていると言う事だけははっきりしている。恐らくは‥‥。
いろいろと雑務があって、マレシャルと冒険者が港に凱旋したのは昼近くだった。捕虜にした海賊と解放した人質を、受け取りに来たエイリークの家臣に引き継いだ後。
マレシャルは一人の衛兵に先導されて決闘の場へ赴いた。
「子細有って待たせたことをお詫びする。さぁ。始めよう」
その言を聞いてマルクは、
「見れば手傷を受けているようだな。こちらから頼む。日を改めてはくれないか? 我が剣が触れぬのに、決闘の最中にその傷が開いて勝ちを拾うのは我が家門に傷が付く。我が家は代々卑怯な振る舞いを避けてきた。その累代の宝を、卿(おんみ)の傷故に傷つけたくない」
言い方は偽悪的だが、彼なりの好意なのだろう。マレシャルは
「了解した。我が傷故に卿(おんみ)の名誉を傷つける訳には行かない」
正直ほっとした心持ちで彼の提案を承諾した。
丁度その頃。ヴェガは道端で主を待っている御者達に話を聞いていた。
「‥‥その男ならひょっとして‥‥。だけどお坊様。彼が何をやらかしたんです?」
ヴェガは聖母の如き笑みを浮かべ、
「彼が通っていた教会の司祭から頼まれたのじゃ。もしも彼に逢ったならこう伝えてはくれまいかのう? 『神がおぬしに授けた大切な宝を受け取りに来ては貰えないか』と」
知っていると言った御者の手に、いくばくかの駄賃を握らせた。