●リプレイ本文
●ヴォルネス川
川のほとりに腰掛け両村の動向を見守る男。彼を間に挟んで触れれば破裂しそうなエストの若者達も、稀に現れては寄らば斬ると言わんばかりに肩をいからせて歩く傭兵達も、なんとなく置いた距離を保っている。
「いい天気じゃな。実に散歩が気持ち良い」
話しかけた七刻双武(ea3866)に、舌打ちをしながら去って行く傭兵。
「やれやれせっかちな奴じゃ」
と、こぼす双武に男が少しだけ笑みを浮かべた。
そこに現れた青年と少女。
「あの技師は、ニノじゃ無かったよ」
肩を竦めながらも、安堵の表情で語る彼。既知の者が妙な話に
「赤毛の技師さんの素性‥‥。分かりませんでした‥‥」
申し訳無さそうに身を縮める少女に、たった一日では仕方も無い、と男は言葉短く慰めた。しかし、彼女の調査はひとつの情報をもたらしてもいる。技術を持って各地を巡る技師の出自は様々で、元々が素性の知れない怪しげな人物も少なく無い。ただ、ひとつ前の仕事すら判然としないというのは、どう考えても異様と言っていい筈だった。と、
「あ、貴様、待て、待たんか!」
何の騒ぎかと見てみれば、ヴォルネス川の浅瀬をひょいひょいと渡ってこちらへとやってくる中年の行商人。背中にはいっぱいの生地を背負っていて、まるで荷物が歩いて来るかの様だ。傭兵の制止を振り切ってやって来た彼に、エストの者達がわっと歓声を上げる。村の男達にその勇気を讃えられたこの行商人は間もなく、買い物に飢えていたおかみさん連中に揉みくちゃにされる羽目になる。
円周(eb0132)は、ヴォルネス川の上流をひとり行く。いつもと変わらない長閑な風景に、彼はほっと息をついた。渇水の季節は終わり、どうにか最悪の事態に至る事なく収穫の季節を迎える事が出来た。一番危険な時期は乗り切った訳だが、それだけに、もっと直接的な工作に乗り出す者がいるのではないか、と、周は心配したのである。
保存食などパクつきながら少し休憩。この後は何処を回ろうかと考えながら、川の流れを見つめていた彼。と、川の向こうにひとりの技師が歩いて来るのが見えた。何をしているのか、と身構えたが、どうやら工事の為の記録を取っている様子。どうしようかと暫し迷ったが、目が合ってしまったので思い切って声をかけてみた。
「あのー、少し聞いていいですか?」
ん? 何だ? と男は気安く返事を返して来た。周の素性には気づいていない様子。
「この川ですが、例えば浚渫などの工事で水量は増やせないんでしょうか。溜め池を作るとか‥‥」
幾分かじった農業知識で聞いてみる。
「そうだねぇ、こんな川でも春先は水量が増すと言うし、実行すれば改善されることも多いとは思うよ。どちらにしても両村の折り合いがつかなけりゃ、川に手を入れること自体が争いの種になるんだろうけどな。どちらのご領主も農法の改良に熱心なのがまたアダになる。生産力が上がればなおさら水は必要という訳でね」
厄介事に巻き込まれる事無く仕事を終えたいものだよ、などと愚痴や苦労話が始まって、話は脱線する一方。機嫌を損ねない様に気を遣いながら、軌道修正に一苦労だ。
「先程の話ですが、マジカルエブタイトやストーンなどの魔法があれば、幾らかは実現性が増すでしょうか」
「何だ? お嬢ちゃんが土木工事をするつもりかい?」
お嬢さん呼ばわりされた上に笑われて、今度は周が気を悪くする。しかしこの技師、そんな事にはまるで気づかない。
「そりゃ、魔法があれば役には立つだろうさ。予算も少なくて済むしな。お嬢ちゃんが使えるのなら、うちにスカウトするかな」、
一頻り笑った男は
「そんな話になるなら気が楽なんだがね」
と苦笑い。そして
「ひとり歩きは危ないぞ」
余計な忠告を残して仕事に戻って行った。
●サクス邸
サクス家の屋敷では、イリア・アドミナル(ea2564)がサクス夫人と誓約書を交わしていた。イリアが出資した400Gは、必ずソウドとエストの協力事業に使用する、という内容だ。
「流れを変える一手としてお使いください。‥‥例えば、ソウド村にはもう技師が集まっているのですから、サクス家とベルジュ家が力を合わせ両村の水不足に挑むと言う提案で雲行きを変えられ無いでしょうか」
イリアの真剣な提案に、夫人も真面目に答える。
「落とし所は、その様なものになるのでしょう。ただ、皆さんの調査のお陰で、ベルジュ卿にはこちらに対する深い疑いがある事が分かっています。それを解かない事には、どんな提案も意味を成さないでしょう」
この問題は、エストとソウドの水を巡る対立と、サクスとベルジュの疑心による対立の二重構造になっている。渇水は水が確保できれば解決できる訳だが、信用できない相手と共同の事業などしたいと思う者はいないだろう。疑いに曇った目で見れば、どんな真摯な提案も策謀と映ってしまう。無論、ベルジュ卿とて落とし所を探っている筈だが、それはこれまでの強硬な態度を見ても、こちらが考えるよりずっと大きな譲歩を強いるものに違いない。
「水は誰のものでもない、天然自然の恵みであるが、悲しいかな人は時として、その理を逸脱してしまうものだ」
自分が贈った花が早速使用人達によって飾られているのを満足げに眺めながら、マスク・ド・フンドーシ(eb1259)は夫人に対し優雅に頭を垂れる。仮面を外し礼服を着込んで頭を撫で付けたその姿に安堵しながらも、イリア、思わず吹き出しそうになる。
「マスクとは実は仮の名。我が名はサムソン・メンズ。我が剣を捧げたるは‥‥」
言いかけたところで、夫人は彼を制した。
「冒険者として生きる者には皆、それぞれ事情があるもの。それを聞くのは止めておきましょう。今は一時、貴方の剣を私が買ったのですサムソン・メンズ殿。こういう割り切り方は嫌いですか?」
ごほん、と咳払いをして膝をついた彼。
「このサムソン、偉大なる祖国に剣を捧げた身ではあるが。今この瞬間は夫人の涙を止める為に尽力致しましょう」
手を取って誓う彼に夫人は期待をしていますと微笑んだ。これも貴婦人の嗜みである。
エスト村。ミィナ・コヅツミ(ea9128)は村役人のもとで、保護された技師と対面していた。
「思うに、あなたはチャームの魔法をかけられたのだと思うの。お友達の赤毛の技師さんが銀色に光って見えた事はありませんか?」
「うーむ、さて、どうだったかなぁ」
返答は曖昧だ。魔法で体が光るのはほんの一瞬。相手が意識して注意を払っていなければ、見破られぬ様に魔法を使うのも可能であろう。ミィナは念の為、ニュートラルマジックを掛けてみるが、反応無し。チャームに掛かっていたとしてもとうの昔に解けている筈だから、これはまあ予想通り。手がかり無しか、と諦めかけたところで、彼が『あ』と小さく声を上げた。何か思い出しましたか? と期待いっぱいの表情で聞く彼女に、技師は参ったな、と頭を掻きながらこんな話を。
「いや、その時ではないんだが、以前、そんな風に光って見えた事があったかなと‥‥。夕方だったし目の錯覚かもしれないんだが。道端に腰掛けて、村の人達が行き交うのを見ていた彼が、こう、バァっと一瞬ね。考え事をしてたのか、結構長いことそのままで。声をかけても暫く応えてくれなくてねぇ。やっと振り向いてくれたと思ったら、いつも愛想のいい彼が妙によそよそしく、さっさと何処かに行ってしまったんで覚えてるんだよ」
あんまり役には立たなかったかな? と申し訳なさげな彼。それがどういう意味を持つのか、思案を巡らすミィナである。
「ああ、お客さんか。今日は部屋から出られないな」
客といっても例の行商。なるべく人は入れない様にと釘を刺してはいるのだが、買い物に飢えていたのはお役人の奥様も同じだったと見える。彼をいつまでも押し込めておくのは可哀想だ。ミィナはよし、と気合を入れて、彼を帰す為の行動を始めたのだった。
●司祭説得
よ、と手を振りながら川を渡るラーバルト・バトルハンマー(eb0206)を横目で見ながら、面倒は起こさんでくれよ、と声をかけて来るのは、新しくソウドに入った冒険者達である。後に続くミィナも武器の類を持ってないかチェックはされたが、ラーバルトの口利きという事で大目に見られた。傭兵達が仕切っていた時なら考えられない事だ。
「事なかれ主義なんですね」
「奴ら短期雇いだからな。とにかく雇用期間を無事に勤め上げる事が優先なのさ。村人が騒ぎ出す様な事さえ仕出かさなきゃ、面倒は向こうから避けてくれるだろうさ」
話しながら歩く彼らを遠目に監視するソウド勢の中に、サラサ・フローライト(ea3026)の姿がある。募集にちゃっかり入り込んでしまう辺り、なかなかに大胆だ。彼女は一瞬だけ視線で2人に応え、後はひとりの監視者として振舞った。傭兵の姿は時折見かけたが、傭兵隊長の姿は無い。彼らを出迎えたのは、赤毛の技師だった。
「貴方が来ているという事は、密かにサクスが冒険者を集めているという事ですか。サクスらしい姑息なやり方ですね」
周囲の者にも届く様に、大きな声で嫌味を言う。技師の長が窘めるが、人攫いに向ける礼節はありませんと一蹴する。彼はすぐに何処かへ行ってしまったが、一度淀んだ空気は簡単には戻らない。最悪だ。
ミィナはさりげなく、天使の羽のひとひらを燃やしてみる。が、反応は無い。彼が何者であれ、デビルでは無かった訳だ。
「デビル野郎の仕業なら、むしろ気が楽だったんだがな」
ラーバルトの呟きに、無闇に狂化してしまう心配が無くなったと安堵していたミィナも、そうか、そうですよね、と頷いた。
暫くソウドに出入りしている内に、ベルジュ卿の信仰について聞き出す事が出来た。その教会は決して大きくは無かったが、独自の領地、長い歴史と格式を持っている。ベルジュ家の人々は代々この教会で洗礼を受け、祈りを捧げ、送られて来たのである。現在教会を取り仕切っているのは、ニコラ司祭。ベルジュ卿にとっては重要な相談役であり、司教叙階をあらゆる面で支援しているというから、その信頼の大きさが伺える。
(「どんな人だろう‥‥」)
喧しい威張り屋や浅ましい守銭奴だったらどうしよう、などと考えながら教会の門を潜る。そこで助祭達を相手ににこやかに談笑していたのは、宗教家らしい、温和そうな初老の人物だった。
「大切なお話があるのですが、少しだけお時間をいただけないでしょうか。出来れば、お人払いをお願いしたいのですが」
ぶしつけな申し出も、司祭は当たり前の様に受け入れてくれた。
「‥‥なるほど、事情は分かりました。それで、私にどうせよと?」
「ここでベルジュ卿に直接、あの技師さんをお返しし、本人の話を聞いて頂きたいのです」
お願いします、と身を乗り出した時、髪で覆い隠した耳が見えてしまった気がして、慌てて押さえる。司祭はじっと彼女を見つめて、言った。
「今話した事全て、己の信仰に懸けて嘘偽りは無いと誓えますか」
「もちろんです」
即答した彼女に、司祭は穏やかな表情で頷いて見せた。
「貴方が何者であれ、その胸の内には神がおあすと信じましょう。私も両村の争いには心を痛めていたところ。彼の技師を預かり、貴方達と共にベルジュ卿と話せる機会を作り、対面の後は、エストに戻るまでの間、身の安全も保障します。しかし、ベルジュ卿がそちらの言い分を受け入れるかどうかは、あの方次第。それで宜しいか?」
司祭に何度も礼を言い、ミィナは早速準備に取り掛かった。
再びソウド村。何も無い辺鄙な村の事、夜となれば寝るしか無いが、大の男が宵の口から眠れる筈も無く。酒場なんぞという小洒落たものもありはしないので、冒険者と技師達は、住み込ませてもらっている屋敷の離れに酒と肴を持ち寄って、勝手に酒盛りを始める事になる。そうなると仕方の無いもので、村の男共まで顔を出し、離れが酒場と化してしまう。
「何か歌おう。何がいい?」
空き時間に立ち寄ったサラサがリュートを手に声をかけると、待ってましたとばかりに注文が飛ぶ。高尚な英雄譚を吟じてくれなどと言う奴は当然皆無で、望まれるのは気安く賑やかな曲。娘が流れ者に恋をしただの、積み藁の陰で逢引したのと、そんなちょっと浮ついた滑稽なオチのつくものが特に好まれた。
「あんた、いつでもつまらさそうな顔してる癖に、どんな歌も上手に歌うよなぁ」
一応、褒めてくれている様だ。当然の様に、本職だから当然だ、と返した彼女に、皆、腹を抱えて笑う。取り合えず打ち解けられた様で、実に結構。
「そういえば、お前達の仲間をサクス卿が監禁しているという噂があるとか」
「ああ、サクス家といえば海賊退治で立派なもんだと感心してたのに、とんでもない。正直がっかりだよ」
すっかり真実と信じ込んでいる様子。噂とは恐ろしいものだ。
「その話、誰から聞いた?」
「ああ、俺は仲間から聞いたんだが、そいつは余所者に聞いたと言ってたな」
彼はその仲間を呼び、話を振る。
「え? どんな奴だったかって? どんなって‥‥。これといって特徴の無い、ああ、でも手首の裏に十字の刺青が‥‥」
噂通りの十字の男。それ以外にはほとんど印象に残っていないのも、また同様だ。素性も行き先も分からない。何処に寄ったとか、他に何かをしていた、語っていたという話もまるで出ない。行きずりの旅人なら仕方も無いが、少なくとも2度は来ているのだから、もう少し具体的に覚えている者がいても良さそうなものなのに。
(「村を歩き回って噂を広めているなら、私だって鉢合わせていて良さそうなものだが。もっとも、これだけ刺激的な話なら一度数人に話すだけであっという間に広まるか‥‥ 小さな村だからな」)
謎多き十字の男。その人物が辺鄙な村に現れるなり、妙な噂を吹聴している姿を連想して、サラサは失笑しそうになる。耳を傾ける方もどうかしているとは思うが。
「姐さん、もう一曲何かやってくれよ!」
「では、皆で歌える歌にしようか」
出だしを奏でれば、皆テーブルを鳴らし歌い始める。こんな場では、何よりそんな曲が最高だ。
(「これでギスギスした感情が少しでも治まれば良いのだが」)
盛り上がる宴の中、ひとりの傭兵が入って来た。彼が仲間に耳打ちをすると、それまでだらしなく酔っていた男の顔が変わり、間もなく連れ立って出て行った。傭兵達が動く‥‥。彼女はもう一曲と引き止める酔っ払い達をあしらい、傭兵達の姿を追った。彼らが集まりつつある様子を、仲間に知らせる。
監視の傭兵達は、そのままエストに留まっている。そして明け方、現れた隊長と共に、残りの傭兵達もヴォルネスを越えた。狙いはエストであろう。
●奇襲阻止作戦
「ここがばれたのか?」
「分からない。でもすぐに傭兵達が押し掛けてくる。ここは危険だわ」
傭兵達の動きを察知した冒険者達は即座に動いた。ラーバルトとイリアが技師を連れ、慌しく村役人の屋敷を出る。
「幸運を‥‥」
せめてもとグッドラックを掛け、事の成就を祈るボルト・レイヴン(ea7906)。
「怪我人が出なければ良いのですが」
姿が見えなくなるまで見送ってから、さて、と振り向いた彼。傭兵達が押し寄せる前に、うろたえ倒している村役人を落ち着かせなくてはならない。
「待って、何処へ行くつもり?」
完全武装の傭兵達を前に両手を広げ、ミヤ・ラスカリア(ea8111)が立ちはだかる。敵意剥き出しの相手を前に無防備で立つ恐ろしさは格別だ。耳の奥がキーンとして、おなかの中に氷を入れたみたいに全身が冷たい。海賊達との戦いで、大層な勲を立てたミヤではあるが、我知らずガクガクと震えが来た。一瞬身構えた傭兵達だったが、ミヤが全く戦闘態勢に入らないのを見て、無視を決め込んだ模様。
「ガキは退け!」
構わず押し寄せ突き飛ばそうとした腕をすり抜けて、ミヤは彼らにしがみ付いていた。
「ガキって言うな! 諦めて帰ってくれるまで、絶対に離さないぞっ!」
こいつ、離せ! と喚いても、張り付いたミヤは剥がれない。大の大人が数人がかりで振り回し、引っ張り、殴りつけても結果は同じ。トロンペ・キントまで駆けつけて、傭兵達の尻に齧りつく。怒り狂って蹴り飛ばす、酷いことするな! と喚き散らすといった有様で、傭兵達はミヤをぶらさげたまま、村役人の屋敷まで来る羽目になったのである。騒ぎに気づき、集まって来る村人達。傭兵が攻めて来たというので、村の若者たちは農具を手にしており、今にも襲い掛かりかねない雰囲気だった。
「ここは我らに任せてはくれんかの。もしもの際には身を挺しても皆を守る故に」
双武が何とか彼らを宥め、傭兵達に向き直る。
「あまり事を荒立てたくはない。このまま何もせず、帰ってはもらんかの」
「この屋敷に技師が捕らわれている可能性がある。やましい事が無いなら調べさせてもらおう」
「妙な事を。ここは確か、最初に調べたのでは無かったかな?」
「その後で連れ込んだのだろう、卑劣な奴らめ!」
門の前に陣取ったマスクを退かそうと、突っ掛かる傭兵達。しかし彼はびくともせず、苛立った傭兵達は剣に手をかけ、抜こうとしていた。
(「まずいのう‥‥」)
ブレスセンサーで探ってみれば、屋敷は傭兵達によって取り囲まれている事が分かる。しかも、皆興奮して呼吸が荒い。今にも行動を起こしてしまいそうだった。
(「これ以上、村人の神経を逆撫でしたくは無いが‥‥ 調べさせずば傭兵達は収まるまい。無理矢理に踏み込まれる事を思えば、こちらから申し出る形の方が良い、か」)
どちらにせよ、もう技師は連れ出した。こうなるかも知れないと、予め村役人には話してある。双武はマスクに頷いて、彼らに道を譲らせた。続々と押し入って行く傭兵達。最後に門を潜った傭兵隊長に、マスクは言葉を投げつける。
「この行動は、本当に君の一存で起こしたものかな? 実はベルジュ卿の意思が働いているのでは無いか? 相手の戦力が増す様を見せつけて、エストの暴発を狙おうという‥‥」
傭兵隊長はマスクを一瞥し、的外れな勘ぐりだ、と一蹴する。
「お前は敵が増えてから喧嘩を売るのか? 本当にそういう策を取るのなら、いきなり人手を集めたりはしない。まずは噂だけを流し序所に緊張を高めていく方が効果的だ。噂はそう、実際に起こる出来事を含み込みながら、じりじりと疑心暗鬼を深めて行くのがいい。‥‥うむ、悪くないイアデアだ。その内使わせてもらうとしようか」
む、と眉を顰めるマスクを、傭兵隊長が鼻で笑う。意気込んで乗り込んだ彼らだったが、結局技師を見つけられず、焦りに身を焼く羽目になる。
「既に逃がしていたか‥‥」
「あの情報は確かだったんでしょうか。あるいは噂通り、エストの屋敷に監禁されているのでは」
「どちらにせよ、ここにいても始まらん。帰るぞ」
歯軋りと共に冒険者達を睨みつけ、引き上げて行く彼ら。傭兵達が去った後は、まるで大風の後の様な惨状だった。疲れ果てて座り込んだ村役人は、屋敷の外の喧騒に首を振り、耳を覆った。
傭兵達は去ったとはいえ、収まらないのが村人達だ。彼らの怒りは、傭兵達を通してしまった冒険者に向く事になる。この騒動に、村長と共に彼らの前に立ったのは、エグム・マキナ(ea3131)だった。
「落ち着いて下さい。話を聞いて下さい」
彼は場が静まるのを待ち、これまでの経緯について包み隠さず彼らに話した。どよめく村人達。彼らにしてみれば、あまりに掴み所がなく、実感が湧かなかったに違いない。これまで一方的に我慢を強いられて来たエストの人達の鬱憤は凄まじく、エグムは罵倒の嵐に晒される事になった。それでも、何を笑っているのかと罵られても、彼は最後まで、いつもの笑みを崩す事無く、皆の怒りと不満に向き合った。
「必ず問題を解決してみせるから、もう少し待って‥‥いがみ合って、お互い憎み続けたって、憎しみは憎しみしか生まないよ‥‥私達を信じて、お願いだよ」
満身創痍のミヤが言うと、彼らの矛先も鈍らざるを得ない。エグムはこの空気を逃さず、話を続けた。
「ソウドの人達も、何者かに騙されている可能性があります。私たち冒険者は、その何者かに繋がるいくつかの証拠を見つけ出しました。約束しましょう。全てが解決した後は、灌漑問題だけではなく、水の問題も解決に向かうだろうと」
納得は‥‥おそらくしていない。が、彼らの揺ぎ無い態度が暴発しかけた村人の怒りを飲み込んだ。
(「私は今、嘘をついているのかも知れませんね。しかし、やっと答えが見えて来たところです。今しばらくは、何としても耐え忍んでもらわなくては」)
村長が家に戻る様に言い含め、ようやく村人達は解散した。その様子を見届けて、張っていた緊張が解けたのだろうか。力尽き、倒れこんでしたったミヤ。
「‥‥ちょっとは役に立てたかな」
起き上がる気力も湧かず、地面を背に空を見上げる。トコトコと歩み寄ったトロンペ・キントが気遣ってか、埃まみれ、痣だらけの彼女をなめ回した。おかげでミヤは、埃まみれ痣だらけの涎まみれになったのだった。
●技師護送作戦
自分達の動きをぎりぎりまで悟られぬ様にと配慮したのだろうか。技師を連れ出した時点では、傭兵達の包囲網はまだ完璧ではなかった。村を出る道には、ひとりの傭兵が見張りに立っているだったのだ。
「ん? うわ、くそ、なんだこの鼠!」
そこに餌があると教えたのだが、上手く行った。イリアが魔法で気を引いている間に、ラーバルトが技師を連れ、村の外に脱出する。イリアは道を外れ、険しい森を迂回する事で、知られぬ内に村を出た。
ラーバルトと技師は途中でミィナと合流。更にイリアも追いついて来た。
「大丈夫です、こちらは完全にノーマークだったみたいです。教会の近辺では、傭兵達はもちろん、怪しい者も見かけませんでしたから」
「追手もかかっていないみたいだし、成功したと思って良さそうね」
まだ早いと分かりつつも、安堵するミィナとイリア。
「そ、それじゃあもう少しゆっくり行きましょう。足が疲れてもげてしまいそうだ」
「おまえだって各地を渡り歩く流れの技師だろうが。情け無い事を言うな」
バーン! とラーバルトに背中を叩かれ、ゲホゲホと咳き込む技師。何処で見られ、追っ手の耳に届くか知れたものではない。彼らはまるで容赦なく、可能な限りの速度で教会を目指したのである。
数日後、ベルジュ卿は教会を訪れた。突然目の前に顔を出した屈強のドワーフ男に、思わず足を止める。
「わりいな、この前は仲間が失礼なこと言っちまったらしくて。ま、冒険者ってのはどっか外れた連中だ。かくゆう俺も戦闘馬鹿の鍜治馬鹿だ、口が悪いのは、その、勘弁な」
がっはっは、と笑う彼に、何事かと眉を顰めていたベルジュ卿は、やがて周の事に思い当たった。ドワーフの鍛冶師の話も耳に挟んでいる。
「あの無礼には、話を聞かず叩き出すという罰を既に与えた。故に、もう気に病む事は無い。が‥‥これはどういう事ですかな」
説明を求めるベルジュ卿に、ニコラ司祭が話をする。その間に、ミィナとイリアに伴われ、技師が姿を現した。さしものベルジュ卿も、二の句が次げずただ成り行きを見守るばかりだ。
「これから話すこと、全て嘘偽り無い信実であると、神の前で誓えますか?」
問われた技師は、緊張しながらもはいと答えた。そして。
「‥‥全く納得が行かん! 全くだ!」
技師が語った失踪の顛末に、ベルジュ卿は困惑を隠せない。どういう事か説明できるならして見せろ、と苛立つ彼に、イリアが答えた。
「僕達の雇い主、サクス夫人の要望は、絶対に争い事は避けたいというものでした。だから、工具破損の疑いをかけられながら修理に手を貸し、誘拐の疑いをかけられれば独自に捜査をしながら、同時にエストの人々を宥め、そちらの捜査も受け入れました。全ては誤解を解きたいと考えたからです。道具を壊したり技師を誘拐したりしても、その気になれば補充は利きます。疑いを向けられるばかりで、工事を止める事は出来ない‥‥。ましてや堰の破壊なんて。サクスとベルジュを争わせたい者かがいるのです。あの赤毛の技師が、きっと何かを知っているでしょう」
「‥‥良かろう。あの者が何を知っているか、直接聞いてみればいい。妙な術を使うと言っても、括っておけば問題あるまい」
その間、証人たる技師は引き続き教会で預かる事となった。帰ろうとしたベルジュ卿を、その技師が呼び止める。
「世話になった子供から、これをご夫人にと託されたんですが‥‥」
それは、小さく折り畳んで封をした手紙だった。
「私が読んではいかんのかね」
「夫人宛てですから」
良かろう、と少々不服そうに手紙を仕舞い込み、ベルジュ卿は教会を後にした。
次なる策を練っていた傭兵隊長のもとに、ベルジュ卿から撤収命令が下ったのは、この直後の事である。そして、彼らにはもうひとつ仕事が課せられていた。
「技師をひとり拘束しろとのご命令だ。訳がわからん!」
赤毛の技師の事だと、サラサは直感した。ただでは済むまいと思い手伝いを買って出た彼女だったが、赤毛は何を思ってか、全く抵抗しないまま拘束され、ベルジュ卿のもとへと引かれて行った。灌漑工事は一時保留となり、技師達も困惑するばかりである。
「何れ説明があるだろう。それまでは無闇な事は考えず、待っているべきだと思う」
不安を口にする技師達、戸惑いを隠せない傭兵達に、サラサはそう助言をした。
連行された赤毛の技師は、自分にかけられた嫌疑を全て否定した。
「全く身に覚えの無い事、どう答えて良いのかさえ分かりません。彼がその様な根も葉も無い事を言う筈が‥‥。いや、あるいはあの冒険者達が妙な細工をしたのではありませんか。きっとそうに違い無い、あの様な者達の言う事に耳を貸すべきではありません!」
彼は頑強に訴え、ベルジュ卿は苦り切る事になる。一方で、夫人は人を使い、近隣の村にまで範囲を広げて、十字の男の情報を集めさせていた。ミヤが夫人に宛てた手紙には、『一連の事件の真犯人は『手首に十字架の刺青の男』である可能性が極めて高い。その男を見つけ出し、私達が必ず事件を解決してみせるので、取り返しのつかなくなる様な早まった行動が起きないよう、可能な限り押さえて頂きたい』と、概ねこの様な内容が認められていた。夫人はこれを信用し、ベルジュ卿を説き伏せて傭兵達を即時引き上げさせもした訳だが、今のところ冒険者達の調査と大して変わらぬ結果しか得られておらず、十字の男の正体には全くせまれていない。
そんな彼らを嘲笑うかの様に、今度はエストで噂が広まり始める。『冒険者はベルジュ卿に買収され、サクス卿を騙している』という噂の元は、やはり十字の男であるという。それまでの不満もあり、エストの人々の冒険者を見る目は、冷たいものになりつつある。灌漑工事も一時保留となり、封鎖も解かれ、村人に笑顔が戻りつつあるというのに。
「私を騙しているのは、その十字の男とやらか、あの赤毛か、それともサクスの送り込んだ冒険者どもか。誰だ?」
ベルジュ卿の呟きは、夫人にも届く事は無かった。