●リプレイ本文
●決闘準備
刈り取られた麦の切り株を冷たい風が渡ってくる領主の館前の広場。直臣達が粛々と場を整える。
「あ、そうでは無いのだ。下に白い布を敷くのだ」
口を挟むヤングヴラド・ツェペシュ(ea1274)。
「我が国には我が国の作法がありますぞ」
「ヴラド君。キミの言う事も正しいが、ジャパンでは郷に入らば郷に従えと申すぞ」
窘める瀬方 三四郎(ea6586)の声に、
「あ、いや。すまないなのだ。我が輩は周りの整備をするのである」
ヴラドは詫びる。
その夕、新しき顧問が一人到着した。青い旅衣に濃紺のマント、夕靄に包まれた紫の村々を背に領主の舘に現れた。燃えさかる松明を手に堂々と門を叩き。
「遅くなった。アルス・マグナ(ea1736)だ」
丁度、晩餐も終わり、領主の学問の時間。学者風の男の登場に困ったような表情を浮かべる領主。
「ご安心召されよ。俺は求められぬ者に講釈はせんのだ。舎弟のスレナスに会いに来た」
「あやつなら今、兵士どもの所だ」
聞くが早いか会釈して向かうアルス。
「アルス・マグナ。ギルドの紹介で参った」
古ワインを回しながらパンを裂いていたスレナスに話を切り出す。
「今日は少々訊ねたい事が有るから来たのだが良いか?」
「話を聞こう。口は一つしかないが耳は二つもある」
「ずばり訊こう。今回の件、勝ちを取り悪評を広める、勝ちを譲り評判を良くする。どちらにするつもりだ?」
反応を見る。スレナスは確信を持って、寸毫も逡巡も言い澱む事も無くきっぱりと。
「全ては神の御心だね」
ジャンは戦馬鹿だがこいつは真の戦人かも知れない。強い獅子であると同時にそれ以上の狐であった。
「あ〜、そう言えば今回の刑の話、パリまで行っているらしいな」
勿論これはブラフ。
「主が御心を為し給うだけです。他領からのお客様もお出でになるとか‥‥」
(「聞いていないぞ? 誰だ!? 話を大きくした阿呆は!」)
他領の客人列席となると、事は微妙になる。万が一にも茶番に見られる振る舞いは許されない。アルスは『想像力に欠けた連中』に唾棄したくなった。
「遠慮なく言わせていただきますわ。‥‥却下です。悪いことは言いません。クリシュナさんは他でお役に立ってくださいまし」
相談の席。カミーユ・ド・シェンバッハ(ea4238)が断言する。
「判ってるわ! それでも彼女は動いた。だから私も動くまでよ。んで、参加する他のメンバー! もしアマちんの覚悟を無駄にするような躊躇や臆病を見せてみなさい。地の果てまで追い詰めて、怪人に改造するからね?」
「黙れ、五月蝿い」
クリシュナ・パラハ(ea1850)の言にアルスは激怒。
「そんな理由などどうでも良い。勝たなければならないものにこれ以上不安定要素など入れてどうする。どうしても出ると言い張るなら文字通り始末させてもらう」
吉村謙一郎(ea1899)や三四郎の取りなしもありクリシュナは引いたが、
「いい事、もしアマちんの覚悟を無駄にしてみなさい。地の涯てまで追い詰めてあげるからね?」
頭では、自分が加わらぬ方が良いと解ってはいる。無論判ってはいるが‥‥。
なぜか知らないが、パリの冒険者酒場で当地の決闘裁判の話が肴にされるようになった。
●小さな舌
獣脂の臭う部屋。揺れる灯心の炎が三人の男女の影を映し出す。一人は主、客人は子供のような美しさに溢れる未亡人と、付き添いのシフールのクレリック。
身分とは度し難きもの。人は皆運命の奴隷であり、それは領主。否、国王とて変わりない。僅か4ヶ村とは言え領主と言う商売は難しい。公人の義が私人の情に優先せねば為らぬのだ。
「強いのだな‥‥」
カミーユの話に領主であるジャンは呟いた。
「理由もなく恩赦を与えるのは、より大きな犠牲を生み出す元となる。敵に対する内通は、敵その物よりも危機を招く‥‥」
呻くように吐き出す言葉に、カミーユは安堵した。彼の望みを確信し、カシム・キリング(ea5068)が片手を天に伸べ、
「ヤコブの手紙3章4〜6節に、『また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されている時でも、極小さな舵によって、舵を取る人の思い通りの所へ持って行かれるのです』と、あるのじゃ。わしらが舌に上らせる何気ない言葉が、わしらの人生の進路を変える。呟かずに感謝を持って進むが良かろう。神に栄光を捧げる者は、勝利を得る。あなたの魂に安らぎあれ。神もまた、聖なるが故に罪をお許しに為られなかったのじゃ。されど、神は御子を下さるほどに世を愛された。おぬしに聖句を贈ろう。『人は心で信じて義と認められ、口で告白して救われる』のじゃ」
●水路貫通
水路の工事は、アジールを護るために西の村の人々。そして、助命嘆願に協力してくれた南と東の村の有志が加わり、当初の3倍以上に膨れ上がった。
「北の村を潤し、かつ、西の村の住人が逃れた中州を護る工事だ。広げるのはいつでも出来る。自然堰への到達を優先し堰の負荷を少しでも減らすのだ。食事は随時組毎に摂れ!」
長渡泰斗(ea1984)が檄を飛ばすまでもない。多くの人間がそれぞれの利益のためであろうと団結する。中でも、身内の命が掛かった西の村の働きはめざましい。
「何? 岩だと‥‥。俺に任せろ!」
鳳飛牙(ea1544)が鏨とハンマーをとり大岩の目を図る。数ヶ所に穴を穿ちと、薪を並べて火を放つ。炎は岩を包み頃合いを見て薪をどけて水を掛ける。
濛々たる湯気と煙の混合物が収まると、穴の裂け目に鏨を打ち込み、まだ熱いその中に水を注ぐ。
「そら、もう一度」
繰り返す内にヒビ割れる岩。
「ふふ〜ん」
頃は良し。そろそろ腕の見せ所だ。熱と水で脆くなった大岩に、
「破ぁぁぁ!!」
気合い一発。飛牙は爆虎掌を見舞いする。ピシッと音を立てて亀裂が広がった。
「一気に行くぞぉ!」
修羅の如く鶴嘴をうち下ろす。岩は見る間に破がされて、水路が穿たれて行く。
人一人の腰の深さ。幅は大人が通れるくらい。当初計画の半分以下の規模だが、確実に溝が掘られて行く。その土は、袋に詰められ両側の土手とする。そして、危険水位に上がった堰の近くまで来た。
「これは‥‥」
誰が手配したのかは知らないが、堰が杭や土嚢で強化されている。既に向こうからも一部が掘られており、そちらは急ごしらえながら途中に簡単な木の水門があり、水は自然堰からこちらの方に導かれている。
「もうすぐだ。後はあそこまで、石を投げて届く距離まで掘り進めばいい」
泰斗は逸る気持ちを抑えるのがやっと。
こうして、細いながらも水路に水が入った。危険な状態だった自然堰は、その力を水路に向ける。泥水が瞬く間に走り、地中で少しは溢れながらも遙か遠方の溜め池めがけて飛んで行く。
「水だぁ!」
最初に叫んだのは飛牙。それがたちまち4つの村人達に伝染し、歓喜の声が水を追いかけ駈けて行く。これで、ひとまずアジールの危機は免れた。不十分ながら水路も通った。
今はただ、疲れさえもが快かった。
●吊られた男
二人の番兵に見張られた、処刑の木に下がる鎖。よそ者だけあって、否、10分の1刑の元凶であるが故に。吊された行商人を助けようとする村の者は居ない。かなり衰弱はしているが、彼はまだ生きていた。海綿に含ませた古ワインとミルクに養われ、土色の肌に脂汗を流して、息も絶え絶えに生きていた。
彼の奪還を防ぐ。カーツ・ザドペック(ea2597)は、この地味な仕事をカバーしている。決闘裁判に皆の関心が向かっている今こそ。口封じや奪還のチャンスなのだから。
それにしても‥‥。
「カーツ殿。おめさんの格好は何だべか?」
謙一郎は失笑を禁じえん。エチゴヤ手拭いを顔に巻き付けるあたり、芝居の盗人並みの怪しさである。事実、謙一郎の一言に番兵達は厳つい顔を綻ばせ、声を上げて笑い出した。心なしか、吊された行商人の苦痛も幾分和らいで見えたほどだ。
「だども、まんずおめさまに任してあれば安心だべ」
言って自分の持ち場に戻る。
「何時の間に調べた?」
ツヴァイン・シュプリメン(ea2601)の蝋板に記された記録の量を見て、カーツは驚く。各村出入の行商人と、定期的に来る人間の情報が事細かに記されていた。年齢と職業と人数の聞き書きである。
「そろそろ食事の時間だな」
番兵は、村人に用意させたミルクを海綿に含ませ、槍で吊された男の口元へ。飢えや渇きで死なせては為らぬとの言明なので、足下に台を運んでやり一息つかせる。
男は息を吐き出して、ここぞとばかりに新鮮な空気を吸う。浮腫んだ顔に突き出されたミルクを貪るよりも熱心に。自らの意志で呼吸を止めて自殺できる者は居ない。壮健な彼の肉体が、刑の半ばに近づく今日の日を生き延びさせていた。
(「えぐい処刑だ。見せしめもあろうが、もっと楽に殺してやれば良いのに」)
村人のためのチャンピオンが、彼の助命までも勝ち取ってくれるかどうかは判らない。村人も正視に耐えず寄りつかぬほどだ。見せしめとしての処刑は、充分に用を為した。ジャン・タウラスの領地に手を出す盗賊は減ることだろう。但し、只の盗賊であるならばだ。
ツヴァインは水面下の戦いを意識する。
「決闘裁判が行われる。ひょっとしたら恩赦で助かるかもしれんな」
カーツはミルクを吸う罪人の耳に、ラテン語でささやかな希望を吹き込んだ。僅かだがほっとした表情に変わる。
程なく台は外された。
●揉め事の芽が顔を出し‥‥
「トリュフとな? それは何であろうか?」
「松の根っこに生えるとても珍しいキノコですぅ。とってもお金になるんですぅ。そのトリュフが、ご領地の松林で発見されたんですぅ」
「たかが、キノコであろう?」
進言するレニー・アーヤル(ea2955)のお熱の入れように引き替え、領主殿の反応はそっけない。
とりあえず目を通してくださいと、レニーは提案書を領主に差し出した。提案は次の三つである。
一つ。トリュフの発見された松林を柵で囲み見張り小屋を設置し兵士を置く。
「トリュフはぁ、領地内のぉ新たな経営基盤になりえますからぁ、密猟者や密輸はぁ、絶対に防ぐ必要がありますぅ」
二つ。隣の領主に使者を送り、境界線近くの林に兵を置く事の誤解を防ぐ事と、犯罪者引渡しの協定を話し合う。
「境界線の近くに兵士を置くことになるのでぇ、こちらに侵略の意図が無い事を知らせておく事が肝要ですぅ。あと、トリュフ泥棒がぁ隣の領地に逃れた場合を想定してのぉ協定も作りましょう」
三つ。中州の教会に領主名義で寄付を行う
「中洲の神聖騎士のぉ、真意を測りかねますぅ。寄付の名目でぇ人を送ってぇ様子を見ましょう」
「う〜〜〜む」
報告書に目を通した領主は何やら考えあぐねていたが、その頭に何かが閃いたらしく、家来の一人を呼び寄せた。
「領地の地図を持って参れ」
テーブルの上に広げられた地図の2ヶ所を領主ジャンは指した。
「ここが地境の川にに新しく出来た中州、ここが件の松林だ。松林の松は遮蔽物となるが故、戦においては布陣の要となりうる。弓兵を配置し、敵の進撃を防ぐにはうってつけであろう?」
「おっしゃる事も、もっともですぅ」
「布陣の要としての重要性は、川の中州も同じことだ。しかし如何せん、中州と松林の間に何もない土地が広がりすぎておるな。ここを敵の騎兵どもに突っ切られては厄介だ。ここにも何か敵の侵入を阻む物が欲しい。松林がもっと横に広がればよいのだが‥‥」
まったく戦馬鹿のジャンの頭の中ときたら‥‥まあ、いつものことだが。
「よし。先の進言通りにいたせ。松林を柵で囲み見張り小屋を設置し兵士を置くのだ。ただし、柵の高さは軍馬の進軍を阻むに足るものとする。さらに、この柵を地境に沿って少しずつ伸ばしていき、柵の内側すなわち俺の領地側に松の木を植えていくのだ。年月が経ち松の木が育てば、敵軍を阻む立派な障害物となるであろう?」
ジャンは一人悦に入り、ほくそ笑んでいた。
「中州の聖堂への寄進については猪の薫製肉が豊富にある故、それを進呈すればよかろう。さて、そろそろ領内見回りの時間であるな」
屋敷の外へ出ようとして、ジャンはふと足を止める。
「どうしましたかぁ?」
「はて‥‥あの松林のことで、何か大切なことを忘れていたような気がするが‥‥。まあいい、そのうち思い出すであろう」
領主ジャンがしたためた親書を携え、レニーは隣の領主の館に向かう。レティシア・ハウゼン(ea4532)もお供として同行する。
「境界線近くのぉ、松林に兵を置くのはぁ、大事な特産品のぉ栽培を護る為ですぅ。ご理解下さいませぇ」
親書を手渡し反応を見る。親書に目を通した隣の領主の反応は、予想通りというべきか。
「あんな松林にいったい何の物成りがあるというのだ? 特産品といってもせいぜい松ヤニ程度、あとは松を切って木材とするくらいであろう? それを守るためにわざわざ見張りの兵を置くと? ‥‥まあよい。成り上がり者のジャンがその領地で何をしようと、我が領地の権益を侵さぬ限りは我の関するところではない」
要件の一つについては了承を得た。
「引渡し協定も考慮して頂けるとありがたいですぅ」
要件の二つ目を持ち出すと、家来の一人が領主に耳打ちした。
「しばし、待て」
隣の領主と家来たちは別室に姿を消し、レニー達に聞こえぬよう何やら相談を始めた様子だ。やがて領主と家来たちは戻ってきた。
「ジャンは領内を荒らす犯罪者にいたく悩まされている様子だな。ならば私からも救いの手を差し伸べてやろう。ジャンも松林の見張り小屋だけでは心許なかろうな。なれば、私も地境の近くに見張りの櫓を立て、ジャンの領地を荒らす不届き者の監視を行おうではないか。勿論、我が領地に逃れた犯罪者については、この親書の協定に基づき引き渡すことを約束しよう」
「感謝いたしますぅ」
帰り道、レニーとレティシアは隣の領地をくまなく観察する。領主の館はジャンの館に比べて格段に立派だ。館の周囲には立派な壁がぐるりと取り囲み、その壁の内側に穀物蔵が建ち並ぶ。その数と大きさからしてかなりの収穫があることを伺わせる。館に隣接する教会堂もなかなかに立派なものだ。見たところ、領内の富の大半が領主の館の周辺に集積している印象を受ける。馬屋をちらりとのぞくと、見るからに血筋の良さそうな黒馬が馬丁の世話を受けていた。恐らく領主の乗馬であろう。ただし馬の数は少なく、馬の頭数だけならジャンが優っている。
領主の館から離れるにつれ様子は変わる。水車小屋や用水路など収穫に直結する施設は手入れが行き届き、家畜は丸々と太っているが、人々の住む家は屋根が破れていたり、傾きかけていたりする。そして人々の表情に張りというものがない。
「こちらの生活はどうですかぁ、良い感じですかぁ?」
「‥‥へぇ、おかげさまで」
道中で出会う村人にレニーが声をかけても、短く形ばかりの挨拶を返すだけだ。
またしても領主の館から騎士がやってきた。
「まだこんな所をうろうろしてたのか。用が済んだらさっさと自分の領地へ戻れ」
●地境の川辺で
今日も飛牙は赤毛の少年の後をこっそりつけていた。少年は毎日必ず北の村に現れては工事の様子を眺め、夕暮れ時になると地境の川を越えて隣の領地へ行く。そこで、少年が世話になっている男と話をし、時には地面に地図らしきものを書いて何やら説明したりする。それが終わると少年は男と別れ、川向こうのはるか遠くに見える村へと帰っていく。それがお決まりのパターンだった。
そんなある日、飛牙は川辺で見知らぬ男と出会った。バードの格好をしたその男は、中州の島を見ながら何やらぶつぶつ呟いたり、歌を口ずさんだり。
「おまえ、ここで何してるのさ?」
「‥‥ん? ああ、私は旅のバードだ。ドレスタットの開港祭に向かう途中で、祭で発表する新作の構想を練っているところなんだよ。もしもヒマがあったらドレスタットにおいで。祭では面白い出し物が色々と見られるだろうからね」
男はそう言って、飛牙と別れた。
●秋の夕暮れ
森の落ち葉を運び入れ、茂みを刈り取った緩い丘陵の斜面に敷き詰める。そして、冬を告げる雨の降る前に火を放つ。火は、雑草の根や種を、焼き尽くし灰に変えた。鋤で耕し、灰を土に馴染ませる。今はまだ荒れ地に過ぎない水はけの良い南の斜面に肥料を施し棚を造る。
落ち穂拾いも済んだ畑は休耕地。掘り起こして落ち葉と森の土を入れる。牛が足りないので殆どの作業が人の手だ。しかも、処刑騒ぎが原因の中州のアジールを護るため、水路造りにかなりの壮丁が赴いている。
村々を回り、サテラ・バッハ(ea3826)は確認を急ぐ。肥料造りの樽と灰のトイレは、ほぼ全戸に行き渡り使われ始めていた。
「気候そのものはブドウ造りに適しているが、設備が整うのはまだまだだな」
ブドウの苗の手配。栗の苗の手配。山積みで未解決の懸案の数々。道は拓かれたばかりなのだ。
アザミを喰むロバの背に、美しい秋の空が広がった。世界を丸ごと包み込むような。
●料理の帝王
中州の聖堂。
「領主様からの寄付を届けに参りました」
「そうか、ご苦労であったな。しかし‥‥」
カシムの目の前には山と積まれた猪の薫製肉。ここまで運んで来た方には悪いが、こればっかりを寄付して寄越すとは何とも野暮ったい。
「まあ、致し方ないのぉ。苦しい台所事情じゃしな」
松林ではジャン配下の兵の協力のもと柵を張り巡らし警戒にあたる。柵といっても身の丈ほどの杭を打って綱を張り巡らせ、目印に結社グランドクロスの旗をつけただけの急ごしらえのもの。とはいえ、トリュフのことを知るのは今のところ領主と一部の冒険者のみであり、トリュフを盗みに侵入する者の気配はない。
所は変わって、ここはパリ。トリュフの調理を任せられる腕利きの料理人を捜すカミーユは、先に面談した貴族を再び訪ねた。
「例のトリュフ着ぐるみの方がいよいよトリュフに取り憑かれたようでして‥‥とにかくにもトリュフを扱える料理人を探してお話を聞きたいと‥‥」
「おお、それは丁度良かった。私はつい数日前に開かれた晩餐会で、『料理の帝王』と賞される凄腕料理人のユザーン・マリンプレインと知り合いましてな。そのユザーンが今、この館に来ているのですよ。今すぐユザーンをここへ呼んできましょう」
巨体をゆっさゆっさ揺すってカミーユの前に現れたユザーンは、まさに帝王の名が相応しい貫禄たっぷりの大男だった。
「わしがユザーン・マリンプレインである。貴殿は国王陛下も絶賛したという希代の珍味、トリュフの料理を所望いたすのであるな?」
「はい。その願いを叶えていただけますか?」
「トリュフは世にも珍しいキノコ故、探し出すのは大変に難しい。加えてトリュフを扱える料理人はさらに数少なく、1万人の料理人のうち1人いるかいないかとも言われるほどだ。そして貴殿の目の前にいるユザーンこそは、その世にも稀なる料理人の一人である。もしも万が一つの幸運によりトリュフを手に入れ、それをご持参いただけることがあらば、このユザーンが最高のトリュフ料理を供して進ぜよう」
一方、アルスは領主ジャンの許可を得て数個のトリュフを持ち出し、領地に近い町々の料理店を回っていた。
「お、こんな所に魚料理の店が」
「お、こんな所に肉料理の店が」
目についた料理店に足を運び、持ち込んだトリュフを料理人に検分させる。初めて見る奇妙な食材に、料理人たち首を傾げるばかりだ。たった一人を除いて。
「もしかすると、これはトリュフではないか?」
食材の正体を見抜いた男の名はシーロ・モントヒル。方々の町々を渡り歩いては修行を積んできたという料理人だ。
「このことは、まだ秘密にしておいてくれよ」
「いいだろう。その代わり、いつか俺にもこいつを料理させてくれ」
シーロと約束を交わたついでに、方々の店で訊いているお決まりの質問だ。
「ところでこの店の名物料理のレシピについて訊きたいんだが?」
「それもトリュフと関係あるのか?」
「いや、単なる趣味だ」
「悪いが店のレシピは門外不出だ。知りたければ料理人になって働いてくれ」
「トリュフは一段落したみてえですだな」
‥‥そう思うのはまだ早い。影の声はさておき、謙一郎は地場産業の次なる候補として目をつけた薬草栽培について、調査を続けていた。
「まずは、薬草を見つけて育てるこったな」
薬草に詳しい村人が言う。
「地境の川の上流にも薬草の生えていそうな原っぱがあるだろう? そこで薬草を見つけて村に持ち帰るとか、種から撒いて育てるとか。やるなら冬が来る前の時期がいいんでないかい?」
●決闘の朝
決闘の朝。狐仙(ea3659)は朝湯に入り身を清め、ゆるめの湯の中で深呼吸。体内に気を蓄えて行く。激しい戦いになると思う。腱と気持ちを充分にほぐし、薬草を入れた酒も瓶で暖める。洗濯した染み一つない服を用意。ダーツ・ナイフ・ナックル・そして、鈴の付いた簪の先を煮え湯で煮る。決闘裁判は殺し合いでは無いのだから。
最後に、領主ジャンより贈られたバラ水で身体を拭い、身だしなみを整える。鈴の付いた簪は、敵を乱す武略の一つでもある。また、浅い傷を負わせるための武器にもなるのだ。
泰斗も風呂の後、冷水を浴びて身を引き締める。六尺の白い褌を締め、顔に剃刀を当てる。懐紙を口にくわえ、打ち粉をとりて愛刀を手入れする。鏡のように研ぎ澄まされた刃は、無骨ながら煮えも美しい元折れの太刀。香が手に入らぬので、一晩ポプリを敷き詰めた服を身にまとう。栗を喰らい、酒を啜り、素焼きの杯を地面に叩きつけて割る。
「どうして世の中って単純じゃないのかしらねぇ。その張本人が目の前にもいるけど。まぁ宜しくね」
革袋の中身をくいっと飲んで毒味して、スレナスに奨める。
「いただこう‥‥これは薬草と蜂蜜を漬けているな」
「家伝の薬酒よ。精が付くわ」
「お、うまそうだな」
現れた泰斗に革袋が回る。仙はにっこりと微笑んだ。決闘相手とは言え、双方に遺恨はない。
「お二方に言っておく。隙有れば躊躇うな。僕は運がいい人間だから‥‥では」
言ってスレナスは踵を返した。
一方、鬱々として眠れぬ夜を過ごしたアマツ・オオトリ(ea1842)は、見極め人に名乗り出た瀬方三四郎(ea6586)より最後の指南を受けていた。
「無手も兵法(ひょうほう)だ。矢折れ刀尽き、なお戦わねば為らぬ時の一手を伝授しよう。だが、所詮は付け焼き刃。奇策は失敗すると取り返しが付かぬ事を知れ」
入り身から相手を搦め取る一手を実演して見せた。
「アマツ君。これより後はお味方出来ぬ。私は見極め人なのだからな」
広場の整備は続いていた。円形に場を創り、滑り止めの砂を撒く。砂は炎で焼いて聖別したものだ。近くに天幕が張られ、傷を洗うワインとオリーブ油。ポーションの類が備えられ、負傷者の手当の準備も整えられる。日は次第に高く登りて、決闘の時刻に迫って行った。
●死間の計?
決闘裁判を見ようと、村々から、他領から、見物人が集まった。ヴラドやクリシュナの宣伝による賑わいに、謙一郎は、
(「難儀なことですだ」)
と思わず領主の傍に小姓のように侍っているヴラドに恨めしい目を向ける。
彼が警戒しているのは、見物人に混じった工作員。この状況は実に忍びやすく、また逃れやすいのだ。
「吉村殿。何を難しい顔をしておるのであるか?」
舞台の盛況さに得意げなヴラド。
「わしが敵ならば、『卑怯な妨害までして、村人を処刑したがる殺人鬼』という評判を狙いますだ」
「それは非常に拙い事である。せっかくのトリュフが‥‥」
彼なりに事の危険性を合点した。
「死間と言えども無警戒ならば、悪評を作り出した後。まんまと逃げ失せるでありますだ。ごめんなす」
謙一郎は領主に一礼して見物人の監視に出向いた。
●決闘
白く細い布が4本引かれ、ここが決闘の場である事を明瞭に示していた。
その中に立つスレナスは何を思うかを明瞭に見せない、皮のマントを風に靡かせ、一種虚無的とも取れる姿勢で立っていた。
対するチャンピオンは3人。アマツ、仙に泰斗であった。
審判の戦いを告げる角笛が鳴らされると、チャンピオン達は一斉に散って、スレナスの『あの』得物に一網打尽にされないよう互いの距離を取る。
しかし、それは白線とぎりぎりの危うい賭でもある。
予想通りスレナスは中央に進み出て片手でロングレンジでショートハルバードを振り回す。
(「あの得物は近づくのに難儀だが‥‥鎖鎌の如く使うのであれば一度投げされればその間に隙ができるか? 『目に見える物全てが武器』となれば無手・密着技もある筈」)
「1対3でも近寄れないのはどういう事だ」
「1対10ならもっと近寄れないだろう」
アマツが言い返す。
鈴の音が激しく動き回る彼女の位置を強調するように響く。空間全てがスレナスに味方していると言っても過言ではない。しかも近寄ればショートハルバードを持ち替え、至近戦に持ち込まれる。
(「スレナスは私と同じ流派。しかし実戦で鍛えられたものならば、教則通りの型ではないだろう。砂を蹴り上げた目潰しや、石つぶても考えられる。更には、服の下に隠し武器を潜ませてもいるはず」)
彼女の目には太股に隠された小さな得物をも見抜いていた。
(「長所や弱点も分かる。奴も本命が、力不足のこちらではなく、長渡や仙のどちらかだとは読む筈」)
そのままスレナスは鈴の音に誘われたのか、仙の方に近寄っていく。
千載一遇のチャンスと取ったアマツは一気呵成に後ろへと回り込んでいく。
(「どんな汚名を被ろうとも、私は勝たねばならぬ! 卑怯者と成り下がろうとも、無辜の人々は経営の要となる宝。 騎士の誇りなど、彼等の幸せには足元にも及ばぬ」)
そして、後ろに回り込み組み討ちから耳を噛み千切ろうと試みる。烈しき闘志は炎の如く、曇りなき心眼は水の如し。これぞ炎水の境地。
しかし‥‥。
「止め給え、実戦での組み討ちはキミには危険だ!」
と、三四郎の声が飛ぶ前に、雷より早いのではと思われる下段から突き上げる掌底の一撃がアマツの顎を一撃した。ついでに指先が両目を擦り上げている。
口中から流血し彼女の敗北は決まった。女性であろうと容赦はない。チャンピオンとなった以上、斟酌される事はなかった。ここで術を弄する事無く、一太刀浴びせていれば、あるいは勝利は彼女がもぎ取っていただろう。しかし、実際問題。例えレオンであろうと組み付いて噛みつく戦法など騎士は行わない。レオンの技に組み付くホールドはあるが、彼女がそれを修めているかは別の次元の問題である。まして、斬りつけるより殴りつけるより、噛みつくスピードは遙かに遅い。人は獣ではないからである。
「貴様はそれでも騎士か! それともゴブリンか!? ゴブリンの性根しか持っていないならば‥‥」
アマツが聞こえたのはそこまでであった。意識を刈り取られ、スレナスが一歩踏み出した地点へと前のめりに崩れ落ちる。がくっと垂直に、折れるように膝を付き、前方に倒れ伏した。
「‥‥こちらもゴブリンを掃討するつもりでいく」
スレナスから発せられるプレッシャーが残るふたりを襲う。
アマツが犠牲になっている間にポジション取りし、横から襲おうとした、仙目がけて、あたかも見透かしていたようにスレナスのハルバードが襲う。
受け止めたワインの袋が裂け、あたかも鮮血を思わせる。
しかし、返り血を無様に浴びるほど、スレナスは素人ではなかった。
「そろそろ慣れた頃ね」
言って鈴を投げ捨てる仙。
「今度はどうかしら」
と、簪を抜いて飛びかかる。
スレナスはハルバードを短く持ち替え、ギリギリの接戦を広げる。
しかし、攻勢に転じたのは素手でも持ち替えたハルバードでもなかった。
マントである。しかも、革製の。それが彼女を包み込むように動きを封じる。マントは二度開いて彼女を絡め取った。
受けはならず、回避も出来ない為、彼女は一転してピンチ。簪を握った手を封じられている事と、位置感覚が判らないため、爆虎掌も使えなくなる。
(「スレナス、奴はどこ?」)
だが相手は刃を持つ。受けも叶わない身では疾く呪縛を断ち切らなければ‥‥。
仙がもがきほどいた頃には内股から抜いた短刀と短めのハルバードの双刃が彼女を回避できない間合いへと持ち込んでいた。
足に切り傷が左右それぞれに一条ずつじわりと浮かび、彼女の敗北を告げる。
三四郎は呻いた。
「あれは我が流派の捕縛術。侮れん! いや、流石というべきか」
しかし、相手をひとり討ち取ったという隙、いやマントを回収される前に泰斗が割ってはいる。
「戦場の作法故、御免」
一刀を振りかざすが、ハルバードにはじき飛ばされる。
スレナスが一瞬怪訝げな表情を浮かべるが、泰斗は次の手に移る。
(「俺も武門の一族の一人だ。やるからには全力を‥‥否、それ以上を尽くす。それだけの責がある、この仕合に出る者には。それに戦歴は向うが上かも知れんが同じ軍中にあったのだ」)
落ちた刀に一瞬気を取られている内に、小柄で飛びかかり肩に斬りつけた。
「取った」
一筋の流血がスレナスの敗北を宣言した。
(「この匂い、不自然に鉄臭すぎる‥‥先程の何かを『突き破った』感触といい」)
泰斗は訝しむが、三四郎の「それまで」と告げる声が勝利を確実なものとした。