●リプレイ本文
●レイノー家の冷めたかまど
レイノー氏の屋敷は、パリの街の片隅にある。
「古ぼけた屋敷でしょう? でも、主は立派過ぎると落ち着かないと言うんですよ」
苦笑気味に言う執事君。しかし、その言葉は主人に対する思いに溢れている。屋敷は確かに古ぼけていて、街中にあるという事を差し引いても随分と手狭だ。ただ、全てが品良くまとまっていて、庭にも建物にも手入れが行き届いている。主の人となりが感じられる様だった。
「‥‥レイノー様にご家族は?」
ふと気になり、ゼルス・ウィンディ(ea1661)が聞いた。
「奥様は5年程前にお亡くなりになりました。私がお仕えする前の事でお会いした事はありませんが、主が貧しい頃から支え合って来た夫婦ですから‥‥。主はもう、再婚するつもりは無い様です。ええ、残念ながら子宝には恵まれませんでした。親類とも疎遠で、交流はありません」
そうですか、とゼルス。主に家族は無く、使用人は執事にシェフ、雑用を賄う者が2人。さして広くはない屋敷とはいえ、如何にも寂しい。尤も、そこにどやどや20人を越える人間が押しかける訳だから、当分はこれ以上無いくらい賑やかになるだろうが。
「これから何かと人手が必要と考え、既知の者を募りました。きっと役立つ事でしょう」
執事君は細かい事は端折って、そう皆を紹介した。
「皆さん、よろしくお願いします」
穏やかな笑みを浮かべて握手を求めるレイノー氏。さしたる疑いも無く受け入れる辺り、執事君は主の信頼厚いと見える。それにしてもレイノーの腰の低い事。威張り散らした貴族には辟易するが、これはこれで恐縮してしまう。いつもお客を迎える側のレストラン組は、丁重に迎えられて身の置き場に困っている様だ。ほらほらしっかりして、とニィ・ハーム(ea5900)が彼らを励ましている。
「一見、元気に見えるけど‥‥」
レイノーを見詰め、表情を曇らせるルフィスリーザ・カティア(ea2843)。ああ、とキース・レッド(ea3475)も険しい表情を見せる。レイノーは見た目に分かるほどやつれている訳ではなかったが、握手をした手には、まるで力が無かった。それでも彼は忙しい身だ。療養する間もなく、今日も仕事に出かけて行く。
「このままでは本当の病気になってしまうよ」
響 清十郎(ea4169)が呟いた。とにかく、何とかしなくては。
屋敷の専属シェフは、胡散臭そうに五所川原 雷光(ea2868)を見やる。
「主殿と、うまく行っていないと聞いたでござるよ」
単刀直入に切り出した雷光に、屋敷のシェフは「つまらない事を言う奴だ」とでも言いたげに、背を向けて鍋など洗い始めてしまった。
「主殿が嫌になった訳ではなかろう。レストランの従業員に以前仲間が言ったのだが、何故今の道を選んだのか。それを一度思い出してからどうするか考えて欲しいでござる」
さすがに雷光に対しては見上げる形になるが、人間としてはかなり大柄な部類に入るだろうこのシェフは、一度じろりと雷光を睨み、そうは言うがな、と眉間に皺を寄せて、大きな溜息をついた。
「料理人にとって、丹精込めた料理が食べられる事も無くゴミになるのは耐え難い事だぞ。毎日、自分の作った料理を捨てる者の身になってみろ」
俺はゴミを作る為に料理人になった訳じゃない、と彼。そして、吐き捨てる様に言った。
「病気という訳でもないと言うしな。食欲が無いにしても、不意に食べたくなったものを相談するとか、普通何かあるだろう。それすら無いって事は、この俺が気に入らなくなったのさ。そうならそうとはっきり言えばいいものを、こんな遠まわしな嫌がらせをするとはケツの穴の小さい奴だ。俺はもう、ホトホト愛想が尽きたよ。代わりが来たなら、さっさと暇を貰おうかと考えていたところだ」
それは、と言いかけたが、雷光は言葉を飲み込み、せめて宴が終わるまではいるべきだと彼を諭した。深く傷ついたプライドは、そう簡単に癒せるものでもないだろう。拗れてしまった感情を修復するには、何かきっかけが必要だ。
●無責任な噂話
イルニアス・エルトファーム(ea1625)は社交界を当たり、レイノーについての評判、宴に参加する貴族達の事について聞き回っていた。本来、一介の騎士が入り込める場所ではないが、冒険で培った彼の名声を知る者がおり、面白がって招き入れてくれたのだ。
「レイノー? ああ、あの貧乏レイノー家の妾腹の方か。まあ、仕事は出来る様だな。しかし、温和な顔をして何かと面倒な奴という話も聞く」
「面倒と言うと?」
イルニアスが聞くと、その貴族はにやりと笑った。
「‥‥色々融通が利かないとかな。まあ察してくれよ」
なんとなく、分かった様な気がした。
「ウィリアム王好みの清廉かつ堅実な男ではある様だが、この世界、多少は泥に塗れているくらいが生き良いのさ」
話を耳にしたか、寄って来たのはお喋り好きそうな若いご夫人。
「レイノーの宴なら、あちこちのサロンでもうすっかり評判になってますわよ? 宴を押し付けた当人達が吹聴して回ってますもの。出来る事ならば私も参加したいものですわ。仕事一筋の朴念仁がどんな宴を催すのか、想像しただけで可笑しいじゃありませんか」
しかしそれには、退屈に打ち勝つ類稀なる忍耐力が必要になりますぞ? と茶化した貴族に、貴婦人達がコロコロと笑う。
「まあ彼らも、さして惨い事はすまいよ。無粋者を笑って新年の締めにしようというだけの話だからな。ほんのささやかな意趣返しさ」
その、ほんのささやかな意趣返しとやらがどれだけ相手を苦しめるかなど、彼らは考えてもみないのだろう。偉大なるウィリアム3世の御世にも、度し難い者はいるという事だ。サロンの紳士淑女達は、客人達がどれだけレイノーの宴に耐えられるか、という賭けなど始めていた。すぐに飽きて帰るさ、いえ自分から仕掛けた悪戯を途中で投げ出したのでは男の恥ですわ、と、好き勝手な事を言い合っている。丁寧に礼を言い、帰ろうとしたイルニアスを彼らが制する。
「あら、もう帰ってしまうの? 冒険の話など聞かせて下さいましな」
「その眼帯はどの様な曰くがありますの?」
「随分と若く見えるが、エルフは見た目で分からないからな、どのくらい生きているんだい?」
延々と引き止められ、イルニアスは気が遠くなる程の時間を、この不愉快な場所で過ごす羽目になった。
●まとまらない宴の準備
さて。レイノー邸では早速、宴に向けての相談が始まっていた。
「レイノーさんは仕事で忙しいから、僕達が宴の準備を進めなきゃいけない訳だけど‥‥」
カタリナ・ブルームハルト(ea5817)がちらりと屋敷のシェフ殿を見やる。それはもう、言葉の掛け様が無い程に、全身からやる気の無さが漂っていた。ガツンと精神注入したい誘惑に駆られる彼女だが、ここはぐっと拳を握って我慢する。
「お客様の人数ですが、今のところ12人の予定です。もしかすると、ぎりぎりになって多少の増減はあるかも知れません。予算ですが‥‥」
頑張ってこのくらいです、と提示した金額に、レストラン組がぐぐぐと唸る。
(「よく分かんないけど、要するに貴族の宴の予算としてはかなりトホホな額なんだね」)
せめてこの程度、いやこれでも精一杯、と喧々諤々やっている執事君とレストラン組を眺めながら、カタリナは肩を竦めた。まあ、初めから分かっていた事だ。
「料理はお金じゃないよ。知恵と工夫でなんとか乗り切ろう!」
精一杯明るく元気に言った彼女に、溜息交じりにではあるが、「そうですね、やるしか無いんだし」とレストラン組。
「うんうん、偉いぞっ」
片柳 理亜(ea6894)は、彼らの態度に満足げだ。
「とりあえず一言。私達は貴族の宴になんて詳しくないし、今回は一流レストランで働いている貴方達が重要なんだよ! 気張ってよねっ!」
理亜の励ましに皆、気恥ずかしそうに頷いて見せた。しかし、ではどうするかとなると困ってしまう。
「うーん、そうだね、異国の料理を再現してみるとか見せ方を工夫してみるとか」
カタリナが取りあえず思いつきを言ってみる。
「ジャパンでおめでたい時の豪華な料理といったら、お刺身とか、鯛のお頭付きとかかな。‥‥そういえばこっちに鯛っているの?」
いますよ、と見習い君。美味しい白身のこの魚は、こちらでも人気の食材だ。しかしパリは内陸の街。海の魚を新鮮なままで食べるのは難しかったりもする。
「い、インドゥーラの料理なんて、あの、どうでしょぅ‥‥」
皆の視線が向いた途端、俯いてしまうアイリス・ビントゥ(ea7378)。蚊の鳴く様な声でぼそぼそ言ったかと思うと、彼女はさっと、兄であるサイラス・ビントゥ(ea6044)の背中に隠れてしまった。
「ただ、外国の食材や調味料は何かと高くつきますからね。この予算では‥‥」
見習い君が難しい顔。ダルランに言えば手に入る物もあるが、彼も商売だから代金は取る。駄目ですよね、そうですよね‥‥ とアイリスはしょんぼりだ。むう、と難しい顔で漂っていたミーちゃん先生ことミーファ・リリム(ea1860)は、ぽん、と手を打って物騒な事を口走る。
「どうせ味なんて分かんないよ〜な人達なのら、最悪食材なんて『○○を使ってる』って言い張っちゃえば良いと思うのら〜。できれば、誰も食べた事無いような、モンスターとかにしちゃえば良いかもなのらね〜」
腕組みをしてうんうんと頷く先生。見習い君が引き攣った笑みを浮かべている。
「それは‥‥。腹痛でも起こされたら、レイノー様が困ると思いますよ? 余り怪しげなものは止めた方がいいと思いますが」
苦笑いのゼルス。是非止めて下さい! 絶対ですよ! 執事君が念を押す。本当にやりそうで、よっぽど不安だったのかも知れない。
「料理そのもので目を引けないなら、例えば料理細工の様なもので華やかさを補う手もありますね。一枚の絵画のように盛り付けられた料理というのもまた一興かと」
ゼルスの言葉に、うちのシェフは細工が上手なんですよ、と使用人達。彼女達は、何とかシェフ殿がやる気を出してくれればいいと願っている様だ。当人は相変わらずの態度だったが‥‥。クレア・エルスハイマー(ea2884)は珍しさを求める皆とは逆の発想を提示する。
「むしろ、質素な家庭料理で迎えるというのもありかも知れませんね。素朴な味が却って新鮮に感じられるかも。調理の手間もかかりませんし」
しかしこれは、益々シェフ殿のご機嫌を損ねた様だ。とうとう彼は、そっぽを向いてしまった。
「‥‥あと、パーティの余興という感じになりますが、厨房の器具類を持ち込んでその場で調理して見せるのも面白いかも知れません。高貴な方々はあまり厨房の様子は見た事が無いでしょうから」
「余興については、拙者も考えて来たでござるよ」
雷光が提案したのは、小さめの料理を沢山作り、その中の一つに指輪などの宝物を入れて、それを一品ずつ順番に取って探していくというもの。
「宝物は無理のない値段で。相手はこちらが貧乏である事を重々承知で冷やかしに来るのでござるからな」
こういう、食べ物の中に金貨などを入れておく風習は世界各地で見られるものだ。比較的馴染みのある遊びといえるだろう。
「序盤に出してしまてあっさり終わらぬ様に工夫が必要でござるが。後は、うっかり者が飲み込んでしまったりしないようにしなければいかんでござるな」
「うむ。誤ってせっかくの宝物を噛み砕いてしまわないとも限らぬからな」
当たり前の様に言ったサイラスに皆が振り向き、しかし彼なら有りえるか、と納得して普通に話を進める。
「貴族の皆様にお餅をついてもらって、それをデザートに出してみるのはどうでしょう」
ルフィスリーザ・カティア(ea2843)は大真面目に提案したのだが、ジャパン人達は皆、貴族連中が臼杵で汗水たらして餅をついている様を想像し、思わず吹き出してしまう。
「はいはい! 俺も考えて来たんだ。俺達とレストランの皆で、芝居をするのはどうかな!」
進み出でたるガゼルフ・ファーゴット(ea3285)。彼はとうとうと芝居の内容を語り始めた。
「貧しく腹を空かせた兄弟がいました。そして道行く所に大きな鶏が歩いていました。兄弟は鶏を持ち帰り、色々な料理を作って食べてみた。なんとそれはとても美味しい。元気も出る。彼らは思った。「この料理を売ってみよう!」と。翌日、彼らはその「鶏肉料理」を小さな屋台で売ることにした。なんと、たくさんのお客さんが寄って来ました。そして味は好評で、口コミで客がわんさか来て大繁盛し、鶏肉は尽きた。そして、収入もたくさん入り彼らは幸せになったとさ‥‥ って感じなんだけど、どうかな!」
熱烈に語る彼に、レストラン組は「きびだんごさんは、今日も元気だね」としみじみ。お屋敷組はまだちょっと彼のテンションについて行けてない様だ。ぽかんとした顔をしている。
「‥‥なんだそりゃ、何をどうしたいんだ? 客を失笑で笑い死にさせる気か」
ふん、と吐き捨てたシェフ殿の暴言がガゼルフを直撃。がっくり膝をつく彼。
「そ、そんな事ないですよ、私も歌や演奏でお手伝いしますから、頑張りましょう!」
ルフィスリーザ、ガゼルフを必死に励ます。キッと皆がシェフ殿を睨みつけるが、彼は知らん顔だ。
と、とにかく、と話を切り替える理亜。
「思いつく限りにアイデアを出してみたけど、どうかな。あなた達が取って来れない材料が必要なら、あたし達が何とかしてみるから、言ってみてね」
彼女がどん、と胸を叩いて請合って見せる。
「欧州風の作法は心得ぬが、僧職として礼儀は弁えているつもりでござるよ。何か手伝える事もござろう」
雷光は、洋風の礼服を用意しているところだ。
「名のある方々の来賓参加ですか。中々面白い趣向だと思います」
ゼルスがざっと見回してみても、ここには冒険者として名声を得ている者がかなりいる。
「そうですね。私達が座を賑わすのも、それはそれで面白いかも知れません」
クレアがくすりと笑う。頑張りましょうね、と手を握られ、カタリナは大慌てだ。
「え、僕も? えーっ、こういう席は苦手だよ〜」
冒険者達が盛り上がっている中、レストラン組があのう、と申し訳無さげに割って入る。
「大変言い難いんですが、宴の趣向というのはそういう、個々の出し物がどうという事じゃなくてですね、宴そのものにどういうおもむきというか、意味と言うか、そういうものを持たせるかという事なんです。それが決まらないと、料理も演出も決められないじゃないですか」
その遣り取りを、鼻で笑うシェフ殿。
「分かってない、まるで分かってないな。客は大貴族の宴席を何日も何日も梯子した、その末にここに来るんだ。異国の料理なんて珍しくもないし、小手先の工夫なんか笑われるだけだ。奴ら、それにたっぷり時間も金もかけて準備するんだからな。何で俺が散々悩んでるのか、まるで理解出来てない様だな」
執事君が「そんな風に言わなくても」と止めるものの、撤回する気は無い様だ。
「そうですね。私達は先に言った通り、貴族の宴にはまるで疎いですから。でも、口だけの者にはなりたくないと、そう思っています」
どういう意味だ、と凄むシェフ殿。だが、理亜は真正面から彼を見上げ、睨みつける。
「こういうときこそ、料理人としての腕の見せ所だと思うんだけどな」
呟いたカタリナを一瞥し、シェフ殿は厨房の奥に引っ込んでしまった。
「何やら、どんどん捻くれて行くばかりの様子でござるな」
困った風に頭を掻く雷光。活路はまるで見えて来ない。
この日、招いていた貴族のひとりから、使いの者が送られて来た。
「今、主人は出払っております。よろしければご用件を伺いますが」
そう申し出た執事君に、あからさまな侮蔑の視線を向け、使いの者は言った。
「我が主のご友人方から、是非とも貴家の宴に参加したいと、こう主に願いがありましてな。ここは是非とも我が主の顔を立て、随伴をお許し願いたい」
招きもしない者を連れてくるというだけでも無礼なのに、この使いの者の尊大な態度は噴飯ものだった。
「後日、お返事致します」
恐らく、レイノーは断らないだろうが、執事君に出来る、これが精一杯の抵抗だった。
「ふむ。本当にレイノー様はいらっしゃらないのかな? まさか居留守などという事は‥‥」
無理矢理踏み込もうとした使いの者は、ぶ厚い肉の壁に阻まれて弾き返され、その場で尻餅をつく羽目になった。
「主の帰りは夜になりましょう。どうぞ、お帰り下さい。返事は後日に」
ぬう、と顔を出したサイラスが、満面の笑みを浮かべて使いに言う。な、なんだ貴様、私を誰の使者だと思っている、名を名乗れ! と喚かれて、彼は真っ正直にサイラス・ビントゥである、と名乗って聞かせた。
「サイラス? はて何処かで。サイラスサイラス‥‥」
その使者は、はっと気付き、ガタガタと震えだす。
「あ、あの南ノルマンのさる領主殿の一件で屋敷を拳で粉砕したという恐怖の破壊僧サイラス・ビントゥか!」
「おお、ご存知であったか」
握手を求めて差し出した手をどう勘違いしたのか、ひぃっと悲鳴を上げた使者は、物凄い勢いで逃げ帰ってしまった。
(「れ、レイノーめあの様な恐ろしげな者を呼び寄せて一体何をするつもりだっ!」)
すっかり怯えた使者のとんでもない報告によって、『レイノー邸の宴』は招待客の間でとんでもない噂になって行くのだが、それはまた次回。
●煤払い
一日の仕事を終え、帰宅したレイノーは、すっかりピカピカに磨き上げられた屋敷を見て「誰か、私がいない間に建て替えたのかな?」と慣れない冗談を口にした。
「お帰りなさいませ。良い気分転換になると思って、大掃除をさせて頂きました。‥‥ご迷惑だったでしょうか」
腕まくりをして息をつくルフィスリーザに、いや、見事なものだ、と感心頻りのレイノー。几帳面な彼は頻繁に屋敷の掃除も修繕もしていたが、やはりマンパワーが違う。花なども飾られていて、あの古ぼけた屋敷が見違える様だった。
夕食後。
「今日も、ほとんど召し上がりませんでしたね」
ゼルスが食卓を片付けながら呟く。シェフ殿はもう、むっつりと黙り込んでしまって文句すら言わない。
「でも、今日のレイノー様、とても楽しそうでした」
使用人達は、口々にそう言った。レイノーは食事の時間、少しでも彼の人となりを知ろうと話しかけるレストラン従業員や冒険者達に逆に話を振っては、彼らが語るのを楽しそうに聞いていた。特に、見習い君のドタバタ料理人修行騒動記はいたくお気に召したと見え、随分と長い間、話し込んでいたものだ。
「話す事はお好きなんですね。なら、ご友人方を招いて会食など如何でしょう。こういうのは、食材とか調理法とか、そういったものではどうしようもありません。心の中に抱えているものを分かってあげないと‥‥」
ゼルスの言葉が、シェフ殿には非難に聞こえた様だ。彼の方を向こうともしないシェフ殿の目前に回りこみ、椅子を引き寄せ座るルフィスリーザ。挟み撃ちだ。
「ゼルスさんが言う通り、レイノー様はお料理が口に合わなくて食べなかったのでは無い筈です。あの方の心につかえているものを取り除いてあげられるのも、宴で力になってあげられるのも、貴方しかいないと思っています。でもその貴方が心にしこりを持っていたのではどうしようもありません」
彼女はシェフ殿を見据えてゆっくりと話す。それはまるで、駄々っ子を辛抱強く説得する母親の様だった。
「レイノー様の思い出の味‥‥ 例えばお母様の味を再現する事は出来ないでしょうか。思い出の場所で懐かしい物を食べる。そんな事で、不思議と元気になったりするものです」
と、シェフ殿の頭の上にふわりと座り、そうなのらよね〜、と頷くミーちゃん先生。実に神出鬼没だ。
「あんまり豪華すぎる食事は、きっと仕事の事とか想像しちゃうのらよ。逆に、質素な方が昔を思い出して良いのかもらね〜」
ぶんぶんと頭を振ったシェフ殿の背中を転がり落ち、ミーファさんはいたくご立腹。ふと、見習い君が呟いた。
「そういえば、レイノー様言ってたな。奥様が母親と同じ味のシチューを作ってくれたときは、本当に嬉しかったって」
ずっと考え込んでいたニィが、はっとなって顔を上げる。猛烈抗議中だったミーファもは、シェフ殿の目の動きを見逃さなかった。
「あ、何か思いついたのらね? そうなのらねっ!?」
頭にへばりついて言うのら〜! と迫るミーファに、シェフ殿も「わかったから離れろ!」とさすがに根負け。レストラン従業員達を集め、シェフ殿は実に不本意そうに話し始めた。
レイノーは夜遅くまで、何事かの仕事を続けていた。
「あんまり根を詰めると良くないぜ? りんごでも食うか?」
押しかけて来て何かと世話を焼くガゼルフを、レイノーは決して嫌がらなかった。
「息子がいれば、丁度こんな感じなのでしょうか」
そう言われるとなんとなくそんな気になって、照れながら「食わないと元気でないぜ?」などとお節介を焼いてみたりする。
と、ドアをノックする音。入って来たのはイルニアスだ。
「あちこち聞き回ってみましたが、やはり向こうはどうあっても貴方を笑いものにしたい様だ」
彼は、招待客達が参加する他の宴についても多少の情報を得ていた。それはどれも盛大なもので、一週間ぶっ通しの宴もあれば、幾つもの時代の料理の変遷を辿り、その度に客は衣装を着替えて‥‥といった手の込んだものもある。
「初めから太刀打ちできるとは思っていませんでしたが、実に容赦無い選択ですね」
苦笑するばかりのレイノー。
「その上、冒険者の手を借りての宴と知られれば、益々相手を調子付かせる事にならないでしょうか」
イルニアスの問いに、考え込むレイノー。なんでそんな気の滅入る様な知らせを持って来るんだよ、仕方が無いだろう真実だ、とガゼルフとイルニアスが遣り合っているところに、再びノック。ルフィスリーザは前置きも何もなく、こう言った。
「少しだけお休みをとって、外へお出かけしませんか? 昔のお家に」
その翌々日、レイノーは仕事を休み、かつて暮らした自分の家を、久々に訪れる事となった。彼を育てた、小さな家と畑。パリの街からそう離れてはいないが、長らく訪れていなかった場所だ。
「確かに、さほどの距離ではありませんが‥‥」
心配する執事君を、キースとサーラ・カトレア(ea4078)が説得する。
「レイノー様には癒しが必要です。そして、癒しはベットの中だけで得るものではありません」
サーラに言われ、渋々了承しながらも、決して無理はさせないで下さいとくどくどと頼み込んで回る執事君。見習い君とシェフ殿も、驢馬に荷物を背負わせて同行する。キースはレイノーの体を気遣い、馬車に乗る様に勧めたのだが、レイノーは馬に乗ると言って聞かなかった。
「心配ではあるが、もしかすると押し込められているよりは良いかも知れない。開放的になって愚痴のひとつも零してくれれば御の字だ」
イルニアスのそんな言葉で、レイノーの好きな様にさせる事にした。ただ、急ぎはしない。幸いに暖かい日和、ゆっくりとした道中だ。響 清十郎(ea4169)は、レイノーに語りかける。
「思うんだけど、ご主人は上や周囲の視線を気遣い過ぎなんじゃないかな。成功した秘訣がコツコツと今、目の前にある仕事をこなした事なんだから、それを取り戻すべきなんじゃないかと思うよ」
この気さくなパラ浪人の助言に怒る事もなく、レイノーはそうだなぁ、と考え込む。
「しかし、それは無理だ。役人の仕事というのは、仕組みを作って動かす事。自分ひとりで出来るものではないからね。何事か決まった時に、それがすんなりと始まる様に準備する。案が出た時から始めなければ間に合わないから、無駄になると分かっていてもとにかく話し合い、頭を下げ、人に動いてもらって準備万端整えて、でも結局決まらずに全部が無駄になったりする。そういう仕事だよ」
ふむう、と清十郎。
「確かに大変な仕事だな、ご主人はこの仕事、もう嫌になったのか?」
そう聞く彼に、レイノーはいや、と首を振る。
「これをする人間がいなければ、どんな名君の大改革も始まる事は無いんだ。良き王の下でこの仕事に就けている事を私は誇りに思っているよ」
そうか。じゃあ頑張らなきゃね、と清十郎。そうだな、とレイノー氏。そうこうする内に辿り着いた家は、風が吹けば飛んでしまいそうなボロ家だった。ただ、隣家の者に管理を任せているという事で、朽ちてはいない。懐かしげに家を見て回るレイノー。
「畑に出ようか」
彼は楽しげに、畑の土を弄り始めた。
見習い君とシェフ殿は、家の中へと入った。そして薪をくべ、火を起こす。
「忙しい貧乏人の食事といえば、大体相場が決まってるのさ」
シェフ殿は鍋に水を張り、根菜を適当に刻んで放り込む。味付けは塩漬け肉だ。これはご馳走の部類だけどな、と呟きながらそれを火にかけて、後は放置。
「朝、畑に行く前にこうしておいて、夕方帰ってくればすっかり煮込んだシチューが出来上がっているって寸法だ。これにカチカチの黒パンを浸して食う」
料理とも言えないもんさ、と彼。見習い君は暫くそれを見ていたが、袋の中から何種類かの調味料を取り出した。それは、シェフ殿が普段使っているものだ。見習い君はそれらを慎重に選んで、鍋の中に投入した。
「おい待て、それじゃあ‥‥」
「記憶の中の食べ物は、美化されてますから。レイノー様がいくら質素な生活をしていたと言っても、貴方の料理で昔よりは舌も肥えているでしょう」
見習い君の返答に、シェフ殿は言葉を無くす。時折味を確かめ、整えて行く見習い君。
「少し味見、いいですか?」
サーラがはしたないのを承知で頼む。彼の成長を、確かめてみたかったのだ。
陽が傾くと、途端に辺りは寒くなった。火を使っている小屋の中は温かい。飛び込んだ清十郎は、その温かさと美味そうな匂いに思わず大きく深呼吸をした。
「ああ、昔のままだ‥‥」
レイノーが呟くのを聞いて、見習い君が小さくガッツポーズをした。振舞われたスープとパンは、美食には程遠いものだったが、畑仕事で疲れた体には何よりのご馳走だった。レイノーが戻ってきていると話を聞きつけ、近隣の旧友達が集まって来ていた。狭い小屋の中は人だらけ。その中で、見習い君とシェフ殿が次々と差し出される皿にシチューを注いでいる。
「しかし美味いなこのシチュー。さすが本職が作ったものは違うな」
「そうか? 昔のままの味だと思うが」
何気ない遣り取りが微笑ましい。
(「食事は、ただ空腹を満たすだけではない。心も満たすもの」)
ふと、キースの胸にそんな言葉が浮かんで来る。ここが、レイノーという人物の原点。根っこなのだ。
「レイノー様、お好きな曲はありますか?」
ルフィスリーザが古い祭りの曲を奏でると、サーラがそれに合わせて踊りだす。それは、陽気で底抜けに明るい踊りだった。
「これで貴族達の嫌味にも少しは耐えられるかな」
冗談交じりに言ったキースに、レイノーは穏やかな笑みを浮かべて見せた。
「お、美味しく食べれるようになってよかったです。元気が出たところでもうひと頑張りです。こ、今度はインドゥーラ料理をご馳走します‥‥」
頑張って連続発言のアイリスに、皆が喝采を送る。この質素な晩餐は、とても温かいものだった。料理は、食べる人の為に考えられ、作られ、提供されるもの。作る人の心から、食べる人の心へ何かを伝えているはず。ニィはそう思っている。宴に集まる貴族達に、伝えるべき何かがあるだろうか。それを受け取ってくれるだろうかと、彼は考え込んでしまうのだ。
見習い君は随分と考え込んでいたが、意を決して口を開く。
「今度の宴は、これで行きませんか? お金の無い人、高貴で無い人にもそれ相応の贅沢というものがあるし、心からお客様を持て成す事だってあります。だから、その‥‥」
言葉に詰まってしまった彼に、シェフ殿が続く。
「貧者には貧者の贅沢があり、それは貴族達が体験したことの無いものだ、という事かな」
そうです、それです、と頷く彼。
「もうひと味加えたい。ここには多くの冒険者が揃っているのだから、いっそ、そういう趣向にしてしまってはどうだろう。招待客を冒険者のひとりとして招き、そして持て成す」
レイノーの提案に、シェフ殿が言う。
「しかし、もしかしたら相手を激怒させるかも知れない。いや、そうならなくとも、大いに馬鹿にされるかも知れないが、それで良いのですか?」
「笑われるなら、それもいいでしょう。それで彼らの鬱憤が幾許かでも晴れるならばね。しかし、きっと何かを感じてもらえると思う。私が今、この一杯のシチューに感じている様な喜びをね」
レイノー氏からの正式な招待状には、こう書かれる。冒険者の心を持たざる者は当家の門をくぐるべからず、と。