●リプレイ本文
●酒場
冒険者街から程近い所の、築地の港から人足達が飲みに来る安酒場に、無精髭に乱れ髪の、見るからに最低の食詰め浪人風の男が入ってきた。姿はみすぼらしいが6尺を超える威丈夫で、只者とも思えない。
「おい親父、酒だ」
「旦那、すみませんがうちは前金でお願いしているんで‥」
亭主に向って銅銭を放り、浪人は無言で席についた。それから半刻過ぎて。
「おい聞いたか?」
「何の話だい」
博徒風の男が二人入ってきて、噂話を始めた。
「深川で魔法使いが殺された事件だよ。何でも、その場には天誅の書き置きが残されてたそうだぜ」
「天誅とは穏やかじゃねえが、その魔法使いが何かやったのかい」
「それよ、いぎりすから来たばーどだってんだが‥‥殺される心当たりがねえらしい。書き置きには首実検に加担した罪がどうとか書いてあったらしいぜ」
隅の席で飲んでいた先程の浪人が二人の話に眉根を寄せた。
と、酒場の入口から商家の手代風の青年が入ってきて中を見回した。隅の浪人に気づくと暫く眺めてから近づく。
「上手く化けましたね」
その青年、飛鳥祐之心(ea4492)は浪人の向かいの席に座った。仏頂面で食い詰め浪人、結城友矩(ea2046)は低い声で頷く。
「悪所に潜るにはそれなりの格好がござる。‥拙者は賭場を当るつもりだ。貴殿の事だから、もう重蔵の所へは行ってきたか?」
「ええ、彼のことは堀田さんに任せてきました。何かあれば山本さんが知らせてくれる事になってます」
祐之心は酒には口を付けず、二人は別々に酒場を出た。二人の様子を襤褸をまとった小者が見つめていたが、一人の後を追って姿を消した。
別の酒場では。
「カァーーーッ!? 見てらんねぇなァ‥‥ええ、旦那ァ?」
飲んだくれた千造を見つけて、秋村朱漸(ea3513)はニヤリと笑った。千造は彼を無視して、空の徳利を持ち上げて酒の追加を亭主に怒鳴った。
「天下の千造親分もこうなっちゃ糞の役にも立たねえか。まあ、俺の話を聞けよ。悪くはしねえ、いやこれ以上悪くなりようがねえか」
秋村は千造が嫌な顔をするのも構わず、向かいの席に座って自分の酒を注文する。
「て、てめぇ、こんな所で俺を嬲ろうってのか!?」
「まさか‥‥今日はよ、良いモン持って来たんだ」
警戒する千造に笑いかけて、秋村は懐から短刀を取り出す。仰け反る千造に、浪人は得意げに短刀を見せびらかした。
「これよ、これ。氷川神社で清められた霊験あらたかなそいつァありがてぇー一品よ」
呆気にとられる千造。
「コイツをよ、肌身離さぁーーず持ってりゃよ。とんでもねぇ強運が転がり込んで来るってんでぇ。苦労したぜ? コイツを手に入れんのによぉ‥‥だがそれも、ぜぇーーんぶ旦那の為だ。受け取ってくんな」
奇妙な鬼の面が彫られた短刀を秋村は押し付ける。千造は短刀と秋村の顔を交互に見つめた。
「何が目的だ? この千造お‥‥俺を担ぎやがると只じゃおかねえ」
「だから元気出して貰いてぇのさ。な、運は天下の回りモノだ。今に戻って来らぁ」
秋村の目論見は成功するのか。
ともかくも、その晩は千造と二人で潰れるまで飲み明かした。
●長屋
山本建一(ea3891)は自嘲気味に笑った。
「この一件は、私が関わると良いことが無いようです」
それを聞いた野乃宮霞月(ea6388)は、どう言えばいいか分からない。野乃宮がムーンアローの経巻を使った首実検は関係者に様々な波紋を残した。比すれば山本の悔恨は軽いと思えないか。
「それなら、山本は連絡役に回って貰えるか。今回も、色々と分かれるようだから」
霞月の提案に建一は頷いた。
「俺は長屋に顔出したあと、千造だな。おっと、その前にこいつはあんたに預けるぜ」
秋村は、前回の仲間達に金を出して買い取ったくだんの経巻を堀田左之介(ea5973)に手渡した。
「ああ。で、俺は何食わぬ顔であの長屋に戻るから、みんなも承知しておいてくれよ?」
左之介は冒険者でなく、無宿の渡世人として重蔵の居る長屋に潜っている。だから、表立っては依頼に関わらないと表明していた。
「あぁん? するってーと、依頼を受ける奴は一体誰だ?」
秋村が指折り数えてみた。結城と飛鳥は菅谷探し、霞月とフレーヤ・ザドペック(ea1160)はこの依頼とは反対の位置を取るから‥‥。
「安心しろよ。何せ、俺を含めて7人の冒険者があの野郎をボコボコにすんだからな」
秋村は一人で依頼人の元を訪れた。長屋の住人たちに、如何に千造を追い込むかを語って聞かせた。
「すげぇ目に遭うのは間違いねえ。俺の見た所じゃ、十中八九、野郎は死んじまうだろうが‥‥ま、バレねえようにやってやるから心配は要らないぜ」
極論すれば、この説明に今回の依頼料が掛かっている。秋村は力説する。
「やっちまうのか?」
「おうおう、今更びびってんじゃねえだろな? まさか只の嫌がらせに三十うん両の仕事料じゃあるめぇ」
そう言って、秋村は今回の首謀者と聞いた島田香斎を見た。島田は痩せた中年の浪人者で、口元を真一文字に結んだまま喋らない。
「勿体無い話だな。今からでも止めて、代わりにみんなで美味いものでも食わないか?」
長屋の住人に混じって話を聞いていた堀田が笑顔で言う。何人かの顔には迷いの色が見えた。一度は勢いで復讐紛いの意趣返しに加わったが、何日か経てば熱も冷める。
「ふーむ、中止にすることは出来るのかね?」
真面目な顔で島田から問われ、朱漸は一瞬目を見開いた。
「ふざけんなよ!」
「先生、ご在宅ですか?」
祐之心が重蔵を訪ねた時、部屋には先客がいた。同じように見舞いに来た左之介だ。祐之心は左之に軽く会釈し、左之介は無言で応じた。
「やあ。まだ体が上手く無いので、こんな格好で失礼を」
重蔵は床から半分身体を起こした姿で挨拶した。頬は削ぎ落ち、そのやつれ具合は拷問の過酷さを物語っていた。
「中々情報が入らなかったので心配になっていたのですが、やはりこういう事に‥‥」
「死ぬかと思いましたよ」
重蔵は淡々としていた。祐之心は彼の身を気遣うように会話は短く切り上げて立ち去った。残った左之介が改まって重蔵に向き直る。
「重さんが誰かをヤっちまった話は俺も聞いて知ってるが、あんたには以前に世話になった。それでよ、今度は俺に世話を焼かせてくれねえか? 頼むぜ」
頭を下げた左之介に、重蔵の声がかかった。
「私が人を殺したと思ってるんですか、左之介さんは」
「違うって言うのか?」
「だから釈放されたんですよ」
「そいつは‥‥嘘だ」
堀田は信じない。気の置けない渡世人を演じているが、堀田は仲間を信頼している。存外に堅い男である。
●依頼
「長屋で面白い男を見つけたよ」
野乃宮はフレーヤと交代で影から千造の護衛に付いていた。山本や飛鳥、それに襲う側である筈の秋村も手伝ったので、殆ど一日中の警護体制と云える。
「誰だと思うかね」
「知らない。でも楽しい相手なんだろうね」
フレーヤは楽しそうだ。他の者がこの依頼に乗り気でなくても、彼女は別の見解を持っていた。
「岸田湖平だ。知っているか?」
霞月はフレーヤと交代時に今回の依頼人を調べると共に、この男の身元を洗っていた。まさか長屋を調べていて浮かび上がるとは思わなかったが。
「首実検の時に抗議に来た武士がいたろう。それが岸田なんだが、岸田と島田が繋がっていた」
「ほうほう」
霞月の調べた所では、岸田湖平は江戸近郊の村の小役人だった。仕事そっちのけで学問にのめり込んだ男で、一年の半分以上は江戸で過ごしているらしい。一種の変人だが、冒険者仲間を見慣れた彼らには奇異というほどではない。
「やかましい男らしい。この男と島田は同門の出で、今でも交友がある」
どうも依頼料の大半は岸田から出ているようだった。依頼自体も、岸田がテコ入れした節があった。
「うーん」
フレーヤは目を瞑り、額に手をあてて考え込む。岸田が黒幕? 安易な結論は面白くない。
「おい、てめぇら! さっきから俺に隠れて何をコソコソ話してやがる!」
赤ら顔の千造の怒鳴り声が思索を中断させた。今夜はもう酔い潰れたと思ったが、早計だったようだ。
「親分の勝負は終わっちゃいないって話してた所だよ」
「あんだと?」
「さっき話したろ」
フレーヤは今回の依頼自体が罠の可能性を千造に話していた。
「そういうことで勝負は継続中。名誉挽回あり。たぶん、旦那は狙われるから返り討ちにして捕えるか、更に後の組織を潰せば、今の境遇とさよならした上でオマケに元の職場にやり手の十手持ちとして復帰出来るチャンスだよ」
この一件は、敵が分からない。或いは尻尾を捕まえれば手に負えない相手かもしれないが、反対に一挙に解決も有り得る。
「‥‥畜生、螻蛄だ」
連日賭場に通った友矩は、ふて腐れた口調で吐き捨て左右を見回した。目当ての男を見つけると、やるせない感じで話し出した。
「おいまったく、何処かに割りのいい仕事はないものかな。そういえば先日、腕の立つ浪人を集めていたらしい。誰か知らぬか、そこの御仁は御存知か」
散々に悪態をつき、賭場を出た所で声をかけられた。
「貴様、仕事を探しておるのか?」
「雇ってくれるのか? 拙者こう見えて剣の腕には些か自信がある、損はさせぬぞ」
同様のやり取りは三度目だ。江戸も最近は治安が悪くなり、荒事は絶えずあった。話を聞いて違うと思えば結城は場所を変えた。
「なんだ貴様、菅谷殿を探しておるのか? 剣呑なことよ」
気が逸るのを抑えて、結城はうまく話を聞きだす事に頭を回した。
「菅谷殿と申されるのか。いや是非お会いして拙者の腕を見て貰いたい」
男の話で、菅谷が野武士の頭のような事をしていると分かった。10人前後の仲間と略奪行為を繰り返しているというから立派な野盗団である。
●床下
「しっ」
下段から跳ね上がった霞刀が襲撃者の黒装束を斬った。
だが代償は大きい。黒装束は打ち合いの距離から更に間合いを詰めた。防ごうとした左手の十手が空を切り、脇腹に襲撃者の針が突き刺さる。
「‥‥っ」
この距離は相手の間合いだ。フレーヤは引くか行くか迷った。
「野郎っ」
横合いから千造が飛び出してくる。手には彼女が渡した仕込み杖が握られていた。意外に鋭い、酒が入ってなければ或いは当ったか。相手は後ろに跳ぶ。
「あっ」
同時にフレーヤも下がったことで黒装束との距離が開いた。中間に千造がいて、襲撃者に仕込み杖の刃先を向けている。引き倒してでも下げようと彼女は千造に手を伸ばすが、その必要は無かった。襲撃者は背中を向けて逃げる。
「追うのは‥‥無理か」
酒場の帰り道の襲撃は一瞬の出来事だった。
「親分、怪我は?」
「‥‥俺はかすり傷だ。それより、大丈夫か?」
「ああ、ちょっと痛むが命に別状はない」
フレーヤは楽しげに微笑む。千造が襲われた話は冒険者の手により誇張されて長屋に伝わり、依頼は完遂された事になった。
それから。
「どうしても私を殺し屋にする気ですか?」
重蔵に睨まれても、堀田は笑顔だ。
「そうじゃねえよ。だけど、こればっかりは‥‥重さん、為にならねえことなんだよ。どんな事情があったか俺に話してくれねえか? 俺はあんたを獄門にしようってつもりはねえんだよ」
口調は柔らかく、あくまで穏やかだが堀田の説得は執拗と言って良い。
「ハァ、仮の話ですが、私が本当に人を殺していたとして、左之介さんはそれを聞いてどうしようと云うのですか?」
「どうもしねえよ」
実情は違うが、本気で云っていれば大人物かアホだろう。
「そうですか。そうまで仰るなら、お話しましょう‥‥」
つづく