マリーネ姫と闇の魔物3〜酒浸り男爵の乱心

■シリーズシナリオ


担当:内藤明亜

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:4 G 98 C

参加人数:12人

サポート参加人数:2人

冒険期間:04月11日〜04月16日

リプレイ公開日:2008年04月21日

●オープニング

●貴族街の噂
 王都ウィルの貴族街に住む貴族たちは噂好きだ。ここのところ貴族街のサロンでは、マリーネ姫の父にあたるアネット男爵が、絶えず噂の種にされている。
「あの酒浸り男爵殿、とうとうやらかしましたな」
「酒浸りが過ぎての目に余るご乱行が災いし、ついに滞在先であるレーゾ代官殿の屋敷を追い出されるとは、いやはや」
「さて、ここからはとっておきの秘密の話となりますが‥‥」
 と、1人の貴族が思わせぶりに話を披露。
「実はアネット男爵の身辺には、忌まわしき魔物の姿が見え隠れするとか‥‥」
「なんと‥‥!」
 聞き手の貴族の旦那たちは、大げさに驚いてみせる。
「何でも男爵殿の度が過ぎた酒浸りのお陰で、酒好きの魔物まで呼び寄せられてしまったとかで。代官殿の使用人の間では、それはもう結構な噂ですぞ」
 しばし沈黙がその場を支配。やがて、1人の老貴族が豪快に笑い飛ばす。
「はっはっは! 世も変わったものですなぁ! これが先王エーガン陛下の御世であったなら、王族の身内に対して斯様な冗談話を口に出しただけでも、首に縄をかけられて体を高いところにぶら下げられかねませんでしたからなぁ!」
 つられて他の貴族も笑い出す。
「今の大ウィル国王ジーザム陛下に竜と精霊のご加護を! 偉大なるジーザム陛下のご長命と末永きご統治を!」
 貴族たちは手に手に飲み物の杯を取り、乾杯した。
 既に悪王エーガンの暴政は過去のもの。アネット男爵の噂にしたって、貴族たちにとっては一時の気晴らしに過ぎない。

●受け継がれた使命
 だが、アネット男爵の噂は本当だった。男爵は事実、魔物に付きまとわれている。しかし、男爵の抱える厄介事はそればかりではない。最大の問題は先王エーガンの寵姫であり、先王との間にオスカーという子を儲けたマリーネ姫の父親でありながら、領地経営にまったくやる気がないことだ。
 先王が健在だった頃には王の贔屓もあり、アネット男爵の領地は増えた。王に気に入られず放逐された諸領主の領地が、王の縁類たるアネット男爵の領地に組み込まれたからだ。
 しかしエーガン王の子息であるエーロンがその父を王位より退かせ、自らがフオロ分国の王位に就いて分国内の改革を始めるや、アネット男爵のやる気のなさはやたらと目立つことになる。
『領主アネット男爵の無策から、その領地は貧しいままに放置されている。領地の治安を預かるはずの騎士の中にも、領民から勝手に税を取り立てて貪り、私腹を肥やす者が大勢いる。領民は貧しさに喘ぎ、多くの者が無気力状態に陥っている。騎士団の存在で盗賊やモンスターの被害は辛うじて抑えられてはいるが、今の状態が続けば領地の地力が失われ、やがてはカオスの魔物の跳梁跋扈を許すことになりかねない』
 これは、さる冒険者がエーロン王に提出した報告書からの抜粋だが、その記述は正鵠を射ている。
「いっそのこと、あんな酒浸りの甲斐性なしは暗殺されてしまえばいいのに」
 物騒なことを口にしたのはマリーネ姫に仕える侍女長。
「死人になってしまえば、姫様に迷惑をかけずに済みますもの」
 慌てて衛士長が諫めた。
「口が過ぎるぞ、滅多なことを言うもんじゃない。とはいえ気持ちは分かるがな」
「聞こえたぞ」
 傍らから声がした。見ればマリーネ姫新鋭隊の一員として、姫の身辺を守るルージェ・ルアンがそこにいた。侍女長は気まずそうな顔になる。
「口が過ぎました、ルージェ様」
「口は災いの元、気をつけてくれ。だがマリーネ姫は芯の強いお方。これまで幾たびもの試練を乗り越えてきたのだ。今度の試練も乗り越えるはずだ」
 父親とは大違いで、今のマリーネ姫は王族として歩むべき道をしっかり歩んでいる。幼少時に母を暗殺で失い、過去には生活が荒れたこともあったけれど、冒険者たちとの出会いが姫を良い方向に変えたのだ。
 さてそのマリーネ姫だが。姫はその居室にて、長らくマリーネ姫親衛隊の隊長を務めてきた鉄仮面男爵と向き合っていた。
「こんな大事な時に、隊長の職を辞すだなんて」
 姫は見るからに不満そう。しかし男爵にも、身を引くべき止むに止まれぬ事情がある。男爵の決意を翻すことは出来ないことは、姫には分かっていた。
 マリーネ様に御仕えできた事は、至上の光栄であった──。そう言って鉄仮面男爵は、形見として1個の指輪を渡そうとしたが、姫はそれを拒む。
「その指輪は貴方がお持ちになって」
「姫?」
「その指輪を受け取ったら、本当にこれが最後のお別れになってしまいそう」
 そう言われ、男爵は姫に指輪を渡すことを諦めた。
「このフオロ再興の責務、マリーネ様なら必ずや成し遂げる事ができましょう。信じております。それでは、名残惜しいですがお別れです‥‥」
 姫に別れを告げてその居室より去ると、鉄仮面男爵は2人の親衛隊員ルージェ・ルアンとカリーナ・グレイスを呼び寄せた。
「これまでの貴公等の働きからどちらが隊長を務めようと私は問題ないと思っている。さて‥‥どちらが務めるかね」
「それは私が」
 ルージェが一歩、前に進み出て一礼する。後任も速やかに決まり、男爵は満足した。
「親衛隊員の増員の件は任せる。‥‥マリーネ様の御身、その身に代えても護ってほしい。あの方は、このフオロの希望だからな。頼んだぞ‥‥」
 それはマリーネ姫親衛隊の創設者である鉄仮面男爵が、2人の親衛隊員に贈った別れの言葉。

●アネット男爵の乱心
 ここは王都の周旋所。
「おや、姉妹そろって奉公口をお探しかい? 実はいい仕事があるんだよ。アネット男爵のご領地さ」
「‥‥よろしくお願いします」
 やってきた年若い姉妹との契約が成立すると、周旋人はにんまり。
「アネット男爵も気前がいいねぇ」
 実はアネット男爵の使いを名乗る者から、周旋人は大金を受け取っていた。とにかく若い働き手を大勢集めて欲しいと聞かされてはいたが、周旋人はその理由を問うような野暮な真似はしない。ただ自分のやるべき仕事をきちんとこなすだけだ。
 それからおよそ1週間後。所はアネット男爵領と川を挟んで隣り合う、王領ラシェットの領地の境。
「おい、あれは誰だ?」
 見張りに立つ警備兵の目に映ったのは、アネット男爵領からやって来る男の姿。男は負傷し、全身ボロボロだ。
「私はアネット男爵に仕えるボラット・ボルン‥‥。救援を乞います‥‥。男爵殿が乱心し‥‥大勢の者たちを人質に取って‥‥屋敷に立て籠もりました‥‥。おまけに屋敷は魔物の巣と化し‥‥並みの兵士では魔物に歯が立ちませぬ‥‥」
「‥‥何てことだ」
 警備兵たちは絶句。知らせは直ちに冒険者ギルドに伝えられ、冒険者たちが事件の解決に乗り出すことになった。
 騎士ボラットの話によれば、人質の数はおよそ100人。その大半は王都で集められた少年少女だ。他に古くから屋敷で働いてきた者や、男爵に呼び出されて屋敷にやってきた領民もいる。
 しかも男爵の周りには魔物がうようよ。『邪気を振りまく者(インプもどき)』『酒に浸る者(グレムリンもどき)』が何匹も姿を見せている。
 おまけに男爵は自暴自棄。絶望の挙げ句に屋敷に火を放ち、自ら死を選ぶかもしれないという。
 さらに悪女マラディアと彼女に取り憑いた魔物も、黒い犬に化けてマリーネ姫に近づこうとした魔物も、男爵の身近にいるに違いない。今のところその姿は確認されてはいないが。

●今回の参加者

 ea1565 アレクシアス・フェザント(39歳・♂・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea1603 ヒール・アンドン(26歳・♂・神聖騎士・エルフ・ノルマン王国)
 ea1643 セシリア・カータ(30歳・♀・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea2179 アトス・ラフェール(29歳・♂・神聖騎士・人間・ノルマン王国)
 ea3486 オラース・カノーヴァ(31歳・♂・鎧騎士・人間・ノルマン王国)
 ea3727 セデュース・セディメント(47歳・♂・バード・人間・イギリス王国)
 ea3866 七刻 双武(65歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea9244 ピノ・ノワール(31歳・♂・クレリック・エルフ・ビザンチン帝国)
 eb4313 草薙 麟太郎(32歳・♂・天界人・人間・天界(地球))
 eb6105 ゾーラク・ピトゥーフ(39歳・♀・天界人・人間・天界(地球))
 eb7689 リュドミラ・エルフェンバイン(35歳・♀・鎧騎士・人間・アトランティス)
 ec4427 土御門 焔(38歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)

●サポート参加者

ケンイチ・ヤマモト(ea0760)/ シファ・ジェンマ(ec4322

●リプレイ本文

●道案内
 悪代官フレーデン討伐の折り、リュドミラ・エルフェンバイン(eb7689)はアネット男爵領に潜伏する反代官派と接触し、討伐戦では彼らの助力を得た。その後、反代官派はラシェット領に駐留するルーケイ水上兵団の保護下に入ったが、アネット男爵の引き起こした騒擾事件の解決を図るべく、リュドミラは再び反代官派と接触する。
「もしもアネット男爵の屋敷までの安全なルートをご存じならば、その道案内をお願いしたいのです」
「アネット領の東の河岸から、領主館の間近へと至る抜け道なら知っている。我々が案内しよう」
 リュドミラの求めに対し、反代官派のリーダーは快く応じた。
 お礼にリュドミラは、『聖者の剣』と『光の弓』を譲渡。リーダーは報酬を辞退したけれど、2つの魔法の武器を礼の言葉と共に受け取った。
「カオスの魔物を倒せる武器があれば心強い。最近はアネット男爵領にも、魔物の影が見え隠れするからな」

●忌まわしき未来
「これだけはっきり反旗を翻すとは。男爵にこの度胸は無い。必ず裏で奴らが関わっているはず」
 アトス・ラフェール(ea2179)の言う奴らとは、カオスの魔物のことだ。神聖騎士のアトスにとっては、命を懸けてでも倒さねばならぬ宿敵。だが、奴らは何を企んでいるのだろう?
「未来を見てみましょう。何かの手がかりが掴めるかもしれません」
 土御門焔(ec4427)がフォーノリッジのスクロールを広げ、念じる。
 最初に調べたのは、『アネット男爵』の未来。
「これは‥‥?」
 アネット男爵の姿が見えた。焼け落ちた屋敷の跡で、煤だらけになりながらも生きている。周りには翼のある醜い子鬼が飛び交い、男爵の手には酒の瓶。
 次に『黒い犬に化けた魔物』の未来を調べる。
 燃え盛る炎の中、背中に翼を生やした奇怪な魔物が高笑いしていた。炎の中には幾人もの人の姿。炎に焼かれ叫んでいる。
 さらに怨恨の悪女『マラディア』の未来を調べる。
 マラディアはアネット男爵と共にいた。アネット男爵の耳に何事かを囁いている。
「これは、どういうことでしょう?」
 再度、フォーノリッジのスクロールを使って三者の未来を見る。
 見えたものは、子鬼に引きずり回されて叫ぶアネット男爵。人々を焼き殺す魔物。そして、フードで顔を隠したマント姿の男の前にひざまずくマラディア。
「推察するに‥‥『黒い犬に化けた魔物』は人質にされた大勢の人々を焼き殺し、『アネット男爵』は生き残るも魔物のいいようにされ、『マラディア』は何者かの命令を受けてアネット男爵を利用し続けるということですか」
 冒険者たちがそれを阻止する努力をしなければ、魔法で垣間見た未来が訪れるのだ。

●出発の準備
 アネット男爵領への出撃準備が進む中、草薙麟太郎(eb4313)はマリーネ姫への挨拶に参じた。
「ご無沙汰していますマリーネ様。剣と魔法の腕を磨いてきましたので、お役に立って見せますよ」
「貴方も来てくれて嬉しいわ」
 実子オスカーを抱いたマリーネ姫は、麟太郎との再会を喜びながらも少しばかり口惜しそう。
「だけど、今回もお留守番なのが残念だわ。皆が戦う姿を観戦できたら良かったのに」
 マリーネ姫もオスカー殿下も先ほど女医ゾーラク・ピトゥーフ(eb6105)の健康診断を受けたばかり。2人とも概して健康状態は良好だ。
「これを見て。ゾーラクから貰ったのよ」
 と、姫が麟太郎に見せたのは鍾馗人形。
「ああ、これなら僕も知っています。厄除けの神様ですね」
「見るからに頼もしそうね」
 一方、ゾーラクは多忙を極めていた。健康診断の後、治療院分院長の権限を持つ彼女はルーケイ水上兵団やクローバー村のガーオンに、必要な物資の提供や医療兵の派遣を要請。その費用として総額200Gを自身が負担した。
 救護所を設置するための準備もあり、討伐軍の指揮官マーレンとも入念に打ち合わせを行う。
「アネット男爵領に進撃したら、討伐軍が襲撃準備を整えている間に、密かに目立たない位置に救護所を設置したく思います」
「分かりました。救護所関係の指揮は任せます」
 一方、オラース・カノーヴァ(ea3486)は自分の知る主立った者達に、ジ・アースからやって来て間もない焔を引き合わせている。
「ウィルにきたばかりでほとんど顔が繋がっていないだろう? 必要なのに声をかけ難いと困るからな」
 挨拶のため2人してマーレンの所に来ると、ちょうど長身の男がマーレンに一礼して立ち去るところだった。顔を覆うフェイスガードのせいで、男の素顔は見えない。
「あの方は、確か‥‥」
「ああ。ここだけの話だが、あれは冒険者のアレクシアスだ」
 一介の冒険者から新ルーケイ伯爵にまで上り詰めたアレクシアス・フェザント(ea1565)は、今も冒険者ギルドに籍を置く。今回は討伐軍指揮官である義弟の顔を立てる為、素顔と名を隠し一人の冒険者として参戦するのだ。
 オラースは焔をマーレンに紹介。焔の目に映るマーレンは若々しい騎士で、その立ち振る舞いからは使命に打ち込む一途さが感じられた。
「私の指揮する討伐軍の主力部隊は、領主館の正面からの陽動を担当します。その隙に冒険者の貴殿らは、裏門から領主館に突入し、人質を解放するよう願います」
 これは冒険者たちによって立案され、アレクシアスからマーレンに伝えられた作戦だ。
「ではオラースに焔、あなた方に竜と精霊のご加護を」
 おや? 何やら騒ぎが起きている。
 騒ぎを引き起こしているのは体長8mもある巨大な鳥、ピノ・ノワール(ea9244)が連れてきたペットのスモールホルスだ。
「こんなモンスター、誰が連れてきた!?」
 出陣する兵士たちが遠巻きに取り囲んで騒いでいる。
「心配はいりません。カベルネは人を襲ったりしませんから」
 ピノは釈明に懸命だけれど、兵士たちは納得しない。
「俺達までモンスターの餌にするつもりか!? これだから冒険者ってのは‥‥」
 すると、騒ぎを聞きつけてマリーネ姫がやって来た。
「これは何の騒ぎです?」
 姫に付き添う親衛隊員が注意を促す。
「姫、お気をつけください」
 姫は物怖じもせずスモールホルスに歩み寄る。姫の姿を認めたスモールホルスは、まるで姫に平伏するようにさっと頭を垂れ、その金色に輝く翼を大きく広げてうつ伏せの姿勢を取った。
 姫は微笑みを浮かべ、右手を差し伸べる。
「フオロ王家と私に忠誠を誓いますか?」
 スモールホルスは人間に等しい知性を有する。姫の言葉の意味を理解すると、スモールホルスは低くしていた頭をもたげ、そのクチバシを姫の右手にそっと触れた。あたかも騎士が誓いの接吻をするかのように。
「賢い鳥です」
 姫はいたく感心し、マーレンに求める。
「この大きくて美しい鳥も参戦させて。私が認めます」
「姫のお言葉とあらば」
 マーレンは即座に同意した。
 出発の時は刻一刻と近づく。
「おい、1人足りないぞ!」
 依頼を受けた冒険者のうち、1人がまだ来ていない。やむなく冒険者たちは1人の欠員を抱えたまま出撃することになった。

●突入
 作戦決行の前夜。突入隊の冒険者たちは、リュドミラが接触した反代官派の案内で、アネット男爵の領主館に近い場所に潜伏した。冒険者たちの姿は、そこかしこに生える茂みの陰に隠れ、領主館からは見えない。
 彼ら突入隊はマーレンの指揮する陽動隊の支援を受け、アネット男爵の領主館へ突入して人質を解放する役目を担うのだ。
「男爵の乱心は、誰にも顧みる事をされず、嘲笑たる視線に晒され過ぎた心の病じゃろう」
 呟いたのは七刻双武(ea3866)。アネット男爵には同情すべき面もある。
「じゃが、民に災いをなすなら、果断たる処置をせねばならぬ。今がその時じゃな」
 一方、ピノはマーレンの指揮下にある陽動隊に所属。出撃の時が来るまでの間、ピノはカベルネと名付けたスモールホルスに、作戦内容をしっかり確認させた。
「多くの人を助ける為です。頼みますよ!」
 夜明けが訪れるや、討伐軍の陽動隊を乗せたフロートシップは、アネット男爵の領主館を目指して出撃。船が領主館の間近に着地するや、スモールホルスがその美しい翼を広げて飛び立つ。
「カベルネの舞う姿は勇壮で美しいですね。このまま見続けられないのが残念です」
 船からは数多の兵士たちに加え、バガン3体が下り立つ。さらに6本足のドラゴンに、何やら得体の知れない動く壁のような生き物も。兵士、ゴーレム、モンスターの姿は相手を威圧するに十分だった。フオロ王家の紋章旗を掲げた使者が、交渉のため領主館に向かっていくが、領主館の中では結構な騒ぎが起きている。
 使者は正門の真正面で立ち止まった。領主館は壕で囲まれ、壕の外からだと跳ね橋を渡らなければ正門を抜けることは出来ない。だが、正門の跳ね橋は跳ね上がっている。
 使者は大声で要求を伝える。人質を解放し、アネット男爵の身柄を引き渡せと。
「断る!」
「これは不当な要求だ!」
 領主館の側からは拒否の声が上がった。アネット男爵側の騎士や兵士たちは、剣を振り上げて威嚇する。
「戦いは望むところだ!」
「我等は一歩も引かぬぞ!」
 その様子を目を凝らして眺めつつ、茂みの陰に隠れた突入隊の冒険者たちは、出撃のタイミングをうかがっていた。
 使者が正門を離れ、自軍に戻っていく。
 離れた場所に陣取っていたバガンが、モンスターが、兵士たちが、領主館に向かってじりじりと進み始め、領主館からは矢が幾本も放たれる。
 明らかに敵の目は正門側の陽動隊に釘付けだ。仕掛けるなら今だ。
「行くぞ、オフェリア!」
 アレクシアスの掛け声で、茂みの陰に隠れていたペガサスが立ち上がる。アレクシアスがその背に飛び乗ると、ペガサスは翼を広げて空に舞い上がった。
「皆、俺に続け!」
 空飛ぶペガサスに続き、突入隊の冒険者が裏門を目指して一斉に駆け出す。ペガサスは一足先に壕を飛び越え、領主館の敷地内に着地。アレクシアスはペガサスから飛び降り、裏門側の跳ね橋を上げ下げする装置に向かって走る。
「裏門からの敵襲だ!」
 敵の騎士たちが気付いた時には既に、突入隊の冒険者たちが裏門の間近にまで迫っていた。剣を振り上げて襲ってきた見張り兵を、サンソードの峰打ちであっさり気絶させると、アレクシアスは裏門の跳ね橋を下ろす。まさに絶妙のタイミングで、突入隊の冒険者たちは橋を渡り、領主館の敷地内に突入した。
「ここから先は行かせはせんぞ!」
 正門の側から回ってきた敵兵たちが、ぞろぞろと現れる。だが、冒険者たちの頭上を大きな影が横切ったと思いきや、敵兵たちは顔色を変えて後退し始めた。
「うわあっ! モンスターだっ!!」
 見上げれば、空から舞い降りてくるスモールホルスの姿。そのクチバシにピノをくわえている。
「報告します! デティクトライフフォースで探知したところ、西館と東館にそれぞれ10人の反応がありました。じっと動かないことから、監禁された人質と思われます。本館にはおよそ100名の反応がありましたが、その大部分が人質と思われます」
「よく調べてくれた、とても助かる」
「はい、カベルネのお陰です」
 最初は魔法の有効射程ぎりぎりの離れた場所から、領主館内の人数を探知しようとしたピノだったが、なかなかうまく行かない。見かねたスモールホルスがピノをクチバシにくわえ、領主館の真上を一っ飛びして探知を成功させたのだった。
「よし! 手分けして人質の解放に当たろう。それから、西館に向かう者には酒蔵の開放を頼む。グレムリンもどきをそちらに引き付ける為だ」
 そうアレクシアスが指示を下したところへ、マーレンの指揮下で行動中のシフール冒険者がテレパシーで連絡を送ってきた。
「ユラヴィカの偵察によれば、西館の酒蔵は既に魔物だらけです。グレムリンもどきが人質たちを監視しながら酒盛りをやっています。東館の人質たちはネズミの群れにたかられていますが、どうやらネズミは魔物が変身したものです。一番数の多い本館の人質たちは大勢の兵士に見張られており、ここは本館に戦力を集中するのが得策です」
「ありがとう」
 報告を聞いたアレクシアスは、その内容をそのまま仲間達に告げる。
「というわけで作戦変更、西館と東館の魔物を直ちに殲滅だ。その後で本館に合流してくれ」
 冒険者たちはそれぞれの場所を目指して走り出した。
 リュドミラは正門を目指して走る。その姿に気づいた敵兵が、高所から矢を射かけてくる。体のぎりぎりを掠めた矢が、髪の毛を宙に舞わせる。
「何としてでも表門の跳ね橋を下ろさなければ!」
 敵兵たちもリュドミラの意図に気づいている。だから執拗に攻撃を仕掛けてくる。
 リュドミラの頭上を巨大な陰が通り過ぎた。スモールホルスだ。迫り来る巨大な姿に敵兵は威圧され、攻撃はスモールホルスに集中。逆にリュドミラへの攻撃が弱まった。その隙をついてリュドミラは、跳ね橋の上げ下げ装置までの距離を一気に走り抜けた。
 装置の取っ手に手をかけ、力を込めて動かす。跳ね上がっていた跳ね橋が、ゆっくりと動かす。
「跳ね橋が! 跳ね橋が!」
 慌てふためく敵兵の叫びと共に、矢が次々と飛んできた。跳ね橋はまだ下りきっておらず、ここで止める訳にはいかない。急がねば!
「加勢致す!」
 横から双武の声がした。続いて双武の放ったストームの魔法が、飛来する矢の進路を狂わせる。さらに双武はライトニングサンダーボルトの魔法で、遠方から矢を射掛ける敵を狙い撃ち。
 ヒュン! リュドミラの背後でサンソードが閃き、上げ下げ装置と跳ね橋を繋ぐロープを切断した。
 ドオン! 跳ね橋が一気に下がる。その先端は堀の向こう側に届き、3体のバガンを先頭にして数多の兵士たちが一斉に橋を渡ってきた。
 リュドミラが振り向けば、サンソードを手にしたセシリア・カータ(ea1643)が後ろに立っていた。
「ここは臨機応変に行きましょう。時間を節約しなければ」
 不意にリュドミラは右肩がずきずき痛むのを感じ、見ると矢が突き刺さっていた。戦いの最中に痛みを忘れ、矢が刺さったことにも気づかずにいたのだ。
 ゴーレムが乗り込んできたことで、敵兵は大きく戦意を減失。形ばかりの反撃はゴーレムを盾に進撃する兵士たちを止められず、本館へ向かって後退を始めた。

●西館の戦い
「敵が西館に向かったぞ!」
 西館に向かうセシリア、リュドミラ、セデュース・セディメント(ea3727)の3人を、敵兵がぞろぞろ追いかけてくる。2人は西館の裏口に飛び込んだ。続いて敵兵たちも裏口に飛び込もうとしたが。
「おい! 何だこれは!?」
 煉瓦の壁が裏口を塞いでいる。
「誰だこんな所に壁造った奴は!?」
「叩き壊してしまえ!」
 敵兵が剣を振り上げ、壁に一撃。すると剣がすうっと壁を突き抜け、勢い余って敵兵も壁の中に突っ込んだ。
 壁の向こう側には剣を振り上げたセシリアがいた。
「うわあっ!」
 セシリアの攻撃をくらって倒れる敵兵。セデュースとセシリアは西館の奧へと急ぐ。
「結局、役には立ちませんでしたねぇ」
 残念がるセデュース。煉瓦の壁はファンタズムの魔法で作った幻影の壁だった。
「でも、時間稼ぎにはなるかもしれません」
 と、セシリア。そのまま2人は西館の酒蔵に向かったが、先に報告のあった通り、そこは魔物だらけ。
「ぎゃひゃひゃひゃひゃ!!」
「酒が美味ぇ! 酒が美味ぇぞぉ!」
 『酒に浸る者』、あのグレムリンもどきが群れをなして酒盛りを繰り広げている。
「戦いの最中だというのにこの連中、すっかり出来上がってしまいましたね」
 セデュースは呆れた。そっと物陰から様子をうかがうと、酒蔵の隅っこに10名の人質がかたまって座り込み、魔物の姿に怯えている。
 リュドミラは魔力を有する星天弓に、同時に3本の矢をつがえる。そして魔物の群れの中の3匹に狙いを定めて矢を放った。
「ぎゃあ!」
 矢の1本は魔物に命中、もう1本は魔物の体をかすめ、残る1本は完全に外れた。だが魔物どもに反撃する暇も与えず、オーラを付与したサンソードを手にしたセシリアが突撃。
「人間どもめ‥‥ぎゃあああ!」
 セシリアの攻撃を食らい、魔物は絶命。さらにもう1匹をリュドミラの矢が貫き、床に落ちたその上からセシリアがサンソードを振り下ろす。
「ぎゃあああ!」
 2匹目を退治したところで、残る魔物どもは酒蔵からどっと逃げて行った。
「いやはや、相変わらず逃げ足の速いことで‥‥。さて皆様、戦闘では役立たずのわたくしめにも、お役に立つことはございます」
 解放した人質たちの士気を高めるべく、セデュースはクレセントリュートを奏でつつ歌う。歌にメロディーの魔法を込めて。

 ♪縛めの鎖は断ち切られたり
 友よ涙を拭い喜び歌え
 いざ行かん敵陣から自由の地へ
 空飛ぶ白馬の後に続き歩こう♪

 セシリアとリュドミラが前衛に立ち、セデュースは殿(しんがり)を務め、人質たちを館の外に導く。外にはペガサスが待っていた。アレクシアスが人質の護衛に遣したのだ。
 襲ってくる敵兵はもういない。皆、自分が逃げ延びることで手が一杯なのだ。

●東館の戦い
 双武、ゾーラク、焔は東館を目指す。
「息ある者は皆、馬屋に集められておるようじゃ」
 双武はブレスセンサーでそのことを突き止めた。
 広々とした馬屋に3人が踏み込むと、中央には手足を縛られた10人の人質。その周囲はネズミだらけだ。
 焔がリヴィールエネミーのスクロールを広げて念じる。その視界に映るネズミが全て、青白く光って見えた。敵である証拠だ。
「この虫は‥‥!?」
 ゾーラクは近くを飛ぶ虫の羽音に気づいた。3匹のハエだ。とっさに手持ちの殺虫剤を噴霧したが、ハエは死なない。
「魔物です!」
 言葉を発した途端、そいつらは正体を現した。
「ぎゃははははは!」
 『邪悪を振りまく者』、翼を生やした醜い子鬼だ。
「倒せるものなら倒してみろ!」
 子鬼どもは武器を持たないゾーラクと焔にしがみつき、その腕や肩や首筋に噛み付く。双武の持つ武器の1つ、太刀「三条宗近」は魔物に有効だが、うかつに攻撃すればゾーラクと焔まで傷つけてしまう。
 そのうちにネズミの群れまでもがぞろぞろと殺到。魔物の正体を現し、醜い子鬼の姿となって襲いかかってきた。
「いかん! このままでは!」
「応援を‥‥!」
 傷つきながらも焔はテレパシーで呼びかける。応援はすぐにやって来た。
 ずおぉん!! 破壊音と共に馬屋の壁が砕ける。外にいたバガンのパンチだ。さらに崩れた壁の穴から、ピノのペットのスモールホルスが体を突っ込み、ウインドスラッシュの魔法を放った。
「ぎゃあああ!」
 子鬼どもは悲鳴を上げ、逃げていく。気がつけば馬屋の中には冒険者たちと人質だけが残されていた。
 焔は解放した人質たちの誘導を双武に託す。
「早く安全な場所へ! 私たちは本館に向かいます!」
「心得た」

●本館の戦い
「うがああ‥‥!」
 麟太郎の面前で、アネット男爵の騎士の1人が胸を押さえて苦しみうめき、ぶっ倒れた。麟太郎の放ったイリュージョンの魔法で、心臓を貫かれる幻影を心の中に送り込まれ、偽りの死を与えられて気絶したのだ。
「ええい、腑抜けが!」
 豪華な鎧を着込んだ敵の騎士団長が怒鳴る。ここは本館の大広間。前途を阻む大勢の敵を退け、ようやく冒険者たちがたどり着いたその場所には、80人もの人質が押し込められていた。抵抗する敵を1人また1人と倒し、最後に残ったのは騎士団長ともう1人、それはこの騒擾事件を引き起こしたアネット男爵だ。
「おい男爵、いい加減に降伏したらどうなんだ? 今さら悪あがきしたって、どうとなるもんでもねぇぞ」
 大広間を見下ろす階段に立つアネット男爵に、オラースが呼びかける。だが男爵はオラースには目もくれず、騎士団長に命ずる。
「かねてからの計画を実行に移す時が来た‥‥。館に火を放つがいい‥‥」
 騎士団長は目を丸くした。
「男爵殿! 本当にあれをやるおつもりなのですか!?」
 渋々、男爵の命令に従ってはいたが、本当は人質の命までも奪いたくはないのだ。
 しかし男爵は酒瓶を握りしめながら、うわごとのように言葉を続ける。
「もはや‥‥私に選ぶべき道は残されていないんだ‥‥。私の生き恥を‥‥この館もろとも燃やし尽くす‥‥。忌まわしき過去の全ては‥‥なにもかも灰にするしかないんだ」
「ぐあっ!」
 呻いてぶっ倒れたのは騎士団長。サンソードの一撃を食らわせたのはオラースだ。
「ああ‥‥結局、こんなことまで‥‥私がやらなければならないのか‥‥」
 男爵の手から酒瓶が転げ落ち、その手は手近に置いてあったランプに伸びる。広間には油が撒かれ、火の点いたランプを放り投げればあっという間に火事になる。
「男爵! よせ!」
 アレクシアスが叫び、階段を駆け上る。アネット男爵が広間の床にランプを投げつける。だが間一髪、焔がプットアウトのスクロールを広げて念じ、ランプの炎を消した。
「やめろ‥‥」
 男爵が恐怖に目を見開く。構わずアレクシアスは、サンソード「ムラサメ」の峰打ちを叩き込んだ。
「うっ‥‥!」
 男爵は気絶し、その体をアレクシアスはしっかり受け止める。
「これで終わったな」
 いや、そう思うのは早かった。
「がははははははは!! それで勝ったつもりか!?」
 だみ声のおぞましい高笑いが広間に響く。同時に広間のあちこちから、がさごそいう物音が。デティクトアンデットの魔法で探りを入れたアトスが、皆に警告する。
「5匹の魔物が広間に侵入しました。うち1匹は大物です」
 ぼおっ! 火が消えたはずのランプから炎が吹き出し、床に撒かれた油に燃え移った。
 咄嗟に、焔がスクロール魔法で消火。すると今度は広間の家具が燃え出す。プットアウトで消火しても、後から後から炎が吹き出す。ついに焔は魔法の力を使い果たし、『富士の名水』で力を回復しようとするや、炎の中から子鬼の魔物が飛び出して焔の手に噛みついた。
「あっ‥‥!」
 『富士の名水』は炎の中に転がり、だみ声が嘲笑する。
「どうした、もう力が尽きたか!? 俺はまだまだ火を放てるぞ!」
 次第に勢いを増す炎の中に、おぞましい姿が浮かび上がった。
 背中に翼を生やした魔物だ。ジ・アースのインプに似ているが、ずっと大きな人間サイズだ。ジ・アースにもこれに似たデビルがいて、ネルガルと呼ばれている。以前、黒い犬に化けてマリーネ姫に近づこうとしたのがこの魔物だ。
「影で動いたのはお前達だろう。諸悪の根源、斬らせてもらう!」
 魔力を帯びた剣でアトスが打ちかかるや、炎が勢いを増してアトスに襲いかかる。同時に魔物の姿がすうっと消え、後にはだみ声だけが残る。
「ここで死ぬのはおまえ達だ! 我等、カオスの魔物にとって、炎など痛くも痒くもない。だが人間どもよ、おまえ達は違う!」
 燃え盛る炎のせいで、周囲の空気がひどく息苦しいものになっている。長く留まれば命も危うくなる。
「たとえ姿を消しても無駄! 全てお見通しです!」
 魔法で魔物の位置を突き止めたアトスは、魔物に色つけタマゴを投げつけた。
 ぐしゃ! タマゴは透明化した魔物に当たって潰れ、中から流れ出た絵の具が透明な魔物に印を付けた。
「今です!」
 絵の具の印に向かって、リュドミラが同時に3本の矢を放つ。その矢はジーザスの祝福が込められたホーリーアローだ。
「ぐああ!」
 聖なる力がダメージを増幅し、魔物が叫ぶ。
「滅せよ!」
 とどめは魔力を帯びたアトスの剣。
「ぎゃあああああっ!!」
 魔物は断末魔を上げて絶命し、その体は灰と化して消滅した。
 焔もまとわりつく子鬼どもをうち払い、2本目の『富士の名水』を取り出して、中味を一気に飲み干した。魔力が回復するや、プットアウトのスクロール魔法を発動。炎は消えたが広間には煙が充満し、あちこちに人質が倒れている。
「早く、皆を外へ!」
 麟太郎が人質を外に誘導するが、歩ける者が全てではない。
「待って!」
 焔が警告する。
「人質の中に敵が!」
「え!?」
 リヴィールエネミーのスクロール魔法を使った焔の目には、人質の中に潜む幾つもの青白く光る影が映っていたのだ。
「麟太郎、危ない!」 
 セシリアが叫ぶのと、手に手にナイフを持った者達が人質の中から飛び出してきたのとは、ほとんど同時。だが、麟太郎を狙った襲撃者たちはセシリアのサンソードで峰打ちをくらい、すぐに全員が地に倒れた。
「あれを!」
 ピノが東館を指さす。東館の北側にある物見の楼閣に、女が立っている。怨恨の悪女マラディアだ。
「やはり、あの女の仕業でしたか」
 ピノは女との距離を目測する。十分に魔法が届く距離だ。
「インプにグレムリンにネルガルもどき、最後は魔物憑きですか。そのものズバリではなくても本当に良く似ている」
 ピノのその言葉が聞こえたか、女は挑発するように叫ぶ。
「呪わしき血を引くマリーネに伝えよ! おまえの本当の苦しみはこれからだとな!」
 ピノは怯まなかった。
「ジ・アースでもこちらの世界でも私から贈るのはいつも同じものだ。私の心尽くし、その身で受け取るがいい。滅せよ!」
 ブラックホーリーの魔法を放つピノ。
「うっ‥‥!」
 聖なる力に打たれ、楼閣に立つマラディアがよろめく。
「あれは何だ!?」
 仲間が叫ぶのと同時に、ピノは見た。自分の頭上を飛び越え、楼閣に横付けとなったゴーレムグライダーを。
 マラディアがグライダーの後部座席に飛び乗り、ホバリングしていたグライダーは急発進。
「マラディアが逃げるぞ!」
「カベルネ、頼みます!」
 ピノはスモールホルスに呼びかけるが、スモールホルスは首を振る。その飛行速度ではグライダーに追いつけない。グライダーは東に向かって飛び続け、やがて冒険者たちの視界から消えた。

●救護所にて
 本館で煙に巻かれて意識を失った者達が、ゾーラクが設営した救護所に次々と運び込まれる。付けられたトリアージタッグ(認識票)は緊急を示す赤。
「一酸化炭素中毒の恐れがあります! 至急、人工呼吸を!」
 ゾーラク配下の医療兵たちが、ゾーラクと一緒になって懸命に人工呼吸を施す。救出が早かったお陰で大多数の者たちは命を取り留めたが、中には帰らぬ人となった者もいた。
 もちろん、戦いで負傷した者たちも救護所に運ばれてくる。
「使えるポーションは全て使います。それから‥‥」
 指示を飛ばすうちに、ゾーラクは眩暈を覚えた。疲労がだいぶ溜まっているようだ。
 領主館から連れ出されたアネット男爵も、今は救護所にいる。
「プレゼントと言うのも何だが、これを受け取ってくれ」
 見舞いに来たオラースが男爵に手渡したのは『赤き愛の石』。
「早く元気になって、娘くらい幸せにしてやれよ!」
 そう言って立ち去りかけたオラースの耳に、男爵の呟きが聞こえた。
「あれは‥‥私の娘ではない‥‥」

●治療院分院の明日
 人質救出後、セデュースは物資の手配などを手伝い、全ての仕事が終わった時にはもう夜中だった。今、セデュースは救護所でゾーラクと話し中。
「さて。人質たちは実際に男爵が必要とする労働力よりも、かなり過大に集められていたと思われますが、このままアネット家で雇用が続けられるのでしょうか? それとも解雇するなり、引き取り手を探す必要があるのでしょうか? 緘口令のことを考えれば、アネット家で抱え込むのが望ましいのですが‥‥」
 その箝口令にしたって、いつまで秘密を保てるかは分からない。いざとなればセデュースは、アネット家を守るために嘘を広める覚悟もあるけれど。
「保護した少年少女に身寄りがなければ、私が身元引受人になりましょう」
 と、ゾーラクは言う。
「このことで後日、エーロン王と直談判しなければなりませんが」
 だがゾーラクより先に、エーロン王と直談判した冒険者たちがいた。焔とリュドミラである。
「ゾーラクさんと言う方一人が、治療院分院での全ての作業を背負うのが当然という事に驚きました。領地を与える等安定収入がないと、あの方も分院も倒れます」
 言いたいことをあけすけに口に出す焔に、エーロン王は不機嫌さを隠さない。
「リュドミラ、おまえも同意見か? 報告書を読ませろ」
「御意」
 用意した報告書をリュドミラはエーロン王に提出。それに目を通した王の表情が、ますます険しくなる。構わずリュドミラは王に告げた。報告書の内容そのままに。
「治療院分院の現状ですが、毎回の合戦に必要な費用200Gの出費に加え、救護所設置、医療兵の派遣等の作業を全てゾーラク一人が負担しています。恐ろしい事に、彼女だけが毎回負担を背負い、身銭を削る事を周囲は当然視しています。このままでは彼女は、いずれ全てを冒険者とフォロの為に絞り尽くされます。何処かの領地を与え安定した収入が得られるよう、何卒善処の程をお願い申し上げます」
 そこまで言うと、リュドミラは焔と共に黙してエーロン王の言葉を待つ。事と次第によっては、焔は自分の首を差し出す覚悟も出来ていた。
 エーロン王の答は短いものだった。
「この件に関しては、早急に決着をつける。2人とも下がれ」