●リプレイ本文
●
海をわたる風には、すでに秋の匂いが含まれているようであった。
「‥父御が眼前で妖と化したとあっては、心穏やかには居れぬであろうな‥。何が敵で何が味方か、見失っておられなければ良いのだが」
光の斑を煌かせる海面を眺めつつ、一人の男が呟いた。
端正な面立ちの、それでいて意志の強さを窺わせる相貌。木賊真崎(ea3988)。冒険者だ。
「木賊さんも、この依頼を受けられたのは初めてなのですね」
「うん?」
静かな、しかしよく通る声に真崎は振り向いた。そして破顔した。
「所所楽林檎(eb1555)。確か所所楽も初めてだったな」
「はい」
林檎は肯いた。
さらりと揺れる白髪。それは一見儚げだ。が、すらりと立つ林檎の身にはただ冷厳なる気流のみまとわりついて。
「関わりはじめたばかりだからこそ、見えるものがあると思い、依頼をお受けしました」
「でも」
足音が響く。ともに花の香りがした。
現れたのは娘だ。陽光に煌く髪は林檎のものよりより眩しい。ステラ・デュナミス(eb2099)である。
でも、ともう一度ステラは繰り返した。
「通倚さんは利用させてもらうわ。ようやく得た足がかりだもの」
「ふむ」
真崎はまじまじとステラを見返した。
ステラはエルフによく見られるように繊細可憐な娘だ。そのステラの口から、そのような冷淡ともとれる言葉が発せられるとは思わなかったのだ。
が、よくよく考えてみればステラもまた不羈奔放たる冒険者だ。それも、かなりの実力を備えた。ただの手弱女であるはずがなかった。
ステラが小首を傾げた。
「私の顔に何かついてる?」
「いいや」
真崎は苦笑した。
冒険者である女は、どうも外見で判断ができぬので困る。優しげな林檎にしてからが並みの男では手に負えまい。相手ができるとするなら、あの度外れた弟くらいのものか。
「あの‥‥あたしの顔に何かついているのですか」
「いいや」
真崎は再び苦笑した。
●
船が港に着いたのは京を発してから四日目の朝であった。すでに港は陽光に照らされ、白く輝いている。
六人の冒険者が港に降り立った時、一人の男が歩み寄ってきた。
「もしや冒険者の方々ではありませぬか」
「そうですが」
答えたのは異国人だ。褐色の肌と金茶の瞳をもつ流麗な美男子である。
「ルーフィン・ルクセンベール(eb5668)といいます。君は?」
「村井石之助と申します。主、平岡通倚の命により、冒険者の方々をお迎えに参りました」
「それはありがたい」
ルーフィンが微笑みを返した。
刹那だ。ひゅっと風を切る音がした。
同時に人影が動いた。かすめて銀光が流れる。地に落ちたそれは小柄であった。
それを見届けるまでもなく、人影が地を蹴った。陽光に浮かび上がったその姿は人のそれではない。河童だ。
彼の眼は小柄の投擲者をとらえていた。
娘である。人に紛れるようにして逃走を図っていた。
河童の疾走速度があがった。
忍法、疾走の術。疾風と変じた彼から逃れうる者がいるとは思えない。
が――
河童は足をとめた。娘の姿が見当たらない。
「そんなはずは――」
河童が周囲を見回した。その視線が一点でとまる。
林の中に人が横たわっていた。寝ているのではない。どうやら骸だ。
その顔をあらため、河童は踵を返した。
「磯城弥魁厳(eb5249)」
戻ってきた河童を見とめ、六人目の冒険者である所所楽柳(eb2918)が声をあげた。
「襲撃者は捕らえたのか」
「いいや」
魁厳はかぶりを振ると、村井に歩み寄っていった。そしてセイクリッド・ダガーの刃を突きつけた。
「な、何をなされる!?」
「とは、こちらの台詞じゃ。林の中で殺されておった者が、どうしてこの場にいる? うぬは何者じゃ」
「な、何のことでござるか」
「とぼけても無駄よ」
ステラが歩み出た。
「私にはあなたの正体が見える。妖狸さん。私達に接近して何をたくらんでいたの」
「殺すつもりですね」
林檎が云った。妖狸の心を読んだのだ。
「命じたのは狗神」
「くわっ」
村井――に化けた妖狸が飛び退った。人間とは思えぬ迅さと身軽さで。一気に魁厳との間合いを数間にあける。
妖狸の胸を矢が貫いた。追ったのはルーフィンの矢だ。
見事に心臓を射抜いている。いや、見事といってよいか、どうか。
本当のところ、ルーフィンは逃走を阻止する目的で矢を放った。が、常人を超える速射を行ったために狙いが微妙に狂い、妖狸の心臓を射止めてしまったのだ。
「しくじりましたね」
妖狸の骸からルーフィンは矢を引き抜いた。
「しかし当面の敵はわかった」
柳の瞳がじっとルーフィンを見た。ルーフィンもまた柳を見つめ返し、
「狗神、ですか」
ぽつりと呟いた。どこか楽しげに。
●
伊予、浮穴郡。
荏原城。
城主である平岡通倚がよほど待ちかねていたのか、冒険者達はすぐに対面の場へと案内された。
「これは‥‥」
呻いたのは柳だ。
彼女は通倚の顔を知らぬ。が、それでも初めて見る通倚の顔はどうだ。異様にやつれている。
「通倚様」
柳が口を開いた。以前伊予に潜入した際に狸に関しての芸を披露したことを告げる。そして役人に捕らえられたことも。
「役人、じゃと?」
通倚は絶句した。もしや松山城下の役人までもが妖狸が変じているのではと危惧したのだ。
「はい。それでひとつお尋ねしたいことが。通倚様が奥におられた際、城の采配をされていたのはどなたですか」
柳が問うた。すると通倚は傍らに座した一人の老武士に眼をむけた。
「桑原主善じゃ。主善がすべてを取り仕切っておる」
柳がステラを見た。ステラが頷く。妖狸の変化ではないということだ。
しかし、と真崎は思った。迎えの者が始末され、妖狸が成り代わっていたということはどこかから情報がもれていたということだ。
その懸念を告げると通倚は顔色を変えた。
「馬鹿な。わしは極秘裏に命じたはず。主善、このことを知るは其方と誰じゃ」
「目付けの沢田小平次でござります」
「沢田? よし、沢田を呼べ」
通倚が命じると、主善が退席した。ややあって戻ったきた主善は狼狽の相を浮かべていた。
「沢田の姿が見当たりませぬ。今朝は城に登っておらぬとのことでござります」
「ぬうう」
通倚が歯を噛みならせた。おそらく沢田小平次は妖狸の成り代わりであったのだろう。いったい妖狸はどこまで伊予松山藩に入り込んでいるのであろうか。底が知れなかった。
いや――
通倚は冒険者達にぎらつく眼をむけた。
冒険者と名乗り推参してきてはいるものの、果たして本当にそうか。もしやこの者達もまた妖狸の成り代わりであり、誘き出そうとしてるのではないか。
「通倚様」
真崎が声を発した。そして右腰におとした帯刀に右腕を添え、その右腕を左手で封じた。
「其方‥‥」
通倚がいからせていた肩をおとした。
通倚とて武士だ。武士の礼がわからぬはずはない。わからぬとすれば、それは妖狸であろう。
「木賊と申したな。其方にはわしの側にあってもらいたい」
「御意」
真崎は深々と頭をさげた。
五人の冒険者が通倚と対面して時よりやや後、魁厳の姿は松山城下はずれの屋敷近くにあった。
家老津島玄蕃の別邸である。
魁厳は軽々と塀を乗り越えると、屋敷の庭に降り立った。庭木の陰に身を潜め、鼻をひくつかせる。屋敷の住人の体臭を確かめるためだ。
が、この時、魁厳は失念していた。
彼が敵の体臭を嗅げるとするならば、敵もまた彼の体臭を嗅げるということに。そして、敵の方が遥かに臭覚が優れているということを。
「曲者!」
絶叫が響いた。
「むっ」
魁厳が塀に飛びついた。彼の眼は、廊下を走る侍達の姿をとらえている。
「あそこだ」
一人の侍が叫んだ。その響きが消えぬ間に、魁厳はひらりと塀のむこうに姿を消した。
●
林檎のデティクトライフフォースにより警戒しつつ、通倚と冒険者達は松山城下に入った。他の護衛の侍達はすでにステラにより安全確認は済ませてある。
そして津島玄蕃の別邸。まず現れたのは津島家家人中野又左衛門と名乗る老武士であった。
「お待ちを」
中野が冒険者と供の侍をとめた。
「供の方々は別室にてお待ちいただきます」
「いや、それは」
通倚がぎくりとして足をとめた。
「私は只今病を患っております。そこな娘」
通倚が林檎に眼をむけた。
「所所楽林檎と申しまするが、私の主治医でございます。ご家老にお見苦しき姿
を見せぬため、何卒末席にての供をお許しいただきたい」
「主治医?」
中野がいぶかしげに林檎を見た。一瞬鼻をひくつかせたのを林檎は見逃さない。
そして――
ステラは見た。中野の正体を。やはり妖狸だ。
「よくもぬけぬけと」
ステラは独語した。
しかし、どうするか。ステラは思案した。
中野の正体を糾弾して、果たしてどうなるか。中野は正体を顕さぬであろうし、ミラーオブトルースに証拠能力はない。津島玄蕃が人間であったとしても乱心として処理されかねない。
ステラが目配せすると真崎が頷いた。
通倚の父である房実に化けていた妖狸が逃れ、そして真実を知る通倚への此度の呼び出し。怪しいとは思っていたが――
「よろしかろう」
意外なことに中野が承諾した。
●
同じ時、ルーフィンは屋敷の玄関先にいた。屋敷内に入り、弓を手放さぬためである。
その時、狐のものに似た声がした。塀の外に潜む魁厳の発するものだ。
当初、魁厳は仲間とわかれて高松藩にむかうつもりであった。伊予の現状を告げ、同時に通倚の保護を願い出ようとしていたのだ。が、日数が足りなかった。
ルーフィンはふらりと裏に足をむけた。見張りの者の気をひくために。
●
奥座敷。
そこに三人の男女が対座していた。通倚、やや後方に林檎、そして津島玄蕃である。
「よくぞ参られた。病と聞いたが、身体の具合はいかがかな」
玄蕃が問うた。通倚は頭を下げると、
「お心遣い、忝く。それよりもご家老にはお耳に入れたき大事あり」
「大事?」
「はッ」
通倚は決死の相をむけた。そして告げた。彼の身に起こった異常事の全てを。
玄蕃はじっと林檎を見つめつつ聞き入っていた。さすがにこれではリードシンキングは発呪できぬ。
やがて玄蕃は眼を通倚に転じた。
「妖狸が房実殿に化けていた、と?」
「はッ。私がこの眼でしかと」
「うむ、わかった」
玄蕃が立ち上がった。それを眼で追い、
「やっ! ご信じいただけるか」
「うむ。なんせ、ここにはその房実殿がおられるからのう」
玄蕃がニタリとした。
刹那である。屏風が倒れた。
その背後に一人の武士が座しているのが見える。顔を一目見るなり、通倚は呻いた。
「う、うぬは」
「通倚、久しぶりじゃのう」
房実が襲いかかった。口から刃のような牙を覗かせて。
「ギャッ!」
獣のような声は房実の口からあがった。見えぬ結界にはじかれた為である。
「ほほう」
玄蕃の眼が血色に光った。
「女。‥‥貴様、術師であったかよ」
「ふん!」
林檎が再びホーリーフィールドを展開した。一瞬後、見えぬ何かが炸裂した。
「やるな、女」
「きゃあ!」
林檎の口から悲鳴が迸り出た。彼女の足元の影が爆発し、衣服が千切れ飛んでいる。
「我ら二人の攻撃から逃れられるものかよ」
玄蕃がくつくつと笑った。
●
林檎の叫ぶ声を耳にし、別室に控えていた冒険者達が立ち上がった。戸を蹴破り、廊下に飛び出す。冒険者達の足がとまった。
見よ、廊下を埋め尽くす異形の群れを。これでは突破は難しい。
「私がやるわ」
ステラの繊手がのび、氷嵐を呼んだ。なんでたまろう。妖狸どもが凍てついてゆく。が――
蜘蛛のように天井を這っていた妖狸が魔影と化してステラの前に舞い降りた。
「あっ」
ステラがよろめいた。衣服が裂け、乳房がえぐりとられている。
血塗れた爪を、ぞろりと妖狸が舐めあげた。
●
林檎の悲鳴をルーフィンと魁厳も聞いた。
ルーフィンが庭にむかって駆け出す。が、半人半獣の姿をさらけだした妖狸どもによって行く手を阻まれ、庭にはたどり着けない。
魁厳も救出にむかうべく塀を躍り越えようとし――
「待て」
「うぬは!」
呼びとめる声に振り返り、魁厳は反射的にセイクリッド・ダガーを抜いた。声の主が港で見た娘であったからだ。
「やるか」
「そんなことを云っている場合ではない」
娘が手をあげた。
「仲間が危ないんだろう。助けてやる。これを使え」
女が眼で示した。それは油のつまった樽であった。
●
房実が牙をむいた。
「通倚、父が引導をわたしてやる。冥土で梨花が待っているぞ」
「ぬかせ」
通倚が歯軋りした。
その時、林檎は玄蕃の顔に狼狽の色が滲んでいることに気づいた。何が起こっているのかはわからないが、機会は今しかない。
「通倚様」
ブラックホーリーを房実に叩きこみ、林檎は通倚を促して中庭に逃れ出た。
「姉さん!」
呼ぶ声は柳だ。同じように中庭に逃れ出たものらしい。
「何が――」
「誰かが――おそらくは魁厳だろう。火をつけたようだ」
「こっちだ」
ルーフィンの声が響く。不思議と妖狸の姿はない。何故かはわからないが、火を消すのにおおわらわとなっているようだ。
冒険者達が外にむかった駆け出した。
「逃さぬ」
妖狸の本性を現した房実が追いすがった。三本の尾が魔性の証であるかのように翻る。
と、その前に供の侍達が立ちはだかった。
「通倚様を頼む!」
一人の侍が背で叫んだ。
●
通倚の身に蛍火を鍛えたかのような矢が突き刺さった。
はっと振り返った冒険者の視線の先、異形の姿が空に浮かんでいる。房実に化けた妖狸だ。
妖狸の獣の口がきゅっと歪んだ。
「供の侍ども、今頃は化け狸どもによって皆殺しになっておろう。次はうぬらだ」
「ヤナ」
ルーフィンが弓を手にした。
「ヤナは通倚さんを護りつつ先に行ってくださいね」
「ルーフィン、何を――」
云いかけた柳の唇をルーフィンのそれが塞いだ。
「愛する人に少しの傷も付いて欲しくないんですよ。少しは格好をつけさせてください」
云い残すと、ルーフィンは背をむけた。
「さあ、やりましょうか」
「ほざくなよ、人間」
ルーフィンと妖狸がむかいあった。地と空で。
一瞬、ルーフィンの手がぼやけて見えた。それほどの素早さで彼は矢を番えた。
矢が飛ぶ。二矢が交差した。一方は正義の、そして一方は魔性の。
矢が妖狸の脇に突き刺さった。同時にルーフィンの身にもムーンアローがぶち込まれている。
「まだだ」
「死ねい」
再び矢が交差した。
●
通倚は冒険者の言に従い、伊予から一旦逃れるべく松山城下に潜む讃岐藩隠密と接触、讃岐に逃れた。
ルーフィンは戻らない。闇に紛れて探しにむかった魁厳は骸となったルーフィンを発見する。道端にぼろ雑巾のように捨てられていた。
「許さぬ」
ルーフィンを担ぎ上げると、魁厳は通倚に紹介された寺へと急いだ。