●リプレイ本文
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「き、貴殿は!?」
依頼人の顔を一目見て、磯城弥魁厳(eb5249)は絶句した。
芝という娘。魁厳には見覚えがある。
どれほど前であったか。伊予を訪れた際に手助けしてくれた娘だ。
「貴殿、何者じゃ? 我らの命を狙ったかと思えば、助けてくれたが‥‥」
「命を狙ったのではないわ」
芝は答えた。どこか悪戯っ子のような笑みを浮かべて、
「津島玄蕃の手下から守ってあげたのよ」
「ううむ」
魁厳はうなった。素直には信じられぬが、事実としては芝の云う通りだ。少なくとも妖狸の仲間ではなさそうであった。
困惑の態の魁厳を覗き込むと、芝はさらに笑みを深くした。
「お前たちならと思ってね。頼りにしているわ」
銀光の斑を散らす海原をゆく船があった。
大阪と伊予をむすぶ千石船である。
その船の上、一人の老女の姿があった。
蜻蛉のものに似た羽根もつ女性。ヴァンアーブル・ムージョ(eb4646)である。
「何だか楽しそうだね」
よく通る声がした。
振り向いたヴァンアーブルは、そこに混血の娘を見出した。
印象はヴァンアーブルに似ている。どこか人とは違う美しさを滲ませていた。
アン・シュヴァリエ(ec0205)。イスパニア王国の神聖騎士である。
「にこにこしてる」
「そうなのか、だわ」
ヴァンアーブルは表情を引き締めた。知らず本音がもれていたのかもしれない。
「妖狸? ――のことは気にかかるけれど、はじめての四国は楽しみなのだわ」
「うん、四国はいいよ。でもちよっと京からは遠いけれどね」
夢見るような、しかしどこか寂とした眼をアンは海原にむけた。
その視線に気づき、ヴァンアーブルは小首を傾げた。
「どうかしたのかだわ」
「‥‥ちょっとね」
アンは言葉を濁した。その脳裏にあるのは、今は遠くに去った人のことである。
平手造酒。新撰組十一番隊組長に、どこかアンは思慕にも似た感情を抱いていたのであった。
「好きな人のことなのだわ」
「好き? うーん」
今度はアンは首を傾げた。
確かに好きは好きだが、男女のそれとは違う。それでも江戸まで訪ねていこうと決めている彼女であった。
アンはちらりと視線をはしらせた。芝と名乗る娘にむかって。
「何者なんだろ。お祖父さんが妖狸につかまっているなんて」
「何か理由があるのは確かだ」
歩み寄りつつあった侍が云った。
地と風、緑と蒼の志士。木賊真崎(ea3988)である。
「理由?」
「ああ。妖狸が狙っているのだ。理由がないはずはあるまい」
真崎が云った。
その真崎からやや離れたところ。
「戦になる」
薄く微笑みつつ、褐色の肌の美青年は傍らに立つ所所楽柳(eb2918)を見遣った。
月詠葵の報せでは、京における伊予松島藩邸において不穏の動きがある。何か大きな動きがあるに違いはなかった。
そうだな、と静かな声音で答え、柳は髪を結い続ける。ルーフィン・ルクセンベール(eb5668)の想いは痛いほどわかっていた。
ルーフィンは柳を愛している。柳が傷つくことを何よりも恐れているはずだ。
が、それでも柳はゆかねばならない。彼女は冒険者であるが故に。それが柳の選んだ道である故に。
ならば、とルーフィンは思うのだ。愛する者を命かけて守ろうと。それがルーフィンの選んだ道であった。
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冒険者達は伊予に入った。ヴァンアーブルのムーンシャドゥのおかげでさしたる騒動もなく。後は芝の案内で松山城下へ。
そして――
津島玄蕃別邸。
中天にかかった銀色の月はすでに傾いている。闇はいっそう黒々と地を塗りこめていた。
と、別邸の木戸が開いた。二人の侍が姿をみせる。どうやら見回りであるらしい。
「ぬっ」
突然、二人の侍が足をとめた。そして鋭い眼を闇に据えた。
「ひそみおる奴、何者だ!」
「‥‥」
音もなく影が動いた。月光に浮かび上がったその姿は――おお、河童だ。魁厳である。
その反応速度は視認できぬほど俊敏であるが、しかし内心魁厳は臍をかんでいた。
魁厳の隠密能力は達人の域にある。が、敵は妖狸。臭覚は人の領域を遥かにこえている。
その事実を魁厳は失念していた。その己の迂闊さに怒りを覚えつつ、しかし冷えた手並みで魁厳は襲った。
次の瞬間である。ずるずると一人の侍が魁厳の手の中で崩折れた。
「お、おのれ!」
残る侍が絶叫した。が、その叫びの響きが消えぬ間に侍の身がよろけた。飛来した硬珠のようなものに叩きのめされたのだ。それがステラ・デュナミス(eb2099)の放ったウォーターボムであることはしぶく水飛沫によってわかった。
「くおっ」
苦鳴のようなものが侍の口からあがった。まだ息はある。最高の威力を込めたとしてもウォーターボムで致命の一撃を与えることは不可能であったからだ。
が、すぐさま侍は沈黙した。棒立ちになった侍の首筋にマグナの手刀が突き刺さっている。
と――
ぐおん、と空気がうねった。
津島玄蕃別邸内において気配がわきおこっている。気づかれたのだ。
アンは侍の上に伏せていた顔をあげた。
「太三郎さんの居所はわかったよ」
リードシンキング。アンは対手の表層意識を読み取ることができる。
マグナ・アドミラル(ea4868)が、その巌のような体躯をわずかにゆらせた。
「どこだ?」
「屋敷の中の地下牢だよ」
「地下牢?」
真崎が眉をひそめた。
何かが彼の胸にひっかかっていた。重要なことを見落としているような気がする。
その時、屋敷内から物音が響いてきた。思考を途切れさせると、真崎は顔をあげた。
「もはや時がない。ゆくぞ」
「では」
ルーフィンが矢を番えた。放つ。剛い矢が炎の尾をひきつつ飛んだ。
ちら、とアンは眼をあげた。夜空を背に舞う鳥の姿が見える。
アンネローゼ。霊鳥が油を撒く段取りとなっていた。
「用意するのだわ」
真崎、 ステラ、アンを見渡し、ヴァンアーブルは印を結んだ。
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屋敷から飛び出してきた侍達がたたらを踏んだ。突如、彼らの眼前に三つの人影が現出したからだ。それはまるで地から浮かび上がってきたように見えた。
何者か――いうまでもなく真崎、 ステラ、アンの三人である。
「あっ、うぬらは!」
一人の侍が声をあげた。真崎とステラの顔、というより臭いを覚えていたのだ。
「久しぶりだな」
真崎が手をのばした。瞬時にして大地よりくみ上げられた精霊力が真崎の霊的回路を循環し、破壊的熱量へと変換され、彼の手に凝縮された。
「ふん!」
熱量解放。が――
何も起こらない。呪文発動に失敗したのだ。
チッ、という真崎の舌打ちの音を殺到する侍達の足音が消した。
「死ね!」
「誰が!」
叫び返したのはステラだ。まるで何かを掴み取ろうとでもしているかのように手をのばす。
その手に渦が現れた。白い霧のようなものが旋回している。
次の瞬間だ。渦が吼えた。呪的に変換圧縮された氷嵐が侍達を襲う。
「うっ」
侍達が足をとめた。まるで雪にまみれたかのように彼らの表層が凍りつき始めている。侍達はただ真っ白な悪夢の中で乳房をゆらしつつ立つ魔女の姿を見た。
「ええい、散れ!」
侍が怒号を発した。
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屋敷の表で混乱の響きが轟いてややあった頃、裏手の物陰に五つの人影が現出した。
マグナ、柳、ヴァンアーブル、魁厳と芝である。
空気が灼けていた。光が揺れている。あちこちで炎が燃え上がっているのだ。
その炎のために風がうねっていた。これでは風向きはつかめない。とはいえ煙臭で侵入者の体臭を嗅ぎ取ることも困難であろう。
マグナは漆黒の勾玉を握り締めた。同時にインビジビリティリングの効果発動。マグナの気配と姿が瞬時にして消失した。
「ゆくぞ」
濡らした手ぬぐいで鼻口を覆った柳が足を踏み出した。熱波が吹きつけてくるがステラのレジストファイアーを施呪されているのでたいしたことはない。そして柳は屋敷の内部構造についておおよその見当はつけていた。
冒険者達は屋敷内に足を踏み入れた。表の騒動におびき出されているのか、内部には思ったほどの人影はない。
それでも時折妖狸の襲撃を受けた。が、単体での妖狸など冒険者の敵たりえない。
ヴァンアーブルのムーンフィールドで防護、マグナの隠身での攻撃によりたちまち妖狸の屍の山が築かれていく。
が――
地下牢のある奥部屋に辿り着き、さすがに冒険者達の足はとまった。
そこには思いもかけぬほどの数の妖狸どもの姿があった。
その数は三。そして他に一人――
「きさまは」
柳の眼に紅蓮の炎が燃え上がった。
彼女の前に立つその者こそ、愛するルーフィンを傷つけた仇敵――
「またもうぬらか」
津島玄蕃がニヤリとした。
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侍達が襲った。すでに相貌は獣のそれと化し、動きも人のものではなかった。
迅い。それは常人ではとらえきれるほどのものだ。
が、冒険者は常人ではない。真崎の中条流の太刀が疾った。
散る血飛沫。が、浅い。達人の域に達せぬ真崎の剣では致命の一撃を与えることは不可能であった。
ホルス――ステラのレグルスが舞う暗夜の空に妖狸の影が躍りあがった。刃のように煌くのは牙と爪である。
「はっ」
ステラの唇から鋭い呼気がもれた。
豪と吼える。白の嵐が。
が、とまらない。加速をつけた妖狸は殺戮の権化と化してステラを襲う。
稲妻がはしった――ように見えた。まるで雷に撃たれたかのように妖狸がはじき飛ばされている。
ステラの前に小柄の人影があった。夜目にも美しく碧の瞳が輝いている。アンだ。
アンは悪戯っ子のように笑った。
「だめだよ。ステラと遊びたいなら、私を通してくれなくちゃ」
「ぬかせ」
何の予備動作もみせずに妖狸が跳躍した。一気にアンとの間合いを詰める。
「だめだめ」
アンは再びホーリーフィールドを展開させた。
と、妖狸は軽々とアンを飛び越した。地に着くなり反転し、ステラに牙をむく。
その妖狸の口腔に異様なものが現出していた。
矢だ。一本の矢が後頭部から妖狸を射抜いているのであった。
はっと上げたステラの眼に、塀外の樹上にひそむ影が映った。ルーフィンである。
「さあて」
次々と矢を放ちつつ、ルーフィンはちらと屋敷裏手に視線を飛ばした。
「ヤナ。無事に戻ってきてくださいよ」
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何故――という疑問はすぐに氷解した。
ここに太三郎がとらわれている以上、玄蕃の姿があって当然だ。妖狸は炎を恐れていたのではない。太三郎をとらえていたために混乱していたのだ。
すなわち、冒険者は自ら敵の首魁を招いてしまったことになる。
「どいてもらおう」
妙なる、そして冷酷な響きは柳のふるう鉄笛からした。
玄蕃が飛び退る。一瞬後、玄蕃のいた空間を衝撃波が疾りぬけた。
「今だ」
「承知」
素早く反応したのは魁厳だ。地下牢への隠し扉のある床の間への空間が開いているのを見極め、駆ける。
「芝殿、早く」
「芝?」
玄蕃が一瞬眉をひそめ、次の瞬間には忌々しげに口をゆがめた。
「そうか。貴様か、芝右衛門」
「黙れ」
芝が叫び、魁厳が開けた地下牢への入り口に飛び込む。それにヴァンアーブル、柳が続く。
そうはさせじとばかりに玄蕃が走り寄ろうとして――突如、横にはねとんだ。
「いるな、そこに」
玄蕃の鋭い視線が空を薙いではしった。
「姿を消しているようだが、我らの鼻は誤魔化せぬ」
「さすがだ」
声は空から響いた。それはマグナのものであった。
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冒険者達は階段を飛ぶように駆け下りた。すぐ先に牢が見える。中に一人の老人が横たわっていた。
「芝殿、太三郎殿か?」
魁厳が問うと、芝は眼を眇め、鼻をひくつかせた。
「うん、多分」
「よし」
魁厳が牢を開け放った。錠前がとりつけられているが、魁厳ほどの忍びにとってはさしたることもない。
駆け寄ると、魁厳は太三郎を抱き起こした。
「助けにまいりましたぞ」
「それは――すまぬなぁ」
ニタリとすると、老人が魁厳の胸を手にした短刀で刺し貫いた。そのまま心臓をえぐる。
「なっ」
「馬鹿め」
老人の顔が一瞬にして変化した。太三郎殿の顔から房実のそれに。
「そ、そんな。臭いは確かに」
呻き、はたと芝は気づいた。房実のまとっているものが太三郎殿の着物であることに。
「太三郎様はどこに」
「そこよ」
房実がどんと足を踏み鳴らした。すると牢内の片隅におかれていた屏風が倒れた。
そこに、いた。棒のように横たわった老人――太三郎が。
「いるとわかっても、正確な位置まではつかめまい」
マグナの声が響いた。が、玄蕃の顔に浮かんだのは嘲弄の笑みだ。
「そうかな、人間」
「ぬっ」
愕然たるマグナの声は空間から――漆黒の闇の中で発せられた。
シャドゥフィールド。呪的暗黒空間だ。
「これでうぬも我らも姿は見えぬ。同じ見えぬのなら我らの方が有利」
ニンマリすると、玄蕃は襲った。
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柳が飛ぶ。一瞬にして距離を詰めると太三郎を助け起こした。
「これは」
柳が眼を瞠った。
太三郎は動けぬようだが、それは縄で縛られているのではない。太三郎を呪縛しているのは毛であった。
芝が叫んだ。
「切ってくれ。あんたらにはできるはず」
「させぬ」
魁厳を突き飛ばし、房実が柳めがけて飛びかかった。
阻止しようとしてヴァンアーブルは立ちすくんだ。ここには月の光がない。
あっ、という声は、しかし房実の口から発せられた。
房実の足をがっしと掴んでいる者がいる。魁厳だ。
「させぬのは、こちらの台詞じゃ」
魁厳は云った。わざわざ情報をもたらしてくれた雀尾嵐淡に再び会うまでは死ぬわけにはいかない。
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冒険者達は階段を駆け上がった。
魁厳を残したが、彼には微塵隠れがある。何とかするだろう。
室内に戻り、柳は足をとめた。
闇が室内に満ちている。ねっとりするような濃密な闇が。
「うまくいったか」
と問う声はマグナだ。
「はしれ。道は俺が開く」
豪、と。刃風は木枯らしに似ていた。
それがマグナのソードボンバーと知るより早く、冒険者達は走り出した。庭に出れば闇から逃れられるはずだ。
めきり、と柳の身体が木の板にぶつかった。
雨戸?
柳は渾身の力を込めて戸を蹴破った。そして庭に飛び降り、走る。
突如視界が開けた。月光はこれほど眩しかったか。
「ここなら大丈夫なのだわ」
月光に似た銀光、ふるふると。ヴァンアーブルは仲間とともに跳んだ。
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ヴァンアーブルのムーンシャドゥにより辛くも冒険者達は脱出に成功した。マグナもまた。満身創痍の身となってはいたが。
後になってわかったことだが、魁厳は殺されていた。その死体はルーフィンの時と同じように路傍に捨てられていた。
「太三郎殿」
惨憺たる有様の冒険者のうち、真崎が声をかけたのは芝の案内で森の中に身をひそめた時であった。
「話してはもらえぬだろうか。津島玄蕃が何故あなたを捕らえたのかを」
「津島玄蕃ではない」
死相にも似た顔色で太三郎はかぶりを振った。
「わしをとらえたのは隠神刑部。四国全土を統べる大妖怪よ」