【信康切腹】越後、再び
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■シリーズシナリオ
担当:御言雪乃
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:13 G 3 C
参加人数:8人
サポート参加人数:8人
冒険期間:11月01日〜11月08日
リプレイ公開日:2007年11月07日
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●オープニング
●
「ほお」
感嘆の声がもれた。もらしたのは寒気のするほど美しい若者で。
「白隠を越後に‥‥。冒険者というもの、やるではないか」
「感心している場合ではありませぬ」
声を荒げた者がいる。筋骨隆々たる壮年の男だ。
この時、北条には五色備なる精鋭部隊があった。赤、白、黄、青、黒の五色の鎧で身をかためた故、そう呼称された部隊である。
男はその五色備の一将、黄備の将たる北条綱成であった。
「白隠禅師を同道させるなど‥‥。冒険者如きの好きにさせて良いのでござるか」
「良い」
若者は大輪の薔薇のように笑った。
「この早雲の為、是非とも冒険者には謙信裏切りの謎を解いてもらわねばならぬ。白隠老には越後まででもご足労願おうさ。それに――」
若者――早雲はニヤリとした。
「あの爺さん、やると云い出したならば、俺が止めても止まるまい」
「しかし――」
なおも云い募ろうとする綱成を、早雲は優雅に手をあげて制した。そして傍らに控えた狼を想起させる精気に満ち溢れた少年に眼を転じた。
「九郎。で、越後での冒険者は?」
「謙信の人となりを調べていたようっス」
「人となり、か‥‥」
早雲の黒曜石の瞳がキラリと光った。
「この分では冒険者は再び越後をむかおう。が、此度はそう容易く事は運ぶまい」
「容易くない?」
九郎が小首を傾げた。
「何故っスか?」
「謙信よ」
云って、早雲は面白くたたまらぬように笑った。
「あの謙信が嗅ぎ回る冒険者に気づかぬはずがない。さらには謙信が寝返るとなれば困る者達。彼奴らもきっと動き出すはずだ」
●
早雲が九郎に冒険者の危難を告げた、まさに同じ刻。上州では二人の男が相対していた。
一人は中背の理知的な面差しの青年だ。対するは精悍無比の若者である。
「信康切腹を阻止する為、冒険者が越後へなぁ」
青年が呟いた。その声音は、どこか老成した穏やかな響きすらあった。
「盛清、成ると思うか?」
「もしやすると」
盛清と呼ばれた若者が答えた。名を出浦盛清という。
あの霧隠才蔵をして侮り難しと云わしめた冒険者だ。どれほどの難事といえど、成らぬという保障はない。
「で、あろうなぁ」
腕を組み、青年が眼を閉じた。
彼もまた冒険者を知っている。なかなかの傑物ぞろいと記憶していた。となれば盛清の云う通り、もしという事態も計算にいれねばならないだろう。
「武田と真田の為、謙信寝返りは何としても阻止せねばならない」
眼を閉じたまま青年が云った。武田、上杉、新田、伊達――この四将によって源徳包囲網ともいえる布陣は完成した。この四将が結束してある限り、源徳の江戸奪還は叶うまい。その間に新たな秩序を立てることが出来る。
が、それもこれも四将が反源徳であればこそだ。その一角でも崩れれば、決してその限りではない。
それに、と青年は考える。
謙信寝返り阻止の効果はそれだけではない。謙信寝返りを阻止する事ができれば、それは同時に信康に引導をわたすことにもなるのだ。
青年の見るところ、源徳家康の息子のうち第一の大器は信康である。次男の秀忠に至っては凡庸なる人物であるという風評だ。
その大器が、上手くいけば座しているだけで向こうから地に落ちてくれるのだ。危険の芽は早いうちに摘んでおくに如かず。
青年の眼がゆっくりと開かれた。
「盛清、越後にゆけ」
「越後? 幸村様、では冒険者どもを」
盛清が不敵に笑った。それを満足げに見遣ると、
「そうだ。冒険者ども、謙信に目通りさせてはならぬ。もし謙信に近づくようならば阻止するのだ」
「承知!」
答えると、盛清は勇躍飛び立っていった。ましらのように空に舞い上がったその姿を見遣ると、青年は再び瞑目した。まるで棋譜を前にした棋士であるかのように。
今――
冒険者をめぐって真田幸村が動き出したのであった。
●
そして、今一人――
黄昏に沈む春日山城下を見下ろす漢があった。
やや細身の体躯。が、そのその身を覆う筋肉は強靭な発条を秘めているようである。
そして、その相貌。美と野生を兼ね備えた稀有の相をしている。
さらには印象的なその眼。湖面のように澄んだ瞳は何者によっても曇らされる事はないようだ。
越後国主、上杉謙信。越後の竜と呼ばれる漢である。
「高峰蔵人。冒険者が越後に入り込んでいる、とな?」
「はッ」
謙信の背後。すうと気配がわいた。
「冒険者が殿の事を探りおると、信濃に潜り込ませた軒猿より報せが参りました。さらにトマス・ウェストなる冒険者が城下で嗅ぎまわっておるとも」
「ふっ」
謙信が薄く笑った。
「おそらくは源徳の差し金かと。下知あれば、始末致しまする」
「越後を探るは源徳と限った話ではあるまい。関東は未だ不穏だ、都も落ち着かぬというにな。‥‥蔵人、ぬしは冒険者をどう見る?」
主の問いに、蔵人は少し考えてから答えた。
「さしずめ、騒動に巣食う物の怪の類かと。我らもひとの事は言えませぬが、自儘に金品で荒仕事を引き受け、他家の事情に首を突っ込む性根は好きませぬ」
謙信は首肯した。政宗や義貞には冒険者を抱え込む動きがあるが、上杉家では忠義なき者は不要として今のところその動きはない。江戸からも京都からも遠い事もあり、冒険者には縁遠い土地だった。
「此度は冒険者ら、上杉家の事情に首を突っ込む気か――」
謙信が抜刀した。ぎらりと黄昏の光が刀身にはね、謙信の面に黄金色の光の筋を刻みつける。その反射光と同じ光を謙信は眼にためつつ、
「冒険者が越後に不和をもたらすなら、戦わねばなるまい。まして家康の走狗となる不義の徒が、もし再びこの越後に入ったならば」
謙信が刃を振り下ろした。びゅっと音した一薙ぎは、まさに空間すら斬れたかと見紛うばかりに凄まじく――
「この謙信自ら成敗してくれる」
謙信は云った。そして蔵人に眼をやると、
「軒猿衆を集めよ。越後の要所をはらせるのだ」
●
「どうだ、十兵衛」
木剣を薙ぎ落とし、信康が問うた。満面を汗に濡らしている。
「まだまだ」
縁に腰掛け、ふてぶてしいまでに漢くさい隻眼の若者が答えた。柳生十兵衛である。
「振りが鈍い。それでは、この十兵衛の足元にも及びませんな」
「なにをっ!」
叫びざま、信康が十兵衛めがけ木剣を振り下ろした。が、唸りを発して疾ったそれは、わずかに身動ぎした十兵衛をかすめ、縁に叩きつけられている。
「ほれ、この通り」
十兵衛が天空海闊に笑った。すると信康も可笑しそうに笑い、
「お前にはかなわぬのお」
云って、十兵衛の隣に腰をおろした。
ややあって――
しばらくの沈黙の後、信康が口を開いた。
「十兵衛、冒険者より報せが届いたと聞いたが」
「はい。どうやら調略の手掛かりを得たようです」
「手掛かり!? それは真実か?」
「はい」
十兵衛が頷いた。すると信康は満面を輝かせ、
「それが真実ならば、江戸奪還の目も出てきたということだな」
「ご自身の事より、江戸の事が気にかかりますか?」
十兵衛が苦笑した。すると信康は至極真面目ぶった顔つきで、
「笑うな、十兵衛。もし謙信寝返りが成ると、源徳の息も吹き返せる事になるのだ。これが喜ばずにおれようか」
「信康殿は真から武将でござるなぁ」
十兵衛の苦笑は微笑に変わった。しかし、その隻眼のみには厳しい刃の如き光が浮かんでいる。
もう時がない。間にあうか、冒険者‥‥。
●リプレイ本文
役者めいた端正な顔立ちながら、その漢の眼は歴戦の猛者も震え上がる剣呑さを帯びていた。
越後の竜。上杉謙信である。
彼の手には一枚の紙片がある。今朝、早飛脚――木賊真崎が出した――で届いた文だ。
そこには会見したいとの内容が記されてあった。文主の名は白隠とある。
さすがに信仰心篤い謙信だけあって、その名には聞き覚えがあった――どころではない。あの有名な白隠禅師ならば、こちらが願ってでも会ってみたいところであったのだ。
しかし、会見場所は記されてはいなかった。
●御影一族会議
「総髪の‥よもやあの男じゃあるまいね?」
渡部夕凪(ea9450)の表情が変わった。不動の彼女にしては珍しいことだ。
とはいっても、夕凪は直接その総髪の男を見たわけではない。同じ依頼に参加した者が見かけたというだけだ。
が、どうやらその男は仙台藩ともつながりがあるようである。となれば此度の騒動の因となったとしても合点がゆく。
すると御影一族当主である御影涼はふむと頷き、
「確かに我々がかかわった数多くの事件の裏には、何かしらどこの勢力にも属さぬ暗躍者の影があると感じていた」
「私も同じです」
答えたのは平山弥一郎だ。
「もしやするとその総髪の男、弥一郎殿が刃を交わした侍の仲間かも知れんな。そうであるなら――」
小野麻鳥の眼が、この時キラリと光った。
「真田もからんでくるやも知れん」
「真田‥‥か」
片桐惣助(ea6649)が唇を噛み締めた。
真田と聞いて、伊賀忍である惣助の血が騒がぬはずがない。が、それよりも――
軒猿だ、と惣助は懸念する。トマス・ウェスト(ea8714)の前回の行動を聞いて、あの謙信が眼をつけぬはずはないと彼は思っているのだ。
そうなると此度の越後行、敵は謙信そのものとなる!
●南洋、決意
追分宿を過ぎた辺りの頃だ。白隠を乗せた軍馬秋風をひく空間明衣(eb4994)の後ろで声がした。
鬼も恐れて逃げ出しそうな巨漢。三菱扶桑(ea3874)の声だ。
「さて、いよいよ越後の竜・上杉謙信との会見だ。上手く会えれば良いのだがな」
「二度目はそう容易にはゆかぬだろうねえ」
答えたのは夕凪である。はなはだ不安を誘う物云いだが、彼女の琥珀色の瞳には決然たる光がある。
「‥だが、禅師の御身護り通し我等も越後へ辿り着く。この我侭だけは譲れぬよ」
「とはいえ、な」
云いかけて、大蔵南洋(ec0244)はやめた。
云いたい事聞きたい事は山ほどある。が、全員が無事で謙信のもとへと辿り着けるとは限らぬ。妨害はあると考える方が自然。
南洋は我が身我が命をもって盾となるつもりであった。決して皆を死なせはしない。誰かが生きてあれば、必ず謙信に目通りし、我らの想いを伝えてくれるはずだ。
そして――
一行は上田宿を過ぎ、やがて関川宿にさしかかった。
●攻防、関川宿
関川を渡ったところに関所がある。それを過ぎてしばらく行ったところでの事だ。
「待て」
突如、声をあげた者がいる。長い髪をさらりと背に流した、憎らしいほどふてぶてしい男。南天輝(ea2557)である。
「どうしたの?」
と問うカーラ・オレアリス(eb4802)に、輝は素早く目配せし、
「ヴォーロスの指輪が熱くなってやがる。気をつけろ」
と叫んだ刹那だ。街道脇の樹上からひらりと鴉のように舞い降りて来た者がある。
精悍無比の若者。真田の忍び、出浦盛清である。
一言も発さず、左手で印を結びつつ、盛清は右手を突き出した。次の瞬間、その掌から紅蓮の炎が噴出した。
扇状に広がる焦熱の嵐は避けもかわしもならぬ冒険者を飲み込み――唯一逃れ得たのは高速詠唱でホーリーフィールドを展開させたカーラと、それに守られた白隠のみであった。が、そのホーリーフィールドですらも盛清の火遁により一瞬にして解呪され――他の者はただ炎にまかれているのみ。散ろうにも左右は崖で逃れようもない。できるのは薬水を口に含ませる事だけだ。トマスも自らにリカバーをかけるのが精一杯の業で。
「はっ!」
夕凪の手から銀光が迸り出た。手裏剣だ。
いつもの彼女の業前ならば、盛清に避けられたか、どうか。が、今の夕凪の一投は精彩を欠き――
ひらりと飛びのくと、盛清はさらに炎を冒険者達に浴びせかけた。二射、三射――数人の冒険者は薬水が切れて、もはや動けなくなっている。南洋はカークルシールドで身を守ってはいるが、それも完全ではない。
「‥‥まずい」
明衣が呻いた。仲間の中で、唯一薬水を持っていない者がいるのに気づいたからだ。
惣助。苦痛と空腹の為に発呪もままならず、今や黒焦げ寸前になっている。このままでは死は確実だ。
その時だ。
ずずうと輝が立ち上がった。気に入った男を助ける――その想いが輝に爆発的な力を与えている。
「ええい!」
裂帛の気合が響いた。一瞬後、逆巻く炎に亀裂が走り、見えぬ刃が盛清に突き刺さった。
「今だ!」
最後の気力を振り絞り、輝が叫んだ。おうと答え、
「ここで立ち止まる訳にはいかない!」
三本目の薬水を口に含み、一気に明衣は盛清めがけて駆けた。炎すら巻いて。
夢想流抜刀術。剣影すら残さぬ明衣の剣の技量は、常ならば盛清のそれを上回っていただろう。しかし今は手負いである。おまけに空腹だ。
「紅疾風!」
叫びつつ――しかし鈍った明衣の剣先と盛清の忍び刀は同時に互いの心の臓を貫き――
鮮血を口からしぶかせつつ、がくりと明衣は崩折れた。弱った彼女の身では、軍配をもって盛清の刃を受け止める事はできなかったのだ。
「トマスさん!」
カーラが絶叫した。慌てて明衣に駆け寄ったトマスであるが、脈をとってふうと息をついた。まだ息がある。急いでトマスはリカバーポーションエクストラを彼女に飲ませた。
そして――
問題は惣助の方であった。瀕死の重傷だ。リカバーでは治せない。
「私が」
カーラが明衣の背嚢から残ったヒーリングポーションを取り出し、口に含んだ。それを口移しで惣助に飲ませる。やがて――
ぽろぽろと炭化した皮膚を落としつつ、惣助は身を起こした。そして明衣に歩み寄ると、彼女の手をがっしと掴んだ。
「助かりました」
「お互い様だ」
手を握り返すと、明衣もまた立ち上がった。その手を輝もまた掴む。信じる道に挑むのはどの国の者も同じだとシェリー・ヒーロが云っていたのを彼は思い出している。
その時だ。
「この忍びの背に、苦無が突き刺さっている!」
盛清の身体を調べていた扶桑が呻いた。
冒険者一行が立ち去ってしばらく後の事だ。樹木の上から忍び笑う声がもれた。
高峰蔵人。軒猿衆である。
「この俺が冒険者の手助けをするはめになるとはな」
蔵人が自嘲した。
が、蔵人としては仕方のない事であった。すでに白隠から会見を望む書状が届いている。謙信より白隠を守れとの下知がくだっているのだった。
「おのれ、冒険者め」
蔵人がきりきりと歯を軋らせた。
●会見
結局、冒険者達は春日山城にむかった。通されたのは四の丸である。本丸に通されたのは白隠のみであった。
「私達は白隠様の従者。離れる訳にはいきません」
カーラが訴えた。しかし、直江景綱と名乗った侍は首を振り、トマスをちらりと見遣った。
「その者が殿の事を調べておったは先刻承知しておる。間者かも知れぬ者を殿と会わせる訳にはいかぬ」
「俺達は間者などではありません」
惣助が叫んだ。そして、彼の主である御影涼が勝麟太郎や北条と関与有る事を告げた。さらには謙信と北条三郎との会見の裏で自身が働いていた事も。
「おお、それでは其方が」
景綱がやや驚きの表情を浮かべた。惣助の名は上杉謙信すら知っている。が、すぐに彼は首を振った。
「ならぬ」
「何故?」
「冒険者は金で荒事を引き受けると聞く。今の其方達が誰ぞに雇われ、殿の命を狙っておらぬ証はあるまい」
冒険者は城勤めでないからこそ何処にでも行けるが、どこにも属さない故に信用も薄い。大大名と言えば敵も多く、余程信用されない限りは面会など出来る筈も無かった。
「‥‥」
その時、カーラの身が薄く光った。背をむけた景綱にカーラはリードシンキングを試みたのだ。景綱に二心は感じられない。幸い気づかれなかったようだが、肝が冷えた。城中で魔法を使うなど自殺行為である。
「待ってくれ!」
扶桑が景綱を呼びとめた。
「自分は源徳の為に動いてはいない。信康という先が楽しみな若造が腹を切らなくて済む為に依頼を受けただけだ」
「信康?」
足をとめ、景綱が眉をひそめた。
信康切腹を阻止する為に冒険者が動いていると聞いてはいたが。その冒険者たちが、越後を訪れたという事は――
「ふっ」
景綱は笑った。
「殿に何を吹き込むつもりであった?」
「越後に暗雲をもたらす者の存在を御報せに」
「越後に暗雲?」
景綱は今度こそ振り返り、戻ってきて冒険者達の前に座った。さすがに越後の危難と聞けば無視も出来ないか。
「申せ。話によっては伝えぬでもない」
「されば」
惣助が眼をあげた。
「実は、巣守神社にて不審な人物を見受けました」
「何者じゃ?」
「名はわかりません。しかし、真田と共に暗躍した人物と。いいや――」
惣助は手をあげた。景綱の眼に失望の色がのぞいたからだ。
「早合点に非ず。己が一族遭遇する数多の事件裏に、必ず暗躍する怪しい人物あり。検証に検証重ねた結果、此度の人物が同一とする見解に達しました」
景綱が片眉をあげた。
「乱破素破など珍しくは無い。どう関係すると言うのじゃ?」
「謙信公の夢枕に、毘沙門天が立ったという事はありませんか?」
「ほぅ」
逆に問い返されて、景綱は言葉に詰まった。
「そのような事は知らぬな」
「ならば謙信公に是非ともご警告いただきたい。神仏の名を持ち出し義を覆させる小賢しさ。越後の竜を動かさんと恐れ多い事を企む者がいる、と」
「それが、その巣守神社で見た不審な人物と申すか」
馬鹿な、と景綱は一笑にふした。
「神仏を騙る小賢しい悪党が、どのように殿を誑かすと申すのだ」
「正面からは無理でしょうが、あの男なら夢枕に立つくらいは容易にやってのけると」
今度は夕凪が口を開いた。
「どのような話と思えば。良いか、狐狸や魔物に騙されるようで大名は務まらぬし、夢枕のお告げで戦を起こす胡乱な主君に命を預ける上杉家と思うか」
景綱が嘲笑った。自信満々に言った後で、一言付け加えた。
「何か、確たる証しがあれば別だがな」
この話はこれで終わりだと暗に告げる。
「なれば、源徳討つべしとの天意、城下の噂は真実で御座いましょうか? もし真実なら、以前の同盟相手に刃をむけた理由をお聞かせ願えませんか」
話題を変えたのは夕凪。其方らに話す事ではない、とにべもない。だが、と景綱は言った。
「思うに、家康公には義が無い。都が乱れ、源氏の宗家が危うい時に関東を掠め取り、近頃は京を蔑ろにして江戸で政治を執るやり方は、好きになれぬ所がある。そのために平織家と対立するや、虎長公は家康公の謀略にて暗殺されたと聞く」
「あの一件に家康公は関係ないと聞いておりますが」
「果たしてそうかな? ならば何故、摂政たる者がそのような大事件の解決に尽力せぬのだ。この一事をもっても、不義を憎む殿が家康公を討つ理由に足るやもしれぬぞ」
ふっと唇を歪めた者がいる。扶桑だ。
「しかし謙信という男、つくづく呆れた男よな。越後の竜というから、どれほど度量の広い漢かと期待もしていたのだが、どうやら俺の眇めであったか」
暴言と言ってよい。さすがに景綱が気色ばんだ。
「殿を侮辱するか下郎、許さぬ、生きては帰れぬぞ」
「許さぬのは俺の方だ。暗殺を恐れて逃げ隠れしおって。それで竜といえるのか」
「其方らを会わせぬようにしたは、儂の計らいじゃ。殿のお考えではない」
「ふん」
扶桑が鼻で笑った。
「ではおぬしから謙信公に伝えてもらおう。貴様の云い分は一向衆の一揆と同じだ、とな」
「一向衆一揆? ど、どこがじゃ?」
「天とやらいう訳のわからんモノに動かされているところがだ」
怒色を込めて、扶桑は云い放った。
「戦とは人が起こすもの。神が入る余地等何処にも無い。血を流すのも人だ。血を流させるのも人だ。それが天意だと? 笑わせるな!」
「そこまで云えば、もう十分であろう」
声がした。
続いて襖戸が音も無く開き、一人の男が姿を見せた。穏やかな物腰であるが、瞳には鉈の刃のような光がやどっている。
「色部勝長じゃ。おぬしらの話は聞かせてもらった。好き放題申しておったが、本来なら家康の走狗となる其方ら、この場にて斬って捨てる所存であった。が――」
色部はちらりと惣助を見遣った。
「形だけでも白隠様の従者である故見逃しておるのじゃ。それを忘れるな」
「色部勝長‥‥」
一瞬考え込み、やがてはっと惣助は眼を見開いた。
色部勝長といえば、彼の主が謙信護衛を引き受けた際の依頼主である。となれば、謙信腹心の家臣と考えて良いであろう。
その惣助の思いを読み取ったかのように、南洋が眼をあげた。
「色部殿に申し上げたき事が」
「何じゃ?」
「世に諍いの種を蒔いて歩く者がおります。是非にも、その者に踊らされる事のなきよう。さらには義経様の処遇も含め、源徳と会談の機会を設けられるも一策と愚考いたしまするが、如何?」
「ふむ」
勝長が重々しく頷いた。
「其方の言葉、上杉家を案じる者の言として、しかと殿に伝えよう」
その後、冒険者達は丁重に、そして自由を許さぬ厳しさで遇された。景綱は先程の一喜一憂ぶりが嘘のように最高の礼儀で冒険者を応対した。
●竜はたたず
城を去り行く冒険者を見下ろし、静かなる漢はやや皮肉な笑みに面を歪ませた。上杉謙信である。
「冒険者ども、そのような事を申しておったか」
「はッ」
勝長が面をさげた。
「お館様、いかがなされますか?」
「どうもせぬ」
謙信が嗤った。
「彼奴らの言葉には何の証も無い。領内に不審な者がおるとか、彼奴らの知っている者かも知れぬとか、話にならぬ。はて、俺が動く事を狙っておるのか」
「では家康と会見するおつもりは?」
「ない」
冷厳な語調で謙信が云った。
「会うと言えば反対するであろう」
「御家を滅ぼす悪手、お止めするが臣下の務めなれば」
敵対する大名同士の会見など実現は限りなく難しく、失敗すれば全てを失うが、殆ど益は見込めない。
「その気があれば誰に家督に譲っても行くが、今、家康と会うても何にもなるまい。伊達は思うたよりは良くやっておる。義経が事は源氏の話じゃ、わしが口出しすべき事ではない。
勝長、もうすぐ冬が来る。此度ばかりは、うかつに越後は離れられぬな」
「ご尤もでござります」
色部はおおきく頷いた。
かくして冒険者の越後行は終わりをつげた。この結果は燎原の火の如く三河へと伝わり、ついに信康に改めて切腹の沙汰がくだされることとなった。
が、冒険者の冒険はこれで終わったわけではない。越後での冒険の決着は、同時に新たな冒険の幕開けともなったのである。
それは――
源徳にとって、また柳生にとって、空前絶後の出来事となる‥‥。