【駿河】邪心

■シリーズシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:6〜10lv

難易度:やや難

成功報酬:5 G 47 C

参加人数:7人

サポート参加人数:3人

冒険期間:03月13日〜03月20日

リプレイ公開日:2008年03月20日

●オープニング

 菜摘の前に、一人の初老の男が座している。
 嘉兵衛。隣村の村長だ。
「菜摘殿」
 嘉兵衛は重い口を開いた。
「甚兵衛殿は儂をたずねる途路において災難に遭われたという。何と云ってよいか‥‥」
「いいえ」
 菜摘は眼を伏せた。がねすぐに決然たる眼をあげると、
「それよりもお尋ねしたい事がございます。父はあの日、何の為に嘉兵衛様のもとへ向かったのでしょうか」
「じーざす教の事よ」
 苦々しく嘉兵衛は答えた。
「昨今この辺りで広まりだしたじーざす教とかいう異教を、儂達は憂慮しておった。この駿河には白隠様がおられる。他の宗教など考えられようか。いや」
 それだけではない、と嘉兵衛は云った。そして声をやや低めて、
「それよりも村の者達の事だ。まだ少数ではあるが、最近、どうも様子がおかしい」
「おかしい?」
 菜摘は眼を瞬かせた。そのような噂、聞いた事もない。
「おかしいとは、どのような?」
「わからぬ」
「わから、ない?」
「うむ」
 嘉兵衛は肯いた。
「しかし、恐いと、その者の妻や子が申していた。最初、儂も一笑にふしたのだが‥‥。が、その者達に会うてみて、儂も得心した。この者達は何かに取り憑かれておると」
「取り憑く‥‥妖怪や魔物にでも?」
「いや」
 かぶりを振り、嘉兵衛は少しばかり逡巡した。どうやら上手く云い表す事ができないらしい。
「何と云えばよいのか‥‥。そのような具体的なものではなく‥‥。そうであれば払うのはかえって容易い事であったかもしれぬ。が、事はもっと深く、もっと昏いものであるような気がするのだ」
「‥‥」
 菜摘には声もない。村にそのように異常事が起こっていようとは‥‥
「菜摘殿」
 嘉兵衛の声が響いた。ひどくしわがれた声だ。
「近く、近在の村の長と会合をもつことになった。その場で、儂はじーざす教について注意を呼びかけるつもりだ」
「えっ」
 菜摘は愕然たる声を発した。
 何故か――
 わからない。ただ氷のような冷たい手で背筋を撫でられたような寒気を覚え、菜摘は身を震わせた。

●今回の参加者

 ea6201 観空 小夜(43歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)
 ea7242 リュー・スノウ(28歳・♀・クレリック・エルフ・イギリス王国)
 eb3534 平山 弥一郎(38歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb3897 桐乃森 心(25歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb4802 カーラ・オレアリス(53歳・♀・僧侶・エルフ・インドゥーラ国)
 eb5093 アトゥイチカプ(27歳・♂・カムイラメトク・パラ・蝦夷)
 eb8219 瀞 蓮(38歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)

●サポート参加者

アキ・ルーンワース(ea1181)/ 木賊 真崎(ea3988)/ シェリル・オレアリス(eb4803

●リプレイ本文


「グリマルキン」
 言葉を発したのは銀髪紅眼の楚々とした娘で。
 名はリュー・スノウ(ea7242)。エルフのクレリックだ。
「何だ、そりゃ?」
 アトゥイチカプ(eb5093)が問うた。
「悪魔だよ」
 ユニコーンの背を撫でながらアキ・ルーンワースが答えた。
「猫より黒豹に変化する悪魔。グリマルキンという名の悪魔だね」
「悪魔‥‥」
 平山弥一郎(eb3534)が微笑を消して呟いた。この男の顔から微笑が消える事など稀で。
 その事に気づいたカーラ・オレアリス(eb4802)が、無限の慈愛に満ちた碧の瞳をむけた。
「どうかしたの」
「いや」
 微笑みを面に取り戻し、弥一郎は腰の祖師野丸の柄に手をかけた。
 実のところ、彼は一度黒豹にむけて抜き撃った事があった。その時の感覚により、弥一郎は黒豹の正体が妖というより、むしろ悪魔属性であるとの感触を得ていたのだ。
 やはり、と微笑を深くして、
「その悪魔、どのような力をもっているのですか」
「黒の魔法を使うはず」
「お教え、ありがとうございます」
 涼やかに会釈し、次いでリューは桐乃森心(eb3897)に眼を転じた。
「桐乃森さんは当初からじーざす教の関与を疑っておられましたが、西洋にしか存在しないはずのグリマルキンが駿河に姿を見せた事を考えると、やはりじーざす会内に邪な野心持つ者がいると判じた方が良いのかもしれませんね」
「じーざす会のぅ」
 瀞蓮(eb8219)が、その花の精とも見紛うばかりの可憐な顔をゆがめた。
「この国にはおらぬ筈の黒豹に、黒い噂のある月道渡りの宗教。胡散臭いことじゃて。臭さが過ぎて、鼻が曲がるやもしれん」
「俺も匂うぜ」
 アトゥイチカプが、へっ、と笑った。
「カムイラメトクってのは鼻が利くんだ。森羅万象の理に背く、外道の匂いがぷんぷんするぜ」 
「アトゥイチカプ殿もか」
 瀞蓮の眼に興の光がたゆたった。しかし、すぐに彼女は冷徹の輝きに眼の光を変えると、
「とはいえ派手に動いてはいらぬ釣り針を飲み込み、悪鬼の類に釣り上げられかねん。下地固めは必要じゃろ」
「その下地固めですが」
 リューの眼に、かすかに怯えの色がういた。
「異教の言霊に囚われた者の心にも通じるもの。相手取るは魔だけではないやも知れません」
「村の物達、って事か」
 アトゥイチカプが唇を噛んだ。
 魔物なれば、ぶん殴れば良い。が、じーざす教にたぶらかされているだけの村人にはそうもいくまい。
 さすがの弥一郎が溜息を零した。
「宗教が絡むと状況は爆弾を抱えたと同じになります。気をつけなければ」
「そうでございますね」
 心はニコリと肯く。そして、その本心を掴ませぬ童のような微笑のまま、
「それと、むしろ怖いのは迫害につながる事でございますよ。人は時として、理解できないものを恐れ、排除しようと致しまする」
「しかし」
 リューが憂愁に翳る面を伏せた。
「何故、このような事が起こるのか。本来信仰とは土地に根付き人に根付く心そのもの。歪みを伴う変革なぞ誰が望みましょうか。既に一つの命が消えた今、同じ教徒として其を認める訳には参りません‥絶対に」
「そうよね」
 カーラが力強く、きっばりと頭を縦に振った。
「どんな苦境でも、動かなければ現実を変えることはできないわ。今を変えようとする、未来への意志。それが大事なのよ。そして、その事に人々が気づいたなら、この世界は変わる事ができるわ」
「まずは、私達からですね」
 観空小夜(ea6201)が歩みだした。続いてリューが、弥一郎が、さらには心、カーラ、アトゥイチカプ、瀞蓮が。
 今、
 希望の戦士がゆく。


 菜摘は眼を丸くした。グリフォンと呼ばれる魔獣を見るのは初めてであったのだ。
「驚かせてしまったかしら」
 木賊真崎の手になる変装――墨衣に菅笠という出で立ちのカーラがすまなそうに微笑んだ。
 が、菜摘はいいえと微笑みかえした。何しろカーラには命を救ってもらったという借りがある。グリフォンを村に持ち込んだくらい何であろう。
 菜摘は八人の冒険者を屋敷に招じ入れた。

「村長が集まるという会。菜摘さんもお出になられてはいかかですか」
 菜摘と対面した冒険者のうち、リューが口を開いた。
 菜摘はやや戸惑ったように、
「私が、でございますか」
「はい」
 リューが肯いた。
「甚兵衛殿が遣り残された事なればこそ、貴方には遣り遂げねばならぬはず」
「しかし‥‥」
 菜摘は逡巡した。今、村の実質的な権限は叔父の又兵衛にあるからだ。
「どうしても出席していただかなければ困るのです」
 菜摘の迷いを読み取ったのか、弥一郎が口を開いた。
「先日、屋根瓦が落ちてきたと聞きました。もしカーラさんがいなければ、今頃はどうなっていたか。それを考えると、嘉兵衛さん同様、貴方の身も守らなければならない」
「私も狙われていると?」
「わかりません」
 弥一郎はかぶりを振った。
「しかし、現に不審な事が起きている。もしもの事があってからでは遅いのです」
「それは――」
 なおも躊躇う菜摘である。やはり村には村のしきたりというものがあるのだろう。
 するとアトゥイチカプが立ち上がり、菜摘の前にどっかと腰をおろした。
「世の中には色々な事があるって事はわかるぜ。でもさ、大事な事は一つだ。男は、女の子を守らなきゃならない。だから俺は君を守るって決めた。‥‥守られて、くれないか?」
 真剣な眼で菜摘を見つめ、アトゥイチカプが云った。その真面目な面つきが何故か可笑しくて、ぷっと菜摘が噴出した。
「わかりました。お願い致します」


 菜摘の会合出席の同意を嘉兵衛から得た後、ぽけーと外を眺めていた心に微笑が戻った。
「じーざす教でございますが」
 心が口を開いた。
「じゃぱんにおいては馴染みがございませぬ故、不審不気味と思われましょうが、仲間には異国の方やジーザス教徒も居りますが、みんな良い人っすよ。‥‥たぶん」
「た、たぶん?」
「はい。だから安心して頂いて大丈夫でございます。僕らは白隠様ともお友達っすから。‥‥たぶん」
「またたぶん、か」
 嘉兵衛の口元に笑みがういた。どうやら嘉兵衛は心に好意をもったらしい。
 こういう点、心には天性のものがあるとしかいえない。ゆらゆらと、ふるふると。心地よい揺らぎというものが、この若者にはある。
 と――
 カーラが清厳な面持ちで問うた。
「村の者におかしなところがあるとおっしゃっていたそうですが、具体的にはどうおかしいのでしょうか」
「その事よ」
 嘉兵衛は口を開いた。
「しばらく前の事であった。村の者――徹吉というのだが――その徹吉の様子がおかしいと、その妻――加代というのだが――が云うてきおった。最初は気鬱か何か思っておった。ところが会ってみるとどうだ。どうも様子がおかしい。その目つき、只事ではない。そして確かめれば、夜毎家を抜け出してじーざす教の集まりに通っておるという。今では畑仕事もせずに集まりに出向いているらしい」
「実際のところ、嘉兵衛様はどのようにじーざす会を見ておいでなのですか」
 今度は心が問うた。すると嘉兵衛は疲れたような面持ちで考え込むと、
「儂はじーざす教について詳しくは知らぬ。ただ、徹吉を魅するモノは善からぬモノと思っておる。人を堕落させるモノだとな」
「堕落‥‥」
 心は小首を傾げた。
「本来のじーざす教は仏教と同じ神を奉っております。もしかすると、嘉兵衛様と同じように、むこうも怖がっているのかもしれませぬ」
「怖がっている、とな」
 嘉兵衛が眉をひそめた。じーざす教の者が怖がっているなど考えた事もなかったからだ。
「怖がって、いるか‥‥」
「そうっすよ〜。だから、ちょっとした違いで隣の人とまでケンカしちゃ駄目っすよ〜」
 心が少女のように微笑った。つられたように嘉兵衛が肯いた。


「良いお天気でございますね」
 小夜が会釈した。
 すると戸口から見せた徹吉は立ち止まり、ちらりと小夜を見遣った。小動物を思わせる目つきだ。
「あんたは?」
「旅の僧侶で小夜と申します」
「私はカーラよ」
「‥‥」
 徹吉がまじまじとカーラを見た。
「私の顔に何かついているのかしら」
「い、いや」
 徹吉はかぶりを振った。
「あんたもじ――」
 云てかけて、徹吉は慌てて口を閉ざした。そして、そそくさと歩き去っていった。
「やはり目つきが只事ではないな」
 徹吉の背が消えるのを待って、瀞蓮が云った。
「見たところ、妖や魔物が憑いておるわけでもなし。‥‥とり憑いたのは、『狂信』かの?」
「どうですか」
 カーラにむかって小夜が問うた。するとカーラは顳辺りに指を当て、眼を眇めた。
「彼の頭に浮かんだのは警戒ね。そして敵意。私達がじーざす教を探っているんだと思っていたわ。それとエウセビオという名を思い浮かべていた。おそらくはじーざす教の神父の名ね」
「内儀」
 戸口に顔を覗かせた女を見とめ、瀞蓮が声をかけた。
「わしらは嘉兵衛殿の為にじーざす教を調べておるのじゃが。内儀、そなた嘉兵衛殿にご亭主が恐いと申されたそうじゃな」
「は、はい」
 女――加代が頷いた。嘉兵衛の名を出したので、それほど怪しまれはしなかったようだ。
「その恐いという事じゃが‥‥具体的に何が恐いのじゃな?」
「それは‥‥」
 女は一息つき、やがて思い決したように口を開いた。
「何時頃からでありましたでしょうか。亭主の徹吉は普段口数の少ない男でありましたが、最近は全く口をきかなくなり‥‥。で、ある時、ふと気づくと亭主が鎌を研ぎながら、じっと私と子供を見ているのです」
「じっと‥‥見ている、とな?」
「はい」
 その時の情景を思い出したのか、女はぶるると身を震わせた。
「感情のない眼でじっと見るのです。まるで蛇に睨まれているみたいで気味の悪い事といったら‥‥」

 それより一刻ほど後の事である。
 弥一郎はとある屋敷の前に立っていた。翌日の会合に使われる、普段は集会所として使用されている小屋敷だ。
 弥一郎はぐるりと屋敷の周囲を巡った。
 屋敷は板塀が取り囲んでおり、小さな庭がある。物陰が多く、防御には不向きだ。
 弥一郎は中に足を踏み入れた。
 部屋は二つある。他には勝手。これでは曲者が潜入したとしても、そのまま隠れ潜む事は難しいだろう。
 灯りを灯すべき箇所を確かめると、弥一郎は屋敷を後にした。


 翌日、冒険者の思惑は打ち壊される事となる。又兵衛が菜摘の会合への出席に難色を示したのだ。
「今、村は儂が取り仕切っておる。その儂を差し置いて出向くとは、そりゃ菜摘、お前は儂を侮っておるのか」
「それは‥‥」
 菜摘が口ごもった。又兵衛にそう問い詰められれば、これ以上強行に云い張るわけにもいかない。
 というわけで――
 村には菜摘が残り、三人の冒険者がその護衛に就く事になった。他の四人は、又兵衛に請われて、共に嘉兵衛のもとに向かう事に決した。
 そして夕刻‥‥

「静かだな」
 茜色に、やや紺色がまじりはじめた空を見上げ、アトゥイチカプが云った。部屋の中に座した菜摘は小さな声で、はい、と答えた。
「怖いかい」
 振り返り、アトゥイチカプが問うた。そして菜摘に歩み寄ると、彼女の肩にそっと手をおいた。
「誰かを守る。その為に俺は退かないし負けない。それが俺――カムイラメトクの力の源だ。不安だろうけど、一緒に頑張ろ」
「はい」
 菜摘が微笑みながら肯いた。
 本当のところ、アトゥイチカプは彼女の背丈にも満たぬ短躯だ。それなのに、どうしてこの若者といると安心するのだろう。そんな事を菜摘が考えた時だ。
「静かだの」
 アトゥイチカプの言葉をなぞるように、瀞蓮がふと声をもらした。
「静かすぎる」
「気をつけて。悪魔が近くにいるわ!」
 石の中の蝶を見遣りつつ、カーラが叫んだ。
 刹那だ。天井板をぶち破って漆黒の影が躍り出た。それが蝙蝠のものに似た翼を生やした黒豹であると冒険者が見とめるより先に、刃のような牙が閃いた。

 やや、後。すでに辺りには闇の帳が降りつつあった。
 その薄闇の中、揺れる灯りが一つ。又兵衛が手に持つ提灯の灯りだ。
「うん?」
 突然、又兵衛が足をとめた。
「どうされました?」
 小夜が問うた。すると又兵衛は怯えの色を顔に滲ませ、
「化け物のような顔が見えた」
「何っ!?」
 冒険者達が身構えた。一瞬にして又兵衛を囲む陣形をとる。場所はちょうど甚兵衛が襲われたと思しき橋の近くだ。
「どこにでございまする?」
「あそこ!」
 心の問いに応え、又兵衛が闇に沈む林を指差した。
「ぬっ」
 弥一郎の腰から刃が鞘走った。提灯の灯りに黄色く染まったそれは、次に鮮烈な桜花の色を纏った。


 ギチギチ、と。
 牙が肉を抉り、神経を裂き、骨に食い込んだ。溢れ出る鮮血はぼたぼたと畳に血溜りをつくった。
「やらせねえよ」
 黒豹の牙を腕で受け止めつつ、アトゥイチカプがニヤリとした。そして菜摘に背をむけたまま、
「大丈夫か」
「任せて」
 答えたのはカーラだ。ほとんど時間的誤差のないホーリーフィールドの発呪は、瞬間的に菜摘の周囲に防護結界をしいている。
「アトゥイチカプさん!」
 菜摘が悲鳴のような声で叫んだ。するとアトゥイチカプは血笑を浮かべ、
「大事ねえよ」
 答えた。
「云っただろう、菜摘さんを守るって。だから俺は退かない。負けない。それが――」
 アトゥイチカプの拳が疾った。
「カムイラメトクだ!」
 豪!
 唸る拳が、黒豹の顔面に炸裂した。鮮血をばらまきつつ、黒豹が吹き飛んだ。
「貴様‥‥」
 畳に爪をたてて体勢を立て直しながら、黒豹が牙を剥いた。
「馬鹿、カ?」
「馬鹿ではない」
 瀞蓮が黒豹の前に立った。舞っているかのような手が、幻惑するように踊っている。
「勇気じゃ」
 瀞蓮の脚が唸った。はじかれたように黒豹が後方に飛び――文字通り飛んだ。空中に。
 そのまま蝙蝠の翼で羽ばたき、黒豹は闇天の彼方に飛び去っていった。

「動かないでください!」
 命じつつ、弥一郎は周囲に視線を走らせた。同時に全感覚器を最高度に研ぎ澄ます。
 敵の姿は見えない。が、敵が黒豹であるなら、それもむべなし。ならば殺気を掴むまでだ。
 小夜は印を組んだ。コアギュレイトの瞬間的発呪に備えて。
 心は徒手空拳。されど胸には刃。身を挺してでも又兵衛を守る構えだ。
 そして――
 どれほど時が流れただろう。
 一瞬か、それとも永劫か。
 ふと気づき、リューは石の中の蝶に眼を遣った。宝石の中、蝶は沈黙したままだ。
 おかしい。何かがおかしい。
 リューの胸の裡に薄墨を流したかのような疑念が広がった。正体の掴めぬ違和感が彼女をとらえている。
 その時、天啓のようにある考えがリューの脳裏に閃いた。
「まさか‥‥」
 リューは叫んだ。
「急いで! 嘉兵衛さんが危ない!」


 菜摘に変事あり。先にいかれたし。
 冒険者のものという文を受け取り、嘉兵衛は家を後にした。
 その一刻後の事だ。駆けつけた冒険者により、全身の骨が粉々に砕かれた嘉兵衛の亡骸が発見された。