●リプレイ本文
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行商人風の男が立ち止まった。汗を拭う。
すでに陽の光には夏の彩りが濃い。
が、茶店の縁台に腰掛けた女性は、そのような暑さなど無縁のようだった。汗一つかかず、しんと冷えて背筋をのばしている。
「と、いう事なのです」
女性――観空小夜(ea6201)は事の次第を語り終えた。二人の村長の殺害、そしてグリマルキンという悪魔の暗躍を。
「なるほど」
黒豹のようにしなやかな体躯の男が肯いた。風の長、風守嵐である。
「殺された二人の村長の共通点はジーザス教に否定的だった事。ただ悪魔の仕業と片付けてよいものか。オレには人の欲望の臭いがする」
「人の欲望‥‥」
二つの村の村長が消えた後、招かれる様に現れた神父。そして教会を作ろうとする叔父。確かに牙を剥く悪魔の背後に仄見える人の嗤いがある。
「そうですね」
肯くと同時に、すうと小夜は立ち上がった。
「私にも色々と見えてまいりました。そろそろ闇を払う時が来たようです」
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嘉兵衛が治めていた村を、三人の冒険者が歩んでいた。
雪の精にも似た楚々たる異国の女性、軽やかに大地を踏みしめる小柄の若者、可憐な顔立ちだが、不釣合いなほど胸の大きな、そして引き締まった肢体の女性。
リュー・スノウ(ea7242)、アトゥイチカプ(eb5093)、瀞蓮(eb8219)の三人である。
「ふうむ」
歩みつつ、瀞蓮が唸った。
「自らの手落ちの結果を見せ付けられるというのは気まずいものじゃの」
「もう少し早く行き着けく事ができていたならな」
アトゥイチカプが悔しげに唇を噛んだ。するとリューは思考をまとめようとするかのように眼を眇め、でも、と声をあげた。
「もしできないようにされていたとするなら?」
「又兵衛じゃな」
答えた瀞蓮の語調は苦々しげであった。
「嘉兵衛殿の元へ冒険者がいけなかった理由、その結果を喜んで享受しておるのが誰かを考えれば、自然と又兵衛と絞れるが、の」
「ええ」
リューが肯いた。
「あの時の又兵衛さんの言‥もし其が私達の足止めを成す偽りであったとすれば‥‥」
「ふん」
瀞蓮が鼻を鳴らした。そして、
「とはいえ、現状又兵衛を糾弾する事も叶わぬ。全てはわしらの推論である故の」
「確証を得る為にも、この村のジーザス教の実態を掴まねばなりません」
「でもリューさんはいいよなぁ」
アトゥイチカプが口を尖らせた。そしてリューの全身を眺め、それから己の身形を見遣る。
この時、アトゥイチカプは皮製のローブを纏ってクレリックに扮してはいるのだが、見た目が子供のようであるので見習いに見えて仕方がない。
「得なんだか損なんだか‥‥」
「良くお似合いですよ」
リューに微笑みかげられ、アトゥイチカプはやや赤面すると、照れ笑いしつつ頭を掻いた。
「でもよ」
何を思いついたか、アトゥイチカプの顔から笑みが消えた。
「一つ気になる事があるんだよな。嘉兵衛さんの亡くなり方が、甚兵衛さんのそれと違い過ぎる。ひょっとすると俺達が気づいてない何かがまだ居るのかも知れない」
「気づいてない、何か?」
瀞蓮が問い返した時だ。
ざさっと音がした。続いて、ばさりと何かが空をうつ音が響いた。
それが羽音と気づいて、三人の冒険者達が眼をあげた。その視線の先――
黒い影が空を疾った。
それは鳥のようであった。が――
いやに大きくはないか?
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猪助はふうと息をつき、丘の上から村を眺めた。
「ジーザス教の信者が増えましてな。まあ、これだけ騒乱が続けば、何か新しいものに縋ろうとするのも仕方のない事なのですがな」
「怯え‥‥ですか」
小夜の朱唇から呟きがもれた。
世の騒乱が人々の心に亀裂を刻み、その隙間に闇が入り込む。ジャパンは今、まさに闇の温床となりつつあるのではないか。
きつく唇を引き結ぶと、小夜は猪助を見遣った。
「時に猪助さん、この辺りに宣教師――エウセビオとおっしゃるそうですが、その方はどのような人物なのですか」
「さあて」
猪助は首を傾げた。
「良くはわかりません。いつも穏やかに微笑っておられますが――ほれ」
突然猪助は指である一点を指し示した。
「あそこを行かれる方。あれがエウセビオ神父です」
「!」
はじかれたように振り向けた小夜の視線の先――村の小道をゆく人影があった。
「有難うございました。それでは失礼致します」
挨拶もそこそこに、小夜は人影めざして丘を駆け下った。
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菜摘の顔が輝いた。一陣の疾風と共に現れた二人の姿を見とめた故に。
一人は侍だ。春風のような爽やかないでたちをしている。
そしてもう一人は少年のように見えた。可憐な相貌は美少女のようだといっても差し支えないだろう。
平山弥一郎(eb3534)と桐乃森心(eb3897)である。
弥一郎が、やあ、と手をあげた。
「菜摘さん、久しぶりでしたね」
「お待ちしておりました」
菜摘が顔を綻ばせた。
その時だ。菜摘の背後からにゅうと姿を現した者がいる。
初老の男。菜摘の叔父、又兵衛である。
又兵衛は、ぎろりと弥一郎を睨みつけた。
「お前が菜摘の婿になるという男か?」
「いえ、婿になるのは僕でございまする」
にへら、と心は笑って見せた。
「何っ」
又兵衛は眼をむいた。そして心をまじまじと見つめた。
「お前‥‥まだ子供ではないのか? 年は幾つだ?」
「十八でございまする」
「十八だと!?」
ふん、と又兵衛は鼻で笑った。
「菜摘より年下ではないか。どうにも信用できん」
ぶつぶつ呟くと――又兵衛はニヤリとした。
「お前達、恋人同士というのであれば、その証を見せてみろ」
「証?」
心が戸惑ったように眼を瞬かせた。
「証とは、どのような‥‥」
「叔父様」
菜摘がきっと又兵衛を睨みつけた。
「いくら叔父様だからって‥‥証などと失礼ではありませんか」
「何が失礼なものか」
又兵衛が口を歪めた。そして薄ら笑いを浮かべつつ、
「今はわしがお前の父代わりじゃ。故におまえの恋人について確かめようとするのは当然」
「それは」
抗弁しかけた菜摘であるが。ぐいと抱き寄せた者がある。
心だ。
心は菜摘を抱きしめると、その蕾のような唇に自身のそれを重ねた。菜摘はただ声もなく、ただ大きく眼を見開き、頬を紅潮させ――
唇を離すと、心はニッと笑んで見せた。
「これで証になりましたか」
「き、貴様‥‥」
又兵衛が悔しげに歯を軋らせた。
「そ、そんな事で――」
「もう良いでしょう」
弥一郎が又兵衛を遮った。ぎりっと又兵衛が弥一郎を見据えたが、それきり息をひいた。それは弥一郎の圧倒的な存在感の成せるわざであった。
「こ、こやつ、何者‥‥」
呻く又兵衛の前で、弥一郎は菩薩のように微笑った。
「それより、一つお願したい事があるのですが。ご相談したい事があるので、エウセビオ神父を交えてお話をうかがえませんか」
「エウセビオ神父様を?」
又兵衛が眉をひそめた。
「神父様を交えての相談とは何じゃ?」
「この村の村長が亡くなられ、そしてまた隣村の村長まで殺害されました。これは憂うべき事。桐乃森君――と、心を一度見遣り――の友としては放っておけませんので」
「それならば、何故神父様を交えねばならぬ」
「それは――」
弥一郎が返答に窮した。
その時だ。
「菜摘さん」
呼ぶ声がした。
はっとして眼をむけた冒険者達を含めた四人は、菜摘の背後に立つ一人の女性の姿を見出した。
黒衣を纏った落ち着いた物腰。眩い黄金色の髪を後ろで束ね、優しげに微笑む様は聖女そのものだ。
カーラ・オレアリス(eb4802)。七人目の冒険者であった。
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すみません、とリューが呼びとめたのは、二十歳を幾らか過ぎた年頃の村の男であった。
男はリューの妖しさすら感じさせる美しさにどぎまぎしつつ、
「俺に何か用か?」
「ええ。この辺りに熱心な宣教師様がいらっしゃると耳に致しまして」
「エウセビオ神父様か?」
「エウセビオとおっしゃるのですか」
リューは蕩けそうになるほどの微笑をむけた。
「そのエウセビオ神父はどの様な教示をされているのですか? 私もジーザス教を信仰する者として興味がありまして」
「おっ」
男は嬉しそうに満面を輝かせた。
「あんたもジーザス教を信仰しているのか」
「ええ。だからエウセビオ神父の教えにも興味があるのです。教えていただけませんか」
「うーん」
困惑したように男は腕を組み、唸った。しばらくして男は照れたように笑い、
「俺も最近信仰しはじめたばかりなんで良くわからないんだけどよ。ただ神父様は快楽を追求しろって良く説かれているよ」
「快楽?」
「ああ」
男は肯いた。
「やはり悦楽、か‥‥」
瀞蓮が苦々しく吐き捨てた。
「こうなると徹吉の内儀――加代殿の申していた事も、あながち嘘ではなさそうじゃの」
「一部の信者達が集団で姦淫しているという事か」
周囲の気配を探り、かつまた石の中の蝶を確かめていたアトゥイチカプが振り向いた。大自然の申し子である彼は常におおどかである。が、童子のようでありながら、トゥミトゥムの達人たるアトゥイチカプに油断はない。
瀞蓮を慮ってか、アトゥイチカプはラテン語からジャパン語に戻すと、
「亭主の後をつけて目撃したってんだろ」
「そうじゃ」
瀞蓮はうんざりしたように深い溜息を零した。
「そうなると、やはりジーザス教の正体とは」
「淫祠邪教ですね」
答えるリューの声音は、怒りの為かやや震えて響いた。
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「カーラさん!」
驚く菜摘の前で、カーラはさらに微笑を深くした。
「貴方の耳に入れておきたい事があるのです」
告げると、カーラは菜摘の耳に口を寄せた。ややあって、菜摘の面を驚愕の色が覆った。
「そ、そんな‥‥」
「大丈夫」
カーラが肯いた。すると、何か察するところでもあったのか、慌てた様子で又兵衛が問うた。
「ど、どうしたのじゃ?」
「それが‥‥」
一度心細そうにカーラを見遣ってから、菜摘は口を開いた。
「冒険者の皆様は、今回の事件の真相を掴まれたそうです」
「何っ」
さすがに又兵衛は息をひいた。そしてカーラを信じられぬものを見るように凝視し、
「‥‥そ、それは真実か」
ひび割れた声を押し出した。するとカーラは良く光る眼で又兵衛を見つめ返し、
「はい。甚兵衛さんと嘉兵衛さんを殺害したモノはジーザス教の使いなのですね」
「くっ」
又兵衛の顔色が変わった。そして額に脂汗を滲ませると、震える唇を開いた。
「な、何を――」
「又兵衛さん」
カーラが又兵衛の手をとった。あっと菜摘は眼をむいたが、驚くべきことに又兵衛はされるがままになっている。
又兵衛さん、と再び呼びかけると、カーラは続けた。
「今なら貴方を救えるかもしれません。だから、全てを私達に打ち明けてください。おわかりでしょう。私は貴方の味方です」
「うっ‥‥」
又兵衛は縋りつくような眼をカーラにむけた。そして逡巡の為か面を伏せた。その全身が震えているのは凄まじい葛藤の故だろう。
「し――」
又兵衛がゆらりと面をあげた。
「――しばらく、わしに時をくれまいか」
小さくなりつつある又兵衛の背を見つめつつ、カーラは呪符をしまった。チャームの呪符だ。
「カーラさん」
菜摘がカーラに強張った顔をむけた。
「教えられたように、事件の真相を貴方が知っていると叔父に告げましたが‥‥今、貴方がおっしゃった事は本当なのですか」
「ええ」
やや疲れた表情でカーラは肯いた。
「菜摘さんが告げた時、又兵衛さんの心を読みました。確かに彼は、貴方のお父様と嘉兵衛さんを殺害したモノは神の使いと考えていました」
「神の使い‥‥」
菜摘の脳裏にエウセビオ神父と、彼の抱いた黒猫の姿がよぎった。
「では叔父は全てを知っていて‥‥?」
「そのようですね」
答えるカーラの面を、陰鬱な色がよぎった。
「菜摘さん」
カーラが菜摘に七徳の桜花弁と韋駄天の草履を手渡した。
「もし何かあればこれを使い、逃げてください。そして白隠禅師に助けを求めるのです」
「白隠様に?」
「そう。この駿河において、頼るべきはあのお方しかありません」
カーラは眼をあげ、蒼穹に白隠の面影を追った。洒脱な老人の笑顔が、今はこの上もなく頼もしく見えた。
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「これでございます」
初老の女が一枚の紙片を差し出した。女――嘉兵衛の妻である。
「ふむ」
受け取って、瀞蓮は紙片に眼をおとした。殺害された夜、嘉兵衛が受け取ったという書状である。
――菜摘に変事あり。先にいかれたし。
「差出人は冒険者か‥‥」
アトゥイチカプが嘆声をあげた。無論彼を含めた冒険者がそのように書状を出した覚えはない。偽の文である。
「なかなか達筆じゃねえか」
アトゥイチカプがニヤリとした。上手い字だが、癖がある。確かめれば偽文の差出人がわかるかもしれない。
「又兵衛なら面白いんだけどな」
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「では人は楽しみを追求すべき、と?」
菜摘宅へとむかう道すがら、小夜が問うた。するとエウセビオは微笑みながら、
「コノ世ハ塗炭ノ苦シミニ満チテイマス。ダカラコソ、人ハ快楽ヲ追及スベキナノデス」
「なるほど」
ともかくも小夜は声を返した。
その小夜を、エウセビオに抱かれた黒猫がじっと見つめている。悪魔かもしれぬ黒猫に只一人で接している事は、小夜には無視できぬ緊張を強いるものであった。
「ところで‥‥村に教会を建てられるそうですね」
「ハイ。又兵衛様ノオ力添エデ」
そうエウセビオが答えた時だ。こちらにむかって足早に近づいてくる人影があった。
「又兵衛‥‥様?」
怪訝そうにエウセビオが呟いた。そのエウセビオに相手も気がついたのか、人影――又兵衛が走り寄ってきた。
「神父様、ご相談したい事が」
「相談?」
只ならぬ又兵衛の様子に、エウセビオの面から微笑が消えた。その一瞬を小夜は見逃さない。
「デハ、アチラデオ聞キシマショウ」
又兵衛を促し、エウセビオが背を返した。遠くなりつつある二人の背を見つつ、しかし小夜にはどうする事もできぬ。
やがて二人の姿は消え――
じっと二人の姿を見送っていた小夜の耳に、突然絶叫が響いた。エウセビオの声だ。
はじかれたように駆け出した小夜は見た。呆然とした様子で立ち尽くすエウセビオの姿を。
「どうしたのですか?」
荒い息で小夜が問うた。するとエウセビオは震える指を上げて、ある一点を指し示した。
それは――
影だ。二つの大きな影が遥かなる上空の高みにある。
「あれは――」
「又兵衛様デス。突然巨大ナ鳥ガ現レ、又兵衛様ヲ掴ミ上ゲテイッタノデス」
エウセビオが答えた。
その時だ。鳥様の影が、又兵衛らしき影を放した。影はまるで人形のように真っ逆様に地に落下し――
「アノ高サデハ、ヒトタマリモナイデショウネ」
冷然たる声で呟くと、エウセビオは胸の前で十字を切った。
はっとして小夜は振り向き――
二筋の視線が空でからみあい、火花を散らした。小夜の鋭利な視線と、エウセビオの蜘蛛の糸のように粘着質なそれが。
そして、楽しげに黒猫が哭いた。