●リプレイ本文
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「分かっているのは名のみ、そして江戸で一時期冒険者をやっていたことぐらいか」
江戸の冒険者ギルド。奥まった一室で口を開いたのはマクシーム・ボスホロフ(eb7876)という名の、切れ長の眼に刃の光をやどしたレンジャーであった。
「ところで」
マクシームは、じろりと依頼主である久保田源八を見た。
「あなたが江戸に出てきたは何時頃の事だ?」
「三年ほど前だ。が、元忠はもっと早くから江戸に出て来ていたようだった」
「それは拙いな」
重い声をもらしたは所所楽柳(eb2918)であった。
そのすらりとした立ち姿は一幅の絵のように美しく。柳は澄んだ蒼の瞳を源八にむけた。
「その元忠なる人物の記録が残っているかどうか。‥‥それよりもキミ、元忠なる人物の容姿を覚えていないだろうか」
「覚えてはいるが、細かいところまでは難しいな」
「それでもいいよ」
筆を取り上げたのは、どこか夢見るような瞳の娘で。
アン・シュヴァリエ(ec0205)。ハーフエルフの神聖騎士である彼女は美術にも造詣が深い。
「似顔絵を描いてみるね」
「それともう一つ」
付け加えるように口を開いたのは、これもまたハーフエルフの神聖騎士であった。が、カノン・リュフトヒェン(ea9689)という名のこちらの冒険者はアンとは随分と雰囲気が違う。アンが陽だまりのようであるとするなら、カノンは氷嵐である。
この時も、カノンは氷のような口調で、
「源八殿が見たという『友達』が見つかれば、或いは役に立つかもしれん」
「心当たりでもあるのか」
問うたのは小野麻鳥(eb1833)という名の陰陽師だ。時の果てでも見つめているかのような眼が特徴的である。
「美しい男で、ただならぬ気。‥‥聞くところによると鬼一法眼殿が当てはまりそうな気もする」
「鬼一法眼か」
麻鳥の眼に微かな光がともった。
「一度会ったな」
「そうだねえ」
渡部夕凪は懐かしそうに微笑った。
「そういやもう一人、とてつもなく美しく、尋常ならざる気の持ち主ってのがいたわねえ」
ニンマリし、女のような柔らかな仕草で渡部不知火(ea6130)が夕凪を見た。その夕凪といえば、さすがに虚をつかれたように眼を瞬かせ、
「そいつは、まさか」
「あんたの主様よ」
「ふうむ」
さすがの夕凪は唸った。不知火の云う彼女の主とは駿河国守である北条早雲の事であったからだ。
「あの」
元忠の似顔絵を描く手をとめ、アンが眼をあげた。
「話の筋道がおかしい気がするのだけど」
「おかしい?」
リフィーティア・レリス(ea4927)が柳眉をひそめた。そして煌く銀色の髪を煩わしげに振り払うと、
「何がおかしいんだ?」
「それなんだけど」
アンはやや困った顔で源八を見た。
「へそ曲がりって思われるかもしれないけど‥‥源八はどうして今頃元忠って人を探そうとするの? ううん、源八の事を疑っているんじゃないんだよ。ただ源八が誰かに利用されているような気がして」
「俺が? まさか」
源八は苦笑した。
「それならいいけど」
「いや」
リフィーティアが小さく声をあげた。へそ曲がりでは彼も負けてはいない。
「アンの云う事、あながちおかしな事ではないかもしれん」
「リフィーティア君は、元忠の友人を疑っているのですか」
問うたのは端正な相貌の男だ。ただしその整った顔立ちの裏には反骨の精神が溢れているのが透けて見える。
「ああ」
リフィーティアは蛟静吾(ea6269)に肯いてみせた。
「笑うか?」
「いいや」
静吾はかぶりを振った。
「僕も一人思い当たる人物があるのでね」
「霧隠才蔵か」
ぼそりとした声を発したのはマクシームである。
「魔界に転生した忍び。その霧隠才蔵という男も、どうやら友人の特徴に合致しているようだな」
一刻ほど過ぎた頃だろうか。
源八の前に三枚の紙片が掲げられた。描かれているのは、いずれ劣らぬ美しき若者の顔である。
そして――
源八の指は、その一枚を指し示した。即ち、北条早雲の顔が描かれた一枚を。
「が、友人の正体が早雲公と知れたとて、厄介である事に変わりない」
硬質の声音で柳が呟いた。
もしこの依頼に夕凪が参加していたとするなら事は簡単であった。早雲に直接元忠の事を尋ねれば良いのだから。しかし、その夕凪は駿河には行けぬ。
「さて、その元忠とやら、今頃はどこにいるか」
「駿河ではないか」
冷然たる声音でカノンが告げた。
「もし元忠殿が江戸にいるのなら、探さねばならぬほど源八殿が会っていないという事はあるまい」
「駿河か」
麻鳥の眼がすうと細められた。彼の耳は、確かに運命の歯車がたてた、ごとりという大きな音を聞き取ったのである。
「どうやら駿河が俺達を呼んでいるようだ」
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冒険者達は東海道を西に上った。二組にわかれて。
そのうちの一組は街道脇の廃寺や小屋等、元忠が残したかもしれぬ痕跡を辿りつつの道中であった為にそれほど足は速くない。
掌からふわりと飛び立つ妖精の凛を見送り、不知火はふうと息をついた。
「やっぱり草木は元忠殿の事は知らないみたいね」
不知火は独語した。
昨日、江戸において木野崎滋が元忠の姓が多目である事を突き止めたが、その事を不知火は知らず。ただ源八の安否にのみ思いを馳せた。まあアキ・ルーンワースがひそかに見張ってくれているらしいので、それほど危険な事にはなるまいが。
「雫の痕跡もない」
とは、麻鳥だ。
雫とは久佐奈岐神社宮司の娘で、どうやら霧隠才蔵が狙うクサナギの謎を解く鍵であるらしい。彼は元忠と並んで雫の痕跡をも追っていたのであった。その点、この麻鳥という男、図抜けた神経の持ち主といえる。
柳は荒れ果てた境内を見回した。
「東海道をつかったのではないのかもしれないな」
柳は云った。その声音にはやや焦りが滲んでいるようである。
「やはり先手を取るには久佐奈岐神社か」
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疾風吹き荒び。漆黒のコートを翼の如くはためかせ、カノンは駿府城の前に立っていた。
「何者だ」
怒声にも似た声がとんだ。門番の発するものである。
「私はカノン・リュフトヒェン。冒険者だ」
「冒険者?」
門番は顔を見合わせた。
「冒険者が何用だ」
「北条のどなたかに会いたい。もしやするとどなたかに危難が及ぶかもしれんのだ」
「何を」
門番は棒を突き出した。
「失せろ。お前などに付き合っている暇はない」
「‥‥」
無言のままカノンは背を返した。ここで抗弁したとてしようがない。
と――
どれほど駿府城から離れただろうか。突如、カノンの足がとまった。
その眼前に飛鳥のように舞い降りて来た影がある。
十五、六歳ほどであろうか。彫刻的な顔立ちの若者であった。
「お前は――忍びか」
「風魔の影丸」
薄く微笑みつつ若者は答えた。
「門番とのやりとりは聞いた。北条の者に危難が及ぶそうだな」
「ああ。それを防ぐ為に北条の方に会いたい」
「それは無理だな」
「ではお前から知らせてくれ。元忠殿に危難が及ぶかもしれぬと」
「元忠?」
影丸の眉がひそめられた。
「どの元忠だ」
「姓はわからぬ」
「ほう」
影丸の口元に微笑がもどった。
「姓がわからぬとは、また雲を掴むような話だな。で、何故、元忠に危難が及ぶのだ」
「わからぬ。ただ霧隠一派が狙っているようなのだ。十八年前に起こった何かを巡ってな」
「霧隠? 霧隠才蔵か」
さすがに影丸の表情が動いた。
「霧隠才蔵が駿河に姿を見せた事は知っているが‥‥。まあ、いい。面白い話を聞かせてもらった。礼を云うぞ」
ふふ、と微笑を残し。影丸の身が空に舞った。ましらのように樹木を駆け上がり――
影丸の身が一陣の疾風と化して消え去ったのを見届け、ようやくカノンは歩き出した。
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同じ頃、麻鳥と柳の二人は久佐奈岐神社社務所内の奥室にいた。彼らの前には宮司である醍醐篤人が座している。
一人、不知火のみは境内にうっそりと佇んでいた。瞑目したその姿は、まるで居眠っているかのようだ。
が、違う。半自然の存在と変じた彼は、ひたすら不穏なる気配を探っていたのであった。
「再度訪れたのには訳がある」
奥室で口を開いたのは麻鳥であった。
「尋ねたい事があるのだ。氏子に元忠なる名の人物がおられぬだろうか」
「元忠?」
篤人が首を傾げた。
「さて、思い当たらぬが」
「では雫殿の事だ。あれから雫殿より文などあっただろうか」
「いや」
篤人はかぶりを振った。
「居所を悟らせぬ為、雫は文など寄越さぬ。おそらくはすでに駿河にはおらぬと思うが。もしその居所を知る者があるとするなら」
篤人が言葉を切った。麻鳥が手で制した為である。
「壁に耳ありともいう」
「そうだな」
柳が耳を澄ませた。針の落ちたような物音もない。
うん、と柳が肯いて見せた時だ。のそりと不知火が室内に入って来た。
「私もお話を聞かせてもらいたくって。こいつのようになぁ!」
いきなり抜刀すると、不知火は菊一文字の刃を畳にずかりと突き立てた。
「な、何を――」
篤人が驚倒した。
その一瞬後の事だ。床下から境内に何かが飛び出した。
犬に似た異形のモノ。魔性だ。
「もはや追っても及ぶまい」
不知火が刃を鞘におさめるのを待って麻鳥が云った。そして篤人に眼を戻すと、
「さあ、先ほどの続きを。もし雫殿の行方を知っている者があるとするなら?」
「琴音が知っているかも。江戸にいる私の妹だが。もし雫が生まれねば、琴音がクサナギを受け継ぐ予定だった」
「妹殿が」
柳は不審げに呟くと、
「どうやら日本武尊の異聞とクサナギとやらは代々女が受け継ぐもののようだな。理由でもあるのか」
「陰となり伝える為、敢えて嫡子は避けたとは聞かされている」
「そうか」
柳は答えた。それならば肯けぬ事もない。
「では最後に一つ。嬢に紹介状など書いてはいただけぬだろうか。それと、伝えたい事などあればうかがっておくが」
「伝えたい事」
篤人の顔に苦渋の色が滲んだ。そして詰まる声を押し出すように、
「ただ、すまぬと」
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そこは駿府城下でもかなり大きな剣道場であった。
玄関に現れた門下生らしき若者は一瞬いぶかしげに眼を瞬かせた。眼前に林檎のような頬の少女が立っていたからだ。
「娘、何か用か」
若者が問うと、少女はこくりと肯いた。
「父ちゃんを探しに来たの」
答えると、少女は一枚の紙片を差し出した。どうやら人相書きであるらしい。
「これは」
受け取り、一目見て、若者が小首を傾げた。
「元忠様に似ておるが。まさかな」
「すまないが」
声がした。
驚いて顔をあげた若者は、その時に至ってようやく戸口の脇に影のように立つ一人の男に気づいた。どうやら異国人であるらしい。
男は問うた。
「今似ていると云ったが、元忠様とは誰なのだ」
「異国の者ならば知らぬとも仕方はない」
若者は微笑った。
「が、この駿河の侍に知らぬ者はおらぬ。元忠様とはな、北条五色備えの一色、黒備えの将である多目元忠様の事だ」
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駿府城下の武家屋敷が立ち並ぶ一角。
寒風吹きすぎるその街路を、四人の冒険者は歩いていた。
少女のなりをしたアン、マクシーム、そして合流したリフィーティアと源八――いや、アンのミミクリーによって変形した静吾である。
「まさか駿河の将だったとはな」
「が、それで肯けます」
肩を竦めるリフィーティアを静吾はちらと見た。
「早雲と元忠が友人であったならば、それもあり得る」
「が、問題はここからだな」
マクシームの声は重い。
元忠の正体が北条軍黒の将たる多目元忠と知れて、どうするか。警告するにも一介の冒険者には会う事すらかなうまい。
と――
静吾が足をとめた。そしてゆっくりと振り返る。
「僕達に何か用ですか」
「ふふん」
含み笑う声は笠の内からもれた。雲水である。
「久保田源八。うぬの方から駿河に舞い戻って来てくれるとは手間がはぶけて良い」
「という事は、占い師に化けてまで噂を流したのも無駄じゃなかったという訳だな」
リフィーティアはニヤリとした。彼は道中、源八が元忠と駿河で会いたがっているという噂を流していたのだ。
「ぬう」
笠の内から軋るような声がした。
「つまらぬ小細工を。この上は源八を殺すついでに、うぬらが何を掴んでいるか、吐かせてくれる」
「やれるか!」
散り積もる落葉を舞い上げ、リフィーティアが雲水との間合いを一気に詰めた。煌く銀光は、眼にもとまらぬ素早さで繰り出された鬼神ノ小柄の一閃だ。
「ぬっ」
雲水が飛び退った。その肩が裂かれ、血が滲んでいる。
「逃がすか!」
さらに踏み込もうとして――リフィーティアの動きがとまった。まるで見えぬ糸にからめとられてしまったかのように。
「馬鹿め!」
嘲笑う雲水の右手が突き出された。その掌が一瞬翳ったように見え――禍々しき呪力は暗黒の炎を生んだ。
「くっ」
空を灼きつつ迫る漆黒の炎塊を見つつ、しかしリフィーティアは指一本とて動かせない。炎塊は飢えた狼の如くリフィーティアに貪りつき――
一人の少女の手が魔炎を受け止めた。アンのホーリーフィールドがブラックフレイムを防いだのである。空間が焦げ、悲鳴をあげた。
「気をつけろ」
弓に矢を番えつつ、マクシームが周囲に眼をはしらせた。そして見つけた。狩人の眼をもつ彼のみしか見出せぬ、樹枝にとまる鴉に似た存在を。
「他にも敵はいるぞ」
マクシームが弓を引き絞った。
その時だ。突如、闇が彼を飲み込んだ。眼がきかぬ。
「ええい」
静吾が躍り上がった。防戦に徹すべしと決めていた彼であったが、さすがに此度はそうもいかない。薙ぎ上げられた白光は枝もろとも鴉を両断し―
地に降り立ち、信じられぬものを見るように静吾が空を見上げた。鴉が平然と空を舞っている。確かに手応えはあったはずなのに。
「魔刃が効かない?」
愕然として静吾が呻いた時だ。
叫ぶ声がした。どうやら騒ぎを聞きつけた侍達が武家屋敷から出て来たらしい。
はじかれたように振り返った静吾は、雲水の姿が消えている事に気づいた。
「アン君」
駆け寄ると、静吾はアンに声をかけた。
「雲水の心は読めましたか」
「うん」
アンは強張った顔で首を縦に振った。
「あいつ、本当に私達がどこまで知っているか、探りたかったみたい。修羅王に」
「修羅王?」
「うん。修羅王様に報告を。そう、あいつは考えていた」
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翌日の事である。
駿河を去る八人の冒険者の姿は東海道にあった。
「どうした?」
軍馬ゲールをとめたリフィーティアに気づき、マクシームは蒙古馬を近寄せた。
「俺達は」
口を開いたリフィーティアの面は、彼らしくもなく憂いに沈んでいる。リフィーティアは続けて、
「依頼を果たしたんだろうか」
云った。
結局のところ、冒険者は多目元忠とは会ってはいない。故に直接警告を伝える事はできなかったのだ。
「さて‥‥。が、得たものはある」
マクシームは答えた。
黒の将、多目元忠。北条早雲。そして新たな敵。
事件は次なる局面を迎えつつある。その予感がマクシームにはあった。
「次は江戸か」