【鳳凰伝】雫

■シリーズシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:11〜lv

難易度:難しい

成功報酬:9 G 4 C

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:02月16日〜02月21日

リプレイ公開日:2009年03月03日

●オープニング


「囮であったと?」
 ぎらりと眼を光らせたのは、ぞくりとするほど美しい若者であった。その身にまといつく黒霧に似たものは具現化した鬼気である。
 霧隠才蔵であった。
「猛水、それでおめおめと戻ってきたか」
「はッ」
 猛水と呼ばれた男はがくりと面を伏せた。その頬を伝って冷たい汗が滴り落ちている。
「申し訳もなく」
「馬鹿が」
 才蔵から殺気が迸り出た。面もむけられぬ熱風の如き気にうたれ、猛水は身を震わせた。
 その時――
 嘲笑う声が響いた。
「しくじったか。忍者など、所詮はその程度」
「修羅王」
 才蔵がちらりと眼をむけた。
 銀色の月光の下、一人の侍が佇んでいる。鋼の体躯の持ち主だ。
 修羅王と呼ばれた侍は唇をゆがめた。
「霧隠七忍。ご大層に名乗るほどには役にたたぬな」
「ほざくなよ、修羅王」
 才蔵の口から軋るような声がもれた。その眼には刃のような光がゆらめいている。
「この場で殺してやってもよいのだぞ」
「やれるか」
 修羅王がニンマリした。
 刹那、空が振動した。世界が紫色に染まり、轟然たる衝撃が地を撃つ。巨木がへし折れ、燃え上がった。
「これは――」
「!」
 さすがの魔人二人も顔色をなくしている。
 才蔵と修羅王――彼ら二人は天を見上げていた。そこに一人の偉丈夫が屹立している。
 金色の武具を纏った、圧倒的な迫力――神々しいといってさえ良い気を身裡にはらむ男。世界を切り裂いた雷霆の主である。
「愚か者めらが」
 偉丈夫の眼に蒼い炎が燃え上がった。
「しくじった上に、不様に争い合うとはな」
「い、いや」
 顔を強張らせ、修羅王が声をあげた。
「邪魅に久佐奈岐神社を見張らせております。必ずやクサナギの行方を突き止めてくるかと」
「まことであろうな」
 じろりと偉丈夫は才蔵と修羅王を見た。冷厳たる瞳には地獄の炎がちろちろと燃えている。
「もし違えればうぬら二人の首、ないと思え」


 江戸外れ。
 二人の女が足をとめた。
 一人は三十後半ほどの年頃の、理知的な、どちらかというと冷たい印象を抱かせる女であった。もう一人は十五ほどの、大きな瞳が特徴的な美少女である。背に桐の箱をくくりつけていた。
「出て来な」
 女が云った。すると二人の女の背後にすうと人影がわいた。
「何モンだい?」
 振り返り、女が口をゆがめた。
「尻を追いかけるなんて、嫌らしい真似をするじゃないか」
「気づいておったか」
 人影が笑った。男であった。二枚目といえぬこともない顔立ちだが、どこかぬらりとした不気味な雰囲気を漂わせている。女は知らぬことであったが、この男こそ霧隠七忍が一忍、猛水であった。
「さすがはクサナギを護る者だけはある」
「というところをみると、こちらの正体は先刻ご承知ってわけだね」
 女は、すっと少女の前に手をのばした。
「雫、いきな」
「琴音おばさま」
 雫と呼ばれた少女の眼が愕然として見開かれた。
「おばさまを残していくことなどできません」
「はっ」
 琴音と呼ばれた女が笑った。
「おまえが残ったって何の足しにもなりゃあしないんだよ。こいつは只モンじゃねえ。この私だって手に負えるかどうかわからないんだから。それよりもクサナギをもってお逃げ」
「――は、はい!」
 迷いは一瞬。すぐに雫は駆け出した。追おうとした猛水であるが、するするとその前に琴音が立ちはだかった。
「どこへいくんだい。お前の相手は私だ」
「ぬう」
 猛水の形相が変わった。悪鬼のそれに。
「邪魔するか」
「ああ。斃せやしないかもしれないがね、時を稼ぐぐらいのことはできようさ」
 ニヤリとすると、琴音はかまえをとった。
「本気の私はちょっと手強いぜ」


 夕刻。
 冒険者ギルドを訪れた女の姿を見て、手代は眼を丸くした。
 女は衣服を真紅に染めている。どうやら傷を負っているらしい。
「どうされたのですか」
「私のことはどうでもいい。それより姪を助けてもらいたい」
「姪御さん?」
「ああ、雫ってんだがね。追っ手から逃したものの、足止めするのが精一杯さ。手傷を負わせたが、たいしたことはない。すぐに追跡にかかるはずだ。雫の腕じゃとうていかなわない。助けておくれ。そして、ある人のところに送り届けてもらいたい」
「ある人? そのお方とは?」
「鬼一法眼。居場所は雫が知っている」
 告げると、女――琴音はがくりと項垂れた。

●今回の参加者

 ea4927 リフィーティア・レリス(29歳・♂・ジプシー・人間・エジプト)
 ea6130 渡部 不知火(42歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea6269 蛟 静吾(40歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea9689 カノン・リュフトヒェン(30歳・♀・神聖騎士・ハーフエルフ・フランク王国)
 eb1833 小野 麻鳥(37歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb2918 所所楽 柳(29歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb5249 磯城弥 魁厳(32歳・♂・忍者・河童・ジャパン)
 ec0205 アン・シュヴァリエ(28歳・♀・神聖騎士・ハーフエルフ・イスパニア王国)

●サポート参加者

アキ・ルーンワース(ea1181)/ リュー・スノウ(ea7242)/ リン・シュトラウス(eb7760

●リプレイ本文


 ぽつりぽつりと落ち始めた銀の針のような雨滴に濡れ、一人の若者が冒険者ギルドの外に立っていた。アキ・ルーンワースである。
 辺りにそれとない警戒の視線をくれてから、彼は耳をそばだてた。中からは琴音の声が響いていた。
「いいんだよ、私のことは」
「だめです」
 リュー・スノウがかぶりを振った。
「自身を逃がす為に張った体。何かあっては雫さんが悲しまれます。まずは傷の治療を。仔細は其の後でも宜しゅう御座いましょう、旦那様?」
「いいわよ」
 肯く渡部不知火(ea6130)の眼には苦笑の光がゆらめいている。
(‥この手の女傑は他人な気がしねえ、弱ってる姿見るのはちいと‥な?)
 心中、不知火は呟いた。
 彼には妹が一人いる。これがとんでもない代物で、とても女とは思えない。稀代の剣豪である柳生十兵衛ですら苦手とする傑物であった。
「さあ、どうするよ」
 と声をあげたのは、はっとするほどの美貌の主で。リフィーティア・レリス(ea4927)である。
「探すっていっても、また途方もない状態だな」
「それでもやらなけれならない」
 冷徹ともいえる声を発したのは所所楽柳(eb2918)である。凛とした、どこか男装の麗人を思わせる彼女は決然たる語調で、
「先んじた一手を決めるために」
「ともかく敵をひきつけることが必要だよね」
 アン・シュヴァリエ(ec0205)ががちらりとリフィーティアを見た。その視線に、何故かリフィーティアは寒気を覚え、
「な、何だ?」
「ふふふ」
 含み笑い、次いでアンが打ち明けた案はリフィーティアが雫に変形し、敵を誘き寄せるというものだ。
「なるほど」
 納得したのか、リフィーティアはうんうんと肯き――すぐに、おい、と唸った。
「何で俺が雫のふりをしなくちゃならないんだ。云っておくが、俺、男なんだけど」
「気にしない、気にしない」
「仕方ねえなあ」
 リフィーティアは肩を竦めた。アンは眼を輝かせている。
 その様子に、湯に蜂蜜をとかしたものを差し入れようとしていたリン・シュトラウスは可憐に小首を傾げた。
「ねえ、アン。もしかして楽しんでない?」
「うーん。‥‥癖になっているかも」
「楽しそうですね」
 アンとリンに微笑みかけてから、蛟静吾(ea6269)は不知火に向き直った。
「鬼一法眼殿の居場所を教えてはもらえないだろうか」
「いくつもりなの?」
「ええ」
 静吾は肯いた。
 駿河において、冒険者は敵に翻弄されている。さらに、その敵の背後には魔人霧隠才蔵が控えている。できうるならば伝説中の剣客にして陰陽師たる鬼一法眼なる人物の助力を得たい。
「鬼一様かぁ」
 リンが夢見るような瞳をあげた。
「どんな方なんだろ」
「少なくとも只者ではないな」
 ぼそりと呟くように答えたのは、濡れたような髪を肩までさらりと垂らした男だ。氷のような眼差しが印象的な陰陽師で。名は小野麻鳥(eb1833)という。
「知ってらっしゃるんですか」
「ああ」
「どんな方なのですか」
「とてつもなく美しい男じゃ」
 答えたのは磯城弥魁厳(eb5249)だ。黒脛巾組である彼もまた鬼一法眼を見知っていたのである。
「私の主様とどっちが綺麗?」
「ううむ」
 魁厳は答えに迷った。鬼一法眼とリンの主たる北条早雲はどちらも人間ばなれした美形であったからだ。
 さすがに付き合ってはいられぬとばかり、静吾はまだ治療を続けている琴音に身を寄せた。
「法眼殿に伝言はおありですか」
「琴音ともあろうもんが下手をうったとお伝えしてくんな」
 琴音は苦く笑った。静吾は目顔で肯き、では、と立ち上がった。
「頼むぞ」
「‥‥」
 急いているはずの静吾の足がとまった。
 頼むぞの一言。それは静吾ほどの男の足をとめるほどの気迫のこもったもので。
「クサナギを巡る戦い。何としても先手をとらねばならぬ」
「わかっています」
 静吾は再び歩き出した。その背を見送るカノン・リュフトヒェン(ea9689)の眼は黒曜石の如く静かに光り――が、その奥には確かに紅蓮の炎が燃え盛っていた。


 宿場は黄金色の光に染まっていた。黄昏時である。
 ふ、と。一人の女が足をとめた。琴音である。桐の箱を大事そうに抱えている。
「綺麗だね。でも魔に逢う時っていうんだよね、この国じゃ」
「ふーん」
 同じく足をとめた娘がニッと微笑んだ。こちらは雫であった。
「いるんでしょ」
「うん」
 琴音が肯いた。
「さっきからずっと後をつけてきているよ」
「となれば、忍びではないな」
 呟いたのは、眼帯で眼を隠した浪人だ。
「いくらアン――琴音とはいえ、相手が霧隠の忍びであれば、そう容易く気配はつかめまい」
「じゃあ、誰?」
「わからぬ。が、磯城弥殿なら‥‥」
 浪人がすっと視線を飛ばした。その先――

 その先、すっと街道脇の藪に身を伏せた者がある。魁厳であった。
「確かに忍びではないようじゃの」
 琴音達の会話が聞こえたはずはないのに、魁厳は呟いた。アンと同等――いや、暗躍者としての本能はむしろ上であろう魁厳にはわかる。仲間をつけている者達の気配が。
「何を考えておる?」
 薄闇の中、魁厳の眼が金色に光った。


 すでに漆黒の夜の帳は降りている。
 その中、ぼうと微かに明かりがもれていた。破寺の中からである。
 崩れかけた本堂。その中に三つの人影があった。
 不知火、麻鳥、柳の三人である。
「雫はどこにいるんだ」
 柳が云った。
 彼女は、他人に煩わされることなく芸に打ち込みたいとふれこみつつ、雫の行方を尋ねた。去る少女、それを追う友人という物語――即ち逃げる雫と追っ手とう印象をそれとなく相手の脳裏に刻む楽士である柳らしい質問の仕方である。
 結果は成功であり、また失敗であった。
 何者かが雫らしい少女を追っていることを柳は突き止めた。おそらくはカノン達がまいた噂を嗅ぎつけた敵であろう。
 が、反面、肝心の雫の足取りが掴めない。柳は雫の人相書きを取り出した。
「独り、心細いだろうに」
 我知らず、柳は溜息を零していた。
 琴音達の襲撃された場所には血痕が残されて入るものの、他に痕跡はなかった。が、おおよその雫のむかった先はわかった。雫の姿が目撃されていたのである。
「少なくとも、ここにいたのは確かよ」
 不知火が云った。
「凛、そうよね」
「そうそう」
 答えたのは不知火の肩にちょこんと腰掛けた妖精だ。彼女はグリーンワードにより、この廃寺に雫が立ち寄った事実を突き止めたのであった。
「でも雫の姿の目撃者が少なすぎる。これはおかしいわね」
「おそらくは夜に移動しているのだ」
 麻鳥が答えた。そして床に広げた地図の一点を指し示した。
「獣道を使っているとしても、それだけでは通用せぬところもある。そこに必ず雫は姿を見せるはずだ」


 翌、辰刻あたり。
 静吾は森の手前で愛馬太刀風をとめた。
 ここから先、馬が通れる道はない。歩くしかなかった。
 太刀風を樹木につなぎ、静吾は歩き出した。さわさわと梢をゆらす風が静吾の頬を撫でて過ぎる。
 静かだ。そう静吾が思った時である。
 ひらりと彼の前に舞い降りてきた者がある。人ではない。鴉天狗! 
 そう判断し、咄嗟に静吾の手が太刀の柄にかかり――とまった。彼の首に、鴉天狗が抜き払った刃が凝させている。恐るべき神速の抜刀であった。
 その時に至り、ようやく静吾はわかった。刃の主が鴉天狗の面をつけていることに。
「冒険者です」
 さすがにややしわがれた声で静吾は名乗った。
「鬼一法眼殿にお会いしたい」
「お師に?」
 鴉天狗――鞍馬八僧の一僧は刃をはずした。
「いいだろう。ついてこい」


 吹く風に凄愴の気がまじったのは宿場を出てしばらくのことであった。
 足をとめた琴音達の前後を塞ぐように浪人らしき数人の男達が現れたのである。
「何の用?」
 薄笑いしつつ琴音が問うと、浪人の一人が歯をむきだした。
「小娘と桐の箱を渡せ。さもなくば」
「さもなくば、どうする?」
 眼帯の浪人が抜刀した。
 霊刀ルイ。魔力をおびた白銀の刀身が陽光をはねちらす。
「死ね!」
 刃を舞わせて浪人達が殺到した。
「ぬん」
 袈裟に一閃。間合いを見極めた刹那、眼帯の浪人が刃を薙ぎおろした。
 コナン流得意のスマッシュである。何でたまろう、浪人の一人が頭蓋を割られ、地に叩きつけられた。そして他方、やや遅れて琴音と雫も動いている。
 浪人が刃をふるった。唸るそれは琴音の顔面に撃ち込まれ――とまった。見えぬ壁にはばまれたかのように。
 浪人の顔が驚愕に歪んだ。が、対する琴音の顔もやや色を失っている。威力をおとしたホーリーフィールドでは一度刃を受けただけで解呪されてしまうのだ。
 その時、琴音の脇をすり抜けるようにして雫が馳せた。一瞬後、琴音の前に立つ浪人の胴から血がしぶいている。
 あっ、と残る浪人達が呻いた。彼らの中に、雫が瞬間的に抜刀した小柄で浪人の胴を薙ぎ払ったと見とめ得た者があったか、どうか。
「一人だけは生かしておいてあげる」
 招くかのように指を動かし、雫が童子のように微笑んだ。

 街道を疾風の如く駆ける二騎がある。
 黒鹿毛馬と白馬。騎手は静吾と鬼一法眼であった。
「法眼殿、間に合いましょうか」
 静吾が叫んだ。間にあわせねばならぬ、と鬼一法眼は白馬に鞭をくれた。
「クサナギは魔物よ。目覚めさせるわけにはいかぬ」

「なるほど」
 呟く声は街道脇の樹木の梢からした。
 青白い顔色の男が梢に立っている。霧隠七忍衆が一忍、猛水であった。
「あの身のこなし‥‥やはり替え玉か」
 猛水が音もなく地に降り立った。
 刹那である。猛水の背後にゆらりと人影が浮かび上がった。
 魁厳だ。そのふるう業は樒流絶招伍式名山内ノ壱――
「椿!」
「ぬっ」
 猛水が前方に飛んだ。遅れて魁厳の口から舌打ちがもれた。
「浅かったか」
「恐ろしい奴」
 猛水が血走った眼をむけた。
「うぬの微塵隠れの音が聞こえねば殺られていたかもしれぬ。が、その業、もはや霧隠の忍びにはきかぬぞ」
 背から血を滴らせつつ、ニヤリと猛水は笑った。対する魁厳には声もない。
 椿とは、いわば奇襲接近戦法である。タネが割れてしまった以上、もはや椿は通用しない。いや、それよりも――
 敵は何か秘術を隠している。その予感に魁厳は攻撃を躊躇ったのである。
 その魁厳の隙をつくように猛水が背をむけた。反射的に追おうとして、しかし魁厳は足をとめた。
 敵の手の内がわからぬ以上、深追いは危険であった。優秀な忍びである魁厳は冷徹に計算してのけている。
「魁厳殿」
「カノン殿か」
 魁厳が振り返った。背後に琴音の護衛であった浪人が立っている。いや、今は眼帯をはずし、カノンとしての素顔をさらしていた。
「襲撃者達は始末した。アン殿が心を読んだのだが、どうやら金で雇われたようだ」
「なるほどのう」
「後は不知火達ががんばってくれることを祈るだけだね」
 何時の間にやってきていたか、琴音が――いや、元の姿に戻ったアンが額にういた汗を拭った。隣では雫が不服そうに顔を顰めている。
「俺も元に戻してくれねえかな」
「だーめ」
 アンがくすくす笑った。
「もったいないから、もう少しそのままでいて」
「ぶん殴るぞ」
 雫――ミミクリーにより変形したリフィーティアは拳にはあと息を吹きかけた。


 茶店の奥。隠れるようにして一人の男が座していた。麻鳥である。
 彼は先ほどから思念を飛ばしていた。もし雫が効果範囲に入れば精神的に接触できるはずである。
 雫。どこにいる?
 雫。
 雫――

 同じ頃、不知火と柳は森に分け入っていた。凛のグリンーワードで、微かながらも雫の足取りは掴んでいる。日中はこの辺りに潜んでいる公算が大であった。
 不知火が藪をかきわけ、新たな獣道を見出した。
「この先にいるわよ、必ず」
「わかっている」
 柳は耳を澄ませた。雫の鼓動の音すら聞き逃すまいとするかのように。
 直後――
 不知火の手がすうと腰の虎徹にのびた。
「霧隠の忍び? それとも修羅王の配下?」
「霧隠七忍が一忍、黒蓮じゃ」
 答えは、妖しい微笑をうかべた女の口から発せられた。
「うぬら、只者ではないな。才蔵様が申されていた冒険者とはうぬらのことか」
「だとしたら、どうする?」
 柳が鉄笛をかまえた。が、一瞬後、その表情に亀裂が入った。
 動けぬ。足に草がからみついている。
 黒蓮が嘲笑った。
「見たか、我が秘術」
「ううむ」
 不知火は呻いた。そして悟った。眼前のくノ一が凛と同じ術の所有者であることを。おそらくはグリーンワードを用い、黒蓮もまた雫の後を追ってきたのであろう。
 その不知火の身体にもまた蔦が蛇のように巻きついていた。
「ええい!」
 不知火の口から焦慮の声が迸り出た。と――
 突然、黒蓮が振り向いた。背はまったくの無防備だ。
 何故か。その答えはすぐにわかった。
 殺気。霧隠忍者ですら竦ませる超絶の殺気が吹きつけてくる。
「蛟!」
 疾駆する仲間の姿を見出し、柳の顔に喜色がわいた。
「間にあったようですね」
 静吾は抜刀すると、柳を縛り上げている蔦を切り払った。
「ここは任せて、僕達は先に進みましょう」
「わかった」
 答え、柳は走り出した。後に不知火、静吾が続く。
 そうと知っても黒蓮は動けぬ。半ば恍惚となった顔を、ただ一点にむけている。
「霧隠の忍び、俺が遊んでやろう」
 鬼の一字を姓に持つ剣客が花のように微笑った。


 誰、あなたは?
 かっと麻鳥は眼を見開いた。
(俺は小野麻鳥。琴音殿の依頼を受け、助けに来た)
 答え、続いて麻鳥は犬の名を告げた。それは雫が琴音のもとで修行していた頃に可愛がっていた野良犬の名で、そのことを知っているのは雫と琴音だけであった。
(それでは琴音おばさまは無事だったのですね)
(ああ、大事ない)
(よかった。あっ)
 雫の思念に悲鳴に近い響きがまじった。
(どうしたのだ?)
(敵が――)
 それきり思念が途切れた。

「来ないで!」
 雫が叫んだ。その前に三つの人影がある。
「恐がることはない」
 女が云った。すると男が微笑った。
「僕達は味方だ」
「助けに来たのよ」
 別の男もまた微笑い、雫の父の名を告げた。
「大きな宿命負わせた事を苦しんでらしたわよん?‥良いお父さん♪」
「父様が‥‥」
 雫の表情が和らぎ、足を踏み出しかけた。が、すぐにその足がとまった。
 小野麻鳥という者は味方の証である言葉を知っていた。が、この者達はそれを知らない。
 雫は後退った。
「クサナギは渡さない」
「な、何?」
 愕然とした声を発した静吾であった。その声の響きが消えぬうち、雫は背を返している。先にあるのは断崖だ。
(麻鳥様!)
 心中に雫は叫んだ。
(もしクサナギが目覚めれば、第六天魔王が復活してしまいます。それだけは防がなければ)
(何? 第六天魔王!?)
 麻鳥が問い返した時だ。雫が崖から身を躍らせた。谷にむかって。
「しまった!」
 不知火が駆け寄った。断崖から顔を覗かせるが、すでに雫の姿はない。ただ 滔々たる蒼のうねりだけが眼下にあった。