●リプレイ本文
綾かなる
不二へ向いし
紅蓮道
積み重ねたる
悠久の禁
●
東海道を馳せ下る八人があった。
すれ違う者は者はぎくりとして見送っている。彼らの眼の異様さに。
「早く、早く」
もどかしげに白井鈴(ea4026)が声をあげた。可憐な少女にしか見えぬ若者の裡には、外見とは似つかわしくないほどの熱い心がたぎっている。
それは優しさだ。忍びとして、それは不利益しかもたらさぬものでありながら、しかし鈴は優しさを捨てぬ。何故なら、鈴はこの世の最強の力を知っているから。優しさをもたぬ力は、力の名に価しない。
「どんな目に遭ってるかって思うといてもたっても居られない。少しでも早く助けてあげなくちゃ」
「ああ」
肯いたのは、鈴と同じくパラの若者である上杉藤政(eb3701)だ。
「攫うような奴らがまっとうな事をするはずない故な。三つ子を少しでも早く解放してやりたい。いや」
藤政の眼に蒼い光が煌いた。
「やらねばならぬ」
「やりますよ」
答えたのは陸潤信(ea1170)である。
その面を風がうつ。
切り刻め、と潤信は心中に叫んだ。
それでも私は退かない。今度こそ三人の少女を救ってみせる!
「そうですよね、カノンさん」
潤信がちらりと馬上の騎手を見上げた。
が、夜の色に染められコートを翻した騎手――カノン・リュフトヒェン(ea9689)は見向きもしない。ただ凍てついた美貌の中で唇が小さく動いた。
「助け出し、連れ戻す。それだけだ」
「‥‥」
黙したまま、カノンの隣で、同じく軍馬クランを駆けさせているのはアイーダ・ノースフィールド(ea6264)であった。
月のように冴えた、銀色の美貌の騎士は何を思うのか。それは何人たりとも窺い知る事はできない。ただコールド・スナイパーの称号をもつ彼女は、じっと標的のみを見つめている。
と――
何を思ったか、アイーダが口を開いた。
「敵の事だけれど」
「敵?」
山下剣清(ea6764)が問い返した。
そうだ、とアイーダは肯いた。
「裸形の男、疾風を操る美丈夫、闇から現れた黒覆面、そして風の中の何か。敵は精霊魔法を使う者。‥‥もしかしたら精霊そのものかもしれないわ」
「精霊、ですか」
柔らかな声音で繰り返したのは巨漢の陰陽師だ。名を宿奈芳純(eb5475)という。
彼は元馬祖と妙道院孔宣から、敵の狙いは富士の竜脈もしくは富士そのものの噴火ではないかという意見を得ている。御伽噺のような意見であるが、一笑にふす事はできなかった。
事実、その検証の為に芳純はフォーノリッヂの呪法をすでに行っている。が、彼の呪力では単語一つのみしか指定はできない。それでは期待通りの未来を観る事は不可能だ。
「悪魔だと云う者もいるぞ」
とは雀尾嵐淡(ec0843)であった。
疾風のように地を駆ける僧兵の面には、この時微笑の如きものが浮いている。肌がそそけだつような戦いの予感に、この男は悦んでいるのだった。
「悪魔?」
剣清は不審げに顔を顰めた。
嵐淡は平然と、ああと肯き、
「磯城弥魁厳が云っていたのだがな。奴は以前に江戸の霊的守護を壊そうとした者と遭遇したそうだ。此度の件、どうやらそれと似ているらしい」
「どう思う?」
カノンがアイーダを見た。アイーダもまた魁厳の云う事件の当事者であったからだ。
「さあて」
アイーダの表情は変わらない。ただ小首のみ傾げて、
「敵の正体は私にもわからないわ。でも沙也さんの両親がマグナブローで殺された事、出ないでという囈言、三人に共通する悪夢などから考えると、敵の狙いは彼女達の中にある火の精霊かもしれない」
「‥‥ヒノカグツチ」
「カグツチ?」
藤政の顔色が変わった。
「今、カグツチと云ったか?」
「云った。ステラ・デュナミスがヒノカグツチと霊峰富士と関連を調べていたのを思い出したのだ」
「その冒険者、たいしたものだな」
藤政が唸った。
カグツチとは火之迦具土神の事で、国産みの一神である伊邪那美を焼き殺した神である。そして、その火之迦具土神の父神の名こそ――
「伊邪那岐だ」
「伊邪那岐!」
愕然として潤信は呻いた。
伊邪那岐とは、三つ子の母親である五十鈴が冗談めかして娘達の父親だともらした名だ。それではやはり、三つ子の裡に宿るのは火之迦具土神か。
「わからないな」
僧籍の嵐淡は答えた。
火之迦具土神は大神伊邪那美をすら殺した、云わば超大神である。そのような神を、果たした人の身が封じ込められるものだろうか。
「ともかくさ」
じれったくなったのか、鈴が声をあげた。彼にとって敵の狙いがどうのとか、火之迦具土神がどうのとかは関係ない。
ただ哀れな魂を守る。それだけだ。
「あんまり難しいこと考えても現状じゃ判断できないよね。お母さんが巫女さんでお父さんが伊邪那岐命って普通なら有り得ないし。とにかく今は助けることだけ考えるようにしようよ」
「そうだな」
微笑むと、嵐淡は鈴の頭に手をおいた。そして童にするように髪の毛をくしゃりとしたのであった。
●
辰刻。すでに太陽はのぼっているが、中天までには遠い。
冒険者達は鬱蒼と茂る樹陰に潜んでいた。彼らの前にはひっそりと佇む荒れ寺がある。
その寺を、藤政は複雑な表情で見つめた。
サンワードにより、彼は三つ子の居場所がこの辺りであるとの答えを得ている。が、正確なところはわからない。一条如月が占ってくれたが、結果は同じだ。
昨夜のうち、芳純のムーンシャドゥにより冒険者達はこの地まで辿り着いていた。その時、本堂からは明りがもれ出ていたので確かに何者かがいるのだろうが、三つ子の存在の確証までには至ってはいない。
こうなっては嵐淡のデティクトライフフォースに頼るしかないか。
藤政はちらりと嵐淡を見た。芳純はムーンシャドゥを発動させすぎ、今は死んだように眠っている。すでに呪力は尽き、これ以上の発呪は無理だろう。
嵐淡は肯き、樹陰から進み出た。
デティクトライフフォースの効果範囲はおよそ八間強。寺を探るには森から出なければならない。
嵐淡は本堂にじりじりと歩み寄っていった。
その様子を、愛馬クラフトに跨ったカノンは歯噛みする思いで見つめている。
彼女は探りを入れる時ですら惜しいと考えていた。本来ならすぐさま飛び込んでいきたいところなのだが、作戦上一人突出する訳にもいかず、今は自重しているのだった。
と――
「危ない!」
という叫びは鈴のあげたものだった。
常人を凌ぐ視力を持つ彼は見とめていたのだ。きらと光がはねたのを。
が、遅い。空を裂いて疾った手裏剣は、狙い過たず嵐淡の胸に吸い込まれている。
「ぬっ」
という呻きは、今度は本堂の屋根の上からあがった。
屋根の上に、裸形の人影が立っている。沙也を浚った男だ。
その男を、じろりと嵐淡が見上げた。そしてニヤリ、と笑った。
その足元には、嵐淡を刺し貫いたはずの手裏剣が転がっている。それが咄嗟に嵐淡が張ったホーリーフィールドの仕業と、さしもの謎の敵も見とめ得たか、どうか。
しかし、とアイーダは首を捻った。
彼女は見張りを斃すつもりであった。それ故にずっと注意をしてはいたのだが、しかしアイーダの狩る眼に映るものは何もなかったのだ。
いや――
アイーダの脳裏をよぎったものがある。
本堂の屋根。その上にいやに大きな鳥がいた。その時はさして気にとめなかったが、もしやするとそれが――
はっとアイーダが瞠目した。その時だ。
鋭い呼気が響いた。続いて鉄蹄の轟き。
カノンだ。
戒めを解かれた狼の如く、カノンが本堂めがけて突撃をかけたのであった。
存在を知られた以上、息つく間も与えず攻める如かず。そう考えてのカノンの襲撃であった。
が、他の冒険者達にとってはたまらない。慌てて潤信と剣清、嵐淡が後を追った。芳純もすでに目覚め、遅れて地を走っている。
と――
突如、カノンが手綱を引いて、クラフトをとめた。他の冒険者もザッと土埃をあげ、その場に制止した。
彼らの眼前、本堂の戸が開いている。そのぽっかりと開いた暗い穴のような空間の前に、花のような美しい若者が立っていた。かつて冒険者を襲った疾風を操る美丈夫だ。
が、冒険者達の動きをとめたのは、その若者ではない。本堂内にある光景であった。
「‥‥沙也さん!」
潤信の口から愕然たる声がもれた。
本堂内に三人の少女はいた。梁からおろされた綱に手を縛られ、吊り下げられている。
それだけではない。少女達は皆裸であった。成熟しかけた裸身が太陽の光を浴び、真っ白に光っている。
その裸身に、一人の男が刃を凝していた。能面を思わせる、白い不気味な相貌の男であった。
「き、貴様」
潤信が、虎のように底光りする眼を若者にむけた。その身がぶるぶると震えている。沙也達を助けるとの覚悟を胸に刻みつけた潤信があったが、沙也達の凄惨ともいえる姿を見、怒りで血が沸騰しているのであった。
「その子達を放せ」
「馬鹿め」
若者がニタリと嗤った。むごらしい仕打ちを何とも思わぬ、それは一片の人間性すら欠いた酷薄な笑みであった。
「動くな。動かば、小娘どもを殺す」
「できますか」
嘲弄を込めて芳純が問うた。すると、またもや若者はニタリと笑み、
「できる。黒彦」
右手をあげた。すると黒彦と呼ばれた能面様の相貌の男が少女の一人――梓の胸に刃を突きたてた。
「あっ!」
と、ひび割れたような声を発したきり、冒険者達は凍りついた。
その眼前、梓は苦悶の声をあげている。その胸からは鮮血が溢れ出し――その時になった初めて冒険者達は気づいたが、梓の足元には呪法陣らしきものが描かれていた。梓から流れ出た血は、その呪法陣に滴れ落ちているのだった。
「退れ。そして、失せろ。失せねば、もう一人殺す」
「おのれ‥‥」
カノンが唇を噛んだ。
その時である。カノンは異変をとらえた。
藤政の姿が見えない。では――
カノンが氷の視線が若者を貫いた。
「聞きたい事がある」
「聞きたい事、だと?」
若者の嘲笑がかすかに揺れた。刹那、ぎしりと軋む音が小さく鳴った。本堂の廊下だ。
若者がちらりと不審げに視線を動かした。若者の超絶的な感覚が何かの気配を捉えたのだ。
が、潤信の一言が若者の注意を逸らせた。
「神の降臨の事だ」
「神の降臨、だと?」
「そうだ」
カノンが肯いた。
「かつてイザナミを焼いたという火の神――ヒノカグツチを手に入れて、何とする気だ?」
「貴様‥‥」
若者の嘲笑に亀裂が入った。その動揺故か、本堂の別の戸がすると細く開いた事にも気づかない。
「何を、どれだけ知っている?」
「全てだ」
「ならば、これも知っていような。黒彦!」
若者が叫んだ。
その瞬間である。黒彦が一気に梓を斬り下げた。
「ござれ、正鹿山津見神!」
おおん。
唸りとも咆哮ともつかぬものが、噴出する梓の血潮の中から響いた。そして、ぼとりと異様なモノが床の血溜りの中に落ちた。
それは三尺ほどの、真紅の色に染まった蛇に見えた。が、蛇ではなかった。それは神であった。
さらに――
その神を追うように、別の神がこの世に現出しようとしていた。沙也と多恵の口を押し開いて、同じ真紅の蛇様の神の一部が覗いている。
「殺せ、黒彦! 淤縢山津見神と奥山津見神に、二人の小娘の憎悪を刻みつけるのだ!」
「おお!」
再び黒彦の刃が閃いた。疾る切っ先は沙也の顔めがけて迫り――
「ぬっ」
黒彦が呻いた。その手の氷の煌きをやどす刃は、沙也の顔寸前でぴたりととまっている。
とめたのではない。見えぬ何者かの手によって掴みとめられたのだ。
「どうした!?」
若者が背を返した。が、その一瞬後、若者は横にはねとんだ。
その残影の残る空間を、一本の矢が疾りすぎた。アイーダの放った矢だ。
その直後、黒彦の口から苦悶の声がもれた。見れば、肩に一本の矢が突き刺さっている。
驚くべし。一刹那のうちにアイーダは二本の矢を放っていたのである。
「おのれ!」
若者の眼が赤光を放った。
轟!
疾風が吹いた。すべてを切り刻まずにはおかぬ魔性の風だ。
されど――
刃風の前に立つ者一人あり。それは薄紅色の光に包まれた猛虎の如き戦士――潤信だ!
「退かぬ!」
絶叫は風鳴りよりも大きく、高く。血飛沫を散らせつつ、潤信が若者に襲いかかった。
●
ぷつり、と綱が切断されて、三人の少女が床に崩折れた。
がっきと受け止めたのは、密かに潜入した鈴だ。彼に仕掛けの瞬間を教えたのは芳純のテレパシーである。
「ええいっ!」
黒彦が刃をふるった。何もない空間から鮮血が噴く。インビジブルによって消姿した藤政のものだ。
鬼の相を顔に滲ませ、黒彦が鈴に迫った。二人の少女もろとも鈴を殺すつもりだ。
鈴は二人の少女を抱きしめた。死など恐れない。ましてや刃など――
「させない!」
「死ね!」
殺意のこもった怒号は、しかし乱れ輝く光にかきけされた。
●
「ぬう」
肩から袈裟にはしった傷口をおさえ、潤信がよろめいた。若者が鞘走らせた一刀に斬り下げられたのだ。
通常の潤信ならば、あるいは避けられたかもしれぬ。が、オーラをまとっていたとはいえ、やはり刃風の衝撃は微妙ながらも彼の戦闘能力を削いでいたようで。
とどめとばかりに若者は刃を振りかざし――またもや飛び退った。彼の眼前の空間を、唸りをあげて不可視の刃が切り裂いていく。剣清のソニックブームだ。
「ううぬ、退け!」
美麗な顔をどす黒く染め、若者が絶叫し――
黒彦が戸をぶち破って外に逃れ出た。顔面から黒煙があがっているの藤政のサンレーザーに灼かれた為だ。
そして、今までアイーダの矢に牽制されていた屋根の上の裸形の男もまた、再び鳥に変形して空に逃れ去った。後にはしんと冷えた静寂と、濃い血臭、そして死が残されていた。
●
潤信は身を屈ませ、沙也に外套をかけた。すでに多恵、そして梓の骸には衣服をかけてある。
潤信は、そっと沙也の頬に指先で触れた。桃のように白いそこには赤黒い血がこびりついている。
「何故、この子達はこんな目に遭わなければならないのでしょう」
潤信の口から震える声がもれた。依頼を終えて、封じ込めていた激情が彼の身魂を揺さぶっているのだった。
「わからない」
呟くと、藤政は周囲を見回した。若者が正鹿山津見神と呼んだ蛇様の存在はおろか、淤縢山津見神と奥山津見神の姿も消失している。
「すまない」
藤政の口からくぐもった声がもれた。
淤縢山津見神と奥山津見神は、沙也と多恵の憎悪を抱いていったのだろうか。もしそうなら、それは俺達の責任だ。
その時――
地が揺れ、鳴った。まるで大地が苦悶し、のたくっているかのようだ。
アイーダはよろめきつつ、本堂から出た。そしてきっと富士を睨みつけた。
「神か‥‥。そんなものの為に――!」
吼えつつ、アイーダは矢を放った。
煌く銀光はアイーダの怒りをのせて富士めがけて疾り――流星のように消えた。