●リプレイ本文
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土埃をまいて吹きすぎる風の中、八人の冒険者は立ち止まった。
中の一人、子供のような体躯の若者が進み出る。子供ではないことは顔を見てわかった。深い叡智に煌く瞳は青年のそれだ。
上杉藤政(eb3701)。パラの陰陽師である彼は印をきった。
刹那、藤政の眼は時空をこえた。垣間見た未来は――
「‥‥島田宿が燃えている」
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箱根の手前。
街道脇の原で焚き火を囲む五つの人影があった。
白井鈴(ea4026)、アイーダ・ノースフィールド(ea6264)、カノン・リュフトヒェン(ea9689)、上杉、木野崎滋(ec4348)の五人の冒険者である。他の三人――陸潤信(ea1170)宿奈芳純(eb5475)は先行し、尾上彬(eb8664)は犬を連れている為に遅れていた。
「なるほど」
肯いたのは滋であった。今、カノンから事のあらましを聞いたところであったのだ。
「罪無き娘が三人、犠牲になったか」
滋の琥珀色の瞳に白刃にも似た光が閃いた。一瞬渦巻いた旋風は彼女が無意識に発した殺気の余波である。「ではカノン殿は、此度の一件にもその連中がからんでいると思うのだな」
「その可能性はあるわね」
カノンに代わってアイーダが答えた。冷然とした相貌を炎に紅く染め、
「賭場の能面顔の男、もしかしたら黒彦かもしれないわ」
「黒彦かあ」
声をあげたのは、闇色の鎧を纏った鈴である。
「確かにあいつ、能面みたいな顔してたなあ」
くすりと笑った。鈍感、というよりも不敵と呼ぶにふさわしい若者である。
「本当に黒彦だったら嬉しいなあ。ぶん殴ってやれるから」
すっと鈴の面から笑みが消えた。
「ふっ」
滋の唇に微かな笑みがういた。そして彼は指輪を放った。受け止めたのはカノンである。
「これは?」
「言葉の通じない相手と話す事ができる代物だ。そいつで炎妖――もし三つ子の裡にあったモノと同じなら伝えてくれ。哀しき娘達の物語を。これ以上利用されるのは忍びないのでな」
滋は告げた。黙したまま肯いたカノンの眼は凄絶に光っていた。
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「おい」
「うん?」
呼びとめられ、五郎蔵はぎくりと足をとめた。
「何でえ、脅かすねえ」
吐き捨て――気づいた。声の主の正体に。笠で隠してはいるものの、その人形のような美しい顔を見忘れるはずもない。
「おめえさんは」
「カノンだ」
カノンは名乗った。
「久しぶりだな。その後、儲け話はどうなった?」
「その事かよ」
五郎蔵の面に鼬の表情がよぎった。
「へへへ。見つけたぜ、いい儲け口をな」
「そうか。ならば私も一口乗せてはもらえないだろうか」
「お前さんを?」
五郎蔵が眉根を寄せた。粂八に話を通してあるのは自分だけだ。勝手に仲間にする事はできない。
いや、と断りかけた五郎蔵の耳に、カノンはそっと蕾のような唇を近寄せた。
「頼む。もし儲けが減ることが心配ならば‥‥男と女。別の礼もできる」
「うっ」
五郎蔵は身を強張らせた。
普段、彼が抱く女といえばせいぜいが夜鷹だ。カノンのような美形は抱ける事などめったにない。
粂八に対する恐れを、劣情がねじ伏せた。五郎蔵はニンマリすると、いいぜと請合った。
「有り難い。ところで、もう一つ頼みがあるのだが」
カノンがちらりと視線をくれた。その先には寒気のするほど美しい女が立っている。滋だ。
「彼女も仲間にしてやってはくれぬだろうか」
「あの女も?」
眼を血走らせ、五郎蔵は滋を見た。美しさはカノンと同等だが、その艶やかさはどうだろう。豊かな胸元から覗く牡丹がいっそう滋の色香をひきたてている。
「い、いいだろう」
悲鳴のような声で五郎蔵は答えた。
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同じ夜、彬もまた島田宿に到着していた。
すでに夜は深い。が、賭場はまだたっているだろう。
彬は野槌一家の賭場にむかった。すでに人遁の術で女に変形している。
野槌一家の賭場にはすぐに入り込む事ができた。彼――彼女の顔を覚えていた者があったのだ。派手な賭けっぷりが功を奏したというべきか。
座につくと、素早く彬は周囲を見回した。
粂八の顔が見える。さらには能面に似た相貌の男も。
「裸に狐目に風隠れか」
彬は薄く笑った。
「奴も忍びか」
そう彬が呟いた時だ。男の視線が彬を貫いた。どうやら男もまた彬の正体を看破したようである。空間に見えぬ火花が散った。
「よお」
緊張の糸は、太い声で破られた。粂八である。
「姉さん、久しぶりじゃねえか」
「ああ。‥‥少し話があるんだけどね」
云うと、彬は立ち上がり、廊下へと粂八を誘った。
「ちょいと良い値で買ってもらいたいものがあるんだよ」
粂八の顎に、彬はするりと白い指を這わせた。すると粂八はニタリと笑み崩れ、舌なめずりした。
「いいぜ、美味そう――」
「勘違いおしでないよ」
ぴんと彬は粂八の額を指ではじいた。
「買ってもらいたいというのは情報さ。焼死人の件でね、とある筋が動いてるらしいんだよ。駿河の殿様は凄腕の忍びを抱えてるらしいじゃないか」
「何ぃ?」
粂八の形相が変わった。
「てめえ、何モンだ」
「誰でもいいさ。これ以上の事を聞きたけりゃあ、私も一枚噛ませてもらうよ」
云うと、最後に泊まっている宿の名を告げ、彬は冷たく背をむけた。
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五郎蔵がカノンと滋を連れていったのは、宿外れの小さな家であった。事が終わるまで、ここで隠れていろと命じられているらしい。
カノンと滋が中に入ると、すでに壁にもたれて座している者がいた。
男だ。役者めいた二枚目だが、どこか剣呑な雰囲気を漂わせている。
「誰だ?」
カノンが問うた。すると男は顔をあげた。
「俺の名は追分の三‥‥四郎。どうやらおめえらも儲け話にのった口らしいな」
「そういうことだ」
滋はふてぶてしく笑い――ふっと柳眉をひそめた。
「追分の‥か。風の噂に、清水の御身内で似た名を聞いた気もするが」
「‥‥」
言葉もなく、三四郎の眼がすうと細くなった。その眼に一瞬閃いた刃光にも似た輝きを滋は見逃さない。
「ちょっとぶらぶらしてくるぜ」
三四郎が立ち上がった。
冷たい夜風に吹かれ、彬が歩き去る。ややあって数人の男達がその後を追った。中の一人は粂八だ。
すっと物陰から七尺ほどの巨大な影が現れた。芳純である。
(彬殿、つけられておりまする)
(わかった)
彬が足をとめた。
「何の用だい。一枚噛ませる気になったのかい」
「ほざけ!」
粂八が歯をむきだした。
「何を知っているか、吐いてもらうぜ」
粂八が怒鳴り、手下が殺到した。
チッと彬は舌打ちし――
わずか後、地には粂八を含めたヤクザ達が這っていた。陸奥流の達人である彬にヤクザ風情が抗するべくもない。
と――
芳純の目がかっと見開かれた。彬の足からのびた影から、ぬっと人影が浮かび上がってきたのだ。二匹の忍犬――翠と巴が吠えたが間に合わない。
「賭場の奴だね」
背に冷たい刃の感触を覚えつつ、彬が問うた。
「ふふふ」
軋るような笑い声が響いた。
「やはり只の鼠ではなかったな。何者だ。目的は何だ」
「云うと思うか」
「云わねば殺す」
声の主の殺気が膨れ上がった。
刹那だ。流星にも似た光矢が疾り、能面の顔の男の背に突き刺さった。
「ぬっ」
男が振り返った。闇の中で芳純が印を組んでいる。
「尾上殿!」
「おお!」
彬の身が爆裂した。くっ、と呻いた声は能面の顔の男の口からもれた。同時に男は飛んでいる。前方に。
「おのれ」
男は背に突き立った風車を引き抜いた。彬のものだ。
「仲間がおったとは」
男が歯軋りした。地に身を埋没させつつ――
「待て」
追おうとし、彬はがくりと膝を折った。その背には鮮血が滲んでいた。
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開いた戸からもれる明かりに、一人の男の姿が浮かび上がった。追分の三四郎である。
「あれは――」
「誰だろう?」
木陰で囁き交わす者があった。鈴とアイーダだ。
もしかして風使いの敵か?
「ここは任せたわ。つけてみる」
音もなくアイーダが動き出した。
どれほど歩いただろうか。ふいと三四郎が足をとめた。
「鬼吉」
「ここだ」
岩に腰掛けた男が答えた。月明かりに浮かぶ顔は剽悍無比だ。
「三五郎。どうでえ、首尾は?」
「俺にぬかりがあるもんか」
三四郎――三五郎がニヤリとした。
「やはり丹兵衛の野郎、やべえ事を企んでやがる。ありゃあ火付けだな」
「次郎長親分の読み通りってわけか」
「ああ。明日あたり動きがあるだろう。むっ」
三五郎が刀の柄に手をかけた。
「誰だ。隠れてる野郎、出てきやがれ」
「動かないで」
冷ややかな声とともに、すうとアイーダが姿をみせた。すでに矢を番えている。
「あなたの刃が届くより早く、私の矢があなたを射抜くわ」
「あーあ」
頓狂な声が響いた。鬼吉と呼ばれた男のあげたものだ。
「三五郎の間抜けめ。何が俺にぬかりはねえだ」
「うるせえな」
三五郎が舌打ちした。
「いくら俺でも、たまにはしくじりもするさ」
「どこが、たまだ。どうせ女にでもうつつをぬかしてたんだろう」
「ぬかせ。俺はおめえと違って女に不自由はしてねえんだよ」
「何だと、てめえ」
「何だ」
「待ちなさい!」
さすがに呆れてアイーダがとめた。
「こんな状況で喧嘩するなんて、いったいどういう神経をしているのかしら。ともかく、ゆっくりと話し合った方がいいようね、私達は」
溜息をつきつつ、アイーダは弓をおろした。
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子の刻あたりだろうか。吉野屋の裏木戸を一人の男が叩き、ややあってから一人の男が顔をみせた。吉野屋の番頭だ。
何事か相談しあい、二人は闇の中に姿を消した。それを追い、豹にも似た影が動き出した。潤信である。
やがて――
潤信は物陰に身を潜めた。二人は料亭の中だ。
どうするか。そう潤信が思った時、肩が叩かれた。芳純である。
「尾上殿が中に。ふむ」
芳純が声をもらした。
「尾上殿より。‥‥やはり彼奴らの目論みは火付けであったと。何っ」
芳純の顔色が微かに変わった。
「邪魔がはいらぬうちにと、すでに火付けに動きだしているようです」
「まずい」
呻いて潤信は立ち上がった。そしていきなり駆け出した。塀にとりつき、軽々と踊り越える。
疾風と化した潤信はとまらない。が、勇猛なその姿とは裏腹に、彼の背はぞくりと粟立っている。
敵に奇怪なる忍びがいた場合、果たして勝てるか否か。
勝つ自信は潤信にはない。猪突猛進に見えて、その実、彼は沈着なる武道家だ。敵の強大なる事は読みぬいている。
それでも潤信はとまらない。もう誰も傷つけさせたくはないからだ。
傷つくのは私一人でいい!
猛虎のように潤信は襲った。
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三五郎が戻った時、粂八の使いという男が訪れていた。
「ついてきな」
一升徳利をそれぞれに手渡し、先にたって歩き出す。カノンと滋は無言で眼を見交わした。やはり徳利の中は油だ。
いよいよか。
カノンと滋の身に凄愴の気が満ちた。
幾許か後。
カノン達は裏路地に辿り着いた。使いの男の姿はない。場所と火付けを命じて姿を消したのだ。
辺りは家が建て込んでいた。もし火事にでもなればどれほどの被害がでるかわからない。
「や、やるぜ」
五郎蔵が油をぶちまけた。そして提灯をもちあげ――
「おとなしくしなさい!」
鞭が唸るような声がとんだ。アイーダのものだ。
「ゆっくり徳利をおろして」
アイーダが命じた。弓に矢を番えて。
刹那だ。アイーダの口から苦鳴がもれた。その背に手裏剣が突き刺さっている。
「出たな」
滋が抜刀した。月光に紅く、花びら散るように光が舞う。
「どこだ」
滋が視線を巡らせた。が、敵の居所がつかめない。
風の唸りを耳にし、咄嗟に滋は飛び退った。が、遅い。肩の肉を手裏剣が裂いている。
「ぬう」
滋の面にも焦りに似た色が滲んだ。
その時だ。突如、樹上から黒い塊が落下してきた。
人間だ。黒装束ですべてを覆っているために人相はわからないが、その首から血がしぶいている。
「格闘はだめだけど、手裏剣ではひけはとらないよ」
鈴の声がした。その鈴の叫びが消えぬうちに、さらに別の黒装束が苦悶して塀から転げ落ちた。その首にも手裏剣が突き刺さっていた。
「な、何だ、これは」
怯えた声を発し、五郎蔵が提灯を取り落とした。いや――
横からのびた手が提灯をひっ掴んだ。三五郎だ。
「馬鹿野郎」
危ねえじゃねえか――そう云いかけて、三五郎は息をひいた。彼の眼前に、突如として炎の塊が現出している。
はじかれたように滋が五郎蔵の前に立った。庇う為に。
芳純がするすと進み出た。すでにテレパシーの呪法は発動済みである。
(私は陰陽師の宿奈芳純と申します。恐れ入りますが貴方様は何にお怒りなのか、教えて頂けないでしょうか)
(‥‥)
応えはない。ただ炎からは熱波というより、むしろ凍りつくような鬼気の如きものが発せられている。
「炎妖よ」
カノンは叫んだ。ただ胸をはって。
「いや、神と呼んだ方がよいか」
(何者だ。我と話すことのできるお前は)
カノンの耳に、炎から声が届いた。魂そのものが震えるような、不思議な韻律に満ちた音声である。
「人間だ」
カノンは答えた。そして五郎蔵をちらりと見遣った。
「火付けをしようとしたこの男と同じ、欲深き人間だ。が、人に対する絶望のみを抱いて欲しくはない。見てくれ、あの者達を」
カノンが指し示した。鮮血にまみれたアイーダや滋を。そして三五郎を。
「あの者達が命をかけて戦ったのは何故か。欲の為ではない。断じて、ない。ただ守りたかったのだ。命を」
(命‥‥)
「そう、命だ。神から見れば塵にも似た卑小のものでしかないのかもしれない。が」
カノンは天を指差した。
「あの夜空の星のように、それは煌いている。希望に、愛に満ちて。多くの人間は欲にまみれ、闇に染まっているかもしれない。けれど忘れないでほしい。その闇の中にあって、なお燦然と輝いている命もあるということを」
(夜空の‥‥星)
炎が揺らめいた。一瞬紅蓮に燃え上がると、それは渦を巻きながら飛翔した。富士めがけて。
遠く流れ去る火流を見つめ、ぽつりと鈴が呟いた。
「‥‥わかってくれたのかな」
「さあ」
答えたのは、満天の星を見上げた藤政だ。
「が、信じたいな。神と人とはわかりあえると」
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八人の冒険者が歩み去る。見送るのは追分の三五郎と鬼吉こと桶屋の吉五郎だ。
「野槌一家に役人の手が入った。奴らのおかげで生き証人もいるし、もう吉野屋もおしめえだな」
「ああ」
へっ、と三五郎は笑みを零すと、小さくなりつつある冒険者達の背をあらためて見つめた。
「おかしな野郎達だったな」
「いくか」
「おお」
三五郎と吉五郎が歩き出した。そして――
冒険者達を見送る別の影があった。女の見紛うばかりの美青年と禿頭の男だ。
「黒彦は?」
美青年が問うた。
「命はとりとめましたが、何せ河豚の毒。しばらくは動けぬかと」
「ううぬ」
美青年の顔に悪鬼の相がうかんだ。
「下忍どもとはいえ始末してのけた彼奴ら、只者ではない。道安」
美青年が禿頭の男を見た。
「飯綱衆を集めよ」